ご近所の皆さま、三丁目交差点をご通行中の皆さま。お暑うございます。
こちらは地元「本郷・湯島」の「九条の会」です。憲法を守ろう、憲法の眼目である9条を守ろう。平和を守りぬき、絶対に戦争を繰り返してはいけない。アベ自民党政権の危険な暴走を食い止めなければならない。そういう志を持つ仲間が集まってつくっている小さな団体です。平和のために、少し耳をお貸しください。
それにしても、いやはや何とも暑い。敗戦の年、1945年も暑い夏だったそうです。73年前のあの年の今ころ、このあたりは焼け野原でした。3月10日未明の東京大空襲で、23万戸が全焼し、東京市民10万人が焼け死にました。首都が焼かれて一夜にして10万の死者です。こうまでされても、日本に反撃の能力のないことが明らかになりました。
それでも、日本は絶望的な闘いを続けました。4月1日には、沖縄の地上戦が始まります。6月末までの2か月間で20万人の死者が出ました。沖縄戦は、本土決戦の態勢を整えるための時間稼ぎ。7月のいまころは、まだ、一億国民が火の玉となって鬼畜米英との本土決戦を闘い抜くのだ、そんなふうに思い込まされていました。
戦争の最高指導者はヒロヒトという人でした。今の天皇アキヒトという人の父親です。信じられますか。この人は神様とされていました。日本は神の国で、この国を治めるヒロヒトは、アラヒトガミとか、アキツミカミと崇められ持ち上げられていたのです。神様のすることだから、けっして間違うはずはない。本土決戦では、最後はカミカゼが吹いて日本は勝つのだ。多くの人がそう思い込まされていました。神様のすることだから批判などトンデモナイことだったのです。日本国中がオウム真理教の洗脳状態だったのです。何とバカバカしい愚かな世の中だったことでしょうか。
このアラヒトガミは、國体の護持つまりは天皇制の維持にこだわって、日本人が何万、何十万と殺されようが、戦争をやめようとはしませんでした。「もう一度、戦果をあげてから」と言い続けて、結局は無条件降伏まで多くの同胞を見殺しにし続けたのです。
8月6日には広島に史上初めての原爆が投下されます。そして、8月9日には長崎の悲劇が続きます。天皇は、ソ連に、戦争終結のための仲介を依頼して望みを繋げますが、そのソ連が対日参戦するに至って、ようやくポツダム宣言受諾を覚悟します。
こうして、敗戦を迎えて、日本国民は深刻な反省を迫られました。再び戦争は起こさない。起こさせない。再びだまされない。だまされて戦争に駆り出されるようなことはけっして繰り返さない。この国に民主主義のなかったことが、戦争の悲劇をもたらした。天皇を神とするような愚かな社会とは訣別しなければならない。その反省が結実したものが日本国憲法でした。
ところが今、その大切な日本国憲法が危機にあります。安倍晋三という人物によってです。彼は今、9条の改憲に手を付けようとしています。70年余の以前、日本の国民は近隣諸国への敵愾心を意図的に植えつけられました。台湾・朝鮮そして中国、ソ連です。不逞鮮人とか、暴支膺懲とか、さらには鬼畜米英とまで言った。
今また、安倍政権は同じようなことをしつつあるのではないでしょうか。思い出してください。去年10月の総選挙。あのモリ・カケ・南スーダン問題の雰囲気の中では、安倍自民党は大敗するだろうと大方が思いました。しかし、そうはならなかった。明らかに、北朝鮮のお陰です。
安倍自民は、この総選挙を「国難選挙」とネーミングしました。北朝鮮が危険だ。明日にもミサイルが飛んでくる。この国難を救うために強力な政府を。国防の態勢を。こう訴えて、アベ政治は生き残りました。
昔の出来事が繰り返されようとしているのではないでしょうか。安倍政権にとっては、いつまでも危険な存在としての北朝鮮が必要なのです。半島の軍事緊張が必要なのです。北の核がなくなり、南北の宥和が実現すれば、タカ派のアベ政権は無用の長物になり下がることにならざるを得ません。
再びだまされまい。近隣諸国に対する敵意の煽りに乗せられてはならない。暑いさなかですが、米朝・南北、そして日朝・日韓の関係に目を凝らしたいと思います。
米朝首脳会談の成果にケチをつけるのではなく、朝鮮半島の全体を非核化しようと動き出したシンガポール宣言を守らせる国際世論を作っていく努力を積み重ねようではありませんか。
(2018年7月10日)
南北と米朝の首脳会談で朝鮮半島情勢が大きく転換し、この地域に緊張緩和の萌し濃厚となって以来、田中均(元・外務審議官)発言に注目が集まっている。いま、誰しも、2002年「小泉訪朝」を実現させた立役者としての経験や教訓を聞きたいのだ。
この人の言うこと、まことに真っ当である。今この人がしかるべき対外折衝の要職にあれば、日本外交は違った色彩を帯びたものになり、地域の平和に貢献のできる日本外交となるのではないかと思わせる。いや、安倍外交には、もともとそのよう理念も指向もないのだから、残念ながらこの人の活躍の場もないことになるのだろう。
本日の毎日夕刊、特集ワイドは、「松田喬和の ずばり聞きます」。インタビュー相手が田中均。タイトルが、「朝鮮半島問題に戦略を」というもの。もちろん、安倍外交には朝鮮半島問題に戦略がない、ことの批判が滲み出ている内容。
しかし、明らかに批判のための批判ではない。
― 朝鮮と交渉して拉致を認めさせた経験にかんがみて、外交の眼目とは何でしょう?
