原発避難者訴訟ー「笑顔なき勝訴」から「笑顔に満ちた勝訴」を目指して
昨日(3月17日)、前橋地裁(原道子裁判長)が「福島第1原発事故 避難者訴訟」の判決を言い渡した。全国各地の原発事故損害賠償集団訴訟は20件を数え、原告総数1万2000人と言われる。その集団訴訟最初の判決として注目されていたもの。各地の訴訟への、今後の影響が大きい。
本日(3月18日)の毎日新聞朝刊社会面の見出しが、「原告、笑顔なき勝訴」「苦労報われず落胆」「認定137人の半分以下」というもの。「勝訴」ではあったが、各原告には「落胆」と受けとめられた判決。毎日が伝えるところを抜粋する。
笑顔なき「一部勝訴」だった。17日の原発避難者訴訟の判決で、前橋地裁は東京電力と国の賠償責任は認めたものの、命じられた賠償額は原告の請求からは程遠かった。古里を奪われた代償を求めて3年半。大半の原告が周囲に知られないように名前も伏せ、息をひそめるようにして闘ってきた。「もっと寄り添ってくれる判決を期待していたのに」。苦労が報われなかった。原告の顔には落胆の表情が浮かんだ。
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「国と東電の責任を認めさせた。心からうれしいのは間違いない」。判決後の集会で壇上に立った原告の丹治(たんじ)杉江さん(60)はこう言った後、言葉に詰まった。「この6年間つらいことばかりだった。納得できるかな……」
「国と東電の責任が共に認められ、他の訴訟の追い風になる」と話す一方、「原告の主張すべてが認められたわけではなく、残念だ」とも述べた。
原告たちを突き動かしてきたのは「ふるさとを奪われた苦しみへの賠償が不十分」という思いだったが、判決で賠償が認められたのは原告の半分以下の62人だけだった。
「もっと温かい判決を期待していたのに」「私たちの被害の実態や苦しみが分かっていないのではないか。お金のために裁判をやっているのではないが、損害認定には納得できない」と不満をもらした。
損害賠償訴訟実務の論点は、「責任論」(被告に責任があるか)と「損害論」(損害額をどう算定するか)とに大別される。前橋判決は、責任論ではまさしく「勝訴」であったが、損害論では原告らに笑顔をもたらすものとならなかった。以下にその問題点を整理しておきたい。
判決書は、膨大なものだという。入手していないし、到底読み切れない。判決当日、裁判所が判決骨子(3頁。判決主文の全文が掲載されている)と、判決要旨(10頁)とを配布した。これで、必要なことがほぼ分かる。
裁判所が下記の【参考データ】を作成している。
1 判決文全5冊総数1006頁
2 当事者 原告提訴時合計137名
うち、訴訟提起後死亡 3名
本件事故時出生前 4名
被告 東京電力ホールディングス株式会社
被告 国
3 請求関係
原告の請求は1名あたり1100万円(うち、弁護士費用100万円)
請求金額合計15億700万円
認容金額合計3855万円
全部棄却72名
一部認容62名
避難指示等区域内の原告数72名 うち認容19名
最高額350万円 最低額75万円
自主的避難等区域内の原告数58名 うち認容43名
最高額73万円最低額7万円
(相続分を合算した者102万円)
4 弁済の抗弁等
上記認容額は、被告東電が原告らに対して既に支払った金員(訴訟係属中の支払を含む。)のうち、裁判所が、本件訴訟における請求(平穏生活権が侵害されたことによる慰謝料)についての弁済に該当すると認めた金員を控除した金額である。
(1) 被告東電が主張した既払額総額12億454万3091円
そのうち、被告東電が主張した慰謝料に対する既払額総額
4億5830万5860円
(2) 裁判所が弁済の抗弁として認めた金額の総額
4億2093万5500円
以上のとおり、原告総数137名の内、一部でも認容された者は62名、72名が全部棄却されている。請求金額合計15億700万円に対する認容金額合計3855万円は、認容率において2.5%、40分の1に過ぎない。「もっと温かい判決を期待していたのに」「私たちの被害の実態や苦しみが分かっていないのではないか。損害認定には納得できない」との原告らの不満も当然であった。
責任論では、原告に満足のいく内容だった。ということは被告両名(東電と国)には極めて厳しい判断となった。
判決は、「当裁判所の判断」の冒頭で、「被告東電に対する民法709条に基づく損害賠償請求の可否」と表題する項を設け、「立法者意思等に基づく原賠法3条1項の解釈からすると、原告らは被告東電に対し、原子力損害に係る損害賠償責任に関しては、民法709条に基づく請求はできない。」との判断を示す。
不法行為に基づく損害賠償請求の根拠が民法709条(「故意又は過失によって、他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。」)で、被告に過失あることを要件に賠償責任を認めている。一方、原賠法(原子力損害の賠償に関する法律)3条1項は、「原子炉の運転等により原子力損害を与えたときは、当該原子炉の運転等に係る原子力事業者(東電)がその損害を賠償する責めに任ずる。」と定めて、過失を要件としていない。
