えっ? 解散には大義が必要ではないか、ですって?
そんなもの不要に決まっているでしょう。解散は総理の専権事項ですし、解散についてのウソは許されるんでございますよ。これこそ、疑うことのできない永田町の常識ではないですか。常々、憲法を大切にしてきた私の立場からすればですね、憲法が定める総理の解散権を制約する議論は、いかがなものかと思いますよ。
えっ? 憲法のどこを見れば、そんなことが言えるのかって?
私には、詳しいことは分かりませんが、7条1項3号はそう読めるんじゃありませんか。69条だけを見ていてはいけません。あとは、三権分立のバランスの理解ということですね。それと、なによりも心強い根拠は永田町の常識ですよ。私が信頼するメディアや、穏健なジャーナリストの皆さんも口を揃えて、そう言っておられるでしょう。それで十分じゃないですか。
えっ? じゃ大義のない解散をしようとしてるのかって?
それをいっちゃオシマイでしょう。「いまなら勝てそうだから解散」「今後ジリ貧が目に見えているから、傷の浅いうちに解散」「野党の側が、態勢整わないうちに、これに付け込んだ解散」「森友・加計学園疑惑隠しの党利党略解散」なんてね。本来大義は不要だけど、私は大義のないことはしない。こういうスタンスでなくては、政治家は務まらない。
じゃ、どんな大義を掲げようというのかって?
いま、それを拵え上げようと苦心惨憺の真っ最中じゃありませんか。でもね、ありがたいのが読売新聞。官邸のスタッフになったつもりで、いろいろお考えでアドバイスをしてくれている。私の方も見返りの情報は提供していますよ。魚心あれば水心なんていうじゃありませんか。穏健な大新聞と政権、こういう持ちつ持たれつの関係であってこそ、政治は安定し、健全な社会の秩序が保たれるというものでしょう。もっとも、前川さんのときのように、すこし焦って政権と読売の蜜月ぶりさらけ出したのはまずかった。ミスを重ねぬよう慎重にやりますよ。
落ち込んだ内閣支持率が多少ともアップした原因をどう見ているかって?
ま、いくつもあるでしょうがね。まずは、私自身がこれまでの安倍を否定する演出をしたことが効果的だった。しおらしく、傲りを認めて、オトモダチ以外も入閣させた改造を行い、国民の皆様に丁寧に説明責任を果たす、なんちゃって。これまでの自分とはちがう、心を入れ替えた真人間になるって神妙な顔して言ったんだよね。これ効いたと思うよ。
それだけかって?
野党のオウンゴールも大きい。これまで、こちら側がオウンゴールの連続で失点していたが、今度は民進党人事でのオウンゴールだ。仕事人内閣が、何にも仕事をしないうちに、民進党がこけてくれた。それが、支持率の回復に影響あるでしょう。それだけでなく、こんな解散のチャンスを逃す手はないと思うんだ。奇襲は闘いの常道でしょう。大義にこだわってフェアにやっていたら、選挙に負けちゃうでしょう。そんなの、宋襄の仁ていうんじゃないの。
北朝鮮問題の影響をどう考えているかって?
あんまり正直に答えたくはないんだけど、ミサイルも核も、絶妙のタイミングでありがたかった。内心の笑いを噛み殺して、北朝鮮や金正恩を非難する言葉を発しているんだ。これを最大限利用しない手はない。今は、北をできるだけ挑発し危機を煽ることが基本方針。戦時モードになれば、国民には強い指導者のもとに結束しようという心理が働く。強硬姿勢を取るトップの支持率は必ず上がる。それだけではない。金正恩のお陰で、9条改憲も、日米同盟強化も、防衛予算増額もうまくいきそうじゃないか。もしかしたら、念願の核武装の実現だって夢じゃないと思っているんだ。
金正恩とは、親近感を感じているかって?
そりゃあ、親近感がないと言えばウソになる。お互い、国民を宥めつつ、ダマシつつ、国防を整えていかなきゃならない立場。お互い、アウンの呼吸で罵り合って、緊張関係を作りあげることにメリットを感じているんだ。戦国大名は、それぞれが敵対しながらも、農民一揆への対応では共通の悩みや恐れを持って、その面では親近感をもっていただろう。あれとおんなじだと思うね。
じゃあ、北朝鮮危機の早期収束はない方がよいかって?
そりゃあそうだ。戦時の名宰相と言われたチャーチルは、平和になったらイギリス国民から捨てられたろう。私も、同じ轍は踏みたくない。害虫駆除業者は害虫を完全に駆除してしまったら失業してしまう。ある程度は残しておかなきゃならない。北朝鮮危機が解決したら私の出番があるという保証はないものね。
結局のところ、突然の解散の大義についてはどう説明するかって?
国民が政権選択をする機会は多ければ多いほどよい。早ければ早いほどよい。こんなところでは駄目かね? 自分に都合のよいときを狙うのは姑息で卑怯? 堂々と争点や判断材料を明示して、主権者に公正な選択を仰ぐのが本来の選挙のあり方じゃないかって? 森友問題も加計問題も疑惑解明に蓋をしておいて、判断材料伏せたままの解散・総選挙は国民を愚弄していることにならないかって? 究極の疑惑隠し・党利党略解散だって? あなたもしつこいね。キョーサントーか、ニッキョーソの方じゃない?
解散の仕方がけしからんと文句があったら、選挙で自民党を負かしたら良いだけの話じゃないの。私は忙しいんだ。もうずいぶん丁寧にお話しした。もういいだろう。
(2017年9月23日)
阪口徳雄君は、大阪で活躍の同期(23期)弁護士。弁護士としてのスタート時の事情から、同期では唯一の有名人。何とも元気はつらつで、昔と少しも変わらない。徹底した市民派として、情報公開・株主オンブズ・政治資金規正問題などに精力的に取り組んでいる。とりわけ森友問題が話題になってからは、地元の問題として果敢に発言し、行動を起こしている。その彼の発言の舞台の一つが、「弁護士阪口徳雄の自由発言(2)」という下記のブログ。
http://blog.livedoor.jp/abc5def6/
同ブログの趣旨について、阪口君らしくこんな書き込みがされている。
「裁判、地方自治、政治、企業、社会的事件などに関する弁護士の自由発言にヤフーブログ(http://blogs.yahoo.co.jp/abc5def)を使っていたが、広告が多すぎ不愉快で本ブログに引っ越し。ヤフーブログは自分が関与した事件、裁判の記事が多かったが、パート(2)では思いつくままに自由に発言予定。」
昨日(9月21日)、そのブログに「森友・加計問題等を隠蔽した自民党・公明党の与党にきついお灸をすえる選挙」という記事がアップされた。
この記事は、このたび急浮上した10月総選挙を、政権選択選挙とはせず、9条改憲阻止選挙とも言わず、敢えて「もりかけ疑惑隠し徹底糾弾選挙」として位置づけようという同君の提案。
記事のエッセンスは、冒頭に掲記の通り、
「森友・加計問題は国民が選挙で投票することでしか真相解明できない。今度の選挙は、真相解明の為の国民の出番。」というもの。「森友・加計問題の真相究明を求める国民の声を投票で示そう。」「驕れる自・公両与党の議席を減らすことで、その意思表明をしよう」という呼びかけなのだ。以下、阪口節のご紹介。
安倍総理は自民党、公明党の議席多数におごり、森友、加計問題を通常国会でうやむやに処理した。安倍総理と夫人が関係していると思われるのに、全てを否定する官邸の傲慢な態度。これに国民は支持率低下で反応した。
安倍総理は内閣改造で「仕事人内閣」などと目先をごまかし、「森友、加計問題を丁寧に説明する」と繰り返し、あたかも反省したかのごとき形を作った。
