毎日新聞に、評論家若松栄輔の連続対談企画がある。「理想のかたち」という標題。
その第11回がゲストとして作家吉村萬壱を招いて「先進国でのテロ事件」を論じている。一昨日(2月27日)の朝刊。
リードは、「きれいごとでは済まない人間の姿を描いてきた吉村さん。昨年11月のパリのテロ事件を受けて、時代に抗する言葉はどう生まれるか、単なる反戦ではない「非戦」の意義などを話し合った」というもの。これなら読みたくなる。
吉村は、「『きれいな言葉』ってありますやんか。「愛」とか「平和」とか「祖国」とか。こういう言葉が流布するときは危ない。僕はきれいな言葉が、どうも好きになれない。小説ではそれを骨抜きにする作業をしています。」という。
これに、特に文句を言う筋合いはない。
若松「大事にしたいのは、反戦と非戦の違いです。目の前の戦争に反対して、その戦争を止めるまでが反戦。非戦は、戦うこと自体を徹底してなくそうと考える。反○○で解決はない。こちらが善で、こちらが悪の……。」
吉村「二項対立では解けない。犯罪者がなぜ犯罪を犯すのか。理由をさかのぼれば無限に遡行できる。刑法はそこに線を引いて直接の個人に罪を負わす。」
若松「限りなく不可能でも、敵を悪ではないと見なすところからしか平和は生まれないでしょう。」
ここまでは、結構。若松の『敵を悪ではないと見なすところからしか平和は生まれない』には共感する。ところが、次がおかしい。
吉村「インターネットでは、ISや中国や原発や安倍晋三首相や橋下徹氏……を『悪』と断罪して自分を善だと錯覚したい人ばかり目立ちます。でも、『自分は正しい』と思っている人が、自分は『悪人』だと自覚している人よりも善人だとは必ずしも言えない。」
なんだ。そりゃ。いったい。
吉村萬壱は「原発や安倍晋三首相や橋下徹氏……を『悪』と断罪して自分を善だと錯覚したい人ばかりが目立つ」ことを嘆いているのだ。これが、「敵を悪ではないと見なすところからしか平和は生まれない」の文脈と同義として語られるから混乱せざるを得ない。
これが、「時代に抗する言葉」だというのか。二項対立では解けない問題提起だというのか。これが、時代に切り込む姿勢だというのか。それが文学だともてはやされるなら、私たちの社会の前途は暗い。
もっとも、この手の発言は、昔から掃いて捨てるほどある。リベラルな発言をしておいて、そのあとに「私はけっして反体制ではありません」「危険思想をもってはいませんよ」と毒消しの発言をしておくあの手だ。「だから安心して私を使ってください」というアピールにしか聞こえない。二項対立の一方に立つ姿勢を示すなんぞ、ダサイ。愚か。いや損ではないかという態度。そういう手合いの一群。立派な日和見主義ぶりではないか。保身は、よぼよぼの老人になってからでも遅くない。
原発も安倍晋三も橋下徹をも「悪と決めつけてはならない」とは、この世のすべてを相対化すること。理想を揶揄し、権力に対する批判を嘲笑し、よりよい社会を作ろうと努力する人たちへの、冷ややかな醒めた視線。
毎日新聞も、貴重な紙面を割いてつまらない対談記事を載せたものだ。
もっともっと、熱くなって原発批判をしよう。安倍晋三批判もやろう。橋下徹批判も徹底しよう。そのエネルギーでしか、社会や歴史を変えることができない。
(2016年2月29日)
「法と民主主義」1月号をご紹介する。時宜に適ったタイムリーな企画となっている。「理論と運動を架橋する法律誌」の名に恥じないと思う。編集委員の一人として、多くの人にお読みいただきたいと思う。
目次は以下のとおり。
特集★戦争法廃止に向けて──課題と展望
◆特集にあたって………編集委員会・丸山重威
◆戦争法は廃止しなければならない──日本社会の岐路と新たな選択………広渡清吾
◆「国際平和協力」を理由とした武力行使への突破口………三輪隆
◆「戦争法」は世界と紛争地における日本の役割をどう変容させるのか──国際人権・国際協力NGOは戦争加担に反対する………伊藤和子
◆「落選運動」の意味と展望………上脇博之
◆戦争法廃止運動と自衛隊裁判の位置付け──砂川・恵庭・長沼・百里・イラクの経験をふまえて………内藤功
◆「戦争法」違憲訴訟の目標と課題………伊藤真
◆戦争法反対にむけたロースクールでの運動………本間耕三
◆国会周辺の抗議活動に関する「官邸前見守り弁護団」の活動………神原元
・司法をめぐる動き・人権救済の使命を回避した司法──「夫婦同姓の民法規定を合憲」とした最高裁大法廷判決………折井純
・司法をめぐる動き・12月の動き………司法制度委員会
・トピックス☆日本軍「慰安婦」問題に関する日韓外相会談の合意について………川上詩朗
・メディアウオッチ2016☆新年のニュース 参院選の焦点に「改憲」「ニュース操作」に警戒感を………丸山重威
・あなたとランチを〈№15〉 ………ランチメイト・長谷川弥生先生×佐藤むつみ
・連続企画☆憲法9条実現のために〈3〉フランスにおける人権と社会統合………村田尚紀
・時評☆国民対話カルテットのノーベル平和賞受賞…………鈴木亜英
・ひろば☆2016年 安倍政権による改憲策動を打ち砕く年に………澤藤統一郎
下記のURLで、丸山重威さんの「特集にあたって」、鈴木亜英さん(弁護士・国民救援会会長)の時評「国民対話カルテットのノーベル平和賞受賞」、そして私の「ひろば」の記事が読める。その余の記事は購読していただけたらありがたい。
http://www.jdla.jp/houmin/index.html
広渡清吾さんの巻頭論文に続く、著名執筆者の特集記事は読み応え十分。
以下は、敢えて特集ではない論文「フランスにおける人権と社会統合」(村田尚紀関西大学教授・憲法)をご紹介したい。目からウロコのインパクトなのだ。
シャルリーエブド事件やパリ同時多発テロなど、フランス社会が話題となっている。イスラム社会との軋轢の厳しさにおいてである。多くの日本人の印象としては、「先進的な自由主義社会が蒙昧な勢力から攻撃を受け防衛せざるを得ない立場にある」というくらいのものではないだろうか。しかし、フランスの法制や社会事情をよくしらないことが理解を妨げている。とりわけ、イスラム社会との接触におけるキーワードになっているフランス特有の「ライシテ」という概念が呑みこめない。フランス流政教分離がどうして、イスラムとの軋轢を生じることになるのか。こんな疑問を村田論文が氷解してくれる。
村田論文の教えるところは、「フランスにおけるきわめて深刻なムスリムの人権状況」である。「今日のフランスの移民問題は、移民=ムスリムが引き起こす社会統合の機能不全ではなく、イスラモフォビー(イスラム嫌い・対イスラム偏見)というイデオロギーが作り出す人種差別である」という。問題はけっしてライシテにあるのではない。そして、イスラモフォビーはパワーエリートとメディアによって意識的に捏造され拡散されたイデオロギー(虚偽意識)だという。
その例証として、公共空間からのムスリム排除を象徴する二つの法律が詳しく語られる。私はこの二つの法律の区別を知らなかった。ニュースでは接していたが、ほとんど何も分からなかった。
二つの法律の前段階の時代がある。1989年にパリ郊外クレイユのコレージュ(中学校)校長が授業中にスカーフをはずすことを拒否した3人のムスリム女子学生に対して教室への入室を禁じるという事件が起きた。
このイスラム=スカーフ事件は、メディアによって大きく報道され、国論を二分する論争に発展した。憲法上の中心的な争点は、「スカーフを着用して登校することが信教の自由によって保障される」のか、それとも「ライシテ(政教分離)原則に反して許されないのか」というものであった。
国民教育相から諮問を受けたコンセイユ=デタ(最高行政裁判所)は、1989年11月27日答申において、「ライシテ原則は、必然的にあらゆる信条の尊重を意味する」と述べて、宗教に対するいかなる優遇も拒否しつつ他者を害しないかぎり宗教的信条の表明を許す白由主義的ないわば「寛容なライシテ」の立場をとることを明らかにした。その後のコンセイユ=デタの判決は、このような立場を堅持し、学校内における宗教的シンボルの着用の制限を慎重に判断した。たとえば、1996年のある判決は、学校が、スカーフ着用を性質上ライシテ原則と両立しないとして、スカーフをはずさなければ授業に出席することを許さないとした処分を違法とした。
