本日(1月6日)は、世田谷・成城ホールでの植村東京訴訟支援企画・「2018新春トークコンサート『忖度を笑う 自由を奏でる』(主催:植村訴訟東京支援チーム)に出かけた。招待券は1枚で、妻の席は当日券でのつもりだったが、400席が文字どおりの満席。暮れにはチケット完売で、電話予約も断わり、「当日券はありません」という事前のアナウンスもされていたそうだ。事情を知らず一時は入場を諦めたが、スタッフの厚意で何とか入れてもらった。
実感として思う。従軍慰安婦問題への世の関心は依然高いのだ。いや歴史修正主義者であるアベの政権のもと、従軍慰安婦問題は戦争の加害責任問題として忘れてはならないという市民の意識が高まっているのではないか。戦争の記憶継承の問題としても、民族差別問題としても、また報道の自由の問題としても、従軍慰安婦問題は今日的な課題として重要性を増している。
考えてもみよ。安倍晋三を筆頭とする右派勢力は、なにゆえにかくも従軍慰安婦問題にこだわるのか。その存在を隠そうとするのか、報道を押さえ込もうとするのか。メディアでも、教育でも、かくも必死に従軍慰安婦問題を封印しようとしているのか。
まずは、過ぐる大戦における皇軍を美化しなければならないからである。神なる天皇が唱導した戦争は聖戦である。大東亜解放の崇高な目的の戦争に、従軍慰安婦の存在はあってはならない恥部なのだ。大義のために決然と起った皇軍は、軍律正しく、人倫を弁えた存在でなくてはならない。だから、南京大虐殺も、万人抗も、捕虜虐待も、人体実験も、生物兵器の使用も、毒ガス戦も、すべては存在しなかったはずのもので、これがあったとするのは非国民や反日勢力の謀略だということになる。女性の人格を否定しさる従軍慰安婦も同様、その存在は当時の国民にとっての常識だったに拘わらず、あってはならないものだから、強引にないことにされようとしているのだ。
このことは、明らかに憲法改正の動きと連動している。9条改憲によって再び戦争のできる国をつくろうとするとき、その戦争のイメージが恥ずべき汚れたものであっては困るのだ。国土と国民と日本の文化を守るための戦争とは、雄々しく、勇ましく、凜々しいものでなければならない。多くの国民が、戦争といえば従軍慰安婦を連想するごとき事態では、戦争準備にも、改憲にも差し支えが生じるのだ。
本日の企画は、トークとコンサート。トークが、政治風刺コントで知られるパフォーマー松元ヒロさんで、これが「忖度を笑う」。そして、ピアニスト崔善愛さんが「自由を奏で」、最後に植村さん本人がマイクを握った。「私は捏造記者ではない」と、経過を説明し、訴訟の意義と進行を熱く語って支援を訴えた。熱気にあふれた集会となり、聴衆の満足度は高かったものと思う。
宣伝文句は、「慰安婦問題でバッシングされている元朝日新聞記者、植村隆さんを支援しようと、風刺コントで知られる松元ヒロと、鍵盤で命を語るピアニスト・崔善愛(チェソンエ)がコラボします。『自粛』や『忖度』がまかりとおる日本の空気を笑い飛ばし、抵抗のピアノに耳を傾けましょう。」というものだが、看板に偽りなしというところ。
ところで、植村隆バッシングに反撃の訴訟は、東京(地裁)訴訟と札幌(地裁)訴訟とがある。東京訴訟の被告は西岡力東京基督教大学教授と株式会社文藝春秋(週刊文春の発行元)に対する名誉棄損損害賠償請求訴訟。次回、第11回口頭弁論が、1月31日(水)午後3時30分に予定されている。
札幌訴訟は、櫻井よしこ、新潮社(週刊新潮)、ワック(月刊Will)、ダイヤモンド社(週刊ダイヤモンド)に対する名誉棄損損害賠償請求訴訟。次回第10回口頭弁論期日が、2月16日(金)午前10時に予定されている。
植村「捏造記者説」の震源が西岡力。その余の櫻井よしこと各右翼メディアが付和雷同組。両訴訟とも、間もなく立証段階にはいる。
植村従軍慰安婦報道問題は、報道の自由の問題であり、朝日新聞問題でもある。朝日の従軍慰安婦報道が右派総連合から徹底してバッシングを受け、担当記者が攻撃の矢面に立たされた。日本の平和勢力、メディアの自由を守ろうという勢力が、総力をあげて植村隆と朝日を守らねばならなかった。しかし、残念ながら、西岡・櫻井・文春などが植村攻撃に狂奔したとき、その自覚が足りなかったように思う。
いま、従軍慰安婦問題は新たな局面に差しかかっている。2015年12月28日の「日韓合意」の破綻が明らかとなり、「最終的不可逆的」な解決などは本質的に不可能なことが明らかとなっている。被害の深刻さに蓋をするのではなく、被害の実態を真摯に見つめ直すこと。世代を超えて、その記憶を継承し続けることの大切さが再確認されつつある。このときに際して、植村バッシング反撃訴訟にも、新たな意味づけがなされてしかるべきである。
本日の集会の最後に司会者が、会場に呼びかけた。
「皆さん、『ぜひとも植村訴訟をご支援ください』とは言いません。ぜひ、ご一緒に闘ってください」
まったく、そのとおりではないか。
(2018年1月6日)
万事多難を思わせる新たなこの年だが、正月は正月。穏やかに歳があらたまった。本日、東京は晴れて風がない。
年明けには、幾つかの歌を思い出す。
まずは、啄木である。「悲しき玩具」からの数首。
年明けてゆるめる心!