田中氏 『信頼』です。北朝鮮だって、より重要な目的があれば信頼関係を築く努力をします。例えば日経新聞の元記者が北朝鮮に拘束されていましたが「解放することで信頼を示してほしい」と言ったら解放した。こういったことを積み重ねる。要は、価値観や政治体制か異なっても、うそをつかない、相手に配慮するといったことを続ければ信頼関係は構築できる。そうなれば物事が前に進む可能性か開けます。日本国内で勇ましいことを言って反北・反中・反韓の感情をあおれば、支持率は上がるかもしれませんが、相手にも国民がいます。実際にこれらの国と向きあった時、相手は日本を信用するでしょうか。信頼関係がなければ結果を出せません。
なるほど、そのとおりだ。相互に相手を信頼する関係を築いていくことこそが大切なのだ。「外交の眼目」は、「平和構築の要諦」でもある。これこそ、アベ外交とは真逆の9条理念の神髄と言うべきであろう。
この人、7月3日に、日本記者クラブで対北朝鮮外交について講演している。その概要を報じる朝日の記事は、安倍外交に相当の辛辣さ。
安倍(晋三)首相という人は北朝鮮に対する強い姿勢を前面にかざして首相への階段を上っていった。北朝鮮が脅威であるということを前面にかざして選挙に勝った。これは国内政治としては分かる。でも国内に威勢のいいことを言うのが外交じゃない。国益にかなう結果を作ることだ。
今の日本は外交をやっていない。こういう結果を作るぞという見出しを作ることには類いまれなる政権だが、結果ができているか。「拉致問題を自分の内閣で解決する」と言って、なぜ解決できていないのか説明しているか。
日本がいま置かれている状況は非常な危機であると同時に最大のチャンスだ。フェーズ(局面)を変えることができる。俺(安倍晋三)の言ってた北朝鮮への圧力が効果を上げたんだ、といまだに各国を回って圧力の網を作るのはあまりに芸がない。
世界が注目している朝鮮半島の問題について、日本は戦略を持って見識を示さないと米中にばかにされる。目先を「国内益」から国益に変えてほしい。
この田中均の指摘は示唆に富んでいる。確かに、安倍晋三とは、北朝鮮への国民の憎悪を煽り、煽られた国民の憎悪を糧にして、総理にまで上り詰めた政治家である。対北憎悪に依存して政治生命を育ててきたのだから、国民の対北憎悪がなくなれば、その政治生命も終わることになる。安倍にとっては、半島の緊張は必要不可欠なのだ。トランプが一時米朝会談をやめると言い出したとき、たった一人だけ会談中止を支持したのが安倍だった。何とも恥ずかしいほどのあからさまな態度。
だから、安倍は「拉致問題を自分の内閣で解決する」と言ってはきたが、拉致問題が解決するときは安倍の政治生命も終わるときなのだ。長期政権のためには、拉致問題は北に対する攻撃材料としてだけ重要なので、その解決はなくてもよい。改憲問題も、軍事費の肥大も同様である。北朝鮮は、常に危険で好戦的な存在でなければならない。それこそが安倍政権維持と軍事大国化指向のアベ政治に必要なものなのだ。
半島の情勢変化は、国内政治にも大きな変動をもたらす要因となりそうではないか。
(2018年7月9日)
「盗人にも三分の理」という。この「盗人」の読みは、貧者から盗む奴には怒りと侮蔑の念を込めて「盗人(ぬすっと)」と読まねばならず、金持ちからの窃盗犯には穏やかに「盗人(ぬすびと)」と読むべきだろう。「盗人(ぬすっと)」と「盗人(ぬすびと)」、それぞれの「三分の理」の内容には自ずから異なるものがある。大金持ち専門の盗賊は「義賊」ともなる。この世に格差がある限り、「盗人の理」も永遠不滅と言わざるを得ない。落語「花色木綿」に出てくる「貧の末の出来心」というあの言い訳。
「盗人に三分の理」とは、「三分しか言い訳できない」ことでもある。この点は、博打も同様。確率から言えば、必ず損をするのが博打。その点憐れではあるが、相手の懐にある金を我がものにしようという点では、盗人と変わるところはない。博打を賭博と言っても賭け事と言っても、あるいはカタカナ語でカジノと言い換えてもまったく本質は同じこと。
賭場では、お互いに他人のカネをむしり合う。このむしり合いを煽り高みで眺めながら、テラ銭を稼ぐのが胴元。リスクなく利益だけをむさぼるという点で、割のよい商売だが、それだけにタチが悪い。刑法では、賭博場開張罪として重く罰せられる。歴とした犯罪者である。
「賭博場を開張し、又は博徒を結合して利益を図った者は、3月以上5年以下の懲役に処する。」(刑法186条2項)
賭場開帳者と言っても、カジノ経営者と言っても同じこと。人の不幸を作り出してテラ銭を掠めとる蔑むべき犯罪者。やっていることは本来的悪行である。こんな輩に、「一分の理」も語らせてはならない。
本日(7月6日)、参院でカジノ法案が審議入りした。そして、その前提としてのギャンブル依存症対策法が成立した。何ともヘンな話しだ。「食中毒にならないように腐った物の客への提供を禁止する」のではなく、「客の方に、腐った物への耐性をつけさせよう」という法案なのだ。自民・公明・維新が提案者。これを記憶に留めておこう。罪の深いことといわなければならない。
「盗人猛々しい」という言葉さながらに、アベがバクチ解禁の「一分の理」を趣旨説明した。「経済振興」というのだ。バクチで経済振興。博打で観光客誘致。これがまともな政府の言うことか。さすが、戦後民主主義を否定して戦前日本へ回帰のアベ政治。植民地や占領地にアヘンを売りさばいて戦時財政の原資を捻出した没義道国家の再生ではないか。
本日(7月6日)の東京新聞一面トップに、「カジノ法案にトランプ氏の影 きょう参院審議入り」の大見出し。「カジノ解禁を安倍政権が急ぐ背景には、米カジノ業界から支援を受けるトランプ米大統領の影が見え隠れする。ギャンブル依存症の増加など多くの懸念が指摘される法案は結果的に、日本参入を目指す米側の要求が反映された。」という内容。
トランプの有力支持者として、「カジノ王」シェルドン・アデルソンの名が出て来る。「カジノの経営者」だから、わが国の刑法から見れば歴とした犯罪者。「カジノ王」というぐらいだから、多くの博打打ちから莫大なテラ銭を掠めとって来た人物。人の不幸で大儲けをし、さらに儲けようと虎視眈々。
こんな輩が、「大統領選で40億円近い資金援助をし、今秋の中間選挙でも共和党に資金提供を約束していると報じられる。政権の政策にも大きな影響力を持つ。イスラエルのネタニヤフ首相の支援者でもあるユダヤ系で、米大使館のエルサレム移転を歓迎し、費用の寄付も申し出ている。」という。トランプ陣営の何たる醜悪。
17年2月訪米したアベは、「朝食会でアデルソン氏らを前に、前年12月に公明党幹部の反対を押し切って強硬に成立させたカジノを含むIR整備推進法が施行されたことを『手土産』にアピールした。」という。トランプに輪をかけたさらなるアベの醜悪さ。
アデルソンは日本でのカジノ運営に関して、「客への金融サービス実施や面積規制の緩和も求めた。」と口を出した。その後、「政府案に当初盛り込まれていた面積の上限の数値は消え、カジノ事業者が顧客に賭け金を貸し出すことも認めた。米側の要求と一致したと国会でも指摘されたが、政府は日本の政策判断だと強調する。」
カジノで大儲けできるように、掛け金の貸し付けまでやらせようというのだ。こんな法案が国会通るのなら世も末ではないか。
東京新聞の記事は、最後をこう結んでいる。
「立憲民主党の枝野幸男代表は『米国カジノ業者が子会社をつくり運営し、日本人がギャンブルで損した金を米国に貢ぐ。国を売る話だ』と厳しく批判している。」
はて? アベシンゾーとは、真正の売国奴であったか?
