澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

産経による日弁連批判は、劣化した政権の八つ当たりを代弁したものである。

産経が日弁連(日本弁護士連合会)批判のキャンペーンを始めた。「政治集団化する日弁連」というレッテルを貼ってのこと。その第1部が、4月4日から昨日(4月8日)まで。「政治闘争に走る『法曹』」というシリーズの連載。その第1回の見出しが「政治集団化する日弁連」「『安倍政権打倒』公然と」というもの。「安保法案は憲法違反です」という横断幕を掲げて行進する日弁連デモの写真が掲載されている。これが、「政治闘争に走る法曹」の図というわけだ。「安倍政権打倒」を公然と言うなどとんでもない、というトーン。

産経新聞にはほとんど目を通すことがない。得るところがないからだ。「政権=右翼」の図式が鮮明になっているいま、その両者の広報を担っているのが同紙。政権・与党の改憲路線や歴史修正主義、アメリカ追随を後押しすることが同紙の揺るがぬ基本姿勢である。ジャーナリズムの矜持を捨てて、「権力の公報紙」兼「右翼勢力の宣伝紙」としての立場を選択したのだ。政権支援とともに、さらに右寄りの政治的な立ち位置を旗幟鮮明にすることでの生き残り戦略にほかならない。

そんな産経である。現政権に膝を屈することのない勢力は、すべて攻撃の対象とせざるを得ない。それが、走狗というものの宿命なのだから。

世の中には、権力に擦り寄り、迎合してはならない組織や理念がいくつもある。本来、ジャーナリズムは権力から独立していなければならない。また、大学の自治も学問の自由も、そして教育への不当な支配排除の原則も、時の権力の介入を許さないためにある。もちろん、司法も同様なのだ。

司法の一角を担う弁護士の集団には、在野に徹し権力から独立していることが求められている。権力が憲法の理念をないがしろにすれば、これを批判すべきが権力から独立していることの実質的な意味である。安閑と権力の違憲行為を看過することは、その任務放棄にほかならない。産経の日弁連批判のキャンペーンは、「権力に抗うことをやめよ」という、政権の意図を代弁するもの。あるいは、今はやりの「忖度」なのかも知れない。

産経の論法は、「政治的課題への容喙は日弁連の目的を越える」「全員加盟の日弁連が、多数決で決議をしてはならない」という、これまで長年にわたって、弁護士会内での議論で保守派(あるいは権力迎合派というべきか)が繰り返してきたものの蒸し返しに過ぎない。その会内での一方の意見に、政府公報紙産経が公然と加担することとなったのだ。

産経が批判的に取り上げた日弁連「政治闘争」の具体的テーマは4点。「安保関連法」「慰安婦問題」「脱原発」「死刑廃止」である。消費者問題や公害問題、労働問題、教育問題、子供の権利、男女の平等、司法改革などが出てこないのは、いかがなものか。これらも、すべて政治や行政、あるいは財界や体制派との激しい対立テーマである。けっして、全員一致などにはなり得ないテーマだ。

ご留意いただきたい。日弁連はいかなる場合にも、これらの課題に「政治的に」コミットしていない。「党派的な」立場で関わることもありえない。人権の擁護と憲法原則遵守の視点から、その限りで関わっているに過ぎない。人権擁護と憲法遵守を「政治的」と言い、あるいはその影響が政治性を免れないとして、政治的課題へは一切口出しすべきでないと言うのは、日弁連に「人権擁護活動をやめよ」「憲法遵守など言うな」と沈黙を強いるに等しい。

会内合意形成に慎重な配慮をすべきは当然としても、日弁連の使命を果たすためには、討議を尽くしたうえで、採決するのはやむをえない。私の印象では、執行部の問題提案には、保守派からも革新派からも両様の異論が出て、相当の議論が行われる。国会が作る法や決議が国民の意思を反映している度合いよりは、ずっと会員の意見を反映している。

日弁連の使命とは何か。弁護士法の冒頭に明記されている。
第1条1項 弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする。
第1条2項 弁護士は、前項の使命に基き、誠実にその職務を行い、社会秩序の維持及び法律制度の改善に努力しなければならない。

法律専門職として、「法律制度の改善への努力」が謳われている。当然に、「法律制度の改悪阻止への努力」も弁護士の使命である。「弁護士や弁護士会は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現」しなくてはならない。我々が所与の前提とする自由主義の基本は、国家権力の暴走から人権や正義を守らねばならないという点にこそある。日弁連が、政府を批判する立場をとることになんの問題もない。むしろ、弁護士会が権力や体制批判に臆病になることを恐れなければならない。権力の僕の態度で、人権をないがしろにする政権にへつらい、もの言わぬ日弁連であってはその使命を放棄したことになるのだ。

戦前、弁護士自治のなかった時代には、弁護士も権力の僕であることを強要された。かつて、治安維持法違反被告事件の弁護を受任した弁護士が、その弁護活動を理由に、治安維持法違反(目的遂行罪)で逮捕され起訴され有罪となった。そのとき、当然のごとく司法省は裁判所構成法や旧弁護士法などに基づき、有罪となった弁護士の資格を剥奪したが、当時の大日本弁護士協会が抗議の声を上げることはなかった。

国民の人権を擁護すべき弁護士が、自らの人権も擁護できなかった時代の苦い経験に鑑みて戦後の弁護士法ができた。法は、弁護士の使命を人権の擁護と社会的正義の実現と規定しただけでなく、その実効を保障するために、弁護士自治権を確立した。弁護士資格の得喪や懲戒に、権力の介入を許すことなく、弁護士会が公的機関として自ら行うことになったのだ。

いま、弁護士も弁護士会も権力の僕ではない。日本国憲法に基づき、堂々と政権にものが言える立場である。弁護士は政府協賛機関となってはならない。政府の手によって立憲主義がないがしろにされ、政府の手によって国民の人権が損なわれるとき、「政府攻撃は政治闘争だ」「だから、控えねばならない」などという、権力の走狗の言に耳を傾けてはならない。

産経の妄言はアベ政権の代言である。日弁連が政権の立憲主義への無理解を批判したら、産経から日弁連叩きが始まったのだ。実は、今ほど日弁連の発言が重みをもった時期はない。そのことは、政権が劣化したことの証しにほかならない。しかし、劣化した政権への日弁連の真っ当な批判が真摯に省みられることはなく、「広報紙産経」を使った八つ当たりが始まったというわけだ。

私は日弁連執行部にはないし、日弁連のすべての方針に賛成する立場でもない。しかし、安倍政権を代理しての産経の妄言には、声を大にして反対する。安倍政権への貴重な対抗勢力を貶めてはならない。

これから、日弁連の存在意義を掛けて、共謀罪法案の廃案を求める大運動が起こる。これも、政治闘争ではなく、憲法と人権擁護の運動である。産経ごときの記事で、いささかなりともこの運動が鈍るようなことがあってはならない。この点で、私は日弁連執行部に、心からのエールを送りたい。
(2017年4月9日)

今年は平穏無事だー2017年東京弁護士会役員選挙事情

早春、梅の咲くころは弁護士会選挙の季節。今年も、最大単位会東京弁護士会(会員数約8000名)の選挙公報が届いた。会長立候補者は1名のみ。副会長は、定員6名に立候補者6名。

常議員定数が80のところに、公報では立候補者数85名となっているが、実は5名が立候補を辞退したとのことで、結局は2月10日予定の選挙は全て無投票となった。今年は、日弁連会長選挙もない。例年、私が批判している「理念なき弁護士」群からの立候補もない。立候補してくれてこそ、弁護士や弁護士会のあり方についての議論が沸き起こることになる。だから、選挙がないというのはさびしいものだ。

それでも、選挙公報に目を通して見る。会長候補は渕上玲子氏(法曹親和会)。2月10日に無投票当選となる。私の認識の限りだが、東京弁護士会初の女性会長だろう。結構なことだ。

公報には、会務に取り組む基本姿勢欄に、「私は、市民と弁護士との双方向のアクセスを容易にし、市民の権利擁護に努めるとともに弁護士業務の基盤を拡充していきたいと考えています」とある。弁護士会内での、常識的な感覚と言えよう。

以上の基本姿勢を踏まえて、選挙公約は、「市民や企業のために弁護士会が取り組むべきこと」「弁護士のために弁護士会が取り組むべきこと」を掲げ、その次に、「基本的人権を擁護し社会正義を実現するために弁護士会が取り組むべきこと」を連ねている。以下に、この弁護士の使命に関する項目についてだけ、公約を引用する。

☆安保法制と憲法改正問題に取り組む
 憲法前文および恒久平和主義に反し、憲法改正手続を経ずに実質的に憲法を改変しようとする安全保障関連法に対して、引き続き廃止を求めます。またPKO活動計画に「駆けつけ警護」を付与した閣議決定の撤回を求めるなど平和主義に反する法執行を行わせない取組も必要です。
 2016年参議院選挙の結果、両院ともに憲法改正に賛同する勢力が3分の2となった国会では、現実に憲法改正議論が始まりました。基本的人権の尊重や恒久平和主義という憲法の基本原則を否定するような憲法改正には反対します。

☆新たな刑事手続における冤罪・誤判の防止に取り組む
 2016年5月24日に成立した改正刑事訴訟法は段階的に施行されることになっており、2017年度は対応態勢を整える年になります。2018年5月までに拡大される全件被疑者国選弁護事件に確実に対応できるようにします。2019年6月までに施行される取り調べの可視化は、すでに検察庁が事実上可視化の対象事件を拡大したことで、今も件数は増加しており、研修を強化し、弁護人が十分な弁護活動を行えるように支援します。拡大した通信傍受、新たな司法取引制度などについては、監視を強化し、研修を重ねて有効な冤罪・誤判防止策を講じます。