うっとりと
来し方をすべて忘れしごとし。
昨日まで朝から晩まで張りつめし
あのこころもち
忘れじと思へど。
戸の面には羽子突く音す。
笑う声す。
去年の正月にかへれるごとし。
何となく、
今年はよい事あるごとし。
元日の朝、晴れて風無し。
腹の底より欠伸もよほし
ながながと欠伸してみぬ、
今年の元日。
いつの年も、
似たよな歌を二つ三つ
年賀の文に書いてよこす友。
啄木とて秀歌ばかりをものしていたわけではない。つぶやきがそのまま歌になったこの数首、われわれ凡夫と変わりない心情がよく分かるではないか。
次いで、大伴家持。万葉集選者の特権で、4500首の最後に置いた著名な自選歌。
新しき年の初めの初春の 今日降る雪のいやしけ吉事
(あらたしき としのはじめの はつはるの けふふるゆきの いやしけよごと)
「新しい 年の初めの 初春の 今日降る雪の様に 積もれよ良い事」(日本古典文学全集)
こんな現代語訳は蛇足。けれんみのない堂々たる祝祭歌と思っていたが、万葉仮名の読み方としては不自然なところがあり、文化先進国の朝鮮語で読み解くと意味が変わるのだという。大伴は、武家の筋目である。この歌、「表向きは祝言、裏向き新羅征討に備える準備の檄」。いくさの準備の歌と読むべきなのだそうだ。
以下は、「韓国の作家、李寧煕氏の提案した、『もう一つの万葉集』について考えるブログ」による解読の紹介。
http://manyousyu.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-431f.html
新年乃始乃波都波流能家布敷流由伎能伊夜之家餘其騰
新(サラ) 新羅(しらぎ)
年(ドゥジ) 咎(とが)め
乃始乃(ネシネ) お出しになられる
波都(バト) 防禦(ぼうぎょ)
波流能(バルヌン) 正す
家布敷流(ヤ、ポブル) 矢、降り浴びせる
由伎能(ユキヌン) 靫(ゆき)は・武具は
伊夜之家(イヤジケ) 続けて作れ
餘其騰(ヨグドゥ) 夜鍋(よなべ)して
【大意】
新羅征討の旨
お出しなられる。
防備を固め
矢、降り浴びせよう。
靫(ゆき)など武具は
日に夜を継いで作れよ。(以上)
「新年」が、実は「新羅の咎め」とは…、絶句するばかり。
めでたい正月の歌とは無縁となるが、「アベ9条改憲」もよく似ている。表向きは、「自衛隊を認めるだけ。何も現状を変えませんよ」と言いつつ、実は裏向きで「9条2項を事実上抹殺しよう」との魂胆。実に含蓄と教訓に富んでいるではないか。
なお、戦時中『第二の国歌』とまでいわれた軍歌「海行かば」はやはり家持の歌に、信時潔が曲を付けたもの。いま日本政府は、慰安婦問題で韓国政府に「咎め」せんと居丈高である。新年早々の「新羅への咎め」はいただけない。
最後が、小学唱歌「一月一日」。この題名は、(いちげつ いちじつ)と読むのだそうだ。千家尊福(せんげ・たかとみ)作詞、上真行作曲。1893(明治26)年に「小学校祝日大祭歌詞並楽譜」として発表されたもの。私の子どもの頃、戦後だったが学校で教えられた。教えられたようには唱わず、「豆腐のはじめは豆である。尾張名古屋の終点で、まつたけでんぐりがえしておおさわぎ」などと、大声で唱った。誰もが知ってる歌だった。
1番
年の始めの 例(ためし)とて
終りなき世の めでたさを
松竹(まつたけ)たてて 門(かど)ごとに
祝(いお)う今日(きょう)こそ 楽しけれ
2番
初日の光 さし出でて
四方(よも)に輝く 今朝の空
君がみかげに 比(たぐ)えつつ
仰ぎ見るこそ 尊とけれ
実は、2番については、当初は別の歌詞だったという。
「初日の光 明(あきら)けく
治まる御代の 今朝の空
君がみかげに 比(たぐ)えつつ
仰ぎ見るこそ 尊とけれ」
元号の「明治」を詠みこんだ歌詞だったが、大正に改元の後、現在の歌詞となったとか。
言うまでもないことだが、「終りなき世」とは、人類や世界がいつまでも続くということではない。「天皇がしろしめすこのありがたい世がいつまでも続くこと」なのだ。だからこの唱歌は、「天皇が統治よ永遠なれ」という、天皇制讃歌なのだ。
2番の歌詞はもっと露骨だ。「君がみかげに 比(たぐ)えつつ」とは、初日の光を、天皇の姿に喩えて、初日も天皇も「仰ぎ見るこそ 尊とけれ」と押しつけているわけだ。大袈裟な神がかりを小学唱歌として上手にまとめている。
この歌を出雲の国造「千家」の当主が作っているのが興味を惹く。出雲は、伊勢と争って敗れ、傍流となった神主の家柄。
天皇制は、民間行事「正月」も天皇制賛美に利用した。その残滓は、いまだに社会の隅々に残っている。元号がその最たるもの。
年のはじめ。正月くらいは穏やかにと願いつつも、やはり今年も天皇賛美や元号使用を批判し続けなければならない。あらためて思う。
(2018年1月1日)
昨日(12月29日)の毎日新聞朝刊「オピニオン」面の「論点」欄が、「現代日本と元号」の大型インタビュー記事を掲載している。インタビューに応じているのは、島薗進、鈴木洋仁、そして村上正邦の3名。
企画の趣旨を述べるリードの冒頭に、「天皇陛下が2019(平成31)年4月30日に退位され、1989年1月8日に始まった『平成』が1万1070日で幕を閉じる。19年5月1日に皇太子さまが新天皇に即位され、新しい元号がスタートする。」との前置きがある。
おそらくは、年を越えた来年(2018年)には、この手の話題が多く取り上げられるのだろう。もうすぐ天皇が生前退位する。それにともなって元号が変わる。あらためて、問題が突きつけられている。元号とはなんだ。天皇制とはなんだ。天皇代替わりとはなんだ。天皇代替わりに際して保守陣営は、なにを目論んでいるのか。政権は。皇室は。そして、人権や民主主義を大切と思う人々はどう対応すべきなのか。ときあたかも、明治150年でもある。
もっとも、この毎日の企画の意図はよく分からない。焦点が定まらないのだ。だから、3人の論者の議論が噛み合っていない。
インタビューの設問は、「平成はどのような時代として私たちの記憶と歴史に刻まれることになるのか。また、21世紀の現代日本に元号という制度が持つ意味は何か」というもの。まったく別の問が並列しておかれている。明らかに、前者が主で後者が従で、「現代日本と元号」とのタイトルとは齟齬がある。しかも、各設問自体が相当のバイアスを持ったものになっている。だから、「現代日本と元号」のタイトルを頭に置いて読み始めると戸惑うことになる。読後感が散漫なものにならざるを得ない。「現代日本と元号」という「論点」に焦点をしぼれば、スリリングな「討論」になったのではないか。
しかし、企画の意図を離れて、それぞれの論者の意見の内容は、それぞれに興味深い。
島薗進教授は、薀蓄を傾けて文明論の時代相を語っている。
「いまの時代相は冷戦終結後世界が方向を見失ったところから始まっている。多くの国が内向きのアイデンティティーを強め、他者との対立関係を作りながら自己主張する「自国ファースト」の状態にある。しかし、今の世界で人類の穏当な進歩や共存共栄という理念は完全に死んだわけではない。宗教界や学問の世界は人類が養ってきた良識の発展、多様な価値観の尊重、文明の共存を目指している。それはかすかな希望であり、良識派の「抵抗の時代」とも言える。日本も後ろ向きにならず、共生のためのビジョンを発信してほしい。日本の豊かな文化資源と、戦争の失敗を含む多くの経験を、東アジアの多様性を重んじた真の共存共栄に生かすことが求められる…」という趣旨。元号については、「元号による『縛り』が減っていれば、なお良いだろう」という形で触れられているのみ。
「元号による『縛り』」とは、元号使用が事実上強制され、元号の存在が国民意識に権力的に介入する状態を指しているのだろう。「教育現場の『日の丸・君が代』問題は、国家が求める行為を個人に受け入れさせるという方向で、国民を『縛る』ことになった。」と同旨の文脈で語られているのだから。
次が、鈴木洋仁なる若い研究者の論述。