この「寛容なライシテ」の立場が見直された。「2004年3月15日ヴェール法」である。リヨン郊外のリセにおいて、ムスリムの女子学生がバンダナをはずすことを拒否して、教師が抗議行動を起こしたことがきっかけだという。
この法は、正式には「ライシテの原則を適用して、公立の学校およびコレージュおよびリセにおいて宗教的帰属を明らかにする徴表または衣服を着用することを規制する法律」という名称で、ライシテ原則を根拠に「これみよがしな宗教的シンボルや衣服の着用」を禁止する教育法典条項を創設するものであった。
この法の通達は、呼称の如何を問わずイスラムのヴェールや明らかに大きすぎる十字架を許されない例として明示している。これはイスラム=スカーフが「これみよがし」に該当しないとしたコンセイユ=デタの判例を覆すものであった。
著者はこの法を次のように評している。この評は示唆に富むものと思う。
「教会と国家の分離に関する1905年12月9日法によって確立するライシテ原則は、『社会の宗教的多様性』を可能とし、公序を侵害しないかぎり『さまざまな宗教的傾向が公共空間に共存する可能性』を保障する自由主義的な原則である。2004年ヴェール法は、この寛容なライシテを排除して、宗教も文化的独自性も特別扱いしない共通価値を学校が継承することを前面に押し出すいわば『戦闘的ライシテ』を採り、さらにライシテを公立学校という公共空間を支配する原則とすることによって、国家を拘束する原則からその場にいる私人をも拘束する原則に転換したのである。」
問題はさらに深刻になった。通称「ブルカ禁止法」によってである。
強硬な移民排斥路線を打ち出したサルコジ大統領の政権下で成立したこの法律の正式名称は、「公共空間において顔を隠すことを禁止する2010年10月11日法律」という。これは、宗教的シンボルの着用を禁じるものではなく、もはやライシテ原則に拠るものではない。イスラモフォビーに発した、公共の安全のための治安政策なのだ。
筆者はこう批判している。
「そもそも奇妙なことに、2010年10月11日法には目的規定がない。1789年人権宣言5条は、『法律は、社会に害をなす行為にかぎりこれを禁止することができる』と定める。公共空間で顔を隠すことがライシテ原則を侵害するとはいえないとすると、何を侵害するのか? 同法に賛成した多数派の主流は、公共の安全を害すると同時に社会生活上の最小限の義務に反するという驚くべき主張をした。社会生活上の最小限の義務とは、人前では顔を見せるものだというフランス共和国のマナーなるもののことである。2010年10月11日法によってフランスの公共空間は道徳化するのであるが、現実にこの道徳によって公共空間から排除されるのは、ブルカやニカブを着用するムスリムの女性である。実質的に一部のムスリム女性だけが同法のターゲットになっているといえるのである。それゆえ、この法律をブルカ禁止法と呼ぶことには充分理由がある。」
筆者は結語として次のように言う。
フランス共和国の標語は《自由、平等、友愛》である。しかし、このうちの「友愛」は相次ぐテロ対策によって「安全」に取って代られてきている。それとともに、以上のようなイスラモフォビーの法的表現というべき立法によって、「自由」・「平等」も変質しつつある。フランス共和国は、いわば戦う原理主義的な共和国と化している。
フランスの現実はなんとも暗く重い。この論文は、「憲法9条実現のために」とするシリーズとして執筆されたものである。格差・差別や貧困が、憎悪と対立を生んで、平和や安全を脅かす。格差と貧困を解消し、差別のない寛容な社会こそが平和をつくり出す。まことに示唆的で教えられるところが多い。
(2016年2月3日)
私は怒りに震えている。北朝鮮が4度目の核実験をしたという、その報せにである。原爆・水爆・放射能・被曝などという言葉は、私にとって生理的に受け容れがたいもの。
少し気持ちを落ち着けて、北朝鮮政府の声明文を読んでみた。
やや長文だが、以下のくだりに留意せざるを得ない。対決すべき思考の構造が見えている。
「わが共和国が行った水爆実験は、米国をはじめとする敵対勢力の日を追って増大する核脅威と恐喝から国の自主権と民族の生存権を徹底的に守り、朝鮮半島の平和と地域の安全を頼もしく保証するための自衛的措置である。
思想と制度が異なり、自分らの侵略野望に屈従しないとして千秋に許せない前代未聞の政治的孤立と経済的封鎖、軍事的圧迫を加えたあげく、核惨禍まで浴びせようと狂奔する残虐な白昼強盗の群れがまさに、米国である。
米帝侵略軍の原子力空母打撃集団と核戦略飛行隊を含むすべての核打撃手段が絶え間なく投入されている朝鮮半島とその周辺は、世界最大のホットスポット、核戦争の発火点になっている。
米国は、敵対勢力を糾合して各種の対朝鮮経済制裁と謀略的な「人権」騒動に執着してわれわれの強盛国家の建設と人民の生活向上を阻み、「体制崩壊」を実現しようとやっきになって狂奔している。
膨大な各種の核殺人兵器でわが共和国を虎視眈々と狙っている侵略の元凶である米国と立ち向かっているわが共和国が正義の水爆を保有したのは、主権国家の合法的な自衛的権利であり、誰もけなせない正々堂々たる措置となる。
真の平和と安全は、いかなる屈辱的な請託や妥協的な会談のテーブルで成し遂げられない。こんにちの厳しい現実は、自分の運命はもっぱら自力で守らなければならないという鉄の真理を再度明白に実証している。恐ろしく襲いかかるオオカミの群れの前で猟銃を手放すことほど、愚かな行動はないであろう。
朝鮮民主主義人民共和国は米国の凶悪な核戦争の企図を粉砕し、朝鮮半島の平和と地域の安全を保障するために努力の限りを尽くしている真の平和愛護国家である。
わが共和国は、責任ある核保有国として侵略的な敵対勢力がわれわれの自主権を侵害しない限り、すでに闡明した通りに先に核兵器を使用しないであろうし、いかなる場合にも関連手段と技術を移転することはないであろう。
米国の極悪非道な対朝鮮敵視政策が根絶されない限り、われわれの核開発の中断や核放棄はどんなことがあっても絶対にあり得ない。」(朝鮮中央通信配信記事からの抜粋)
つまりは、水爆を保有することが「自国と国民の平和と安全を邪悪な敵から防衛するための正義の自衛的措置」だというのだ。その前提として、「自国こそが平和愛好国家であり、他は虎視眈々と自国を脅かす凶悪な敵」との断定がある。抑止論者にこれを嗤う資格はない。北朝鮮こそは、抑止有効の論理が自国の軍事力の際限の無い拡大要求に帰結する見本ではないか。
「我が国に対する中国や北朝鮮の脅威が根絶されない限り、日本の自衛力の質的・量的な拡大を中断することはあり得ない。日米軍事同盟の強化を継続し続ける以外の方策はない。」これが、安倍政権の危険なホンネではないか。
さらに、「日本の平和と安全を確保するための軍事的抑止力は、可及的に質的・量的に強力であることが望ましい。通常兵器を有するだけでなく、核兵器を持つことがより我が国の安全を高める。また、現実に敵の侵略が生じてからの自衛の措置では遅きに失することが明らかなのだから、先制的な自衛の措置が執れるだけの攻撃力を完備する必要がある」となり、究極的には「われわれの核開発の中断や核放棄はどんなことがあっても絶対にあり得ない」に至ることになるのだ。
改めて、憲法9条の理念を思い起こそう。浮き足だって、我が国にも軍事的対抗措置が必要だなどと言う愚論を制しなければならない。問われているのは、「オオカミの群れの前で猟銃を手放すことほど、愚かな行動はない」との行動原理と、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼する」理念に立つかの選択である。愚かな抑止力拡大競争の連鎖を絶対に阻止しなければならない。
