澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

《NHK文書開示請求訴訟》明日・4月27日(水)103号法廷で口頭弁論。パワーポイントでの解説をお楽しみに。

(2022年4月26日)
 NHKと森下俊三経営委員長の両名を被告として、NHKの報道と経営の姿勢を問う《NHK文書開示請求訴訟》。その第3回口頭弁論が、明日・4月27日(水)14時から東京地裁103号法廷で開かれます。
 
 法廷では、原告主張の要約をパワーポイントを使って、原告代理人が説明いたします。ぜひ傍聴をお願いいたします。
 なお、傍聴券の配布は1時20分からとされています。1時20分までに地裁庁舎入り口での抽選に参加すれば、おそらく全員が傍聴可能です。万が一、満席で入廷できなかった方は、参議院議員会館102会議室で、15時30分開会の報告集会にご参加下さい。こちらでは、詳しい資料を配付し、法廷よりも時間をたっぷりとって、パワポの解説を繰り返します。

 この訴訟は、興味津々の進行となっています。これまで意図的に隠蔽されていた問題の経営委員会議事録(「NHK会長を厳重注意した会議の議事録」)が、明日の法廷の進行次第では、NHKのホームページへの公表が実現することになりそうなのです。そうなれば、この提訴の大きな成果です。ぜひ、この法廷の進行にご注目ください。

 放送法第41条は、経営委員会委員長(被告森下俊三)に経営委員会議事録の作成と公表を義務付けています。この「公表」の実行は、NHKがそのインターネットホームページ(NHKの公式サイト)に掲載して、視聴者の誰もが閲覧できるようにすることになっています。NHKは、4月22日提出の準備書面において、経営委員長(被告森下)の指示さえあれば、ホームページへの掲載に何の差し支えもないことを明言しています。

 放送法で義務付けられている経営委員会議事録の公表がなぜ実現しないのか。その責任は、NHK執行部にではなく、もっぱら被告森下俊三の側にあることが明白になりつつあります。放送法32条2項によって禁じられている番組編成に対する露骨な介入の違法を隠蔽しようとしていたことが明らかになっていると言って差し支えないからです。法廷では、この点をパワーポイントを使って、原告代理人が説明いたします。

 「クローズアップ現代+」の「かんぽ生命保険違法勧誘問題」報道に端を発した「会長厳重注意の議事録」隠蔽は、放送法違反の違法行為を重ねた被告森下俊三の責任だけでなく、これを選任した政権の責任問題が浮かび上がっています。

 なお、簡単に、これまでの経緯を確認しておきます。
 本件の原告となった110名は、NHKの報道姿勢を正す市民運動に参加してきた者として、「かんぽ保険違法勧誘問題」報道に対する日本郵政グループ幹部からの介入とこれに呼応した経営委員会の動きにを重大視し、先行する経営委員会議事録開示請求に対するNHKの不開示決定を許せないと考えました。

 そのため、「もしまた、NHKが議事録を不開示とするときには文書開示請求の訴訟を提起する」ことを広言して、「文書開示の求め」の手続に及び、所定の期間内に開示に至らなかったため、昨年6月14日に本件文書開示請求訴訟を提起した。その結果、ようやく7月9日に至って「議事録と思しき文書」(被告NHKはこれを「議事録草案」と呼んでいます)が開示されました。

 おそらくは、これだけで大きな成果です。この「議事録草案」では、森下らが、日本郵政の上級副社長鈴木康雄と意を通じて、「クローズアップ現代+」の《かんぽ生命保険不正販売問題報道》を妨害しようとたくらんだことが浮かび上がっているからです。経営委員会の無法に、NHK執行部と番組作成現場が蹂躙されている構図なのです。結局は安倍政権以来、政権が関わる人事の全てがムチャクチャなのです。

 もっとも、この「議事録草案」は、所定の手続を経て作成されるべき「議事録」ではありません。放送法41条では、「経営委員会委員長は、経営委員会の終了後、遅滞なく、経営委員会の定めるところにより、その議事録を作成し、これを公表しなければならない」とされていますが、そのようにして作成され、公表されなければならない議事録の開示はまだないことになります。

 被告森下が、この「議事録草案」を適式な「議事録」であって、遅ればせながらも文書開示義務は履行済みだというのであれば、その議事録は「公表」されなければなりません。NHKの公式サイトに公表する決断が求められています。今さらこれを躊躇する理由は、天下に違法を知られたくないからという以外は考えられません。いまだに適式の議事録が作成されておらず、公表もされていないとすれば、森下の責任は重大です。

 NHKが暴走することのないよう、放送法は、NHKの最高意思決定機関として経営委員会を置き、その重責を担う経営委員12名を「国民の代表である衆・参両議院の同意を得て、内閣総理大臣が任命する」という制度設計をしました。当然に良識を備えた経営委員の選任を想定してのことなのです。

 ところが、この経営委員の選任が、安倍政権以来ムチャクチャというしかないのです。政権の思惑で送り込まれた、明らかな違法をして恥じない経営委員たちが、今回の事件を起こしているのです。この訴訟は、その問題に切り込んでいます。
 ぜひとも、ご注目ください。

日弁連がDHCに「ヘイトやめよ」の警告 ー「DHCスラップ訴訟」を許さない・第198弾

(2022年4月10日)

 このところ鳴りを潜めているDHCと吉田嘉明だが、久しぶりにそのヘイト体質でメディアに話題を提供している。人権救済申立事件を受けた日弁連が、DHCに人権侵害ありと断定して、警告書を発したのだ。昨日(4月9日)の毎日新聞朝刊が、「DHC会長の差別文章掲載は『人権侵害』 日弁連が警告書」という記事を掲載している。大要以下のとおり。

 「化粧品会社「ディーエイチシー(DHC)」(東京都港区)がホームページに在日コリアンを差別する文章を掲載した問題で、日本弁護士連合会は人権侵害に当たるとして、文章を出した創業者の吉田嘉明会長と同社に警告書と調査報告書を送り、差別的な言動を繰り返さないよう求めた。16年2月にも在日コリアンを差別する内容の文章を掲載していたという。

 日弁連は警告書で、一連の文章は人格権を保障した憲法13条や法の下の平等を定めた14条にも反すると指摘。「出自を理由に差別され社会から排除されることのない権利、平穏に生活する権利を侵害した」と非難した。」

 毎日は、日弁連に人権救済を申し立てていたNPO法人「多民族共生人権教育センター」(大阪市)の記者会見を切っ掛けに記事を書いているが、朝日は3月30日に記事にしている。「DHCと会長に警告書 日弁連、在日コリアンへの人権侵害と指摘」という見出し。なかに、次の言及がある。

 「問題になったのは、同社が公式サイトで2016年以降に会長メッセージとして載せた文章。「帰化しているのに日本の悪口ばっかり言っていたり、徒党を組んで在日集団を作ろうとしている輩(やから)です」などと記した。20年11月にも吉田会長名で、「日本の中枢を担っている人たちの大半が今やコリアン系で占められているのは、日本国にとって非常に危険なことではなかろうか」などとする文章を載せた。

 日弁連は今回、在日コリアンの排除を扇動していると説明したうえで、「蔑称を用いて在日コリアンを著しく侮辱し、悪質性の程度は強い」と指摘。1500万人以上の通信販売会員を抱える点も踏まえ、「私企業の代表者が私的領域で見解を述べたのではなく、公的領域での表現行為」と判断。一連の内容は在日コリアンへの人権侵害として、差別的言動をサイトなどに載せないよう警告した」

日弁連の警告書と、その理由の「調査・報告書」の全文は相当に長文だが、下記のURLを参照されたい。

https://www.nichibenren.or.jp/library/pdf/document/complaint/2022/220328.pdf

その結論部分が、下記のとおりである。

https://www.nichibenren.or.jp/document/complaint/year/2022/220328.html

**************************************************************************

株式会社DHC・株式会社DHC代表取締役吉田嘉明氏宛て警告

2022年3月28日

 株式会社ディーエイチシーが運営する同社のウェブサイトに、「株式会社ディーエイチシー代表取締役会長・CEO 吉田嘉明」名義にて、在日コリアン等について「チョントリー」「似非日本人はいりません。母国に帰っていただきましょう。」 「日本の中枢を担っている人たちの大半が今やコリアン系で占められているのは、日本国にとって非常に危険なことではなかろうか」などと「会長メッセージ」及び「ヤケクソくじメッセージ」を掲載したことは、憲法13条に基づく人格権として保障される在日コリアン等の出自を理由に差別され社会から排除されることのない権利、平穏に生活する権利を侵害し、また憲法14条の平等権保障の趣旨にも反し人権侵害にあたるものであるとして、株式会社ディーエイチシー及び同社代表取締役吉田嘉明氏へ警告した。