その結論は、「このまま元号は消えてしまうのか。そうは思わない。いくら意味が薄れてきたとはいえ、1300年以上も続いた制度をあえてやめる必要があるのか。今は元号について思い入れの少ない若者たちも、やがて「平成生まれ」という時代感を意識するようになるだろう。西暦年号との併用という面倒さはあるが、国民が長い歴史の中で一定の時代感覚を共有する目印として使ってきた元号の役目は薄らぐことはあっても、なくなることはないと思う。」という薄味のもの。
研究者の論述として、どうにも曖昧で違和感を禁じえない。
明確に「元号論」を語っているのが、かつて「参議院のドン」と言われた「村上正邦・元労相」(毎日が、そのように肩書を付している)である。久しぶりに見る名前だが、しゃべる内容は相変わらずだ。右の端に位置を固定して、少しもぶれるところがない。オブラートに包まない保守派の天皇論や元号論のホンネを語って、貴重な内容となっている。
その全文は、ぜひとも下記のURLでお読みいただきたい。
https://mainichi.jp/articles/20171229/ddm/004/070/007000c
まずは、村上正邦とは何者であるか。毎日は次のように紹介している。
「1932年生まれ。拓殖大卒。80年参院議員初当選。参院自民党議員会長を務め『参院のドン』と呼ばれた。汚職事件で2001年議員辞職。その後、実刑が確定。現在、『日本の司法を正す会』代表幹事」
この紹介で足りないところを、インタビューでの彼の発言自体が補っている。「安倍さんは『保守』を自任しているようだが違う」と言ってのける『真正保守』の立場。
そのインタビュー記事のタイトルは、「『国柄』守る流れ定着を」というおとなしいものだが、内容からみれば「天皇制復活の重要なステップとして」「明治憲法の復元を目指して」などというべきだろう。
彼はまず、元号法制定以前には、その存続が危機にあったことから話を始める。
「私が元号法制化を求める運動を始めたころは社会党や共産党だけではなく、労働運動も激しく、法制化の動きへの反対論も強かった。昭和49(1974)年、私は参院選に初出馬(落選)したが、日本の国柄を守るためには元号を明確に位置づけなくてはならないと考えていた。旧皇室典範の元号に関する条項は敗戦で占領軍によって削除され、法的根拠を失っていた。元号存続の危機だった。」
元号の存続は「日本の国柄を守る」ことと同義だというわけだ。言うまでもなく、「日本の国柄」とは、天皇制のこと。天皇を中心に据えた日本こそが本来の日本で、天皇を欠いた日本はもはや日本でない、という如くなのだ。その大切な元号が、存続の危機にあったという。元号は、その使用を強制しなければ、消えてゆく脆弱な存在なのだ。
「その年、宗教界を中心に『日本を守る会』(右派団体『日本会議』の源流)が結成され、事務方を引き受けた。ところが自民党の議員の中からも『西暦でいいじゃないか』という声が上がるほど、関心が集まらない。元号について『ガンゴウって何だ?』と真顔で問い返されたこともある。」
自民党の議員でさえも、「西暦でいいじゃないか」だったのだ。元号が消えようと、なくなろうとも、誰も困らない。既に、皇紀が途絶え干支の表記もなくなっているが、なんの不便もない。現実に困る者はいないにもかかわらず、保守派には放置しがたい事態だった。
「そこで、同志と一緒に考えたのは、徹底して左翼の運動手法を踏襲することだった。地方から火を付けて中央を動かす。つまり地方議会で法制化を求める決議を上げさせた。草の根運動が昭和54年の元号法で実った。政界では田中角栄元首相の力添えが大きかった。ロッキード事件の裁判で大変だったのに『日本の国は天皇中心だ』と言って取り組んでくれた。」
結局元号をなくしてはならないというのは、天皇制護持論者だけなのだ。そのことを彼はあけすけに語る。
「元号法の延長線上にあるのが天皇陛下ご即位10年の年、平成11(99)年に成立した国旗・国歌法だ。自民党参院議員会長になるころだったが、政治家として力を尽くした。公明党の協力が得られるかどうかが岐路だった。…同党の冬柴鉄三さんら幹部と赤坂の料理店で腹を割って話すと、日の丸にも君が代にも反対ではない。それで一気に政治日程に上げた。最大の功労者は公明党だ。」
いつものとおりのこと。公明党は、このようにして自民党に恩を売ってきたのだ。
「元号法と国旗・国歌法は、建国記念の日の制定(66年)から始まった明治憲法復元に向けての大きな流れだ。敗戦という国家非常事態での占領憲法を認めるのではなく、明治憲法に立ち返る。その上で憲法を論ずることが日本人の手に憲法を取り戻すことにつながる。」「安倍(晋三首相)さんが言っているような小手先の改正ではだめなんだ。私たちが心血を注いで運動に取り組んだのも、天皇を中心に据えた憲法のためだ。元号法を作った時に「譲位」は想定していない。一世一元制が原則だ。」「靖国神社への参拝も実現させてくださると信じている。英霊は『東条英機万歳』でなく、『天皇陛下万歳』と言って亡くなった。何のための靖国か。」
「建国記念の日」(66年)⇒「元号法」(79年)⇒「国旗・国歌法」(99年)。そして次は、「天皇の靖国参拝実現」が目標だという。そのすべてが、天皇を中心に据えた明治憲法復活のためであり、天皇中心の国柄を顕現するためのものだという。
ひるがえって、日本国憲法を護り活かすとは、何よりもこのような戦前回帰を許さないことだ。自立した主権者国民が天皇の権威にひれ伏してはならない。「建国記念の日」「元号」「国旗・国歌」の強制に反対し、「天皇の靖国参拝」を許さぬことだとよく分かる。
真正保守であり、かつての「参議院のドン」だった村上は、私たちの具体的な運動課題を、正確に教えてくれているのだ。
(2017年12月30日)
私にも小学生のころがあった。小学校2年生から親元を離れて寮生活という境遇だったが、その寮で「毎日小学生新聞」を読んだ。当時、小学生に向けた新聞は、この一紙だけだったはず。私は熱心な読者だった。
いまはもう記事の内容に記憶はないが、頃は戦後民主主義の熱気が横溢していた時代。おそらくは、当時の「毎小」の記事がいまの私の人格形成に影響なかったはずはない。
ところで、いま、毎日だけでなく、朝日も読売も小学生向けの新聞を発行しているという。朝日と毎日は日刊、「読売KODOMO新聞」は週刊(毎週木曜日発行)だとか。紙面の内容は知らないが、小学生への影響は当然に大きいと思う。
その「読売KODOMO新聞」。一昨日(12月27日(木))の紙面に、以下の解説記事を掲載した。タイトルは、「天皇陛下の退位日決定」。なんだ、これは。さながら、現代版「修身」ではないか。天皇制を子どもたちに刷り込もうという読売の魂胆。
天皇陛下(てんのうへいか)の退位(たいい)日が2019年4月30日に決まりました。天皇の退位は1817年の光格(こうかく)天皇以来(いらい)、約(やく)200年ぶりで、現在(げんざい)の法律(ほうりつ)では今回だけの特例(とくれい)です。元号の「平成(へいせい)」も変(か)わる予定で、私(わたし)たちの生活にも影響(えいきょう)がありそうです。
安倍首相(あべしゅしょう)は今月1日、皇室会議(こうしつかいぎ)へ天皇退位に関係(かんけい)する日程(にってい)を提案(ていあん)しました。皇室会議は安倍首相が議長(ぎちょう)となり、皇族(こうぞく)や衆院(しゅういん)・参院(さんいん)の両議長らが参加(さんか)しました。政府(せいふ)は、この会議で参加者からでた意見を参考にした上で、今月8日、各省庁(かくしょうちょう)の大臣(だいじん)らの集まる閣議(かくぎ)で日程を正式に決めました。
政府が退位日として4月30日を提案した理由は、政治的(せいじてき)な日程のない静(しず)かな環境(かんきょう)だからです。同じ月には統一地方選(とういつちほうせん)が終わり、大型連休(おおがたれんきゅう)で国会も開かれていません。