そのために、まずは北朝鮮に今回の核実験に踏み切ったことを、大きな間違いだったと悟らせなければならない。国際的威信を確立するどころか、結局は国際的孤立化を深め、経済的な窮乏化を招き、国の存立すら危うくする愚挙であることを思い知らねばならない。
この日の北朝鮮は、1941年12月8日の日本に似ている。あの太平洋戦争開戦の日、日本の指導者もメディアも国民も、これが希望の幕開けだと錯覚させた奇襲の成功に熱狂した。しかし、実はあの日こそ、破局への幕開けの日だったのだ。この教訓を思い起こそう。北朝鮮に、核実験の成功体験をさせてはならない。日本国内の抑止論者を勢いづけさせないためにも、である。
(2016年1月7日)
**************************************************************************
なお、3度目の核実験(2013年2月12日)の当時には、私の「憲法日記」はまだ日民協のホームページに間借りしていたが、当日と翌日にブログの記事にした。今読み返して、今の私の気持ちと変わらない。これを再録しておきたい。
朝鮮の核実験に抗議する 2013年02月12日(火)
北朝鮮が3度目の地下核実験を行った。昨日には、米・中両国への事前通告があったとのことだから間違いなかろう。満身の怒りをもって抗議する。
私の抗議は、「北朝鮮の核実験だから」ではない。米・露・英・仏・中の5大国にも、印・パ両国にも、そして核を外交カードに使おうとするイラン・イスラエルにも、改めて抗議する。人類は核と共存し得ない。核をもてあそぶ者は、人類の存亡をもてあそぶ者だ。
かつて、「いかなる国の・論争」があった。私には、そのような論争の存在自体が信じがたく、「いかなる国の核実験にも反対」は自明だと思っていた。その私を、理論派の友人が説得にかかった。
「いかなる国の核実験にも反対という論法は、問題を核兵器と人類との対立という誤った構造に陥らせる」「戦争も核兵器も、人がつくり出す。社会の構造が生み出すものだという社会科学的な視点が必要だ」「戦争や核兵器廃絶のためには、それを生み出す体制の矛盾をこそ見据えなければならない」「世界の情勢を体制間の対抗関係として見れば、問題の本質が核そのものではなく、核の背後にある体制の問題であることが見えてくるはず」「いかなる国の核実験にも反対というのは、そのような問題の根本を見誤らせる間違ったスローガンだ」
理論派ならざる私は上手に反論できなかったが、この「理論」には胡散臭さを感じて、結局説得はされなかった。いまにして私の方が正しかったと思う。どこの国の核であろうとも、米国に対する「自衛的核抑止力」であろうとも、核保有国が増え、核技術が拡散することは絶対に容認し得ない。
アメリカとの間にオスプレイ問題があり、中国とは尖閣問題、韓国とは竹島、ロシアとは北方4島、そして北朝鮮とは拉致問題に核実験。日本は、周囲の各国と軋んだ関係を余儀なくされている。このようなときこそ、「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」という憲法9条を思い起こさねばならない。冷静で賢い対応が求められている。武力による威嚇のエスカレートを許してはならない。
いかなる口実をつけようとも、北朝鮮の核実験も、それへの対抗措置としての我が国の軍備の増強も、「ならぬことはならぬもの」なのだ。
北朝鮮の核実験に、再度抗議する。2013年02月13日(水)
私は、1945年8月6日午前8時15分をもって、人類史を2分する。人類が自死の能力を明確に自覚する以前と以後とにである。そう考えさせる事件後の爆心地近くで、私は小学校に入校した。広島市立幟町(のぼりちょう)小学校というその学校の担任の女性教師の顔面にはケロイドの痕が生々しかった。広島の街は、まだ片づけられない瓦礫が残っており、原爆ドームも子どもの遊び場となっていた。そこで、地元の人のピカに対する怨念を心に刻んで育った。
1954年3月焼津に第五福竜丸が寄港したころ、私は清水の小学校の5年生だった。「放射能の雨」に戸惑ったことをよく記憶している。そして、今は公益財団法人第五福竜丸平和協会の監事を務めている。核兵器に対しても、被曝についても、徹底したアレルギー体質となっている。
もっとも、広島の原爆投下が核爆発の第1号ではない。悪名高いマンハッタン計画の「成果」として、人類最初の核実験(プルトニウム型)が1945年7月16日にアメリカ・ニューメキシコ州アラモゴードで秘密裡に行なわれている。「核の時代」の幕開けはこのトリニティ実験をもって始まる。
以来、昨日の北朝鮮地下核実験は2054回目の核爆発だという。
これまで、アメリカは1030回、旧ソ連が715回、フランス210回、イギリス45回、中国45回、インド4回、パキスタン2回、そして北朝鮮3回の核実験が大気圏で、地下で行われてきた(外務省データによる。イスラエルの実験は未確認として含まれていない)。
その間、原爆は水爆となり、爆発力を示すキロトン(TNT火薬換算)はメガトンの単位となった。なによりも運搬手段の発達がその脅威を増強している。
制憲国会で、幣原喜重郎は憲法9条の論議に関して次のように答弁している。
「一度び戦争が起これば人道は無視され、個人の尊厳と基本的人権は蹂躙され、文明は抹殺されてしまう。ここに於て本章(日本国憲法第2章「戦争の放棄」)の有する重大な積極的意義を知るのである」「原子爆弾の出現によって、文明と戦争は両立しえなくなった。文明が戦争を抹殺しなければ、やがて戦争が文明を抹殺する」
改めて、北朝鮮に抗議し要請する。いかなる理由に基づくものであろうとも、核兵器を廃棄していただきたい。文明と核兵器とは両立しえない。文明が核兵器を抹殺しなければ、やがて核兵器が文明の全体を抹殺するのだから。
12月13日である。世界に「南京アトロシティ」(大虐殺)として知られた恥ずべき事件が勃発した日。笠原十九司「南京事件」(岩波新書)と、石川達三「生きている兵隊」(中公文庫)、そして家永三郎「太平洋戦争」に改めて目を通してみる。累々たる、殺戮・略奪・破壊・強姦の叙述。これが私の父の時代に、日本人が実際にしでかしたことなのだ。陰鬱な冬の雨の日に、まったくやりきれない気分。しかし、歴史に目を背け、過去に盲目であってはならないと自分に言い聞かせる。
同時に思う。今日は、中国の民衆も78年前のこの日の事件を、怒りと怨嗟の入りまじった沈痛な気持で想い起こしていることだろう。昨年からは、今日が「南京大虐殺犠牲者国家追悼日」となった。足を踏まれた側の心情の理解なくして、友好は生まれない。不再戦の固い誓いもなしえない。
笠原十九司の次の指摘が重要だと思う。
「中国では、南京事件は新聞報道だけでなく口コミを通じてやがて中国人全体に知られた。中国国民政府軍事委員会は写真集『日寇暴行実録』を発行(38年7月)して、南京における日本軍の残虐行為をビジュアルに告発した。とくに日本軍の中国女性にたいする凌辱行為は、中国国民の対日敵愾心をわきたたせ、大多数の民衆を抗日の側にまわらせ、対日抵抗戦力を形成する源泉となった。当時の日本人が軽視ないし蔑視していた中国民衆の民族意識と抗戦意志は、さらに発揚され、高められていくことになった。南京攻略戦の結果、日本軍がひきおこした暴虐事件は、中国を屈伏させるどころか、逆に抗日勢力を強化・結束させる役割をはたしたのである。
松井岩根や武藤章(いずれも、東京裁判で絞首刑)は、「中国一撃論」の立場をとった。
「支那は統一不可能な分裂的弱国であって、日本が強い態度を示せばただちに屈従する。この際、支那を屈服させて北支五省を日本の勢力下に入れ、満州と相まって対ソ戦略態勢を強化する…願ってもない好機の到来」「首都南京さえ攻略すれば支那はまいる」というもの。
現地の高級軍人の功名心が戦線不拡大方針だった大本営の意向を無視した。11月19日上海派遣軍は独断で上海から南京へ300キロ余の進軍を開始し、さらに上海にとどまるよう命令を受けていた中支那方面軍もこれに続く。首都への一撃で、日中戦争は終わる、との甘い見通しに基づいてのことである。日本のメディアも、南京が日中戦争のゴールであるかの如く喧伝し、国民もその煽動に乗った。そして12月1日、大本営も方針を転換して南京攻略を是認した。
