澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

教育勅語とは、天皇のために死ねという教典である。これを持ち上げるイナダを防衛大臣に居座らさせてはならない。

今日は、3・11。震災・津波・原発の被害について、ぜひとも書かなければならないところだが、思いがまとまらない。PKO部隊の南スーダンからの撤退問題も、アベ友小学校設立認可問題の新局面も、共謀罪も沖縄も韓国も豊洲も軍学共同もトランプも…、書くべきことが山積している。しかし、残念ながら、読んでいただくに値するほどの文章を書ける自信がない。やむなく、イナダ防衛相の資質に関連して、教育勅語について書くことにする。

結論から言おう。イナダは自衛隊を統率する人物として明らかに失格だ。こんな偏頗な思想の持ち主を防衛省のトップに据えておくことは、危険極まりない。この人物、頼りないというだけではない。現行憲法の理念がまったく分かっていない。いや、頭の中が、完全に「反・日本国憲法」で「大日本帝国憲法ベッタリ」なのだ。

大日本帝国憲法時代の日本は、天皇を神とし教祖でもあるとした宗教国家であった。その宗教を国家神道と呼んでいる。国家神道とは、分かり易い言葉を使えば「天皇教」というオカルトである。その教典こそが、教育勅語だった。日本中の教場を布教所として、訓導たちが天皇教の布教者となって子どもたちを洗脳した。日本中が、あの「塚本幼稚園」状態であったわけだ。

いささかなりとも理性をもった目で読めば、神なる天皇から臣民に下しおかれたという、明らかにバカげたカルト文書。少しでも理性の持ち合わせがあれば、こんなものを持ち上げることもありがたがることもできるはずがない。普通の感覚からは、教育勅語を評価していると思われることは、知性も理性もないと言われることと同旨。「恥ずかしい」ことなのだ。

教育勅語は大日本帝国憲法と一対をなすものであった。大日本帝国憲法が失効して、なお妥当性を保つことは出来ない。1948年6月、両院でその廃絶の決議が成立している。とりわけ参議院の決議は、日本国憲法に則って教育基本法を制定した結果として、教育勅語は既に廃止されて効力を失っているとした。教育勅語に代わって、日本国憲法と一対をなす教育の大原則が教育基本法である。

教育勅語の中に、「國憲を重んじ」という一文がある。国憲とは大日本帝国憲法のことにほかならない。当時主権は天皇にあった。だから、エラそうに、天皇が上から臣民を見下して、「憲法を守れ」などと説教できたのだ。

日本国憲法は主権者である国民が作った。その宛名の筆頭は、憲法99条に明記されているとおり天皇である。「憲法を守れ」とは、主権者国民が天皇に向かって言う命令なのだ。だから「教育勅語にもいいところがある」などとは、口が裂けても言ってはならないのだ。

教育勅語の原文は、もったいぶった虚仮威しの言い回しによる読みにくさはあるが、深淵な思想や哲学をかたっているわけではない。さして長くはない文章。句読点をつけるべきところを一字空け、適宜改行して、読み易くしてみよう。

敎育ニ關スル勅語
朕惟フニ 我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ 徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ
我カ臣民 克ク忠ニ 克ク孝ニ 億兆心ヲ一ニシテ世々厥ノ美ヲ濟セルハ 此レ我カ國體ノ精華ニシテ 敎育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス

爾臣民
 父母ニ孝ニ
 兄弟ニ友ニ
 夫婦相和シ
 朋友相信シ
 恭儉己レヲ持シ
 博愛衆ニ及ホシ
 學ヲ修メ 業ヲ習ヒ
 以テ智能ヲ啓發シ 
 徳器ヲ成就シ 
 進テ公益ヲ廣メ 
 世務ヲ開キ 
 常ニ國憲ヲ重ジ 國法ニ遵ヒ
 一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ
 以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ

是ノ如キハ 獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス
又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン
斯ノ道ハ 實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ 子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所
之ヲ古今ニ通シテ謬ラス 之ヲ中外ニ施シテ悖ラス 朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ 咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ
明治二十三年十月三十日
御名(睦仁)御璽

ご覧のとおり、教育勅語には「我カ臣民 克ク忠ニ 克ク孝ニ」と、忠孝から始まる幾つかの徳目が書き込まれている。もちろん、天皇制権力に好都合な徳目を羅列して臣民に押しつける類のもの。個性・自主性・自律性の確立、貧困を克服し格差を是正する努力、個人の尊重、男女の平等、権力に対する抵抗、弱者の連帯や団結、平和への献身、国際貢献、自由・人権の重視、宗教や政治信条への寛容、政治的な関心の涵養などは、徳目として書き込まれるはずもないのだ。普遍性を欠いた教育勅語の一部の徳目を持ち上げ、「それ自体は悪くない」などと言うのは笑止千万というべきである。

「修身斉家治国平天下」という中国・朝鮮伝来の儒教思想で固められ、その枠の中の「孝」であり「友」であり、「和」「信」ではないか。「親孝行も、夫婦仲良くも良いことだから、教育勅語も悪くない」は、ものを考えようとしない愚者の言か、人を騙そうとする扇動者の言でしかない。

教育勅語のすべての臣民の徳目は、「常ニ國憲ヲ重ジ 國法ニ遵ヒ 一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ 以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」に収斂する。