退位翌日(よくじつ)の5月1日には皇太子(こうたいし)さまが新しい天皇に即位(そくい)され、同時に平成という元号も30年3か月で終わります。248番目となる新しい元号は、今後政府が本格的(ほんかくてき)に考えます。
元号が変わると、国や自治体(じちたい)、企業(きぎょう)のシステムを対応(たいおう)させたり、手帳やカレンダーを変えたりと国民(こくみん)生活への影響は大きいとみられます。このため、元号は来年のうちに明らかにされます。
政府では、19年5月1日を臨時の祝日(しゅくじつ)か休日とする方向です。新元号への移行(いこう)をスムーズにし、皇太子さまの即位を国民をあげて祝福(しゅくふく)できるからです。祝日にした場合は、法律で前後の平日も休日にできるため、4月27日から5月6日までの10連休(れんきゅう)となる可能性(かのうせい)もあります。
政府は年明けから、退位の儀式(ぎしき)のあり方などについて議論(ぎろん)を本格化させます。
昭和天皇は1989年1月に87歳さいでお亡(な)くなりになりました。昭和に代わる元号の平成は、当時の小渕恵三官房長官(おぶちけいぞうかんぼうちょうかん)が書を掲(かかげ)て発表していて、新元号の発表の仕方も注目されます。
「上皇」「上皇后」
退位の後、陛下は「上皇(じょうこう)陛下」、皇后(こうごう)さまは「上皇后陛下」となられます。陛下は2016年8月、高齢(こうれい)により公務(こうむ)を続(つづ)けるのが難(むずか)しくなると案じた「お言葉」を発表されました。今回の退位は特別(とくべつ)に認(みと)められましたが、今後の皇室のあり方にも影響があるかもしれません。
長年にわたり、皇后さまとともに公務を務(つと)められた陛下には退位後、ゆっくり過(すご)されてほしいですね。
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この「修身」は、次のように書き換えなければならない。
昔は、世界中どこにも王というものがおりました。力のある人が、そのほかの人々を押さえつけて王になり、王の支配のための王国を作ったのです。王国には王の軍隊がおかれ、その武力を背景に、王は国民から税金を取りたて、国民を戦争に駆り立てました。また、どこの王国でも、王に逆らってはならないという法律が作られました。
しかし、どの王も暴力で国民を支配するだけでなく、何とか国民を自発的に王に従う気持にさせたいものだと考えました。そこで、「王位は神様から授けられた」などという神話をこしらえたり、「王様は、国民を我が子のように慈しんでおられる立派な方」「王様は尊敬すべき人格者」などという作り話を流したり、王に従うことこそが国民として守るべき道であると王国の学校で子どもたちに教えたりしました。さらには、大きな宮殿をつくり、王をほめたたえる音楽や美術を奨励したり、ときには王様の恵み深さを演じてみたり、王が主催するスポーツや見世物のイベントを開いたり、王の支配を守り固める懸命の努力を重ねました。その一つとして、王が死んだり退位して新王が誕生するとき、できる限り重々しく華やかな儀式が行われました。
こんな演出にすっかり欺される愚かな人々もたくさんいました。「うちの国の王様はこんなにも立派」だと、支配されている国民同士が、自分を支配している王を自慢し合うようなこともあったということです。
王が国を支配する制度を王政といいます。時代が進むに連れて、王制は次第に姿を消していきました。「人間は皆平等」なのですから、生まれで特権を持った王が決まることは不合理だとする考え方が世界の常識になりました。王が国民から税を取り上げて贅沢ができることはおかしい。多くの国では、国民がそう考えてきっぱりと王政を捨てました。しかし、遅れた国ではなかなか王政を捨てきれず、いまでも飾りものになった王が生き残っています。
日本はこの点でとても遅れた国のひとつです。日本では、王のことを天皇と言ってきました。天皇の祖先は武力に優れ、他の人々を押さえつけて王となり、7世紀頃に天皇と名乗るようになりました。天皇の支配のために天皇の軍隊がおかれ、支配される側の国民は「臣民」と呼ばれて、天皇に税金を支払い、天皇が命じる戦争に動員されました。
天皇も、暴力で臣民を支配するだけでなく、何とか臣民を自発的に天皇に従う気持にさせたいと考え工夫しました。そこで、「天皇はアマテラスという神様の子孫であって、代々の天皇自身も神様である」というお話しをこしらえました。びっくりするのは、そんな作り話が20世紀前半まで、日本中の学校で、真面目に教えられていたことです。
19世紀後半に、天皇に逆らってはならない、天皇の悪口を言ってもいけない、という法律が作られました。大逆罪や不敬罪と言います。それでも足りないとして、天皇の政府は20世紀前半には治安維持法を作って、天皇制に反対する人々を徹底して弾圧したのです。その反面、「天皇は、臣民を我が子のように慈しんでおられる立派な方」「天皇は尊敬すべき人格者です」などと宣伝し、天皇に従うことこそが臣民として守るべき道であると、全国の学校で教えました。また、学校や神社などでは、天皇を崇拝する儀式が繰り返されました。
なかでも、これまでの天皇が死んで新天皇が誕生するときには、もっとも重大な儀式が行われました。大嘗祭と言います。
いま、天皇の代替わりが迫っています。代替わりによって国民生活に大きな影響はないはずなのですが、代替わりにともなう元号の変更がやっかいです。事実上、国や自治体や銀行などでは、元号の使用が強制されています。そのため、国民生活への影響はけっして小さいものではありません。元号の不便・不合理が明らかというだけではなく、いつも天皇制を忘れないようにさせるものなのです。西暦に一本化することが最も望ましいのに、天皇制を思い出しなさいと元号が維持されているのです。
天皇制も元号使用もいずれはなくなる運命でしょうが、読売新聞のように天皇や元号の交代で大騒ぎすることなく、天皇制の歴史やその影響を冷静に見つめ、よく研究する機会にしたいものですね。
(2017年12月29日)
本日、12月23日は、極東国際軍事裁判(東京裁判)において死刑の宣告を受けたA級戦犯7名が処刑された日として記憶される。69年前の今日のことだ。
判決が言い渡されたのは、同年11月12日。刑の執行の日取りについて特に定めはなかったが、皇太子明仁の誕生日を選んでの執行と伝えられている。
GHQと極東委員会は、諸般の事情や思惑があって天皇(裕仁)の戦争責任訴追はしないこととしたが、連合国の圧倒的世論は天皇(裕仁)の戦争責任追求を求めていた。A級戦犯7名の死刑の日を次期天皇の誕生日としたのは、国際世論との関わりがあるのだろう。将来の天皇の誕生日の都度、日本国民に日本の戦争責任を想起させる意図は当然あっただろう。あるいは、天皇に代わっての戦犯たちの死の意味を、国民に突きつけたいとしたとも考えられる。
「平和に対する罪」など、55の訴因で裁かれて死刑の判決を受け執行された7名は以下のとおりである。
東條英機 – 総理大臣(ハワイの軍港・真珠湾を不法攻撃)
板垣征四郎 – 陸相・満州国軍政部最高顧問・関東軍参謀長
木村兵太郎 – ビルマ方面軍司令官・陸軍次官
土肥原賢二 – 第12方面軍司令官(中国侵略の罪)
武藤章 – 第14方面軍参謀長
松井石根 – 中支那方面軍司令官(南京事件)
広田弘毅 – 唯一の文民(南京事件の残虐行為を止めなかった不作為の責任)
1978年に至って、靖国神社はこの7名に獄中死の下記7名を加えた14名を「昭和殉難者」として合祀した。この14名は、いずれも戦死者でも戦病死者でもない。死亡の理由は「法務死」とされている。広田弘毅に至っては軍人軍属でさえなく、軍への協力死でもない。
梅津美治郎
小磯国昭
白鳥敏夫
東郷茂徳
永野修身
平沼騏一郎
松岡洋右
当時の皇太子はその後40年を経て天皇となった。本日は、その地位に就任して29回目の天皇誕生日である。今日、A級戦犯の刑死はさしたる話題にならず、もっぱら明後年(2019年)の天皇の生前退位だけが話題である。GHQと極東委員会の思惑ははずれたことになるのだろうか。しかし、今日は昭和天皇の戦争責任を考えるとともに、国民精神を戦争に動員した天皇制の危険性について、思い語り合うべき日であろう。