南京は陥落した。国内は提灯行列で沸き返った。しかし、そのとき、国民政府の首都は既に長江を遡った武漢に移っていた。その後首都はさらに奥地の重慶に移ることになる。何よりも、南京攻略の一撃で、中国の戦意を挫くことはできなかった。
「一撃論」は空論に終わった。大失敗の空振りに終わった、というにとどまらない。取り返しようのない誤りを犯したのだ。内地の日本人が知らぬうちに南京大虐殺が起こり、そのニュースが世界に日本軍の残虐性・野蛮性を深く印象づけていた。やがて日本は世界からその報復を受けることになる。
「一撃論」は、「抑止論」と連続した思考である。「抑止論」が「強大な軍事力を持つことで敵国の攻撃意欲を失わしめて自国の安全を保持する」と発想するのと同様に、「一撃論」は「強大な軍事力行使によって敵国の戦闘持続の意欲を失わしめて早期に戦争を終結させる」という理屈なのだ。軍事力の積極的有効性を説く立論として同根のものではないか。どちらも、自国の強大な軍事力が、相手国を制圧することによって自国の安全が保持されるという考え方。だがどちらも、相手国の敵愾心を煽りたて、却って自国の安全を害することになる危険な側面を忘れてはいないだろうか。
南京攻略の「一撃論」は、強大な軍事力の集中行使で中国の戦意を挫くことができると考えたが、現実の結果は正反対のものとなった。
「それ(南京大虐殺)はまさに、日本の歴史にとって一大汚点であるとともに、中国民衆の心のなかに、永久に消すことのできぬ怒りと恨みを残していることを、日本人はけっして忘れてはならない。」「この南京大虐殺、特に中国女性に対する陵辱行為は、中国民衆の対日敵愾心をわきたたせ、中国の対日抵抗戦力の源泉ともなった。」(藤原彰)
との指摘のとおりである。
平和を維持するための教訓として、一撃論・抑止論の思想を克服しなければならないと思う。
なお、この事件の報道についての内外格差に慄然とせざるを得ない。
「南京アトロシティ」は、当時現地にいた欧米のジャーナリストや民間外国人から発信されて世界を震撼させた。しかし、情報管理下にあったわが国の国民がこれを知ったのは、戦後東京裁判においてのことである。」
「当時の日本社会はきびしい報道管制と言論統制下におかれ、日本の大新聞社があれほどの従軍記者団を送って報道合戦を繰りひろげ、しかも新聞記者の中には虐殺現場を目撃した者がいたにもかかわらず、南京事件の事実を報道することはしなかった。また、南京攻略戦に参加した兵士の手紙や日記類もきびしく検閲され、帰還した兵土にたいしても厳格な箝口令がしかれ、一般国民に残虐事件を知らせないようにされていた。さらに南京事件を報道した海外の新聞や雑誌は、内務省警保局が発禁処分にして、日本国民の眼にはいっさい触れることがないようにしていた。」
「南京事件は連合国側に広く知られた事実となり、日本ファシズムの本質である侵略性・残虐性・野蛮性を露呈したものと見なされた。東京裁判で、日中戦争における日本軍の残虐行為の中で南京事件だけが重大視して裁かれたのは、連合国側の政府と国民が、リアルタイムで事件を知っており、その非人道的な内容に衝撃を受けていたからであった。」(以上、笠原)
まことに、戦争は秘密を必要とするのだ。また、秘密は汚い戦争をも可能とする。今日はいつにもまして、戦争法と特定秘密保護法とが、また再びの凶事招来の元凶になるのではないかと、暗澹たる気持にならざるを得ない。冬の冷雨の所為だけではない。
**************************************************************************
DHCスラップ訴訟12月24日控訴審口頭弁論期日スケジュール
DHC・吉田嘉明が私を訴え、6000万円の慰謝料支払いを求めている「DHCスラップ訴訟」。本年9月2日一審判決の言い渡しがあって、被告の私が勝訴し原告のDHC吉田は全面敗訴となった。しかし、DHC吉田は一審判決を不服として控訴し、事件は東京高裁第2民事部(柴田寛之総括裁判官)に係属している。
その第1回口頭弁論期日は、
クリスマスイブの12月24日(木)午後2時から。
法廷は、東京高裁庁舎8階の822号法廷。
ぜひ傍聴にお越し願いたい。被控訴人(私)側の弁護団は、現在136名。弁護団長か被控訴人本人の私が、意見陳述(控訴答弁書の要旨の陳述)を行う。
また、恒例になっている閉廷後の報告集会は、
午後3時から
東京弁護士会502号会議室(弁護士会館5階)A・Bで。
せっかくのクリスマスイブ。ゆったりと、楽しく報告集会をもちたい。
表現の自由を大切に思う方ならどなたでもご参加を歓迎する。
(2015年12月13日・連続第987回)
本郷三丁目交差点をご通行中の皆さま、こちらは「本郷・湯島9条の会」です。東京母親大会連絡会の方もご一緒に、昼休み時間に平和を守るための訴えをさせていただいています。少しの時間、耳をお貸しください。
今日は12月8日、私たちがけっして忘れてはならない日です。74年前の今日の午前7時、NHKは突然臨時ニュースを開始しました。このときが、NHKの代名詞ともなった初めての「大本営陸海軍部発表」。「帝国陸海軍が本8日未明西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり」という、このニュースで国民は日本が米英と戦争に突入したことを知らされたのです。
日曜日の真珠湾に、日本は奇襲をかけました。向こうから見れば、宣戦布告のない卑怯千万なだまし討ち。その戦果は、戦艦2隻を轟沈、戦艦4隻・大型巡洋艦4隻大破、そして2600人の死者でした。この報に日本は沸き返りました。戦争は確実に国民の支持を得たのです。
戦後東大総長になった南原繁は、開戦の報を聞いたときに、こんな愚かな「和歌」を詠んでいます。
人間の常識を超え学識を超えて おこれり日本世界と闘ふ
この人の学問とは、いったい何だったのでしょうか。政治学者である彼は、何を学んでいたのでしょうか。
1931年の「満州事変」から始まった日中戦争は当時膠着状態に陥っていました。中国を相手に勝てない戦争を続けていた日本は、新たな戦争を始めたのです。今でこそ、誰が考えても無謀な戦争。これを、南原だけでない多くの国民が熱狂的に支持しました。
戦争は、すべてに優先しすべてを犠牲にします。この日から灯火管制が始まりました。気象も災害も、軍機保護法によって秘密とされました。治安維持法が共産党の活動を非合法とし、平和を求める声や侵略戦争を批判する言論を徹底して弾圧しました。大本営発表だけに情報が統制され、スパイ摘発のためとして、国民の相互監視体制が徹底されていきます。
ご通行中の皆さまに、赤いチラシと白いチラシを撒いています。赤いチラシは「赤紙」といわれた召集令状の写です。本物を写し取ったもの。世が世であれば、これがあなたの家に配達されることになるのです。イヤも応もなく、これが来れば戦地に送られることを拒めません。それが徴兵制というもの。
赤いチラシが74年前の社会を思い出すためのもので、白いチラシは現在の問題についてのものです。安倍内閣が憲法を曲げて、無理矢理通した「戦争法」についての解説で、中身は以下のとおりです。
戦争法(安保法制)とは何か
戦争法とは何でしょうか。日本が海外で戦争する=武力行使をするための法律です。地球上のどこでも米軍の戦争に参戦し、自衛隊が武力行使する仕掛けが何重にも施されています。1945年以来世界の紛争犠牲者は数千万人に上り、第二次世界大戦の死者に匹敵します。そのなかで自衛隊は1954年の創設以来、敵との交戦で一発の弾丸を撃つこともなく、一人の戦死者も出さず、一人の外国人も殺してきませんでした。これこそ憲法9条があったおかげです。
来年の3月に戦争法(安保法制)が施行(実施)されます
