澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

天皇退位問題の議論に、国会が萎縮してはならない。

天皇(明仁)の退位希望を可能とする法整備に関し、異例のこととして、衆参両院の正副議長が議論のとりまとめを行った。一昨日(3月15日)その成案が各会派に示され、本日(3月17日)午後、そのとりまとめによる提言書が、首相に手渡された。政府は、この提言を尊重して法案化を進め、5月の大型連休明けに国会に提出する方針と報じられている。これで、法案が今国会で成立するのは確実だという。何とも釈然としない。

こういうことではないだろうか。天皇の退位法制化という微妙な問題なのだから、できるだけ論争を避け、波風立てぬように、全会一致となるよう事前のとりまとめが必要と判断した。この姿勢は、天皇に関する問題を国会における議論の対象とすることは、遠慮すべきだとするものである。もしかしたら、天皇の明示の希望を拒絶するような議論を封じておこうという意図もあるのではないだろうか。

国民こそが主権者である。天皇は主権者国民の意思に基づいて、その地位にある。主権者の多様な意思・意見を忌憚なく述べ合い、主権者の合意を形成すべき国会が、こと天皇の問題となったら、何という腰の引けよう。

我が国の表現の自由の試金石は、天皇に関する批判の自由如何にある。天皇や天皇制に関しての批判を躊躇してはならない。そのことこそが表現の自由を放擲する萎縮の端緒にほかならない。

いったい、何のために両議院の正副議長が、天皇に関わる制度の論議を特別扱いとしたのか。予め各会派の合意をとりまとめ、このあたりなら議論を避けて、天皇や天皇制に対する批判の意見が表立つことなく、波風立たない審議が可能だと、内閣に申し出たのではないか。天皇や天皇制に関わる議論についても、遠慮することなく、国会論戦のテーマとすべきが当然ではないか。国会の天皇批判の萎縮は、国民全体の天皇批判の萎縮となるのだから。

本日、大島理森衆院議長は、「政府が法案提出前に骨子を各党に説明し、要綱を与野党代表者による全体会議に示すよう要請した」という。これも、天皇に関する法案だから波風立たぬように、という配慮である。そのような国会の配慮は、ますます「皇室タブー」を拡大し、我が国の表現の自由度を低下させることになるだろう。

報道では、自由党は提言案に反対を表明。共産党は、提言自体は容認したものの、「陛下のお言葉を各党が重く受け止める」との記述が憲法に抵触しかねないなどと指摘のうえ、「今後の国会審議を縛るものとしてはならない」と賛否を留保したという。全会一致でなかったのは、救いといえよう。

「『天皇の退位等についての立法府の対応』に関する衆参正副議長による議論のとりまとめ」の全文が報道されている。その中の釈然としない部分を引用しておこう。
1.はじめに-立法府の主体的な取組の必要性
「天皇の退位等」に関する問題を議論するに当たって、各政党・各会派は、象徴天皇制を定める日本国憲法を基本として、国民代表機関たる立法府の主体的な取組が必要であるとの認識で一致し、我々四者に対し、「立法府の総意」をとりまとめるべく、御下命をいただいた。

この考え方が、そもそもおかしい。「天皇の退位等」に関する問題に限らず、すべての国政の課題、国民生活に関する課題には、国民代表機関たる立法府の主体的な取組が必要であることは明らかではないか。どうして、「天皇の退位等」だけが特別な取り扱いをすべきなのか、どうして「天皇の退位等」だけが「立法府の総意」とりまとめの必要があるのか、説明は不可能だろう。

2.今上天皇の「おことば」及び退位・皇位継承の安定性に関する共通認識
その上で、各政党・各会派におかれては、ともに真摯に議論を重ねていただき、その結果として、次の諸点については、共通認識となったところである。
(1) 昨年8月8日の今上天皇の「おことば」を重く受け止めていること。
(2) 今上天皇が、現行憲法にふさわしい象徴天皇の在り方として、積極的に国民の声に耳を傾け、思いに寄り添うことが必要であると考えて行ってこられた象徴としての行為は、国民の幅広い共感を受けていること。
このことを踏まえ、かつ、今上天皇が御高齢になられ、これまでのように御活動を行うことに困難を感じておられる状況において、上記の「おことば」以降、退位を認めることについて広く国民の理解が得られており、立法府としても、今上天皇が退位することができるように立法措置を講ずること。
(3) 上記(2)の象徴天皇の在り方を今後とも堅持していく上で、安定的な皇位継承が必要であり、政府においては、そのための方策について速やかに検討を加えるべきであること。

「今上」「おことば」「重く受け止め」「御高齢」「御活動」の敬語使用は不要というべきだ。言うまでもなく、今は天皇主権の時代ではない。国民主権の時代の国会が天皇を語る際の用語には、もっと工夫が必要だ。
そして、「次の諸点については、共通認識となったところである」は、信じがたい。多数派による少数意見の切り捨て、ないし、多数意見への変更の押しつけ以外のなにものでもない。多数派による、「これが全体意見だ」という僭越な意見表明は民主主義社会にふさわしくない。とりわけ、国会がこんなことをしてはならない。

3.皇室典範改正の必要性とその概要
(1) さらに、各政党・各会派においては、以上の共通認識を前提に、今回の天皇の退位及びこれに伴う皇位の継承に係る法整備に当たっては、憲法上の疑義が生ずることがないようにすべきであるとの観点から、皇室典範の改正が必要であるという点で一致したところである。
(中略)
この規定により、①憲法第2条違反との疑義が払拭されること、②退位は例外的措置であること、③将来の天皇の退位の際の先例となり得ることが、明らかになるものと考えられる。

結論が、①~③にまとめられている。①に関しては、賛否両論あろう。しかし、「②退位は例外的措置であること」と「③将来の天皇の退位の際の先例となり得ること」の両者がならべられていることには、「そりゃいったいどういうことだ」と驚嘆せざるを得ない。いったい、どっちを向いた提言をしているのか、さっぱり分からない。こんなことで、国会の論戦を避けてはならない。

4.特例法の概要
特例法においては、以下のような趣旨の規定を置くことが適当ではないか。
(1)今上天皇の退位に至る事情等に関する規定に盛り込むべき事項
①今上天皇の象徴天皇としての御活動と国民からの敬愛
②今上天皇・皇太子の現況等
③今上天皇の「おことば」とその発表以降の退位に関する国民の理解と共感

以下は省略するが、「今上天皇の象徴天皇としての御活動と国民からの敬愛」「国民の理解と共感」と並ぶ言葉に、気恥ずかしさを禁じ得ない。こんな言い回しをしなければならない時代状況なのだろうか、そのことに考え込まざるを得ない。少なくとも、国民すべてが天皇を敬愛しているというのは事実に反する。このような事実に反する表現はやめていただきたい。

私は、憲法に規定がある以上、天皇という公務員職が設けられていることは否定しない。しかし、天皇への「敬愛」の感情は持っていない。「退位に関する理解と共感」の情もない。敬愛や共感の押しつけはおやめいただきたい。

国会・国会議員には、主権者の代表としての自覚と気概を堅持していただきたい。天皇制のかたちを決めるのは、国会の仕事である。議員は、忌憚なく遠慮なく十分な議論を尽くして、天皇制のあり方についての合意を形成されるよう切実に希望する。
(2017年3月17日)

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