☆人権諸課題に取り組む
 東弁の各委員会が取り組む人権課題は、消費者、高齢者・障がい者、子ども、女性、外国人、犯罪被害者、LGBTなど多岐にわたります。外国人に対するヘイトスピーチ問題、高齢者を被害者とする消費者被害の深刻化、DV・ストーカー、児童虐待による悲惨な被害など問題は山積しています。これらの人権課題に積極的に取り組むことは弁護士会の責務です。委員会活動に対するなお一層の支援を行います。
 成人年齢を引き下げる少年法改正の動きには、強<反対します。現行少年法の手続と処遇は、可塑性に富む18、19歳の少年が更生し、社会に適応して自立していくために有効であり、再犯防止に繋がるものです。
 東日本大震災の被災者や福島第一原発事故被害者は今も多くの人々が避難生活を余儀なくされています。甚大な被害を受けた地域の復興と、原発事故による賠償が不十分な被害者のために、東弁は引き続き支援していきます。東日本大震災を忘れないこと、そして東京で必ず起こる首都直下型地震に備えていくことが弁護士会の社会に対する責任と考えます。

☆男女共同参画のさらなる伸展を図る
 2016年に策定された東弁の第二次男女共同参画基本計画の推進に全力を傾けます。会員それぞれが個性と能力を発揮できる弁護士会の実現を目指します。
 弁護士会の意思決定過程に女性弁護士が参加することのメリットをもっとアピールし、参加への意欲と理解を高めることが私自身に課せられた使命と考えています。女性弁護士や育児期間中の会員が研修や会務活動に参加しやすいように、テレビ電話会議システムなどの情報通信技術を積極的に活用し、参加のための援助制度をさらに工夫していきます。

☆弁護士の不祥事防止策を強化する(略)

喫緊の課題である「共謀罪」についてコメントないのがやや残念だが、全体としてその意気や良し、というべきだろう。会内に向けてというだけでなく、多くの市民に対する公約ともなっている。

解釈改憲にも明文改憲にも反対。安全保障関連法の廃止を求める。「駆けつけ警護」の撤回を求める、などは弁護士多数派の意見として定着しているのだ。

副会長に無投票当選となるのは、下記の6人。
磯谷文明(期成会)、遠藤常二郎(法曹親和会)、平沢郁子(法友会)、松山憲秀(法友会)、露木琢磨(法曹親和会)、榊原一久(法友会)。

6人全ての公約に、「憲法改正反対」、あるいは「立憲主義・平和主義の堅持」「憲法問題への取り組み」が掲げられている。また、人権課題への積極的な取り組みが唱われてもいる。これが、会員弁護士が執行部に望む声だからである。

なお、選挙公報を一読しての感想。会長・副会長・監事の各候補者合計して、9名が、公報に、経歴を載せ、公約を述べている。その記事の西暦表記派が8名、元号派が一人である。この副会長候補者も、「人権と憲法理念」という一項を起こして、「恒久平和主義等に関する日本国憲法が有する基本的価値観が揺らいでいます。当会としては、現行憲法の有する普遍的価値の維持のため、積極的な活動を行っていく必要があると考えます」として、特定秘密保護法や、集団的自衛権問題に触れている。元号派必ずしも保守反動ではないのだが、不便な元号使用にこだわっているのは、頑固な思想のゆえかと勘ぐられる時代になりつつあるのではないだろうか。

こんなことを心穏やかに書いていることができるのだから、今年は平穏である。国内外の政治が穏やかでなくなったのに比較して、弁護士会は立憲主義と人権・民主主義尊重の姿勢に揺るぎがない。もちろん、弁護士会を理想化するつもりはないが、国政よりはずっとマシだ。国政が弁護士会程度になれば、どんなにか居心地の良い社会になるだろうに、と思う。

しかし、来年のことは分からない。去年と一昨年のことについては、関連ブログのURLを掲載しておこう。

弁護士会選挙に臨む三者の三様ー将来の弁護士は頼むに足りるか(2015年2月2日)
https://article9.jp/wordpress/?p=4313

東京弁護士会役員選挙結果紹介?理念なき弁護士群の跳梁(2015年2月15日)
https://article9.jp/wordpress/?p=4409

野暮じゃありませんか、日弁連の「べからず選挙」。(2016年1月29日)
https://article9.jp/wordpress/?p=6309

東京弁護士会副会長選挙における「理念なき立候補者」へ(2016年2月1日)
https://article9.jp/wordpress/?p=6329
(2017年2月7日)

スラップを受任する弁護士の責任を問うー「DHCスラップ訴訟」を許さない・第97弾

DHC・吉田に対する反撃の訴訟に、共同不法行為者として、原告代理人として訴訟を担当した弁護士も被告にするかどうか。まだ結論に至っていない。考え方は、次のようなものだ。

専門家責任という成熟しつつある法律用語がある。専門家には、非専門家(素人)とは異なる高度の水準の注意義務が求められ、契約責任も不法行為責任も厳格に論じられなければならない、とする考え方。具体的には、医師・弁護士・公認会計士・不動産鑑定士・税理士などの有資格者、あるいは原発や石油プラント、航空機などの危険物の設計者などに、それぞれの専門家としての高度のあるいは厳格な責任があるとされる。

医療過誤訴訟において、診療の過程における医師の注意義務の水準が激しく争われ、次第に厳格なものとして定着してきた。実は、同じことが弁護士の執務遂行についても言えることなのだ。弁護士は、実務法律家として専門家たる力量と倫理性をもたなければならない。そのいずれかの欠如は弁護過誤として法的責任を生じうる。依頼者との関係では債務不履行となり、係争の相手方との関係では不法行為となりうるのだ。

加藤新太郎(元裁判官)は、弁護士の執務における弁護過誤の類型を、〔A〕依頼者に対する責任と、〔B〕第三者に対する責任とに大別した上、各々を3類型に分類している。

〔A〕依頼者に対する弁護過誤の類型
(1) 不誠実型
(2) 単純ミス型
(3) 技能不足型

〔B〕第三者に対する弁護過誤の類型
(1) 不当訴訟型
(2) 違法弁論型(名誉毀損型)
(3) 違法交渉型

依頼者に対する弁護士の責任は自明で分かり易い。「弁護士さんが勝てると言ったから、提訴を依頼したのに、ぶざまに負けた。話が違うじゃないか」という局面での責任。しかし、第三者に対する責任の方は必ずしも自明とは言いがたいかも知れない。この点について、加藤新太郎の説くところは、以下のとおりである。

「弁護士は、訴訟追行又は強制執行に際して損害を与えた場合、不法行為責任(民法709条)を追及される。
弁護士としては、『専門的知識・技能を活用して依頼者の利益のみならず関わりを生じた第三者の利益をも害することのないようすべき注意義務』(一般的損害発生回避義務)を負う。これは、弁護士の公的役割に由来するものであるが、実定法上の根拠としては、弁護士法1条2項にいう誠実義務と考えてよいであろう。すなわち、弁護士の誠実義務は、依頼者に対する関係のみならず、弁護士の執務のあり方全般を規律するものである」(「新・裁判実務体系 専門家責任訴訟法」)」

法律に素人である依頼者は、ブログ「澤藤統一郎の憲法日記」の記述によって、自分の名誉が傷つけられたとして、専門家としての力量を備えているはずの、資格を持った弁護士に提訴の可否を相談する。このとき、相談を受けた弁護士には専門家として、提訴の可否・当否を吟味し判断すべき義務があり、そのための力量と倫理が求められる。

相談を受けた弁護士はこう言うべきだったのだ。
「この提訴は勝ち目がない。かえって、訴訟の提起自体が不法行為責任を生じかねない。提訴という方法ではなく、あなたがもっている言論の手段を行使して反論すべき。威嚇効果を狙っているとしか考えられない非常識な高額請求などはもってのほか。」
「もちろん、訴訟を受任すれば、訴訟の帰趨にかかわりなく、私には多額の着手金が手に入ることになる。しかし、それは弁護士の倫理としていただくわけにはいかない。」

さて、この提訴が違法であるとして、だれに最も重い責任があるのだろう。専門家として、提訴の可否・当否の判断を誤った弁護士にこそ責任があるのではないだろうか。

ごく最近、ある事件をきっかけに、この点についての弁護士の責任が大きな話題となっている。
産経は、この件を次の見出しで報じた。「日弁連・AV出演拒否で女性に賠償請求 提訴の弁護士『懲戒審査相当』」「日弁連異例の決定 『正当な活動』反論も」

少し字句を補うとこういうことだ。「AV出演拒否で女性に賠償請求訴訟提訴を担当した弁護士の行為について、日弁連は懲戒審査に付することが相当と判断を示した」「日弁連としては異例の決定で、弁護士の行為を正当な活動とする反論もある」

報道によれば、ことの経過は、こんなところだ。
「アダルトビデオ(AV)出演を拒否した20代の女性に所属事務所が約2400万円の損害賠償を求めた訴訟をめぐり、日本弁護士連合会(日弁連)が、所属事務所の代理人を務めた60代の男性弁護士について『提訴は問題だった』として、『懲戒審査相当』の決定をした。」

「この女性は『タレントになれる』と18歳でスカウトされ、事務所と契約。その後、AV出演を求められ、拒否すると事務所から『違約金を支払え』などと脅された。女性が契約解除を求めると、事務所は男性弁護士を代理人として損害賠償訴訟を東京地裁に起こした。」「2015年9月の東京地裁判決は『事務所は高額の違約金を盾にAV出演を迫った』と指摘。『女性には契約を解除するやむを得ない事情があった』として請求を退けた。事務所側は控訴せず、判決は確定した。」(産経)