戦争法の実施で、真っ先に戦場に行くのは若い自衛隊員です。放置すれば、現在の子どもが大人になるころ、海外での戦闘態勢はすっかり整ってしまいます。ドイツは侵略戦争を禁じた憲法解釈を1990年に変え、2002年アフガニスタンに派兵して55人の戦死者を出し、多くの民間人を殺傷しました。そのドイツが今、対ISの後方支援という名で1,200人派兵することを決定しました。
そして、憲法9条を無視して戦争法(安保法制)を成立させ実行に移そうとしているのが今のわたしたちの国、日本なのです。
戦争法でテロはなくせません
ISは、2003年に始まったイラク侵略戦争と2011年からのシリア内戦で生まれ、勢力を拡大してきました。イラク戦争の当事者であるブレア元英国首相は「イラク戦争がISの台頭につながった」と認めています。このことを認めながら英国は、パリ同時多発テロを契機に今シリアの空爆を始めました。わが国においても、戦争法によってISに空爆をおこなう米軍などへの兵站支援が可能になりました。
日本が米国から空爆支援を要請されたら、「法律がない」と言って拒否することはもうできません。今こそわたしたちが戦争法(安保法制)に反対し平和な日本、そしてアジア・世界に 向かって日本国憲法第9条を旗印に平和な日本・世界を実現しようではありませんか
今日12月8日は、なぜ日本は戦争を始めたのか、なぜあの無謀な戦争を止められなかったのか。そのことを真剣に考え、語り合うべき日だと思います。日本人の戦没者数は310万人。そして、日本は2000万人を超える近隣諸国の人々を殺害したのです。戦争が終わって、国民はあまりに大きな惨禍をもたらしたこの戦争を深く反省し、再び戦争をするまいと決意しました。まさしく、今日はそのことを再確認すべき日ではありませんか。
戦争は教育から始まる、とはよく言われます。戦争は秘密から始まる。戦争は言論の弾圧から始まる。戦争は排外主義から始まる。新しい戦争は、過去の戦争の教訓を忘れたところから始まる。「日の丸・君が代」を強制する教育、特定秘密保護法による外交・防衛の秘密保護法制、そしてヘイトスピーチの横行、歴史修正者の跋扈は、新たな戦争への準備と重なります。さらに戦争法による集団的自衛権行使容認は、平和憲法に風穴を開ける蛮行なのです。再びの戦争が起こりかねない時代の空気ではありませんか。
これ、すべてアベ政権のやって来たこと、やっていることです。先ほど、本郷・湯島九条の会の会長が初めて、ここでの演説をおこない、憲法と平和を守るために、アベ政治を許してはならないという訴えをされ、大きな拍手が起こりました。
地元9条の会は、今年一年間、毎月第2火曜日のこの場での宣伝活動を続けてきました。今年は今回で終了です。しかし、年が明けたらまた続けます。「戦争法廃止、立憲主義・民主主義を取り戻す」たたかいは、安倍政権を退陣させ、わが国が9条を復権させるまで、続けざるを得ません。そして来年こそは、しっかりと平和な日本を確立する大きな一歩を踏み出す年にしようではありませんか。ご静聴ありがとうございました。
(2014年12月8日・連続第982回)
昨日(12月4日)、東京「君が代」裁判・第3次訴訟での控訴審判決があった。
この控訴事件は、本年(15年)1月16日東京地裁判決(佐々木宗啓裁判長)を不服として、原告教員側と被告都教委側の双方が控訴していたもの。東京高裁第21民事部(中西茂裁判長)は、一審原告一審被告双方の控訴を棄却した。つまりは一審判決のとおりとしたのだ。その内容と、獲得した成果・問題点を確認しておきたい。
石原慎太郎都政第2期の2003年、悪名高い「10・23通達」が発令された。以来、都内の都立校・区立校では、卒業式・入学式などの学校儀式において、起立しての「君が代」斉唱職務命令が発せられ、これに違反すると懲戒処分となる。既に、その処分件数は474件に達している。
懲戒処分を受けた都立高校・都立特別支援学校の教職員が、東京都教育委員会を被告として処分の取り消しを求めた一連の訴訟が、東京「君が代」裁判。その第3次訴訟は、2007?09年の処分取り消しを求めて10年3月に提訴。都立校教職員50人の集団訴訟で、処分の取り消しと精神的苦痛に対する慰謝料(各55万円)の支払いを求めたもの。
一審判決は、最も軽い戒告処分については取消請求を棄却したが、26人31件の減給(29件)・停職(2件)の処分をいずれも重きに失するとして懲戒権を逸脱・濫用した違法を認め、これを取り消した。但し、慰謝料請求はすべて棄却となっている。
26人31件の処分取消という被告都教委の敗訴は大失態であるが、都教委が控訴したのは敗訴した29件の敗訴処分の内の5件についてのみ。残る24件の処分については控訴しても勝ち目ないとして一審の取消判決を確定させた。都教委は、都教委の目から見て特に職務命令違反の態様が悪いとする5件について未練がましく控訴をしてみたということなのだ。
昨日の判決は、その5件全部について控訴の理由なしとして一蹴した。この都教委の控訴がすべて棄却されたことの意味は大きい。都教委は足掻いて恥の上塗りをしたのだ。都教委よ、大いに反省をせよ。そして、責任の所在を明確にせよ。敗訴について謝罪せよ。同様の誤りを繰り返さぬよう再発防止策を講じよ。
一方、一審原告教職員側は戒告処分も違憲・違法だと控訴をしたのだが、これは斥けられた。国家賠償法に基づく慰謝料の請求棄却を不服とした控訴も棄却された。
3次訴訟では、一審判決と控訴審判決ともに、結論は1次訴訟(12年1月)、2次訴訟(13年9月)の最高裁判決を踏襲する形となった。建前として経済的不利益を伴わない(現実には不利益が伴う)戒告の限度で懲戒を合法とし、経済的不利益を伴う減給以上の処分は原則として違法という線引き。予想されたところではあるが、大いに不満が残る。
まずは、合違憲の判断についてである。原告側は、本件では憲法19条、20条、23条、26条を根拠とした違憲論、教育基本法違反を主とする違法論を展開したが、判決の容れるところとはならなかった。最高裁判決の枠組みに忠実であろうとするに性急で、違憲論の主張に真摯に耳を傾ける姿勢に乏しいと言わざるを得ない。
次いで、裁量権濫用と慰謝料の問題。
東京「君が代」裁判・第1次訴訟の控訴審判決(11年3月10日)は、裁判長の名をとって「大橋寛明判決」と呼ばれている。この判決は、戒告処分を含めて173人全員の処分を懲戒権の逸脱濫用として取り消したのだ。
この判決は、教職員の不起立・不斉唱の動機を、自己の思想と教員としての良心に忠実であろうとした真摯なものと認め、やむにやまれずの行為と評価した。ところが、3次訴訟の、佐々木判決も中西判決も、「不起立行為が軽微な非違行為とは言えない」との立場をとっている。これでは、最高裁の判断を乗り越えようがない。憲法が想定する裁判官像に照らして、頼りないこと甚だしい。
裁判官は公権力の立場から意識的に離れ、社会の多数派の常識からも自由に、憲法の理念に忠実でなくてはならない。何よりも、真摯に苦悶し憲法に期待した原告に共感する資質を持ってもらいたい。少なくとも、原告ら教員の苦悩や煩悶を理解しようとする姿勢をもたねばならない。
本日の赤旗に、原告団事務局長の近藤徹さんのコメントが載っている。「都教委は思想・良心の自由を生徒に説明したなどと減給・停職を(正当化する理由として)主張したが、それが間違っていたことがはっきりした」というもの。裁判で勝ち取った成果は、着実に教育現場に生きることになるだろう。
国旗・国歌、「日の丸・君が代」に不服従を貫く人の思いはさまざまである。もちろん、弁護団員も思想はさまざまだ。統一する必要などさらさらない。私個人は、ナショナリズムを正当化する教育の統制が、再びの軍国主義や戦時の時代を準備することを恐れる気持ちが強い。集団的自衛権行使容認決議に続く、戦争法の成立は、私の危惧を杞憂ではないものとしているのではないか。
ことあるごとに、想い起こしたい。戦後教育を担った教師集団の原点は、「再び教え子を戦場には送らない」という決意だった。
逝いて還らぬ教え子よ
私のこの手は血まみれだ
君を縊ったその綱の
端を私も持っていた
しかも人の子の師の名において
嗚呼!
