本日の岩手日報に、昨日県政記者クラブで会見して情報を提供した「浜の一揆」の記事が掲載になった。驚くべし。ベタ記事の扱い。しかも、内容不正確。提供した記者会見用資料さえ読んで書いたとは思えない。日経や読売の報道の方がずっとマシといわざるを得ない。かつてはそんなことはなかった。しっかりせよ、岩手日報・記者諸君。
盛岡在住の時代には日報の朝刊で夜が明け、日報の夕刊で日が暮れた。当時県内唯一の夕刊発行紙(残念ながら、今夕刊発行はなくなっている)。圧倒的なシェアを誇り、県内世論への影響力は抜群だった。その岩手日報の紙面にも日報の記者諸君にも、私には愛着がある。愛着があるだけに、その紙面の姿勢や水準には無関心ではいられない。
1985年国家秘密防止法案が国会上程されたとき、全国に反対運動が起こってこれを廃案にした。そのとき、岩手は先進的な運動の典型を作った。どのように、「先進的な運動の典型」かといえば、県内の弁護士とジャーナリストの共闘関係を築き上げたことにある。もっと具体的には、岩手弁護士会と岩手日報労働組合の強固な連携ができたこと。これを中心に、岩手大学などの教育関係者、著名な作家などの文化人が加わって、「国家秘密法に反対する岩手県民の会」がつくられ、多くの労組・民主団体が加わり、いくつもの企画を成功させた。日報紙上には、何度も県民のカンパによる国家秘密法反対の意見広告が掲載された。
この運動の以前から岩手弁護士会と岩手の記者諸君との交流は活発だった。その席では常に、「弁護士もジャーナリストも、ともに在野で反権力」とエールの交換がおこなわれた。メディア側の中心は常に日報だったが、朝日の本田雅和、毎日の広瀬金四郎など後に有名になった記者もいた。
当時、私は日報の記者にも紙面の姿勢にも敬意を払っていた。だから、今回は甘えた仲間意識があって、「浜の一揆」といえば、ピンと分かってくれるだろうとの思い込みがあった。目録を除いてA4・5頁の申請書と、6頁のマスコミへの記者会見説明書に目を通してくれれば十分だとも思っていた。しかも、記者会見には当事者の漁民が10人以上も立ち会って記者たちに震災後の生活苦を切々と訴えてもいる。不合理な県政を批判するよい記事を書いてもらえるにちがいない、そう思った私が浅はかだった。
岩手日報の記事の見出しは、「刺し網サケ漁 県に許可要望 県漁民組合」となっている。これが大間違い。これまでの水産行政にも、漁民の運動にも何の知識もなく、漁民の生活苦に何の関心もない記者が書くとこうなるのだろう。
この見出しは3年前なら正確なものだった。震災・津波の被害に、水産行政の面で向き合おうとしない県政に怒りを燃やした漁民が、岩手県漁民組合を立ち上げ、以来県に陳情・請願を繰り返した。そのメインの一つが、「固定式刺し網によるサケ漁の許可を県に要望」だった。しかし、3年を経て要望は遅遅として実現せず、漁民の困窮は「もう待てない」という域に至って、漁民個人が裁判を視野に入れた法的手続きに入ったのである。だから、「要望」ではなく「法的手続き」であり、「権利行使」なのだ。日報の記者には、全くこの重みが理解されていない。漫然と「陳情の繰り返しがあったのだろう」という程度の思い込みが、このような見出しになっているのだ。
記事本文を区切って、全文を紹介する。
「県内各漁協の組合員有志でつくる県漁民組合(藏徳平組合長)は30日、県に固定式刺し網によるサケ漁の許可を求める申請書を提出した。」
これも間違い。申請書を提出したのは、漁民組合という団体ではない。漁民38名が個人として法的な手続きを行ったのだ。記者会見では、この点について口を酸っぱくして説明したつもりだが、全く理解されていない。申請書のコピーも見ているはずなのだが、どうしてこんな記事になるのか了解不可能である。
「藏組合長ら約60人が県庁を訪問し、達増知事宛ての申請書を県水産振興課に届けた。」