通常国会後にNHK、フジテレビ、関西テレビ、朝日新聞などのマスコミ(読売、産経新聞を除く)の奮闘で森友問題の価格交渉内容などが取材やテープなどで相当明らかにされた。森友問題の「真相解明を求める弁護士・研究者の会」のメンバーは臨時国会が面白い展開になると期待していた。
しかし安倍総理がこれを恐れて解散に踏み切った。森友、加計問題等隠蔽解散であることは明白。
森友問題は当事者の財務省が自ら第三者委員会を設置するなどして解明するのが本筋である。しかしその官僚達は真相を解明しないどころか、国会で「虚偽答弁」を繰り返し、安倍政権に「遠慮」した中央省庁の官僚達の隠蔽姿が明らかになった。泥棒が泥棒の犯人を調査することは不可能だ。
国会は国会で野党の奮闘があったが、最後は自民党、公明党の与党多数に押し切られ、真相解明をすることはできずうやむやで通常国会は終わった。
泥棒の親分が安倍総理である以上、その親分の用心棒・子分である与党国会議員多数では最初から真相解明ができないことは明らか。
このような時こそ泥棒を取り締まる検察の特捜部の出番であると思い、弁護士・研究者246名で告発した。
http://kokuyuuti-sinsoukaimei.com/
現場の捜査に従事している検事らの頑張っている姿は見えるが、泥棒の親分に人事権を握られている検察・法務省の上層部は安倍政権に遠慮して真相解明に極めて消極的である。
安倍政権が隠蔽した、森友・加計、自衛隊日報問題など。泥棒の関係者では真相解明ができない。一度はこれらの隠蔽に怒った多くの国民の声を投票に表そう。泥棒の親分(安倍総理)や、その用心棒・子分である与党国会議員らに投票せず、真相解明を求める政党・候補者に投票することが真相解明の一番の早道だ。
残念ながら泥棒の親分の用心棒・子分である与党に代わる政党が頼りないとかの批判はその通りであろう。その為に真相解明に熱心な野党が受け皿となる候補者を統一して欲しい。
今回が政権選択の選挙となるとは思われない。中心になる民進党がそれほど国民から支持されていないからである。今回は、政権選択という難しい話でなく、自民党、公明党の与党が隠蔽した、これらの問題の真相解明を求め、隠蔽した泥棒らに「きついお灸」を据える選挙である。そしてこれらの真相解明を求める国民の世論を示す選挙である。そのために真相解明で野党候補を統一して欲しい。
真相解明ができるかどうは自民党、公明党をどれだけ減らすかにかかっている。与党議員を大幅に減少させることがではれば、真相解明に大きく前進する選挙となる。選挙の結果が真相解明を左右することになる。
最後は国民一人一人が決める。真相解明を求める国民は安倍泥棒親分に「きついお灸」をすえよう。
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安倍泥棒親分に「きついお灸」をというのが、阪口君の提案。安倍は「泥棒親分」とされている。いったい何を盗んだのだろうか。
なによりも、政治や行政の公正さに対する国民の信頼を盗んだというべきだろう。
政治家も官僚も私利私欲で動く存在であってはならない。「まさか、日本の首相たる者が私利私欲のために、政治や行政を歪めることがあるはずはなかろう」という国民の信頼。それをいともたやすく、アベ晋三とその妻と手下どもが盗み取ったのだ。
「行政の透明性という原則」を盗んだとも、「厳正な文書管理の原則」を盗んだとも、「行政の説明責任厳格化の要請」を盗んだともいうべきだろう。そのことを通じて、アベ晋三とその一派は、民主主義の理想を盗み取ったのだ。その意味で、アベ晋三は稀代の大泥棒であり、泥棒たちの親分なのだ。
懲らしめるには、投票によるしかない。徹底して自公の獲得票数を減らすことだ。民主々義を大切に思う人たちよ。行政の公正を願う人たちよ。行政の説明責任や文書管理を徹底すべしと考える人たちよ。アベ晋三とその手下どもが、大事な原則や理念を盗み出して頬被りしていることに怒ろうではないか。
アベとその一派にきついお灸を据えることなしには、真相の解明も政治や行政の刷新もできない。
(2017年9月22日)
藤原寛一君は、小・中・高を通じて一緒に育った友人。学校生活だけでなく寮生活もともにした仲。高校時代は同じクラブ活動の仲間でもあった。とはいえ、同じ境遇で育って、同じ時代を生きてきても人は同じようにはならないのが面白い。彼からは、ときどき私のアベ批判の口調のとげとげしさをたしなめるメールを頂戴する。彼は、私と違ってアウトドア派の趣味人である。山や花や小鳥の四季をみごとに切りとった写真をネットに掲載し続けている。以下が、彼の自己紹介。
自然が大好きな自由人。山野草の撮影にドップリ。蝶ならぬ私が、花から花へカメラを手に飛び回っています。ホームグラウンドは大阪府・奈良県をまたぐ「金剛山」(1125?)。日本100高山のうち39座に登っています。
https://botibotihuu.jimdo.com/
http://kkfuji.exblog.jp/
http://www.h6.dion.ne.jp/~kk-fuji/
その彼が、定年以来、「人生下り坂。どこに向かうもとても楽」と言い続けている。なるほど、「とても楽」が自由人の心境なのだ。うらやましい限りである。
ところで、「人生下り坂」と観念すれば、「とても楽」であると同時に、いまが一番高みにあることにもなる。いまが、できることが多いのだから、今のうちにやっておこうということになるのではなかろうか。
風情のない話に転じるが、おそらくはアベ晋三も「下り坂」の心境なのだろう。もう少し正確に言えば、「ジリ貧」の認識。ジリ貧なら、早いうちにできることはやっておこう。いまの解散が、傷を最小にとどめる良策だとなる。
野党の態勢の不備を見すかし、これに付け込んで、「いまがチャンス」と見たのだろう。公平で正確な主権者の判断を仰ごうという謙虚さは微塵もない。選挙民の判断材料を隠して、とにもかくにも選挙に勝つこと最優先。勝ちさえすれば官軍でいられるというゲスの根性。その人柄がとうてい信用できないということそれ自身を神無月総選挙の重要な判断材料としなければならない。
一方、トランプも同じではないか。アメリカが北朝鮮に対して、軍事的な絶対優位にあることは疑うべくもない。しかし、相対的な優位度はいま縮まりつつある。これも、トランプの目からは、「下り坂=ジリ貧」と見えているに違いない。
危険なのは、「開戦するなら早ければ早いほど有利」「開戦の機は、相対的優位が最大のいま」という判断になりかねないということだ。
軍事力においては、ドーベルマンとチワワにたとえられる両国の関係。チワワがどう吠えようとも、ドーベルマンに噛みつくまですることはあり得ない。しかし、アメリカが「いまのうちに北朝鮮をたたきつぶしておこう」と考える余地あることは否定し得ない。いまなら、北は米本土への核報復の能力を持っていない。「叩くなら、今のうち」ということはありえない判断ではない。
もちろん、北朝鮮は韓国に対する瞬時の報復能力を持っている。日本国内の米軍基地に対してもだ。楽観的に、アメリカが同盟国を火の海にしかねない危ない選択をするはずはない、と信頼してよいだろうか。もしやアメリカは、「いまなら、戦争の火の粉は、同盟国に降りかかっても、アメリカ本土は安全」「ならば、いまこそ行動の時」と考えはしまいか。
トランプの昨日(9月19日)の国連演説。「米国は大いなる強さと忍耐力があるが、米国と同盟国を守らなければならない時、北朝鮮を完全に破壊するほか選択肢はない」「米国はその準備ができているが、できれば(軍事的行動は)必要でないことを望む」という一節は不気味この上ない。