「お互いにだまされていた」の言訳が
なんでできよう
慚愧、悔恨、懺悔を重ねても
それがなんの償いになろう
逝った君はもう還らない
今ぞ私は汚濁の手をすすぎ
涙をはらって君の墓標に誓う
「繰り返さぬぞ絶対に!」
「東京『日の丸・君が代』処分取消訴訟(3次訴訟)原告団・弁護団」の声明の末尾は次のとおりとなっている。
「私たちは、今後も「国旗・国歌」の強制を許さず、学校現場での思想統制や教育支配を撤廃させて、児童・生徒のために真に自由闊達で自主的な教育を取り戻すための取組を続ける決意であることを改めてここに宣言する」
「学校現場での思想統制や教育支配」それ自身も恐ろしいが、その先にあるものこそが真に恐ろしい。「日の丸・君が代」強制はその象徴である。これに抗して闘っている教員集団は、実は歴史的な大事業を担っているのかも知れない。
(2015年12月5日・978回)
一昨日の土曜日(11月28日)に、明治大学の集会で西川伸一さん(政治学・明大政経学部教授)のレポートを聞いた。レポートというよりはレクチャーを受けた印象。「『安保法制=戦争法』の採決は正当に行われたのか? メディア報道の在り方を問う」というタイトル。これが滅法面白かった。これに続いて、私も「採決の不存在」について法的視点からのレポートをしたのだが、こちらは面白い報告とはならなくて残念。
西川さんのレポートは、事実にまつわる「記憶」と「記録」の関係についてのもの。民主主義社会における討議の前提となる事実は、「記録」によって確認するしかない。正確な「記録」こそが民主主義成立の前提として重要であることを公文書管理法などを引用して強調し、最後は「記憶に頼るな、記録に残せ」という野村克也(生涯一捕手)の言葉で締めくくられた。
その重要な「記録」が、今回の戦争法案審議ではいかに杜撰な扱いをされたか。参議院規則に照らしていかに大きな違反をし、ねじ曲げられたか。具体的で興味深いレクチャーとなった。
最も印象的だったのは、記録の改ざんをジョージ・オーウェル「1984年」の次の一文を引いて批判したこと。
「すべての記録が同じ作り話を記すことになればーーその嘘は歴史へと移行し、真実になってしまう。党のスローガンはいう。『過去をコントロールするものは、未来をコントロールし、現在をコントロールするものは過去をコントロールする』と」
西川さんのレクチャーの導入は、「1984年」の「真理省」のスローガンの紹介から。記憶を正確に記録しようとしない安倍政権とその膝下の議会とを「真理省的状況」と憂いてのことである。
「真理省」のスローガンを想い起こそう(高橋和久訳)。
戦争は平和なり
自由は隷従なり
無知は力なり
この3つのスローガンの解釈はいく通りにも可能だろう。
全体主義が完成した社会における支配者にとっては、矛盾した命題を何の疑問を提示することなく、素直に受容する国民の精神構造こそが不可欠なのだ。このスローガンは、そのような国民意識の操作道具として読むことができるだろう。その点では、旧天皇制政府やナチスのスローガンと酷似している。
もう少し、意味のあるものとしても理解できそうだ。
「戦争は平和なり」とは、あまりにも長く継続する戦争を国民に納得させるためのスローガンと読むことができる。「戦争に慣れよ。慣れ切ってしまえば、これが正常な事態で、平和と変わらない平穏な状態なのだ。戦争継続のこの状態こそを日常であり平和であると受容せよ」という思考回路の押しつけ。
「自由は隷従なり」も同様。国民が権力に抵抗するから弾圧を受けて自由でないと感じることになるのだ。国民が自由でありたいと願うなら、権力に自発的に隷従する精神を形成すればよい。そうすれば、隷従することこそ自由であって、自由は隷従となる。
「無知は力なり」は分かり易い。なまじ国民個人が知をもてば、主体を確立した個人が形成される。そうすれば、権力を批判することにもなる。それは国家の力を弱めることにほかならない。国家が欲するものは無条件に絶対服従する国民であって、それこそがつよい国家形成の礎なのだ。
一般論を離れて、この3本のスローガン。まさしく、非立憲・反知性アベ政権のスローガンそのものではないか。
「戦争は平和なり」とは、アベ政権の積極的平和主義のことである。
消極的に平和を望むことでは平和は実現できない。平和の実現のためには武力による抑止力が必要であり、その武力は想定される敵国を制圧するに足りる強力なものでなくては役立たない。しかも、抑止力としての武力は保持しているだけでは不十分。武力による威嚇も武力の行使も辞さない姿勢あって初めて平和のための抑止力となる。いや、戦争を辞さない覚悟があって、初めて平和が実現する。だから、我が国は平和の実現のための戦争をいとわない。戦争こそ平和のためのために必要なのだ。これが、積極的平和主義の真骨頂。
「自由は隷従なり」における自由の一は、権力からの自由。自由の要諦は徹底して権力に隷従することである。「日の丸・君が代」を内心において受容せよ。さすれば、その内心に従って起立し斉唱する自由が認められているではないか。なまじ権力に抵抗する精神をもつものだから、沖縄県や名護市やその支援者の如く、自由ではいられないのだ。仮にの話しだが、「久辺三区」が隷従すれば、ムチではなくアメにありつく自由を獲得することになるのだ。
もう一つの自由は、資本からの自由。企業には世界一の経営環境を確保するのが、政権の方針。実質的に企業の側には、解雇の自由も、雇い止めの自由も、サービス残業を命じる自由も保障する。ひるがえって、労働者の権利は可及的に切り捨てる。労働者の人間性の確保や労働条件の改善などを求める自由は、企業に隷従する者についてだけ、隷従の範囲において認められる。
そして、何よりも「無知は力なり」である。現政権・与党の開き直った反知性主義を象徴するスローガン。無知蒙昧で自主性自立性を欠いた操縦しやすい国民の育成こそが政権の大方針。「国民の無知」が政権の支えであり「国家の力」の源泉なのだ。このアベ政権の大方針は、教育政策とメディア政策に反映している。
小学校から大学まで、自分の頭で批判的にものを考えようとしない国民をどう作り上げるか。これが教育政策の根幹である。政府批判の世論を押さえ込む報道の姿勢をどう作り上げるか、これがメデイア政策の根幹である。教育基本法の改悪から、教育委員会制度改悪、大学の自治への介入、教科書採択介入や道徳教育の強行まで、教育政策全般が「無知は力なり」の大原則に則って進められている。そして、メディア対策の基本は、特定秘密保護法の制定とNHKの政権支配とによく表れている。
そのアベ政権の支持率が今、持ち直しているという。「無知は力なり」「自由は隷従なり」を支える国民が一定程度存在する現実があるのだ。無念の気持で、ジョージ・オーエルの慧眼と警鐘にあらためて敬意を表しなければならない。嗚呼。
(2015年11月30日・連続第974回)
借り物でない、自分の言葉を語れる人は少ない。実体験から滲み出た、そのような人の言葉は重く、聞く人の心に響く。張本勲の言葉などはその実例であろう。
彼の本名は張勲(チャン・フン)、在日2世である。幼少の大火傷と右手の後遺症、被爆体験、父の死と貧困、そして差別。それを乗り越える原動力となった家族愛、あまりに重い体験の数々。
その人が、昨日(11月21日)の毎日夕刊「レジェンドインタビュー」で、実に率直にこう語っている。
「野球で有名になろうというのには、二つ大きな目的があった。一つはおいしいものを腹いっぱい食べたい。もう一つは、お袋をトタン屋根の6畳一間から連れ出して、小さな家でも作ってあげたい。僕はお袋の寝た顔を見たことがないんだ。朝早く起きて、夜遅くまで働いているから。お袋を楽にしたいと思えば、人の2倍、3倍、練習せざるを得ない。」
