澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

自民党・村上誠一郎の「国葬批判・アベ政治批判」

(2022年8月1日)
 猛暑とコロナ禍のさなかの8月である。異様な暑さの中で身近なコロナ感染者が少なくない。感染を自覚しても為す術もないとの声もここかしこに。こんな環境での感染は恐い。不要の外出を控えるしかない。不穏な2020年の夏の盛り。

 一抹の希望は、岸田内閣の支持率急落との報。「支持率が急落した理由は、国葬、旧統一教会、コロナの3つだ」というのが、元気のよい「日刊ゲンダイ」の見立て。その通りだろう。国葬と統一教会問題は、安倍批判と密接に結びつく。コロナも安倍以来の無策の象徴。結局、国民世論に急速に浸透してきた安倍批判が、安倍後継の岸田不支持となってきているのだ。この3点セット、もうしばらくは解決の兆しが見えない。この夏の暑さが身に応えているのは、実は、岸田と自民党なのかも知れない。

 こんな中、産経新聞のメールマガジンが、国葬賛成で鬱陶しい。
 「安倍氏は憲政史上で最長の8年余りの間、首相として公務についた人でした。選び続けたのはほかならぬ、われわれ有権者です。また、民主主義の根本になる選挙のさなかの暴挙に対し、民主主義の国として抗議の意思を示し、多くの人と主体的に確認し合う機会を持つことは、許容できることではないでしょうか」「今回の事件は、宗教団体に対する容疑者の私怨から端を発した凶行であり、民主主義とは切り分けるべきだという意見には首肯しがたいものを感じています。多分に衝撃や情緒に流されているかもしれないと顧みつつも、しかしながら民主主義への挑戦が、国家改造や政権転覆を狙うクーデターに限るものとは言い切れないのではないかと思うからです」
 
自信なく歯切れ悪く言い訳がましい産経の国葬賛成論。その怨み節が現在の情勢をよく表している。驚いたのは、これに続く次の記事。
 「安倍氏の歴史認識や憲法改正への意欲をかつて懐疑的にとらえていた米紙の社説、これが産経の紙面に「米紙 異例の『改憲支持』」という主見出しで掲載されています。」

 安倍も産経も、「アメリカに押し付けられた憲法」だから見直せ、と言っていたはずではないか。手のひら返して、アメリカの『日本国憲法改憲支持』を手放しで喜んでいるのだ。恥ずかしげもないあまりのご都合主義に、頭がクラクラする。あらためて暑さが身に沁みる。

 猛暑の中、配達された毎日新聞の夕刊に、「安倍政治の見直し、今こそ」の大見出し。おお、かくも機敏に自民党に代わる政権を求める声が、と思ったのは早とちり。「今こそ安倍政治を見直せ」と吠えているのは、自民党の村上誠一郎である。ウーン、安倍やその腰巾着や産経ばかりではない。村上のような硬骨漢も抱えているのが、自民党の強みなのか。

 彼の語るところはなかなかのものである。国葬の是非は、安倍政権の功罪に関わっている。彼の語るところを抜粋してみよう。

 「先日、ある首相経験者が私に言ってこられました。『どうして国葬なんですか』と。いったん流れができてしまうと、異論を言いにくくなる。これが人間社会の同調圧力かなと思う」

 「今回は非常にお気の毒な亡くなり方をされたから、非業の死を遂げた方を弔うのは自分としても感情的には理解できる。ただ、判断の明確な基準が必要です。例えば佐藤栄作さんや中曽根さん、おじいさまの岸信介さんも国葬ではなかった。なぜ安倍さんだけ国葬なのかというと、なかなか説明が難しい」「時の政権の恣意的なやり方だとの批判を免れない。もう少し腰を据えて幅広く考えるべきだったのではないか」

 「森友・加計・桜を見る会は国民の不信を完全には払拭できていないのではないか。森友問題では近畿財務局の職員が自死に追い込まれた。これらの政治的、道義的責任は安倍氏の功績とは別次元の話です」

 「解釈改憲で集団的自衛権の行使を容認して立憲主義を否定し、そんたくするイエスマンばかりを登用する縁故人事がはびこり、財政・金融・外交が非常に厳しい状況になった。自由闊達な議論ができる本来の自民党に戻すべきです」