1 株式会社ディーエイチシーに対する警告の措置
 在日コリアン等に対する差別的言動を、同社のウェブサイトを含む同社が製作・運営する各種媒体に掲載しないよう警告する。

2 株式会社ディーエイチシー代表取締役吉田嘉明氏に対する警告の措置
 在日コリアン等に対する差別的言動を繰り返さないことを警告する。

 なお、この人権救済申立て制度について、日弁連ホームページからの引用を中心に、若干の説明を付加しておきたい。

人権救済申立てとは(制度の概要)
 日弁連は、弁護士法第1条(「弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする。」)に基づき、さまざまな人権問題についての調査・研究活動を行っている。その中でも、人権擁護委員会では、人権侵害の被害者や関係者の方々からの人権救済申立てを受け付け、申立事実および侵害事実を調査し、人権侵害又はそのおそれがあると認めるときは、人権侵害の除去、改善を目指し、人権侵犯者又はその監督機関等に対して、以下のような措置等を行っている。

〔主な措置等〕
警告(意見を通告し、適切な対応を強く求める)
勧告(意見を伝え、適切な対応を求める)
要望(意見を伝え、適切な対応を要望する)

 つまり、「警告」は、「勧告」や「要望」とは異なる「悪質性の程度が最も強く」 看過し得ない行為に対する厳重な措置ということなのだ。DHC・吉田嘉明は、深く肝に銘じなければならない。

 ところが、日弁連の調査に際した問い合わせに対し、DHCは一切回答を拒んだという。また、この「警告」が発せられて以来のメディアからの対応の問い合わせにも、DHC広報部は「コメントは差し控える」としている。

 DHC・吉田嘉明の体質は変わっていない。批判のないところでは本音を曝してヘイトを振りまいて恥じない。批判が強まると、こっそり撤回する。そして、けっして反省も謝罪もしようとはしない。ノーコメントで押し通す。およそ、腹の据わらない卑怯千万の振る舞い。

 DHC・吉田嘉明が私を訴えた、6000万円請求の「DHCスラップ訴訟」でも、一貫して、自分の言に自ら責任をとろうという潔さのない行為。この点の詳細は、もうすぐ書物にまとめて刊行の予定。

 ところで、DHC・吉田嘉明は、いつものように無反省・ダンマリ・ノーコメントではすまされないと言うことを知っているだろうか。

 日弁連の人権救済申立事件に対する「警告・勧告・要望等」には、《執行後照会》という制度が附随してある。
 「日弁連は人権擁護委員会による措置の内容を実現させるため、人権救済申立事件で警告・勧告・要望等の措置を執行した事例について、一定期間経過後(現在は6ヶ月経過後)に、各執行先(DHCと吉田嘉明)に対して、日弁連の警告・勧告・要望等を受け、どのような対応をしたかを照会(確認)しています。回答内容が不十分な場合、再度の照会を行うこともあります」ということなのだ。

 DHCよ吉田嘉明よ。ヘイトやスラップやデマの姿勢を誠実に反省し謝罪せよ、二度と繰り返さないと誓約せよ。

 そして、日本に居住する皆さんに訴える。こんな悪質な企業や経営者を、無反省のままにのさばらせいおいてはならない。消費者としての日常の商品選択で、DHC・吉田嘉明に反省を迫っていただきたい。 

我が国の「表現の不自由」を克服するために

(2022年4月7日)
 国立市で開催された「表現の不自由展東京2022」が、4日間の日程を無事に終えた。何ごともなくてよかったという安堵の思いとともに、この国の「表現の不自由」の現実を改めて思い知らされてもいる。

 「表現の不自由展東京」は、当初は21年6月に予定されていた。しかし、右翼の街宣車による妨害によって会場側が貸し出しを拒否する事態となり、10か月も遅れての開催を余儀なくされた。今回も、「街宣抗議の中、警察官100人以上が警備態勢に」と報道された厳重な警戒の下、ようやく無事に終えることができたのだ。

 この国には、天皇にヨイショする恥ずべき言論や、隣国に対する露骨なヘイトの言論、従軍慰安婦の存在を否定する歴史修正主義の言論の自由は保障されている。しかし、天皇を批判し天皇の神聖を否定する言論や、歴史修正主義を論難して隣国の平和運動との連帯を求める表現は、大きな制約を受けざるを得ない。この国では、表現の「自由」はあるべきところにはなく、あってはならない「不自由」がいたるところに立ちはだかっている。

 我が国には日本国憲法があり、その21条は「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」と定める。保障されているのは、「一切の表現の自由」である。しかし現実には、「一切の表現の自由」が保障されてはいない。国民は、権力者や社会的強者、政治的社会的権威を、思うとおりに批判し得ない。この国は、けっして生き生きと表現の自由を謳歌している状態にはない。

 「表現の自由」とは、言いにくいことを、言いにくい人に向かって、遠慮なくものが言えるということでなくてはならない。政権を批判する言論の自由を保障することには大きな意味があるが、政権におべんちゃらを言う自由の保障は意味をなさない。天皇や皇族を批判する表現の自由の保障は極めて重要であるが、天皇や皇族を敬語で語る表現の自由を保障する意味はない。

 「表現の不自由展」・東京実行委員会は、そのホームページで「はじめに・ご挨拶」として、こう述べている。
 https://camp-fire.jp/projects/view/556785#main

 「芸術作品の展覧会を開催できない。表現を発表する場、鑑賞する場が保障されていない。今の日本社会は、私たちが生きていく上で必要不可欠な表現の自由が守られていない、そんな社会です。

 日本社会に存在する、排外主義、性差別、植民地支配責任・戦争責任について改めて考えるきっかけを与えてくれるような作品をみなさんにぜひ観ていただきたいと考えています。2022年春、表現の不自由展・東京を実現させるために、ご支援・ご協力を募ります!」

 下記の実行委員会の呼びかけにも耳を傾けたい。

 「国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」における表現の不自由展展示中止事件は記憶に新しいかと思います。しかし、最初の表現の不自由展は2015年に遡ります。2012年5月に起きた新宿ニコンサロン「慰安婦」写真展中止事件、同年8月に起きた「慰安婦」をテーマにした2作品の東京都美術館による撤去事件を発端に、表現の自由が侵害されている現状を伝えたいという思いから、各地の美術館・公共施設などから撤去や規制を受けた作品を集め、「消されたものたち」の権利と尊厳の回復をめざして2015年1月、最初の表現の不自由展を開催しました。

 それから約7年が経ちましたが、表現の自由が保障された社会になったといえるのでしょうか? 2019年のあいトリでの展示中止事件、2021年の東京・名古屋・大阪の表現の不自由展に対する妨害、会場の使用拒否、中断など、表現の自由が侵害される事件が相次いでいます。
 
しかし、暴力的な攻撃や妨害に屈しているだけでは表現の自由を守ることはできません。私たち実行委員会は平穏に展覧会を開催し、ご来場の皆さんに心おきなく作品を鑑賞していただきたく、2022年春、東京で開催するため現在準備をしています。開催するためには、警備、弁護団、会場確保などさまざまな経費がかかるため、今回クラウドファンディングで支援金を募ることにしました。」

 この実行委員会の努力は、「連日満員、四日間で約1600人にお越しいただきました。」という成功につながり、「開催にご協力いただいた作家、地元市民、ボランティア、弁護士の皆さんに感謝します。表現の自由を保障するということの意味を、皆さんに考えてもらう機会になれば幸いです」という弁となった。