その天皇(明仁)は昨日(12月22日)記者会見をした。自身の退位日が2019年4月末に決まったことに関して、「このたび、再来年4月末に期日が決定した私の譲位については、これまで多くの人々がおのおのの立場で考え、努力してきてくれたことを、心から感謝しています。残された日々、象徴としての務めを果たしながら、次の時代への継承に向けた準備を、関係する人々と共に行っていきたいと思います。」と話したという。
「私の譲位については、これまで多くの人々がおのおのの立場で考え、努力してきてくれたことを、心から感謝しています。」を翻訳すれば、「内閣も国会も、天皇への忖度ありがとう」「私が一言メッセージを発したら、皇室典範特例法を作って私の退位の希望を叶えてくれたことに感謝」ということだ。国政に関する権能を一切有しないはずの天皇の「実力」に触れた大いに問題ある発言。
さらにおおきな問題は、「象徴としての務め」だ。本来、「象徴」とは存在するだけのもの。「務め」も、「努め」も不要なのだ。天皇が自分で天皇のあり方を解釈し、ひとり歩きするようなことを憲法は想定していない。
国民意識の中に、次第に天皇の存在感が増しているのではないか。このことに、不気味さを禁じえない。
(2017年12月23日)
大相撲の不祥事はあとを絶たない。言うまでもなく、相撲界が刑法適用の圏外にあるはずはなく、傷害事件には処罰がなされるべきが当然のことだ。
だが彼らに求められる規範意識は、通常人のレベルまでのこと。暴力はいけない。暴言はよくない。賭博も万引きも犯罪だ。まあ、それで十分だろう。
大横綱とか名力士とか持ち上げられても、所詮は力自慢の肉体派若者集団の中での比較強者というだけのこと。乱暴者もいれば、酒癖の悪いのもいるだろう。過度に精神性や品格を強調して、相撲道や国技の自覚を求めるのは、気の毒でもあり滑稽でもある。とりわけ、モンゴルら外国人力士に、意味不明の「角道精神」や「日本精神」を押しつけるなどは、時代錯誤も甚だしく愚の骨頂だ。
貴乃花が池口恵観なる人物に送ったメールが話題になっている。私は、日馬富士の傷害事件には特段の関心はない。傷害にはしかるべき処罰がなされればよいだけのこと。だが、事件に関連して相撲協会のあり方を批判する、週刊朝日に掲載されたこの貴乃花メールの内容には心底驚いた。どうしてこんな人格が育ったのか、不気味でもあり、寒々しい思いに堪えない。
池口恵観とはどこかで聞いた名。朝鮮総連建物の競売事件で顔を出し、落札しようとしたあの正体不明の僧であったか。ウィキペディアなどを見ると、「鹿児島高野山最福寺住職で、安倍晋三など多くの政治家と親交があることから永田町の怪僧の異名がある」という。安倍晋三と親交があるといえば、加計孝太郎・籠池泰典・山口敬之の類であろう。確かに、それだけで十分に「怪しい僧」ではある。
以下その尋常ではないメールの抜粋である。こなれない文章と論理の展開、所々に意味の通らない単語。おそらく、代筆ではなく貴乃花自身の執筆なのだろう。それだけに、実に生々しい。
「“観るものを魅了する”大相撲の起源を取り戻すべくの現世への生まれ変わりの私の天命があると心得ており、毘沙門天(炎)を心にしたため己に克つをを実践しております
国家安泰を目指す角界でなくてはならず“角道の精華”陛下のお言葉をこの胸に国体を担う団体として組織の役割を明確にして参ります
角道の精華とは、入門してから半年間相撲教習所で学びますが力士学徒の教室の上に掲げられております陛下からの賜りしの訓です、力と美しさそれに素手と素足と己と闘う術を錬磨し国士として力人として陛下の御守護をいたすこと力士そこに天命ありと心得ております
角道、報道、日本を取り戻すことのみ私の大義であり大道であります勧進相撲の始まりは全国の神社仏閣を建立するために角界が寄与するために寄進の精神で始まったものです
陛下から命を授かり現在に至っておりますので“失われない未来”を創出し全国民の皆様及び観衆の皆様の本来の幸せを感動という繋ぐ心で思慮深く究明し心動かされる人の心を大切に真摯な姿勢を一貫してこの心の中に角道の精華として樹立させたいと思います」
「国家安泰」「国体を担う団体」「角道の精華」「陛下のお言葉」「陛下から賜りし訓」「国士として力人として陛下の御守護」「日本を取り戻す」「陛下から命を授かり」…って、この語彙の羅列はいったいなんなのだ。
とりわけ見過ごせないのは、「陛下のお言葉をこの胸に国体を担う団体として組織の役割を明確にして参ります」との一文。貴乃花にとっては、現在の相撲協会のあり方は、「陛下のお言葉」を体していない。「国体を担う団体」ともなっていない、というのだ。自分こそが天命を帯びて、「その組織の役割を明確にして参ります」と見当違いの使命感が語られている。
もとより思想は自由だが、その批判も自由。「国体」や「陛下」を振り回す「思想」にはうんざりだ。批判せざるを得ないし、天皇にも定めし迷惑なことになろう。こんなことが重なれば、相撲見物にも足を運びにくくなるだろう。
もう一つ見過ごせないのは、「日本を取り戻すことのみ私の大義であり大道であります」というくだり。「日本を取り戻す」は安倍晋三のスローガンだ。「日本」とは、いったいどんな日本で、取り戻すとは何のことか。具体的には何を言っているのか理解不能だが、安倍晋三自身にもよく分かっていないことだろう。注目すべきは、貴乃花が安倍晋三のキャッチフレーズを口まねしていることなのだ。
しかし、もしかしたら貴乃花は本気で「万世一系の天皇が統治す」る、「富国強兵」の大日本帝国を取り戻そうとしているのかも知れない。軍国主義が跋扈したあの天皇制権力の時代の軍国日本。時代錯誤の貴乃花の脳裏にある、角道の精華とは、陛下のお言葉を体し国士として陛下の御守護することにあるのだ。相撲協会は、そのような国体を担う団体であることを明確にしなければならない、と言っているようにも解せるのだ。
貴乃花メールには、日馬富士の貴の岩に対する傷害事件とは無関係な、相撲協会の理念をめぐるイデオロギー対立が根にあることを読みとれる。しかし、公益財団法人日本相撲協会が、貴乃花が唱導するような極右思想集団になってはならない。大相撲ファンは、そんな国技館に足を運びたくはない。そんな相撲に拍手は送らない。
(2017年12月20日)
なんとなく、ものを言いにくい雰囲気ができつつある。安保条約批判、自衛隊批判、天皇制批判が典型3テーマ。現天皇の生前退位希望による法改正批判などは、その最たるものだろう。批判の言論の萎縮は、ものを言いにくい雰囲気醸成の悪循環を招くことになる。いうべきことを自己抑制してはならないと思う。
特に気になるのは、共闘に支障が生じるからと共闘相手の主張に媚びた言論萎縮、世論に支持を得られないからと無用に世論に諂った形での言論萎縮。堂々と自説を述べるべきだろう。でないと、言論の重心がいよいよ右に傾いていくことになる。
これから、2019年の天皇代わりまで、天皇制の存続や代替わり儀式のあり方、元号、祝日、そして政教分離原則についての議論が続くことになる。一人ひとりが、主権者として自覚をもって発言しなければならない。天皇やその親族に畏れいってはならないのだ。一言の遠慮することは、一歩の後退を意味する。一歩の後退が、その分だけ自分を発言の抑制に追い込むことになる。
まずは繰りかえし、元号問題を語りたい。「日の丸・君が代」・祝日・叙勲・元号が、天皇制護持の小道具4点セットである。中でも、国民生活に最も浸透しているのが、元号であろう。一世一元となって以来、元号は天皇の代替わりと連動してきた。元号こそは、天皇制を国民に刷り込む手段として、最有効な働きを果たしている。
