澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

ウクライナの事態は「9条の危機」だなんて、ご冗談を。

(2022年2月26日)
 さすがに産経である。産経の紙面では、何ごとも反共のネタとなる。
 ロシアのウクライナ侵攻を平和に対する深刻な危機と捉えての素早い対応で気を吐いているのが日本共産党。いち早く、ロシアへの抗議の声を上げ、「国連憲章違反の侵略行為を許さない」「平和を守れ」という旺盛な論陣を張っている。私には、日本共産党の存在感発揮の好機に見える。ところが、これが産経にかかると、こんな記事になる。

 《「9条で日本を守れるの?」ロシア侵攻で懸念噴出、共産は危機感》

 「9条の危機」故の《共産党の危機感》というのだ。「9条で日本を守れるの?」「非武装で国を守れるのか?」。もっと素朴には、「攻められたらどうするの?」は、今に始まった問ではない。日本国憲法制定時の制憲議会での質疑から今日まで、同様の問いかけが繰り返されてきた。もちろん、真面目な議論もあり、護憲勢力を叩こうというだけの不真面目な議論もおりまざって、様々に積み重ねられてきた。

 産経記事の本文はこうなっている。

 「ロシア軍によるウクライナ侵攻を受け、『憲法9条で国を守れるのか』という懸念の声が会員制交流サイト(SNS)などで増えている。対話が通用しない国際社会の厳しい現実を目の当たりにし、最高法規に『戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認』を掲げることへの危機感を受けたものだ。護憲勢力は警戒を強めており、特に夏の参院選に向けて『9条改憲阻止』を訴える共産党は火消しに躍起となっている。」

 ここで、日本共産党委員長・志位和夫のツィッターが引用される。

 『憲法9条をウクライナ問題と関係させて論ずるならば、仮に(ロシアの)プーチン大統領のようなリーダーが選ばれても、他国への侵略ができないようにするための条項が、憲法9条なのです』

 「共産の志位和夫委員長は自身のツイッターで、ロシアによるウクライナ侵攻を強く批判する一方、ネット上で一気に噴出した9条懐疑論を牽制した。機関紙「しんぶん赤旗」も25日付で「ウクライナ問題 日本は9条生かし力尽くせ」との記事を掲載した。
 ただ、プーチン氏のようなリーダーに率いられた覇権国家が日本への侵攻を試みた場合の9条の効力は不透明だ。」

 次いで産経は、日本維新の会の松井一郎(大阪市長)の志位ツィッターへのツッコミを紹介する。

 「志位さん、共産党はこれまで9条で他国から侵略されないと仰ってたのでは?」

 松井の言うことはよく分からない。が、忖度して舌足らずな松井の言を補えば、こう言いたいのであろう。

 「共産党はこれまで『憲法9条があるから、日本が他国から侵略されることはない』と言っていたはずではないのか。ところが、今回のウクライナの例を見よ。《仮にウクライナが憲法9条をもっていたにせよ》ロシアの侵攻を防げただろうか。同様に日本に憲法9条があるからといって、他国から侵略されることはないとは言えないだろう」

 また、産経は、「自民党の細野豪志元環境相も『論ずべきは、憲法9条があれば日本はウクライナのように他国から攻められることはないのかということ。残念ながら答えはノーだ』」と紹介している。

 松井・細野とも、その言から9条に対する敵愾心だけは伝わってくるが、9条を論難する論理にはなっていない。ウクライナに憲法9条はない。人口4000万を超える国なりの軍事力はある。けっして、「9条類似の憲法条項」をもっていたからロシアからの侵略を受けたわけでも、非武装だから侵攻の対象となったわけもない。松井・細野は、「9条をもたない国が侵略を受けたのだから、9条は有害だ」という、間の抜けた非論理を展開しているわけだ。明らかになったのは、武力では侵略を止めることができなかったということ。

 強いて松井・細野の側に立って議論を膨らませれば、「もっと強い軍隊を」「もっと多数の兵士を」「もっと多額の軍事費の負担を」ということになろう。しかし、果たしてそのようなことが可能だろうか。そして、そうすれば安全だろうか。却って相互不信から危険を招くことにはならないか。

 日本国憲法9条は、大戦の惨禍を招いた苦い経験への反省から、際限なき軍備拡張の愚をくり返さぬよう制定されたのだ。今、松井や細野が言っているような軍備正当化の見解を克服してのことである。その初心を思い起こそう。

 制憲議会での政府答弁には、何度か「捨て身の態勢で平和愛好国の先頭に立つ」という覚悟と決意が述べられている。9条の平和主義は、けっして怠惰な消極主義ではない。積極的に国際平和を実現すべき努力を積み重ねて、安全な環境を作ろうとするもの。従って、「攻められたらどうする」「武力侵攻されたらどうする」という問を想定していない。原発にでも、コンビナートにでも、ミサイルを撃ち込まれれば、「そこでどうする?」という問は無意味なのだ。

 なお、志位和夫のツィッターだけではよく分からない。共産党の公式見解は、9条についてどう言っているだろうか。ホームページから引用する。

「憲法をめぐるたたかいでは、第九条が最大の焦点となっている。…改憲のくわだてとむすびついて、軍国主義的 な思想・潮流の動向が強まっていることも重大である。

 憲法九条をとりはらおうという動きの真の目的は、アメリカが地球的規模でおこなう介入と干渉の戦争に、日本を全面的に参戦させるために、その障害となるものをとりのぞくところにある。

 昨年強行された戦争法は、そのための仕組みをつくろうとするものであった。しかし、九条があるために、戦争法においても、「自衛隊が海外で武力行使を目的に行動することはできず、その活動は後方地域支援にかぎられる」ということを、政府は建前にせざるをえなかった。政府が「後方地域支援」とよんだ兵站活動は、戦争の一部であり、政府の建前はごまかしである。同時に、なお九条の存在が自衛隊の海外派兵の一定の制約になっていることも また事実である。

 戦後、日本は、一度も海外での戦争に武力をもって参加していない。これは、憲法九条の存在と、平和のための国民の運動によるものである。憲法九条は、戦後、自民党政治のもとで、蹂躙されつづけてきたが、自衛隊の海外派兵と日本の軍事大国化にとって、重要な歯止めの役割をはたしてきたし、いまなおはたしている。この歯止めをとりのぞき、自由勝手に海外派兵ができる体制をつくることを許していいのか。これが憲法九条をめぐるたたかいの今日の熱い中心点である。この点で、九条改憲に反対することは、自衛隊違憲論にたつ人々も、合憲論にたつ人々も、共同しうることである。

 日本共産党は、憲法九条の改悪に反対し、その平和原則にそむくくわだてを許さないという一点での、広大な国民的共同をきずくことを、心からよびかける。」

 以上のとおり、共産党の九条論は「自衛隊の海外派兵と日本の軍事大国化に対する重要な歯止めの役割」という位置づけであって、「9条で他国から侵略されないと仰ってた」「憲法9条があれば日本が他国から攻められることはない」などとは言っていない。共産党の九条論が、9条擁護論を代表するものであるかは措くとして、松井・細野の論理は、反共攻撃としては的を外している。

産経と維新、タッグを組んでの悪質な「教育の自由」への攻撃

(2022年2月22日)
 言うまでもないことでも、ことあるごとに何度でも繰り返し確認しておかねばならないこともある。今、あらためて大きな声で言わねばならない。国家に教育を統制する権限はない。教育は国家の支配から自由でなくてはならない。教育は国家の統制や支配に服してはならない。これが市民革命後の民主主義社会の普遍的理念であり、我が国の戦後教育法体系の根本にある大原則である。

 「教育行政」は、教育のシステムを整備し、学校の施設を整えて教員に給与を支払うなどのハード面の充実に責任をもたねばならないが、「教育」というソフトの面に関しては、「大綱的基準」を示すことを超えた権限をもたない。「教育」と「教育行政」、この両者の厳格な分離の認識が不可欠なのだ。

 戦前教育は、ハードもソフトも、徹頭徹尾国家による管理と統制にもとづく教育であった。個人の尊厳を尊重しようとの理念はなく、盲目的に国家に忠誠で、国家目的遂行に有益な人材の育成が教育の目的とされた。そのために、神話が国史として教えられ、教育の名でマインドコントロールが行われ、天皇の神聖性が生徒に刷り込まれた。教育勅語の精髄は、「一旦緩急あれば義勇公に奉じ、以て天壌無窮の皇運を扶翼すべし」である。こうして、「臣民」は、「君のため国のために」勇躍して侵略戦争に臨んだ。