(2018年7月6日)
昨日(7月4日)の毎日新聞仲畑万能川柳欄に、刺激的な一句。
速報が出る度もしや「安倍辞任」 (秦野・たっちゃん)
明けての今日(7月5日)なら、こうでなくてはならない。
速報が出るたびもしや「アベ逮捕」 (よみびと知らず)
昨日現職の文科省局長が、受託収賄の容疑で逮捕されたというのだ。この容疑、どこかで聞いたことがあるような…。日本中で、「もしやアベ逮捕」の期待が高まったとして少しもおかしくない。近畿財務局や佐川理財局長の訴追には鳴りを潜めていた特捜が、今回ばかりはえらく張り切っている。裏があるやらないのやら。難波の仇を江戸で討つのおつもりか。
局長逮捕の被疑事実は「請託をうけて、『(A)東京医科大を文部科学省の私立大学支援事業の対象に選定するという便宜を図る』見返りに、『(B)被疑者の子どもを医科大学に不正入学させてもらった』」ということのようだ。『(A)公務員の職務権限行使』の見返りに、『(B)賄賂の収受』が行われたという、(A)と(B)と、「(C)両者の関連性(見返りに)」の存在が、単純収賄罪成立の骨格である。「請託をうけて」という加重要件が加われば、受託収賄罪として法定刑が重くなる。
誰もが連想する。「もしやアベ逮捕」はあり得ないのか。首相とて公務員である。ロッキード事件では田中角栄が受託収賄で起訴され、1・2審とも有罪判決となった。もっとも、上告中に田中は死亡し、公訴棄却で終わっているが、首相の収賄罪も成立するのだ。検察にやる気さえあれば。
アベの犯罪成立のためには、「『(A)腹心の友が経営する学校法人加計学園の獣医学部設立の要望実現に最大限の便宜を図る』見返りに、『(B)加計学園側から被疑者(アベ)本人に対して賄賂(「人の欲望を満たすに足りる何らかの有形無形の利益」)が提供されてこれを収受した』」ということが必要になる。
誰の目にも(A)は明らかと言ってよかろう。では、(B)の賄賂の収受はどうか。これはことの性質上、表だって人目に付くことではない。必ず裏で行われることだが、その端緒が見えないわけではない。たとえば、アベとの付き合いについて、加計孝太郎はしばしばこんな話を周囲に漏らしているという。
「安倍総理とゴルフに行くのは楽しいけどお金がかかるんだよな。年間いくら使って面倒見てると思う?」(週刊新潮17年7月20日号)
「年間いくら使って面倒見てると思う」かって? そりゃ知りたい。教えていただきたい。是非とも、国会の証人尋問でしゃべっていただきたい。あるいは、特捜の捜査に資料を提供していただきたい。ゴルフ接待、会食接待を調べるところから、賄賂収受が見えてくるだろう。
「魚は頭から腐る」。このごろ、よく聞く。ロシアの諺だというが、なるほど霞が関の腐り方を言い得て妙である。首相が腐り、大臣が腐り、次官が腐り、局長が腐ってきたのだ。上からの腐りが局長まで及んだのに、局長だけが逮捕されて、大臣や首相が安閑としておられるのがおかしいし面白くない。
速報が出る度に、もしや「アベ逮捕」と期待してもよいはずではないか。アベ責任追求の世論がさらに沸騰し、検察にやる気があれば、の話だが。
(2018年7月5日)
うふふ。アベだよ。えへへ。シンゾーさ。今国会の最重要法案が通ったよ。
ほら、「働かせ方改革法案」、いや間違えた「働き方改革法案」だったっけ。今日成立した。いや、むりやり通したよ。公明党も義理がたい。こんな不人気な法案に付き合ってくれて有り難い。とこかで借りを返さなくっちゃね。それから、維新だ。どこかで御礼して帳尻を合わせなくっちゃね。
我ながら、こんな法案よく通ったもんだと感慨深いんだ。厚労大臣も、まあよくこらえたもんだ。普通あれくらい嘘がばれたらへたるものだが、立派に持ちこたえた。たいしたものだ。総理の私も、嘘つき呼ばわりされることはしょっちゅうだが、やっぱりズシンとこたえる。「嘘つき」って、ウソじゃないものね。ホントに私の言うことウソが多いんだからね。加藤厚労大臣、私に代わっての罵倒の受け皿役、改めてご苦労様。
今回の労働法制改革の目玉は、もちろん「高プロ」。「残業代ゼロ法案」とか「働かせ放題法案」と言った方が定着して分かり易いね。誰のための法改正で、誰のための目玉かって? もちろん、企業と財界の利益のための法案。竹中平蔵さんが成立を煽っている法案だからバレバレ。なんたって、財界の永年の夢の法案。だけど、財界のため、企業のための法案なんて、本当のことを正直に言っちゃあ。そりゃお終いだろう。労働者のための法案ってウソをつかなきゃ通せない。
最後の最後まで、よくもまあ嘘を突き通せたものさね。「労働者の働き方の選択肢を増やす」なんて子供だましが通用したから、笑いがこみあげてくる。これなら、どんな法案も、破綻なくいけそうじゃないの。我が内閣の国民欺しテクニック向上の成果だ。
昨日は、エラそうに「ルール守んなきゃ」って言ってみた。今日は、「民主主義とはルールのことだ」と言ってみよう。粛々と多数決で、「働かせ方改革法案」が通ったじゃない。これが民主主義だ。「財界の要請だ」「立法事実に欠ける」「労働者の要請があるなんて嘘っぱち」なんて言ったってもう遅い。多数決というルールこそが民主主義。これに代わるものはない。
ルールは大切ですぞ。Wカップでの日本のサッカーをご覧なさい。ルールを研究し尽くして決勝トーナメント進出を決めたじゃないですか。ブーイングの中10分もパス回しを続けて、勝つためにルールを活用したことが素晴らしい。「スポーツマンシップに悖る」だの、「何のためのサッカーか?」など批判があるようだが、どれもトンチンカン。ルールの範囲なら何をしても非難される筋合いはない。その辺の割り切り方が曖昧だと損をするだけ。
ルールが変われば、そのルールを徹底活用すべきが当然のこと。高プロはもう新ルールとなった。だから、企業がその徹底活用を図ろうというのは当然のことだよね。きっと、ブーイングを恐れず、来年(19年)4月から「働かせ方改革」に邁進することになるでしょう。それでこそ、私が財界の意を受けて財界のために、この法律を作った苦労が報われるというもの。
これで、財界には大きな貸しを作った。次の選挙と「9条改憲」にご協力いただけるはず。だから、「うふふ。アベだよ。えへへ。シンゾーさ。」って訳。
(2018年6月29日)
国会での「ルール守んなきゃ」って発言が話題になってるね。
「ルール」は大切だよね。たしかに「ルールは守んなきゃ」。アベかアソウが、また何かしでかしたんだろう。
そうじゃない。「ルール守んなきゃ」って言ったのが、アベ晋三。言われたのが、「無所属の会」の岡田克也代表。昨日(6月27日)の党首討論でのこと。
えーっ!? あのアベが、どの口で『ルール守んなきゃ』って?
すごくヘンな感じがするだろう。誰だって、アベに対しては『オマエからだけは言われたくないよ』って思うもんね。
どんなきっかけで「ルール守んなきゃ」が出てきたんだろう?