その元号について、日本学術会議が、「元号廃止 西暦採用について(申入)」の総会決議を採択したことがある。1950年5月6日付。衆参両院議長と内閣総理大臣に当てたもの。新憲法制定3年後のことである。
これが、民主主義国家として再生した、戦後日本の知性のあり方というべきだろう。その後に元号法の成立(1979年6月)をみて、その限りでの事情の変化はあるが、そのほかはまったく変わらない。
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衆議院議長
参議院議長
内閣総理大臣
日本学術会議会長 亀山直人
元号廃止 西暦採用について(申入)
本会議は,4月26日第6回総会において左記の決議をいたしました。
右お知らせいたします。
記
?日本学術会議は,学術上の立場から,元号を廃止し,西暦を採用することを適当と認め,これを決議する。
理 由
1. 科学と文化の立場から見て,元号は不合理であり,西暦を採用することが適当である。
年を算える方法は,もつとも簡単であり,明瞭であり,かつ世界共通であることが最善である。
これらの点で,西暦はもつとも優れているといえる。それは何年前または何年後ということが一目してわかる上に,現在世界の文明国のほとんど全部において使用されている。元号を用いているのは、たんに日本だけにすぎない。われわれば,元号を用いるために,日本の歴史上の事実でも,今から何年前であるかを容易に知ることができず,世界の歴史上の事実が日本の歴史上でいつ頃に当るのかをほとんど知ることができない。しかも元号はなんらの科学的意味がなく,天文,気象などは外国との連絡が緊密で,世界的な暦によらなくてはならない。したがって,能率の上からいっても,文化の交流の上からいっても,速かに西暦を採用することか適当である。
2. 法律上から見ても、元号を維持することは理由がない。
元号は,いままで皇室典範において規定され,法律上の根拠をもっていたが,終戦後における皇室典範の改正によって,右の規定が削除されたから,現在では法律上の根拠がない。もし現在の天皇がなくなれば,「昭和」の元号は自然に消滅し,その後はいかなる元号もなくなるであろう。今もなお元号が用いられているのは,全く事実上の堕性によるもので,法律上では理由のないことである。
3.新しい民主国家立場からいっても元号は適当といえない。
元号は天皇主権の1つのあらわれであり,天皇統治を端的にあらわしたものである。天皇が主権を有し,統治者であってはじめて,天皇とともに元号を設け,天皇のかわるごとに元号を改めるととは意味かあった。新憲法の下に,天皇主権から人民主権にかわり日本が新しく民主国家として発足した現在では,元号を維持することは意味がなく,民主国家の観念にもふさわしくない。
4.あるいは,西暦はキリスト教と関係があるとか,西暦に改めると今までの年がわからなくなるという反対論があるが,これはいずれも十分な理由のないものである。
西暦は起源においては,キリスト教と関係かあったにしても,現在では,これと関係なく用いられている。ソヴイエトや中国などが西暦を採用していることによっても,それは明白であろう。西暦に改めるとしても,本年までは昭和の元号により、来年から西暦を使用することにすれば,あたかも本年末に改元があったと同じであって,今までの年にはかわりがないから,それがわからなくなるということはない。
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蛇足だが、第1項は極めて分かり易く、説得力がある。学術振興の立場を前提とするする限り、反論は困難だろう。
第2項は、元号法制定によって事情が変わった。このことは、元号法制定の意図や法制定ない場合の保守派の危機感をあぶり出しているともいえるだろう。
第3項は、「新憲法の下に,天皇主権から人民主権にかわり日本が新しく民主国家として発足した現在では,元号を維持することは意味がなく,民主国家の観念にもふさわしくない」。この結論に私は大賛成だ。
第4項は、言わずもがなというところ。「アンチ西暦派」への反論だが、いま「アンチ西暦派」はほとんど絶滅している。今対決しているのは、「西暦派」対「西暦・元号併存派」なのだ。もっと正確に言えば、「元号廃止の是非」が問題となっている。
不便で不合理な元号使用の押しつけは、まっぴらご免だ。後期高齢者に近い年齢で、どうでもよいようなものだが、自分の年齢を計算することに元号では煩瑣で混乱を避けられない。
学術関係者だけでなく、ビジネスマンも同じ意見だろう。「西暦・元号の併存」によって、どれだけのビジネス効率の低下を招いていることか。私は、天皇制ナショナリズムよりも、学術会議的で資本主義的な科学的合理性に与する。
(2017年12月16日)
私にも、少数ながら顧問先というものがある。本日、その忘年会の席で元号問題が話題となった。元号の不便さを語り合ったあと、「年号の命名権はどうだろう」と奇想天外な発想を聞かされた。
提案は、値段は1兆円程度で、期間は4?5年ということだった。4?5年で年号を変えるのは短すぎるかも知れない。ならば、2兆円で期間10年ほどでは。買おうと名乗り出る、大金持ちや企業があるのではないか。複数希望者があれば、入札すればよい。国庫が潤うことになる。福祉予算が充実する。
その年号使用を民間に強制するわけにはいかないが、官庁や公的機関には義務づけることができる。なによりもNHKが律儀に使用するだろう。もしかしたら産経も。
もし、トヨタが名乗り出れば、「平成31年」が終わると「トヨタ元年」が始まることになる。トランプが金を出せば、「トランプ2年」。アラブの王族の場合はどうなるだろうか。
「明治以来は、一世一元。元号は天皇の代替わりと結びついている。天皇はどうする?」と投げると、「民主主義の世に相応しく、天皇も選挙で選べばよい」。なるほど。それなら、元号の存続期間と公選天皇の任期を一致させた方が分かり易いかも知れない。むしろ、元号の命名権と皇位をセットで売りに出してはどうだろう。資本主義時代の天皇と元号のあり方に相応しいではないか。
皆したたかだ。天皇の権威に、おそれいる空気はない。
ところで、元号は不便だ。西暦との二重表記は面倒きわまる。いずれ、西暦が元号を駆逐する。これを危機と感じる保守派が、元号法を作った。絶滅に瀕する前に、虚弱な元号を滅亡から救おうという感覚。
元号法が成立したのは1979年6月6日。当時は大騒ぎの対決法案だった。
同年4月20日が第87通常国会衆議院本会議での採決の日。この日、社会党・共産党が「元号法」に反対の議会演説をしている。気合いがはいっているし、格調も高い。そのさわりをご紹介しておこう。
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[山花貞夫] 日本社会党を代表して、ただいま議題となりました元号法案について反対の討論を行うものであります。
元号法制化は、天皇を元首化、神格化しようとする思想的潮流に法的な保障を与えようとするものであり、主権在民を掲げる現憲法に明白に違反するものであります。わが党は、これを断じて認めることができません。
政府は、元号法制化の根拠を象徴天皇制に求めました。しかしながら、現憲法における象徴天皇制は、明治憲法におげる天皇主権と、統治権の総攬者たる天皇を中心として構成されている国家の統治機構の全体を否定したところから誕生したものであります。天皇支配の国家体制を象徴した一世一元の元号制は、国民主権の原理を掲げる現憲法下で認められる余地はありません。
政府は、この元号法案の今国会における成立を至上命令としてきました。委員会における審議も日程の消化だけが推し進められ、議論が尽くされないまま採決に持ち込まれたのであります。国民の間で意見が大きく分かれている元号法制化問題が、一政党内の派閥の調整に利用されてはなりません。また、多党化時代における政党連携の手段とされてもならないのであります。
国民の多数は、元号法制化に反対しているのであります。