 現行の教育法体系はその深刻な反省から出発している。教育基本法は、「教育に関する憲法」である。その第16条1項は、「教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきもの」と定める。不当な支配の主体として第一に考えられているものが、国家であり行政権力である。次いで、与党やその議員もこれに含まれる。

 ところが、自民党ではなく、「ゆ党」維新の議員が、予算委員会でこの不当な支配の役割をになう質問を行い、総理や文科大臣に国家による教育統制の徹底を焚きつけた。維新たるもの、民主主義や人権にとって危険な存在であることが明確になりつつある。本来は、自民党右派議員の専売特許だった国家主義的教育統制の火付け役を維新議員が買って出ているのだ。

 昨日(2月21日)、「教科書ネット21」が、次の声明を出した。さすがに、要領の良い内容なので、まずはこれをお読みいただきたい。

日本維新の会による国会を通じた教育に対する政治的介入に抗議する

 「明治憲法 授業で歪曲か」との見出しの『産経新聞』(1月30日付け)をもとに、衆議院予算委員会(2月2日)で、日本維新の会(「維新の会」)山本剛正議員は、オンラインで1月末に開催された日本教職員組合の教育研究全国集会・社会科教育分科会での新潟の小学校教員によるリポートを取り上げ、攻撃しています。
 山本議員は、記事の中で「リポートでは、「『五日市憲法の方が民主主義の考え方なのに、なぜ選ばなかったのか』という疑問が生じた」とする授業を受けた児童の様子を紹介。教員が一方的な解釈を示したことで、正しい歴史理解が図れなかった可能性が高い」としていることや、他のリポートでも「早いうちから意図的に子供たちに『護憲』を浸透させようと各地で授業を進めている構図」としていることを取り上げ、岸田文雄首相に次のような質問をしました。
 山本議員「総理はご自身の任期中に憲法改正の実現を目指しておられますが、このようなことをどう受けとめますか」「こういった間違った教育が、憲法を国民の手に取り戻す当たり前のことができないなどとの認識があるのか、この問題の真偽の調査と問題があれば、改善させるつもりがあるのか」。
 末松信介文科大臣が、学習指導要領に基づき適正な指導が行われるよう新潟県教育委員会と連携して必要な対応をすると答え、岸田首相は、それを追認しました。
 憲法改正を推進する岸田首相を持ち上げる政治的意図のもとに、国会質問によって自主的な教育研究や学校現場の具体的な授業実践を取り上げ、「適正な指導」や「必要な対応」などを求めることは、教育内容に対する政治的介入であり、許されるものではありません。それは、政治権力により教育がゆがめられないよう求めた教育基本法第16条の「教育は、不当な支配に服することなく」との規定に抵触するものです。このように教師の教育上の自主的権限や専門性を侵害することは、憲法26条に保障された、子どもたちの教育への権利をも奪うものです。(中略)
 政府・文科省が、憲法・教育基本法に違反する教育への不当な政治権力による介入に踏み込もうとしていることに強く抗議し、それを直ちに中止することを要求します。
 また、一部マスメディアが、特定の政治的立場と歴史認識にもとづき教育への不当な政治的介入を助長する報道を行うことに抗議するとともに、その是正を求めるものです。

 この維新議員の質問を聞く限り、「維新は、自民党と変わらない」などという論評は間違いかも知れない。自民党以上に反民主主義的で、自民党よりも危険な政党と言ってもおかしくない。維新、明らかに異常で異様である。

 維新議員が元ネタとした産経記事は、概要以下のとおりである。これこそ、現今のメディアの問題状況をよく表している。学校教育での憲法教育の恰好の素材である。中学生は中学生なりに、高校生は高校生なりに、批判の議論をしてみてはどうだろうか。

 明治憲法、授業で歪曲か 日教組集会で実践例

 日本教職員組合(日教組)の教育研究全国集会(教研集会)、社会科教育(歴史認識)では、大日本帝国憲法(明治憲法)の制定過程に関して事実を歪曲して伝え、子供たちが正しく歴史を学べていない可能性が浮上。そこには子供のうちから現行憲法に対する?護憲?思想を浸透させようとする教員の政治的意図が見え隠れする。(大泉晋之助)

 新潟県の小学校では、明治憲法と、当時の民間人が手がけた私擬憲法「五日市憲法草案」の内容を比べる授業が行われた。発表されたリポートによると、授業を担当した教員は児童に、五日市憲法草案を「日本国憲法と考え方が似ている」として提示。双方の違いを検討させて、児童が「民主主義の憲法が選ばれなかった理由を、当時の時代背景に照らし合わせながら考えた」としている。
 ただ、これは前提が誤っている。そもそも、五日市憲法草案は昭和43年に東京都あきる野市(旧五日市町)で発見されたもので、明治憲法制定時に世に知られていなかった。このため、明治政府が双方を二者択一とし、あえて五日市憲法草案を選択せずに明治憲法を制定したかのように進めた授業は、歴史を大きく捻じ曲げている。
 また、五日市憲法草案は基本的人権に触れており「現行憲法に通じる」と評価する研究者がいる。この教員も「国民主権を謳(うた)っている」先駆的内容だったとの認識で授業を展開した。
 しかし、五日市憲法草案は天皇主権の立憲君主制をその中心に据え、天皇が国会での議決を拒否したり、刑事裁判のやり直しを命じたりできるなど、明治憲法に比べても強権的な要素が強い。さらに人権面でも障害者差別が明記され、女性参政権が認められていないなど、現行憲法とはかけ離れた内容が盛り込まれている。
 私擬憲法に関する著作がある関東学院大社会学部の中村克明教授は五日市憲法草案を「反民主的」とした上で「人権の部分をいたずらに高く評価することは誤りだ」と指摘。「現行憲法とはまったく異なった思想で作られており、同一視するのは間違っている。両者が同じ思想にもとづいているかのような強引な解釈は歴史の歪曲だ」と授業のあり方に疑問を呈している。

 リポートでは、「『五日市憲法の方が民主主義の考え方なのに、なぜ選ばなかったか』という疑問が生じた」とする授業を受けた児童の様子を紹介。教員が一方的な解釈を示したことで、正しい歴史理解が図れなかった可能性が高い。
 社会科に関するほかのリポートでは、現行憲法について「絶対に憲法を変えてはいけない」「戦争をしないで憲法を守る」といった記述もあり、早いうちから意図的に子供たちに「護憲」を浸透させようと各地で授業を進めている構図が浮かび上がる。五日市憲法草案を現行憲法に結びつけようとする新潟の授業も、「護憲」を植え付ける意図が背景にありそうだ。

 この産経記事は、イデオロギー色が出過ぎて押し付けがましく、それでいて論旨不明瞭なものになってしまっている。出来が悪いのだ。タイトルが、「明治憲法、授業で歪曲か 日教組集会で実践例」というのだから、どのように大日本帝国憲法を批判し貶めた教育実践が報告されたのかと思って読むと、拍子抜けするほどにそれはない。強調されているのは、五日市憲法草案がけっして民主的というべきほどの内実をもたないという指摘。

 可哀想に、産経記事に引用された中村教授(専攻・平和学)、確かに「五日市憲法草案は現行憲法とは異なった思想で作られている」ことを持論としてはいるようだが、けっして旧憲法肯定論者ではない。「五日市憲法草案の防衛構想は,明治憲法(大日本帝国憲法)下におけるそれと大差ない,極めて危険な構想である」という、明確に旧憲法を危険視する平和主義の基本的立場。

 それはともかく、産経や中村教授の五日市憲法草案観は少数派だろう。むしろ、下記の前皇后・美智子が述べているような「感想」が一般的なもので、新潟の教師が前提とした五日市憲法草案観もこれと軌を一にしている。

 「かつて、あきる野市の五日市を訪れたとき郷土館で見せていただいた『五日市憲法草案』…。 明治憲法の公布に先立ち、地域の小学校教員、地主や農民が、寄合い、討議を重ねて書き上げた民間の憲法草案で、基本的人権の尊重や教育の自由の保障、及び教育を受ける義務、法の下の平等、さらに言論の自由、信教の自由など204条が書かれており、地方自治権等についても記されています。 当時、これに類する民間の憲法草案が、日本各地の少なくとも40箇所で作られてきたと聞きましたが、近代日本の黎明期に生きた人々の、政治参加への強い意欲や、自国の未来にかけた熱い願いに触れ、深い感銘を覚えたことでした。」

 新潟の教育実践は、明らかに、このような一般的で平凡な五日市憲法観を前提とするものである。これを「前提が間違っている」「正しい歴史理解が図れなかった」というのは、牽強付会も甚だしい。ましてや、「明治憲法、授業で歪曲か」は極端な決めつけである。