また、やはり毎日新聞の「夕刊ワイド」(2015年5月)でこうも語っていた。
「私が野球を通して学んだのは『いい時ほど自分を疑え』です。
今日、ホームランも打ったとなれば、誰だって有頂天になる。だが、ちょっと待てよ。たまたま打てただけで明日は分からない、と自分を疑うから、私は人より努力しないとダメだと思っていた。人間、誰でも間違いますから。自分を疑うくらいでちょうど良いんです。最近は、自分を疑うことのできない人が増えているように感じます。」
「(インタビュアー)最近の政治家などもそうですね。
その政治家を選んだのは有権者ですから。自分の選択が本当に正しいのか、疑う必要がありますね。政治家といえば国を左右する船頭です。それなのに、『テレビで見たことがある有名人だから』などの理由で投票する人がいる。政治家が国会で歌を歌うんですか? 野球するんですか? 有名人を政治家に選ばないでください。この国をダメにする。選挙は、政治をちゃんと学んだ人を選ばないと。」
「私は広島生まれの広島育ちです。韓国籍ですが、外国人だというような感覚は一切ありません。僕はね、もう、モンゴルあたりから日本まで全部同じ民族だと思っているんです。日本は島国だし、多くの人はどこかしら『渡来人』です。だから日本人を語る時、私は同じ日本人の立場で語っているつもりです。」
私が膝を打ったのは、昨日のインタビューでの次の彼の言葉。
「例えば戦争ね。(戦没者は)犠牲者じゃない、身代わりなんだよ。たまたま(原爆の落ちた)長崎におった、広島におった。私たちの身代わりになってくれたんだ。それでこんな裕福な国になったと思えばね、後ろめたいことはできませんよ。」
彼は、原爆で姉を失っている。自身も被爆者健康手帳を持つ身。「身代わり」という言葉には、実感がこもっている。彼のいう「戦没者は、生き残った者の身代わり」という表現と感覚。実に的確でよく分かる。
戦没者の死をどう見るか。対極的な二つの立論がある。一つは「国の礎」論であり、もう一つは「犬死」論である。
「国の礎」論は、「戦没者の尊い犠牲の上に、今日の我が国の平和と繁栄があります。その国の礎となられた御霊に心からの感謝と尊崇の誠をささげます」、あるいは「先の大戦では、多くの方々が、祖国を思い、家族を案じつつ、心ならずも戦場に散り、戦禍に倒れ、あるいは戦後遠い異国の地に亡くなられました。この尊い犠牲の上に、今日の平和は成り立っていることに思いを致し、衷心からの感謝と敬意を捧げます」などという、政府定番の言い廻し。軍人軍属については「英霊」と置き換えられる。遺族会は「国の礎となられた英霊」という言葉遣いをしている。
要するに、戦死戦没の美化であり、戦没者への賛美である。もちろん、戦没者や遺族の心情に思いやらぬ者はない。だから、「戦没者は国の礎である」とか、「靖国には英霊が祀られている」などという言い方に、表立っては反対しにくい。
その反対しにくいところを、敢えてズバリと「侵略戦争での侵略軍側の死は無意味な犬死以外の何ものでもない」「戦没者は、天皇制日本に殺されたのだ」と、言い切るのが、「犬死」論である。そして、「戦没死の無意味さを美化することなく認めるところが、反戦平和の思想の立脚点でなければならない」「犬死にをもたらす戦争を再び繰り返してはならない」と論理は明快である。
私は、けっして「国の礎論」「英霊論」には立たない。基本的には「犬死」論の立場だが、戦死を「犬死」と言いきることにためらいを感じる。この微妙な問題で遺族の心情に配慮しなければならないという戦術的配慮としてではなく、犬死論には、決定的な何かが欠けているという感覚を捨てきれないのだ。
戦争の惨禍の上に、ようやく我が国が神権天皇制から脱却し得た。はじめて、理性にもとづく国家の建設が可能となった。将兵が、君のため国のために勇敢に闘ったからではく、厖大な個別の戦死の積み重ねによって敗戦にいたって、敗戦がこの国を真っ当な国としたのだ。そう考えるときの戦没者の死は、犬死にと呼ぶべきなのだろうか。
その二論の中間に、張本の言う「身代わり」論は位置する。
彼が、「(戦没者は)犠牲者じゃない」とつよく否定するのは、国策遂行過程での犠牲者としての英雄視や顕彰への違和感からだろう。また、それを通じての戦争への批判封じを警戒しているものと理解したい。「国のために犠牲になられた立派な方への批判は許せない」「むしろ国の礎を築いた方として感謝申し上げなければならない」。そのような戦没者観は、あの戦争の性格を侵略戦争とは認めがたいし、皇軍の蛮行の批判を許さないことにもなる。
戦没者を国との関係での犠牲と理解するのではなく、「死者は生者の身代わりとなった」と戦没者を自分との関係で考えることに積極的な意味があるのではないだろうか。自分の身代わりとしての戦没者の死は、自ずから自分の死と置き換えて考えることにつながる。自分の問題として、「あんな戦争で死んでもよいのか」と考えることにもなる。けっして戦争を美化することなく、「戦没者の死を我がこととして悼む」ことも、「死を無駄にしない社会を作ろうと決意をする」ことにもつながることになるだろう。
それが、張本自身の「(戦争を生き延びた者は、身代わりとなって亡くなった戦没者に)後ろめたいことはできませんよ。」という言葉になっている。そのように理解して、噛みしめたいと思う。
(2015年11月22日・連続966回)
久しぶりに映画館に足を運んだ。観たのは「ドローン・オブ・ウォー」。作品としての出来よりは、この戦闘がフィクションではなく事実であることという重みに圧倒された。これが、戦争法で日本と固く結ばれた「同盟国アメリカ」の無法の実態だ。一見をお勧めしたい。
アフガニスタンの「テロリスト」に対する「標的殺害」が、12000キロ離れたアメリカ本土で行われている。現地では、上空遙かにドローン(機種はプレデター)が地上を旋回しつつ標的の監視を続ける。そのドローンに操縦者の姿はなく、操縦桿を握って標的にミサイルを撃ち込むのは、ラスベガス空軍基地の冷房の効いたコンテナのなかの「パイロット」たち。そのアメリカ空軍兵士たちは、眉ひとつ動かすことなく、淡々と指1本で標的殺害の任務を遂行していく。害虫をひねり潰すように。観客の背筋は凍るが、これは近未来空想物語ではなく、現実に現在アメリカ軍が行っていることだという。この作品の映画化にはスポンサーがつかず、アンドリュー・ニコル監督が苦労して自分で資金集めをした。さもありなんという内容だ。興行的な成功を願わざるを得ない。
主人公はもとF-16戦闘機パイロットの空軍少佐。朝、子どもたちを学校に送ったあと自家用車で出勤し、階級章をつけた軍服を着て8時間の戦闘任務に就く。勤務の後には美しい妻の待つマイホームへ帰宅する。
戦闘はモニターとコントローラーで行われ、テレビゲームと寸分変わらない。戦闘につきものの汗と血も飛び散らないし、すざましい爆音もない。巻き上がる爆風は画像の中だけのこと。静かに行われる一方的虐殺である。一瞬のうちに殺された者には何が起こったかわからない。非対称戦闘の極限の図だ。
先日、ドローン攻撃ではないが、アフガニスタン北部のクンドゥスで「国境なき医師団」の病院が空爆され33人もの死者が出たという報道があった。抗議を受け、10月6日アフガン駐留米軍司令官が誤爆を認め、米国防総省長官が犠牲者に深い遺憾の意を表した。治療と安全の場であるはずの病院において、血や肉が飛び散り、轟音が響く阿鼻叫喚の光景が繰りひろげられた。国境なき医師団は「ここは病院だ、攻撃をやめろ」と1時間にわたって連絡をとったが無駄だったと言っている。
