澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

「愚かで不誠実な首相」と「英明で誠実な天皇」との対比の構図をどう読むべきか

憲法は、主権者国民の代表が国会を構成し、国会の議決をもって国会議員の中から内閣総理大臣を指名することを定めている。民意が首相を人選するのだから、内閣総理大臣の言動は、民意と良識を体現するものとの想定が可能である。一方、血統だけで決まる天皇については、人物の保証はない。民主的に構成された内閣が、天皇をコントロールすることが制度として定められている。

ところが、民意から離れて憲法をないがしろにする、歴史修正主義者として名高い人物が首相となっている。そこに、先の戦争を反省して平和主主義を大切にしようという天皇の発言が飛び出した。憲法の想定とは真逆の対比構図が現れている。これをどう見るべきか。

安倍晋三の戦後70年談話は、安倍が地金を隠し通したことによって、一定の成果を挙げたようだ。安倍の本心とは異なる虚言の部分が、共犯者NHK政治部によってあたかも誠意ある反省と謝罪であるかのごとき粉飾に成功して、落ち続けてきた内閣支持率多少のアップにつながった。しかし、これは一時的なものに過ぎないだろう。安倍談話のメッキは既にはがれ始めている。官邸とNHK共謀のまやかしの効果は、早晩払拭されることになるだろう。

このまやかしの払拭に一役買っているのが、天皇の発言である。問題は単純ではない。
本日(17日)毎日新聞夕刊に「<首相70年談話>『反省』天皇陛下と対照的 米メディア」という記事が掲載されている。短いので全文を引用する。
「【ワシントン和田浩明】天皇陛下が70回目の終戦記念日である15日、政府主催の全国戦没者追悼式で『さきの大戦に対する深い反省』に初めて言及されたことについて、米主要メディアは安倍晋三首相の戦後70年談話とは『対照的』などと報じた。
 米通信社ブルームバーグは『天皇、戦争に反省表明、安倍首相と対照的』との見出しで記事を配信。また、米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)は『安倍首相の政策に対する静かな反対』との見方が強まると紹介した。
 全米公共ラジオ(電子版)も第二次大戦に関する『前例がない謝罪』であり、安倍首相の談話より踏み込んだもの、と評価した。米メディアは安倍談話について自らの言葉で謝罪がなかったとして『日本の指導者、第二次大戦で謝罪に至らず』(ワシントン・ポスト紙)などと批判的に伝えていた。」

毎日は「米主要メディアの見方」として紹介したが、このような「安倍=歴史修正主義・謝罪拒否派」、「天皇=歴史直視・反省謝罪派」という対比の構造での見方が国の内外でパターン化して強まっていくことになるだろう。各国政府の思惑よりも重要な、メディアと民衆の声としては、既にこのようになりつつある。

こうなるのも無理からぬところ。安倍晋三がひどすぎるからだ。安倍に比較すれば、天皇の発言が良識に満ちたまともなモノに見えることになる。

15日の全国戦没者追悼式では、天皇だけが発言したのではない。安倍も式辞を述べている。その式辞は下記の官邸URLで読むことができるが、馬鹿馬鹿しいほどの無内容なのだ。結果として、天皇発言だけを目立たせ、対比の構造をつくってしまった。
http://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/statement/2015/0815budoukan_sikiji.html

14日には安倍談話を持ち上げたNHKは、15日には今度は天皇の発言を持ち上げた。「ヨイショ、ヨイショのNHK」である。歯の浮くような報道ぶり。

「天皇陛下は、15日、皇后さまと全国戦没者追悼式に出席し、参列者とともに黙とうをささげたあと、おことばを述べられました。
天皇陛下は例年と同様、冒頭で『さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします』と述べられました。続いて戦後の日本の歩みを振り返る際、例年のおことばに多くのことばを足して、『国民のたゆみない努力と、平和の存続を切望する国民の意識に支えられ、我が国は今日の平和と繁栄を築いてきました。戦後という、この長い期間における国民の尊い歩みに思いを致すとき、感慨は誠に尽きることがありません』と話されました。
そのうえで、戦没者を追悼し平和を願う結びの一文に、新たに『さきの大戦に対する深い反省と共に』ということばを加え、それに続けて『今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心からなる追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります』と述べられました。
戦没者追悼式での天皇陛下のおことばは、基本的な内容は毎年、踏襲されてきましたが、戦後50年を迎えた平成7年には『歴史を顧み、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い』ということばが加えられました。内容が大きく変わるのはこの時以来で、戦没者追悼式でのおことばに『反省』ということばが盛り込まれたのは初めてです。」

「平成13年以降は毎年同じおことばが続いてきました。そして、戦後70年を迎えたことし、天皇陛下は14年ぶりにおことばをかえ、戦後の日本の歩みを振り返る部分に、多くのことばを足されました。
まず、今日の平和と繁栄を支えたものとして『国民のたゆみない努力』に加え、新たに『平和の存続を切望する国民の意識』という表現を用いられました。そのうえで、例年、『苦難に満ちた往時をしのぶとき、感慨は今なお尽きることがありません』としていた部分を『戦後という、この長い期間における国民の尊い歩みに思いを致すとき、感慨は誠に尽きることがありません』と言いかえられました。
さらに、戦没者を追悼し平和を願う結びの一文に、『さきの大戦に対する深い反省と共に』ということばを加えられました。戦没者追悼式での天皇陛下のおことばがこれだけ変わるのも、『反省』ということばが盛り込まれたのも、今回が初めてのことです。」