 なお、今回の「不自由展」成功には、国立市の協力が大きく貢献している。その国立市は、ホームページに次の一文を掲載した。

くにたち市民芸術小ホールで開催される展示会

に関する市の考え方について

 このたび、4月2日から開催される展示会(主催:表現の不自由展・東京実行委員会)について、市民の皆様から様々なご意見が市役所に寄せられておりますので、市としての考え方を、市民の皆様にお知らせいたします。
 公の施設であるくにたち市民芸術小ホールの利用につきましては、指定管理者である「くにたち文化・スポーツ振興財団」が、条例・規則等のルールに基づいて承認決定したものです。施設利用については、内容によりその適否を判断したり、不当な差別的取り扱いがあってはなりません。これは、アームズ・レングス・ルール(誰に対しても同じ腕の長さの距離を置く)と、同じ考え方です。
 市としましては、多様な考え方を持ったそれぞれの市民・団体が、法令に従い実施する様々なイベント・活動の場として、公の施設の利用は原則として保障されるべきものと考えています。
 なお、他の地域で実施された同展示会の実績から、会期中混乱を生じる事が予想されますので、市民の皆様に安心していただけるよう、関係機関と連携し必要な対応をとってまいります。
 ご理解のほど、よろしくお願いいたします。

 表現の自由を実現することも、容易ではない。努力を重ねて、実績を積み上げなければならない。そのような努力をされた実行委員会と国立市に、敬意を表したい。

「安倍やめろ訴訟」判決に思う ー 警察を官営の暴力団にしてはならない。

(2022年3月27日・連続更新9年まであと4日)
 誰がなんと言っても言わなくても、もう春ですな。

  世の中は三日見ぬ間の桜かな
  銭湯で上野の花のうわさかな

 今日が満開の、のどやかな上野の桜でございますが、あの上野戦争のときは、のどかどころではなかったそうですな。長州藩のアームストロング砲が、本郷台から不忍池を飛び越して寛永寺に籠もった彰義隊を吹き飛ばしましてな。上野は火だるま、そりゃあ江戸中エライ騒ぎだった。戦争は勘弁ですな。

 太平洋戦争末期の東京大空襲でも、上野のまわりは焼け野原になりましてな。上野のお山には、たくさんの亡骸が埋っているんでございます。もう、戦争は絶対にやっちゃいけません。ありゃあ、人殺しで、火付けで、強盗なんですから。誰だって、殺されるのも、殺すのもまっぴらご免でしょ。

 ところが、戦争やりたい人って、実はいるんですな。だから、戦争がなくならない。たとえばプーチンというお人。人殺しをなんとも思わない。戦争に勝てば歴史に名を残せるとでも思ってるんでしょうか。今年の桜はこの人のお蔭で、十分に楽しむことができない。

 そして、プーチンと大の仲良しという安倍晋三というお人。戦争大好きという点でプーチンと同類で気が合うようですな。いつでも戦争ができるように、準備を進めておこう。そのためには、憲法を変えて、戦争できるように法律を整備して、軍事予算を増やして…、ナショナリズムを吹聴し他国民を差別して…、というたいへんな食わせ物。

 こんな人に、日本の国民は9年近くも総理大臣をやらせていたんですから、情けない。このお人に面と向かって、「アベ、やめろ」と叫んだ立派な人もいた。そしたらどうなったか。警察に取り押さえられ、現場から排除されちゃったんですよ。勇気をふるって、立派なことを言ったばっかりに。3年前のことですが、日本って、所詮そんな国なんですな。

 一昨日(3月25日)、札幌地裁で、この事件についての国家賠償請求訴訟の判決が出て、話題となっていますな。裁判所も捨てたものじゃない。たまにはですが、立派な判決も出す。

 長い名前の「ヤジ排除訴訟札幌地裁判決に対する原告・弁護団声明」をご紹介しましょう。

 「ヤジ排除訴訟」というのが、この裁判の名前。届出の制度があるわけではないから、訴訟の名前は自由に付けていいんですな。途中で変えたってよい。「安倍やめろ訴訟」でも、「安倍やめろと叫ぶ自由を求める裁判」でも、「安倍やめろと叫ぶ自由を圧殺した警察を糾弾する訴訟」でも、あるいは「安倍晋三に忖度して、『安倍やめろ』『増税反対』と叫ぶ表現の自由を蹂躙した警察を、安倍の代わりに道警を管轄する北海道を被告とする国家賠償訴訟」でもよかったんですが、寿限無のような長い名前は不便ですから、スッキリと「道警ヤジ排除訴訟」。総理大臣のヤジはみっともないが、庶民のヤジは有益で大切、排除なんてとんでもないというわけ。

 「原告」はお二人。「安倍やめろ」「安倍かえれ」発言の30代の男性(原告1)と、「増税反対」と叫んだ20代の女性(原告2)。性別も年齢も、なんの意味もありません。意味があるのは、お二人とも憲法に保障された「表現の自由」を行使したということ。それも、最高権力者に面と向かって。最初は、男性一人の裁判だった。あとから、女性も裁判を起こして、併合されています。そして、「弁護団」は、正式には「道警ヤジ排除訴訟弁護団」。道内の弁護士8名での構成。いや、お見事。

声明は、冒頭でこう言っています。

「本日(3月25日)、札幌地方裁判所民事5部(廣瀬孝裁判長)は、2019年7月15日にJR札幌駅及び札幌三越前で参議院議員選挙の応援演説を行う安倍晋三元内閣総理大臣(以下「安倍元首相」という)に対して、「安倍やめろ」「増税反対」などと発言したことによって警察官らに排除された原告2名が北海道(警察)を訴えた国家賠償請求事件について、合計金88万円の支払いを認める判決を言い渡した。
 この判決は、北海道警察による表現の自由への侵害を正面から認めた歴史的な判決である。」

 3年前何が起こったのか。どんな裁判を提起したのか、そしてどんな判決が言い渡されたのか。これで、だいたい分かりますな。「声明」は、これに続けて「歴史的な判決」と評価する3点の理由をこう説明しています。

「本日の判決については次の3点を高く評価したい。
 第1に、警職法4条及び5条を理由に警察官らの行為は正当化されるとの被告(警察側)の主張を明快に排斥し、警察官らの排除行為を違法であると判断した点は、当然のこととはいえ、正当な事実認定及び法適用を行ったものであり、高く評価する。

 第2に、原告らのヤジをいずれも、「公共的・政治的事項に関する表現行為であることは論をまたない」と断じ、かかる表現の自由を警察官らが排除行為によって侵害したと認めた。これは、民主主義社会における表現の自由の重要性を明示した点において、本件の社会的意義について正面から向き合った判断を行ったものであり、この点も高く評価したい。

 第3に、原告2(20代女性・当時学生)に対する警察官らの執拗な付きまとい行為について、原告2の移動・行動の自由、名誉権、プライバシー権の侵害であることを明確に認めた点も、警察官らの同様の行為を抑止する効果を有するものであり、この点もまた、高く評価したい。」

 警察という実力組織が勝手なことを始めたら、官営の暴力団になってしまいます。その大親分が内閣総理大臣の安倍晋三。これは、洒落にもユーモアにもならない怪談噺。実際、その寸前だったわけですな。恐ろしいことではありませんか。警察は安倍晋三に十分喋らせるために、ヤジを即刻取り締まったんですぞ。

 警察を国営暴力団にしない歯止めとして、警察官職務執行法がある。警察官は、この法律で決められたことしかやってはいけない。この裁判でも、警察側は「警職法4条及び5条に基づく権限を行使したもので、違法ではない」と言ったわけですが、何しろ白昼、衆人環視の中での出来事。たくさんのカメラが見つめていた。天網恢々動画が残されていたと言うわけ。判決は、警察側の言い分を詳細に動画に照らし合わせて検証して、全て否定しました。北海道新聞はこの点を「道警完敗」と見出しを打っています。
 
声明は、最後にこう言っていますな。

「市民が街頭において抗議の声をあげることは表現の自由として保障されている。特に、市民が政治家とのコミュニケーションをとる機会が限られている中、政治家の演説に対して直接抗議や疑問の声を届けることは、民主主義社会において重要な権利行使の局面である。民主主義社会において賛否両論があることは当然であり、一方の主張を警察権力を用いて封じ込めることは断じてあってはならない。

 本日の判決は、北海道警察による排除行為が、警察権力による表現の自由の侵害であるとして、その手法を厳しく断じた。北海道警察はもとより全ての警察機関には、本日の判決を重く受け止め、違憲・違法な警察活動を繰り返さないことを求める。」

 教訓とすべきは、不当なことには声を上げなきゃいけないということ。その権利が保障されていることは、この判決が明らかにしています。声を上げることなく自制を続けていると、声が出なくなる、権利が弱まる、権力者をのさばらせる、そして、戦争準備を加速させる。

 この札幌地裁判決。本当の被告は、安倍晋三とこれに忖度した幹部警察官僚というもの。痛烈な安倍と安倍におもねる警察権力への批判。憲法が正常に機能した場面を見ることはまことに心強いものですし、多少は溜飲が下がる思いもいたします。今年の桜、美しく見直すこともできようというものでございますな。 

銃をおけ! 人を殺すな! 家を壊すな! せっかく咲いた花を軍靴で踏みにじるな!