これも不正確。「藏組合長ら約60人が県庁を訪問し」まではその通りだが、達増知事宛ての申請書を提出したのは漁民38名であって、「藏組合長」でも「組合長ら約60人」でもない。なお、「申請書を届けた。」という語感の軽さに胸が痛む。この記事を書いた記者には、漁民の声の切実さに耳を傾けようという心が感じられない。
「藏組合長は本県サケ漁が定置網とはえ縄のみで行われていることに触れた上で『定置網漁の経営主体は一部漁協の幹部に偏っている』と指摘。『青森、宮城で認められている固定式刺し網漁が本県で認められないのもおかしい』と主張した。」
この記事が漁民側主張の根拠を紹介する全文なのである。いったい何が問題なのか、記者自身に問題意識がないから、焦点が定まらない。この記事を読んだ一般読者はどう思うだろうか。「漁民組合は、一部漁協の幹部に偏っている定置網漁の権利を自分たちにも寄こせ」と主張しているのだろう、と誤解することになるのではないだろうか。また、「サケの漁法が問題となっており、定置網とはえ縄だけで行われている漁法に、固定式刺し網を追加して許可した方が合理的」だという漁法の選択が論争点なのかと思わせられるのではないか。
漁民の困窮した状態、要求の切迫性、法的な要求の正当性についての言及が全くないから、こんなのっぺらぼうな記事になるのだ。
「県は申請書の内容を審議し、同組合に返答する。」
これはヘンな記事。県が「漁民組合に返答する」ことはあるかも知れないが、本筋の話ではない。あくまで、漁民38名は法に則った許可処分を申請している。不許可処分に至れば、漁民らは不服審査申し立ての上、不許可処分を取り消す行政訴訟を提起することになる。
「同課の山口浩史漁業調整課長は『主張は理解するが、資源には限りがある。漁業者間での資源配分の合意形成が必要だ』との見解を示す。」
ここが最大の問題である。この記事では、県側の言い分を垂れ流す県政広報紙と変わらない。ジャーナリズムとしての在野性の片鱗もみえない。震災・津波後の漁民への思いやりの姿勢もない。
なお、漁業調整課長の『資源には限りがある。漁業者間での資源配分の合意形成が必要だ』が正確な取材に基づくコメントと前提して、一言しておきたい。
本件許可申請に障害事由となり得るものは、許可によって(1)サケ資源の枯渇を招くことになるか、(2)漁業の利益調整に不公正を来すか、の2点のみである。
県の立場は、(1)については何も言うことなく、(2)について、自らの判断を回避して「漁業者間での資源配分の合意形成が必要だ」と逃げていることになる。
「逃げている」という表現は不適切かも知れない。「漁業者間での資源配分の合意形成が必要」とは、言葉はきれいだが、「浜の有力者が譲歩しない限りは、現行の制度を変えるわけにはいかない」という態度表明というほかはない。つまりは、「新たな合意形成ができない限りは」、一般漁民に一方的な犠牲を強いて、一部の有力者の利益に奉仕している現行制度を変更しません、という宣言とも理解できるのだ。
漁民組合は、これまで「新たな資源配分の合意形成」に向けての努力を重ねてきた。その努力は3年に及んだ。それでも、どうしてもラチがあかないので、法的手続きに踏み切ったのだ。県の言い分はもう聞き飽きたことである。県政が、これまでと同じことしか言えないのなら、さっさと行政訴訟で決着をつけるだけのことである。
それまで、漁民は「浜の一揆」の旗を掲げ続けることになろう。
(2014年10月1日)
本日、岩手県漁民組合(組合長・藏?平)の組合員等38名を代理し、岩手県庁の水産振興課を窓口として達増拓也岩手県知事に対して、固定式刺し網によるサケ漁の許可を求める申請書を提出した。申請人らの所在地は、沿岸の各地に広くわたっている。申請人ら漁民は、このサケ漁の許可を求める運動を「浜の一揆」と呼んでいる。
本日の申請は第一次分であり、続いて近々に第二次分50名余の申請を予定しており、さらに第三次申請も想定されている。漁民のサケ漁の許可申請は、その生計と生業を維持するための切実な要求に基づくものであるだけでなく、震災後の沿岸地域経済復興に資するものであり、漁業法の理念に基づいた正当な要求でもある。