トランプのテーブルにあらゆる選択肢があるわけではない。軍事オプションは、韓国の国民、日本の国民が許容するところではない。まずは、ドーベルマンに対して、「チワワに噛みついてはならない」と国際世論を喚起しなければならない。窮鼠でさえ猫を噛む危険な存在。噛みつかれたチワワも、近隣諸国民には危険この上ないのだ。
その上で、北朝鮮の瀬戸際政策をも強く批判しなければならない。そうして、国際世論の圧倒的な圧力によって、当事国双方を、時の氏神や近隣諸国をまじえて対話のテーブルに着ける以外にこの危機を解決する方法はない。
トランプに続いて、アベ晋三も国連で対北朝鮮政策を演説するという。伝えられるところでは、トランプへの全面追随で、北朝鮮に対する制裁圧力一辺倒の内容だとか。彼の眼中には、ご主人様トランプ政権だけがあって、韓国や日本の国民の安全はないのではないか。
オーイ、藤原くん。アベ晋三じゃダメだ。安心して「花から花へカメラを手に飛び回って」おられるように、もう少しマシな政権に取り換えようぜ。
(2017年9月20日)
今朝(9月19日)の新聞に、あんさんのコメントが掲載されてましたな。
「解散批判、負け犬の遠ぼえ」ちゅうやっちゃ。えろう違和感ありまんな。どないしても一言いわんなならん。
これは、失言とはちゃいまんな。あんさんの素がよう出てますさかいな。いや、維新の本性みたいなもんやおまへんか。もしかして、あんさん、批判されてもキョトンとしてんとちがいまっか。なかなか分からへんやろうな。
あんさん、東京弁で、こないに言わはってまんな。
「選挙は戦いだから、有利な時期に解散をするというのは、だからこそ総理に解散権がある。いつも衆院議員は常在戦場って言っている。批判してもしょうがない。それ批判するのは、負け犬の遠ぼえだ。」
「選挙は戦いや」。これが、あんたらのホンネや。「勝つか負けるかの戦い」ちゅうゲーム感覚でんな。誰と誰との「戦い」やゆうたら、政党と政党との票の取り合いや。あんさんの頭の中には、主権者や有権者がおらんのや。そこや。そこが、あんさんらの限界や。底が割れてまんねんな。
あんたらにとっては有権者は一票の持ち主にしか見えへんのや。いや、票だけ見えて、有権者は見えへん。ほんま、票の取り合いだけをやってんのや。それが選挙やと心から底から思うてはる。
ちがーーうやろ。有権者の選択が選挙や。有権者は、政党の都合で選挙に駆り出されるんやない。いっつも有権者が主人公や。政党の都合で選挙が行われるて、ゆうたら絶対にあかん。有権者の審判が必要なときにやな、有権者に正しい選択ができるようにお膳立てをするのが政党の役目や。とりわけ、与党の責任は大きいんや。有権者の判断に必要な材料を取りそろえて提供せにゃあかん。主権在民て、あんたら中学校で習わんかったんか。それともなにか。選挙は有権者を煙に巻いて、票を掠めとるゲームとでも、思うてんのかいな。
今回の選挙のタイミングを考えてみい。臨時国会の焦点は、森友、加計の疑惑の解明や。それに、北朝鮮をめぐって、集団的自衛権によって核戦争に巻き込まれる心配についても徹底した議論をせなならん。アベ政権たらいったいなんや。何をしてきたんや。本当にこんな奴に政権を任せておいてもええんかいな。それを有権者に判断してもらうための国会やんか。臭いものに蓋をしといてやな、いっちゃん大切な判断材料を国民には知らせんといて、「選挙は戦いだから、有利な時期に解散をするというのは、総理の権利」やて? 何ゆうてんねん。あんた、アベとおんなじぐらい、おかしいぜ。
「だからこそ総理に解散権がある」やて? そんなものない、ない。主権者の正しい判断を損なう権利など、誰にもおまへんがな。松井はん、政権にヨイショして、誰かの口まねしてんとちゃうか。みっともないやんけ。
まあな。森友問題いうたら、責任は維新にもごっつうあるんやさかい、疑惑隠しに賛成いう気持もあるやろな。これ、見当外れの忖度やろか。
自分も叩けばホコリが出て来るさかい、アベにうまいことごまかされてばかりとちがうんか。大阪いうたら、阪神タイガースやろ。タイガースいうたら、アンチ巨人や。反権力で反中央や。それが、大阪人の心意気とちゃうんか。アベ政権にヨイショして、あんさん、ナニ考えてんや。
あー、いじましいやっちゃなぁ。あかんたれやな。松井はん。
(2017年9月19日)
本日の朝刊各紙は、9月28日臨時国会での冒頭解散が確定したごとくの報道。政権の総選挙の投開票が10月22日だろうという。官邸のリークが紙上におどっているのだ。官邸は、その反応を見ているのだろう。
実に腹立たしい。冒頭解散はあり得ない。ちがうだろうー、アベ晋三よ。森友学園問題も、加計学園疑惑も、ほかならぬ汝と汝の妻のしでかしたことではないか。二人揃って疑惑を釈明の責任がある。二人揃って謝罪をし引責しなければならない。
「丁寧にする」との国民に対する説明の約束。またも引き延ばしておいて反故にするのか。もうそろそろ忘れたころだろうとほっかむり。いつもの手口で、夫婦への共同責任追及を解散総選挙で逃げ切ろうとの魂胆丸見え。国民もなめられたものだ。
疑惑隠し解散、頬被り解散、敵前逃亡解散、ずる逃げ解散、海苔弁解散、もりかけ解散、党利党略解散、私利私略解散、自己保身解散、しめたこのタイミング解散、抜け駆け解散、火事場泥棒解散、人の弱みに付け込み解散、因循姑息解散、卑怯破廉恥解散、奸佞悪辣解散…ではないか。
ところで、本日は9月18日。敬老の日でもあるが、柳条湖事件勃発の日。
86年前になる1931年9月18日深夜、奉天(現審陽)近郊柳条湖で起きた南満州鉄道「爆破」事件が、足かけ15年に及んだ日中戦争のきっかけとなった。後に爆破は日本軍自らが仕組んだ謀略であることが明らかになったが、関東軍はこれを中国軍の仕業と喧伝し、奉天を占領してさらに満州(現東北三省)全土への軍事侵攻の口実にした。
こうして、事件は、満州事変となり、翌32年3月には傀儡国家「満州国」の建国が強行され、国際連盟リットン調査団の報告を経て、33年2月日本の国際連盟脱退に至る。傍若無人の振る舞いの結果、軍国日本が敗戦によって壊滅する、そのきっかけの日となったのが、「9・18」である。
何年か前、この事件の現場を訪れたことがある。事件を記念する歴史博物館の構造が、日めくりカレンダーをかたどったものになっており、「九・一八」の日付の巨大な日めくりに、「勿忘国恥」(国恥を忘ることなかれ)と刻み込まれていた。侵略された側が「国恥」という。侵略した側は、この日をさらに深刻な「恥ずべき日」として記憶しなければならない。
「9・18」を、中国語で発音すると、「チュー・イーパー」となる。何とも悲しげな響き。その博物館で、「チュー・イーパー」という歌を聴いた。もの悲しい曲調に聞こえた。中国の国歌は、義勇軍進行曲と名付けられている。作詞田漢、作曲聶耳として名高く、「起来!起来!起来!」(チライ・チライ・チライ=立ち上がれ)と繰り返される勇猛な曲。「チュー・イーパー」の曲は、およそ正反対のメロディだった。
柳条湖事件は関東軍自作自演の周到な謀略であったが、満州侵略を熱狂的に支持する「民意」があればこその「成功」であった。世論は、幣原喜重郎外相の軟弱外交非難の一色だった。「満蒙は日本の生命線」「暴支膺懲」のスローガンは、当時既に人心をとらえていたのだ。「中国になめられるな」「満州の権益を日本の手に」「これで景気が上向く」というのが圧倒的な世論。真実の報道と冷静な評論が禁圧されるなかで、軍部が国民を煽り、煽られた国民が政府の弱腰を非難する。そのような、巨大な負のスパイラルが、1945年の敗戦まで続くことになる。