岡田さんが、「総理ね、良心の呵責を感じませんか? あなたを守ろうとするから官僚は…。」とまで言ったら、アベは席を立って、「やっぱり岡田さん、ルール守んなきゃ」って捨てゼリフ。
そうか。アベの言う「ルールを守れ」って、決められた質問時間を守れってことなのか。「良心の呵責を感じませんか?」に答えたくないってことか。
自分に都合よく、つまみ食いでルール違反を持ち出した、といってよいだろうね。
ところで、岡田さんの質問時間は何分あったんだい?
わずか6分。この日の5党首の持ち時間合計が45分だから、これじゃ実質的な討論にはならないね。
その6分は、アベの答弁もいれての6分だろう。アべは、いつも論点ずらして勝手なことをしゃべくるじゃないか。
この日は特にひどかった。日刊スポーツの報道だとこうなっている。
「最終討論者の衆院会派「無所属の会」の岡田克也代表が、森友学園をめぐる昭恵夫人の責任問題に言及すると、首相は制限時間をかなり越えて答弁。委員長に3度も、「総理、時間が超過しています」と注意を受けたが、答弁を続けた。」
なんだいそりゃ、いったい。ルール違反は、アベの方じゃないか。それでいて、「ルール守んなきゃ」とは、なるほどアベらしい。
毎日新聞の報道だと、「岡田氏は『私が再度質問する時間がないように(首相が)長く話したとしか思えない』と記者団に不満を語った」そうだ。他紙も、「首相はこの日、持ち時間内の発言という約束事を守らない場面が多くみられた。」と報じている。また、アベは「『委員長すみません、これで終わります』と言った後も答弁を続け、…『妻の名誉にかかわる話だ』と、答弁を続けた理由を主張した。」ともある。
だいたい分かったよ。自分で時間を食っておいて、時間切れをねらおうという姑息な戦法。自分の不誠実を棚に上げて、人に対しては、臆面もなく「ルールを守れ」と言ってのけるわけだ。たいへんな面の皮。
アベが「ルール」を口にし、他党の代表に「ルールは守んなきゃ」とエラそうに言うことに、ざらつく違和感がある。これはいったい何なのかね。
その正体はね、アベの「ルール大切」が大ウソだからということじゃないのか。あいつは、本当のところルールは嫌いなんだ。それなのに、自分にとって都合の良いときにだけ、つまみ食いの「ルール大切」を振りかざす。そのバレバレの大ウソに、大きな違和感ということだろう。
アベは、本当にルールが嫌いなのかね。
そりゃそうだ。ルール無用でなんでもできることが権力者の天国だ。「権力者は本質的にルールが嫌い」と言っていいんじゃないか。
ルールもいろいろだが、世のルールの基本は円滑な権力行使のためのものじゃないのかね。
アベは、憲法という最高のルールが大嫌いじゃないか。自分を縛る憲法が気に入らないから、自分に都合の良いように書き換えようという人物だ。すべてのルールは、アベの嫌いな憲法を頂点とする体系の中にある。アベはルールが嫌いだと思うよ。
そんな大上段の議論ではなくて、アベという人格にざらつく。この人は、自分を客観視できない。自分に非があっても決して認めない。ごまかし、忖度させながら、自分との関わりを否認し通す。それでいて、他人に責めるべき落ち度を見つければ、エラそうに教訓を垂れる。アベの発言の端々が、こんな人物をわが国の権力者としていることの嘆きとなる。そんなざらつきのようなんだ。
何とも、小難しいアベ批判だな。国政私物化の張本人、公正であるべき行政をねじ曲げた当の人物が、エラそうに「ルール守んなきゃ」とはチャンチャラおかしい、でいいんじゃないの。
ウーン、このところアベが息を吹き返して、人を小馬鹿にした本性が表れたかという思いから、気分がざらつくのかも知れない。
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時間超過ねらいの、無意味な繰りかえしアベ答弁を記録しておきたい。
岡田「総理の発言ですね、『私や妻が認可あるいは国有地の払い下げに関係していれば、間違いなく総理大臣も国会議員も辞める』と。この発言を受けて、それと矛盾ないような答弁にするために改竄を行ったり、虚偽の答弁をしたというのが現実ではないか。」「こういう答弁、財務官僚は好きでやっているわけではない。やっぱり総理を守らないといけないという中で、もちろん保身もあったでしょうけど、しかし、総理を守らなければならないという中で、こういう発言が次々と出てきた。私は気づいた官僚も多いと思う。そういうことに関して、総理は責任を感じておられないのかということを言っているわけです」
アベ「あのときも、前の党首討論においても、明らかにさせていただきましたが、私が申し上げた関与ということについては2月の17日でしたね、平成29年。福島委員から、福島委員といっても、ここにおられる福島(瑞穂・社民党副党首)さんではなく、もう1人の福島(伸享・元衆院議員)さんだが、『法律を潜脱していて、脱法的な疑いがあるわけですよ』という質問があったわけです」
?「そうしたことに対し『私は妻がこの認可あるいは国有地払い下げに、もちろん事務所も含めて』という答弁をしているわけです。そして先般の党首討論のやり取りにおいても、枝野委員から『ついこの間の答弁では随分、定義を変えたではないか』という質問がありました。おそらく私の答弁をずっとちゃんと議事録を読んでいないんだろうと思いましたが、3月24日については『この問題の発端は国有地が不正に安く払い下げられたのではないか。そこに政治の関与があったのではないか』という点、そして『学校の認可に政治的な関与があったのではないか』という何か大きな問題点であったはずであります」
「そこで例えば、だからいろいろな、これを臆測から、いろんな報道等であったのは、では、そこで何か政治家にお金の共有があったのではないかという、そういう議論があったはずであります、ということになります。何か政治に籠池(泰典・元森友学園理事長)さんが、そして、そこに何かお金の流れ、いわば籠池さん側が政治家等に対してさまざまな便宜を図る中において、政治家が応えたのではないかという、これはそういう疑惑だったはずです、という、これは3月の昨年の3月24日に答弁をしているわけです。こう答弁をしているわけですから、これに関わるかどうかということになるんだろうと思います」
?