映画の中でも、主人公の逡巡を無視し、戦争犯罪ではないかという不安を押しつぶす命令が出される。テロリストとされた標的だけでなく、その家族、攻撃後に救助に集まってきた非戦闘員、女性や子ども、葬列に集まってきた人々までも、容赦なく殺害される。「不都合な攻撃については記録を残すな」という命令さえ頻繁に出される。国境なき医師団の抗議で2015年10月3日のアメリカ軍の殺害攻撃の不当性は世界に広く知られたが、開戦以来人知れず殺害されたその他の民間人犠牲者の数は想像を絶する多数にのぼるようだ。そのなかには、ドローンによる容赦ない攻撃の犠牲者も数多くいるだろう。
良心のかけらが残っていた主人公は、自らが安全な立場で屠殺同然の戦闘をすることに耐えられず、戦地勤務を希望するが叶えられない。そして、徐々にPTSD(心的外傷後ストレス傷害)におちいる。子どもを抱きしめながら、庭でバーベキューパーティをしながら、どこまでも晴れ渡るロスアンジェルスの青空を不安げにみあげる。アフガンの人たちは空爆を恐れて、空が曇ることを願って生きているという。
その後主人公にはお定まりの家庭崩壊がおこる。しかし、主人公が退役してもピンポイント戦闘の空軍志願兵は、いくらでもゲームセンターでスカウトできるという。実戦の経験などいらない。3,4日のゲーム指導で安全に闘う空軍兵士は大量生産できるのだ。少しでも想像力と人間性があり、戦闘に耐えられない者はふるい落とされ、精神異常のサイコパス連中だけが残っていく。
「我々がアメリカをテロリストから守っているのだ」「我々が攻撃をやめても相手がやめるはずはない」「しかし、我々の攻撃がさらなるテロリストをつくり出している」「そのうち自爆テロをしている者や子どもも我々同様ドローンを持つだろう」「お互いに終わりの無い殺しあいを永遠に続けなければならない」という映画の中の会話が不気味だ。アメリカがコンピューター戦争を続ければ、中東のテロリストだけでなく、必要とあらば、ロシアも中国も北朝鮮もドローン戦争に参加するだろう。
インドは、アメリカのドローンをコンピューター操作によってほぼ無傷で捕獲し、その能力を誇示した。インドも、ドローン戦争に参戦することになるかもしれない。核戦争よりずっと殺しのハードルは低いのだから、世界中で「ドローン・オブ・ウォー」が繰りひろげられる時代が来るかも知れない。
戦争法を持つに至った日本である。他国から敵とみなされる事態となれば、見上げた空が晴れていれば、攻撃を覚悟しなければならない不安な日々が待っている。映画「天空の蜂」ほど大仕掛けな脅しなど必要ない。敵国やテロリストのドローン一機と指一本に震え上がらなければならないことになる。恐ろしい現実だ。
(2015年10月12日・連続924回)
昨日に続いて、東京新聞「平和の俳句」からの話題。
上掲句の投句者は浜松市西区・倉橋千弘(76)とある。敗戦を6歳で迎えた方だ。戦没者のご遺族だろうか。靖国には参拝をする方だろうか。
いとうせいこうの選評は、「死者から賜ったことを次の生者につなぐのは、今生きる我々の責務。」というもの。特に異論あるわけではないが、いつもの的確で鋭さに欠けてもの足りない。このコメントでは、せっかくの「九条」が生きてこない。
もうひとりの選者である金子兜太は、「数百万におよぶ戦死者の霊魂が憲法九条を生んだのだ。忘れるな。」と言っている。同感。僭越ながら、憲法九条に関連して兜太の言を敷衍してみたい。
この句は、よく考え抜かれた、推敲の末の作品だと思う。まずは、「戦死者」「戦没者」ではなく「全戦死者」とされていることに注目したい。
「全」は、曖昧さを残さずに戦没者の差別を認めない姿勢を表している。敵と味方、戦闘員と非戦闘員、積極的加担者と抵抗者、社会的地位や業績の有無に関わりなく、戦争によってもたらされたすべての死を悼む立場が強調されている。
この句では、「戦争」と「すべての命」とが対比されている。ひょんと死んだ名もない兵、爆心地で跡形もなくなった子どもたち、東京大空襲で焼け死んだ無辜の市民、その以前に重慶の爆撃で殺された多くの中国人、日本の炭坑で強制労働を強いられ殺された中国人・朝鮮人、沖縄戦での日米の兵と地元の人たち…。その死は、ひとつひとつすべて等しく悲惨である。
九条は、「すべての命」を等しく貴しとする思想を根底に、すべての戦争を否定している。死を何らかの基準で差別するとき、いかなる命も貴しとする純粋さは失われる。そのことは、いかなる戦争も否定するのではなく、戦争を肯定する思想に結びつくことになる。
この句は、「全」を入れることで、すべての命を大切にし、すべての戦争を否定する姿勢を鮮明にしている。それこそが憲法九条の精神である。
身近な死を悼む気持は誰にもある。遺族が戦没者を悼む気持には誰もが厳粛な共感を持たざるを得ない。この心情を利用しようとして創建されたのが戦前の別格官幣社靖国神社であり、宗教法人靖国神社もその思想の流れをそのまま酌んでいる。
靖国神社(改称前は東京招魂社)とは、内戦における官軍(天皇軍)の戦死者だけを祀る宗教的軍事組織として創建された。上野戦争では賊軍の屍を野にさらして埋葬することを禁じ、皇軍の戦死者のみを神として祀って顕彰した。この徹底した死者への差別、死の意味の差別が靖国の思想である。当然に、天皇の唱導する聖戦を積極的に肯定する意図があってのものである。
遺族の心情を思いやるとき、戦没者の「顕彰」には口をはさみにくい。しかし、その口のはさみにくさこそが、靖国を創建した狙いであり、いまだに国家護持や公式参拝を求める勢力の狙いでもある。それは死の政治的利用であり、戦没遺族の心情の政治利用である。
死は本来身近な者が悼むものである。いかなる戦死も国家が顕彰してはならない。ましてや、敵味方を分け、味方の戦闘員の死だけを、国家に殉じたものと意味づけて顕彰するようなことをしてはならない。
再びの戦死者を出してはならない。全戦死者がそう思っているに違いないというのが、引用句の精神だと思う。
これに反して、戦死者をダシにして、戦争を肯定し、国家の存在を意味あらしめようというのが、戦没者慰霊にまつわるイヤな臭いの元なのだ。
毎年、8月15日には、日本武道館で政府主催で全国戦没者追悼式が行われる。「戦没者を追悼し平和を祈念する」ことが目的とされる。さすがに、靖国神社ほどの露骨さはない。
しかし、今年の式典で安倍晋三は、「皆様の子、孫たちは、皆様の祖国を、自由で民主的な国に造り上げ、平和と繁栄を享受しています。それは、皆様の尊い犠牲の上に、その上にのみ、あり得たものだということを、わたくしたちは、片時も忘れません。」と式辞を述べている。やはり、戦死者の政治的利用の臭いを払拭できない。
同じ式での、天皇の式辞がある。
「ここに過去を顧み、さきの大戦に対する深い反省と共に、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心からなる追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。」
こちらの方が、政治的利用の臭いが薄い。もちろん、「戦陣に散り戦禍に倒れた人々」だけの追悼であり、「さきの大戦に対する深い反省」の内容の曖昧さや加害責任に触れていないことの不満はあるにせよ、である。
再びの戦死者を出してはならない。その思いの結実が憲法九条なのだ。
(2015年9月8日・連続891回)