澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

「憲法日記」 本日連載第1400回

当ブログ「澤藤統一郎の憲法日記」が、日民協ホームページの軒先間借りから独立して、新装開店したのが2013年4月1日。以来、毎日一本の記事を途切れることなく掲載し続けて、およそ3年と10か月。本日で連続1400回となった。何がメデタイのか判然とはしないが、ともかく一人で祝うことにしよう。

1400日前の、連載第一回冒頭の記述を引用する。
春。新しい出発のとき。引越の季節でもある。
本「憲法日記」は、4月1日の本日、これまで長く間借りしていた日民協ホームページから引越をして、本サイトにての新装開店である。独立を宣言する心意気なのだが、これまでと何がどう違うことになるのかは、まだよく分からない。少なくとも、大家に気兼ねすることなく、独立自尊、のびのびと、言わねばならぬことを言いたいように言えることになる。もの言わぬは腹ふくるる業とか。恐いものなし。なんでも言うことにしよう。

以来今日まで、第一回で宣言したとおり、「なんでも言うことにし」てきた。「言わねばならぬことを言いたいように言ってきた」とも思う。

私の当ブログ執筆の基本姿勢は以下の如きものだ。
当たり障りのないことは、わざわざ時間をかけて書くに値しない。すべからく、「当たり障りのある」ことだけを記事にしなければならない。

「当たり障りのある」記事とは、直接間接に誰かにとって不愉快であり感情を害するもの。あるいはそれにとどまらず、場合によっては、対象人物の社会的評価を低下させる内容を含むものである。

通常、他人を批判することは避けたいとするのが人情。私もその例に漏れない。しかも私は、もともとが文系の人となり。どちらかといえば、花鳥風月や歴史をひもとくことが好み。そんな文章を書いている限り、舌禍も筆禍もないのだ。

当然のことながら、他人への批判には反論が待っている。反論や反批判の繰りかえしというしんどい作業を覚悟しなければ、「当たり障りのある」記事を書くことはできない。それでも私は、1400日前に、そのような覚悟をもって「当たり障りのある」ブログ記事を書き続けることを宣言したのだ。もちろん、アベ政権の憲法破壊の動きに、少しでも抵抗が必要だと考えてのことである。

表現の自由とは、だれをも傷つけない、毒にも薬にもならない内容の言論が保障されていることではない。権力と権威あるものを対象に、これに打撃を与え、「毒」になる内容の言論が保障されているということでなくてはならない。権力と権威は得てして暴走する、これを是正するのが批判の言論である。権力と権威の腐敗防止の役割も批判の言論が担う。そのことが、多くの人にとっての「薬」になる。当ブログは、そのような役割の一端を担いたい。

まずは、内閣、省庁、国会、裁判所、地方自治体などの権力機構やこれを担う官僚・公務員に対する批判の言論が徹底して保障されなければならない。とりわけ、政治家に対する批判の自由は格別に重要な意味を持つ。

次いで、天皇や天皇にまつわる制度を批判する言論の自由が保障されなければならない。天皇や皇族の行状、その経済的優遇措置、天皇の神聖性や文化的権威の維持に資する一切の思惑や賛美の意見や行事などを批判する言論が最大限に手厚く保障されなければならない。天皇こそが、歴史的に国民主権の敵対物であり、主権者意識確立を妨害する存在だからである。

さらに、社会的な強者としての財界、企業、事業者に対する批判においても躊躇さするところがあってはならない。

そして、メディアや、政党、大学や研究機関、あるいは巨大宗教団体など、社会的な権威や権力を持つ組織やそれを担う人物に対しても、批判の言論が保障されなければならない。

すべからく、権威や権力を持つ者は、その権威や権力の程度に応じて、批判に寛容でなくてはならない。

昨日の「DHCスラップ訴訟・勝利報告集会」で、田島泰彦教授が「国際動向のなかの名誉毀損法改革とスラップ訴訟」というタイトルでの記念講演があった。表現の自由を定めた、国連の「自由権規約(B規約)19条」の公的解釈とも言うべき「名誉毀損法の国際ガイドライン」が、いま大きく変更されようとしており、数ヶ月以内に発表があるはずとのこと。

その中で注目されるものは、「公人(あるいは公的人物)に対する批判の言論」を手厚く保障するという枠組みから、もっと広く「公共の関心事に関する言論」を手厚く保障するという枠組みになるはず、ということだった。「自由権規約(B規約)」は国内法としての効力を持つことになるのだから、心強い限りである。

今日までの1400回のブログでは、アベ政権・自公与党による明文改憲・解釈改憲の動きを批判し続けてきた。その同盟者としての橋下・維新もである。都政や歴史修正主義、諸悪法制定の動きにも警鐘を鳴らしてきた。

天皇や天皇制、天皇制にまつわる元号、祝日、叙位叙勲、公的行為を批判してきた。また、消費者の立場から企業や規制緩和論者を批判してもきた。全ては、弱者の側からの、強者に対する批判のオンパレードである。「宇都宮君立候補をおやめなさい」シリーズも、「DHCスラップ訴訟を許さない」シリーズも、弱い立場の人権に敵対する強者への挑戦の言論となっているはずである。

さて、1400回。もちろん、通過点に過ぎない。次は、満4年の記念日があり、1500回があり、さらに5年となる。改憲阻止を目指して、毎日コツコツと書き続けていくことになるだろう。2000回を迎えたときには、いったい何が主要なテーマとなっているのだろうか。
(2017年1月29日)

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