(2022年3月22日)
 最近落ち着かない。なんとなくウロウロ、という心もちなのだ。3・11のときもこんな感じだったが、あれ以来のこと。いま、戦争の惨禍が現実のものとなって人々を苦しめている。恐怖、飢餓、家族の離散、そして生命の危機。

 ウクライナの市民の多くの命が奪われている。もちろん、兵士の命なら失われてもよいとはならない。ロシア兵の命も同じように大切だ。1000万人という難民一人ひとりの心細さを思う。胸が痛む。落ち着かない。

 先月まで、マリウポリという都市の名さえ知らなかった。いまその街が、ロシア軍に包囲され、孤立無援の状態にあるという。住宅の8割は破壊され、35万を超える市民が電気や水の入手も困難な状況で息をひそめていると報じられている。ロシア国防省は20日、ウクライナに対し「マリウポリから軍を撤退させ、市を明け渡せ」と要求したが、ウクライナの副首相は21日、この降伏要求を拒否したという。落ち着かない。これからどうなるのだろう。降伏要求拒否でよいのだろうか。

 私は生来臆病なタチで、「命がけで」「英雄的に闘う」とか、「愛国心」やら「民族の団結」などという勇ましい議論には馴染めない。そして、「戦争だから犠牲はやむを得ない」とか、「国家の立場から」「民族としては」「歴史を俯瞰すれば」という大所高所からの語り口にも、ざらつくものを感じてしまう。「国益を重視する立場からは…」という物言いには心底腹が立つ。

 国家よりも、民族よりも、栄光の歴史よりも、一人ひとりの今が大切なのだ。何よりも命、自分と家族の命、そして安心、暮らしに必要な水・灯り・家・パンとケーキ・庭に咲く花・学校・病院・畑・山林…、その全てが一体となった平和、平和な暮らし。

 しかし、言われるだろう。「個人の尊厳が最重要だとしても、国や民族が団結して英雄的に立ち上がらねば、今は個人の尊厳も守れない切迫した事態になっている」と。それはそうなのかも知れない。だから、そのことに腹を立てているのかも知れない。そんな事態に追い込んだのは誰だ。誰の責任なのだ。

 ベルリンの壁が崩壊し東西冷戦が終わったとき、平和の世紀が幕を開けると思った。しかし、そうはならなかった。あれ以来、地域紛争、民族紛争、宗教戦争が絶えることなく頻発してきた。湾岸戦争、イラク戦争、アフガン戦争…。多くはアメリカの責任が大きかった。今や、世界の秩序が変わり、一強のアメリカに代わって、幾つかの大国が悪役を演じる時代となった。

 どうすればよいのやら。平和への道筋は見えてこない。だから、落ち着かない。胸が痛んで、ウロウロするばかりなのだ。一つだけ、心に留めておこう。平和を願う声を発信し続けよう。そして、この機に乗じて、非核3原則を揺るがせにしたり、9条の理念を攻撃する動きに、断乎として抵抗しよう。せめて、そのくらいの決意を固めよう。うろうろしながらも。 

ウクライナの事態は「9条の危機」だなんて、ご冗談を。

(2022年2月26日)
 さすがに産経である。産経の紙面では、何ごとも反共のネタとなる。
 ロシアのウクライナ侵攻を平和に対する深刻な危機と捉えての素早い対応で気を吐いているのが日本共産党。いち早く、ロシアへの抗議の声を上げ、「国連憲章違反の侵略行為を許さない」「平和を守れ」という旺盛な論陣を張っている。私には、日本共産党の存在感発揮の好機に見える。ところが、これが産経にかかると、こんな記事になる。

 《「9条で日本を守れるの?」ロシア侵攻で懸念噴出、共産は危機感》

 「9条の危機」故の《共産党の危機感》というのだ。「9条で日本を守れるの?」「非武装で国を守れるのか?」。もっと素朴には、「攻められたらどうするの?」は、今に始まった問ではない。日本国憲法制定時の制憲議会での質疑から今日まで、同様の問いかけが繰り返されてきた。もちろん、真面目な議論もあり、護憲勢力を叩こうというだけの不真面目な議論もおりまざって、様々に積み重ねられてきた。

 産経記事の本文はこうなっている。

 「ロシア軍によるウクライナ侵攻を受け、『憲法9条で国を守れるのか』という懸念の声が会員制交流サイト(SNS)などで増えている。対話が通用しない国際社会の厳しい現実を目の当たりにし、最高法規に『戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認』を掲げることへの危機感を受けたものだ。護憲勢力は警戒を強めており、特に夏の参院選に向けて『9条改憲阻止』を訴える共産党は火消しに躍起となっている。」

 ここで、日本共産党委員長・志位和夫のツィッターが引用される。

 『憲法9条をウクライナ問題と関係させて論ずるならば、仮に(ロシアの)プーチン大統領のようなリーダーが選ばれても、他国への侵略ができないようにするための条項が、憲法9条なのです』

 「共産の志位和夫委員長は自身のツイッターで、ロシアによるウクライナ侵攻を強く批判する一方、ネット上で一気に噴出した9条懐疑論を牽制した。機関紙「しんぶん赤旗」も25日付で「ウクライナ問題 日本は9条生かし力尽くせ」との記事を掲載した。
 ただ、プーチン氏のようなリーダーに率いられた覇権国家が日本への侵攻を試みた場合の9条の効力は不透明だ。」

 次いで産経は、日本維新の会の松井一郎(大阪市長)の志位ツィッターへのツッコミを紹介する。

 「志位さん、共産党はこれまで9条で他国から侵略されないと仰ってたのでは?」

 松井の言うことはよく分からない。が、忖度して舌足らずな松井の言を補えば、こう言いたいのであろう。

 「共産党はこれまで『憲法9条があるから、日本が他国から侵略されることはない』と言っていたはずではないのか。ところが、今回のウクライナの例を見よ。《仮にウクライナが憲法9条をもっていたにせよ》ロシアの侵攻を防げただろうか。同様に日本に憲法9条があるからといって、他国から侵略されることはないとは言えないだろう」

 また、産経は、「自民党の細野豪志元環境相も『論ずべきは、憲法9条があれば日本はウクライナのように他国から攻められることはないのかということ。残念ながら答えはノーだ』」と紹介している。

 松井・細野とも、その言から9条に対する敵愾心だけは伝わってくるが、9条を論難する論理にはなっていない。ウクライナに憲法9条はない。人口4000万を超える国なりの軍事力はある。けっして、「9条類似の憲法条項」をもっていたからロシアからの侵略を受けたわけでも、非武装だから侵攻の対象となったわけもない。松井・細野は、「9条をもたない国が侵略を受けたのだから、9条は有害だ」という、間の抜けた非論理を展開しているわけだ。明らかになったのは、武力では侵略を止めることができなかったということ。

 強いて松井・細野の側に立って議論を膨らませれば、「もっと強い軍隊を」「もっと多数の兵士を」「もっと多額の軍事費の負担を」ということになろう。しかし、果たしてそのようなことが可能だろうか。そして、そうすれば安全だろうか。却って相互不信から危険を招くことにはならないか。

 日本国憲法9条は、大戦の惨禍を招いた苦い経験への反省から、際限なき軍備拡張の愚をくり返さぬよう制定されたのだ。今、松井や細野が言っているような軍備正当化の見解を克服してのことである。その初心を思い起こそう。