 産経記事では、この前皇后の感想も、「五日市憲法草案を現行憲法に結びつけ、「護憲」を植え付ける意図が背景にありそうだ」ということになろうか。

 「民主主義の憲法が選ばれなかった理由を、当時の時代背景に照らし合わせながら考えた」は、ことさらに「明治政府が双方を二者択一とし、あえて五日市憲法草案を選択せずに明治憲法を制定したかのように進めた」とは考えがたい。

 当時から、憲法には、「民権尊重の民主主義型」と、「国権重視の権威主義型」のものがあった。五日市憲法(素案)と、大日本帝国憲法とをその代表格として比較し、なぜ「民権重視型」ではなく、「国権重視型」の憲法制定に至ったのか。その理由や背景事情に目を向けさせることは、素晴らしい歴史教育ではないか。これに悪罵を投げつける産経も産経なら、維新も維新。

 政府は、こんな連中に焚きつけられて、教育に不当な介入をするような愚を犯してはならない。

 

真実と法的正義に唾する検察官の言 ー「確定判決の法的安定性を損なうから再審の証拠開示には応じられない」

(2022年2月10日)
 救援新聞2月15日号(旬刊)が届いた。国民救援会元会長・山田善二郎さんの訃報が掲載されている。享年93、私もこの記事のとおり、「生前のご活躍に深く感謝するとともに、謹んで哀悼の意を捧げます」と心から申しあげる。

 同じ号に、いくつもの重要な弾圧事件・再審事件の動きが報道されている。倉敷民商・禰屋事件、鹿児島・大崎事件、静岡・袴田事件、東京・乳腺外科医師事件など。そして、日弁連の再審法改正に関するシンポジウム紹介が充実している。このシンポで、冤罪犠牲者を代表して発言した桜井昌司さん(茨城・布川事件再審無罪の元被告)は、こう語っている。この人の言葉は重い。

 「証拠を捏造する警察、無実の証拠を隠す検察官、それらの経過を見逃し、科学的証拠を無視して有罪にする裁判官。今の日本は法治国家とは言えない。法の改正を議論する際に、冤罪体験者の声をなぜ聞かないのか。あなたが冤罪になったとき、今の制度でいいのか、ということです。一日も早く、再審法改正が実現できるようがんばります」

 「無実の証拠を隠す検察官」の実例として、東京・小石川事件が取りあげられている。「検察の証拠隠しに抗議 誤判究明を妨害するなと宣伝。東京高裁」という見出し。この事件、日弁連が再審支援をしている事件の一つだが、まだ十分に知られていない。

 私がこの記事に目を引かれたのは、次の一行である。再審弁護団からの証拠開示請求に対して、検察官はこれを拒否する理由としてなんと言ったか。
 「証拠を開示することは確定判決を全面的に見直すことになり、確定判決の法的安定性を損なう」

 なんという言いぐさだろう。「再審請求人の人権」よりも「確定判決の法的安定性」が大切だというのだ。私の耳にはこう聞こえる。「せっかく苦労して獲得した有罪判決だ。隠していた証拠をさらけ出して無罪となったら、これまでの苦労が水の泡じゃないか。再審事件の裁判所は、これまで検察側で選んで出した証拠だけで判断してもらいたい」

 刑事事件における法的正義とは、単純明快である。「無実な人には無罪の判決を」「厳格な有罪の立証ができない限りは無罪の判決を」ということに尽きる。このことは、「被告人の人権を尊重し、権力の抑制を求める」ことでもある。被告とされた人の人権は、再審手続においても、大切な人権であることに変わるはずはない。

小石川事件の概要
http://www.kyuenkai.org/index.php?%BE%AE%C0%D0%C0%EE%BB%F6%B7%EF

 2002年8月、東京都文京区小石川のアパートで、一人暮らしの女性(当時84歳)の遺体が発見されました。約1カ月後、同アパートで恋人と同居していた伊原康介さんが、アパートの別の部屋から現金8万円を盗んだ件で逮捕・起訴され、ほか2件の窃盗容疑で追起訴されました。その勾留中に強盗殺人の犯人だと取調べを受け、否定しましたが、嘘や暴力をともなう執拗な取り調べで約4カ月半後に「自白」をさせられました。裁判では無実を訴えましたが、無期懲役刑が確定し、千葉刑務所に収監。獄中から訴えを続け、日弁連がえん罪事件として支援を決定し、2015年、東京地裁に再審請求を申し立てました。東京地裁は2020年3月不当にも再審請求を棄却し、現在東京高裁に即時抗告をしています。

情況証拠のみで有罪
 原審によれば伊原さんは、2002年7月31日午後9時10分ごろ、アパート2階に住む女性の居室において、整理タンス上の小物入れを物色中、女性に気づかれたので、女性の背後からタオル等を口部等に押し当てて引き倒し、口の中にタオルを押し込むなどして窒息死させ、現金約2千円が入った財布を強取したとされています。
 有罪の根拠は、?被害者宅の小物入れ内のスキンローションの瓶から伊原さんの指紋が採取された ?死亡推定時刻にアリバイがない ?外部から侵入した形跡がない ?100万円以上の借金があり、財政的にひっ迫していた ?所持金がなかったのに、事件翌日にコンビニで買い物をしたなどの状況証拠と「自白」だけです。

残るはずの痕跡なし(再審請求の新証拠)

●犯人のDNA型と一致しない
 確定判決では「自白」を根拠に、伊原さんが被害者女性と激しくもみ合い、女性を仰向けに倒し、柔道の袈(け)裟(さ)固めのような体勢にして、タオルを口の中に押し込んだとされています。このような犯行態様であれば、タオルに犯人の皮膚片や垢等が付着するため、DNA型が検出される可能性が高くなりますが、弁護団の鑑定結果によると、タオルから検出されたDNA型は伊原さんのものとは異なることが判明しています。
●着衣の繊維が検出されていない
 被害者を倒して、自身の身体を被害者に強く押しつけた場合、被害者の手指や着衣に、犯人の着衣の繊維が付着します。ところが検察側提出の鑑定書には、被害者の手指等から、伊原さんのシャツに類似する繊維が付着していたと記載があるのみでした。弁護団の鑑定によれば、伊原さんの着衣の繊維は1本も検出されませんでした。
●物色したタンスに指紋がない
 確定判決は、伊原さんが整理タンスの小物入れを開けて、中を物色したとしています。伊原さんの指紋が付いたとされるスキンローションの瓶は、小物入れに入っていました。しかし、小物入れの前にはラジオが置いてあり、どかさなければ戸の開け閉めはできません。ラジオからも物色したとされるタンスからも、伊原さんの指紋は検出されていません。瓶の指紋は、事件の1カ月前に伊原さんが窃盗で同女宅に侵入した際に付いた可能性が高いものです。

 伊原さんは、逮捕以来3カ月半以上も勾留され、犯行に関わりのない昏睡強盗の別件を持ち出され、殺人を認めれば別件は起訴しないとの利益誘導や偽計、脅迫を受けました。「自白」をした日は、トイレも行かせてもらえず、取調べの警官から平手で殴られる、胸倉をつかまれるなどの暴行が加えられました。
 確定判決の根拠とされた「自白」は客観証拠と矛盾し信用できず、取調べの経過から任意性も認められません。情況証拠はいずれも弱く、伊原氏を本件犯行と結びつける証明力はありません。

不当な東京地裁の再審棄却決定
 ところが、再審を担当した東京地裁は、弁護団の度重なる証拠開示の要請に対して、充分な開示を行わず、事実調べも行わないまま不当な再審請求棄却決定を送りつけてきました。
 この決定は、弁護団の新証拠に対して充分な検討もせずに、あれこれと難癖をつけて、「採用できない」とする不当なものです。伊原さんは「充分な証拠開示や審理を尽くさず、何も調べようとしないのは悲しい」と述べています。
 弁護団は即時抗告を行い、たたかいは東京高裁に移ります。引き続きご支援をお願いします。

日弁連会長選挙 ー 弁護士人口増員反対派健闘の意味。

(2022年2月6日)
 2年に1度の日本弁護士連合会(会員数約4万3000人)の会長選挙の結果が出た。
詳しくは、下記URLを参照されたい。
https://www.nichibenren.or.jp/library/pdf/news/2022/20220204_sokuhou.pdf

一昨日(2月4日)の投開票の各候補の獲得投票数は以下のとおり。
 
・小林元治(33期、東京弁護士会)  8944票
・?中正彦(31期、東京弁護士会)  5974票
・及川智志(51期、千葉県弁護士会) 3504票

 当選(内定)者は、小林元治(70歳)である。予想よりも票差が開いたという印象。2月14日の選挙管理委員会で正式に確定することになる。任期は、4月1日から2年間。

 なお、当選には、全国52弁護士会のうち3分の1超(18会以上)でトップになる必要があるが、仮集計によると、小林候補は39会でトップを獲得している。投票率は43.24%だった。