裁判所は、原発事故には、民法709条適用の余地なく、原賠法3条1項だけの適用ありというのだから、責任論において被告東電の過失の有無を検討する必要はないことになる。
ところが判決は、「原告らは、慰謝料算定における考慮要素として被告東電の非難性を挙げ、被告東電の非難性を基礎づける事情として、被告東電に、本件事故についての予見可能性及び結果回避可能性があったこと、を中心として主張していることなどから、被告東電の津波対策義務に係る予見可能性の有無及び程度について検討する。」として、「津波対策義務に係る予見可能性」を詳細に述べる。
民法709条にいう責任根拠としての「過失」とは、「注意義務違反」とされるが、注意義務は「予見可能性」のないところに成立し得ない。したがって、本件においては、「東電が3・11の規模の大津波の襲来を予見可能であったか」が、争点となる。予見可能なら、当然に防潮堤を嵩上げし、冷却水供給用の電源を浸水させぬよう処置するなどの、作為の注意義務の存在を認定できる、過失ありということになる。
だから通常、予見可能性の有無は責任論の範疇で論じられる。しかし、本件では、無過失責任を前提に、「被告東電の津波対策義務に係る予見可能性の有無及び程度についての検討」が、「慰謝料算定における考慮要素」として、損害論の範疇で論じられているのだ。
判決が予見可能性を認めた判断についての各紙の評価は高い。
「原発避難訴訟、国に賠償命じる判決 予見可能だった」「判決は津波の到来について、東電は『実際に予見していた』と判断。非常用ディーゼル発電機の高台設置などをしていれば『事故は発生しなかった』と指摘した。国についても『予見可能だった』とし、規制権限を行使して東電にこれらの措置を講じさせていれば「事故を防ぐことは可能であった」とした。原告の主張をほぼ認める判決となった。」(朝日)
「国の責任についても、『東京電力に津波の対策を講じるよう命令する権限があり、事故を防ぐことは可能だった。事故の前から、東京電力の自発的な対応を期待することは難しいことも分かっていたと言え、国の対応は著しく合理性を欠く』として、国と東京電力にはいずれも責任があったと初めて認めました。」(NHK)
本件判決では、予見可能性の検討結果は、「東電には、本件事故の発生に関し、特に非難するに値する事実が存するというべきであり、東電に対する非難性の程度は、慰謝料増額の考慮要素になると考えられる」とされるのだが、それにしては認容金額は異様に低額と言わざるを得ない。
損害論について、判決要旨は下記のとおり述べているにとどまる。詳細は、判決書きそのものを読むしかない。
本件での請求は、すべて慰謝料(精神的損害の賠償)である。
※個々の原告が被った損害等(相当因果関係及、ぴ損害各論)総論
(1)個々の原告が被った損害については、平穏生活権の侵害により精神的苦痛を受けたかについて検討し、これにより精神的苦痛を受けた場合の慰謝料について、侵害された権利利益の具体的内容及び程度、避難の経緯及び避難生活の態様、家族等の状況その他年齢、性別等本件に現れた一切の事情を斟酌するのが相当と考える。
(2)健康被害に係る精神的苦痛に対する慰謝料は、請求の対象となっていないから慰謝料算定の考慮要素にはならず、上記苦痛に対する慰謝料についての支払いは本件請求についての弁.済とはならない。
(3)仮に.原告らが被ばく線量の検査を受けていなかったとしても、受けていないとの一事をもって、あるいは、被ばく線量の検査を受け原告の一部につき、検査結果が健康に影響のある数値とは認められなかづたことをもって、当該原告が本件事故により放出された放射性物質による被ばくについて、不安感を抱いていることを否定することにはならない。
(4)被告東電が、原告らのうち自主的避難等をした者に対して、合計12万円の支払をした場合には、そ.のうち4万円が精神的損害についての支払である。
※「個々の原告が被った損害等(相当因果.関係及び損害各論) 各論
「判決要旨」には、個々の原告が被った損害等(相当因果.関係及び損害各論)の掲載がない。何をもって慰謝料の算定要素とし、各原告をどのように分類して、各原告の慰謝料額を算定したのか、定かではない。
それでも、判決の評価は次のようにできるだろう。
責任論については、明るい展望を切り開いた判決である。各原告団・弁護団が抱える訴訟の責任論に自信を与えるものとなった。裁判所が無過失責任論を採るにせよ、過失責任主義を採るにせよ、被告東電の有責は揺るがない。
そして、損害論の課題が浮き彫りになった。裁判所を動かす論拠として足りないところを見極め、各弁護団内の議論と、弁護団の垣根を越えた意見交換で、原告らの「笑顔の伴った勝訴判決」を目ざすことになるにちがいない。
(2017年3月18日)