戦没者を「(生存者の)身代わり」という張本勲説に共感
借り物でない、自分の言葉を語れる人は少ない。実体験から滲み出た、そのような人の言葉は重く、聞く人の心に響く。張本勲の言葉などはその実例であろう。
彼の本名は張勲(チャン・フン)、在日2世である。幼少の大火傷と右手の後遺症、被爆体験、父の死と貧困、そして差別。それを乗り越える原動力となった家族愛、あまりに重い体験の数々。
その人が、昨日(11月21日)の毎日夕刊「レジェンドインタビュー」で、実に率直にこう語っている。
「野球で有名になろうというのには、二つ大きな目的があった。一つはおいしいものを腹いっぱい食べたい。もう一つは、お袋をトタン屋根の6畳一間から連れ出して、小さな家でも作ってあげたい。僕はお袋の寝た顔を見たことがないんだ。朝早く起きて、夜遅くまで働いているから。お袋を楽にしたいと思えば、人の2倍、3倍、練習せざるを得ない。」
また、やはり毎日新聞の「夕刊ワイド」(2015年5月)でこうも語っていた。
「私が野球を通して学んだのは『いい時ほど自分を疑え』です。
今日、ホームランも打ったとなれば、誰だって有頂天になる。だが、ちょっと待てよ。たまたま打てただけで明日は分からない、と自分を疑うから、私は人より努力しないとダメだと思っていた。人間、誰でも間違いますから。自分を疑うくらいでちょうど良いんです。最近は、自分を疑うことのできない人が増えているように感じます。」
「(インタビュアー)最近の政治家などもそうですね。
その政治家を選んだのは有権者ですから。自分の選択が本当に正しいのか、疑う必要がありますね。政治家といえば国を左右する船頭です。それなのに、『テレビで見たことがある有名人だから』などの理由で投票する人がいる。政治家が国会で歌を歌うんですか? 野球するんですか? 有名人を政治家に選ばないでください。この国をダメにする。選挙は、政治をちゃんと学んだ人を選ばないと。」
「私は広島生まれの広島育ちです。韓国籍ですが、外国人だというような感覚は一切ありません。僕はね、もう、モンゴルあたりから日本まで全部同じ民族だと思っているんです。日本は島国だし、多くの人はどこかしら『渡来人』です。だから日本人を語る時、私は同じ日本人の立場で語っているつもりです。」
私が膝を打ったのは、昨日のインタビューでの次の彼の言葉。
「例えば戦争ね。(戦没者は)犠牲者じゃない、身代わりなんだよ。たまたま(原爆の落ちた)長崎におった、広島におった。私たちの身代わりになってくれたんだ。それでこんな裕福な国になったと思えばね、後ろめたいことはできませんよ。」
彼は、原爆で姉を失っている。自身も被爆者健康手帳を持つ身。「身代わり」という言葉には、実感がこもっている。彼のいう「戦没者は、生き残った者の身代わり」という表現と感覚。実に的確でよく分かる。
戦没者の死をどう見るか。対極的な二つの立論がある。一つは「国の礎」論であり、もう一つは「犬死」論である。
「国の礎」論は、「戦没者の尊い犠牲の上に、今日の我が国の平和と繁栄があります。その国の礎となられた御霊に心からの感謝と尊崇の誠をささげます」、あるいは「先の大戦では、多くの方々が、祖国を思い、家族を案じつつ、心ならずも戦場に散り、戦禍に倒れ、あるいは戦後遠い異国の地に亡くなられました。この尊い犠牲の上に、今日の平和は成り立っていることに思いを致し、衷心からの感謝と敬意を捧げます」などという、政府定番の言い廻し。軍人軍属については「英霊」と置き換えられる。遺族会は「国の礎となられた英霊」という言葉遣いをしている。
要するに、戦死戦没の美化であり、戦没者への賛美である。もちろん、戦没者や遺族の心情に思いやらぬ者はない。だから、「戦没者は国の礎である」とか、「靖国には英霊が祀られている」などという言い方に、表立っては反対しにくい。
その反対しにくいところを、敢えてズバリと「侵略戦争での侵略軍側の死は無意味な犬死以外の何ものでもない」「戦没者は、天皇制日本に殺されたのだ」と、言い切るのが、「犬死」論である。そして、「戦没死の無意味さを美化することなく認めるところが、反戦平和の思想の立脚点でなければならない」「犬死にをもたらす戦争を再び繰り返してはならない」と論理は明快である。
私は、けっして「国の礎論」「英霊論」には立たない。基本的には「犬死」論の立場だが、戦死を「犬死」と言いきることにためらいを感じる。この微妙な問題で遺族の心情に配慮しなければならないという戦術的配慮としてではなく、犬死論には、決定的な何かが欠けているという感覚を捨てきれないのだ。
戦争の惨禍の上に、ようやく我が国が神権天皇制から脱却し得た。はじめて、理性にもとづく国家の建設が可能となった。将兵が、君のため国のために勇敢に闘ったからではく、厖大な個別の戦死の積み重ねによって敗戦にいたって、敗戦がこの国を真っ当な国としたのだ。そう考えるときの戦没者の死は、犬死にと呼ぶべきなのだろうか。
その二論の中間に、張本の言う「身代わり」論は位置する。
彼が、「(戦没者は)犠牲者じゃない」とつよく否定するのは、国策遂行過程での犠牲者としての英雄視や顕彰への違和感からだろう。また、それを通じての戦争への批判封じを警戒しているものと理解したい。「国のために犠牲になられた立派な方への批判は許せない」「むしろ国の礎を築いた方として感謝申し上げなければならない」。そのような戦没者観は、あの戦争の性格を侵略戦争とは認めがたいし、皇軍の蛮行の批判を許さないことにもなる。
戦没者を国との関係での犠牲と理解するのではなく、「死者は生者の身代わりとなった」と戦没者を自分との関係で考えることに積極的な意味があるのではないだろうか。自分の身代わりとしての戦没者の死は、自ずから自分の死と置き換えて考えることにつながる。自分の問題として、「あんな戦争で死んでもよいのか」と考えることにもなる。けっして戦争を美化することなく、「戦没者の死を我がこととして悼む」ことも、「死を無駄にしない社会を作ろうと決意をする」ことにもつながることになるだろう。
それが、張本自身の「(戦争を生き延びた者は、身代わりとなって亡くなった戦没者に)後ろめたいことはできませんよ。」という言葉になっている。そのように理解して、噛みしめたいと思う。
(2015年11月22日・連続966回)