 時事通信は、「小林氏は立憲主義の堅持を掲げ、高中氏は裁判IT化への対応、及川氏は弁護士の激増反対を主張」と3候補の姿勢の特徴をまとめた。単純化の不正確は否めないとしても、「理念派」「実務派」「福利派」と色分けしてもよいかも知れない。「理念派」とは、弁護士自治や立憲主義の堅持を掲げて人権擁護の姿勢を貫こうという伝統的な分かり易い立場。「実務派」は、弁護士業務のあり方について実情に合った合理的な改革を目指す立場。そして、「福利派」は、弁護士の経済的な地位の向上を強く訴える立場。

 小林候補が、立憲主義の堅持を掲げる候補として認識されて、会員の信任を得たことを心強く思う。高中候補は、「実務派」としての姿勢を評価されて第一東京弁護士でトップをとっている。一方で、「弁護士の激増反対主張」を掲げた「福利派」及川候補の善戦に注目せざるを得ない。彼は地元千葉だけではなく、埼玉・長野・富山・宮崎でもトップをとっている。大健闘と言ってよい。

 同候補の主張は「弁護士増員反対」である。弁護士増員反対は、弁護士会の総意と言って過言ではない。そして、それはけっしてギルドのエゴではなく、弁護士の使命に鑑みてのことでもある。

 私が、弁護士になった1971年ころ、司法試験の合格者は長く毎年500人だった。2年間の司法修習を終えて、同期のうちの150人近くが判事・検事に任官し、毎年350人前後が弁護士となった。当時、弁護士人口は8000人台で、これで弁護士が過少とは思わなかった。50年を経て、司法試験の合格者は1500?2000人となり、弁護士総数は4万人を超えた。この環境の変化が、弁護士の質に影響を及ぼさないはずはない。

 私は恵まれた時代に弁護士として働いてきた。ありがたいことに経済的な逼迫を感じたことはない。不定期ではあるがそこそこの水準の収入を得て、金のために嫌な仕事をする必要はなかった。自らの良心に照らして恥じるべき仕事は遠慮なく断ったし、良心を枉げての事件処理をすることもなかった。

 しかし、今弁護士激増の時代をもたらした者の罪は深いと思う。弁護士は明らかに、経済的な地位の低下を余儀なくされている。弁護士は、望まぬ仕事を、望まぬやり方でも、引き受けなければならない。経済的余裕がないから、金にならない人権課題に取り組む余力はない、という声が聞こえる。同時に、弁護士が人権の守り手ではなく、コマーシャルで集客をしてのビジネスマンになろうとしている。弁護士の不祥事は明らかに増えている。

 弁護士が魅力のない仕事に見えれば、弁護士志望者は減っていく。ますます、その質が落ちていくことにもなりかねない。弁護士増員は、主としては安く弁護士を使いたいという財界の要請によるもの。これを「司法改革」として推し進めたのは、新自由主義政策を推し進める政権の思惑に適ったからであった。

 小林次期会長は、当選記者会見で「弁護士の業務基盤、経済基盤をしっかりつくっていく」「女性と若手弁護士の活躍機会を増やし、日弁連を変えていきたい」「法テラスの民事法律扶助や国選弁護について、弁護士の報酬が不合理に低い事例がある」「国民の権利・人権擁護に努めるとともに、持続可能性の観点から、弁護士が労力に見合った報酬を得られるよう議論していきたい」などと抱負を語ったが、これは弁護士業務の需要開拓による弁護士の経済的地位確立が喫緊の課題であることの認識によるものである。

 人権擁護の任務遂行のためには弁護士の経済的基礎の確立が必要なことのご理解をいただきたい。

本日の赤旗を読む。政党助成法廃止法案・北京五輪と人権・NHK虚偽字幕・改憲阻止法律家集会…

(2022年2月5日)
 久しぶりに「赤旗」の紙面全16ページに目を通した。本日の赤旗、内容充実している。

 一面トップは、「政党助成法廃止法案を提出/共産党議員団が参院に」「『民主主義壊す制度続けていいのか』 田村政策委員長が会見」との記事。

 1995?2021年の27年間で政党助成金の総額は8460億円に上り、政党助成金を受け取っている多くの政党が運営資金の大半を税金に依存している。そのことの問題点はいくつもある。なかでも、税金を政党に配分するというその仕組みによって、国民の全てが「自ら支持しない政党に対しても強制的に寄付させられることになる」ことの弊害は分かり易い。「日本共産党は『思想・信条の自由』『政党支持の自由』を侵す憲法違反の制度だと批判し、この制度創設に反対するとともに、一貫して受け取りを拒否してきた」のは万人の知るところ。
 また、「政治資金は、本来国民が拠出する浄財によってまかなわれるべき」であり、「政治資金の拠出は、国民の政治参加の権利そのものだ」という主張には同意せざるを得ない。政党助成金が、国民の政治参加の権利を歪め、政党間の公正な競争を阻害もしている。「民主主義壊す制度続けていいのか」という、問いかけは重い。
 その政党助成法廃止は、唯一政党助成金を申請していない共産党ならではの法案提出。全政党・会派への検討が呼びかけられているが、とりわけ「身を切る改革」を看板にしている維新の諸君には、ぜひとも見習って「助成金受領を拒否」していただきたい。それができなければ、共産党の爪の垢でも煎じて飲むべきだろう。

 一面左肩に、「北京五輪開幕 人権こそ中心課題」というスポーツ部長・和泉民郎のコラム。これはなかなかの見識。

 「人権侵害と五輪は両立できません。中国がこれに向き合わない姿は、開催国の資格すら問われます」「人としての根源的な権利が侵された場所が“人間賛歌”の舞台としてふさわしいのか。開催地を選べない選手にも不幸な事態です」
 2020年3月、国連の人権部門にいた専門家がまとめた「IOCの人権戦略のための勧告」が公表されている。北京大会について、「北京冬季五輪の大会に関する人権上の影響は深刻であり、対処は依然として難しい努力を要する」と言及されているが、IOCにその努力の形跡はない、という。この姿勢を堅持した赤旗の北京オリンピック報道に期待したい。その記事の下段に、「(中国の)人権弾圧に抗議 各国デモ」の記事と写真がある。

 そして一面下段に、「特効薬は消費税減税 全国中小業者・国会大行動 倉林氏訴え」という記事。

 「コロナ危機打開!消費税減税、インボイス制度実施中止を!社会保障の充実と地域循環型経済の確立を!」をスローガンに全国中小業者・国会大行動が4日、東京都内で行われた。国会大行動には約200人が参加。消費税率を5%に引き下げ、複数税率・インボイス(適格請求書)制度の即時中止を求める11万人の署名を持ち寄ったという。

第2面の右肩に、社説に当たる「主張」。「NHK虚偽字幕 すべての経過を明らかにせよ」との表題。

 「複数の視聴者団体は経過を明らかにすることをNHKに申し入れました。五輪反対デモの主催団体は、金銭でデモ参加者を集めたかのような悪質な印象操作が行われたと抗議、謝罪を求めています。」は、赤旗が市民運動に密着した取材を行っていることを示している。
 また、「この事態を引き起こしたのは、NHKが『(五輪)開催の機運を高める編成』を掲げ、五輪開催の旗を振ってきたことと無縁ではありません。NHKは、コロナ感染拡大で緊急事態宣言が出ているもとで、五輪中継一辺倒の放送を実施しました」と強調している。

2面の記事に「貧困の底が抜けた」「衆院予算委 コロナで参考人質疑」宮本徹・宮本岳志両議員が質問という詳報。

3面には、「佐渡金山めぐる安倍氏・岸田政権の動きとNHK報道」という、大型企画の記事が3本。「事実認め話し合ってこそ有効に」という、強制動員真相究明ネットワーク共同代表の飛田雄一さん、「歴史認識を『戦い』ととらえる愚」という永田浩三さんからの聞き書き。そして、「安倍氏の《号令》垂れ流したNHK『シブ5時』」という報道記事。「政権寄りどころか、歴史を偽造する立場に立って解説を垂れ流すことは、公共放送のあり方として厳しく批判されなければなりません」というまとめに集約されている。

第5面に、「核禁条約参加の日本に/日本原水協が運動方針提起/全国理事会」という記事と並んで「改憲阻止 運動広く/法律家らがキックオフ集会」の記事。

主催者が、「国民が求めているのは改憲ではなく、コロナから命と暮らし、子どもを守る政策だ」「火事場泥棒的に狙われている9条改憲を、主権者の声で断ち切ろう」と強調。

 早稲田大学の愛敬浩二教授が、「改憲派が現実政治では必要性がないのに、改憲を主張している」と指摘。「憲法を変えている時間はありません。いまやるべきことは、憲法を政治に生かすことです」と講演。