「損害賠償訴訟の判決によると、女性はAV出演を拒否すると会社から『違約金が1千万円かかる』と言われた。契約解除を求めると、会社はこの男性弁護士らを代理人として東京地裁に提訴。地裁は2015年9月、『強要できない仕事なのに、多額の違約金を告げて出演を迫った』として請求を棄却し、確定した。」(朝日)

問題は、この弁護士の提訴が、「女性を恫喝したAV出演強制を助長する行為」として、弁護士の非行にあたるかである。この弁護士が所属する第二東京弁護士会の綱紀委員会は非行にあたらずとして、懲戒審査に付さないことを決定した。しかし、日弁連の綱紀委員会はこの決定に対する異議を認めて、二弁の決定を取り消した。このため二弁の懲戒委員会は今年1月、懲戒審査を始めた、という。

日弁連の逆転決定の理由として、産経の報道では、
(1) 提訴はこの女性や同様の立場にいる女性にAV出演を強制する行為とみなされる恐れがある
(2) 請求額の妥当性や、提訴が女性の心理に与える圧力などを十分に検討していない

朝日の報道は、
(1)「高額請求の訴訟はAV出演を強制する威圧効果がある」
(2)「女性への影響の大きさ、請求内容を考慮すると問題がないとは言えない」
の各2点を挙げている。

両記事とも、「高額請求」が問題の一つとして挙げられている。また、識者のコメントとして、「弁護士は依頼者の利益だけでなく、社会的利益の実現も求められていることを理解すべきだ」「『弁護士職務基本規程』が不当な目的の訴訟の受任を禁じるなど、一定の制限が設けられており、提訴自体が懲戒対象になることもあり得る」などが掲載されている。

さて、DHCスラップ訴訟に当て嵌めてみるとどうだろうか。
(1) スラップの提訴は、吉田嘉明の行為を批判する政治的言論の発言者である被告(澤藤)や、同様の立場の発言者に言論抑制を強制する行為とみなされる恐れがある。
(2) 高額請求の訴訟は、言論抑制を強制する威圧効果がある。
(3) 受任弁護士は、請求額の妥当性や、提訴が言論の自由に与える圧力などをおよそ検討していない。

いまDHCスラップ訴訟弁護団が検討しているのは、原告代理人弁護士の不法行為責任であって、懲戒事由該当性ではない。しかし、先に見たとおり、提訴を不法行為とする弁護士の専門家責任の根拠は、弁護士倫理にある。日弁連の決定が、「提訴が女性の心理に与える圧力などを十分に検討していない」「高額請求の威圧効果」「請求額の妥当性」を問題にしていることに留意されなければならない。私に対する損害賠償請求額は、6000万円だった。その高額請求の意図にも鑑み、こんなことが許されてよかろうはずはない。

「弁護士職務基本規定」の2か条を引用しておきたい。

(違法行為の助長)
第14条 弁護士は、詐欺的取引、暴力その他違法若しくは不正な行為を助長し、又はこれらの行為を利用してはならない。
(強者による言論の自由抑圧は「不正な行為」である。弁護士は、提訴を手段とする不正な行為を助長しているのではないか)

(不当な事件の受任)
第31条 弁護士は、依頼の目的又は事件処理の方法が明らかに不当な事件を受任してはならない。
(吉田嘉明の依頼の目的は言論抑圧にあり、その提訴は「不当な事件」として受任してはならない)

弁護士が弁護士倫理を弁えれば、スラップ訴訟の大半はなくなるのだ。

念のため、付け加えておきたい。医師には患者からの診療の求めに応ずべき義務(応招義務)がある。医師法19条が「診療に従事する医師は、診察治療の求めがあった場合には、正当な事由がなければ、これを拒んではならない」と定めているところである。弁護士にはこれがない。スラップの依頼などは、断固として断ってよい。むしろ、断るべきなのだ。

もっとも、刑事事件の受任はまったく別問題である。いかなる被疑者も被告人も、有罪の判決確定までは無罪の推定を受ける。また、いかなる被疑者も被告人も、国家権力による訴追を受ける場面では、弱者としてその人権が擁護されなければならない。刑事事件の受任が不当な事件の受任とはならない。
(2017年1月23日)

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     「DHCスラップ」勝利報告集会は今週土曜日
弁護士 澤藤統一郎
私自身が訴えられ、6000万円を請求された「DHCスラップ訴訟」。その勝訴確定報告集会が次の土曜日に迫りました。この問題と勝訴の意義を確認するとともに、攻守ところを変えた反撃訴訟の出発点ともいたします。ぜひ、集会にご参加ください。

日程と場所は以下のとおりです。
☆時 2017年1月28日(土)午後(1時30分?4時)
☆所 日比谷公園内の「千代田区立日比谷図書文化館」4階
?「スタジオプラス小ホール」
☆進行
弁護団長挨拶
田島泰彦先生記念講演(「国際動向のなかの名誉毀損法改革とスラップ訴訟(仮題)」)
常任弁護団員からの解説
テーマは、
「名誉毀損訴訟の構造」
「サプリメントの消費者問題」
「反撃訴訟の内容」
☆会場発言(スラップ被害経験者+支援者)
☆澤藤挨拶
・資料集を配布いたします。反撃訴訟の訴状案も用意いたします。
・資料代500円をお願いいたします。
言論の自由の大切さと思われる皆さまに、集会へのご参加と、ご発言をお願いいたします。

       「DHCスラップ訴訟」とは
私は、ブログ「澤藤統一郎の憲法日記」を毎日連載しています。既に、連続1400日になろうとしています。
そのブログに、DHC・吉田嘉明を批判する記事を3本載せました。「カネで政治を操ろうとした」ことに対する政治的批判の記事です。
DHC・吉田はこれを「名誉毀損」として、私を被告とする2000万円の損害賠償請求訴訟を提起しました。2014年4月のことです。
私は、この提訴をスラップ訴訟として違法だとブログに掲載しました。「DHCスラップ訴訟を許さない」とするテーマでの掲載は既に、90回を超します。そうしたら、私に対する損害賠償請求額が6000万円に跳ね上がりました。
この訴訟は、いったい何だったのでしょうか。その提訴と応訴が応訴が持つ意味は、次のように整理できると思います。
1 言論の自由に対する攻撃とその反撃であった。
2 とりわけ政治的言論(攻撃されたものは「政治とカネ」に関わる政治的言論)の自由をめぐる攻防であった。
3 またすぐれて消費者問題であった。(攻撃されたものは「消費者利益を目的とする行政規制」)
4 さらに、民事訴訟の訴権濫用の問題であった。

私は、言論萎縮を狙ったスラップ訴訟の悪辣さ、その害悪を身をもって体験しました。「これは自分一人の問題ではない」「自分が萎縮すれば、多くの人の言論の自由が損なわれることになる」「不当な攻撃とは闘わなければならない」「闘いを放棄すれば、DHC・吉田の思う壺ではないか」「私は弁護士だ。自分の権利も擁護できないで、依頼者の人権を守ることはできない」。そう思い、自分を励ましながらの応訴でした。
スラップ常習者と言って差し支えないDHC・吉田には、反撃訴訟が必要だと思います。引き続いてのご支援をお願いいたします。

法が弁護士という制度を創設した趣旨を考える

とある受任事件の中間報告である。客観的には重大事件ではない。しかし、どんな紛争も当事者にとっては深刻である。しかもこの事件がもつ問題の普遍性が高い。この事件の解決如何が影響するところは、広く大きいと思う。

私の依頼者(複数)は、語学学校の講師である。もっとも、びっちりと授業時間が詰まっているわけではなく、受講者が講師を指名してマンツーマンでの指導が行われるという形をとっている。だから、指名がなければ講師としての仕事はなくなる。使用者は、宣伝広告によって受講者を募集し、授業時間のコマ割りをきめ、定められた受講料のうちから、定められた講師の賃金を支払う。労働時間、就労場所、賃金額が定められている。これまでは、疑いもなく、労働契約関係との前提で、有給休暇も取得されていた。

ところが、経営主体となっている株式会社の経営者が交替すると、各講師との契約関係を、「労働契約」ではなく「業務委託契約」であると主張し始めた。そして、全講師に対して、新たな「業務委託契約書」に署名をするよう強要を始めた。この新契約書では有給休暇がなくなる。

経営側が、「労働契約上の労働者」に対する要保護性を嫌い、保護に伴う負担を嫌って、業務請負を偽装する手法は今どきのトレンドといってよい。しかし、弱い立場の勤労者の生計を守る必要を基本とする市民法であり、労働者保護法制ではないか。本件のような、「請負偽装」を認めてしまっては労働者の権利の保護は画餅に帰すことになる。

とはいうものの、本件の場合講師の立場は極めて弱い。仕事の割り当ては経営者が作成する各コマのリストにしたがって行われる。受講者の指名にしたがったとするリストの作成権限は経営者の手に握られている。このリストに講師の名を登載してもらえなければ、授業の受持はなく、就労の機会を奪われて賃金の受給はできない。これは、解雇予告手当もないままの事実上の解雇である。やむなく、多くの講師が不本意な契約文書に署名を余儀なくされている。

それでも、中には少数ながらも経営者のやり口に憤り、「断乎署名を拒否する」という者もいる。「不当なことに屈してはならない」というのだ。たまたま、そのような心意気の人との接触があって、まずは交渉を受任することとなった。

本題は、ここからだ。こうして、私は講師を代理して、経営者に内容証明郵便による受任通知と、交渉の申し入れを行った。ところが、なんの返答もない。当事者の講師には、なおも署名の強要が続けられる。再度の内容証明郵便を発送したが、またもなしのつぶて。電話をしても、責任者はけっして出ようとしない。労基署への申告をして、その旨の通知もした。私の依頼者に口頭で「会社側の誰が弁護士との交渉担当になるのか特定してくれ」と言ってもらったところ、「誰と交渉すべきかについては返答を拒否する」との回答だったという。