私流に、これを現代語訳してみよう。なお、「朕」の訳語は「オレ様」、「爾臣民」は「おまえたち家来ども」がぴったりだ。
「おまえたち国民はオレ様の家来だということをよくわきまえて、オレ様が作った大日本帝国憲法と、オレ様の議会が作ってオレ様が公布するすべての法律に文句を言わずに従え」「もし戦争や内乱や革命など、一大事があるときには、必ずオレ様の兵隊となって命令のとおりに勇猛果敢に命を投げ出す覚悟をせよ。そのようにして、オレ様一族の繁栄が永遠に続くよう最善を尽くさなければならない。それこそがおまえたち家来が守るべき最高の道徳なのだ」

だから教育勅語は、軍国主義の核でもあり基礎でもあるというのだ。富国強兵の時代にはともかく、平和憲法の時代には失効するしかなかった。

以上が、常識的な見解である。ところが、このような常識をもちあせていないことを明言した大臣がいる。イナダ防衛大臣。

3日前の水曜日、3月8日の参議院予算委員会。福島みずほ議員が、教育勅語の評価に関して稲田朋美防衛大臣の認識を問いただして追及した。以下は、その抜粋である。

○福島みずほ 稲田大臣にお聞きをいたします。「ウイル」2006年10月号、228ページの下段、御自身の発言を読み上げてください。
○イナダ (抵抗したが、結局は読み上げる)「教育勅語の素読をしている幼稚園が大阪にあるのですが、そこを取材した新聞が文科省に問合せをしたら、教育勅語を幼稚園で教えるのは適当でないとコメントしたそうなんです。そこで文科省の方に、教育勅語のどこがいけないのかと聞きました。すると、教育勅語が適当でないのではなくて、幼稚園児に丸覚えさせる教育方法自体が適当ではないという趣旨だったと逃げたのです。しかし新聞の読者は、文科省が教育勅語の内容自体に反対していると理解します。今、国会で教育基本法を改正し、占領政策で失われてきた日本の道徳や価値観を取り戻そうとしている時期に、このような誤ったメッセージが国民に伝えられることは非常に問題だと思います。」

○福島みずほ この幼稚園というのは塚本幼稚園のことですか。
○イナダ 今報道等で取り上げられている状況等勘案いたしますと、ここで私が指摘をしているのは塚本幼稚園のことだと推測いたします。

○福島みずほ この後に教育勅語について発言をされているんですが、最後の一行も含めて教育勅語の精神は取り戻すべきという考えは現在も維持されていますか。
○イナダ 教育勅語の核である、例えば道徳、それから日本が道義国家を目指すべきであるという、その核について、私は変えておりません。

○福島みずほ 最後の一行まで全部正しいとおっしゃっていますが、これでよろしいんですね。
○イナダ  私は、その教育勅語の精神であるところの、日本が道義国家を目指すべきである、そして親孝行ですとか友達を大切にするとか、そういう核の部分ですね、そこは今も大切なものとして維持をしているところでございます。

○福島みずほ 念のため聞きます。この文章はこうです。稲田さんが、「麻生大臣は最後の一行が良くないと、すなわち『天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ』といったような部分が良くないと言っているが私はそうは思わない」と言っているんです。つまり、これ全部ということなんですね。この部分も含めて全部ですね。
○イナダ 今申し上げましたように、全体として、教育勅語が言っているところの、日本が道義国家を目指すべきだというその精神ですね、それは目指すべきだという考えに今も変わっていないということでございます。

○福島みずほ 教育勅語が、戦前、戦争への道、あるいは国民の道徳の規範になって問題を起こしたという意識はありますか。
○イナダ そういうような一面的な考え方はしておりません。

イナダに比べれば、麻生太郎が常識的な人物に見えてくる。かくも、防衛大臣は非常識で危険なのだ。

なお、イナダは答弁の中で、執拗なまでに「道義国家」という言葉を繰り返している。教育勅語は、明らかに好戦的な軍国主義の宣言であって、国家としての道議を説くものとなっていない。もとより、「道義」も「道義国家」も教育勅語の原文にはない。

「実は、稲田が持ち出してきた『道義国家』は、『国民道徳協会』現代語訳教育勅語にある「私は教育の根本もまた、道義立国の達成にあると信じます」から引いていると思われますが、教育勅語にはこんな文句はないわけです。明らかに教育勅語が〈読めてない〉」(早川タダノリ)というのが同氏の指摘。なるほど、指摘されて見るとそのとおりなのだ。イナダの答弁は、この現代訳からの借り物。

早川氏には、日民協の「法と民主主義」2017年3月号(3月下旬発刊)にその間の事情を詳しく寄稿いただいている。是非、ご一読いただきたい。

戦前、天皇のために死ぬことが誉れという、天皇教の教義を国民に叩き込んだ教典としては、教育勅語のほかに「軍人勅諭」があり、東条内閣の時代に「戦陣訓」も作られた。兵に天皇の命令のままに死ねと教えた「軍人勅諭」と「戦陣訓」。ともに今はないが、防衛大臣が、教育勅語を持ち上げるのは不気味で恐ろしい。

イナダが、ヌケヌケと教育勅語礼賛を語ることができるのは、アベ政権あればこそである。籠池という尻尾を切っただけでよしとすることはできない。頭も胴体も潰しておかねばならない。イナダのごとき、バランス感覚を欠いたこんな危険人物を防衛大臣にしておくことはゆるされない。
(2017年3月11日)

Comments are closed.

澤藤統一郎の憲法日記 © 2017. Theme Squared created by Rodrigo Ghedin.