 制憲議会での政府答弁には、何度か「捨て身の態勢で平和愛好国の先頭に立つ」という覚悟と決意が述べられている。9条の平和主義は、けっして怠惰な消極主義ではない。積極的に国際平和を実現すべき努力を積み重ねて、安全な環境を作ろうとするもの。従って、「攻められたらどうする」「武力侵攻されたらどうする」という問を想定していない。原発にでも、コンビナートにでも、ミサイルを撃ち込まれれば、「そこでどうする?」という問は無意味なのだ。

 なお、志位和夫のツィッターだけではよく分からない。共産党の公式見解は、9条についてどう言っているだろうか。ホームページから引用する。

「憲法をめぐるたたかいでは、第九条が最大の焦点となっている。…改憲のくわだてとむすびついて、軍国主義的 な思想・潮流の動向が強まっていることも重大である。

 憲法九条をとりはらおうという動きの真の目的は、アメリカが地球的規模でおこなう介入と干渉の戦争に、日本を全面的に参戦させるために、その障害となるものをとりのぞくところにある。

 昨年強行された戦争法は、そのための仕組みをつくろうとするものであった。しかし、九条があるために、戦争法においても、「自衛隊が海外で武力行使を目的に行動することはできず、その活動は後方地域支援にかぎられる」ということを、政府は建前にせざるをえなかった。政府が「後方地域支援」とよんだ兵站活動は、戦争の一部であり、政府の建前はごまかしである。同時に、なお九条の存在が自衛隊の海外派兵の一定の制約になっていることも また事実である。

 戦後、日本は、一度も海外での戦争に武力をもって参加していない。これは、憲法九条の存在と、平和のための国民の運動によるものである。憲法九条は、戦後、自民党政治のもとで、蹂躙されつづけてきたが、自衛隊の海外派兵と日本の軍事大国化にとって、重要な歯止めの役割をはたしてきたし、いまなおはたしている。この歯止めをとりのぞき、自由勝手に海外派兵ができる体制をつくることを許していいのか。これが憲法九条をめぐるたたかいの今日の熱い中心点である。この点で、九条改憲に反対することは、自衛隊違憲論にたつ人々も、合憲論にたつ人々も、共同しうることである。

 日本共産党は、憲法九条の改悪に反対し、その平和原則にそむくくわだてを許さないという一点での、広大な国民的共同をきずくことを、心からよびかける。」

 以上のとおり、共産党の九条論は「自衛隊の海外派兵と日本の軍事大国化に対する重要な歯止めの役割」という位置づけであって、「9条で他国から侵略されないと仰ってた」「憲法9条があれば日本が他国から攻められることはない」などとは言っていない。共産党の九条論が、9条擁護論を代表するものであるかは措くとして、松井・細野の論理は、反共攻撃としては的を外している。

産経と維新、タッグを組んでの悪質な「教育の自由」への攻撃

(2022年2月22日)
 言うまでもないことでも、ことあるごとに何度でも繰り返し確認しておかねばならないこともある。今、あらためて大きな声で言わねばならない。国家に教育を統制する権限はない。教育は国家の支配から自由でなくてはならない。教育は国家の統制や支配に服してはならない。これが市民革命後の民主主義社会の普遍的理念であり、我が国の戦後教育法体系の根本にある大原則である。

 「教育行政」は、教育のシステムを整備し、学校の施設を整えて教員に給与を支払うなどのハード面の充実に責任をもたねばならないが、「教育」というソフトの面に関しては、「大綱的基準」を示すことを超えた権限をもたない。「教育」と「教育行政」、この両者の厳格な分離の認識が不可欠なのだ。

 戦前教育は、ハードもソフトも、徹頭徹尾国家による管理と統制にもとづく教育であった。個人の尊厳を尊重しようとの理念はなく、盲目的に国家に忠誠で、国家目的遂行に有益な人材の育成が教育の目的とされた。そのために、神話が国史として教えられ、教育の名でマインドコントロールが行われ、天皇の神聖性が生徒に刷り込まれた。教育勅語の精髄は、「一旦緩急あれば義勇公に奉じ、以て天壌無窮の皇運を扶翼すべし」である。こうして、「臣民」は、「君のため国のために」勇躍して侵略戦争に臨んだ。

 現行の教育法体系はその深刻な反省から出発している。教育基本法は、「教育に関する憲法」である。その第16条1項は、「教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきもの」と定める。不当な支配の主体として第一に考えられているものが、国家であり行政権力である。次いで、与党やその議員もこれに含まれる。

 ところが、自民党ではなく、「ゆ党」維新の議員が、予算委員会でこの不当な支配の役割をになう質問を行い、総理や文科大臣に国家による教育統制の徹底を焚きつけた。維新たるもの、民主主義や人権にとって危険な存在であることが明確になりつつある。本来は、自民党右派議員の専売特許だった国家主義的教育統制の火付け役を維新議員が買って出ているのだ。

 昨日(2月21日)、「教科書ネット21」が、次の声明を出した。さすがに、要領の良い内容なので、まずはこれをお読みいただきたい。

日本維新の会による国会を通じた教育に対する政治的介入に抗議する

 「明治憲法 授業で歪曲か」との見出しの『産経新聞』(1月30日付け)をもとに、衆議院予算委員会(2月2日)で、日本維新の会(「維新の会」)山本剛正議員は、オンラインで1月末に開催された日本教職員組合の教育研究全国集会・社会科教育分科会での新潟の小学校教員によるリポートを取り上げ、攻撃しています。
 山本議員は、記事の中で「リポートでは、「『五日市憲法の方が民主主義の考え方なのに、なぜ選ばなかったのか』という疑問が生じた」とする授業を受けた児童の様子を紹介。教員が一方的な解釈を示したことで、正しい歴史理解が図れなかった可能性が高い」としていることや、他のリポートでも「早いうちから意図的に子供たちに『護憲』を浸透させようと各地で授業を進めている構図」としていることを取り上げ、岸田文雄首相に次のような質問をしました。
 山本議員「総理はご自身の任期中に憲法改正の実現を目指しておられますが、このようなことをどう受けとめますか」「こういった間違った教育が、憲法を国民の手に取り戻す当たり前のことができないなどとの認識があるのか、この問題の真偽の調査と問題があれば、改善させるつもりがあるのか」。
 末松信介文科大臣が、学習指導要領に基づき適正な指導が行われるよう新潟県教育委員会と連携して必要な対応をすると答え、岸田首相は、それを追認しました。
 憲法改正を推進する岸田首相を持ち上げる政治的意図のもとに、国会質問によって自主的な教育研究や学校現場の具体的な授業実践を取り上げ、「適正な指導」や「必要な対応」などを求めることは、教育内容に対する政治的介入であり、許されるものではありません。それは、政治権力により教育がゆがめられないよう求めた教育基本法第16条の「教育は、不当な支配に服することなく」との規定に抵触するものです。このように教師の教育上の自主的権限や専門性を侵害することは、憲法26条に保障された、子どもたちの教育への権利をも奪うものです。(中略)
 政府・文科省が、憲法・教育基本法に違反する教育への不当な政治権力による介入に踏み込もうとしていることに強く抗議し、それを直ちに中止することを要求します。
 また、一部マスメディアが、特定の政治的立場と歴史認識にもとづき教育への不当な政治的介入を助長する報道を行うことに抗議するとともに、その是正を求めるものです。

 この維新議員の質問を聞く限り、「維新は、自民党と変わらない」などという論評は間違いかも知れない。自民党以上に反民主主義的で、自民党よりも危険な政党と言ってもおかしくない。維新、明らかに異常で異様である。

 維新議員が元ネタとした産経記事は、概要以下のとおりである。これこそ、現今のメディアの問題状況をよく表している。学校教育での憲法教育の恰好の素材である。中学生は中学生なりに、高校生は高校生なりに、批判の議論をしてみてはどうだろうか。

 明治憲法、授業で歪曲か 日教組集会で実践例

 日本教職員組合(日教組)の教育研究全国集会(教研集会)、社会科教育(歴史認識)では、大日本帝国憲法(明治憲法)の制定過程に関して事実を歪曲して伝え、子供たちが正しく歴史を学べていない可能性が浮上。そこには子供のうちから現行憲法に対する?護憲?思想を浸透させようとする教員の政治的意図が見え隠れする。(大泉晋之助)