今の世はどうだろうか。極右安倍晋三が政権を掌握し、極右政治家が閣僚に名を連ねている。自民党は改憲草案を公表して、国防軍を創設し、天皇を元首としようとしている。ヘイトスピーチが横行し、歴史修正主義派の教科書の採択が現実のものとなり、学校現場での日の丸・君が代の強制はすでに定着化しつつある。秘密保護法、戦争法、さらに共謀罪までが成立した。
北朝鮮脅威論が過剰に喧伝されてはいないだろうか。偏狭なナショナリズム復活の兆し、朝鮮や中国への敵視策、嫌悪感‥、1930年代もこうではなかったのかと思わせる。巨大な負のスパイラルが、回り始めてはいないか。
今日「9月18日」は、戦争の愚かさと悲惨さを思い起こすべき日。軽々に政権の扇動に乗せられてはならないと、自らを戒めるべき日。心して、隣国との友好を深めよう。過剰なナショナリズムを警戒しよう。今ある表現の自由を大切にすることで、権力への抵抗を心がけよう。まともな政党政治を取り戻そう。冷静に理性を研ぎ澄まし、極右勢力の煽動を警戒しよう。そして、くれぐれもあの時代を再び繰り返さないように、まず心ある人々が手をつなぎ、力を合わせよう。疑惑隠し解散に負けてはおられない。
(2017年9月18日)
英紙「ガーディアン」が一昨日(9月14日)報じたところによると、ブラジルの捜査当局は、「東京五輪招致に買収疑惑あり」との結論を出したという。捜査は、リオ五輪と東京五輪の両者に行われていたというが、私の関心は自ずと東京の招致問題だけ。
捜査結果の報道が、ブラジル紙ではなく、なぜ「ガーディアン」なのか。このあと続報があるのかないのか。フランス当局の捜査の進展はどうなっているのか。そもそも、ブラジルでは国内法のどのような犯罪構成要件に該当するというのだろうか。よく分からないことが多い。が、五輪を支える組織や幹部の腐敗の実態や、東京五輪誘致陣の薄汚さの再確認という点で、関心を持たざるを得ない。
各紙の報道に目を通しても、なかなか事実経過をつかみにくい。すこし、整理が必要である。
問題は、東京五輪誘致に関わる贈収賄。贈賄側は、東京五輪招致委員会。理事長が竹田恆和、理事に橋本聖子や鈴木大地などが名を連ねる。当然に、首相や当時の都知事もからんでいる。
収賄側は、IOC委員でもあり国際世界陸連会長でもあったラミン・ディアク(セネガル)という人物。大物としてIOC内で特別な影響力があり、次期五輪会場の決定に大きな権限あると思われていた人物だという。その代理人として、交渉や金の授受の窓口になったのは、息子のパパマッサタ。
登場人物はこれだけではない。カムフラージュとしての中間項が登場する。その内の最重要なのが、ブラック・タイディングス社というペパーカンパニー。一時期だけ、シンガポールの公営アパートの一室に形だけがあったという。
時系列を確認しておきたい。安倍晋三がブェノスアイレスで、「アンダーコントロールで完全ブロック」という詐欺まがいのトークで、2020年東京五輪招致を掠めとったのが2013年9月7日。その前後の同年7月と10月とに、招致委員会から出た金がラミン・ディアク側に渡っているというのだ。結論から言えば、これは買収資金の「着手金」と「成功報酬」と解釈するしかない。
最初、疑惑はフランス検察当局の捜査状況として報じられた。2013年の7月と10月の2回にわたって、東京五輪招致委員会がブラック・タイディングス社の秘密口座に送金されてたことが確認されたということが大きなニュースになった。このブラック・タイディングス社はラミン・ディアクの息子パパ・マサタ・ディアクに深い関係があるペーパーカンパニーとも報じられた。
その金額は2億3000万円。東京五輪招致委員会の理事長であり、日本オリンピック委員会(JOC)会長でもある竹田恒和は当初この疑惑を否定したが、後に国会に参考人として招致された際には認めて「正式な業務契約に基づく対価として支払った」と釈明した。「招致計画づくり、プレゼン指導、国際渉外のアドバイスや実際のロビー活動、情報分析など多岐にわたる招致活動の業務委託、コンサル料などの数ある中の1つであり、正式な業務契約に基づく対価として支払った」というのだ。おそらく誰もこんなことを信じてはいない。コンサル料名義の賄賂を、名もない会社の秘密口座に送金したという疑惑が極めて濃厚なのだ。
ブラック・タイディングス社とは、シンガポール東部の老朽化し、取り壊しを待つ公営住宅の1室にあり、シンガポールメディアによると同社は2014年には業務を停止しているとのこと。つまりは完全なペーパーカンパニーで、プレゼン指導、国際渉外のアドバイスや実際のロビー活動、情報分析などのコンサル業務を行う能力の片鱗もなさそう。
竹田恒和は国会で、支払った2億3000万円の最終的な使途についてブラック・タイディングス社側に「確認していない」と証言している。さらには「同社とは現在連絡が取れていないと聞いている」とも答えている。無責任極まるというレベルではなく、贈賄と疑われてやむをえないとの発言なのだ。
今回のガーディアンの報道では、ブラジルの当局は、2013年9月8日(東京招致成功の翌日)に、ブラック・タイディングスがシンガポールのスタンダード・チャータード銀行の口座から8万5000ユーロ(約1113万円)をパリのある会社宛てに送金し、それがマッサタ・ディアクが宝石店で購入した高額商品の支払いに充てられたことを明らかにした。
つまり、東京五輪招致委員会→ブラック・タイディングス社→パパマッサタの金の流れが確認できたということだ。コンサル料とは、実はIOC委員への買収資金としての賄賂送金だったという以外には考えがたい。ブラジル当局は、その認識である。
共同は、「東京五輪、リオデジャネイロ五輪は招致で『買収』と結論 英紙が報道」と見出しを打った。ブラジルの当局は「買収」の意図があったと結論づけたというのだ。
「東京の五輪招致にIOCの票の買収があった容疑について新展開」「ブラジルの当局は、ラミン・ディアク氏を買収する意図があったとしている」という記事。
ガーディアン記事は、「ブラジル連邦検察局はフランス検察局の調査結果を踏まえて、支払いが『IOC内部に強い影響力を持つラミーヌ・ディアクの支援と票の買収の意図をもって』、2020年東京の招致成功のためになされたという結論を出した。」という。さて、これからどう捜査が発展するのだろうか。
ガーディアンは、「ブラジルからの今回の暴露によって、次回の五輪開催国(日本)に対する調査が再開され、どのようにして東京が五輪開催権を獲得したのかそのプロセスが解明されることになるだろう。」という。
東京五輪はうんざりだ。アベ政権や小池都政の政治利用、国威発揚、ナショナリズム鼓吹、住民無視の東京再開発の促進、東北復興妨害、税金の無駄遣い、負のレガシーの創出…、そしてこの薄汚い招致活動での恥さらし。もう、きっぱり返上しようではないか。
(2017年9月16日)
今日はルンルンだ。国民はチョロいぜ。勿体ないがだましよい。
各紙の世論調査で内閣支持率が軒並みアップだ。不支持率を逆転したぞ。どんなもんだい。
今日(9月11日)発表のNHKの世論調査ではこんな具合だ。
安倍内閣を「支持する」と答えた人は、先月より5ポイント上がって44%だったのに対し、「支持しない」と答えた人は、7ポイント下がって36%で、3か月ぶりに、「支持する」が「支持しない」を上回りました。
さすがNHK。立派な国営放送だ。誰が言ったか、「アベ様のNHK」。悪い気はしない。
朝日新聞も、9日10日の全国調査結果を今日発表している。こちらはやや渋いが。