 「ロシアの民主主義が見せかけだと言うけど、日本も同じようになりつつあるのではないかと心配しています。堂々と議論し、適正な人事や正しい政策が実行されるべきですが、残念ながらそうなっていない。まっとうな批判勢力がないために選挙だけは勝つ。それは本当の信任ではないのです」

 「アベノミクスは成功したとは言えないと思います。財政出動と金融緩和というカンフル剤を打つだけで結局、成長戦略は十分な成果が上がってきていない。金融緩和をダラダラ続けているうちに円安・ドル高が進んだ。食料もエネルギーも輸入頼みだから、日本の富がどんどん流出しているわけです」

 「岸田さんに、アベノミクスを総括した上で新しいステージに移る気持ちがあるかどうか。世界最悪の借金財政なのに防衛費を2倍にするというのは非常に難しい」
 
 「野中広務元幹事長も言っていましたが『自民党は常にベストな政策をめざす』ということで党内の議論が活発化していました。亡くなった方のご冥福を祈り、事件の再発を防ぐことと、政策論争は全く別の次元の問題です。合理的な政治が行われなくなって被害を受けるのは国民ですから」

 これって、自民党? これもホントに自民党なの? 自民党って、いったい何なの? 

「邪教」はとうてい許せない。しかし、「サタン」はもっと怖い。

(2022年7月31日)
 安倍晋三の銃撃事件以来、旧統一教会の反社会性がクローズアップされ、自民党とりわけ安倍派の政治家とこの反社会的組織との癒着が大きく問題視されている。

 私も、統一教会を徹底して批判しなければならないと思ってはいる。しかし、これを権力によって弾圧してしまえ、法人格を取り消せということにはいささかの躊躇を感じる。戦前の天皇制政府による宗教弾圧を連想し、権力の暴走を懸念するからだ。そう、私は何ごとによらず優柔不断なのだ。

 一方で、果断極まりないのが中国当局である。昨日(7月30日)配信の共同通信記事によれば、中国は「旧統一教会は『違法な邪教』」とし、「安倍氏銃撃で一掃の正当性強調」なのだそうだ。これだけの見出しでは少々分かりにくいが、「中国共産党はとっくの昔に、統一教会を邪教として一掃済みである。今回の安倍銃撃事件で、党の正しさが証明された」ということ。

 中国当局が統一教会を、非合法の「邪教」(カルト)と認定したのは1997年のことだという。そのことによって、日米と違って、中国は統一教会の自国への浸透を防ぎ得た。この当局の対応は正しかったと宣伝しているわけだ。ゼロコロナ政策を思い起こさせるこのやり方に、強権的な宗教政策がより強まると懸念する声も出ているという。

 中国には、「中国反邪教ネット」というサイトがある。もちろん、事実上公安当局が運営している。安倍銃撃事件以来、そのサイトでは、代表的な邪教として扱われる気功集団「法輪功」と並んで、旧統一教会を批判する記事が多くなっているという。

 共産党系の環球時報(英語版)は14日付紙面で「安倍氏暗殺は中国のカルト一掃の正しさを示した」と強調。「(山上徹也容疑者が)もし中国で暮らしていれば、政府は彼が正義を追求するのを助け、この宗教団体を撲滅しただろう」とし、日米などは「中国の(カルト排除の)努力を『宗教上の自由への迫害』だとゆがめている」と反発した。

 これは注目に値する記事ではないか。中国政府(共産党)は、宗教団体に悪徳商法や高額献金授受の事実あれば、躊躇なく『この宗教団体を撲滅した」というのだ。中国政府(共産党)は、そうすることが「正義」と信じて疑わない。「中国の(カルト排除の)努力を『宗教上の自由への迫害』だとゆがめて」はならない、という立場なのだ。

 だから、共同配信記事は、示して示してこう締めくくっている。

 「中国では一党支配の下、憲法が記す信教の自由は『ゼロに近いのが実態』(中国人カトリック専門家)との指摘もある。非合法化された法輪功や新興宗教だけでなく、プロテスタント系家庭教会なども抑圧されてきた。弾圧を受けた法輪功メンバーを支援してきた弁護士は『日本の旧統一教会の問題は、非公認の宗教活動を一層弾圧する良い口実を政府に与えた』と分析した。」(共同)

 以上のとおり、中国(共産党)は統一教会を「邪教」として、弾圧も撲滅も躊躇しない。一方、統一教会の側は、反共(反共産主義)を教義としており、その教義によると、中国共産党は「サタン」とされている。

