澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

「保育園落ちた日本死ね」怒りのブログに、曾野綾子の「大きなお世話」

これ以上はない大きな反響を呼んだ話題のブログの冒頭の一節。

保育園落ちた日本死ね!!!
 何なんだよ日本。
 一億総活躍社会じゃねーのかよ。

 昨日見事に保育園落ちたわ。
 どうすんだよ私活躍出来ねーじゃねーか。

 子供を産んで子育てして社会に出て働いて税金納めてやるって言ってるのに日本は何が不満なんだ?

国会で取り上げられ、アベとその取り巻きのことさらの無視が、同じ境遇の女性を中心に大きな反発を招いた。「保育園落ちたの私だ」デモとなり、署名活動が行われて、署名簿提出にはカメラの前で厚労大臣が直接受領せざるを得なくなった。その後、アベ内閣はこの問題に真剣に取り組んでいる姿勢をとらざるを得ない事態となっている。野党も世論も、重大なテーマとしてこの問題に関心を向けている。市井のひとりのブログが、これだけのインパクトをもった例は他にないだろう。

そのインパクトの根拠は、何よりもテーマにある。多くの人が、このブログを我が身のこととしてとらえ、自分の心情を代弁したものと認識した。共感の輪を広げようと当事者意識をもったのだ。

さらに、このブログは、必ずしも「我がこと」でない多くの人にも、広く共感を得るテーマでもあることを示した。アベ政権が本気になって働く女性の立場に立とうとしてはいないことを、みんなが知っている。実のところアベの関心は、企業にとっての安上がりの労働力と、財政にとっての安上がりの保育。そして、なおざりの政策で女性の立場に立っているようなフリのパフォーマンスが成功しているか否かだけなのだ。「保育園落ちた日本死ね!!!」は、その虚妄を厳しく衝いた。「日本死ね」の本心は、「アベ政権つぶれろ」と読まなくてはならない。

それだけではない。私は、このブログが大きなインパクトをもった理由として、テーマや内容だけでなく、一見乱暴な文体も大いに寄与していると感心している。あらためて読み直してみると、怒り心頭の気持にふさわしいみごとな表現ではないか。

このブログは、間違いなく普段よくものを考えている人の文章である。知識も豊富で、論理的な思考にも長けている。別の場面では、きちんとした文章を書く能力の持ち主だ。その人が、半分は怒りのほとばしりとして、また半分はインパクトを計算して、為政者のタテマエとホンネの懸隔にみごとに切り込んだのだ。

品格だの、文体の美しさだの、日本語の奥ゆかしさだの、そんなことを言いたい人には言わせておけ、という突き放した気持ちが表れている。私は、怒りの表現にふさわしい、怒れる文体を、立派なものと称賛したい。

憤怒の思いあるときに、上品な文章は書けない。品のよい文章では、怒りの気持が伝わらない。「保育園落ちた。日本死ね」の文章は、怒りが文体に表れて、多く人の心に響いたのだ。私もこの文体を学びたいと思う。

お元気だった頃の大江志乃夫さんから聞いた話。大江さんの父君は、陸軍大佐大江一二三。日中戦争で戦死した部下の遺品に胸が痛んだという。その兵士が身につけていた母親の写真の裏面に母を恋う長歌が書き込まれ、その最後に「お母さん お母さん お母さん お母さん お母さん お母さん お母さん お母さん お母さん お母さん お母さん お母さん お母さん お母さん お母さん お母さん お母さん お母さん お母さん お母さん お母さん お母さん お母さん お母さん」と24回。繰りかえして「お母さん」が書き連ねてあったそうだ。

私は、この話を思い起こすたびに目頭が熱くなる。なまじの整った文章よりも、思いを書き連ねた率直さこそが、人の胸を打ち、心をとらえる。母を想う心情でも、政策への怒りでも同じことだろう。

などと思っていたところに、言わずもがなのことを言って水を差す人物が表れた。やはりこの人、と言ってよかろう。曾野綾子である。産経新聞に曽野綾子のコラムが連載されている。連載コラムの標題が、「小さな親切、大きなお世話」。3月13日のこのコラムに、曾野が例の如く、アベ政権擁護の立場からの記事を書いた。

今回の記事は「貧しい表現力が招く不幸」という見出し。「このブログ文章の薄汚さ、客観性のなさをみていると、私は日本人の日本語力の衰えを感じる。言葉で表現することの不可能な世代を生んでしまったのは教育の失敗だ」「SNSに頼り、自分の思いの丈を長い文章で表す力をついに身につけなかった成人は、人間とは言えない」というのだ。こんな右翼作家のくだらぬ世迷い言にまともに反論するのも大人げない。曾野の時代錯誤の文章には、「何をえらそうに、ちゃんちゃらおかしい」。「大きなお世話だ」。そう言っておけばよいだけのこと。

しかし、少しだけ気になるところがある。右翼曾野が、「日本死ね」の言い回しに過剰反応していることだ。「自分に都合の悪いことがあると、『日本死ね』である。別に大人げなく反論する気もないが、日本を有数のいい国だと思っている私のような人間もいるのだから、この人の方が嫌いな日本を捨てて、今すぐもっと上等な他国に移住なさればいい。」というものの言い方。

曾野の日本語力が、「日本人の日本語力の衰え」を嘆くに値するほどのものとも思えないが、それは別問題。曾野の文章の虚飾を剥ぎ取れば、「保育園落ちたくらいで政権を批判する輩は日本から出て行け」と言っているのだ。ネトウヨ言葉を借りれば、「反日非国民は日本から出ていけ」ということ。

曾野コラムに対するまともなネットの反応は、「『日本から出ていけ』とか『文章の書けない成人は人間とは言えない』とは自分が多少書けるからと言って、底辺に生きる人に思いを馳せることない随分思い上がった見解」「私はこの文書を投稿した人の悲痛な気持ちが痛いほど伝わってきましたし、自分の思いをきちんと表現していると思いました。」「実際にこの匿名の投稿がネットで話題になり、国会で話題になり、子育て世代の保護者を動かしました。ということは、多くの人を動かした文章だった…ということですよね?」というのが代表的なもの。しかし、当然のことながら、産経・右翼グループは曾野に賛意を表して一群を形成している。

曾野の言にみられるような、
「政権批判」⇒「非国民」「反日」のレッテル⇒日本から出て行け
の反知性的短絡論法蔓延の危険を過小評価してはならない。攻撃的な同調圧力や排外・排斥主義には警戒を要する。

とはいえ、「保育園落ちた日本死ね」のこのブログ。アベとその取り巻きに無視されたことがきっかけで天下の注目を浴びることとなり、さらに今度は、産経・曾野綾子コラムの「大きなお世話」で再びの話題に。政権と右翼のおかげでの知名度アップ。今年の流行語大賞は、もう決まりだべ。「保育園落ちた日本死ね」か、それとも「保育園落ちたのは私だ」のどちらかだろう。
(2016年3月15日)

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