「安倍内閣の支持率は38%(前回8月調査は35%)で、不支持率38%(同45%)と並んだ。回復傾向にはあるものの、無党派層の支持率は17%と依然低い。」
朝日だもの。反アベだろう。それでも、前回調査の不支持率と支持率の差10ポイントが、今回はゼロだ。やっぱりルンルンだぜ。
なぜこうなったかって? 幾つか考えられる。
まずは、北朝鮮のおかげだ。これまでも、私の支持率の落ちたところで、私を助けてくれている。「困ったときの友こそ真の友」と言うだろう。金正恩こそが私の真の友だと思うよ。これ、ホンネだ。
ICBMの発射も、核実験も、ホントによいタイミングでやってもらった。しかも核は160キロトン相当の水爆だと言うじゃないか。国民の目は、森友・加計問題から、北朝鮮に完全に移った。共謀罪も、南スーダンPKOでの日報隠しも、閣僚不祥事も、アベチルドレン問題も、すべては忘却の彼方だ。
しかも、この北朝鮮によるわが国への支援の恩恵は、内閣支持率アップにとどまらない。迎撃ミサイルだの、イージスショアだの、自衛の措置が必要ではないかとの理由付けで、防衛予算の増強がとてもやりやすくなった。アメリカの軍需産業も大喜びだ。
だから、北朝鮮危機の深刻さは、できるだけ大袈裟に国民に伝えなければならない。Jアラートも国民の危機意識涵養に大成功だった。国民が不安になればなるほど一体感が造成される。時の内閣支持率がアップするのが、世の習いではないか。
私も、不愉快そうに深刻な顔つきで記者会見をしなければならないのだが、ついつい腹の中では笑みがこぼれる。
北朝鮮危機→国民の不安→対抗措置の必要 こうなるのが思う壺。目には目。歯には歯だ。核兵器には核兵器だろう。北朝鮮が持つなら、この機会にわが国の核武装も、というのが民の声じゃないか? えっ? ちっとも論理性がないって? そんなことはどうでもよい。日本の核武装ができないまでも、使用済み核燃料から抽出したプルトニウムの保管に精出すくらいは国民合意ができそうじゃないか。うまくいけば、憲法改正だってできるかも。これも北朝鮮・金正恩のおかげだ。
もっとも、朝日の調査では、「北朝鮮の弾道ミサイルや核実験に対して、日本政府が、対話と圧力のどちらにより重点を置く方がよいかを尋ねると、『圧力の強化』40%、『対話の努力』45%と割れた。」という。これでは、まだまだ内閣の努力が十分ではない。「対話」じゃなくて、圧倒的な「圧力」世論を作らなければならない。そのためには、もう一押しの「反北朝鮮キャンペーン」だ。
そう、北朝鮮危機を本当に解決できななくてもいいのさ。危機は深刻であるほど、そして長引くほどありがたい。その間、支持率低下の心配はない。
北朝鮮の協力の次は、「寝たふり作戦の成功」だね。頭を下げ、お詫びをし、反省のふりをしたことが成功の原因だ。本当に国民は忘れっぽくってありがたい。
それだけでない、弱体野党の御陰もある。野党第一党の党首が、野党共闘に消極的なことも、消局的な内閣支持率アップの原因だ。
これまでは寝たふりをしていたけど、この事態なら、ジリ貧になる前に早期解散に打って出る手も大ありだ。これで負けを最小限に押さえられれば、それこそ正恩に足を向けては寝られない。
昨日(9月10日)の東京新聞社説が「桐生悠々と防空演習」を取り上げている。例の「関東防空大演習を嗤う」の論評を書いたジャーナリスト。
社説はこう言うのだ。
「悠々の評論の核心は、非現実的な想定は無意味なばかりか、有害ですらある、という点にあるのではないでしょうか。その観点から、国内の各所で行われつつある、北朝鮮の弾道ミサイル発射に備えた住民の避難訓練を見るとどうなるのか。」
「国民の命と暮らしを守るのは政府の役目です。軍事的な脅威をあおるよりも、ミサイル発射や核実験をやめさせるよう外交努力を尽くすのが先決のはずです。そもそもミサイルが現実の脅威なら、なぜ原発を直ちに停止し、原発ゼロに政策転換しないのでしょう。」
何を言っているのか。東京新聞は何も分かっちゃいない。何のための避難訓練かといえば、国民に北朝鮮への恐怖を煽るためのものであることは明らかじゃないか。軍事的な脅威をあおってこその防衛予算拡大であり、9条改憲の実現じゃないか。
そういうところをメディアも学ばねばならない。信頼関係は、相互に敬愛の精神をもつところから出発する。「メディアの使命は権力監視だ」なんてカビの生えたことを言っていたら、信頼関係なんて無理だね。読売のように従順なら、公安の捜査情報をくれてもやろうが、ね。
なんてね。今日は気分がよい。さてこれがいつまで続くやら。
(2017年9月11日)
カジノ反対パブコメの提出と拡散のお願いです!
明日、8月31日の午後5時が締め切り。よろしくお願いします。
■昨年12月「カジノ推進法」が成立しました。
昨年12月、刑法が禁じる賭博(カジノ)を「成長戦略の目玉」とする安倍政権のもとで、きわめて短時間の審議により、特定複合観光施設区域整備推進法が成立しました。
この法律は、【観光先進国としての日本を実現するため】に、カジノ施設と会議場・レクリエーション施設等が一体となった施設(=IR施設)を民間事業者が設置・運営できるようにするための法整備を1年以内(=2017年中)にすることを内容とするものです。わたしたちは、カジノの合法化を推進する法律、という意味で、カジノ【推進】法と呼んでいます。(つまり、今はまだ、カジノは合法化されていません。
■秋の臨時国会に「カジノ実施法案」が提出される予定!
政府は、いよいよ、この秋の臨時国会にカジノ【実施】法案を提出する方針です。
■圧倒的な数のカジノ反対のパブコメを寄せ、秋の臨時国会での法案成立を阻止しましょう!
現在、同とりまとめに対して全国で公聴会が開催されるとともに、パブコメが募集されています。
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/ir_promotion/kokumintekigiron/ikenbosyu.html
パブコメの期間は【8月31日】まで。明日の午後5時が期限です!!
パブコメは質を確保するとともに【数も確保する必要】があります。質の方は、日弁連や市民団体、労働・福祉団体、消費者団体などにお任せするとして、数の力はきわめて重要です。(日弁連の意見書は下記のとおりです)
https://www.nichibenren.or.jp/activity/document/opinion/year/2017/170823.html
パブコメ提出は以下の手順で、画面の指示にしたがってください。
●e-Gov(電子政府の総合窓口)のホームページにアクセスしてください。
http://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=PCMMSTDETAIL&id=060170801&Mode=0
◆【パブリックコメント・意見提出フォーム】というページにたどり着く
◆(差し支えなければ)住所、氏名等の情報を入力する(任意)
◆一番下の提出意見(必須)の枠の中に、2000文字以内で意見を書く。
(末尾パブコメ例からコピーして貼り付けてもよい。)
◆書き終えたら、提出意見の下にある「確認画面へ進む」のボタンを押す。
◆【パブリックコメント:提出内容の確認】というページに行く。
◆そのページの下の方に「画像や音声による認証」という項目があり、そこに
記載されている8桁の数字を認証入力欄に入力する。
◆数字の入力が終わったら、その下にある「提出する」のボタンを押す
◆これで提出完了!