 自民党と癒着し信者からは財産と真っ当な人生を奪った「邪教」と、人権と民主主義の弾圧をこととしてきた「サタン」と。どちらも唾棄すべき存在だが、暴力装置を駆使しうる「サタン」の方がより怖いというべきだろう。たまたま、本日の毎日新聞朝刊のトップ記事は、「数千枚の顔写真が語る、ウイグル族抑圧 新疆公安ファイルを追う」「当局、宗教色を問題視」である。その内容は、中国当局のイスラム教徒に対する弾圧。とても、近代国家のやることではない。 

私も納税者だ。私の納税分を、一円たりとも安倍晋三の葬儀に使ってはならない。

(2022年7月29日)
 憂鬱な夏の盛りである。コロナの蔓延に歯止めがかからない。行政の無為無策を嘆くばかり。ウクライナの戦況は膠着して停戦の展望は見えない。ミャンマーで民主派4人の死刑が執行された。アメリカでは、あのトランプが再びのさばりそうな雲行き。そして、参院選の結果にはとうてい納得しがたい…。さらに、あのウソつき晋三の国葬だという。

 臨時国会は8月3日召集の模様である。参院の正副議長選出のほか、参院選の遊説中に殺害された安倍晋三への追悼演説が行われる見通しと報じられている。政府・与党は会期を8月5日までの3日間とする方針だが、野党側はより長い会期を求めて、安倍晋三の国葬問題や物価高を巡る緊急課題の議論も行う必要があるなどとしている。コロナへの対応も必要ではないか。

 この臨時国会での安倍晋三追悼演説は、はからずも《プレ国葬》ないしは《プチ国葬》の性格を帯びるものにならざるを得ない。その意味で、注目されるところとなったが、昨日までは、甘利明(前自民党幹事長・麻生派)が行うことに決まったと思い込んでいた。

 安倍晋三と甘利明、お互い脛に傷持つ間柄でよくお似合いである。私は、どちらも刑事告発し検察審査会への審査申立もした経験がある。起訴に至らなかったのがいまだに不本意であり、残念でならない。
 
 ところが、今朝の新聞で、このせっかくのお似合いの間柄に水を差す不粋な向きがあって、甘利追悼演説は先送り、ないしは頓挫という雲行きだという。
 
 毎日新聞は、「『残した派閥をばかに』 安倍派の猛反発で甘利氏の追悼演説頓挫」という見出しで報じている。この見出しを敷衍すれば、「『甘利明が安倍の残した派閥(安倍派=清和会)を馬鹿にした』という安倍派議員の猛反発で、甘利の追悼演説は頓挫した」ということなのだ。銃撃事件で会長を失った安倍派(清和会、97人)の批判が「頓挫させた」というのだから、その「猛反発」は相当なものなのだろう。

 安倍派の反発は甘利明の20日のメールマガジンがきっかけだという。国会リポート 第439号というもの。その全文が下記で読める。
https://amari-akira.com/01_parliament/index_text.html

安倍派の逆鱗に触れたのは、下記の一文だという。

 「最大派閥の安倍派は「当面」というより「当分」集団指導制をとらざるを得ません。塩谷、下村両会長代行に加え、西村事務総長と世耕参議院幹事長、閣内には要の官房長官たる松野さんと萩生田経産大臣が主要メンバーと言われますが、誰一人現状では全体を仕切るだけの力もカリスマ性もなく、今後どう「化けて行く」のかが注視されます。」

 以下、毎日の記事による。

 「これに安倍派最高顧問の衛藤征士郎・元衆院副議長は21日の同派会合で『こんなに侮辱されたことはない』と激しく反発。派内では他にも『甘利氏こそカリスマ性がない』などと批判する声が相次いだ」「党は甘利氏の演説を検討したのは『安倍氏の遺族の意向を踏まえた』ためだとしているが、同派から『なぜ安倍氏が残した派閥をばかにする甘利氏に演説させるのか』『国民の気持ちは甘利氏ではない』などの声が漏れた。反発は安倍派のみならず党内の他派閥にも広がり、党執行部には『いつ甘利氏に決めたのか』など、再考を求める意見が寄せられているという。」

