澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

『憲法アレルギー』の払拭を求める「九条俳句判決」

昨日(10月13日)、話題のさいたま地裁「九条俳句判決」。まずは勝訴を喜びたい。
200万円の請求に対する慰謝料の認容額は5万円とわずかではあったが、さいたま市公民館職員の「公民館たより」への、「九条俳句」不掲載行為を違法で過失あるものとした。この点で、歴とした勝訴である。この判決の行政への影響は小さくない。

公民館たよりに掲載を拒否されたお陰ですっかり有名になった
 「梅雨空に 『九条守れ』の 女性デモ」
句会で特選になり、通例「公民館だより」に掲載されるはずが、「政治的だから」として拒否された。

この不掲載を、判決は、公民館側が「思想や信条を理由として掲載しないという不公正な扱いをした」と違法と断じたのだ。

「梅雨空」が政治的であるはずはない。多分、「デモ」も「女性デモ」も政治的とは言えまい。公民館側には、『九条』『九条守れ』が、政治的ととらえられた。「いったいなぜ?」と問い返さねばならない。

「九条俳句」市民応援団- という訴訟支援のホームページが立ち上げられている。立派なものだ。
http://9jo-haiku.com/

このホームページの中に裁判資料のコーナーがあり、つぎのURLで判決全文を読むことができる。
http://9jo-haiku.com/modules/news/index.php?lid=65&cid=3

判決を読んで少なからず驚いた。公民館側がなにゆえにこの句の掲載を拒否したか、その理由について判決が語っているところにである。むしろ、語るべきほどのなにもないことにといわねばならない。

この点について、朝日が要領よく要約しているところでは以下のとおり。
「裁判長は、不掲載の判断をした公民館長らが過去に教員だった経験から『教育現場で憲法に対する意見の対立を目の当たりにして辟易し、一種の《憲法アレルギー》のような状態に陥っていたのではないかと推認される』と指摘。憲法に関連する文言が含まれた句に抵抗感を示し『理由を十分検討しないまま掲載しないことにしたと推認するのが相当だ』とした。」

これだけでは十分には分かりにくい。当該個所を判決書から引用すれば、以下のとおりである。
「三橋公民館及び桜木公民館の職員ら(引間、保坂及び斎藤)が、本件俳句を本件たよりに掲載することができるかどうかについて、十分な検討を行わなかった原因について、次のように推認することができる。
 保坂及び引間は教員を経験した後、三橋公民館の主幹ないし館長を経て、管理職となっており、斎藤は、教育委員会や高校の事務主幹を経験した後、桜木公民館の館長となっているところ、引間が、教育現場において、国旗(日の丸)や国歌(君が代)に関する議論など、憲法に関連する意見の対立を目の当たりにしてきたように、保坂及び斎藤も、上記のような意見の対立を目の当たりにして、これに辟易しており、一種の『憲法アレルギー』のような状態に陥っていたのではないかと推認される。そして、上記『憲法アレルギー』の発露として、保坂は、本件俳句を本件たよりに掲載するのは問題ではないかと考え、引間に意見を求め、引間は、これに対し、本件俳句を本件たよりに掲載することは難しいと考える旨回答し、斎藤ら松木公民館の職員らも、『九条守れ』という憲法に関連する文言が含まれた本件俳句に抵抗感を示し、本件俳句を本件たよりに掲載することができない理由について、十分な検討を行わないまま、本件俳句を本件たよりに掲載しないこととしたものと推認するのが相当である。…
 したがって、三橋公民館及び桜木公民館の職員らが、原告の思想や信条を理由として、本件俳句を本件たよりに掲載しないという不公正な取扱いをしたことにより、法律上保護される利益である本件俳句が掲載されるとの原告の期待が侵害されたということができるから、三橋公民館が、本件俳句を本件たよりに掲載しなかったことは、国家賠償法上、違法というべきである。」

こんなところに、日の丸・君が代が出てきた。判決は、次の認定をしている。

学校での日の丸・君が代論争⇒幹部職員の憲法アレルギー⇒「九条守れ」に抵抗感

そうした流れが、「九条俳句」掲載拒否の姿勢となった。「公民館は特定の政党の利害に関する事業は禁止している。世論が大きく分かれているものは広告掲載を行わない」「公平中立の立場であるべきだとの観点で、掲載は好ましくないと判断した」などという理由は後付けのものだという。

憲法は国民の人権を守る道具である。民主々義や平和の基礎でもある。それが、アレルギーの源泉になっているというのだ。判決は「本件俳句の不掲載は、憲法アレルギーの発露として」なされたという。このアレルギーは、理性ではなく、感性レベルでの憲法への抵抗感の存在を語っている。

アレルギーとは、本来無害なものが特定の人に有害な反応を示すこと。場合によっては、本来有益なものが原因物質となることもある。本判決は、まさしく本来有益な憲法が、ある人々には拒否反応として表れることを指摘しているのだ。憲法に対する病的な反応への警告。この判決、根拠のない憲法アレルギーを払拭せよとの戒めと読むべきで、そうしてこそ意義がある。

それにしても、認容額が5万円はいただけない。この額でよかろうはずはない。
(2017年10月14日)

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