★パブコメ例は末尾に記載しています!気に入ったコメントをコピペして使ってください。
★このメールは転載・拡散自由です。お知り合いの方やMLなどにどんどん拡散してください。
私(澤藤)のパブコメは以下のとおり。
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「特定複合観光施設区域整備推進」にかかるカジノ賭博解禁に反対する。その理由は以下のとおり。
世に賭博は溢れている。競馬・競輪・競艇・パチンコ・スロット、宝くじ…。もちろん、先物取引もFXも立派な賭博である。もはやこれ以上の賭博は要らない。カジノ賭博解禁はさらに人を不幸にするからだ。
賭博とは何か。「複数の者が財貨を拠出しあい、お互いに何らかのルールでこの拠出された財貨を取り合うこと」である。賭場に金を積んで、積まれた金を、サイコロの目でも巨人阪神戦の勝敗でも日経平均の上下でも、何かを基準に勝ち負けを決めて取り合うのだ。何のために賭博に参加するのか。当然のことながら、人の金を我が物としたいから。他人の懐に手を突っ込んで取ってくれば、窃盗か強盗になる。お互いの了解で、ルールを決めて、他人の懐の金の取り合いをするのが賭博である。賭博は、財貨の所在を変えるが、何の経済価値も産みださない。
賭博は窃盗や強盗にはならないが、やはり犯罪である。国家が刑罰権を発動して制裁を科する必要があるとされている違法性の高い行為なのだ。その本質において、互いに相手の財産を奪い合う醜い行為であり、社会の健全さを失わしめ、やがては賭博参加者自らをも滅ぼす看過し得ない違法な行為でもある。単純賭博罪(刑法185条)、常習賭博罪(同186条1貢)、賭博場開張図利罪(同186条2項)。博徒結合図利罪(同)と類型化され、富くじの発売も、発売の取次も、授受も犯罪(同187条)とされている。
ダンテの「神曲」では、賭博を行う者が堕ちて行く地獄はことのほか深い。「他人の不幸を自己の幸福とする」その心根の卑しさの罪が深いのだ。つまり、賭博とは不幸をうむゲームだ。賭博開帳の業とは、不幸を売る商売なのだ。まさしく、カジノは大規模に不幸をつくり出す、不幸を売る商売ではないか。
最高裁判例は、「国民の射幸心を煽り、勤労の美風を損い、国民経済に悪影響を及ぼす」ことを処罰の根拠と説明している。真面目に働く奴はバカだ。それよりは人の金をくすねようという卑しい心根が博打打ちの本性。そこから、テラ銭を掠めとろうというのが、賭博の開帳者。当然に処罰の対象者である。
ところが、「賭博はお互い負ければ取られることを了解での大人のゲームだ。許された娯楽と考えるべきで、刑罰をもって禁圧するほどのことはあるまい」「カジノなんてしゃれた大人のムード」という意見は昔からあった。最近この声は大きい。安倍政権になってからはことさらのこと。経済政策の目玉のひとつになろうとしているからだ。賭博を開帳してテラ銭を稼ごうという、有力企業は政治と結託してこの論調を吹聴している。政治家と胴元企業の大規模の醜悪な関係があるのだ。
この醜悪な連中は、博打とか、賭博という言葉を敢えて避ける。推進議員の集まりは「カジノ議連」で、賭博場は「IR」(インテグレイテド・リゾート)という。しかし、なんと言葉を言い換えても本質が醜悪な賭博であり、パクチであることに変わりはない。
賭博の繁栄がもたらす経済効果を当てにしてのアベノミクス。「おかしいだろ、これ。」としか言いようがないではないか。
カジノ議連や「カジノ推進法」の罪は深い。安倍晋三の取り巻きたちが虎視眈々とカジノの実現を狙っている。「社会の健全化よりも経済振興の方が大切だ」「アベノミクスの3本目の矢の中に賭博もはいっている」「客寄せには賭博が一番」「これこそ経済復興の目玉」…。
何のための経済振興か。経済政策とは何なのか。その哲学が問われている。人を不幸にしての経済振興。人に不幸を売る商売の繁栄を当て込んだビジネスチャンスの創出。カジノもIRも、そして大本のアベノミクスもカジノ議連も一掃して、はじめて健全な社会を取り戻すことができるのだ。カジノ解禁に強く反対する。
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■■カジノ反対パブコメ例■■
*自分の感覚に合う文案をコピーして使ってください。
*いろいろなところで出ているカジノ反対の意見をつまみ食いさせていただきました。
*【パブコメの〆切】8/31(電子メール及びFAXの場合は午後5時まで)
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◆意見
私は、「特定複合観光施設区域整備推進」にかかるカジノ賭博解禁に反対します。
◆理由
○観光先進国としての日本を実現するためにカジノを合法化することについて
・カジノ頼みの国際会議や観光はまともではない。
・観光先進国の実現を賭博解禁で実現する発想が貧困である。
・安倍政権の新たな「賭け問題」である。
・世界の人々を引きつける観光資源の創造はカジノなしで行うことができる。日本のすばらしい観光資源を見つめることなく賭博で「観光客」を集めることは「美しい国日本」のすることではない。
・ハワイにはカジノは無いが世界の人々を惹きつけている。
・人を不幸にしたお金を収益源にすることは許されない。
・カジノに依存しないクリーンな観光立国を目指すべき。
○ギャンブル依存症対策について
・依存症対策はカジノをつくらないことが一番の対策である。
・入場回数制限など、いくつかの対策を掲げているが、発足当初の数年間はそれらの規制が守られても、やがて入場者数の減少などに伴い、そうした規制が徐々に緩和されて行く可能性がある。
○地域の経済振興に寄与するということについて
カジノ賭博解禁を含む「特定複合観光施設区域整備推進」の目的の一つとして、地域経済の振興があげられている。しかしIRに客足を奪われ、周辺の商店街が衰退した海外の前例がある。人を不幸にし、地域の環境を破壊することで事業者(胴元)は利益をあげても、政府並びに関係者が期待する「地域経済の振興」に寄与するとは考えられない。
○カジノによる経済的効果について
・カジノを導入した韓国では、利益よりも依存症問題など負の影響の方が大きいと指摘されている。
・また、カジノ賭博場周辺の市民生活における環境汚染も社会問題になっている。・依存症対策や、そうした社会的環境汚染対策にかかる経費などを考慮すれば、カジノによる経済的効果はほとんどないとみるべきである。
○「反社会的団体」との関係について
・人を不幸にすることで金を稼ぐ方法は、古来、戦争・麻薬・売春そして賭博だった。かつ、戦争以外は例外なく反社会的団体と深く結びついてきた。
・カジノは、やがてその道のプロである暴力団が絡め取って仕切ることになることが容易に推測できる。
○「世界最高水準のカジノ規制」に対する意見
・賭博を解禁しないことが世界最高水準のカジノ規制である。
・報告書にある「世界最高水準のカジノ規制」には、さまざまな規制が掲げられており、それだけでもカジノがいかに危険な施設であるかが読み取れる。そのような危険な施設は日本にはいらない。
以 上
(2017年8月30日)
永らへば またこの頃や しのばれむ
憂しと見し世ぞ 今は恋しき
百人一首でおなじみの藤原清輔の詠。『新古今集』から採られているそうだが、これは恐い歌だ。希望のない、絶望の歌。この頃そう思う。