普通は、こんなとき経営側に弁護士がついてくれないかなと思う。少なくとも話が通じる。無用の軋轢は回避できる。そんな折に、経営者が本件に関して弁護士を選任して労働基準監督官との交渉を委任し、講師との交渉に関してもその指示を仰いでいる様子が見えてきた。ところが、奇妙なことにこの弁護士は、通常のどの弁護士もするような振る舞いをしない。私に何の連絡もせず、むしろ当事者間での交渉を急がせているように見受けられる。これは、弁護士にあるまじき行動として、問題は大きいのではないか。

「弁護士職務基本規定」というものがある。かつては「弁護士倫理」と言っていた、弁護士がよるべき職務上の行動規範である。その第52条は「相手方に法令上の資格を有する代理人が選任されたときは、正当な理由なく、その代理人の承諾を得ないで直接相手方と交渉してはならない」と相手方本人との直接交渉の禁止を明確にしている。その理由は、代理人を通じての円滑な交渉の進展を阻害するというだけでなく、法律に通暁した代理人を選任して自らの権利を擁護しようとした相手方当事者の権利を不当に侵害することになるからである。

本件の場合、労働者は私という弁護士を選任した。経営側の弁護士は、私という労働者代理人の弁護士を無視してはならないのだ。ことは、弁護士という法律専門職の制度を創設した趣旨に関わる。法が弁護士という人権擁護の使命をもった法律専門家としての資格を創設して、弱い立場の人権を擁護しようとしたのだ。その制度の意味を失わせてはならない。

本件の場合、私が労働者側に付いたことを通知して以来、私の依頼者本人と交渉したのは弁護士ではなく経営者ではある。しかし、経営側の弁護士が直接交渉を指示し、あるいは許容したのであれば、生じる事態に差はない。本件の紛争が労働契約関係をめぐるものであり、彼我の交渉力量の歴然たる格差の存在に鑑みれば、当該弁護士の行為は、実質的に弁護士職務基本規定第52条に違反し、弁護士法第56条1項に定める「弁護士としての品位を失うべき非行」に該当するものといわざるを得ない。

さらに、経営者は、労働基準監督官の経営者に対する事情聴取の席に立ち会ったあとの当該弁護士の発言として、「行政は労働者性を完全に否定している」「争っても勝ち目はない」として、「業務委託契約書」への署名強要の手段としている。

弁護士の発言は伝聞の限りであって、どのような内容であったかを断定はし得ない。しかし、経過を知る弁護士が、事態の推移を黙認していること自体が問題ではないか。弁護士職務基本規定第5条は「弁護士は、真実を尊重し、信義に従い、誠実かつ公正に職務を行うものとする」として、弁護士に信義誠実の原則に従って業務を行うべき義務を課している。これに違背する非行も、懲戒事由に当たるものと考えられる。

弁護士とは人権擁護の任務を負うものである。労働者、あるいは消費者、患者、住民など、定型的に弱い立場の人権を擁護すべきが本来的任務というべきである。経営者・事業者・医療機関・公害企業など、その相手方にも弁護士が選任されることが想定されてはいる。しかし、強者の側の弁護士も人権擁護の任務を負っている。その任務の一側面として、十全なものとしてなされるべき弱者側の弁護士の活動を不当に阻害してはならないというべきである。そのことは、弁護士という職能創設の制度の趣旨が求めるところである。
(2016年12月18日)

池田眞規さんを悼む

池田眞規さんが亡くなられた。11月13日のこと。本日(11月16日)が通夜。明日告別式がある。享年88。つい最近まで、そんなお歳とは見えない壮健な活躍ぶりだった。そして常に明るく、周囲を励ます人でもあった。今は、ご冥福を祈るばかり。

以前、事務局長・会長を務めた日本反核法律家協会の機関誌、「反核法律家」に「人生こぼれ話」を連載しておられた。昨年秋号に、その第6話「忘れっぽい人間に原爆の記憶の継承は大丈夫でしょうか?」が掲載されている。

その冒頭の文章が次のとおり。
「個々の『人の死』は相続によって継承されます。しかし、『人類の死』には相続はありません。核兵器を造った少数の人間、戦争の開始を決定した少数の人間、戦争の開始を阻止しなかった多数の人間、これらの人間の仕業の総仕上げが核戦争です。
核戦争になると『人の種』は地球上から消えてなくなります。その結果に至るすべてが人間の仕業である以上、人間の判断で『核兵器も戦争もない世界』を実現することは可能なはずです。だがそれは容易ではありません。何故なら、原爆被害の忘却、核による巨大な利得、核大国米国の軍事基地など、大きな障害があるからです。」

この文章は、続いて親鸞と浄土真宗の歴史を教訓として、「闘い続けることによる原爆の記憶の承継」を論じている。本論はともかく、『個々の人の死』と『人類の死』とを対比して、前者の扱いが、あまりに淡泊な印象を受ける。この頃、眞規さんは既に「自分の死」を予期し、受容していたのだろうか。自分の死は受容しえても、『原水爆による人類の死』を受け容れがたいとする池田さんの思いを、私も相続し継承しなければらないと思う。

眞規さんとの最初の出会いは、私が司法修習生になったばかりのころ。同期で作る青年法律家協会の企画として、何人かの先輩弁護士を呼んで、弁護士の生きがいやあり方などを語ってもらった。その中の一人として、まだ弁護士になって日の浅い眞規さんがいた。

長沼や百里の経験を聞きたいとしてお呼びしたものだが、その点のお話しの印象はない。眞規さんは、あの独特の語り口で、冒頭にこう言った。「弁護士とは、資本という汚物にたかるギンバエである」。どぎつい言い方が印象的だが、弁護士の卵たちに対して、「弁護士としての理念をもて」「理念なき弁護士は、自ずと資本の手先になりさがる」「弁護士という存在は客観的にそういうものだ」「意識的に自分を律することなければ、流されてしまうぞ」という警告と受けとめた。その後、私も弁護士となって、眞規さんの後輩として「プライド捨てたギンバエ」にはならぬよう、気をつけながら歩み始めた。

私が弁護士になって20年目。1991年に湾岸戦争が起きた。日本政府(海部内閣)は、戦地に掃海部隊を派遣し、90億ドル(1兆2000億円)の戦費を支出しようとした。平和的生存権と納税者基本権を根拠に、これを差し止めようと「ピースナウ・市民平和訴訟」と名付けた集団訴訟が実現した。東京では1100人を超える人々が原告となり、80名ほどの弁護団が結成された。私が弁護団事務局長を務め、団長は正式に置かなかったが、明らかに眞規さんが「団長格」だった。

東京地裁に訴状提出後、担当裁判長(後に最高裁裁判官となった涌井紀夫判事)から 「訴状に貼付すべき印紙が不足しているのではないか。原告弁護団の手数料計算方法に疑義がある」という指摘を受けた。裁判所の考え方を文書で示していただきたいと要望したところ、ファクスが届いた。これがなんとも素敵なものだった。

本件の係争にかかる経済的利益を差し止め対象の支出金額である1兆2000億円とし、これを訴額として1人あたりの手数料を算出して、 原告の人数を乗ずるという算定をすべきだという。

驚くなかれ、この算定方法では訴状に貼付すべき印紙額は3兆4000億円(当時の司法総予算の15年分)になる。 最高額の印紙(10万円)で貼付して、東京ドームの天井にも貼りきれない。

私と眞規さんとで、手を叩いて喜んだ。さっそく記者会見を開き、これは当時格好の話題となった。それまで、この訴訟に目もくれなかったすべてのマスメディアが、俄然注目し社説を書いた。天声人語も、余録も取り上げた。

その時の眞規さんの思い出はそれだけではない。眞規さんは、自ら書証の整理担当をかって出た。第1回期日以前に、1000点を超える甲号証を整理して提出している。本来なら事務局長の私の仕事なのだが、眞規さんの仕事にのめり込む姿勢に驚いた記憶が鮮明である。

もう一つ。下記は「法と民主主義」2003年11月号に掲載された、佐藤むつみ編集長の「とっておきの一枚」という連続インタビュー、池田眞規さんの巻である。「楽しきコスモポリタン 憲法九条を連れて」と標題されている。
ご供養に、この記事を引用させていただく。