最近のマスコミの調査によれば、政府の主張とは全く逆の世論が明らかにされています。各新聞社の調査によると、元号法制化賛成はおよそ20%前後にすぎないのであります。この世論の動向に照らせば、全国の自治体における法制化決議の正体もまた明らかであると言わなければなりません。(拍手)
多数の力による世論の捏造は、民主主義の危機をもたらすものであります。
次に、元号法制化賛成論は、元号が1300年以上も続いた国民的文化遺産であることを強調いたしました。時の権力者が、人民と領土を支配するとともに、その時代をも支配する象徴としてみずから権力的に決定した元号の制度をもって文化的伝統とするがごとき議論は、文化の何たるかを知らない議論であると言うべきであります。(拍手)仮にこれを文化的伝統と言うならば、それは権力者のための文化であり、国民とは無縁であります。文化は、国民の生活の中から生まれるものであり、国民の日常生活の中から創造されるものであります。文化を法律によってつくり出そうとする議論のごときは笑止と言わざるを得ません。
改元は、国民生活に大きな影響、混乱、損害を与えるものであります。この元号問題についての国民的合意が形成されていないのはもちろん、これに関する議論もいまだ未成熟な中で、未来に生きる子供や孫たちに法的な拘束力をもって元号を押しつげることは許されません。それは、歴史に禍根を残すものであると言わざるを得ないのであります。〔拍手〕
しかも、元号法制化は、思想、表現の自由など、国民の基本的人権を侵すものであります。政府は、この法律を国民には強制しないと強調いたしました。しかしながら、国会答弁においては、公務員にそれを強制することを通じて、官公庁の窓口では事実上国民に強制することが明らかになったのであります。
かつて、内閣は、原田実参議院議員の質問主意書に対し、こう言っております。もし元号の使用を国民に強制しようとするのであれば法律を必要とすることは当然であるが、そうでなければ必ずしも法律によることを必要としないものと考えられる、こう答えていたのであります。すなわち、元号の法制化は強制を伴うものであることを政府みずから認めていたのであります。
また、政府は、元号法制化はイデオロギーとは関係ないと繰り返し述べてきましたけれども、事の真相を押し隠そうとするものであると言わざるを得ません。元号法制化のねらいは、国民思想を天皇制のもとに統合しようとするところにあります。それは、君が代、日の丸、靖国、教育勅語、軍人勅諭などと深いかかわりを持って天皇制賛美の思想的渦流の中心にあるものなのであります。天皇主権の復活を目指す一部勢力の要求にこたえたものであります。
国民は、過日の防衛大学校の卒業式において、元号法制化実現国民会議議長石田和外元最高裁判所長官が軍人勅諭を賛美した事件…に不安を感じています。
わが党は、以上の立場から、大平内閣に対し元号法案の撤回を強く要求し、かかる反動的、反憲法的な法案を強行せんとする大平内閲の政治姿勢を強く糾弾するものであります。(拍手)
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[柴田睦夫]私は、日本共産党・革新共同を代表して、元号法案に断固反対するものであります。(拍手)
反対理由のまず第一は、本法案が、現憲法の主権在民原則に逆行するということであります。元号制度が中国でつくり出され、その後、わが国を含む東アジア諸国を中心にして使用された君主体制に固有の政治制度であり、明治になって一世一元が制度化されて以降のわが国の元号制度、が、天皇主権、天皇の統治権と不可分の政治制度であることは、政府みずからが委員会審議で認めたところであります。
戦後、主権在民の現憲法施行と同時に、一世一元の元号制度の法的根拠が失われ、元号制度がなくなったのはきわめて当然であります。元号制度が現憲法の主権在民原則に逆行することは、新しい皇室典範から元号制定の項が削除されたことや、1946年の元号法制化の企てが、準備中の現憲法の精神に逆行するものとして断念された経過などによっても全く明白であります。
天皇の在位期間に応じて年号を変える一世一元の元号を制度として復活させ、恒久的に固定化することは、現憲法の主権在民原則に逆行する、まさに時代錯誤の非文化的愚行と断ぜざるを得ないのであります。(拍手)
第二は、本法案が、天皇元首化、憲法改悪を目指す法制化推進派の反動的な企てと不可分であり、軍事ファシズムの路線に立った重大な政治・思想反動の一環をなすものであるということであります。
本法案は、まさに、戦時立法、君が代国歌化、教育勅語や軍人勅諭の礼賛、靖国神社問題などとともに、対米従属下の軍国主義復活の路線に立った重大な政治・思想反動の一環をなすものであり、断じて認めることができないのであります。(拍手)
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便利・不便もさることながら、元号問題は天皇制問題にほかならない。元号の存続は天皇制の存続でもあり、象徴天皇制の変質の問題として捉えられていたのだ。
あらためて、元号使用を社会から廃絶たいものと思う。
(2017年12月14日)
本日は12月8日、実に感慨の深い日だ。ボクは、この日になると自ずと背筋が伸びる。高揚した気持ちになる。本当は12月8日をこそ国民の祝日にすべきなんだ。12月8日だけでなく、柳条湖事件の9月18日や、盧溝橋事件の7月7日もね。南京陥落の12月13日もいい。8月15日や6月23日、3月10日などはいけない。もちろん、8月6日、9日の両日も。
76年前の今日、日本は世界の大国である米・英両国に宣戦布告をした。なんてったって、世界を相手に戦争をするほどの日本人の気概を示した日なんだ。もっとも、日曜日を狙ったパールハーバー奇襲の方が宣戦布告よりは早かったけどね。
それだけじゃない。今日はNHKが「大本営発表」を始めた日でもある。
昔はよかった。元気に戦争だってできたし、放送の統制だってなんなくできた。天皇陛下の思し召しというだけで、大概のことはできた。本当に天皇って便利だったんだ。「戦争には反対」だの、「放送は真実を伝えなければならない」などとツベコベうるさいのは、「天子様に弓を引く国賊め」としょっぴくことができた。政権運営に便利この上なく大切な天皇制。これこそ、魔法の杖だよね。これはいつまでも大切にしなければいけない。
ボクは、毎年12月8日になると「米英両国ニ対スル宣戦ノ詔書」を読むんだ。例の大詔渙発というやつ。天皇陛下が臣民に下したありがたいミコトノリ。原文はカタカナ書きで読みにくいし、漢字が難しい。国会で官僚の作った原稿を「でんでん」と読んだボクの国語能力ではよく理解できないけど、雰囲気は分かる。国民にも敵国にも上から目線で、大威張りの態度。そして、戦争に踏み切ったら、国民の拍手喝采だったというじゃないの。なによりも、そこがうらやましい。
今の憲法は平和主義だ。だから、戦争をやるっていえば猛反対を受ける。だから、ボクはこそこそと少しずつ、戦争のできる国にするために小さなレンガを積んで努力しているんだ。前の憲法の時代はよかった。東条英樹閣下がうらやましい。陛下を使えば、簡単に戦争ができたんだもの。ボクもその時代に総理をやりたかった。それが無理だから、憲法9条を骨抜きにしたいんだ。そのための「アベ9条改憲」のスケジュールを組んだんだ。
「宣戦ノ詔書」の一部をひらがな書きにすると次のようなもの。正確には分からないけど、だいたいのところは分かる。
「朕、茲(ここ)に米国及び英国に対して戦を宣す。朕が陸海将兵は、全力を奮って交戦に従事し、朕が百僚有司は、励精職務を奉行し、朕が衆庶は、各々其の本分を尽し、億兆一心にして国家の総力を挙げて、征戦の目的を達成するに遺算(いさん)なからんことを期せよ。(以下略)」
こんなことも書いてある。