 続いて名古屋学院大学の飯島慈明教授は、各政党の改憲項目を批判。「環境権や教育無償化、データ基本権などは法律で対応可能なもの。自衛隊の明記や緊急事態条項は危険で無謀なもの」と語り、「850億円とも言われる税金を使う改憲発議は無駄遣いです」と述べた。

14面に「裁判官が突然退廷/東京地裁」「弁論権侵害」の記事。これについては、後日ブログで取りあげたい。

15面に、「団交拒否は「不当」/労組事務所撤去 大阪市の控訴棄却/大阪高裁」の記事。大阪市は団交を拒否して労働委員会で負け、これを不服とした行政訴訟の一審で負け、さらに昨日控訴審でも敗訴となったという報道。これは、維新に大きな打撃。

 大阪市が橋下徹市長時代に市庁舎内にあった大阪市役所労働組合(市労組)の事務所を強制撤去させた問題で、組合事務所供与について大阪市が市労組との団体交渉を拒否しているのは不当労働行為と認定した大阪府労働委員会の命令を不服として大阪市が命令の取り消しを求めていた裁判の控訴審判決が4日、大阪高裁(大島眞一裁判長)でありました。一審に続き、団交拒否は「正当な理由がない」として大阪市の主張を全面的に退け、控訴を棄却しました。

 管理運営事項を理由に市が団交に応じないことに対し、管理運営事項に当たらない事項を含み得る交渉事項の申し入れがされているとし、「団体交渉に応ずべき事項につき具体的に確認すべき立場にもかかわらず、十分に確認することのないまま団体交渉に応じないもの」であり、「正当な理由のない団体交渉の拒否にあたる」と認めました。
 さらに「市の対応は誠実な交渉態度といえないのみならず、労働組合を軽視し、弱体化させる行為」であり、労組法7条3号の「支配介入に該当する」と断じました。

以上の各記事は、下記URLで読むことができる。
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik21/2022-02-05/index.html

 赤旗には広告欄がない。株価や競馬の欄も、皇室記事も芸能ゴシップもない。過剰なスポーツ記べーすべーすもない。その分市民運動や労働運動に関する情報が豊富である。文化面も充実している。あらためて思う。人権や民主主義に関心をもつ者にとって、またそのような運動に関与する者にとって、赤旗は貴重な情報源である。

追悼・安倍晴彦さん ー 良心を貫き「犬にならなかった」裁判官。

(2022年2月1日)
少し遅くなったが、「法と民主主義」2022年1月号【565号】のご紹介である。
https://jdla.jp/houmin/index.html
ご注文は、下記のURLから。
https://www.jdla.jp/houmin/form.html

特集●2021年総選挙を総括する
◆特集にあたって … 「法と民主主義」編集委員会
◆総選挙結果が投げかけるもの … 田中 隆
◆野党共闘の課題はなにか ── 市民連合から見えるもの … 福山真劫
◆曲がり角の選挙報道をどうしていくか
 外れた予測とメディアの影響・効果 … 丸山重威
◆女性議員の現状と展望 … 角田由紀子
◆投票環境をめぐる法的問題点 … 飯島滋明
◆2021年衆議院議員選挙無効訴訟の意義 … 平井孝典
◆諸悪の根源、小選挙区制の廃止を展望する … 小松 浩
◆改憲発議の動きに対し法律家は何をなすべきか … 南 典男
◆特別寄稿 第25回最高裁裁判官国民審査をふりかえって … 西川伸一
◆連続企画・学術会議問題を考える〈4〉
 学術会議問題とは何か? ─ 〈任命拒否問題〉と〈あり方問題〉と ─
                     … 小森田秋夫
◆司法をめぐる動き〈70〉
 ・「沖縄の怒りではない 私の怒り」
  ──「沖縄高江に派遣された愛知県機動隊への公金支出の違法性を問う住民訴訟」の名古屋高裁逆転勝訴判決をめぐって … 大脇雅子
 ・10/11/12月の動き … 司法制度委員会
◆追悼●安倍さんを追悼する … 北澤貞男
◆メディアウオッチ2022●《「編集の独立」の意味》
 問われる「メディアの財源」 ジャーナリズムはいかにして可能か … 丸山重威
◆とっておきの一枚 ─シリーズ?─〈№9〉
 「冤罪」の背骨を持つ … 秋山賢三先生×佐藤むつみ
◆改憲動向レポート〈№37〉
 「憲法改正も、本年の大きなテーマです」と発言する岸田首相 … 飯島滋明
◆「針生誠吉基金」設立にあたって ── 「法民」の継続発行のために … 佐藤むつみ
◆時評●新型コロナ感染拡大に思う … 間部俊明
◆ひろば●司法改革のわすれもの ── 男女共同参画の現在地 … 小川恭子

 今月号の記事の中から、北澤貞男さん(元裁判官)の「安倍晴彦さんを追悼する …」を、ご紹介(抜粋)したい。安倍晴彦さんは、その出自も学歴も出世コースを歩むに申し分のない人だった。が、権力や時流への迎合をよしとせず、司法行政当局から疎まれて「見せしめ」とされた人。それでも泰然として裁判官としての良心を貫いた生き方を示して尊敬を集めた文字どおりの先達である。その生き方は、自著『犬になれなかった裁判官』(NHK出版)に詳しい。
 温厚な人柄で、この書のタイトルを気にしておられた。「自分が発案した書名ではないんですよ。立派な裁判官をたくさん知っていますが、他の裁判官を犬になってしまったと思っているんだろうと誤解されかねませんのでね…」とお話しされていた。

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 安倍晴彦さんが亡くなりました。
 それを知らされたのは奥方みどりさんからの葉書でした。その文面は、「夫晴彦は9月19日に88歳で旅立ちました。緊急事態宣言が出ておりましたし、遺言に従い、家族だけで見送りました。本人は常々『いろいろなことがあったが、どんな時でも、尊敬する先輩、友人、仲間の方々に支えられてここまでくることができた』と申しておりました。生前は本当にお世話になりました」というものでした。
 この2、3年では、守屋克彦さん、竹田稔さん、花田政道さんに次ぐ訃報でした。

 安倍さんは14期、守屋さんは13期、竹田さんは10期、花田さんは9期で、私は18期です、青法協会員裁判官に対するいわゆる赤攻撃が開始されたのは1967年で、私が判事補になって2年目の夏過ぎでした。この理不尽な攻撃にどう対抗するかを検討する過程で、先輩も後輩もなく真剣に議論をしました

 私の初任地は岐阜地家裁でしたが安倍さんは1968年4月には和歌山地家裁から岐阜地家裁に転勤となり、1年間は同じ裁判所に勤務しました。安倍さんから自然に薫陶を受けることになりました。
 
 そして1971年3月31日最高裁は宮本康昭さん(13期)の判事補再任を拒否して判事に任命しませんでした。これは憲法尊重擁護の義務を自覚する裁判官の良心を骨抜きにする思想攻撃・パージでした。

 宮本さんの次は安倍さんが危ないと予想されました1972年3月当時安倍さんは福井地家裁におられ私は横浜地家裁におりました。内外から再任拒否に反対する行動が起こされ、安倍さんは再任拒否を免れました。任官(新任)拒否は定着してしまいましたが、裁判官の再任拒否は定着を回避することができました。

 安倍さんの任地は福井地家裁の後は横浜地家裁、浦和地家裁川越支部、静岡地家裁浜松支部、東京家裁八王子支部で、1998年2月2定年退官しました。高裁勤務もなく、合議の裁判長を経験することもありませんでした。人事当局から完全に干されたと見ざるを得ません。しかし安倍さんは泰然とし島流しにされた敗軍の将のようでした。花田さんが、かつて「安倍君は大将の器だ。僕はせいぜい参謀だ」と語ったことを覚えています。

 安倍さんは2001年5月にNHK出版から『犬になれなかった裁判官 ― 司法官僚統制に抗してして36年』を出版しました。自らの裁判官生活を基礎に裁判官論を展開し、「今後の司法改革の論議、運動の前進のために少しでも役立つことがあれば、というのが私の期待である」とあとがきの最後に書かれています。安倍さんは「権力の犬になってはならない」と時に口にしておられたので、犬になれなかった裁判官とタイトルをつけたのだと思います。安倍さんらしいタイトルの付け方だと思います。

 安倍さんは日本国憲法下の裁判官として定年まで良心を貫いた人です。まさしく「見せしめ」ではなく、「篝火」(青法協裁判官会員誌の題名)でした。(北澤貞男)

