澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

自民党改憲草案「緊急事態宣言」とは、憲法を停止して一党独裁を認めること

「自民党憲法改正草案」は、第9章「緊急事態」を新設しようとしている。内閣総理大臣は「緊急事態の宣言」を発して、法律と同一の効力を有する緊急政令を制定することができるほか、財政上必要な措置や地方自治体に対して必要な指示をすることができる、とする。憲法を停止して一党独裁を可能とするこの制度、危険極まりない。

緊急事態とは、「我が国に対する外部からの武力攻撃」、「内乱等による社会秩序の混乱」、「地震等による大規模な自然災害」「その他の法律で定める緊急事態」(「草案」98条)とされている。しかし、周知のとおり、武力攻撃に関しては武力攻撃事態法と関連諸法があり、「内乱等」には諸種の治安立法があり、自然災害には災害対策基本法以下の厖大な関連諸法がある。その法整備や運用改善の努力をするのではなく、全ての不都合を憲法の所為にして憲法改正と結びつけようという姿勢には、秘められた魂胆があるといわざるを得ない。

緊急事態の問題は、国家緊急権として論じられてきた。「平時の統治機構をもっては対処できない非常事態において、国家の存立を維持するために、政府が、憲法をはじめとする法的制約、つまり立憲的な憲法秩序を一時停止して、非常措置をとる権限をいう」(渋谷秀樹「憲法・第2版」)

その本質は、緊急事態を理由とした「立憲的な憲法秩序の一時停止」にある。一時にもせよ、人権も民主々義も凍結されるのだ。その間に抑圧された「立憲的な憲法秩序」が緊急事態終了後に回復できるという保障はない。濫用の虞は甚だしい。こんな危険なものを認めてはならない。

旧憲法31条は、「本章ニ掲ケタル条規ハ戦時又ハ国家事変ノ場合ニ於テ天皇大権ノ施行ヲ妨クルコトナシ」と、第2章の「臣民権利義務」の規定は、全て平時においてのみ適用されるもので、有事の際の留保を明言した。その原則の実現手法として、14条が「天皇ハ戒厳ヲ宣告ス」と戒厳の権限を天皇に与え、また、 8条「天皇ハ公共ノ安全ヲ保持シ又ハ其ノ災厄ヲ避クル為緊急ノ必要ニ由リ帝国議会閉会ノ場合ニ於テ法律ニ代ルヘキ勅令ヲ発ス」と、緊急勅令を発する権限を与えた。70条ではその場合の財政措置まで整備されている。

「戒厳」と「緊急勅令」、一見別物のごとくだが、実は緊密な関係にある。
戒厳とは、「戦時又はそれに準じる緊急事態に対応するために、国家の統治権のすべて又は一部を軍に委譲すること」(青林書院「新版体系憲法事典」)で、その要件と効果を定めた法規を「戒厳令」(1882年太政官布告)といった。我々が歴史書で記憶している戒厳は、明治・大正・昭和に各一度ずつある。

1905(明治38年)の日比谷焼打事件(日露戦争後の講和条約反対暴動)
1923(大正12年)の関東大震災後の騒乱
1936(昭和11年)の二・二六事件

注目すべきは、そのいずれの場合も、戒厳令による戒厳ではなく緊急勅令による戒厳令の準用であったということ。戒厳令では戒厳を宣する要件は具備されていなかった。しかし、政府は戒厳必要として緊急勅令で同じ効果をもたらすことができたのである。

草案98条・99条によって、内閣の政令が緊急勅令と同じ要件と効果を持つ。新設される国防軍に、必要な実力行使を命じることが可能となる。政治的反対勢力や民衆運動を抑圧することが可能となる。全ての情報を遮断して、国民世論を誘導することも容易になる。

草案の公式解説である「Q&A」は、次のように弁解している。
「どのような事態が生じたときにどのような要件で緊急事態の宣言を発することができるかは、具体的には法律で規定されます。緊急事態の宣言の基本的性質として、重要なのは、宣言を発したら内閣総理大臣が何でもできるようになるわけではなく、その効果は次の99 条に規定されていることに限られるということです。よく『戒厳令ではないか』などと言う人がいますが、決してそのようなことではありません。」