 池田先生は弁護士になって四〇年。この一〇年が一番充実した楽しい仕事が出来たという。弁護士になるまで病気をしたり風早八十二先生の事務所を手伝っていたりちょっと寄り道をして、一八期、七五才になる。ここ二〇年、先生は全然年を取らず髪も真っ黒。アジア集団安全保障共同体構想を語る時、コスタリカのことを語る時、ほとばしる思いが凛々と伝わってくる。独特のテンポののんびりとした口調にだまされてはいけない。人を食ったような語り口は昔のNHKの子ども番組「チロリン村とクルミの木」の渋柿じいさんみたいだ。素朴な土のにおいが濃厚にする。
 私の事務所は東京四谷、池田先生とは同じご町内。時々ばったりとお会いする。これがただじゃすまない。コスタリカに行く前の日に会った時など「コスタリカはすごいよ。あんたも行きなさい。あんな小さな国が戦争放棄してるんだ。俺たちも学ばなくちゃ。」と遠足に行く前の子どもみたいである。うれしいな、うれしいな。アジア集団安全保障構想の話しの時は悲劇だった。遅れた昼食を取っているとそこに現れた池田先生「ふっふっ」と私のテーブルにくる。「朝鮮半島と日本と中国が共同体を作る。みんな非核宣言をする。俺は昔からこう言ってたんだ。あんたはどう思う。」私はご飯が食べたいの。どう思うって言われたってね。いい加減に聞いていると「あんたもう俺の話を聞きたくなくなったな」とギロリと威嚇する。これで嫌われたかなと思っていたら本人はすっかり忘れている。
 池田眞規先生は一九二八年に韓国の大邱で生まれ釜山で育った。兄一人姉三人の末の次男坊である。父佐忠は天草出身の事業家で釜山の港湾建設事業を取り仕切っていた。豪放磊落な自由人で目端の利く面白い人物だった。メキシコから石油を輸入しようとしたり、蔚山(ウルサン)と山口県の油谷町に港を作り新航路開発事業を計画したり、何とも闊達である。山本五十六連合艦隊司令官とお友達で、真珠湾攻撃の前日、旗艦長門から山本が書いた書を送ってもらたりしている。
 マキちゃんは小さいとき引っ込み思案の少年で、たまにしか会わない父親に恥ずかしくてあいさつもできなかった。中学四年終戦間近の三月、マキちゃんは明治大学付属の専門学校造船科に進むために最後の関釜連絡船に乗って上京。東京は大空襲で焼け野原だった。八月玉音放送を聞く。何のことだかわからなかった。教授が泣くのをみて負けたんだと思った。翌日丸の内の交通公社で釜山行きの切符を手に入れマキちゃんはさっさと学校をやめ釜山に帰ってしまう。仙崎から出る船に予科練の制服借りて復員兵になりすまして乗船、無事帰宅。「まさちゃんが帰ってきた」みんなびっくりした。
 マキちゃん一七才。コルト六連発を尻ポケットに突込んで毎日デモをみたり、引揚日本人の世話会長だった父親の仕事を手伝ったりしていた。一一月父親がCIAにつかまる。アメリカ軍にワイロを渡して日本人を守ってくれと接待した容疑。二四時間以内の追放命令、身の回りのものをリックにつめてすぐに引き揚げ船に乗った。油谷町の広大な土地でマキちゃんは農業でもしようと思っていた。ところが「バカでも入れる学校がある」と従兄弟から勧められ「まさ、行ってこい」の父の一声でマキ青年は熊本語学専門学校に入学。そこでマキ青年は東洋哲学の俊英玉城康四郎先生に出会い、哲学を学ぶ。一年結核で休み四年かかって専門学校を卒業、また従兄弟に勧められ九州大学に進学することとなる。
 五〇年マキ青年は九州大学法学部に入学する。入学したらあまりに授業がつまらなくてやめようかと思ったが、法律学科から政治学科に移り何とか留まった。そしてマキ青年は左翼の洗礼を受け学生運動に邁進する。ところが結核が再発、中野の組合病院で手術を受けることになる。大学は取れていた単位で五三年に卒業した。父親も死亡し経済的にも大変な療養生活だったが、マキ青年はどんなときにも落ち込まない。今もそうである。ものにこだわらない楽天性は父親譲りである。
 病院を退院した時、風早事務所で事務員を募集しているから行ってみたらと進められる。行ってみると風早先生は九州大学の恩師具島兼三郎先生の師であった。人生の巡り合わせは不思議なもの。池田青年に「君は弁護士になってわしの手伝いをしろ」と風早先生の命。風早事務所で弁護修習、六六年から弁護士となる。風早事務所の大番頭として約一五年間、勤める。
 弁護士になると、何も知らずにうっかりと「地獄の百里弁護団」に入り、事務局を押しつけられ、これを二〇年勤める。訴訟活動はもちろん大衆的裁判闘争の運動を引っ張る要でもあった。池田先生は「生きた憲法九条の平和の思想」を百里の農民の地をはう戦いのなかで血肉とする。土の匂いはここから生まれたのかも知れない。
 百里裁判と平行して、日本被団協に押しかけて、「被爆者の望むことは、何でもやります」と誓うそそっかしさ。原爆を裁く国民法廷運動も楽しくやり、一九八九年には国際反核法律家協会のハーグでの創立総会に参加。日本での反核法律家運動にも関わるようになる。九一年に国際反核法律家協会(IALANA)の呼びかけで始まった「世界法廷運動」が日本では国民的な大運動となり、九六年国際司法裁判所のすばらしい「勧告的意見」に結実。九九年ハーグ市民社会会議に参加し、その平和アピールでは公正な世界秩序のための第一原則として「各国議会は、日本国憲法第九条のような、政府が戦争を禁止する決議を採択すべき」とまで言わしめたのである。
 しかし国内では憲法九条は改悪の危機。二〇〇〇年池田先生らは軍隊を捨てた国コスタリカに出かけるのである。名カメラマン池田先生が撮った軍隊廃止を宣言した亡フィゲーレス大統領夫人のカレン女史の写真がある。とてもいい。先生とカレン女史との関係がそこに出ている。日本にお客様を呼ぶとき池田先生は成田に迎えに行き日本にいる間中一緒に行動する。そして成田まで送る。この熱い心を「幸せはささやかなるを極上とする」妻ゆきさんがかたわらで支えているのである。
 「ボクは人にいつも恵まれるの。すばらしい人が現れて運動を支えてくれる。すごいよ」

池田眞規
1928年 韓国大邱に生まれる
1953年 九州大学法学部卒業
1966年 弁護士登録・百里裁判・被爆者運動に没頭。
1990年 日本反核法律家協会初代事務局長。
2016年 逝去(惜しまれつつ)

(2016年11月16日)

中国の人権派弁護士弾圧の報に、治安維持法時代の弁護士受難を思う。

時事や共同の配信記事によると、中国の「人権派弁護士」に対する弾圧がエスカレートして、有罪判決が相次いでいる。かつての天皇制政府による治安維持法による弾圧にも似た理不尽が今も現実に起こっているのだ。隣国の問題として座視するに忍びない。

昨年7月、中国当局は「人権派弁護士」を主とする人権活動家を「拘束・連行」した。その数200人を超す。令状による逮捕ではない「拘束・連行」の法的な根拠はよく分からない。治安維持法の予防拘禁のような制度があるのかも知れない。

いち早く警鐘を鳴らした香港のNPO団体「中国人権弁護士関注組」の当時の発表によれば、2015年7月16日までに拘束・連行された人権派弁護士や活動家は205名。「長期化する当局の摘発に、活動家らからは『弁護士を徹底的に脅して抑え込もうとしている』と懸念の声が上がっている」という。

同団体によると、当局が拘束を継続しているのは「社会秩序を乱す重大犯罪グループ」とみなされた「北京鋒鋭弁護士事務所」の主任弁護士、周世鋒氏や女性弁護士の王宇氏ら11人。一部は自宅に軟禁されている。ほかに15人の行方がつかめていない。179人は「一時拘束」だったようだ。

当局に「拘束」された人権活動家たちへの弁護活動が妨害され、弁護士接見も家族との交流も途絶されたまま、「拘束」が長期化した。治安維持法時代と同様、強要されてやむなく転向した者はその旨を表明して釈放されたが、連行1年を経て、拘束が継続している者23名と報じられている。

本年(2016年)7月9日には、今も拘束中の弁護士の家族ら7人が、即時釈放などを求める共同声明を出した。当局はこれに対して翌8日には、支援者の弁護士1人を新たに拘束することで応じ、「抑圧の手を緩める気配はない」(共同)。

その後、7月15日に、中国天津市人民検察院(地検)第2分院は昨年7月から拘束していた人権派弁護士の周世鋒氏や著名な民主活動家の胡石根氏ら計4人を国家政権転覆罪で起訴すると決めた、と報じられた。

周世鋒氏らの国家政権転覆罪刑事公判の進展に注目していたところ、7月30日には、「中国天津市人民検察院(地検)に「国家政権転覆罪」で起訴された中国の人権派弁護士の周世鋒氏ら4人について、家族や家族が依頼した弁護人を締め出した「秘密裁判」が近く開かれる見通しとなった。同罪で有罪の場合、懲役10年以上となるケースが多い。関係者が30日明らかにした。」(共同)との報道があって、その報道のとおりに公判の内容についてはまったく不明のうちに、相次ぐ有罪判決となっている。

周氏は、「著名な女性弁護士の王宇氏=国家政権転覆容疑で逮捕=らと共に弁護士事務所を設立。有害物質が混入した粉ミルクで多くの乳幼児に健康被害が出た事件の訴訟に関わるなど人権擁護に取り組んできた」と紹介される弁護士。

時事通信の伝えるところでは、昨日(8月4日)「中国の天津市第2中級人民法院(地裁)は、『国家政権転覆罪』で起訴された弁護士の周世鋒氏(51)に懲役7年、公民権剥奪5年の判決を言い渡した。周氏は上訴しないと表明した。国営新華社通信が伝えた。
 周氏は北京鋒鋭弁護士事務所の主任として、多くの人権侵害事件に取り組んできたが、昨年7月に民主活動家ら300人以上に対して行われた一斉連行で拘束された。このうち4人が今年7月、政権転覆罪で起訴され、有罪判決が出たのは周氏が3人目。」

続いて今日(8月5日)「中国『人権派』裁判、4人目にも有罪判決」の報道。
「中国で今週相次いで行われている人権派弁護士や活動家の裁判で、4人目にも有罪判決が下されました。この間、家族や主な支援者は自宅で軟禁状態となり、裁判の傍聴は許されませんでした。5日、初公判が行われたのは、会社経営者で人権活動家の勾洪国氏(54)で、国家政権転覆罪で懲役3年・執行猶予3年の判決が言い渡されました。」(TBS動画ニュース)

傷ましいのは、同氏が次のように言わされていることだ。「私は西洋のいわゆる『民主思想』にだまされていたと分かりました」(人権活動家 勾洪国氏)
報道では、「国営テレビで流された勾洪国氏の法廷での発言は、今週裁判が行われた他の3人と似たような文言で反省と謝罪が繰り返されました。」とされている。

「勾洪国氏の妻・樊麗麗さんら家族や主な支援者は警察に監視され、自宅軟禁状態となっていました。」「去年7月に一斉拘束された人権派弁護士や活動家のうち残る19人は、依然として家族や弁護士の接見が許されず、裁判の日程も明らかになっていません」とも報じられている。