「さらには削除された中において、私の妻が述べたのは『進めてください』と述べたというのは、これは妻が財務省に『進めてください』と言って財務省に電話をかけたわけではないし、実際、妻が実際述べたのではなく、籠池さんが妻がそう述べているということが書いてあるわけであり、これは削除する必要は全くないと思う。少しコメントが長くなりましたが、これはまさに名誉にかかわることでありますし、今、岡田委員がですね、委員長すいません、これでこの討論は終わりますが、つまり、私が申し上げたのは、そういうことで申し上げたのであります。大変、言葉が長くなったことをおわびを申し上げたいと思います」
岡田「総理ね、総理の良心の呵責を感じませんか。あなたを守ろうとするから、官僚はちょと虚偽の答弁は普通やりませんよ。これをあえてやったのはあなたを守ろうという気持ちからでしょう。そういうことについて良心の呵責、感じませんか、あなた、それだけ申し上げておきます」
「やっぱり岡田さん、ルール守んなきゃ!」
(2018年6月28日)
良く知られているとおり、戦前の日本は戦費調達のために、植民地や占領地で大規模な「アヘン政策」を実行した。「大東亜共栄圏を通ずる大アヘン政策」は、国家機関である興亜院が推進した。麻薬を禁止する国際条約を締結しながら、「漸禁主義」の建前のもと、日本は莫大なアヘンを生産し、中国全土にこれを売りさばいて巨利を得た。国家が、社会の健全性を金に換えたのだ。恐るべき国家犯罪というほかはない。(「日中アヘン戦争」江口圭一、「阿片帝国・日本」倉橋正直、「阿片帝国日本と朝鮮人」朴橿など)
アヘンの専売を国家事業として推進した革新官僚の中に岸信介の名がある。「阿片王」として知られた里見甫の墓碑銘を揮毫しているのが岸である。
財政や経済の必要を理由に、国家がアヘンの生産と販売に関わる。恥ずべきこととしか評しようがない。いま、岸の遺伝子を受け継いだ孫が、経済の興隆と財政への寄与を理由に、民営博打を解禁しようとしている。これも、恥ずべきこととしか評しようがない。
アヘンと博打はよく似ている。どちらも社会病理以外のなにものでもない。有益な何ものも生み出さない。依存性が高く、著しく社会の勤労意欲を損なう。カジノと言っても、IRと言い替えても、博打は所詮バクチでしかない。賭場に入る者たちから、胴元が確実にカネを巻きあげるシステム、民衆からの収奪手段として本来が違法の代物なのだ。
一昨日(6月25日)午後の参院予算委員会。大門実紀史議員が、カジノ法案についての質問に立った。質問だけを連ねた方が、問題の本質がよく分かる。抜粋して並べてみよう。
大門実紀史 カジノについて質問いたします。まず申し上げたいのは、この国会の延長の最大の理由が、もうカジノ、賭博場をつくる、こんな法案を通すためというのは、何とも私おぞましいと、本当に国会の権威をおとしめるものだというふうに思います。
? この間、世論調査を見ても、カジノ実施法を今国会で成立させる必要はないというのは7割です。自民党支持者でも6割以上が必要ないと答えているわけですね。総理はIRが理解されていないということをおっしゃったことありますけれど、幾らIRという言葉でごまかしても、国民の皆さんは、所詮ばくちはばくちだと、刑法で禁じられた犯罪行為を合法化するなどとんでもないということを皆さん感じておられるから、この2、3年ずっと反対が多いわけですよね。
総理は、カジノをつくる目的を、外国人観光客を増やし経済成長の目玉にするんだというふうにおっしゃってまいりましたけれども、もうそんな必要はありません。
これ、2011年から2016年の外国人観光客の増加の推移をパネルにしました。カジノ推進派の方々がカジノの成功例としてシンガポールのことを盛んに宣伝されます。シンガポールどうなのかというと、外国人観光客の増加率は確かに増えていますが、124%でございます。カジノのない日本は386%。この間、カジノ誘致に手を挙げている大阪等々調べましたけど、大阪が595%。ちなみに大阪は、2017年まで伸ばしますと増加率700%、七倍に増えております。北海道が404%、長崎は254%。どこも、カジノがあるシンガポールよりも外国人観光客は何倍にも増えているわけであります。
総理、観光戦略とかそれを目玉にした成長戦略とおっしゃいますけれど、要らないんじゃないですか、カジノなんか。カジノなくて十分に日本は観光振興成功しておりますしね。だから、国民の反対、カジノ、反対するカジノなんかは導入しなくて、真っ当な健全な観光政策を進めるべきで、カジノ計画はもう断念されたらいかがですか。
カジノをつくれば更に、発展するような話ですが、そうじゃないんじゃないかと思うんですよね。現地の視察に行ってまいりました。逆に、日本の観光振興にこれからマイナスになるんじゃないかというふうに思います。
一つは、地域の観光収入を増やすどころか、かえって減らす可能性があります。
この間、大阪、北海道苫小牧、長崎佐世保、現地調査へ行ってまいりました。どこのカジノ計画も、実は空港から、高速船あるいはBRT、電気バスなどで空港から直接カジノにお客さんを呼び込む、連れてくるという計画、いわゆる囲い込み戦略になっております。
例えば、大阪は関空から夢洲まで高速船を運航すると。船着場までもう想定しておりました。こんなことをやっていったら、来日した外国人が空港に着くなりそのままカジノに連れていかれて、そこですってんてんにされて、大阪観光するお金とかがなくなってそのまま帰国しちゃうんじゃないかと。だから、カジノのおかげで今まで地域に入った観光収入がかえって減るんじゃないかと。
もう一つは、カジノが、今、日本各地が持っているブランドですね、地域イメージですよね、だから増えているわけですね。それを壊す危険性があるんです。これは、例えば大阪、万博とセットでカジノを開業するという構想ですね。大阪府や市、経産省は、カジノと万博とは別だということをずっと説明していますけど、本当かどうかですよね。現地に行ってびっくりしました。市当局に案内してもらったんですけど、何と万博パビリオンの、パビリオンの道路挟んだ隣にカジノをつくるんですよ、真隣に。万博に来たお客さんに、こっち来てくださいと言ってカジノに引っ張り込むようなそういう仕組みになっているんですね。ここでもみんなそのカジノでお金すっちゃって、悪い思い出ばっかり持って万博会場を後にすると。
せっかくここまでプラスに伸びてきた大阪の観光イメージが、私はカジノによってかえってダウンしてしまうんじゃないかと思うんですけれども、石井カジノ担当大臣、カジノが日本の観光振興にとってかえってマイナスになると、そういうことは想像されたことはありますか。
そもそも外国人がターゲットじゃないんですよ。その三つの大阪、北海道、長崎の当局に聞くと、大体想定しているターゲットというのは日本人なんですよね。七割から八割は日本人を想定しております。外国人観光客は二割から二五%であります。
こういう、要するに日本人を相手に、しかも今回は民営賭博、民間賭博ですね。なぜこれが、違 法性の阻却ですよね、なぜ合法なのかと。賭博というのは違法ですよね。それが、なぜこんな日本人を相手に、しかも民間が合法になるのかということは最大の、これはクリアできていないんじゃないかと私は思います。