 新潟県の小学校では、明治憲法と、当時の民間人が手がけた私擬憲法「五日市憲法草案」の内容を比べる授業が行われた。発表されたリポートによると、授業を担当した教員は児童に、五日市憲法草案を「日本国憲法と考え方が似ている」として提示。双方の違いを検討させて、児童が「民主主義の憲法が選ばれなかった理由を、当時の時代背景に照らし合わせながら考えた」としている。
 ただ、これは前提が誤っている。そもそも、五日市憲法草案は昭和43年に東京都あきる野市(旧五日市町)で発見されたもので、明治憲法制定時に世に知られていなかった。このため、明治政府が双方を二者択一とし、あえて五日市憲法草案を選択せずに明治憲法を制定したかのように進めた授業は、歴史を大きく捻じ曲げている。
 また、五日市憲法草案は基本的人権に触れており「現行憲法に通じる」と評価する研究者がいる。この教員も「国民主権を謳(うた)っている」先駆的内容だったとの認識で授業を展開した。
 しかし、五日市憲法草案は天皇主権の立憲君主制をその中心に据え、天皇が国会での議決を拒否したり、刑事裁判のやり直しを命じたりできるなど、明治憲法に比べても強権的な要素が強い。さらに人権面でも障害者差別が明記され、女性参政権が認められていないなど、現行憲法とはかけ離れた内容が盛り込まれている。
 私擬憲法に関する著作がある関東学院大社会学部の中村克明教授は五日市憲法草案を「反民主的」とした上で「人権の部分をいたずらに高く評価することは誤りだ」と指摘。「現行憲法とはまったく異なった思想で作られており、同一視するのは間違っている。両者が同じ思想にもとづいているかのような強引な解釈は歴史の歪曲だ」と授業のあり方に疑問を呈している。

 リポートでは、「『五日市憲法の方が民主主義の考え方なのに、なぜ選ばなかったか』という疑問が生じた」とする授業を受けた児童の様子を紹介。教員が一方的な解釈を示したことで、正しい歴史理解が図れなかった可能性が高い。
 社会科に関するほかのリポートでは、現行憲法について「絶対に憲法を変えてはいけない」「戦争をしないで憲法を守る」といった記述もあり、早いうちから意図的に子供たちに「護憲」を浸透させようと各地で授業を進めている構図が浮かび上がる。五日市憲法草案を現行憲法に結びつけようとする新潟の授業も、「護憲」を植え付ける意図が背景にありそうだ。

 この産経記事は、イデオロギー色が出過ぎて押し付けがましく、それでいて論旨不明瞭なものになってしまっている。出来が悪いのだ。タイトルが、「明治憲法、授業で歪曲か 日教組集会で実践例」というのだから、どのように大日本帝国憲法を批判し貶めた教育実践が報告されたのかと思って読むと、拍子抜けするほどにそれはない。強調されているのは、五日市憲法草案がけっして民主的というべきほどの内実をもたないという指摘。

 可哀想に、産経記事に引用された中村教授(専攻・平和学)、確かに「五日市憲法草案は現行憲法とは異なった思想で作られている」ことを持論としてはいるようだが、けっして旧憲法肯定論者ではない。「五日市憲法草案の防衛構想は,明治憲法(大日本帝国憲法)下におけるそれと大差ない,極めて危険な構想である」という、明確に旧憲法を危険視する平和主義の基本的立場。

 それはともかく、産経や中村教授の五日市憲法草案観は少数派だろう。むしろ、下記の前皇后・美智子が述べているような「感想」が一般的なもので、新潟の教師が前提とした五日市憲法草案観もこれと軌を一にしている。

 「かつて、あきる野市の五日市を訪れたとき郷土館で見せていただいた『五日市憲法草案』…。 明治憲法の公布に先立ち、地域の小学校教員、地主や農民が、寄合い、討議を重ねて書き上げた民間の憲法草案で、基本的人権の尊重や教育の自由の保障、及び教育を受ける義務、法の下の平等、さらに言論の自由、信教の自由など204条が書かれており、地方自治権等についても記されています。 当時、これに類する民間の憲法草案が、日本各地の少なくとも40箇所で作られてきたと聞きましたが、近代日本の黎明期に生きた人々の、政治参加への強い意欲や、自国の未来にかけた熱い願いに触れ、深い感銘を覚えたことでした。」

 新潟の教育実践は、明らかに、このような一般的で平凡な五日市憲法観を前提とするものである。これを「前提が間違っている」「正しい歴史理解が図れなかった」というのは、牽強付会も甚だしい。ましてや、「明治憲法、授業で歪曲か」は極端な決めつけである。

 産経記事では、この前皇后の感想も、「五日市憲法草案を現行憲法に結びつけ、「護憲」を植え付ける意図が背景にありそうだ」ということになろうか。

 「民主主義の憲法が選ばれなかった理由を、当時の時代背景に照らし合わせながら考えた」は、ことさらに「明治政府が双方を二者択一とし、あえて五日市憲法草案を選択せずに明治憲法を制定したかのように進めた」とは考えがたい。

 当時から、憲法には、「民権尊重の民主主義型」と、「国権重視の権威主義型」のものがあった。五日市憲法(素案)と、大日本帝国憲法とをその代表格として比較し、なぜ「民権重視型」ではなく、「国権重視型」の憲法制定に至ったのか。その理由や背景事情に目を向けさせることは、素晴らしい歴史教育ではないか。これに悪罵を投げつける産経も産経なら、維新も維新。

 政府は、こんな連中に焚きつけられて、教育に不当な介入をするような愚を犯してはならない。

 

真実と法的正義に唾する検察官の言 ー「確定判決の法的安定性を損なうから再審の証拠開示には応じられない」

(2022年2月10日)
 救援新聞2月15日号(旬刊)が届いた。国民救援会元会長・山田善二郎さんの訃報が掲載されている。享年93、私もこの記事のとおり、「生前のご活躍に深く感謝するとともに、謹んで哀悼の意を捧げます」と心から申しあげる。

 同じ号に、いくつもの重要な弾圧事件・再審事件の動きが報道されている。倉敷民商・禰屋事件、鹿児島・大崎事件、静岡・袴田事件、東京・乳腺外科医師事件など。そして、日弁連の再審法改正に関するシンポジウム紹介が充実している。このシンポで、冤罪犠牲者を代表して発言した桜井昌司さん(茨城・布川事件再審無罪の元被告)は、こう語っている。この人の言葉は重い。

 「証拠を捏造する警察、無実の証拠を隠す検察官、それらの経過を見逃し、科学的証拠を無視して有罪にする裁判官。今の日本は法治国家とは言えない。法の改正を議論する際に、冤罪体験者の声をなぜ聞かないのか。あなたが冤罪になったとき、今の制度でいいのか、ということです。一日も早く、再審法改正が実現できるようがんばります」

 「無実の証拠を隠す検察官」の実例として、東京・小石川事件が取りあげられている。「検察の証拠隠しに抗議 誤判究明を妨害するなと宣伝。東京高裁」という見出し。この事件、日弁連が再審支援をしている事件の一つだが、まだ十分に知られていない。

 私がこの記事に目を引かれたのは、次の一行である。再審弁護団からの証拠開示請求に対して、検察官はこれを拒否する理由としてなんと言ったか。
 「証拠を開示することは確定判決を全面的に見直すことになり、確定判決の法的安定性を損なう」

 なんという言いぐさだろう。「再審請求人の人権」よりも「確定判決の法的安定性」が大切だというのだ。私の耳にはこう聞こえる。「せっかく苦労して獲得した有罪判決だ。隠していた証拠をさらけ出して無罪となったら、これまでの苦労が水の泡じゃないか。再審事件の裁判所は、これまで検察側で選んで出した証拠だけで判断してもらいたい」

 刑事事件における法的正義とは、単純明快である。「無実な人には無罪の判決を」「厳格な有罪の立証ができない限りは無罪の判決を」ということに尽きる。このことは、「被告人の人権を尊重し、権力の抑制を求める」ことでもある。被告とされた人の人権は、再審手続においても、大切な人権であることに変わるはずはない。