刑事司法の公正こそは、一国の人権保障水準のバロメータだ。民主化度の試金石と言ってもよい。国民の人権は、権力の恣意的発動から厳格に守られなければならない。政権や党の意向次第で、法に基づかない人身の拘束があってはならない。適正な司法手続を経ずに、刑罰が科せられてはならない。

中国のこの刑事司法の原則無視は、まるで野蛮な天皇制下での日本共産党員やその同調者に対する弾圧の再来ではないか。

改正治安維持法に、「結社ノ目的遂行ノ為ニスル行為ヲ為シタル者ハ二年以上ノ有期ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス」という罰条が設けられている。「共産党の目的遂行の為に弁護活動をした」という認定で、弁護士が逮捕され有罪となったのだ。

良心的に果敢に人権のために闘った優れた弁護士の多くが、法廷で権力と切り結んだ弁護活動を理由に起訴され有罪になり、弁護士資格を剥奪された。3・15事件、4・16事件などの弾圧で逮捕された多くの共産党員活動家が治安維持法で起訴され、その弁護を担当した良心的な弁護士が熱意をもって弁護活動を行った。この法廷での弁護活動が治安維持法違反の犯罪とされて起訴されたのだ。悪名高い、「目的遂行罪」である。「外見上は弁護活動に見えるが、実は共産党の『国体を変革し私有財制度を否定する』結社の目的遂行のために法廷闘争を行ったもの」と認定されて有罪となった。有罪となった弁護士は司法省(検事局)から資格を剥奪された。

中国の事態の深刻さを憂うる。そこに、権力の本性を見ざるを得ない。我が国の天皇制政府の蛮行を忘れてはならない。戦前回帰などなきよう、心したい。
(2016年8月5日)

弁護士会ともあろうものが、叙勲のお祝いなどすべきではない。

弁護士会には、インフォーマルな組織として「会派」というものがある。俗にいう「派閥」である。弁護士会長を目指す者は、この会派の活動を積み上げなければならない。最大の単位会である東京弁護士会には、老舗の「法曹親和会」と「法友会」との二大会派があり、「派閥の弊害解消」を目指した第3のグループとして、今や立派な派閥となった「期成会」がある。

私は、期成会に所属している。かつては、期成会から選挙に出て常議員(議決機関のメンバー)にもなり、会内選挙政策の立案にも携わった。今も、期成会への所属意識はもっており、その政策にほぼ共鳴している。

その期成会が、一昨日(7月11日)「東京弁護士会における叙勲受章会員のお祝い会についての意見書」を発表し、同時に東京弁護士会長に提出した。

東京弁護士会が5月31日付で、会内の諸団体に「会として叙勲受章会員のお祝い会を行うことの是非」についての意見照会をした。これに対する期成会の意見具申がこの意見書である。

私は、この意見の作成に関わっていない。まったく知らなかったが、すばらしい内容となっている。下記のURLでご覧いただけるが、全文を貼り付けるので是非お読みいただきたい。
  http://kiseikai.jp/pdf/20160711151800.pdf

2016(平成28)年7月11日付意見書
東京弁護士会会長小林元治殿
  東京弁護士会期成会代表幹事 千葉肇

2016(平成28)年5月31日付の意見照会(東弁28意照第7号?2)につき、期成会として次のとおり意見を述べる。
  意見の趣旨
東京弁護士会として叙勲受章会員のお祝い会は開催するべきでない。
  意見の理由
1 叙勲制度については,東京弁護土会内に多様な意見があり,叙勲受章者のみを対象にしたお祝い会を開催するのは不適当である。
 そもそも叙勲制度については,肯定的意見の外に叙勲制度そのものを否定する考え方,現行叙勲制度に疑問を有する考え方,その運用(いわゆる官優先など)に批判的な考え方など,多様な意見が存している。
 例えば,一般的な憲法教科書といわれている野中俊彦ら「憲法??」(第5版)では,「栄典の授与は,伝続的に恩赦と並んで君主の特権と考えられできた。」,「位階及び褒章は勅令で,勲章は太政官布告で定められていたことなどから日本国憲法との適合性に疑義かあり,その授与を原則的に停止して,法律による新制度の制定を考えた。しかし栄典法案がなかなか成立しなかったので,政府は法律の制定を待たずに停止していた戦前の制度を復活させて活用する道を選んだ」(上出「憲法?」129・30頁),「法律を制定しないで、戦前の制度に依拠して栄典授与を復活した現行の慣行には,問題かある。」(上出?204頁)とされている。
 そして,東京弁護士会(以下,「当会」という)を含む弁護士会には,叙勲辞退者が比較的多数存することを考えても,他の団体等以上に多様な意見が存しているといえる。そのような状況のなかで,東京弁護士会として,叙勲を受章する旨の意思を示した会員のみを対象としたお祝い会を開催するのは不適当である。
2 弁護士は,在野法曹という立場から諸活動を行っているのであり,国家(天皇)が与える勲章に追随して,弁護士会がお祝いをすることは,在野法曹としての矜持にそぐわないというべきである。
 現在,多くの弁護士は,在野法曹として,一般市民の目線で,誠実・積極的に事件処理を行うことにより,基本的人権擁護・社会正義実現に寄与している。
 また,公害・労働・消費者事件など様々な先進的な分野で献身的努力をすることによって,従来の国の制度に対し,新たな弱者保護の判例・法制度を作り出してきた。このような在野法曹としての立場は,弁護士の原点であり矜持というべきである。
 これに対し,叙勲制度は,国家が表彰するに値すると評価した方に与えられるものであり,在野たる弁護士会が,これに追随してお祝いまでする必要は存しない。
3 表彰されるべき会員は多くいるのであり,あえて叙勲受章者を祝おうとするのは不公平・不適当といえる。
 上述のとおり,弁護士は,多様な分野で諸活動を行っているのであり,その活動を表彰されるべき会員は多数にわたる。ところが,現状の叙勲制度は,日弁連正副会長・理事など限定された役職者等を対象にしたものであり,表彰されるべき者としては限定的といえる。もちろんこれらの方々が多大な努力をしたことには敬意を表するものであるが,あえて叙勲受章者を祝おうとするのは不公平・不適当といえる。現在でも当会は,弁護士登録何十周年という形でお祝いをし,前年度当会理事者に感謝状を差し上げているといった,当会独自のお祝いをしているのであり,それで充分といえる。
4 当会は,叙勲対象者の推薦をしているものではなく,お祝い会をする必要もない。
 現在の叙勲対象者の決定シムテムは,日弁連の依頼により,当会が,慣行に基づく対象候補者に受章の意思確認を行い,叙勲を受章する旨の意思を示した会員を報告するというものに過ぎない。従って,当会が独自に推薦するというものではないのであり,会としてお祝い会を開催する必要もない。
5 叙勲辞退者が少なからずいる中で,お祝い会をするのは相当でない。
 上記のとおり,叙勲制度に対しては多様な意見があり,当会においても,叙勲受章の候補者推薦について辞退する会員が少なからずいるという状況がある。辞退者は自己の信念をもって辞退するものと考えられるが,このような状況下で,受章者を会として祝うことは,辞退者の意向・信念を軽視することにつながり,相当でない。
6 まとめ
 期成会としては,個々の会員が叙勲を受章するか否かにつき,意見を有するものでない。そして,叙勲対象者の方々が先輩会員として,弁護士会の信頼構築のために多大な努力をされたことに敬意を表するものである。
 但し,上記のとおり,多様な意見があり,少なからず辞退者もいること等からして,在野法曹団体である弁護士会として独自にお祝いをすることには反対する。 以上
 **************************************************************************
もちろん、私の私的意見ならこのように品良くはならない。しかし、全員加盟の弁護士会に対する意見書として、この内容に異論のあろうはずはない。

ここで言われているのは、叙勲を「祝う」ことについての、二重の意味での否定的見解である。

ひとつは、国家の制度としての叙勲がもつそれ自体の問題点。位階・褒賞・叙勲などの栄典は、君主の特権として付与されるものであり、日本では天皇制がその権力保持の手段として使われたという指摘である。天皇が、天皇への忠誠者として功労あった者に、厳密な序列と等級を付して位階や勲章を与えた。臣民は、奴隷の心情をもって天皇からの栄典を名誉として感謝する。位階も勲章も奴隷操縦法の一手段なのだ。戦前、これを栄誉としてありがたがった一群のあったことは天皇制教育の偉大な「成果」にほかならない。

時に墓地を歩いて、墓石に位階と勲章の等級が刻みつけられているのを見ることがある。それだけでしかなかった人物の、それだけでしかなかった人生。哀れを禁じ得ない。さらに哀れむべきは、戦後に至ってなお、天皇の名による叙勲に喜々とする一群の人びと。

期成会意見書は、叙勲を受ける人を愚かとも哀れともいわず「(受勲者の)多大な努力に敬意を表する」とさすがに品がよい。しかし、憲法の教科書を引用して、「日本国憲法との適合性に疑義かある」と指摘する。

つまりは、天皇制を支えたシステムの残滓を無批判に受容することについて、受容者限りで喜ぶことには介入しないが、周囲がこれに巻き込まれたり、持ち上げたりすべきではないという意見表明なのだ。

そしてもう一つは、弁護士という在野の存在が叙勲を祝うという特殊な問題の指摘である。弱者の側に立ってその人権の擁護に徹してこその弁護士ではないか。そのような観点とはまったく異なる、天皇からの叙勲。そんなものをありがたがって、それで弁護士か。それが在野に徹したあり方か。そんな弁護士会でよいのか、という問題提起なのだ。