戦後の賭博罪に関する解説書、競馬法、公営賭博の歴史、裁判例を調べてみました。要するに、何が一番大事かというと、目的の公益性です。これ、どういう意味かといいま すと、この公益性に、よく言われています、今まで説明があった経済効果だとか、そういう曖昧な言葉は含まれておりません。そんな曖昧なことは刑法の解釈上、含みません。
問題は、この目的の公益性の一番は、入ってきたお金をどう使うかです。入ってきたお金を民間がポケットに入れたら、それはもう犯罪そのものになると。入ってきたお金を住民サービスとか公に使うから目的の公益性が担保されると。しかし、民間企業が自分たちがもうけたものを公に寄附するわけがありません。ですから、公がいろんな事情でギャンブルやって、その代わり住民のために使うというふうなこの目的の公益性、つまり、もうけを何に使うかということが厳しく限定されて、それで公営ギャンブルしか認められてこなかったわけであります。
今回のこのカジノ実施法は、粗利益の三割は国や自治体に納めるんだけれど、残りの七割は民間企業が懐に入れるわけですね。どうしてこれで違法性が阻却できるのか と、この目的の公営性をクリアして、どうして合法になるのかと。これ、最大の、あり得ないことを法務省は、何といいますかね、今までの見解を拡大解釈して、まあルビコン川を渡ったと思いますけれど、法務省はそう簡単に解釈変えていいのかと、厳しく指摘したいと思いますけど。
じゃ、国民の皆さんから吸い上げたお金がどこに行くかということなんですけど、これは今日本で参入を狙っているアメリカ最大手のラスベガス・サンズの株主構成であります。衆議院の参考人質疑で静岡大学の鳥畑与一教授が、このラスベガス・サンズを例に取って、カジノの利益のほとんどは一握り、一部のファミリーに還元されるということを告発されました。それで、最新のこのラスベガス・サンズ、これはトランプ大統領の最大の支援者、アデルソンさんが会長としてやっているところであります。日本でカジノを開いて、粗利益の三割は国や自治体に納めるけど、七割の利益はどこに行くかというと、こういう株主に行くんです。しかも一握りのですね、一握りのファミリーに行くと。しかもアメリカですよ、日本で吸い上げたお金がアメリカのファミリーに行く…。
この悪法はもう本当に廃案にするしかないということを申し上げて、質問を終わります。
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明らかに違法で反社会的なバクチ。庶民のフトコロからカネを吸い上げて莫大な儲けを手にする胴元は、トランプの息のかかったアメリカのファミリーなのだ。今のところ、カジノ経営のノウハウをもつ日本の企業はないという。カジノの導入も武器の購入も、アベがトランプに押しつけられたもの。
極悪非道な戦前の日本も、さすがに自国の国民にはアヘンを流通させなかった。もっぱら、他国の国民からの収奪に余念がなかったのだ。
岸の血を引くアベの手口は、岸より出でて岸より奸佞である。バクチを国内で解禁して日本社会の荒廃を許し、国民の財産を収奪する利権を外国の業者に与えようというのだ。アベの悪辣さは、岸を凌ぐと言ってよい。これを出藍のホマレというべか。
(2018年6月27日)
私の手許に、「花ばぁば」という絵本がある。やさしい筆使いのやわらかい絵。たくさんの花が描かれている。子どもたちに読んでもらおうという、紛れもない上質の絵本。しかし、内容はこの上なく重い。日本軍慰安婦だった一人の女性の人生を描いた作品。
絵と文は、クォン・ユンドク。1960年生まれで大家という年齢ではないが、「韓国絵本界の先駆者」と紹介される人。翻訳は桑畑優香。早稲田を出たあと、延世大学、ソウル大学で学んだ人だという。絵本にふさわしい、優しさあふれる文章になっている。
『花ばぁば』とは、元日本軍「慰安婦」だったシム・ダリヨンさんのこと。その辛い体験の証言をもとにストーリーが組み立てられている。晩年の彼女は、園芸セラピーを受け、押し花の作品作りを楽しみに過ごしていたという。
通常の絵本にはない、前書きとしての「著者からの言葉」がある。その冒頭の一文が、「戦争で被害を受け苦しんでいる、すべての女性たちにこの本を捧げます」というもの。重ねて後書きとして、Q&A形式の「読者のみなさんへ」がある。いずれもやや長い。著者のこの本の出版へのこだわりや思いの深さが痛いほど伝わってくる。
その中の一節にこうある。
「この本では、黄土色と『空っぽの服』を象徴として、私たちが『慰安婦問題』を見つめるときに注目すべきことに対する考え方を表現しています。旧日本軍の服の色である黄土色は帝国主義を、『空っぽの服』は人間の考え方と行動を規定し支配する制度や習慣、国家体制などをそれぞれ象徴しています」
「誰もがそのような服を着れば、自分でも気付かない行動をとる可能性があります。つまり、『私たちは、慰安婦問題の責任を一人ひとりの具体的な個人ではなく、彼らを指揮し煽動した国家と支配勢力に問うべきだ』という意味を込めているのです」
大いに異論があってしかるべき論争点だろうが、これがこの作品の中心テーマで、作家の視点には揺るぎがない。大日本帝国の責任、旧日本軍の責任、どの部隊の誰の責任と決めつけ特定してしまうと普遍性が薄れる。戦争一般に性暴力の原因があり、弱者に深刻な被害を強いるものという基本認識から、戦争そのものをなくそうという平和志向の思想。だから、最後は、こう締めくくられている。
「今も地球上のあちこちで絶えず戦争が起きています。花ばぁばが経験した痛みは、ベトナムでもボスニアでも繰り返されました。そして今、コンゴやイラクでも続いているのです。」
この本の刊行は、今年の4月29日の日付。「ころから」という小さな出版社から、「202名の(クラウドファンディングでの)支援で刊行されました」と記されている。が、この本が実は8年も前に日韓同時に出版されるはずだったことを知らなかった。このことは、日本社会の表現の自由の現状を雄弁に物語っているのだ。
以下は、東京新聞2018年6月20日の「『花ばぁば』が伝える戦争」というコラム。この間の事情を手際よくまとめている。
「東京・赤羽の小さな出版社「ころから」から出された絵本『花ばぁば』は、旧日本軍の慰安婦とされた韓国人のシム・ダリョンさんの証言に基づき、韓国の作家クォン・ユンドクさんが描いた物語だ。
日本が朝鮮半島を植民地としていたころのこと。突然連れ去られた少女は軍の施設に閉じ込められ、その部屋の前には兵隊たちが毎日列を作った…。水彩の絵の美しさが、軍隊の暴力性をより鮮烈に伝えるようだ。
2010年に韓国でオリジナル版が出版された後、日本での出版は、シムさんの証言が慰安所設置に関する公文書記録と一致しないという理由で見送られた。一度お蔵入りしたこの作品を日本で出そうと奔走したのは、絵本作家の田島征三さんら日本の有志だった。
実は私(記者)も05年、大邱(テグ)市にあったシムさんの自宅を訪ね、被害の体験を聞いたことがある。けれども連行された時期や場所など分からない点が多く、証言を記事にできなかった。彼女は『私は頭がおかしくなった。覚えていないんだ』と涙ぐみながら、日本からきた記者の私に語ろうとしたのに。あの日、私がするべきだったのは、『埋められない記憶』を問うことではなく、彼女が経験した痛みの重さにもっと心を寄せることだった。
