学術会議の「元号廃止 西暦採用について(申入)」決議の紹介
なんとなく、ものを言いにくい雰囲気ができつつある。安保条約批判、自衛隊批判、天皇制批判が典型3テーマ。現天皇の生前退位希望による法改正批判などは、その最たるものだろう。批判の言論の萎縮は、ものを言いにくい雰囲気醸成の悪循環を招くことになる。いうべきことを自己抑制してはならないと思う。
特に気になるのは、共闘に支障が生じるからと共闘相手の主張に媚びた言論萎縮、世論に支持を得られないからと無用に世論に諂った形での言論萎縮。堂々と自説を述べるべきだろう。でないと、言論の重心がいよいよ右に傾いていくことになる。
これから、2019年の天皇代わりまで、天皇制の存続や代替わり儀式のあり方、元号、祝日、そして政教分離原則についての議論が続くことになる。一人ひとりが、主権者として自覚をもって発言しなければならない。天皇やその親族に畏れいってはならないのだ。一言の遠慮することは、一歩の後退を意味する。一歩の後退が、その分だけ自分を発言の抑制に追い込むことになる。
まずは繰りかえし、元号問題を語りたい。「日の丸・君が代」・祝日・叙勲・元号が、天皇制護持の小道具4点セットである。中でも、国民生活に最も浸透しているのが、元号であろう。一世一元となって以来、元号は天皇の代替わりと連動してきた。元号こそは、天皇制を国民に刷り込む手段として、最有効な働きを果たしている。
その元号について、日本学術会議が、「元号廃止 西暦採用について(申入)」の総会決議を採択したことがある。1950年5月6日付。衆参両院議長と内閣総理大臣に当てたもの。新憲法制定3年後のことである。
これが、民主主義国家として再生した、戦後日本の知性のあり方というべきだろう。その後に元号法の成立(1979年6月)をみて、その限りでの事情の変化はあるが、そのほかはまったく変わらない。
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衆議院議長
参議院議長
内閣総理大臣
日本学術会議会長 亀山直人
元号廃止 西暦採用について(申入)
本会議は,4月26日第6回総会において左記の決議をいたしました。
右お知らせいたします。
記
?日本学術会議は,学術上の立場から,元号を廃止し,西暦を採用することを適当と認め,これを決議する。
理 由
1. 科学と文化の立場から見て,元号は不合理であり,西暦を採用することが適当である。
年を算える方法は,もつとも簡単であり,明瞭であり,かつ世界共通であることが最善である。
これらの点で,西暦はもつとも優れているといえる。それは何年前または何年後ということが一目してわかる上に,現在世界の文明国のほとんど全部において使用されている。元号を用いているのは、たんに日本だけにすぎない。われわれば,元号を用いるために,日本の歴史上の事実でも,今から何年前であるかを容易に知ることができず,世界の歴史上の事実が日本の歴史上でいつ頃に当るのかをほとんど知ることができない。しかも元号はなんらの科学的意味がなく,天文,気象などは外国との連絡が緊密で,世界的な暦によらなくてはならない。したがって,能率の上からいっても,文化の交流の上からいっても,速かに西暦を採用することか適当である。
2. 法律上から見ても、元号を維持することは理由がない。
元号は,いままで皇室典範において規定され,法律上の根拠をもっていたが,終戦後における皇室典範の改正によって,右の規定が削除されたから,現在では法律上の根拠がない。もし現在の天皇がなくなれば,「昭和」の元号は自然に消滅し,その後はいかなる元号もなくなるであろう。今もなお元号が用いられているのは,全く事実上の堕性によるもので,法律上では理由のないことである。
3.新しい民主国家立場からいっても元号は適当といえない。
元号は天皇主権の1つのあらわれであり,天皇統治を端的にあらわしたものである。天皇が主権を有し,統治者であってはじめて,天皇とともに元号を設け,天皇のかわるごとに元号を改めるととは意味かあった。新憲法の下に,天皇主権から人民主権にかわり日本が新しく民主国家として発足した現在では,元号を維持することは意味がなく,民主国家の観念にもふさわしくない。
4.あるいは,西暦はキリスト教と関係があるとか,西暦に改めると今までの年がわからなくなるという反対論があるが,これはいずれも十分な理由のないものである。
西暦は起源においては,キリスト教と関係かあったにしても,現在では,これと関係なく用いられている。ソヴイエトや中国などが西暦を採用していることによっても,それは明白であろう。西暦に改めるとしても,本年までは昭和の元号により、来年から西暦を使用することにすれば,あたかも本年末に改元があったと同じであって,今までの年にはかわりがないから,それがわからなくなるということはない。
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蛇足だが、第1項は極めて分かり易く、説得力がある。学術振興の立場を前提とするする限り、反論は困難だろう。
第2項は、元号法制定によって事情が変わった。このことは、元号法制定の意図や法制定ない場合の保守派の危機感をあぶり出しているともいえるだろう。
第3項は、「新憲法の下に,天皇主権から人民主権にかわり日本が新しく民主国家として発足した現在では,元号を維持することは意味がなく,民主国家の観念にもふさわしくない」。この結論に私は大賛成だ。
第4項は、言わずもがなというところ。「アンチ西暦派」への反論だが、いま「アンチ西暦派」はほとんど絶滅している。今対決しているのは、「西暦派」対「西暦・元号併存派」なのだ。もっと正確に言えば、「元号廃止の是非」が問題となっている。
不便で不合理な元号使用の押しつけは、まっぴらご免だ。後期高齢者に近い年齢で、どうでもよいようなものだが、自分の年齢を計算することに元号では煩瑣で混乱を避けられない。
学術関係者だけでなく、ビジネスマンも同じ意見だろう。「西暦・元号の併存」によって、どれだけのビジネス効率の低下を招いていることか。私は、天皇制ナショナリズムよりも、学術会議的で資本主義的な科学的合理性に与する。
(2017年12月16日)