「米英両国は、残存政権を支援して、東亜の禍乱を助長し、平和の美名に匿(かく)れて、東洋制覇(とうようせいは)の非望(ひぼう)を逞(たくまし)うせんとす。剰(あまつさ)え与国(よこく)を誘(さそ)い、帝国の周辺に於(おい)て、武備(ぶび)を増強して我に挑戦し、更に帝国の平和的通商に有(あ)らゆる妨害(ぼうがい)を与へ、遂に経済断交を敢(あえ)てし、帝国の生存(せいぞん)に重大なる脅威を加う。」
これって、今の北朝鮮の言っていることとまったく同じ。
「朕は、政府をして事態を平和の裡(うち)に回復せしめんとし、隠忍久しきに弥(わた)りたるも、彼は毫も交譲(こうじょう)の精神なく、徒(いたづら)に時局の解決を遷延せしめて、此の間、却(かえ)って益々(ますます)経済上、軍事上の脅威(きょうい)を増大し、以って我を屈従せしめんとす。」
我が国は平和を望んで我慢に我慢を重ねたが、邪悪な敵は少しも譲ろうとしない。だから日本は、今や自存自衛の為、決然と戦争に決起する以外に道はなくなった。ここだよ、感動するのは。「自存自衛の為の決然たる決起」だ。
同じ日に、私が尊敬する東条首相もこう言っておられる。
「只今宣戦の御詔勅が渙発せられました。…東亜全局の平和は、これを念願する帝国のあらゆる努力にも拘らず、遂に決裂の已むなきに至ったのであります。
事茲(ここ)に至りましては、帝国は現下の危機を打開し、自存自衛を全うする為、断乎として立ち上るの已むなきに至ったのであります。今宣戦の大詔を拝しまして恐懼(きょうく)感激に堪へず、私不肖なりと雖(いえど)も一身を捧げて決死報国、唯々(ただただ)宸襟(しんきん)を安んじ奉らんと念願するのみであります。国民諸君も亦(また)、己が身を顧みず、醜の御楯(しこのみたて)たるの光栄を同じくせらるるものと信ずるものであります。およそ勝利の要訣は、「必勝の信念」を堅持することであります。建国二千六百年、我等は、未だ嘗つて戦いに敗れたるを知りません。この史績の回顧こそ、如何なる強敵をも破砕するの確信を生ずるものであります。我等は光輝ある祖国の歴史を、断じて、汚さざると共に、更に栄ある帝国の明日を建設せむことを固く誓うものであります。顧みれば、我等は今日迄隠忍と自重との最大限を重ねたのでありますが、断じて安きを求めたものでなく、又敵の強大を惧れたものでもありません。只管(ひたすら)、世界平和の維持と、人類の惨禍の防止とを顧念したるにほかなりません。しかも、敵の挑戦を受け祖国の生存と権威とが危きに及びましては、蹶然(けつぜん)起(た)たざるを得ないのであります。」
なんと、胸おどる言葉ではないか。名演説だ。ボクもこう語ってみたい。
「76年前も今も、日本になんの変わりはありません。私たちは正義の旗を掲げています。東洋平和であり、隠忍自重です。にもかかわらず、邪悪な敵が我が国の誠意に応じないときには、蹶然起たざるを得ないのであります。」
ところで、アベ政権は、戦闘機から遠隔地の目標物を攻撃できる複数の「長距離巡航ミサイル」の導入検討を決めた。自衛隊が導入を検討する長距離巡航ミサイルは「JASSM(ジャズム)―ER(イーアール)」、「LRASM(ロラズム)」、「JSM(ジェイエスエム)」。航空自衛隊の主力機F15や最新鋭ステルス機F35に搭載することなどを想定している。
結局のところ、「自存自衛」とは敵の基地を奇襲することさ。パールハーバーを叩いたときのように。今も事情は変わらない。先制的に敵の基地を叩かなければ、こちらがやられちゃうじゃないか。12月8日だ、じっくりと「自存自衛」の戦略を練ろう。今度こそは、絶対に負けないようにしなくては。
その第一歩が、「9条改憲」だ。
(2017年12月8日)
気の置けない同年配(70代)の弁護士数名との歓談の機会があり、話題が天皇のことになった。誰もが、天皇制を歓迎はしていないが、温度差がある。
A 敗戦後の天皇の人間宣言は、当時の人々にどう受け止められたのだろうか。人間宣言後も「天皇の神聖は揺るがず」と思われていたのではないだろうか。
B 天皇の神格化は、戦前の政府がでっちあげた人民統治のための演出に過ぎない。敗戦によって、こんな信仰を維持することができなくなったから、神格放棄を宣言したというだけの話だろう。
C 神風は吹かなかった。誰の目にも神州不滅はウソと分かった。敗戦によって、天皇の化けの皮が剥がれた結果の人間宣言だろう。
A とは言うけれど、戦後も多くの人が天皇制を支持し、天皇に好意を寄せたのはどうしてだろうか。
B 戦後の国民の多くが天皇に好意を寄せていたというのは本当だろうか。天皇に対する深い幻滅から天皇に対する嫌悪感も強かったのではないのか。
C それでも、戦後における天皇の全国各地訪問には大勢の人が集まった。物見高さもあったろうが、刷り込まれた感情じゃないのか。戦前の永きにわたって刷り込まれてきた天皇に対する敬意の国民感情は、軽々に払拭できないということだと思う。
A だから、天皇の戦争責任を厳しく問う国民世論は生まれてこなかったというわけか。
C 昭和天皇が戦争責任を負うべきは当然だ。彼は、戦争遂行のすべてについて報告を受け是認してきた。310万の日本人の死と、2000万人の被侵略地人民の死に責任を持たなければならない。
D 「戦争遂行のすべてについて報告を受け是認してきた」というものの見方は、形式的にはそうかも知れない。しかし、実質的には彼に歴史の流れを変えうる力があったとは思えない。戦争責任は飽くまで軍部にあって、昭和天皇の罪は副次的なものではないか。
E 天皇の例の記者会見での発言にショックを受けた。戦争責任問題を問われて「そういう言葉のアヤについては、よく分からない」と述べ、原爆投下について「やむをえない」という発言。あれには、右翼も幻滅したのではないか。
B 戦後の天皇がやってきたことが最近の資料発掘で明るみに出ている。昭和天皇が反省していたなどとはとうてい考えられない。
A 昭和天皇裕仁の責任は重いとしても、現在の天皇明仁についてはどうだろうか。 明仁については、直接の戦争責任の問題がない。むしろ、憲法擁護の姿勢において、安倍晋三よりもずっとマシだという評価が定着しつつあるように思えるが。
C それは危ない考え方だ。国民に好感を持たれる天皇ほど、実は国民主権の危機となる危険な天皇と考えなければならないと思う。
A 結局、天皇制とは必要なものだろうか。なくしてしまうべきものだろうか。
B 天皇制は国民主権思想と矛盾する。人間の平等にも反する。当然に廃止すべきだと思う。
E なにも性急になくす必要もないのではないか。近い将来、国民の総意によって廃止する日が来るだろう。それまでは、社会の安定のためにあってよいと思う。
C 私は反対だ。天皇とは権威だ。単に、権力に利用される恐れとして危険というだけではなく、社会にこのような権威が存在すること自体が危険なのだ。天皇の存在が、権威尊重の風潮や国民意識の根源となっている。企業や、役所や、地域や、民主団体や、あらゆる部分社会の権威主義を払拭するには、天皇という存在をなくすることか効果的だと思う。
A ところで、日の丸や君が代についてはどう思う?
D 日の丸・君が代ともに、国民の圧倒的支持がある。これを尊重すべきは社会通念としてやむをえないのではないか。
C 「日の丸・君が代」はともに天皇賛美だ。特に君が代の歌詞は馬鹿げている。また、兵士や戦争体験者の憎悪、嫌悪の念が強い。けっして、国民の圧倒的支持があるとは言えないと思う。
B 問題は、価値の多様性を認めるかどうかだ。強制は間違っているということが、多数派ではないだろうか。
A で、生前退位には賛成? 反対?
E 天皇にも人権があるだろう。高齢で公務の負担が大きいとなれば、生前退位は結構ではないか。
B 公務は皇太子が代理できるし、摂政をおいてもよい。生前退位を認める必要はさっぱり分からない。
C 生前退位問題は、天皇制イデオロギー再生産の材料として使われているという印象がある。天皇の「公的行為」や「象徴的行為」という形で、天皇の存在感が拡大することを警戒しなくてはならない。
(2017年12月7日)