シムさんは日本版の出版を待たず10年に83歳で他界したが、彼女が残した絵本は戦争の真実を静かに語り続ける。(佐藤直子)」
「マガジン9:http://maga9.jp/」には、「この人に聞きたい」シリーズで、クォン・ユンドクのインタビュー記事が掲載されている。今年の5月30日にアップされたもの。これは、衝撃的な内容。
クォン・ユンドクさんに聞いた:日本軍「慰安婦」にされた女性の物語 『花ばぁば』で伝えたかったこと
クォン 日本での版元からは最初、日本で出版するためにはここを変えてほしい、といって何度も修正依頼が来ました。受け入れられる点については修正しましたが、とても受け入れられない点もあって、それについては「できません」とお答えしたのです。
──たとえば、どんな点でしょうか。
クォン 『花ばぁば』では、慰安所の見取り図のような場面や、慰安所がつくられていた地域分布を示す場面なども出てくるのですが、こうした資料的な絵を入れず、もっと「一人の女性の人生」という観点からストーリーをつくれないか、と言われました。でも、私は単なるハルモニの個人史ではなく、その背景にある社会的な要素もあわせて描きたかった。そこは変えたくありませんでした。
また、もっとも受け入れがたかったのは、モデルを別のハルモニに変えてほしいと言われたことです。シム・ダリョンさんは慰安婦として連れて行かれた後、戦後にかけて記憶を失っている時期があるので、証言の確実性がないのではないか、というのです。シム・ダリョンさんのように無理矢理トラックに乗せられたケースではなく、「お金を稼げるよ」と騙されて連れて行かれたハルモニの証言をもとにしたほうが、普遍的な物語になるのではないかとも言われました。
でも、シム・ダリョンさんが記憶喪失になってしまったのは、慰安婦にされて性暴力を受けたことや、戦後に韓国で差別を受けたことの結果であって、そのこと自体が重要な「記憶」です。それを証言として信用できないということには、まったく納得が行きませんでした。私はシム・ダリョンさんだから描きたいと思ったのだし、出版社が「こういうおばあさんの話を描いてほしい」というのなら、それを描いてくれる作家を別に探せばいいじゃないか、という話ですよね。
最終的には、「他のハルモニの話に変えないのならうちの出版社からは出せません」という返事でした。
──それが本当の理由というよりは、慰安婦問題というセンシティブな問題を扱った絵本を出したくなかったのかもしれないという気がします。特に、ここ数年の日本では、「慰安婦」という言葉を出すだけで一部の層からひどいバッシングを受けるという傾向がありますし、「シム・ダリョンさんの証言に問題があるから出さない」ではなく、「日本社会に問題があるから出せない」だったのではないでしょうか。
クォン 本当にそうです。その「日本社会の問題」を、「ハルモニの問題」にすり替えて断りの理由にされたことが本当に悲しくて。そのときにはもう亡くなられていたシム・ダリョンさんに対しても、申し訳ない思いでいっぱいでした。被害者が自分の受けた被害の話をするというのは、本当に苦しくてつらいことなのに、それを否定されたわけですから……。私だけでなく、「平和絵本」シリーズにかかわっていた作家たちはみんな、大きなショックを受けていました。
──しかし、田島征三さん、浜田桂子さんら日本の絵本作家の奔走もあって、2018年に別の出版社からの刊行が決まります。資金集めのためのクラウドファンディングでは、当初の目標額だった95万円がわずか4日間で集まったそうですね。
クォン 2000年の女性戦犯法廷の話などを聞いて、日本には慰安婦の存在を否定したい勢力もいるけれど、それをきちんと検証して知らせようとしている人たちも大勢いるんだということを知りました。日本での出版前から、韓国語版を自分たちで翻訳して読書会を開いてくれているグループもありましたし、そうした人たちが支援してくれたのではないかと思っています。
さらに本日(6月24日)、友人の勧めで詳細に事情を語るドキュメントDVD「わたしの描きたいこと」を観た。日本語版は、本年5月25日発売。93分が短かった。
惹句では、「絵本『花ばぁば』(クォン・ユンドク絵/文)が出来上がるまでを描くドキュメンタリー映画。韓国を代表する絵本作家クォン・ユンドク(権倫徳)が、日本軍「慰安婦」の証言をテーマに絵本創作に取りかかる2007年から、予定されていた日本語版刊行が無期限延期となる2012年までを描く。クォン・ヒョ監督は、作家性と出版の軋轢を、ノーナレ(ナレーションなし)で見事に描きだす。」という。なるほど、まったくそのとおりだ。
日本で出版を予定し、最終的に断念したのは「童心社」である。松谷みよ子と関係の深かった児童書の大手。良心的な出版社である。その童心社が恐れたのは、日本社会のありかたを象徴する「右翼」の攻撃。できるものなら出版したいが、「今の情勢では、このままでの出版はできない」という。
幾つかの点での妥協を覚悟して修正作業に取りかかった作家に、日本から「今、日本社会の事態はより悪くなっている。修正しても出版は難しい」との最終の連絡がはいる。本来日韓同時出版の予定だった「花ばぁば」は、韓国ではシム・ダリョン生前に出版して好評を博したが、日本での出版はできないという結論でこのドキュメントは終わる。
なるほど、日本社会とはこんなものなのだ。日本とは、右翼の跳梁する恐るべき国、民主主義や人権の後進国と見られてやむを得ないのだ。世界の報道の自由度ランキングでは、16年72位、17年72位と続いて、今年(2018年)は68位だが、本当だろうか。アベ政権のもと、右翼の跳梁やヘイトスピーチが、おさまる気配は見えない。
「花ばぁば」は、その内容において戦争のおぞましさを語っているが、はからずもその出版を通じて日本の出版の自由の制約や右翼の跳梁の実態、民主主義や人権のありかたについても語るものとなった。
(2018年6月24日)
「我が国を巡る安全保障環境が大きく変化している」「時代状況に適合した安全保障政策への見直しが必要」「新たな時代状況に適合した実効性のある安全保障の法的基盤を再構築する必要がある」と、アベ内閣が一犬として虚を吠え、右翼の万犬がこれを実として伝えてきた。
北朝鮮が危険だから、福祉も年金も削って防衛費にまわさねばならない。オスプレイもイージス艦も買わねばならない。思いやり予算も積み増ししなければならない。すべては、北朝鮮脅威論が出発点だった。
昨年(2017年)10月アベ内閣が仕掛けた総選挙は、「国難選挙」とのネーミングで、悪評にまみれたアベ与党が現状維持に成功した。今にもミサイルが飛んでくるかもという演出が功を奏してのことだ。アベにしてみれば、「国難万歳」であり、「金正恩には足を向けて寝ることはできない」のだ。
国防ファースト派が信仰してきた「我が国を巡る安全保障環境の激変」は、4月の南北首脳会談、6月12日の米朝共同宣言を経て、いま誰の目にも平和へのベクトルで語られる事態となっている。危険だから防衛費の増額だ、武器購入だという動きは、まずはストップしなければならない。そして、平和構築のために、大幅な防衛費削減、高価な武器購入の中止に舵を切り直すべきが当然ではないか。
