澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

森友・加計・丁寧・謙虚、もうそんなの必要ない

本日の衆参各院本会議。首相の所信表明演説があった。森友も加計も、まったく触れられることはなかった。おかしいじゃないか、謙虚な姿勢で丁寧に説明すると言っていたはず、などと言っている自分の甘さが恥ずかしい。そんなのウソだと分かっていたはずではないか。

所信表明演説の結びは、次のとおりだつた。
「日本の未来をしっかりと見すえながら、今なにを成すべきか、与野党の枠を越えて建設的な政策論議を行い、ともに前に進んでいこうではありませんか。ともに知恵を出し合いながら、ともに困難な課題に答えを出していく、そうした努力のなかで憲法改正の議論も前に進むことができる、そう確信しています。
政策の実行、実行、そして実行あるのみであります。我が国が直面する困難な課題に真正面から立ち向かい、ともに日本の未来を切り開いていこうではありませんか。」

この人の言うことはいつもおかしいのだから、いまさら言い立てるのもむなしいが、まことにヘンな演説。確かに言葉はあれども、伝えるべき中身のない見本として、恰好の教材。こんな話をしてはいけませんよという戒めとして、国語の教科書に掲載してもよい。

「日本の未来をしっかりと見すえながら」→いったいどんな未来をしっかりとイメージしているのだろうか。アベ流の「未来」とは、指示と忖度によって日本中に獣医学部の校舎が林立し、小学校では直立不動で教育勅語の暗唱が行われている日本ではなかろうか。あるいは、国防軍が闊歩する日本? ちーがーうーだーろー!

「今なにを成すべきか」→いったい安倍晋三は首相として「何をなすべき」と考えているのか。今さら、「なにを成すべきか議論を行おう」ですって? ちーがーうーだーろー!

「与野党の枠を越えて建設的な政策論議を行い、ともに前に進んでいこうではありませんか。」→いったい、「前」ってどちらなの? アメリカの方? 大日本帝国の方? どっちも、ちーがーうーだーろー!

「ともに知恵を出し合いながら、ともに困難な課題に答えを出していく、そうした努力のなかで憲法改正の議論も前に進むことができる、そう確信しています。」→あたかも憲法改正を認める方向に議論が進むことを、与野党共通の課題といわんばかり。ちーがーうーだーろー!

「政策の実行、実行、そして実行あるのみであります。」→中身がない。具体性がない。分析がない。過程がない。段取りがない。聞き手への配慮がない。だから説得力がない。

「我が国が直面する困難な課題に真正面から立ち向かい、ともに日本の未来を切り開いていこうではありませんか。」→具体性ないだけじゃない。気持ちが悪い。こんな首相とともに日本の未来を切り開いていくなんて、まっぴらご免だ。

毎日の夕刊はこう解説した。
「安倍晋三首相の17日の所信表明演説は、安倍内閣では最も短い。学校法人「加計学園」「森友学園」を巡る問題への言及はなく、6月に内閣支持率が急落した時から繰り返してきた「丁寧な説明」「謙虚さ」の言葉もない。今後の国会論戦に臨む真摯さが問われる。」

朝日は、志位和夫・共産党委員長の言葉を紹介した。
「(安倍晋三首相の演説は)一言で言って中身がない、空疎な、嫌々やっているような演説だった印象だ。この国会はまず何よりも、森友・加計疑惑、一連の国政私物化疑惑の問題が大きなテーマ。総理はこの森友・加計疑惑について、丁寧に説明すると言いながら所信(表明演説)では一言も、「(森友の)も」の字も、「(加計の)か」の字もなかった。…全体として国民に語るべきものが全くない。まともに野党と議論していこうという姿勢がない演説だった。大変大きな問題だと思って聞いた。」

そう。「(森友の)も」の字も、「(加計の)か」の字もなかった。「(謙虚の)け」の字も、「(丁寧の)て」の字もである。もう、みそぎは済んだ、いまさら謙虚や丁寧のふりをする必要もあるまい、という露骨な態度。完全に国民がなめられている。あるいは、こんな首相を戴くにふさわしい国民の民度だということなのだろうか。

ところで、11月14日朝日川柳欄に次の2句。

 権力の岩盤のごと校舎建つ(滋賀県 松浦武夫)

なるほど、岩盤とは既得権益やそれを守るための規制のことではない。岩盤とは権力そのものなのだ。安倍晋三その人が岩盤。加計学園の校舎が象徴する権力が岩盤。ドリルで穴を穿つべき厚く固い岩盤とは、安倍政権自身であり、安倍に私物化された行政そのものではないか。

 顔出さず「万感迫る」とケロリ加計(鳥取 安田和文)

安倍の腹心の友という加計孝太郎。まさしく、ケロリと言ってのけるというイメージ。
森友学園の籠池夫妻は、学校経営の夢破れただけでなく、逮捕されて身柄は拘置所にある。それに比べて、加計孝太郎は陰でケロリなのだ。籠池夫妻の思想は、唾棄すべきものだが、この両人は逃げ隠れしない。メディアにも向き合い、国会でも自分の信じるところを堂々と披瀝した。加計孝太郎はずっと陰に隠れたままだ。

「政治家」に対して、「政治屋」という蔑称がある。政治家としてもつべき理念も理想もなく、金儲けのために政治の舞台にいる「似非政治家」のことだ。籠池夫妻はともかく、加計孝太郎を教育者ではなく「教育屋」と呼ぶにふさわしい。あるいは、「教育ビジネスマン」「教育商売人」であろうか。類は友を呼ぶ。同病相哀れむ。安倍晋三と腹心の友というのか。なるほどピッタリだ。
(2017年11月17日)

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