天皇の言葉は、とりようによっては、『平和の存続を切望する国民の意識』として憲法9条擁護の広範な国民意識を評価し、戦争法案反対運動にエールを送っているやに聞こえなくもない。また、『さきの大戦に対する深い反省』は明らかに自分の意見として述べている。ここには、安倍談話とは異なるメッセージの直接性がある。

当然にこれを評価する見解は出て来るだろう。天皇制に対する警戒心の薄い保守層からはとりわけ歓迎されることになるだろう。

16日の東京新聞は、次のように、半藤一利、保阪正康のコメントを掲載している。
「天皇陛下が全国戦没者追悼式で述べられたお言葉について、昭和史を題材にした作品を多数執筆している作家の半藤一利さん(85)は『平和の存続を切望する国民の意識に支えられ』という部分に着目する。
 『戦後七十年間平和を守るため、必死に努力してきたすべての日本人へ向けた言葉と読むべきだろう。今なら、安全保障法案に反対して声を上げるなど、草の根の人たちも含むと考えられる』と指摘。『政治的発言が許されない象徴天皇という立場で、ぎりぎりの内容に踏み込んだメッセージ』とみる。」

「ノンフィクション作家の保阪正康さん(75)は『陛下が許される範囲内で示した、昨今の政治情勢への危惧とも読みとれる。結果的に、十四日に閣議決定された安倍晋三首相の七十年談話と対比関係になる』と分析する。」「首相談話は傍観者的な印象だが、陛下のお言葉は『さきの大戦に対する深い反省』などと自らの言葉で言及しており、主観的に負の歴史に向き合っている、と指摘」

この東京新聞の記事の見出しは、「『大戦 深い反省』 天皇陛下 踏み込んだ『お言葉』」となっている。天皇が「踏み込んだ『お言葉』」を述べて問題がないのか。「象徴天皇という立場で、ぎりぎりの内容に踏み込んだメッセージ」「陛下が許される範囲内で示した」といって許容してよいのか。

「ぎりぎりセーフ」というのが、半藤や保阪の意見だが、私はアウトだと思う。天皇の発言の内容は常識的なものだが、内閣の助言と承認を離れての天皇の言動を許容することができない。

東京新聞の記事の中に、次の一節がある。
「陛下はこうしたお言葉や記者会見の回答は、基本的には自ら書いているという。行事の主催者から原案が届いても、側近を通じて資料を調べたりして、直前まで推敲を重ねる。今回の『深い反省』も、検討を尽くした上に加えられたとみられる。」

また、朝日もこう伝えている。
「今年は『さきの大戦に対する深い反省』を始め、新しい表現が盛り込まれた。いずれも同式典では初めての言及で、宮内庁関係者によると、ご自身によって直前まで練り上げられた。
 戦後70年にあたり、天皇陛下は皇后さまと戦没者慰霊を続けてきた。昨年は沖縄、長崎、広島を訪れ、今年4月には太平洋戦争の激戦地・パラオに渡った。『戦争が次第に忘れられていくという、陛下には焦りにも近い気持ちがあるのでは』。そんな思いが今回のおことばに表れたのだろう、と側近はみる。」

これらの記事が正確なものだとすれば、天皇は内閣の助言と承認から離れたところで、微妙な政治的発言に踏み込んだことになる。「さきの大戦に対する深い反省」と「平和の存続を切望する国民の意識」とは、「村山内閣以下の歴代内閣の立場」とは整合するものではあっても、安倍談話とは整合しない。むしろ、内外のメディアから、対立するものとして受け止められていることが重要だ。安倍晋三が、村山談話反対の急先鋒だったことは公知の事実ではないか。天皇発言が安倍内閣と親和性を欠くものであることは明らかだ。

それだけに、「天皇よくぞ発言してくれた」「違憲の安倍内閣を、憲法理念に忠実な立場から批判するのだから許容されてよい」という多くの人の思いはあろう。しかし、天皇が内閣の掣肘から離れて独走することの危険は計り知れない。日本国憲法は、国民主権を大原則としながら、象徴天皇制を残した。天皇は徹底して内閣のコントロール下にあることで存在を許されているのだ。

「今回、初めて使われた『深い反省』は、追悼式以外の場面では使われた例がある。1992年、歴代天皇として初めて訪問した中国での晩さん会で『わが国民は、戦争を再び繰り返してはならないとの深い反省に立ち、平和国家としての道を歩むことを固く決意して、国の再建に取り組みました』とスピーチ。94年、韓国大統領を迎えた宮中晩さん会では『過去の歴史に対する深い反省の上に立って、貴国国民との間にゆるがぬ信頼と友情を造り上げるべく努めてまいりました』と語った。いずれも政治課題になっていた『過去の清算』に、象徴天皇の立場で踏み込んだ。」(東京新聞)

おそらくは、そのときには内閣の助言と承認があったのだろう。今回、安倍内閣は、事後的にでも「天皇の発言」に、閣議決定をもって承認すべきだろう。もっとも、そのことによっても「天皇の公的行為に付随する政治的発言」の違憲違法性が完全に払拭されるかことになるかは疑問なしとしない。
(2015年8月17日)

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