「我が国を巡る安全保障環境が大きく緊張緩和の方向に変化した以上、その時代状況に適合した安全保障政策への見直しが必要である」「朝鮮半島の非核化が今や現実的な課題とされている緊張緩和の時代状況において、これに適合した平和的北東アジアの国際環境を再構築しなければならない」のだ。
ところがどうだ。アベ政権は、「国際間の緊張あるから軍備増強だ」と言い、「緊張が緩和したからといって方針転換してはならない。やっぱり軍備増強だ」という。一貫しての軍備増強路線、これはいったい何なのだ。
「戦争に備えて常備軍があるというのは大きな錯覚。本当のところは、軍隊のために戦争の危機が作られるのだ」「軍備の増強は自己目的化している。自ら軍事緊張を作り出しても軍備の増強は目論まれるものなのだ」
いま、『国難』に備えて必要とされたイージス・アショア(地上配備のミサイル迎撃システム)の配備が、現地からの反発を受けて難航している。地元には迷惑この上ない。配備の必要なければ欺されたことになるし、万が一の場合は、「敵国」からの最初の攻撃目標となるのだから。
本日(6月22日)、小野寺防衛大臣は「イージス・アショア」の配備候補地とされている山口県と秋田県を訪れ、知事らに配備の必要性を説明したという。ということは、わざわざ出向かざるを得ないほどに現地の反発が強いということなのだ。
報道では、秋田県の佐竹敬久知事は「イージス・アショア」の陸上自衛隊新屋演習場(秋田市)への配備に関連して、昨日(6月21日)県庁内で記者団に、政府の防衛政策を、「ちぐはぐでデリカシーがない。強引で不愉快だ」と批判している。相当なものだ。
秋田市への配備に対しては住民の反対が根強い。17日に秋田市役所で開かれた防衛省による住民説明会では、「住民の理解が得られていないのに、設置ありきで話が進んでいる」「テロの標的になりかねない」といった批判や不安の声があがった、という(産経)。
また、19日夜山口県萩市の中心部で開かれた住民説明会ではこんな意見も出たという。
「イージス・アショアは必要ありません。1910年に日本は韓国を植民地化し、何万人を強制動員した。拉致問題など比べものにならない…(中略)北朝鮮よりも米軍の方が迷惑だ。最近は歴史を逆に走っているような気がしております」
「言葉遊びはやめましょう。これはミサイル基地だ。敵対的な基地の拡大の前に、日米地位協定の廃止を働きかけ、北朝鮮と平和条約を結ぶべきだ。政府は、戦争を阻止する意思がない!」
このような地元の声に対する小野寺防衛の説明は従前の通り。
「現時点で、例えば北朝鮮はすでに数百発の弾道ミサイル、日本に届くものをすでに配備していると承知しているし、また、核の具体的な放棄に向けた動きが起きているわけでもない。私どもは脅威は変わっていないとの認識を持っている」
これでは新事態への対応の観点がなく説得力をもたない。確実に、北は変わっているのだ。アメリカも韓国も、北の変化を前提とした外交に踏み出している。日本だけが旧態依然、北の変化に対応できていないのだ。このままでは確実に取り残されることになる。
せっかくの相互信頼の好循環を築く好機である。これを逃すと、わが国は「好戦国」のレッテルを貼られて、北東アジアの平和環境の癌と見なされることになりかねない。
アベにできなければ、取り替えるしかない。日本国民のために、北東アジアの平和のために。
(2018年6月22日)
さあ、これからだ。第196通常国会は最終盤。これからが、アベ内閣と自民党の本領発揮の時期なのだ。これからが、数の力の見せ所だ。アベ一強はダテではないことを実証しなければ、アベ三選もおぼつかない。6月20日に会期終了の予定だが、もちろんこれは延長する。会期を延長して、その間に力づくでのゴリ押しだ。さあ、なんでもありだぞ?。
これまでが、われわれが萎縮せざるを得ない異常な国会運営だったのだ。森友事件と加計問題ばかり。そして、官僚の虚偽答弁や、公文書の隠蔽・改ざんの不祥事。それに加えて、官僚のセクハラ発言や財務大臣のセクハラ容認失言。アベの国政私物化だの、アベに対する忖度行政だの、さんざん言われはしたが、所詮は些末なこと。些末なことに時間を費やしすぎたのだ。
これまでの萎縮を払拭して、些事ではなく、もっと本筋の議会運営に舵を切り直さなければならない。今国会の本筋の第1は、「働き方改革法案」の審議だ。野党の世論の反対を押し切ってこの法案を成立にまで漕ぎつかせなければならない。なぜ、この法案が本筋か。当たり前のことだ。資本が強く要請しているからだ。資本という言葉が耳障りなら、財界と言い換えてもよいし、産業界の要請だと言い直してもよい。
資本主義の世の中だ。資本の儲けがあってはじめて賃金の支払いが可能となる。税収も潤沢となる。企業ファーストの政治は当然のことだろう。企業が儲かれば、おいおい貧乏人にもトリクルダウンのしたたりが期待できることになる。
そりゃあ、残業代をゼロにするのが目的の高プロだ。労働者が反対するのは当たり前だろう。だが、考えてもみよ。企業あっての労働者だ。企業の儲けが拡大しての世の中の安定だ。その企業が是非とも必要だという高プロであり、労働者の働かせ方改革じゃないか。労働者の都合ではなく、まずは企業優先。企業が望む経済政策、それこそがアベ内閣と自民党の使命。そんなの、分かりきったこと。
もう一つがカジノ法案。これも財界の要請だ。バクチを解放して経済発展。結構なことじゃないか。バクチで身を持ち崩す国民が数多く出てくるって? やって見なけりゃ、わからんだろう。そりゃ、どんな政策にも多少のデメリットはあるさ。でもね。そんなことを一々気にしていたら、政治家なんかやっていけない。ギャンブル依存症は自己責任だと切り捨てるしかないのさ。
それから、参議院の合区対策法案だ。定数6増の提案で乗り切ろうというものだ。これも、すこぶる評判が悪いが、乗り切れそうだ。何しろ、「我に数の力あり」なのだから。民主主義の世の中だ。数こそ力、数こそ正義ではないか。まさしく、これこそ民主主義ではないか。
えっ? これは民主主義ではないと? 民主主義とは理性に基づく熟議の政治だって? そんな青くさいことをいっているから、君たちいつまで経っても少数派なんだ。
われわれは選挙によって国民多数から支持を得たのだから、われわれが思うとおりの法案を作成して国会を通すことを考えて悪かろうはずはない。むしろ、そのことがわれわれの政治的責務だというほかはない。
ありがたいことがいろいろある。まずは、公明党さんありがとう。敢えて泥を被って、自民党と一緒に評判の悪い法案成立に協力してくれる。ホントにありがたい。
それから、維新だ。これも、少し餌をやることで飛びついて、与党だけの単独採決という汚名を着ないで済む強力な助っ人。ありがとう。
そして、こんな嘘つき内閣と、悪評さくさくの政権を支えてくださる30%の固定支持層。実は私アベにも、どうしてこんなに支持があるのか分からないけど、ありがとう。
最後に、忘れっぽい有権者の皆様ありがとう。今、強行採決を重ねでも、どうせ来年の参院選のあたりには、皆様きれいさっぱりお忘れになる。それこそが、私みたいなものが総理を続けておられる最大の理由。
この国会会期末。どさくさ紛れに憲法改正の原案発議までやっても、案外うまく行くかも知れない? いややっぱりやめておこうか?
(2018年6月16日)