自民党の弁明は無力である。緊急政令は、緊急勅令同様に、国防軍に必要な行動をさせることができる。緊急勅令が事実上の戒厳の発動をしたごとくにである。しかも、新設される国防軍は「法律の定めるところにより、公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる」のである。緊急時の「公の秩序」を守るために、あるいは「国民の生命若しくは自由を守るため」にとする出動はその本務の一部なのである。

1933年、ヒトラーが政権を取る過程で、国会放火事件を利用して、全権委任法を成立させたことはよく知られる。この法律でヒトラー政権は一党独裁で法律を作る権限を手にした。同じ過ちを繰り返してはならない。

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  『雪かと見まごう、白い木の花』
5,6月の今ごろ、一つ一つは小さくて目立たないけれど数の力で目を引く「白い木の花」が咲いている。木の下にはいって、青臭い強い匂いで、花の咲いていることに気づくこともある。高いところに立って、下の景色を見た時、木を覆う白い花の美しさに驚くこともある。
「ネズミモチ」は革質の小型の葉っぱが密につく常緑樹で、刈り込まれて生け垣にされる。枝の先の円錐花序に筒状の白い小花をびつしりつける。この花には気づいたことがなくても、晩秋に成る粉を吹いたような黒紫色の実には見覚えがあると思う。コロコロとしたネズミの糞にそっくりというのが、名前の所以である。子どもが空気鉄砲の玉としておもちゃにした。
ネズミモチに花も実もそっくりなのが、近縁の「イボタノキ」である。ふさっと咲く白い花、コロコロした黒い実。こちらは落葉樹で、隙間がスースーとあって風通しが良い木なので生け垣には使えない。白いイボタロウムシが、枝に刺した竹輪のようにビッシリついて、良質のロウソクの原料を提供して役に立っている。また、細かい波のような蛇の目模様で隈取りをして、ギョロリとした大きな二つの目の玉模様をもったイボタガの食草でもある。
「ナンテン」の白い花も今ごろ咲く。ツーツーと立ち上がった幹の先端に、円錐花序がカッチリと上向きにつく。6弁の白い花に黄色い葯がついて、白いご飯に卵ふりかけをかけたように見える。冬になると赤い実がやはり円錐形について、寂しい風景の彩りとなって大変美しいものである。雪ウサギの赤い目として使われる。
「サンゴジュ」の白い花房はボリュームがあって、手に持ったらズッシリするようだ。大木となった樹冠全体に花が咲くと、雪が積もったのかと見まごうほどの美しさである。晩秋になると、そのまま真っ赤な実で覆われる。実のついた軸まで赤くなるので、サンゴジュといわれる。実のある間じゅうメジロなどの小鳥がうるさいほど集まってくる。厚い葉をもった照葉常緑樹なので、防火の役に立つとして垣根や屋敷回りに好んで植えられた。
「ゴマギ」も傘状の円錐花序に白い小さな5弁花をつける。秋になると赤から黒に熟す実を、お盆に盛ったように付ける。少しでも葉に触ると、香ばしいゴマの香りがする。
どれもこれもひとつひとつは1センチに満たない小花だけれども、よく見ると花びらは砂糖細工のような厚みをもっている。その白い花がたくさん集まると、遠くからでも目を引く美しさをもつことになる。秋になる小さな実も、花の数に応じてたくさん実って、小鳥や人間の目を喜ばせてくれる。
残念ながら今では、こうした変化に富んだ生け垣や庭木は少なくなってしまった。公園に植えられる木でさえも、虫がつく、落ち葉が落ちて困るとされて、種類が少なく面白みがなくなってしまった。せめて、自分の身の周りだけでも美しい木々で飾ろうと思うけれど、庭は狭くてままならない。雨の降らない梅雨空をにらんで、蚊に食われながら水やりをするのも容易なことではない。
(2013年6月10日)

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Published in 月曜日, 6月 10th, 2013, at 23:53, and filed under 未分類.

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