 《プレ国葬》を舞台に、これはまた安倍側近政治家たちのまことに麗しい振る舞いではないか。自民党の、安倍派や安倍に近い政治家たちでさえ、けっして安倍晋三の死を悼んでなどいない。安倍の死をきっかけに起こっている勢力争いに懸命なのだ。ましてや、安倍と距離を保ってきた自民党議員や野党に安倍の死を悼む気持などあろうはずもない。

 にもかかわらず、国葬とは、政府が国民の名を僭称して安倍晋三の死に対する弔意を表明する儀式である。安倍晋三の死を利用して、国民の政治意識を安倍や現政権の望む方向に誘導しようという思惑が透けて見える。ばかばかしい。国葬なんぞで、国民の弔意をもてあそぶのはやめていただきたい。

 そして、私も納税者だ。私の納税分をウソつき晋三の葬儀に一円たりとも、支出してもらいたくない。誰の国葬もやってはならないが、ましてや、ウソつき晋三の国葬など、もってのほかではないか。

安倍晋三の「お友達人事」を許した有権者の責任。

(2022年7月28日)
 本日の毎日新聞国際欄に、「韓国・尹大統領、支持率急落 30%割れ目前 『お友達人事』響き」とある。朝日は既に、「『お友達人事』迷走、支持率急落 韓国大統領が不快感『前政権の閣僚、それほど立派か』」と報道している。キーワードは、『お友達人事』だ。

 韓国の尹錫悦(ユンソンニョル)大統領の支持率が、就任からわずか3カ月足らずで求心力維持の「危険水域」とされる30%割れに近づいており、その最大の理由が「お友達人事」の悪評だという。

 世論調査会社「韓国ギャラップ」が22日発表した尹大統領の支持率は32%。就任当時の52%から20ポイント急落した。深刻なのは、不支持率が23ポイント増の60%にのぼったこと。韓国メディアは政権末期の「レームダック(死に体)」ではなく、「就任ダック」と報じている。

 大統領を支持しないと答えた人のうち、最も多い24%の人が理由として挙げたのは「人事」だという。この人、検察出身者や幼なじみら「お友達」を要職に起用。知人の息子らを大統領府に採用したことも批判された。さらに、「閣僚人事が失敗だったのでは」との記者の質問に対し、「前政権で指名された閣僚の中に、それほど立派な人たちがいたのか」などと言い放ったことが報じられ、高圧的で独善的なイメージを国民に与える結果となった、と報じられている。

 これが原因で政権の支持率急落・不支持率急増なのだから、韓国の民主主義はまことに健全である、韓国の民衆の政治意識は学ぶべき立派なもの。安倍晋三という日本の首相の人事もひどかった。むしろ、「お友達人事」はこちらが本家本元。ところが、日本の有権者は8年余も安倍晋三で我慢した。日本の民主主義は機能不全である。日本の民衆は愚かな政治指導者に過度に寛容と評するしかない。

 安倍政権の「お友達人事」に仰天した最初は、NHK経営委員の新任者の任命。経営委員会はNHKの最高意思決定機関であり、NHK会長の任命権も罷免権ももっている。その経営委員12人は、国会の同意を得て内閣総理大臣が任命する。

 それまでは、公共放送に求められる「不偏不党」や中立性重視の立場から、政治色の濃い人事は控えられてきたとされる経営委員人事。初めて、安倍晋三は鉄面皮な人事を通してのNHK支配を試みた。戦後民主主義に挑戦した安倍晋三の面目躍如である。

 2013年10月に任命された新経営委員の顔ぶれは以下の4人である。
  百田尚樹(右翼のお友達)
  長谷川三千子(右翼のお友達)
  本田勝彦(JT顧問)
  中島尚正(海陽学園学校長)

 百田と長谷川は、自民党総裁選に際して発表された「安倍首相を求める民間人有志の緊急声明」の発起人。志と感性を同じくする安倍の「お友達」。本田は安倍が小学生だったの1960年代に家庭教師を務めていたという関係の「お友達」。首相を囲む会「四季の会」のメンバーで、ガチガチの『安倍派』と言われた人物。中島が勤務する海陽学園では、安倍晋三首相の盟友である葛西敬之(JR東海)が副理事長を務めるという、謂わば安倍とは「お友達のお友達」という間柄。