この先もっと長く生きていて、憲法の理念が輝く民主的な時代を見ることは、どうやらできそうもないようだ。改憲を唱える反動勢力が跳梁するひどい時代と思っている今日この頃だが、この先になって思い返してみると今の時代が懐かしく思い出されてくることになってしまうのだろう。「ああ、あのときはまだマシだった」と。いま、振り返ってみれば、あのときにはムチャクチャだったと思っていた昔の日々も、今に較べればまだマシだったと恋しいほどに思い出されるのだから。きっと同じことが繰り返されるに違いないのだ。
この歌に貫かれているのは徹底した厭世観だ。世の中、今日より明日がよくなるはずがない。これまでも、どんどん悪くなるばかりだったのだから。一昔前に比べて今はなんとひどいことになっているのだろうか。何年か経って、一昔前となったこの頃を振り返ってみても、今よりよくなっていようはずはない。
驚いたのは、ブッシュ大統領親子が共同して、トランプ批判の声明を出したことだ。トランプのやり方が生温いというのではない。その人種差別主義の言動を真っ向から批判している。あのブッシュ親子にさえ、乱暴で非人権的と批判されているのが超大国アメリカの現政権なのだ。悪しきポピュリズム、反知性主義、排外主義、アメリカの独善。あの当時には、「ひどい」、「最悪」と思われたブッシュでさえ、「今は恋しき」対象なのだ。
アメリカだけではない。日本も同様なのだ。55年体制確立以来、自民党政権は長期低落傾向にあった。弥縫を重ね公明党を抱き込み、何とか延命を重ねた自民党。長く、事実上は改憲をあきらめていた。それがどうだ。安倍晋三という、改憲執念勢力の代表各が首相におさまっている。あの当時は、金権、反動、最悪と思われた田中角栄も、中曽根康弘も、「今は恋しき」ではないか。
そして都政だ。石原慎太郎時代には、こんな保守反動の知事は空前であるばかりでなく絶後だろう、と思ったものだ。しかし、どうもそうではなさそうだ。小池百合子都政は、明らかに猪瀬・舛添時代以下だ。もしかしたら、石原時代よりもひどいことにもなりかねない。その理由は、知事子飼いの政党が議会の第一党になっているからだ。それだけではない。石原慎太郎が筋金入りの右翼で、排外主義者で、差別主義者だったことは天下周知のことだった。ところが、小池百合子がなにものであるかについては、よく知られていないという事情もある。
ようやく、大手メディアが小池批判をするようになってきた。本日(8月21日)の毎日「<政治団体>日本「ファースト」どこへ 米国第一のコピペ?」という記事はその典型だろう。
記事の書き出しは、「小池百合子東京都知事の側近、若狭勝衆院議員が設立した政治団体『日本(にっぽん)ファーストの会』が揺れている」というもの。
識者のコメントを連ねる手法で、「『アメリカ・ファースト』とうり二つ 排外主義連想の指摘も」とし、「東京都議選で都民ファーストはいきなり第1党に躍り出た。」「利益誘導型の旧来の自民党政治が顔を出して無党派層の不満が高まるなか、小池氏はポピュリズムをうまく利用し、民進党に代わって『受け皿』になった」「日本ファーストは近隣諸国からどうみられるか。排外主義を連想するなという方が無理だ」「政策決定者である私が決めた。文書としては残していない。『情報公開は東京大改革の一丁目一番地』と言いながら、結局は『自分ファースト』だった」。若狭氏は7月9日の報道番組で新党のスタンスとして「憲法改正が必要というのは共通している。安倍さんとあえて対立構図を作ることはない」と述べた。「自民党との本質的な違いは見えにくい」。
慎重な言い回しだが、「小池百合子を警戒せよ」「小池百合子にだまされるな」という警告である。安倍晋三、橋下徹、小池百合子などのポピュリストに警戒せよ、だまされるな、ということでもある。
私は、心底心配せざるを得ないのだ。安倍晋三のごとき知性に欠けた反文明人の利己主義者を長く首相に据えておく、「この頃」の世の雰囲気についてである。民主主義運用の難しさについてということでもある。もう少し先になって、「素晴らしい憲法だったと悔やむ日が」(8月21日万能川柳欄・浜松よんぼ)としてはならない。「あの頃に世を憂しと見しは、杞憂なりしか」と詠う日が来なければならない。漫然と待つのではなく、その日が来るように努力を重ねなければならない。それは、可能なはずなのだから。
(2017年8月21日)
毎日の更新を続けている当ブログは、本日で連続第1600回となった。
休眠していていた「憲法日記」を再開したのは、2013年1月1日。その前年12年12月総選挙での第2次安倍政権発足が暮れの26日、これに危機感を抱いてのことだ。
安倍晋三という右翼の歴史修正主義者が、「戦後レジームからの脱却」、「日本を取り戻す」などというスローガンを掲げて政権に返り咲いた。支持勢力は、保守ではない。明らかに右翼ではないか。
あの第1次政権投げ出しの経過が印象に強かった。この上なくぶざまでみっともない本性をさらけ出したひ弱な政治家。誰も、彼がすぐれた政治理念をもつカリスマ的な指導者だとは思ってはいない。むしろ、愚かで浅薄な人物というのが定評。その愚かで浅薄な安倍晋三が、右翼勢力の支持で再びの政権に就いた。時代の風が、右から吹いていることをいやでも意識せざるを得ない。
彼は、右翼を糾合してこれをコアな地盤とし、保守派と「下駄の雪・公明」を巻き込んだ勢力で、戦後営々と築き上げられてきた民主主義の破壊を目論んだ。戦後的なるものを総否定した戦前回帰の復古主義である。そのことは、日本国憲法の否定と、限りなく大日本帝国憲法に近似する自民党改憲草案に象徴的に表れていた。
こうして、平和や民主主義や人権を大切に思う側の国民による、総力をあげての安倍政権との闘いが始まったのだ。私もできることをしなければならない。それが、2013年1月1日からの当「憲法日記」である。書き始めた当時は、日民協の軒先を借りてのことだった。自前のサイトに移って、思うがままに書けるようになったのが、2013年4月1日。この日のブログを第1回と数えて、本日が1日の途切れもなく第1600回となった。
ところが、まだ、安倍政権が続いている。気息奄々の安倍晋三が、いまだに憲法を変えたいと執念を見せている。だから、私も、この日記を書き続けなくてはならない。憲法の安泰を見届けるまでは。
これまでの1600日。ブログのテーマに困ったことはほとんどない。私には手に余る大きなテーマで書き始めてとてもまとまらず、さて困ったとなって代わりに何を書こうか。と思案することは少なくない。そういうときは、産経の社説に目を通すのだ。困ったときの産経頼み。産経こそがこコアな安倍支持勢力の代弁者。もちろん読売も安倍的右翼勢力だが、産経の方がものの言い方がはるかにストレートで分かり易い。だから、産経社説はありがたい。本日も、批判の対象としてご登場いただく。
昨日(8月16日)の産経社説は、「戦後72年の靖国、いったい誰に『申し訳ない』のか 首相も閣僚も直接参拝せず」というタイトルだった。言い古された、陳腐きわまる靖国擁護論である。その全文を太字で記して、批判を試みたい。もっとも、批判も陳腐なものとならざるを得ないのだが。
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戦後72年の終戦の日、靖国の杜には雨にもかかわらず、多くの参拝者が訪れた。国に命をささげた人々の御霊に改めて哀悼の意を表したい。
・宗教観念や信仰の内容を他者が批判する筋合いは毫もない。亡くなった人の霊がこの世に残るという信仰を持ち、特定の宗教施設に亡き人の霊が宿っているとして、霊が祀られている施設への参拝者が訪れることを非難する者はなかろう。憲法20条で保障される信教の自由を尊重すべきが、常識的な姿勢。戦没者遺族の心情は自ずと尊重されるべきである。
・但し、「国に命をささげた」人々の意味は定かではない。まさか、戦没者のすべてが、喜んで「国に命をささげた」と言っているわけではなかろうが、戦没者を一括りにして、意味づけをすることは慎まなければならない。