秋から冬にかけて漁期となるサケは、岩手県の漁業における基幹魚種とされる。ところが、奇妙なことに岩手県においては一般漁民はこれを採捕することを許されていない。県内では、サケはそのほとんどが大規模な定置網漁業によって採捕されるが、定置網漁業の経営主体は漁協と実質的に一部漁協の幹部であって、岩手の一般漁民は豊富なサケを目の前にして漁に加わることができない。また、この時期、サケ以外にめぼしい採捕魚種はない。
東日本大震災によって壊滅的打撃を受けた岩手県沿岸の漁民にとって、秋サケ漁禁止の事態が継続する限り、岩手三陸漁民の後継者の育成はおろか、現在の漁業の継続自体が不可能となっている。一般漁民において可能な「固定式刺し網」漁による秋サケの採捕を可能とすることが、漁民の生計を維持し、生業を回復して継続するために死活的に重大な要求なのである。
岩手県漁民組合は、2011年10月の結成以来、今日まで、一般漁民に固定式刺し網によるサケ漁を許可するよう県や国の水産行政に陳情や請願を重ねて粘り強く求め続けて来た。しかし、その思いは行政に届かぬままいたずらに時が経過するばかりで、すでに漁民の困窮は、これ以上漫然と行政の変化を待つことができない事態にまで至っている。本日の申請は、行政不服審査法や行政事件訴訟法による法的手続きまで視野におくものである。知事は、漁民に背を向けることなく、「浜の一揆」の要求に応えなければならない。申請人ら漁民の生存権を擁護する立場に立脚し、震災後の沿岸地域経済復興の観点をも踏まえ、また本来あるべき民主的な漁業行政の理念に則って、速やかに本申請を許可すべきである。
そもそも、三陸の漁民に、「サケを捕ってはならない」とする現行の水産行政のあり方が不自然で、不合理というほかはない。県境を越えれば、宮城県でも、青森県でも、その沿岸の漁民は当然の権利として、固定式刺し網によるサケ漁に勤しんでいるのである。申請人らは、これまでこの不自然で不合理な岩手県の水産行政に甘んじてきた。しかし、震災後の生活苦はその不合理を耐え難いものとして、今ようやくにして公正な漁業資源の配分を要求する法的手続きに至ったものである。
漁業法は、漁業生産力の民主的発展を法の目的としている。具体的には、水産資源を保護して漁業の持続性を確保すること、および有限な水産資源の平等で合理的な配分を目的として掲げ、これを法第1条は、「漁業の民主化を図ることを目的とする」と表現している。当然に、岩手県の水産行政も、この法の理念に基づくものでなくてはならない。
最大の問題は、水産資源の平等で公正な配分の実現にある。「漁業の民主化」が必要であり、その民主化の要求運動が「浜の一揆」と呼ばれる所以である。漁協が必ずしも民主的組織ではなく定置網によるサケの漁獲が一般組合員の利益として還元されない現実がある。また、漁協幹部が実質的に個人として定置網漁を営んで巨利を得ている現実もある。
漁民の目から見て、県の水産行政は漁民の利益に配慮するものとなっていない。むしろ、水産行政幹部の天下り先組織の有力者の利益のための行政としか映らない。
漁民のすべてに公正に秋サケ漁を解放せよ。その要求の実現まで、「浜の一揆」は続くことになる。
(2014年9月30日)
これまで、足がすくむ思いがつよくて三陸沿岸を訪れる勇気がなかった。
たまたま、「たっての相談ごとがある」として地元から招かれ、昨日と今日(7月23・24日)岩手県の沿岸・宮古市・山田町と田老地区とを訪れた。宮古も山田も3・11後初めての訪問。
法律相談の件は、15年前の「浜の一揆」の続編である。思い起こすと懐かしい。
ちょうど15年前のこと。私は、山田町大沢漁協から依頼されて、ある仮処分事件と本訴とを担当した。その事件を地元では、「浜の一揆」と呼んだ。私は、一揆勢に加勢したことになる。幸い、仮処分も本訴も、事件はすべて勝訴で終了した。裁判だけでなく、「浜の一揆」前編は大きな勝利を収めた。