 当時、この人事は衝撃をもって受けとめられた。とりわけ、NHKの幹部はメディアに「官邸が、原発や沖縄の問題を取り上げたNHKのドキュメンタリー番組に不満があるとは漏れ聞いていたが…」と啞然とした表情を見せて語ったという。

 この時期に経営委員会に4人が送り込まれた最大の理由は、差し迫っていた次期NHK会長の後任選びのためだとされた。新会長は、9人の賛成がなければ就任できない。つまり、4人に「NO」といわれた人物は会長になれない。4人は会長選びのキャスチングボートを握っている、と報道された。

 この経営委員会人事の直後、同年12月20日のNHK経営委員会で第21代会長に選出されたのが、あの籾井勝人。「(慰安婦は)戦争地域にはどこでもあった」「政府が右ということを左というわけにはいかない」などという、迷言で一躍知られた人物。「安倍のお友達」が選んだ、「お友達」である。この頃から、NHKは顕著におかしくなって現在に至っている。

 残念ながら、このとき日本の有権者は「アベ友人事」に徹底して怒らず結果としてこの人事を受容した。その結果、到る所に「安倍のお友達」がはびこって、この日本を食い物にしたのだ。さて、安倍がいなくなった今、食い物にされた日本は元へ戻ることができるだろうか。日本を元に戻してはならないという安倍後継勢力が、安倍の国葬に固執している。安倍国葬反対の声を上げることは、実は大きな意義のあることなのだ。

産経社説「国葬 野党の反対は理解できぬ」は…やっぱり理解できない。

(2022年7月26日)
 本日の産経朝刊『主張』(社説)が、「安倍元首相の国葬 野党の反対は理解できぬ」というもの。もちろん、安倍晋三を持ち上げ、今後も安倍的政治の継続を願う立場の提灯社説。が、国葬反対論への反駁に説得力はなく、国葬推進派の根拠や理由はの薄弱さを露呈している点で注目に値する。

 まずタイトルが不出来である。なぜ「野党の反対」だけを問題にしようというのか。国葬反対は野党だけではない。けっして反対勢力の中核に野党が位置しているわけでもない。言論界も研究者も宗教者も教育界も、法曹も市民運動も、こぞって反対しているではないか。ことさらに、野党の反対論だけを取りあげる合理性はない。

 そして、野党の国葬反対論を「理解できぬ」というのも理解しがたい。反対論に対する反論ではなく、積極的に堂々と国葬賛成の理由を論述したらよかろう。せめて、「理解できぬ」ではなく「私はこう思う」というべきではないか。でないと、「理解できぬ」は「理解の能力がない」と読まれてしまいそう。以下、逐語的に反論しておきたい。

「本紙は14日付主張で、『国際社会が示してくれた追悼にふさわしい礼遇を示すことが大切だ』と指摘し、国葬の実現を求めていた。決定を歓迎する。」
 結論からいえば、産経主張はこれが全て。要するに、後進国コンプレックスに凝り固まって、「外国ではこうするもののようだ」「外国に見習わなくてはならない」「外国に恥をさらしてはならない」と言うだけのもの。もっと自立し自信をもつべきだろう、産経さん。

 しかも、国際社会は安倍晋三の何たるかその正体を知らない。知っていたところで、面と向かって「政治を私物化しウソとごまかしを糾弾された最低の首相」とは言えない。外交儀礼のおべんちゃら追悼を真に受けて、「国際社会が示した追悼にふさわしい礼遇」とはチャンチャラおかしい。以下、社説の各文に反論する。

「各種世論調査で、国葬に賛意を示す国民は多数を占めているが、慎重派も少なくない。野党も共産、立憲民主、社民などが国葬実施に反対している。」
 「各種世論調査で、国葬に賛意を示す国民は多数を占めている」は、安倍晋三並みのごまかしと言ってよい。正確には、「これまでの世論調査の中には、安倍晋三の国葬に賛意を示す国民が過半を占めるものもあったが、国葬を行うにふさわしい圧倒的な国民の賛意は示されていない」「むしろ、圧倒的多数が国葬反対を示す調査結果さえ散見される」「しかも、国民が銃撃事件の衝撃から醒めて平静を取り戻し、銃撃犯容疑者の犯行の動機や背景が知れ渡るにつれて国葬に賛意を示す国民は減少しつつある」と言うべきであろう。