小石川事件の概要
http://www.kyuenkai.org/index.php?%BE%AE%C0%D0%C0%EE%BB%F6%B7%EF

 2002年8月、東京都文京区小石川のアパートで、一人暮らしの女性(当時84歳)の遺体が発見されました。約1カ月後、同アパートで恋人と同居していた伊原康介さんが、アパートの別の部屋から現金8万円を盗んだ件で逮捕・起訴され、ほか2件の窃盗容疑で追起訴されました。その勾留中に強盗殺人の犯人だと取調べを受け、否定しましたが、嘘や暴力をともなう執拗な取り調べで約4カ月半後に「自白」をさせられました。裁判では無実を訴えましたが、無期懲役刑が確定し、千葉刑務所に収監。獄中から訴えを続け、日弁連がえん罪事件として支援を決定し、2015年、東京地裁に再審請求を申し立てました。東京地裁は2020年3月不当にも再審請求を棄却し、現在東京高裁に即時抗告をしています。

情況証拠のみで有罪
 原審によれば伊原さんは、2002年7月31日午後9時10分ごろ、アパート2階に住む女性の居室において、整理タンス上の小物入れを物色中、女性に気づかれたので、女性の背後からタオル等を口部等に押し当てて引き倒し、口の中にタオルを押し込むなどして窒息死させ、現金約2千円が入った財布を強取したとされています。
 有罪の根拠は、?被害者宅の小物入れ内のスキンローションの瓶から伊原さんの指紋が採取された ?死亡推定時刻にアリバイがない ?外部から侵入した形跡がない ?100万円以上の借金があり、財政的にひっ迫していた ?所持金がなかったのに、事件翌日にコンビニで買い物をしたなどの状況証拠と「自白」だけです。

残るはずの痕跡なし(再審請求の新証拠)

●犯人のDNA型と一致しない
 確定判決では「自白」を根拠に、伊原さんが被害者女性と激しくもみ合い、女性を仰向けに倒し、柔道の袈(け)裟(さ)固めのような体勢にして、タオルを口の中に押し込んだとされています。このような犯行態様であれば、タオルに犯人の皮膚片や垢等が付着するため、DNA型が検出される可能性が高くなりますが、弁護団の鑑定結果によると、タオルから検出されたDNA型は伊原さんのものとは異なることが判明しています。
●着衣の繊維が検出されていない
 被害者を倒して、自身の身体を被害者に強く押しつけた場合、被害者の手指や着衣に、犯人の着衣の繊維が付着します。ところが検察側提出の鑑定書には、被害者の手指等から、伊原さんのシャツに類似する繊維が付着していたと記載があるのみでした。弁護団の鑑定によれば、伊原さんの着衣の繊維は1本も検出されませんでした。
●物色したタンスに指紋がない
 確定判決は、伊原さんが整理タンスの小物入れを開けて、中を物色したとしています。伊原さんの指紋が付いたとされるスキンローションの瓶は、小物入れに入っていました。しかし、小物入れの前にはラジオが置いてあり、どかさなければ戸の開け閉めはできません。ラジオからも物色したとされるタンスからも、伊原さんの指紋は検出されていません。瓶の指紋は、事件の1カ月前に伊原さんが窃盗で同女宅に侵入した際に付いた可能性が高いものです。

 伊原さんは、逮捕以来3カ月半以上も勾留され、犯行に関わりのない昏睡強盗の別件を持ち出され、殺人を認めれば別件は起訴しないとの利益誘導や偽計、脅迫を受けました。「自白」をした日は、トイレも行かせてもらえず、取調べの警官から平手で殴られる、胸倉をつかまれるなどの暴行が加えられました。
 確定判決の根拠とされた「自白」は客観証拠と矛盾し信用できず、取調べの経過から任意性も認められません。情況証拠はいずれも弱く、伊原氏を本件犯行と結びつける証明力はありません。

不当な東京地裁の再審棄却決定
 ところが、再審を担当した東京地裁は、弁護団の度重なる証拠開示の要請に対して、充分な開示を行わず、事実調べも行わないまま不当な再審請求棄却決定を送りつけてきました。
 この決定は、弁護団の新証拠に対して充分な検討もせずに、あれこれと難癖をつけて、「採用できない」とする不当なものです。伊原さんは「充分な証拠開示や審理を尽くさず、何も調べようとしないのは悲しい」と述べています。
 弁護団は即時抗告を行い、たたかいは東京高裁に移ります。引き続きご支援をお願いします。

日弁連会長選挙 ー 弁護士人口増員反対派健闘の意味。

(2022年2月6日)
 2年に1度の日本弁護士連合会(会員数約4万3000人)の会長選挙の結果が出た。
詳しくは、下記URLを参照されたい。
https://www.nichibenren.or.jp/library/pdf/news/2022/20220204_sokuhou.pdf

一昨日(2月4日)の投開票の各候補の獲得投票数は以下のとおり。
 
・小林元治(33期、東京弁護士会)  8944票
・?中正彦(31期、東京弁護士会)  5974票
・及川智志(51期、千葉県弁護士会) 3504票

 当選(内定)者は、小林元治(70歳)である。予想よりも票差が開いたという印象。2月14日の選挙管理委員会で正式に確定することになる。任期は、4月1日から2年間。

 なお、当選には、全国52弁護士会のうち3分の1超(18会以上)でトップになる必要があるが、仮集計によると、小林候補は39会でトップを獲得している。投票率は43.24%だった。

 時事通信は、「小林氏は立憲主義の堅持を掲げ、高中氏は裁判IT化への対応、及川氏は弁護士の激増反対を主張」と3候補の姿勢の特徴をまとめた。単純化の不正確は否めないとしても、「理念派」「実務派」「福利派」と色分けしてもよいかも知れない。「理念派」とは、弁護士自治や立憲主義の堅持を掲げて人権擁護の姿勢を貫こうという伝統的な分かり易い立場。「実務派」は、弁護士業務のあり方について実情に合った合理的な改革を目指す立場。そして、「福利派」は、弁護士の経済的な地位の向上を強く訴える立場。

 小林候補が、立憲主義の堅持を掲げる候補として認識されて、会員の信任を得たことを心強く思う。高中候補は、「実務派」としての姿勢を評価されて第一東京弁護士でトップをとっている。一方で、「弁護士の激増反対主張」を掲げた「福利派」及川候補の善戦に注目せざるを得ない。彼は地元千葉だけではなく、埼玉・長野・富山・宮崎でもトップをとっている。大健闘と言ってよい。

 同候補の主張は「弁護士増員反対」である。弁護士増員反対は、弁護士会の総意と言って過言ではない。そして、それはけっしてギルドのエゴではなく、弁護士の使命に鑑みてのことでもある。

 私が、弁護士になった1971年ころ、司法試験の合格者は長く毎年500人だった。2年間の司法修習を終えて、同期のうちの150人近くが判事・検事に任官し、毎年350人前後が弁護士となった。当時、弁護士人口は8000人台で、これで弁護士が過少とは思わなかった。50年を経て、司法試験の合格者は1500?2000人となり、弁護士総数は4万人を超えた。この環境の変化が、弁護士の質に影響を及ぼさないはずはない。

 私は恵まれた時代に弁護士として働いてきた。ありがたいことに経済的な逼迫を感じたことはない。不定期ではあるがそこそこの水準の収入を得て、金のために嫌な仕事をする必要はなかった。自らの良心に照らして恥じるべき仕事は遠慮なく断ったし、良心を枉げての事件処理をすることもなかった。

 しかし、今弁護士激増の時代をもたらした者の罪は深いと思う。弁護士は明らかに、経済的な地位の低下を余儀なくされている。弁護士は、望まぬ仕事を、望まぬやり方でも、引き受けなければならない。経済的余裕がないから、金にならない人権課題に取り組む余力はない、という声が聞こえる。同時に、弁護士が人権の守り手ではなく、コマーシャルで集客をしてのビジネスマンになろうとしている。弁護士の不祥事は明らかに増えている。

 弁護士が魅力のない仕事に見えれば、弁護士志望者は減っていく。ますます、その質が落ちていくことにもなりかねない。弁護士増員は、主としては安く弁護士を使いたいという財界の要請によるもの。これを「司法改革」として推し進めたのは、新自由主義政策を推し進める政権の思惑に適ったからであった。