さすがに期成会の意見書はそのような品の悪さのない文章になっているが、ツボははずしていない。

あらためて、弁護士の使命や在野性について考えさせられる。在野に徹し、弱者の人権擁護を使命とする立場から、強者であり多数派の象徴である天皇からの叙勲に祝意を表してはならないとする組織もある。まさしく弁護士会がそれに当たる。おそらくは、報道機関も大学も同様であり、宗教団体も似た立場にあるだろう。弁護士会が、「天皇からの叙勲、おめでとうございます」などと言っては世も末なのだ。

期成会がんばれ。東京弁護士会もがんばれ。
(2016年7月13日)

橋下徹対野田正彰訴訟判決再論ー「専門家に表現の自由などない」という投稿に接して

「ちきゅう座」という規模の大きな「ブログ集積サイト」がある。11年前に開設されたものだそうたが、編集委員会が運営している。編集委員会の眼鏡にかなった投稿を掲載し、またブログを転載している。
  http://chikyuza.net/

設立の趣旨を、「今の世界や日本が極めて危うい方向に進んでいるという認識の下に、それぞれの分野の専門家や実践家の眼を通じた、確かな情報、問題の本質に迫る分析などを提供し、また共同の討論の場を作ることを志しています。」と言っている。

なにがきっかけか知らないが、昨年(2015年)の秋ころに編集委員長から丁寧な問合せがあり、以来このサイトが当ブログを毎日転載してくれている。1日の途切れもなく毎回の「憲法日記」を紹介していただいていることをありがたいと思う。

その「ちきゅう座」に [交流の広場]というコーナーがある。4月28日その広場に、「専門家に表現の自由などない / 野田医師の裁判について弁護士さんの安堵に日本社会将来不安。」という投稿が掲載された。投稿者は、「札幌のサル」というペンネームを使っている。

このタイトルの、「弁護士さん」とは、私のことと思い当たる。私は、当ブログ「澤藤統一郎の憲法日記」に、「野田正彰医師記事に違法性はないー大阪高裁・橋下徹(元知事)逆転敗訴の意味」の記事を書いた。4月23日のこと。「札幌のサル」氏には、この記事がお気に召さなかったようだ。明らかに、私のブログに対する批判の投稿。

私も、他人を批判する。但し、権力や権威を有する者、あるいは権力や権威を笠に着る者に限ってのこと。それ以外を批判の対象とすることはあり得ない。

私も、他人から批判される。私には権力も権威もないが、批判するに値すると認めていただいたことをありがたいと思う。拙文をお読みいただき、何らかの反応を示していただいた方にはひとしく感謝申しあげたい。それが、論理的な批判であっても非論理的な批判であっても、である。

「札幌のサル」氏の投稿が、 [交流の広場]に掲載されたということは、おそらく私の再反論が期待されているということなのだろう。投稿の最後の結びも、私への問いかけとなっている。無視していては失礼にもなりかねない。また、野田正彰医師の名誉にも関わるところがある。逐語的にコメントしておきたい。

まず、投稿の全文は以下のとおり。
「専門家に表現の自由などない / 野田医師の裁判について弁護士さんの安堵に日本社会将来不安。」
医師の橋下診断の可否は、その専門性において厳格に問われるべきで、表現の自由などということで正当化されたら、市民やその代表者はたまったものではない。精神病という専門医師の根拠さだか〈な〉らぬ診断で病院や強制収容所送りになったソ連邦を想起させる。野田医師は反権力といわれるが、このたびは弁護士権力に依存しているだけ。医師の橋本〈下〉診断自体がその成否を問われるべきで、専門家には表現の自由などないことを知るべきだ。また自由に表現されたからと言って、その専門性の正しさが担保されるものでもない。野田君(というのはわたしはかれと旧知なので)は何度も無責任な専門家発言をして平気でいられる人物であることを知らない者がいるか。専門性の責任が問われている時代に、専門家の無責任かもしれない表現の自由をよく擁護できたもんです。黒を白ということが仕事?の弁護士さんならではの専門性ゆえですか。<札幌のサル>

投稿のメインタイトル「専門家に表現の自由などない」は、明らかな誤りである。むしろ、「専門家には、その専門分野における意見表明の社会的責務がある」というべきであろう。仮に責務の有無については見解の相違としても、すべての人に保障されている「表現の自由」が、専門家だけには保障されないということはあり得ない。

投稿者は、野田医師の論評の内容を批判する根拠を具体的に指摘し得ず、専門家一般についていかなる表現の自由もない、と極論してしまったのものと推察する。

あるいは、野田医師ではなく、弁護士である私のブログでの記事について、「専門家に表現の自由などない」のだから「表現をやめよ」、と言ったのかも知れない。しかし、私は私の「表現の自由」を絶対に譲らない。「専門家だからものが言えない」とすれば、社会は有益な知見を失うことになる。知る権利が大いに傷つけられることになろう。

投稿のサブタイトル「野田医師の裁判について弁護士さんの安堵に日本社会将来不安」も、あまりに具体性に乏しい一般論での語り口で、それゆえ有益な議論の深まりが期待できない。

橋下対野田訴訟において、なにが争われたか。橋下に対する野田診断の医学的正確性ではない。橋下の過去の言動から推認される橋下の公人としての適性に関する野田医師の見解の表明として、「新潮45+」掲載記事の表現が許容されるか否かが争われたのだ。

原告橋下側は「『新潮45+』記事は原告の名誉(社会的評価)を傷つけるものとして違法」と主張し、被告野田・新潮側は「表現の自由が保障される範囲内の言論として違法性はない」と争った。実質的に、訴訟は「橋下(当時は知事)の名誉と、表現の自由の角逐」の場であった。あるいは「個人の名誉と、国民の知る権利の衡量」の場であったといってもよい。

当然のことながら、橋下個人も人権主体である。その社会的な名誉も名誉感情も尊重されてしかるべきだ。しかし、公人となり、強大な権力をもつ地位に就いた以上、批判の言論を甘受せざるを得ない立場に立ったのだ。

民主主義社会は、自由な言論の交換によって成り立つ。もちろん、自由な言論も無制限ではありえなく、他人の名誉を毀損する言論には一定の限界がある。その限界を狭く解釈したのでは、政治的言論は成り立たない。憲法が「表現の自由を保障する」としているのは、権力者や公人の論評に関しては、その社会的評価を傷つける表現をも許容するものでなくては意味がない。

今回の野田医師逆転勝訴判決は、その理を認めた。「橋下個人の外部的名誉や名誉感情という個人的価値」を凌駕する、野田医師の「表現の自由の価値、その自由に連なる社会の知る権利の価値の優越」を認めたのだ。

私は、「権力者や公人・政治家を批判する言論の自由」をこの上なく尊重する立場であるから、この逆転勝訴を望ましい結果として評価した。これが、投稿者の「弁護士さんの安堵」と言う表現となっている。しかし、そのことが「日本社会将来不安」につながるというのは、荒唐無稽というほかはない。

野田医師の誌上診断ないし見解も、私の野田医師擁護論も、それが大阪府知事という、公人・政治家を対象とした批判の言論であることが大前提である。市井の人物や、体制批判者を指弾する言論と混同してはならない。

現在判例が採用している「公共性・公益性・真実(相当)性」という、違法性阻却要件は相当に厳格である。大阪高裁判決は、野田医師の「誌上診断」は、橋下の社会的評価を低下せしめるものではあるが、その記述は公共的な事項にかかるもので、もっぱら公益目的に出たものであり、かつ野田医師において記事の基礎とした事実を真実と信じるについて相当な理由があったと認め、記事の違法性はないとした。橋下知事(当時)の名誉毀損はあっても、野田医師の表現の自由の価値を優越するものとして、橋下はこれを甘受しなければならないとしたのだ。この違法性阻却のハードルの高さは、けっして言論の自由の濫用による「日本社会将来不安」につながる恐れを生じるものではない。

むしろ、このハードルの高さが政治家批判の言論を違法として封じ、あるいは批判の言論を萎縮させている。この現状こそが、権力者には居心地がよく、民衆には将来不安というべきではないだろうか。

投稿記事本文の「医師の橋下診断の可否は、その専門性において厳格に問われるべきで、表現の自由などということで正当化されたら、市民やその代表者はたまったものではない。」は、必ずしも文意明確ではない。

仮に、「医師の診断が正確であるか否かは、その専門性にふさわしく厳格に問われるべきで、不正確な診断が『表現の自由』ということで正当化されるようなことがあつてはならない」という主旨であれば、その限りにおいて異論があろうはずはない。しかし、訴訟がそのような問題を争って行われたものでないことは既述のとおりである。

「精神病という専門医師の根拠さだか〈な〉らぬ診断で病院や強制収容所送りになったソ連邦を想起させる。」と、問題になりえようもない極論をあげつらうことは無意味である。おそらくは、反権力の精神科医は、敢然として「病院や強制収容所送りとされた側」に立って、体制側の似非医学を反駁することになろう。

「野田医師は反権力といわれるが、このたびは弁護士権力に依存しているだけ。」
これは文意を解しがたい。裁判所や検察は権力だが、弁護士は権力ではない。「弁護士権力に依存」とは、訴訟において訴訟代理人として弁護士を依頼したことをいうのだろうか。それとも、私がブログで判決を肯定的に論評したことを指すのだろうか。どちらにしても、それが「権力に依存した」と論難される筋合いのものではない。

「自由に表現されたからと言って、その専門性の正しさが担保されるものでもない。」は、当然のこと。「表現の自由の範囲内の言論」として違法性を欠くことと、言論の内容である誌上診断の正確性とは、まったくの別問題である。だから、何の批判にもなっていない。