 産経が挙げる、共産党志位和夫委員長の国葬反対理由は、
?国民の評価が分かれている元首相の業績を国家として賛美することになる
?元首相への弔意を強制する
―の2点であるそうだ。

 産経がこれを「理解できぬ」として、いかなる「反論」を行うのかと思えば、肩透かしである。
 ?に対しては、以下の論述が「反論」のようである。
 「白昼の銃撃で倒れた安倍氏の葬儀を国葬として執り行うことは、国民の支持を得て長く政権を預かった元首相を国として追悼するばかりでなく、日本が「暴力に屈せず、民主主義を守り抜く」(岸田文雄首相)姿勢を内外に示す意義がある」「アベノミクスなど評価が分かれている元首相の業績を無条件で賛美するわけではない」
 要するに、国葬の積極理由は《安倍晋三が長く政権を維持したこと》《暴力に屈せず、民主主義を守り抜く》ためだけであって岸田説明の域をまったく出ていない。その上で《その業績を賛美するわけではない》と言い訳をするのだ。これでは、噛み合った反論として成立していない。

 共産党・志位は、「どんな理由を付けようとも、安倍晋三を国葬にすれば、国が公的に安倍の所業を国家として賛美する効果を生じることになるではないか。そのような、問題首相の死の政治利用は許されない」と言っているのだ。産経はこの問いかけ答えていない。

?「元首相への弔意を強制する」という反対理由に対する産経の「反論」は以下の記述のようである。
「弔意の強制についても政府はすでに9月27日を休日とせず、黙禱(もくとう)なども強制しない方針を明確にしている」

 信じがたいことだが、産経は「葬儀当日を休日とせず、全国民に黙禱を強制することはしない」とすれば弔意の強制をすることにはならないと本気で考えているのだろうか。
 主権者の一人であり人権主体でもある国民一人ひとりにとって、政権が国葬を強行することそれ自体、また国葬に国費を投じることそれ自体が、国民に対する弔意の強制である。国家から拘束されることのない精神の自由を害することなのだ。産経には、このことの理解を求めたい。
 
 なお、この産経社説によれば、立憲民主党の泉健太代表は「天皇陛下や上皇陛下の国葬については国民の理解があるが、それ以外はないと思う」と述べ、安倍晋三の国葬はふさわしくないとしたそうだ。産経は「この批判は的外れである」としている。私も、同様にまったくの的外れだと思う。天皇であろうと皇族であろうと、人の死に対しての弔意の強制が許されてよかろうはずはないのだから。

「国葬は弔問外交の場ともなる」「エリザベス女王が国家元首を務める英国でも1965年、チャーチル元首相の国葬が行われ、各国の国王や元首、首相ら111カ国の代表が参列、日本からは岸信介元首相が列席した」
 何とも情けない。外交の必要があれば、その都度に必要な人物と接触し交流したらよいだけのこと。弔問外交のための国葬など、本末転倒甚だしく理由にもならない。

「『地球儀を俯瞰する外交』を掲げ、「自由で開かれたインド太平洋」構想の実現に尽力した安倍氏を国葬で各国の首脳とともにしのぶのは、国益にかなっている。」
 この辺りに、ホンネが出ている。思惑あって安倍晋三の功績を称えたいのだ。プーチンやトランプに手玉に取られ、中国や韓国・北朝鮮ともうまくいかず、なんの成果も挙げられなかった無為無策無能の安倍外交。さらには、政治の私物化だけには余念のなかった安倍政治。国葬でのごまかしを許してはならない。

「政府は、国葬の意義をさらに詳しく国民に説明するとともに、元首相の国葬後に、国葬に関する法令の整備を進めてもらいたい。」
これは、右派からみての政府の説明不足の歯がゆさを語る一文として貴重なもの。実は、説明不足ではなく、説明不能な事態が続いているというべきなのだ。

 そして、社説は最後をこう締め括っている。
「国家に功績のあった人物を国葬で送るのは、諸外国では当たり前である。日本もそうあるべきだ。」
 おやおや、日本の右翼は日本固有の歴史や伝統を重んじる立場ではなかったのか。何というご都合主義。諸外国では当たり前だから、日本も真似をせよとは情けなや。

霊視商法は潰され、霊感商法は生き残った。なぜだ?