 小林次期会長は、当選記者会見で「弁護士の業務基盤、経済基盤をしっかりつくっていく」「女性と若手弁護士の活躍機会を増やし、日弁連を変えていきたい」「法テラスの民事法律扶助や国選弁護について、弁護士の報酬が不合理に低い事例がある」「国民の権利・人権擁護に努めるとともに、持続可能性の観点から、弁護士が労力に見合った報酬を得られるよう議論していきたい」などと抱負を語ったが、これは弁護士業務の需要開拓による弁護士の経済的地位確立が喫緊の課題であることの認識によるものである。

 人権擁護の任務遂行のためには弁護士の経済的基礎の確立が必要なことのご理解をいただきたい。

本日の赤旗を読む。政党助成法廃止法案・北京五輪と人権・NHK虚偽字幕・改憲阻止法律家集会…

(2022年2月5日)
 久しぶりに「赤旗」の紙面全16ページに目を通した。本日の赤旗、内容充実している。

 一面トップは、「政党助成法廃止法案を提出/共産党議員団が参院に」「『民主主義壊す制度続けていいのか』 田村政策委員長が会見」との記事。

 1995?2021年の27年間で政党助成金の総額は8460億円に上り、政党助成金を受け取っている多くの政党が運営資金の大半を税金に依存している。そのことの問題点はいくつもある。なかでも、税金を政党に配分するというその仕組みによって、国民の全てが「自ら支持しない政党に対しても強制的に寄付させられることになる」ことの弊害は分かり易い。「日本共産党は『思想・信条の自由』『政党支持の自由』を侵す憲法違反の制度だと批判し、この制度創設に反対するとともに、一貫して受け取りを拒否してきた」のは万人の知るところ。
 また、「政治資金は、本来国民が拠出する浄財によってまかなわれるべき」であり、「政治資金の拠出は、国民の政治参加の権利そのものだ」という主張には同意せざるを得ない。政党助成金が、国民の政治参加の権利を歪め、政党間の公正な競争を阻害もしている。「民主主義壊す制度続けていいのか」という、問いかけは重い。
 その政党助成法廃止は、唯一政党助成金を申請していない共産党ならではの法案提出。全政党・会派への検討が呼びかけられているが、とりわけ「身を切る改革」を看板にしている維新の諸君には、ぜひとも見習って「助成金受領を拒否」していただきたい。それができなければ、共産党の爪の垢でも煎じて飲むべきだろう。

 一面左肩に、「北京五輪開幕 人権こそ中心課題」というスポーツ部長・和泉民郎のコラム。これはなかなかの見識。

 「人権侵害と五輪は両立できません。中国がこれに向き合わない姿は、開催国の資格すら問われます」「人としての根源的な権利が侵された場所が“人間賛歌”の舞台としてふさわしいのか。開催地を選べない選手にも不幸な事態です」
 2020年3月、国連の人権部門にいた専門家がまとめた「IOCの人権戦略のための勧告」が公表されている。北京大会について、「北京冬季五輪の大会に関する人権上の影響は深刻であり、対処は依然として難しい努力を要する」と言及されているが、IOCにその努力の形跡はない、という。この姿勢を堅持した赤旗の北京オリンピック報道に期待したい。その記事の下段に、「(中国の)人権弾圧に抗議 各国デモ」の記事と写真がある。

 そして一面下段に、「特効薬は消費税減税 全国中小業者・国会大行動 倉林氏訴え」という記事。

 「コロナ危機打開!消費税減税、インボイス制度実施中止を!社会保障の充実と地域循環型経済の確立を!」をスローガンに全国中小業者・国会大行動が4日、東京都内で行われた。国会大行動には約200人が参加。消費税率を5%に引き下げ、複数税率・インボイス(適格請求書)制度の即時中止を求める11万人の署名を持ち寄ったという。

第2面の右肩に、社説に当たる「主張」。「NHK虚偽字幕 すべての経過を明らかにせよ」との表題。

 「複数の視聴者団体は経過を明らかにすることをNHKに申し入れました。五輪反対デモの主催団体は、金銭でデモ参加者を集めたかのような悪質な印象操作が行われたと抗議、謝罪を求めています。」は、赤旗が市民運動に密着した取材を行っていることを示している。
 また、「この事態を引き起こしたのは、NHKが『(五輪)開催の機運を高める編成』を掲げ、五輪開催の旗を振ってきたことと無縁ではありません。NHKは、コロナ感染拡大で緊急事態宣言が出ているもとで、五輪中継一辺倒の放送を実施しました」と強調している。

2面の記事に「貧困の底が抜けた」「衆院予算委 コロナで参考人質疑」宮本徹・宮本岳志両議員が質問という詳報。

3面には、「佐渡金山めぐる安倍氏・岸田政権の動きとNHK報道」という、大型企画の記事が3本。「事実認め話し合ってこそ有効に」という、強制動員真相究明ネットワーク共同代表の飛田雄一さん、「歴史認識を『戦い』ととらえる愚」という永田浩三さんからの聞き書き。そして、「安倍氏の《号令》垂れ流したNHK『シブ5時』」という報道記事。「政権寄りどころか、歴史を偽造する立場に立って解説を垂れ流すことは、公共放送のあり方として厳しく批判されなければなりません」というまとめに集約されている。

第5面に、「核禁条約参加の日本に/日本原水協が運動方針提起/全国理事会」という記事と並んで「改憲阻止 運動広く/法律家らがキックオフ集会」の記事。

主催者が、「国民が求めているのは改憲ではなく、コロナから命と暮らし、子どもを守る政策だ」「火事場泥棒的に狙われている9条改憲を、主権者の声で断ち切ろう」と強調。

 早稲田大学の愛敬浩二教授が、「改憲派が現実政治では必要性がないのに、改憲を主張している」と指摘。「憲法を変えている時間はありません。いまやるべきことは、憲法を政治に生かすことです」と講演。

 続いて名古屋学院大学の飯島慈明教授は、各政党の改憲項目を批判。「環境権や教育無償化、データ基本権などは法律で対応可能なもの。自衛隊の明記や緊急事態条項は危険で無謀なもの」と語り、「850億円とも言われる税金を使う改憲発議は無駄遣いです」と述べた。

14面に「裁判官が突然退廷/東京地裁」「弁論権侵害」の記事。これについては、後日ブログで取りあげたい。

15面に、「団交拒否は「不当」/労組事務所撤去 大阪市の控訴棄却/大阪高裁」の記事。大阪市は団交を拒否して労働委員会で負け、これを不服とした行政訴訟の一審で負け、さらに昨日控訴審でも敗訴となったという報道。これは、維新に大きな打撃。

 大阪市が橋下徹市長時代に市庁舎内にあった大阪市役所労働組合(市労組)の事務所を強制撤去させた問題で、組合事務所供与について大阪市が市労組との団体交渉を拒否しているのは不当労働行為と認定した大阪府労働委員会の命令を不服として大阪市が命令の取り消しを求めていた裁判の控訴審判決が4日、大阪高裁(大島眞一裁判長)でありました。一審に続き、団交拒否は「正当な理由がない」として大阪市の主張を全面的に退け、控訴を棄却しました。

 管理運営事項を理由に市が団交に応じないことに対し、管理運営事項に当たらない事項を含み得る交渉事項の申し入れがされているとし、「団体交渉に応ずべき事項につき具体的に確認すべき立場にもかかわらず、十分に確認することのないまま団体交渉に応じないもの」であり、「正当な理由のない団体交渉の拒否にあたる」と認めました。
 さらに「市の対応は誠実な交渉態度といえないのみならず、労働組合を軽視し、弱体化させる行為」であり、労組法7条3号の「支配介入に該当する」と断じました。

以上の各記事は、下記URLで読むことができる。
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik21/2022-02-05/index.html

 赤旗には広告欄がない。株価や競馬の欄も、皇室記事も芸能ゴシップもない。過剰なスポーツ記べーすべーすもない。その分市民運動や労働運動に関する情報が豊富である。文化面も充実している。あらためて思う。人権や民主主義に関心をもつ者にとって、またそのような運動に関与する者にとって、赤旗は貴重な情報源である。

澤藤統一郎の憲法日記 © 2022. Theme Squared created by Rodrigo Ghedin.