右の耳にだけ聞く力。片耳の総理に不安と不満。

(2022年1月30日)
 佐渡金山の世界遺産登録推薦の可否が問題となってきた。日中戦争開始後の朝鮮人労働者に対する強制労働や苛酷な扱いがあった以上は不適という見解と、無視せよという意見との角逐である。何度も繰り返されてきた、未解決の論争。一部では、「歴史戦」という物騒な言葉さえ飛びかっている。なるほど、安倍晋三や高田市早苗ら歴史修正主義者が口角泡を飛ばしている。

 これまで、政府は登録推薦に消極的だと思われてきた。「歴史戦」に巻き込まれるのはごめんだ。韓国をはじめとする近隣諸国との軋轢をこれ以上大きくしたくはない。安倍はともかく、岸田ならそう考えるだろう。多くの人が、漠然とそう思っていた。

 ところがそうではなかった。一昨日(1月28日)の夕刻、岸田首相は、「佐渡島の金山」を世界文化遺産の候補として推薦する方針を決めたと公表した。2月1日の閣議で正式決定の予定だという。毎日は、「『大逆転』と地元安堵」という見出しで報道している。問題は、岸田の聞く力だ。右の耳だけに聞く力があることが判明した。左側の耳は詰まっていて聞く力はないのだ。当然、韓国は怒るだろう。日本は、その植民地制政策をまだ何も反省していない、と。

 さすがに、この記者会見では、「自民党議員の意見を聞いて方針転換をしたのか」という質問が飛んだ。これに岸田は、「全くあたらない。登録されるためには何が効果的なのか、ことし申請を出す案と来年以降に出す案を、そ上に乗せてずっと議論してきた。今回、申請を行うことをきょう決定し、変わったとか、転換したという指摘はあたらない」と述べている。

 さらに韓国が、朝鮮半島出身の労働者が強制的に働かされた場所だと反発していることへの対応については「これは文化遺産の評価の問題だ。しっかりと登録への歩みを進めていきたい」と述べたという。お得意の答弁回避戦術。不都合なことを聞かれた場合には、関係のないことをなんとなくしゃべっておこうというわけだ。

 この首相の会見を受けて、韓国外務省は、28日夜、報道官の声明を発表した。「朝鮮半島出身の労働者が強制的に働かされていた場所だとして、「深い遺憾の意を表明し、こうした試みを中断するよう厳重に求める」というもの。ソウルに駐在する日本大使を呼んで抗議もしている。今後は、韓国の関係省庁や専門家などでつくるタスクフォースを発足させ、関連する資料の収集を行ったり、対外的な交渉や広報活動を展開したりしていくとも説明していいるという。韓国側は大問題として受け止めているのだ。

 本日の赤旗一面トップに、「日本政府は、戦時の朝鮮人強制労働の事実を認めるべきである―佐渡金山の世界遺産推薦について」という、昨日(1月29日)付の党委員長談話が掲載されている。これが真っ当な立場だろう。

 「わが党は、佐渡金山は世界文化遺産として推薦に値するものだと考えるが、日本政府が、登録推薦を行うならば、戦時中の朝鮮人強制労働の歴史を認める必要がある」という趣旨。

 「佐渡金山についても、戦国時代末から江戸時代にかけてだけでなく、明治以降、戦時の朝鮮人強制労働などを含む歴史全体が示されることが必要である。戦時中の歴史を「時代が違う。まったく別物」とする政府・自民党の中にある主張は、世界遺産の趣旨に反する。ユネスコやICOMOSが掲げる原則をふまえるならば、世界文化遺産の登録推薦にあたっては、負の歴史を含めて、歴史全体が示されなければならない」
 
 「アジア・太平洋戦争の末期に、佐渡金山で当時日本の植民地支配の下にあった朝鮮人の強制労働が行われたことは、否定することのできない歴史的事実である。新潟県が編さんした『新潟県史 通史編8 近代3』は「朝鮮人を強制的に連行した事実」を指摘し、佐渡の旧相川町が編さんした『相川の歴史 通史編 近・現代』は、金山での朝鮮人労働者らの状況を詳述したうえで、『佐渡鉱山の異常な朝鮮人連行は、戦時産金国策にはじまって、敗戦でようやく終るのである』と書いている。この歴史を否定することも、無視することも許されない。」

 問題は、事実(ファクト)である。実態はどうだったのか。ネットで、下記の論文を読むことができる。全て、日本が作成した公開資料にもとづく論述。少なくとも、この資料を共通認識にした上での論争が必要である。

新潟国際情報大学情報文化学部紀要
佐渡鉱山と朝鮮人労働者(1939?1945)
著者・広瀬貞三(新潟国際情報大学 情報文化学部 教授)

https://cc.nuis.ac.jp/library/files/kiyou/vol03/3_hirose.pdf

文中にこんな一節がある。なお、朝鮮人労働者の圧倒的多数は抗内の鑿岩あるいは運搬作業に従事していた。

 事故による死傷以外に、朝鮮人労働者を苦しめたと推定されるのが珪肺である。佐渡鉱山は母岩の多くが石英鉱であり、珪酸分が高いことで有名である。そのため、鑿岩作業の際に粉塵(珪酸)が肺に沈着し、繊維増殖が起こって咳や痰がでる。その後、呼吸は苦しくなり、胸部に圧迫感を覚え、それが深化していく。大正期に作られた「称明寺過去帳」には「安田部屋」所属労働者137名の死亡記録が掲載されている。これによると、平均死亡年齢は32.8歳である。死因は「変死」10名、「窒息」2名、「溺死」2名、「寝入死」1名と、15名の死因が明らかだが、それ以外は不明である。しかし、その多くは珪肺の可能性が高いといわれる。1944年に佐渡鉱業所の珪肺を斎藤謙医師が調査した『珪肺病の研究的試験・補遺』によれば、粉塵の平均概数は鑿岩夫810?、運搬夫360?、支柱夫350?、坑夫240?である。この時期、これらの職種の比率が高かったのは前述したように朝鮮人であり、この記録も朝鮮人を対象にした調査ではないかと思われる。

高須克弥は、知事リコール運動の不正に責任を感じないのか。

(2022年1月28日)
 あいちトリエンナーレ展の展示を「不敬」として、その責任を問おうというのが愛知県大村秀章知事に対するリコール(解職請求)運動。先頭に立って旗を振ったのが高須克也、その後ろにくっついたのが河村たかし。そして実務を担当したのが維新の田中孝博である。いま田中は起訴されて有罪判決を待つ身であるが、高須と河村は全ての責任を田中にかぶせて「オレは知らん」「オレは被害者」というスタンス。維新も、無関係を決めこんで知らん顔。麗しき友情の哀れな末路。

 先頭に立って旗を振った者人を煽動した者には相応の責任があるはずだが、彼らの逃げ方は、彼らが神聖視する裕仁を手本にしたもの。「開戦の詔勅は出したが、あれは自分の意思ではなかった」「皇軍が何をしたかオレは知らん」、だから「オレに責任はない」というわけだ。

 高須らが振った旗に共鳴し煽動されて、リコール運動に加わり『不正署名の請求代表者』の一人となった活動家が、リーダーたちの姿勢に業を煮やして、民事訴訟を提起した。1月25日、名古屋地裁(斎藤毅裁判長)その判決があり、《「“不正署名の請求代表者”で精神的苦痛」知事リコール運動の参加男性が損害賠償求めた裁判 男性の訴え棄却》と報道されている。

 訴えを起こしていたのは、大村知事へのリコール運動で請求代表者を務めた男性(73)。この男性は、署名偽造事件のために、社会から「不正署名をした請求代表者」というレッテルを貼られて精神的苦痛を受けたなどと主張。リコール団体と代表の高須克弥、事務局長の田中孝博被告(60)らに対し、500万円の損害賠償を求めていた。

 この請求を棄却した名古屋地裁判決は、「男性が不快感などを覚えた事実は認められるものの、法律上保護される利益が侵害されたとはいえない」「地方自治法の規定は解職請求制度の公正さの確保を目的としており『個々の住民の権利保護を目的としていない』と指摘。署名偽造という不法行為をしたとしても、男性の権利が侵害されたとは認められないと判断した」と報じられている。

 報道だけでは、判決の論理がどうにも分かりにくい。「被告らが署名偽造という不法行為(おそらくは違法行為のまちがいだろう)をしたとしても、原告となった男性の権利が侵害されたとは認められない」のは、余りに当然のこと。原告がそんな主張をしていたはずはない。