この闘いの途中、仮処分の勝利決定の段階で、漁協が中間総括として立派なパンフレットを発行している。タイトルが、ズバリ「浜の一揆」。あらためてこれを読むと、私も精力的によく働いている。そしてなによりも、3・11前の沿岸の風景を懐かしく想い出す。
漁業に関する基本法は、1949年制定の「漁業法」である。その第1条・法の目的に、「漁業の民主化を図ることを目的とする」と書き込まれている。他に、「民主化」という言葉のある法律を知らない。明らかに、戦後改革の一端を担う意気込みの立法である。
江戸期、漁業は封建領主あるいはその家臣団が専権を領有し支配するものだった。明治期に封建領主は姿を消したが、網元支配がこれを受け継いだ。そして、戦後の民主化の中で、「浜」に社会改革が必要なことが強く意識されたのだ。ここにも「戦後レジーム」がある。
しかし、理念は必ずしも現実とはならなかった。「民主化」の実現は、ボス支配と拮抗して一進一退、容易に実現しなかった。山田町の大沢漁協は、極めてドラスティックに「一退」と「一進」を経験した。
この中規模漁協に鈴木甚左エ門という人物がいた。おそらくは、リーダーシップに優れ、魅力的な人柄でもあったのだろう。たちまちに、三陸漁業界に頭角を表し大ボスとなった。
大沢漁協の組合長を務めること40年余。岩手県漁連の会長を7期務め、県内1万9000といわれる漁民の頂点に君臨した。全国漁連の副会長でもあり、地元保守政界の大ボスの一人でもあった。
ボス支配は「民主化」による利益配分の公平と相容れない。鈴木ファミリーによる漁業利益の独占に対する一般漁民の不満はくすぶり続け、とうとう燃え上がった。これが「浜の一揆」である。
1999年大沢漁協臨時総会で、鈴木甚左エ門氏とその妻、そして両氏が主宰する定置漁業生産組合2法人の計4名について、除名決議が成立した。議決権数327のうち、賛成307票の圧倒的多数だった。さらに、大沢漁協の漁民は県漁連の総会に乗り込み、8選確実とされていた鈴木甚左エ門氏を「不適格」と弾劾し、会長の座から引き摺り下ろした。これは、支配・被支配を逆転する社会革命だ。鈴木氏と癒着している県政への批判でもある。
このあたり、私には、オッベルと象の一節を彷彿とさせる。
「象は一せいに立ちあがり、まっ黒になって吠えだした。
『オツベルをやっつけよう』議長の象が高く叫ぶと、
『おう、でかけよう。グララアガア、グララアガア。』みんながいちどに呼応する。
さあ、もうみんな、嵐のように林の中をなきぬけて、グララアガア、グララアガア、野原の方へとんで行く。」
鈴木氏は、「法廷闘争に打って出る」と宣言。舞台は裁判所に移る。大沢漁協の除名決議が1999年6月15日のこと。同月17日には、決議無効の確認を求める本訴と、地位保全の仮処分とが盛岡の有力弁護士を代理人として申し立てられ、私が組合側の代理人として応訴を受任することになった。仮処分申立事件の却下決定は同年8月27日。これで、事実上勝負あったとなった。
もちろん、争いは経済的な実利をめぐってのものである。有限な資源の配分に際して、ボスによる独占を許すか、民主的に公平な配分を実現するかである。このことをめぐって「浜の一揆」がおこった。裁判の勝利は一揆の勝利であり、切実な経済的利益に結びつくものとなった。
その山田町・大沢を大津波が襲った。今回は漁協ではなく、漁民有志からの相談である。今、復興の途上にある漁民は、切実に新たな「浜の一揆」つまりは、漁業の民主化を必要としているという。漁業のボス支配とこれと癒着した県の漁業行政を是正することなしには、一般漁民の生計の復興ができない。後継者が育たない。地域の振興もできない。彼らは、「漁業従事者の生存権」を掲げて、再びの「一揆」に立ち上がろうとしている。これは、たいへん深刻な事態だ。
しかし、あれから15年。私の身体も衰えている。頭も固くなっている。さて、お役に立つことができるかどうか。
私の逡巡にお構いなく、私のブログをよくお読みの漁民と地域の方から、『DHCスラップ訴訟』支援の基金に多額のカンパをいただいた。あんまりありがたくて、義理にはまってしまいそう。
(2014年7月24日)