(2022年7月25日)
 安倍晋三は、統一教会の庇護者ないしはシンパと目されて銃撃の標的とされた。そこで、「統一教会とはなんぞや」「その統一教会と安倍晋三との関係はいかなるものであったか」という2点に、国民の注目が集まっている。

 日本の民主主義を大切に思う立場からも、この2点は徹底して追及されなければならない。政権が安倍晋三の死を国葬という形で政治利用しようという今、その解明は急務となっている。

 実はこの2課題、緊密に関連している。関連性のキーワードの一つが「反社会性」である。統一教会が行った悪徳商法の根の深さが、統一教会の側には政権に擦り寄って庇護を求める必要を生じ、政権の側には教会に庇護を与えてその対価としての政治運動への動員や集票という利益を享受するという持ちつ持たれつの関係を深めた。

 もう一つのキーワードは、「反共」である。統一教会が本質的にもつ反共思想と体質は、自民党政権、なかんずく岸・安倍には親和性が高かった。他の宗教とは異なり、ほかならぬ統一教会が自民党とりわけ安倍政権に取り入ることができた理由というべきである。

 統一教会の「反社会性」と「反共」を徹底して究明することが、同教会と安倍晋三や安倍政権との結びつきの必然性と構造を解明することになるだろう。

 大活躍の有田芳生が、7月18日のテレビ朝日「モーニングショー」に出演して、こう述べている。
 「1995年の地下鉄サリン事件の後、警察は『オウム真理教の次は旧統一教会の摘発を視野に入れている』と話して準備もしていた。しかし、その後動きがなかったので、10年後に改めて聞いてみると『政治の力』と言われた」
 この有田証言は具体的で説得力がある。統一教会を庇護する『政治の力』は確実にあったものと考えられる。ぜひとも、各メディアは取材を徹底していただきたい。

 また、霊感商法問題に長く携わってきた友人弁護士は、こう語っている。
 「統一協会が政界工作を行うのは、そのことよって政治権力の庇護を受ける、お目こぼしを受けるということを目標としており、現実にその成果が獲得されていると考えてよい。安倍内閣は国家公安委員長として、統一教会に近いことで知られる山谷えり子を据えている。これが政権の意思として当然に教会に対する監視は緩くなる。霊感商法や伝道端緒の印鑑商法の摘発などは抑えられる。国税庁が税務調査の対象にしないとか、国外送金の問題を追及しないとか、そういう現実的な効果を獲得している」

 私は、有田芳生の発言も、友人弁護士の話も、真実性の高いものと実感できる。霊視商法被害救済に関わった経験からだ。

 私は、東京弁護士会消費者問題対策委員長だった時代に、「本覚寺」の霊視商法被害の救済に関わった。当時既に統一教会の霊感商法は猖獗を極めていた。これと区別する「霊視商法」のネーミングは私がした。

 霊感商法は、少なくとも形の上では、壺や印鑑や仏具や書籍の売買である。消費者問題としてのアプローチになじみ易く、民事法的な商品売買についての規制法理の適用も利用しやすい。しかし、霊視商法では商品授受の介在なしに、霊視・祈祷・除霊などに対する謝礼として数百万円から数千万円の金銭が動く。祈祷や除霊というサービスに対する対価ではなく、飽くまで喜捨や布施という意味付けで。

 これは、常識的には宗教まがい被害だが、本覚寺側は大真面目に信者の宗教心から出た任意の喜捨であるという。「被害者」の家族から東京都消費者センターへの相談が急増したが、寺側は頑としてセンターからの事情聴取に応じることはなく、「行政が宗教に干渉するのか」と居直った。こうして、霊視商法弁護団が結成されて、東京地裁に提訴した。第1次から10次までの訴訟が続いた。原告となった被害者は359名であった。

 訴訟の結果は和解で被害金を回収した。当時の資料を見直すと平均回収率96%である。差押え対象財産が十分に見えず、判決を取ることにはリスクがあった。被害回復を優先すればこうならざるを得ない。ところが、「本覚寺」の霊視商法は、訴訟が係属している間にも、拡大した。関東一円の被害は、愛知に飛び、やがて高野山(和歌山県)に本拠地を移した。新たに「明覚寺」という宗教法人を取得して活動を始めた。当然に、各地で同様の民事訴訟が多数提起された。

 弁護団は結成当初から、刑事告訴も、破産申立ても、宗教法人法81条に基づく解散命令の申立ても躊躇しないと表明していたが、実際には躊躇した。権力が信教の自由に実力で介入する前例を作りたくはなかったからである。