 これまで報道されてきた請求の原因は、「誘われたリコール運動に参加したところ、世間から『不正署名をした』と責められ精神的苦痛を受けた}ということ。少し整理をしてみれば、「被告らが、大宣伝をして原告をはじめとする多数活動家をリコール活動への参加を誘い、誘われた原告が真面目にリコール活動に従事したにもかかわらず、被告らが犯罪行為に及んだために、原告までが犯罪者集団の一味と社会的指弾を受けるに至って、精神的苦痛に苛まれた」というものであろう。違法行為の本筋は、被告らが原告を犯罪行為に巻き込んだことにある。

 敗訴の原告は控訴する方針とのこと。あらためて、高須・河村・田中らの責任を厳しく追及していただきたい。

 トンチンカンなのは、判決についての高須のコメントである。「高須氏は代理人を通じ『主張を全面的に認めていただきありがたく思っている』とのコメントを出した」という。へ?え。あなたの主張は、「地方自治法の規定は解職請求制度の公正さの確保を目的としており『個々の住民の権利保護を目的としていない』から、署名偽造という不法行為があっても、原告の権利が侵害されたとは認められない」ということだったのか。

 こんないい加減なリーダーが振った旗に惑わされ踊らされた人々が哀れである。ちょうど、裕仁を神と教えられ裕仁に盲従して不幸を背負い込んだ、かつての臣民たちと同様に。

「新自由主義との決別宣言」ーチリに希望の政権が生まれる。

(2022年1月27日)
 内外のニュースに接していると、人類は急速に退化しているのでないかと疑問を持たざるを得ない。日本だけでなく、あの国もこの国もなんと情けないことか。どこかに未来への希望はないものか。コスタリカや北欧・バルト3国などを思い描いていたところ、突如として新生チリが希望の星として現れた。しばらく、チリから目を離せない。

 先月の19日、チリ大統領選の決選投票で、左派のガブリエル・ボリッチが極右の対立候補ホセ・アントニオ・カストを破って当選した。本年3月11日に、35歳の新大統領が誕生し、その政権が発足する。ボリッチは元チリ大学の学生運動のリーダーだった人物。その基本政策は、新自由主義との決別、格差是正、地方分権、福祉、ジェンダー平等、先住民の権利擁護など。年金や健康保険改革を進め、労働時間を週45時間から40時間に減らし、環境への投資を増やすなどと具体的な公約を掲げているという。

 今月21日、ボリッチ新政権の閣僚24人が発表された。30代が7人、40代が4人と若く、女性が14人、過半数を占める。「フェミニズムの政府」を作るという公約の実行だという。

 24人の閣僚の内訳は、左派連合から12人、中道左派連合から5人、無所属が7人と色分けされている。ボリッチ自身の所属する政党は左派連合に属する社会収束党。この政党から5人が入閣する。左派連合にはチリ共産党も加わっており、3人が入閣。その中の一人、カミラ・バジェホが内閣官房長官に就任する。33歳の女性で、閣僚名簿の発表式には、幼い一人娘の手を引いて登壇している。権威主義やら、エリート臭やらスノビズムとは無縁。学園祭のノリと雰囲気ではないか。日本では天皇の認証が必要と言えば、そのバカバカしさに嗤われそう。新しいものが生まれる予感がする。

 もう半世紀も前のことだが、チリのサルバドル・アジェンデ政権が、世界の「民主主義革命」の旗手だった。自由な選挙を通じて、真に貧困や格差を克服する社会を実現できるのではないか。その希望は、突如野蛮な軍事クーデターで覆された。クーデターの首謀者は憎むべきピノチェット、その背後にアメリカがいた。アジェンデは、クーデター軍からの銃撃を受けつつも、最後まで国民に向けたラジオ演説を続けて命を落とした。1973年9月11日のことである。
 
 中道左派連合からボリッチ政権に入閣し、国防相に就任するのがマヤ・フェルナンデス。この人が、かのサルバドル・アジェンデ大統領の孫に当たる人で、下院議員議長を務めた経験もあるという。

 ボリッチ次期大統領は「今日、民主主義の新たな道が始まる、私たち政府の使命は非常に明確で、国民の正義と尊厳が守られるように変化と変革を促進することだ」とコメントした。選挙戦では、富裕層や鉱山会社への増税で社会保障の充実を図る考えを示している。

 アジェンデを殺害したピノチェットは、自ら政権を握ると、シカゴ学派のエコノミストにしたがって、新自由主義経済政策を採用した。その結果としてのチリ社会の貧困格差である。新政権は、これとの決別を明言している。新自由主義から福祉国家へ転換の壮大な実験が始まる。その成果に期待したい。

 ひるがえって、我が国の野党間の連携の課題に思いをいたざるを得ない。チリでは、共産党を含む左派連合12人、中道左派連合5人、無所属7人から成る「連合政権」の樹立が可能なのだ。対右派統一戦線的大統領選挙の協力が可能で、その大統領選を通じての信頼関係の形成が、連立内閣を作った。芳野友子のごとき、反共主義者の妨害はなかったようだ。

 チリの新政権に学ぶべきは多々あると思う。敬意をもって見つめ続けようと思う。

山田善二郎さんが亡くなられました。謹んでご冥福をお祈りします。

(2022年1月25日)
 1月20日であったという山田さんの逝去を知ったのは、日本国民救援会からの「訃報」のメール。都本部、文京支部へと転送されての今日のこと。1928年1月のお生まれだから、94歳での大往生ということになる。「日本国民救援会中央本部事務局長、副会長、会長を歴任し、長年にわたって救援運動にご尽力いただいた山田善二郎さんが永眠されました」「50年以上にわたり、国民救援会の専従者・役員として運動をけん引されました」「葬儀については、現時点で不明です」とある。

 国民救援会の「訃報」は、山田さんについて、「戦後間もないころに陸軍情報機関(CIC)や、特殊諜報機関(通称キャノン機関)、横須賀のアメリカ海軍基地などで日本人の従業員として勤務し、キャノン機関に拉致・監禁された作家・鹿地亘の救出に関与され、これを機に国民救援会の専従となりました」と紹介している。

 戦後史の一ページに特異な位置を占める、キャノン機関による反戦作家・鹿地亘の拉致監禁事件。その救出劇の立役者が山田善二郎さんだった。そして、山田さんは、私が弁護士となったきっかけを作った方でもある。以前にもこのブログに書いたことがあるが、あらためて書き留めておきたい。1963年の晩春か初夏の出来事。ほぼ60年も以前の、昔話である。

 私は東大教養学部の1年生で、学部キャンバス内の駒場寮に起居していた。その「北寮3階・中国研究会」に割り当てられていた居室の記憶が今なお鮮やかである。私は仕送りのない典型的な苦学生で、確か一か月90円だつた寮費の生活をありがたいと思っていた。その部屋のペンキの匂いまで覚えている。

 ある夜、その寮室の扉を叩いて集会参加を呼びかける者があった。「これから寮内の集会室で白鳥事件の報告会があるから関心のある者は集まれ」ということだった。白鳥事件とは、札幌の公安担当警察官・白鳥一雄警部が、路上で射殺された事件である。事件が起こったのは1952年の厳冬。当時武闘方針をとっていた共産党の仕業として、札幌の党幹部が逮捕され有罪となった。これが実は冤罪であるとして、再審請求の支援活動が市民運動として盛り上がりを見せていた。

 そのころ、私は毎晩家庭教師のアルバイトをしており、帰寮は常に遅かった。集会の始まりは深夜といってよい時刻だったと思う。なんとなく参加した、薄暗い電灯の下での少人数の深夜の集会。その報告者の中に、若手弁護士としての安達十郎さんと、まだ30代だった国民救援会の専従・山田善二郎さんがいた。もちろん私は両者とも初対面。自由法曹団も、国民救援会についても殆ど知らなかった。

 具体的な会合の内容までは記憶にない。格別にその場で劇的な出来事があったわけではない。しかし、そこで初めて、弁護士が受任事件について情熱を込めて語るのを聞いた。私はその集会をきっかけに、山田さんを介して国民救援会と近しくなった。札幌での白鳥事件の現地調査に参加し、駒場での松川守る会の活動にも参加し、さらには山田さんに誘われて鹿地亘事件対策協議会の事務局を担当した。そこで何人かの弁護士にも出会って、やがて弁護士を志すことにになる。

 山田さんの人生の転機となった、「鹿地亘、拉致監禁と救出事件」については、下記のURLをぜひご覧いただきたい。手に汗握る、実話なのだから。
https://www.chunichi.co.jp/article/feature/anohito/list/CK2019122702000240.html

生涯を決めた「決断」に至るまで
─山田善二郎著「決断」を読む─
弁護士 上 田 誠 吉
https://www.jlaf.jp/old/tsushin/2000/995.html