・なお、今年(2017年)の8月15日靖国参拝者数は、雨がたたってかいつになく少数で静謐であったというのが、各紙の報道である。産経社説だけが、「靖国の杜には雨にもかかわらず、多くの参拝者が訪れた。」と書いている。現実ではなく、願望を優先せざるを得ないのだろう。
東京・九段の靖国神社は、わが国の戦没者追悼の中心施設である。幕末以降、国に殉じた246万余柱の御霊がまつられている。うち213万余柱は先の大戦の戦没者だ。終戦の日に参拝する意義は大きい。
・靖国神社が、わが国の戦没者追悼の中心施設であったことは歴史的事実ではある。しかし、今は、「一宗教法人であって、それ以上のものではない」ことを明確にしなければならない。
・「国に殉じた246万余柱の御霊」の表現はいけない。膨大な戦没者とその遺族のなかには、「国に殉じた」気持をもち、靖国の顕彰や奉祀を感謝の念をもって受け容れている人もいるだろう。しかし、遺族が合祀されていることを徹底して嫌忌している人もいる。「国に殉じた」のではなく、「国に命を奪われた」と考えている人たちも少なくないのだ。
・「終戦の日に参拝する意義は大きい。」とは、なんとも無内容な一文。もし、「終戦の日に参拝する意義」が、今次の大戦において「国に殉じた」人々を顕彰することにある、というのなら、それは余りに偏った独善的イデオロギーの表白である。
靖国は静かな追悼の場である。その国の伝統文化に従い戦没者の霊をまつり、祈りをささげることはどの国も行っていることだ。
・「靖国は静かな追悼の場である」。それだけのことなら、なんの問題もない。この宗教施設が戦没者を偲ぶ場としてふさわしいと考えている個人が、それぞれの思いで追悼の場とすればそれでよい。ところが、それではもの足りぬという人々がいる。国の関わりが必要という思惑をもつ人々が、靖国を静かな追悼の場でなくしているのだ。
・「その国の伝統文化に従い戦没者の霊をまつり、祈りをささげることはどの国も行っていることだ。」
これは、ずるい文章だ。文脈からすると、「どの国も行っていること」が述語なのだから、これが主要な命題との印象を受ける。本当に、戦没者に対する靖国的祭祀が国際的な普遍性を持っているのかを吟味しようとすると、「その国の伝統文化に従い」という特殊性に逃げられる。いったいどっちなんだ、と言いたくなる文章。
・実は、どっちでもないのだ。靖国とは、国際的な普遍性を持っていないことは当然として、日本固有の伝統文化に従った戦没者の霊のまつり方でもない。近代天皇制政府が拵え上げた似非伝統なのだ。
とりわけ国の指導者が、国民を代表して哀悼の意を表することは、当然の行いだ。それが堂々と行われないのはなぜなのか。
・国が全戦没者を追悼する式典は、「全国戦没者追悼式」として毎年8月15日に挙行されている。その問題性なきにしもあらずだが、産経が、「国の指導者が、国民を代表して堂々と戦没者に哀悼の意を表することを行わないのはなぜか」というのは間違っている。
・宗教法人靖国神社が、国家行事を行うにふさわしからざる場であることは、自明であって、ここで「国の指導者が、国民を代表して哀悼の意を表する」などは絶対にあってはならない。もちろん、明確に違憲な行為でもある。
安倍晋三首相は自民党総裁として玉串料を納めたが、直接参拝しないのはやはり残念である。
この日の閣僚の参拝は一人もいなかった。寂しい限りである。
・はたして、安倍晋三首相の玉串料奉納は私人としての行為であったか。極めて疑問であるが、参拝はできなかった。内閣総理大臣としての玉串料奉納もしないポーズはとらざるを得ない。乱暴な安倍晋三も、憲法を守らざるを得ないと、ようやくにして理解してきた。その限りでけっこうなことだった。
・一般論だが、産経が「残念」「寂しい」と表白する事態は、憲法に笑顔をもたらすものである。
かつて首相が閣僚を率いて参拝するのは、普通の姿だった。中国が干渉するようになったのは、中曽根康弘首相が公式参拝した昭和60年8月以降である。
長期政権を築いた小泉純一郎首相は平成13年から18年まで年1回の靖国参拝を続けたものの、多くの首相が参拝を見送っている。いわれなき非難を行う中国や韓国への過度の配慮からだ。それがさらなる干渉を招いてきた。
安倍首相も25年12月に参拝した後、参拝を控えている。
・首相や天皇の公式参拝(公的資格による参拝)は、憲法20条3項の政教分離原則が禁じるところである。わが国は、主権者の意思として、国家がすべての宗教との関わりを持つことを禁じた。その宗教とは憲法に明示されていないが、なによりも天皇を神の子孫であり現人神とする国家神道(=天皇教)であった。なかでも、国家神道の中の軍国主義側面を司る靖国神社である。
・また、日本国憲法はアジア諸国に対する侵略戦争を反省する不戦の誓いとしての性格を有している。だから、日本国憲法の理念は、日本一国だけのものではなく、アジア諸国全体のものとも言える。わが国は、憲法の運用において独善に陥ることなく、近隣諸国の声に耳を傾けなければならない。
首相はこの日、名代の柴山昌彦総裁特別補佐に「参拝に行けずに申し訳ない」と託したという。だれに対して申し訳ないのか。英霊の前で平和と国の守りをしっかりと誓うべきである。
・安倍晋三は、「参拝に行けずに申し訳ない」という必要はない。「国家を代表する立場でありながら、特定宗教団体に玉串料など奉納し特別の関わりを作ってしまい、申し訳ない」と日本国憲法と憲法制定権力者である国民に詫びなければならない。
・靖国は、平和を誓うにふさわしい場所ではない。神も神社もいろいろだ。学問の神に商売繁盛を願うのも、地獄の神にこの世の栄達を願うのも筋違い。宗教的軍事施設である靖国は、平和を祈る場ではない。もともとが戦死者に向かって、「あなたの死を無駄にしない。次の戦いでは必ず勝って見せる」と誓う儀式の場なのだから。
春秋の例大祭など機会を捉え、参拝してもらいたい。
靖国の社頭では、戦没者の遺書や書簡が月替わりに紹介、配布され手に取る人も多かった。8月のこの日の文は、24歳の若さで西太平洋のトラック諸島で戦死した陸軍中尉が「父上様」と記し、「墓標は、つとめて小たるべし」と自身のことをわずかに、国を守る思いがつづられていた。
海外の激戦地には、いまなお多くの遺骨が眠っていることも忘れてはならない。
戦没者の孫、ひ孫世代の子を連れた人も目立った。国や故郷、家族を思って逝った尊い犠牲のうえに国が築かれてきた歴史を改めて知る日としたい。
・戦争を忘れてはならない。とりわけ、戦争で悲惨な死を遂げた若者たちの苦悩と悲惨を忘れてはならない。そのことに、異存のあろうはずはない。
・引っかかるのは、産経が繰り返す「国のため」「国を守る」「国を思い」「その犠牲の上の国」である。
産経社説には右翼言論の常として、「わが国」だけがあって、戦った相手国がない。相手国の国民がないのだ。あたかも、戦争で悲惨な死を遂げた若者たちの苦悩と悲惨は、わが国特有のものだったごとくではないか。中国をはじめとするアジア諸国民の若者たちにも、英・米・蘭・ソの連合国の兵士たちも、まったく同様であった。過酷な植民地支配をうけた朝鮮もである。
・にもかかわらず、靖国神社は、けっして1931年以来の戦争が侵略戦争であったことを語らない。また、けっして皇軍の蛮行を語らない。ひたすらに戦争を正当化し、戦死を美化するのみである。
この立場に与するのが産経新聞であり、産経が支持するのが、安倍政権である。その安倍政権が、いまだに生き延びている。嗚呼、しばらくブログは続けざるを得ない。
(2017年8月17日・毎日連続更新第1600回)