仮に、橋下が野田医師の患者であったとすれば、野田医師には橋下の症状や診療経過について、医師としての職業上の守秘義務(刑法134条)が課せられる。今回のように、医師が誌上で、ある人物の症状や疾患について直接本人に対する診察を経ることなく見解を述べるのは、普通の読者の普通の注意による読み方をすれば、厳密な確定的医学診断ではありえない。飽くまでも仮説的意見ないし論評に過ぎない。そのような意見・論評は、公人についてのものである限り許されるのだ。もとより、疾患診断の正確性とは別問題である。

「野田君(というのはわたしはかれと旧知なので)は何度も無責任な専門家発言をして平気でいられる人物であることを知らない者がいるか。」という表現は、事実を摘示することにより野田医師の名誉を毀損するものである。「札幌のサル」氏が、野田医師に訴えられたとすれば、氏の側で、その表現の公共性・公益性・真実(相当)性を立証しなければならない。野田医師は、橋下から訴えられ、その面倒なことをして勝訴した。

「専門性の責任が問われている時代に、専門家の無責任かもしれない表現の自由をよく擁護できたもんです。」
もし、この議論が通用するなら、医師や弁護士や会計士や技術士や、ありとあらゆる学問の研究者の権力批判の言論を封じることになり、権力批判の言論を擁護することもできなくなる。具体論なしで、ある側面を極限まで一般化する論理の過ちの典型と指摘せざるを得ない。

弁護士は、「黒を白という専門職」ではない。しかし、黒と白とをしっかりと見極めるべき専門職ではある。そして、権力と対峙する人権の側に立つべき専門職でもあると理解している。私のブログ記事に、批判さるべきところは、いささかもない。
(2016年5月5日)

「フラタニティ(友愛)」とは、搾取の自由に対抗する理念である。

「季刊フラタニティ(友愛)」(発行ロゴス)の宣伝チラシの惹句を起案した。6人が分担して、私の字数は170字。最終的には、下記のものとなった。

経済活動の「自由」が資本主義の本質的要請。しかし、自由な競争は必然的に不平等を生み出す。「平等」は、格差や貧困を修正して資本主義的自由の補完物として作用する。「フラタニティ」は違う。資本主義的な競争原理そのものに対抗する理念ととらえるべきではないか。搾取や収奪を規制する原理ともなり得る。いま、そのような旗が必要なのだと思う。

いかにも舌足らずの170字。もう少し、敷衍しておきたい。

典型的な市民革命を経たフランス社会の理念が、『リベルテ、エガリテ、フラテルニテ』であり、これを三色旗の各色がシンボライズしていると教えられた。日本語訳としては、「自由・平等・博愛」と馴染んできたが、今「フラテルニテ」は、博愛より友愛と訳すのが正確と言われているようだ。この雑誌の題名「フラタニティ」は、その英語である。

「自由・平等」ではなく、「友愛」をもって誌名とした理由については、各自それぞれの思いがある。市民革命後の理念とすれば、「民主」も「平和」も「福祉」も、「共和」も「共産」も「協働」もあるだろう。「共生」や「立憲主義」や「ユマニテ」だってあるだろう。が、敢えて「フラタニティ(友愛)」なのである。

自由と平等との関係をどう考えるべきか、実はなかなかに難しい。「フラタニティ」の内実と、自由・平等との関係となればさらに難解。されど、「フラタニティ」が漠然たるものにせよ共通の理解があって、魅力ある言葉になっていることは間違いのないところ。

「フラタニティ」は、この社会の根底にある人と人との矛盾や背離の関係の対語としてある。競争ではなく協同を、排斥ではなく共生の関係を願う人間性の基底にあるものではないか。多くの人が忘れ去り、今や追憶と憧憬のかなたに押しやられたもの。

市民革命とは、ブルジョワの革命として、所有権の絶対と経済活動の自由を最も神聖な理念とした。市民革命をなし遂げた社会の「自由」とは、何よりも経済活動の「自由」である。その後一貫して、経済活動の「自由」は資本主義社会の本質的要請となった。経済活動の自由とは、競争の自由にほかならず、競争は勝者と敗者を分け、必然的に不平等を生み出した。そもそも持てる者と持たざる者の不平等なくして資本主義は成立し得ない。

したがって、資本主義社会とは、不平等を必然化する社会である。本来的に自由を重んじて、不平等を容認する社会と言ってもよい。スローガンとしての「平等」は、機会の平等に過ぎず、結果としての平等を意味しない。しかし、自由競争の結果がもたらす格差や貧困を修正して、社会の矛盾が暴発に至らないように宥和する資本主義の補完物として作用する。一方、「フラタニティ」は、資本主義的自由がもたらした結果としての矛盾に対応するものではなく、資本主義的な競争原理そのものに対抗する理念ととらえるべきではないだろうか。

人が人を搾取する関係、人が人と競争して優勝劣敗が生じる関係、そのような矛盾に対するアンチテーゼとしての、人間関係の基本原理と考えるべきではないだろうか。いま、貧困や格差が拡がる時代に、貧困・格差を生み出す「自由」に対抗する理念となる「旗」が必要なのだと思う。

なお、「博愛」か「友愛」か。
「愛」は、グループの内と外とを分けて成立する。外との対抗関係が強ければ強いほど、内なる「愛」もボルテージの高いものとなる。社会的には許されぬふたりの仲ほどに強い愛はない。家族愛も、郷土愛も、民族愛も、愛国心も、排外主義と裏腹である。外に向けた敵愾心の強さと内向きの愛とは、常に釣り合っている。

「友愛」は、「仲間と認めた者の間の愛情」というニュアンスが感じられる。最も広範な対象に対する人類愛は「博愛」というに相応しい。もっとも、「博愛」には慈善的な施しのイメージがつきまとう一面がある。ならば「友愛」でもよいか。訳語に面倒がつきまとうから、「フラタニティ」でよいだろう。
(2016年3月30日)

「なかば偶然なかば必然の、弁護士と事件との関わり」

私は、司法修習生となって間もなく青年法律家協会(青法協)に入会した。私の同期では、3分の2を超す修習生が青法協の会員となった。学生自治会のノリである。私は、修習2年の半分ほどの期間を同期会の議長の任にあって、有意義な課外修習をした。

私の司法修習が終わる頃が、司法の嵐吹く時代であった。石田和外長官時代の最高裁は、私と同期の仲間に、司法権の権力装置としての本質を、懇切丁寧に実地に教えてくれた。その時期、私は弁護士になって直ちに、自由法曹団に加入した。こちらは、「闘う弁護士の組織」。私の依拠する弁護士団体は、青法協から自由法曹団に移り、やがて日民協となった。それでも、いまだに青法協の会員であり、滅多に顔を出さないものの自由法曹団でもある。

その自由法曹団の東京支部ニュースに寄稿を求められた。「若手弁護士へのメッセージ」を書けという。ともかく、責めを塞いだ文章が支部ニュースの最新号に掲載となった。「なかば偶然なかば必然の、弁護士と事件との関わり」と標題を付けたもの。一興に、ご紹介したい。

弁護士人生、なかなかに味があり捨てがたい。最近、つくづくとその思いが強い。
自分の外に自分の主人を持つ必要はない。自分の生き方を自分で決めて、自分の責任で自分の流儀を貫くことができる。誰におもねることもないこの立場をありがたいと思う。私には、器用に立ち回って、カネや権力や名声を得ようという過分な望みはない。最期までこの自由をこよなく愛し謳歌しようと思っている。
この、「自由業としての弁護士」という職能をつくり出したのは、近代市民社会のすばらしい知恵である。市民社会は、権力にも資本にも屈せず、弱者の人権擁護のために闘う専門家職能としての弁護士集団を必要としたのだ。芸術や文芸や学問の才能に恵まれない私にとって、いま享受している私の自由は、市民社会からの恩恵としてあるもの。だから私は、在野に徹して、権力や資本に抗い、社会的同調圧力にも妥協しないことで、社会の期待に応えなければならない。そう思い続けている。

弁護士になるときは、自由法曹団員弁護士となることを自覚的に選択した。そして、初心を忘れてはならない、などと自分に言い聞かせもした。しかし、あっという間に「初心を忘れない」などという心得は不要だと悟った。権力も資本も社会的多数派も、私に相談も依頼もしては来ないのだ。その対極にある、権力や資本に人権を蹂躙された者、少数派として排斥された者だけが、私を頼ってくれることになり、初心は自ずから貫かざるを得ない立場となった。こうして、精神衛生的にきわめて快適な健康状態を保っての45年が経過した。

結局は、弁護士のあり方は、依頼者と依頼事件が決めることになる。弁護士と事件との結びつきは、なかば偶然なかば必然である。

私は、東京南部法律事務所で「駆け出し時代」を過ごした。文字どおり、どこにでも駆け出して行った。ストライキやロックアウトの現場は大好きだった。しばしば団交にも参加した。労働組合結成のための学習会、弾圧事件の接見、警察への抗議行動、被解雇者と一緒に会社の門前での宣伝行動参加などに躊躇することはなかった。いくつものワクワクするような労働事件の受任の機会に恵まれた。今は昔の物語である。このとき、私の受任事件のすべては、南部事務所が地域からの信頼によって得たものだった。

その後、独立したとたんに依頼事件の質が変わった。労働事件は激減し、私の依頼者は、表現の自由であり、消費者の利益であり、患者の権利であり、政教分離であり、平和あるいは平和に生きる権利であり、教育を受ける権利であり、民主主義であり、行政の公正となった。決して、私の方から依頼者や事件を追いかけたものではない。すべて、なかば偶然に事件に関わらざるをえなくなったものだ。だが、事件との関わりにはなかば必然の要素もあったのだと思っている。 

いまは、あちらこちらに駆け出していくだけの体力と気力に乏しい。だが、弁護士として役に立つ限り、出会った事件と依頼者を大切に、誠実に仕事をしていきたい。何しろ、弁護士人生、なかなかに味があり、捨てがたいのだから。
(2016年2月11日) 

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