 また、事件の全容が、鹿地・山田両名出席の1952年12月10日衆院法務委員会議事録で読むことができる。こちらも、どうぞ。
https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=101505206X01019521210

多くの人との出会いの積み重ねで、自分が今の自分としてある。安達十郎弁護士と山田善二郎さんには、大いに感謝しなければならない。なお、駒場寮の存在にも感謝したいが、いま駒場のキャンパスに寮はなくなっている。寂しい限りと言わざるを得ない。

 さて、占領期には、下山・三鷹・松川を始めとする数々の政治的謀略事件があった。占領軍の仕業と言われながらも、真犯人が突き止められてはいない。その中で、鹿地事件は、米軍の謀略組織の仕業だということが確認された稀有の事件である。占領末期、キャノン機関といわれる「GHQ直属の秘密工作機関」が、著名な日本人作家鹿地亘を拉致して1年余も監禁を続け、独立後の国会審議で事態が明るみに出たことから解放した。その命がけの解放劇の立役者が、山田善二郎さんだった。

 偶然にも監禁された鹿地に接触した山田さんの決死の救助行動がなければ、鹿地は行方不明のまま消されていただろう。すべては闇に葬られたはずなのだ。

 当然のことながら、これは米占領軍に限った非道ではない。「民主主義の国・米国でさえもこんな汚れたことをした」と考えなければならない。戦争・軍隊にはこのような陰の組織や行動が付きものなのだ。

 戦争のそれぞれの面の実相を語る「貴重な生き証人」だった山田善二郎さんの紹介記事を引用しておきたい。「法と民主主義」2003年7月号【380号】の「とっておきの一枚」から。

善なる者の軌跡 ?惻隠の心あふるるばかり
国民救援会会長:山田善二郎さん
訪ね人 佐藤むつみ(弁護士)

一九五一年一二月二日
「内山様 信念を守って死にます。
  時計は一時を      鹿地
 看守の方に ご迷惑をお詫びします」

「なんて書いてあるのか読んでくれと」と、二世の光田軍曹から渡された紙片の文字を、わたしはゆっくりと声を上げて読んだ。一字一句、噛みしめるように詠みあげながら、わたしは、言いようのない何かに激しく心をつき動かされた。その人の姓と思われる「鹿地」の読みは、相撲取りの鹿島灘や、終戦をそこで迎えた鈴鹿海軍航空隊から、ごく自然に「カジ」と読んだ。人びとの寝静まった深夜、誰一人みとる者もいない寒々とした部屋に監禁されたその人物は、「鹿地」という名を残して自殺をはかったのだった。「余計なことをしてくれたものだ」とでも考えているのだろうか、光田は、無造作にその紙切れをポケットにねじ込んだ。「ここにいてくれ」無表情なまま言い捨てて、わたしだけを残して、自殺未遂に終わったその人の汚れた衣類などをまとめて外に出て、裏庭でガソリンを振りかけて燃やしてしまった。焼けかすが黒く残っていた。その人は、二〇畳ほどの畳をはがしてリノリウムをはった部屋の中にポツンと置かれた軍用ベットの上で気を失って横たわっていた。部屋の中央のシャンデリア風の電灯は、その人が首を吊った時にもぎ取れ、床に転がっていた。薄暗く、ひんやりとした部屋。意識を失ったその人の口から流れてくる汚物を拭きとり、洗面所で洗い流したわたしの手は、突き刺されるように冷たく痛かった。建物の周辺を取り囲むように植えられていた、十数本のヒマラヤ杉の茂った葉のあいだから、かすかに差し込んでくる日の光に手を当ててこすりながら、光田のもどるのを待っていた。
(決断ー謀略・鹿地事件とわたし)

 山田善二郎さん23才コック、占領軍総司令部参謀の諜報機関キャノン機関に拉致された反戦作家鹿地亘四八才、場所は米軍に接収された川崎市新丸子の東京銀行川崎グラブ。私は山田善二郎さんが50年を経て書いたこの本を途中で置くことが出来なかった。冒頭の一章から息を呑むような場面が続く。迫りくる諜報機関の黒い手、善二郎青年のとまどいと正義感、突き動かす思いと関わる人びと。時代の匂いと「間一髪の歴史のほほえみ」が見事に描き出されている。善二郎さんの原点はここにある。そして彼の書き手としての力量、事実を見る目の確かさはどこで作られたのだろうか。
 善二郎さんの父親は陸軍省の下級公務員だった。住まいは杉並区の天沼、七人子供を薄給で育てるのは容易でなく山田家はいつも貧乏だった。尋常小学校を卒業したら兄のように高等小学校にいき一家の働き手になるつもりだった。小学校で江藤价泰さんと同級生だったと言う。「僕はぼんくらだったけど江藤さんは秀才で」担任の先生は善二郎少年に東京市立第一中学の夜間部、九段中への進学を勧めた。入学試験に合格、昼間は給仕として働きながら学校に通っていた。九段中学は靖国神社の隣にあった。軍国少年は日本の戦況に一喜一憂「1943年5月戦局が傾き始めると、押さえがたい憂国の念にかられたものだった」。ついに七つボタンに憧れ、親に内緒で海軍の予科練を志願する。最年少15才合格、中学4年一学期であった。1年で予科練を卒業、飛行練習生として鈴鹿海軍航空隊に移転。練習飛行の燃料も無くなりアメリカ空軍の空爆も激しくなって、「飛行場では、練習機に爆弾を積んだ特攻隊を見送るようになっていた」。1945年8月、農村の神社に疎開して防空壕を掘っていたとき天皇の「詔勅」を聞く。「ラジオのガーガーピーピーの雑音の中に天皇の甲高い声が混じっていたが、なにをしゃべっているのかさっぱりわからなかった」
 頭の中は軍国主義のまま善二郎青年は生きるために進駐軍の仕事を始める。「エンプロイ ミイ アズ ウエーター」初めて米兵と交わした言葉である。その後キャノン機関のボス ジャック・Y・キャノンに会うのである。「まじめに働けば、良い職場を探してやる」とのキャノンの甘い言葉に乗る善二郎青年。キャノンの家族のコックとなった。なかなか器用な善二郎青年パーティ料理まで作ったという。誠実で働き者、優秀な彼をキャノンは重宝したに違いない。1950年6月朝鮮戦争が勃発、しばらくしてキャノンがピストルで撃たれて重傷を負う。1951年キャノンは帰国。善二郎青年は米軍諜報機関の日本人従業員として働き続けた。山田家では、長男は戦争から帰らず、長女は子どもを産んだ直後に結核で死亡、脳腫瘍で重複障害になったその子を引き取っていた。家計は妹弟達を含め善二郎青年の双肩に掛かっていた。両親に給料袋を差し出すと母は「ありがとう。ありがとう。」と拝むように受け取って仏壇に供えたと言う。
 自分も消されるかもしれない恐怖、一家の糧を失う不安の中で善二郎青年は鹿地の手紙を密かに届け続ける。届け先は内山完造。1952年6月善二郎青年はアメリカの秘密機関から脱出する。元キャノン機関のエイジェントとして活動した松本政喜は「山田を消してくれ」と光田軍曹からピストルを渡されていた。12月6日、猪俣浩二代議士の自宅で乾坤一擲の記者会見、翌七日鹿地は明治神宮外苑絵画館近くで解放される。生き証人善二郎青年は時の人となり、命は落とさずにすんだ。
 この時から善二郎青年は国民救援会を知り、活動をともにするようになる。そこで活動している人々の一途な姿に魅了された。特に難波英夫は善二郎青年の師となる。50年間善ちゃんは「スティック ツウ ユアー ブッシュ“食らいついたら離れるな”」の精神で救援会を支えてきた。支援する人と同じ地平で「おっかさんの気持ちで接することが大切だ」難波さんの口癖である。おっかさんは我が子を絶対的に信じ無私の精神で支える。その存在自体を愛おしむ。善ちゃんは何人のひとの母となったのだろうか。
 「小さくやせ細った平沢貞道が、拘置所の面会室の金網の向こうから、仏様を拝むように両手を合わせてこちらに向かい、『ありがとうございます』と深々と頭を下げて礼を述べた。…1987年八王子医療刑務所で95才の生涯を閉じる。」無実の死刑囚の再審事件は力及ばないときはその死を招く。無実が晴れないうちに命つきる多くの人を善ちゃんは無念の思いで送った。
 75才になる善ちゃんはいつも強く人に優しい。この素朴な暖かさは救援会の筋金入りである。

山田善二郎
1928年新潟県三条市に生まれる
1946年キヤノン機関勤務
1992年日本国民救援会会長に選出
2022年1月20日 逝去

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