 しかし、霊視商法に対する社会の糾弾の声が高まると、むしろ警察や行政が機敏に動いた。まず、愛知県警により明覚寺系列の満願寺(名古屋市)の僧侶らが摘発された。さらに、宗教行政を管轄する文化庁が、和歌山地方裁判所に宗教法人明覚寺に対する解散命令を請求、和歌山地裁は2002年1月24日に解散命令を出した。明覚寺は最高裁まで争ったがこの命令が覆ることはなかった。世に注目される宗教法人の解散命令としては、オウム真理教に次ぐ2番目の事例であった。

 あらためて思う。オウムに対しても、明覚寺に対しても、行政は容赦しなかった。社会的に指弾された宗教団体に対して、刑事的な介入も、解散命令にも、躊躇することはなかった。が、統一教会は別なのだ。オウムも明覚寺も、自民党や政権との結びつきをもたなかった。統一教会だけが明らかに、権力の一部に食い込み、権力の中枢とつるんでいた。この違いが大きいのではないか。

 世を震撼させたオウムと統一教会とを比較することに抵抗感を覚える人もあるかも知れない。しかし、統一教会の霊感商法被害の規模は、はるかに霊視商法をしのぎ、その時期もはるかに長い。にもかかわらず、いまだに統一教会は生き残って霊感商法を続けている。その差は、権力との距離如何にあるというほかはない。

安倍晋三の反共意識は、祖父岸信介譲りで最後まで揺るがなかった。

(2022年7月23日)
 安倍晋三の死は衝撃だった。誰の生も等しく尊重さるべきであり、誰の死も等しく痛ましい。安倍晋三の死を他の人以上に特別に悼まねばならない理由はない。ただ、権勢を誇った者の突然の銃撃死に衝撃を受けた。

 安国寺恵瓊が織田信長について予言したという「高転びに、あおのけに転ばれ候ずると見え申し候」というとおりの死に方。「おごれる人も久しからず ただ春の世の夢のごとし たけき者も遂には滅びぬ ひとへに風の前の塵に同じ」と思わせる死に方でもある。衝撃を受けて当然であろう。

 この衝撃に続くものとして心配されたことが2点。ひとつは、模倣犯の連鎖が生じはしないかということ。そしてもう一つが、この右翼政治家の死の政治利用である。前者については、まだ結論を言える段階ではないが、犯行の動機が明らかになるにつれてその可能性は低くなっているように思われる。報復的なテロなどは考えられないからだ。

 しかし後者「安倍晋三の死の政治利用」は国葬の強行という形で現実化しつつある。人の死とは厳粛なものであり誰の死についても、死者を鞭打つことははばかられる。ましてや、衝撃的な死を遂げた人物への批判は口にしにくい。その社会心理が、安倍晋三の死の政治利用を許すことになる。今必要なのは、安倍晋三の生前の悪行批判に口を閉ざしてはならないということ。言いにくい雰囲気に抗して、敢えて意識的に安倍晋三の政治姿勢を批判しなければならない。

 安倍晋三の数々の所業のうちに、まずは銃撃犯が語った犯行動機の文脈に沿って、統一教会との関係から、徹底してあぶり出さねばならない。統一教会とはなにかということと、その統一教会と安倍はなにゆえにどう関わったのかということ。それによって、安倍晋三とは何者であったかを明確にすることができるだろう。私はだれの国葬もあってはならないと考えるが、安倍晋三ほど、国葬にふさわしからぬ人物はない。

 統一教会とは宗教団体ではあるが、反共政治団体でもある。安倍晋三はこの反共政治思想と共鳴していたのだ。周知のとおり、この教会が反共政治団体としての側面で活動するときは、「世界勝共連合」を名乗った。この勝共連合は、文鮮明と岸信介・笹川良一・児玉誉士夫らの日本の右翼が連携して結成した。冷戦下での反共の防波堤という構想によるもの。岸信介・安倍晋太郎・安倍晋三の3代が、統一教会と反共という熱い太い糸で結ばれていたのだ。

 岸信介と文鮮明の結びつきの深さを語るエピソードがある。
 ジャーナリスト徳本栄一郎氏が現地で発掘した貴重な資料によれば、岸信介は、脱税で実刑の有罪判決を受けて収監された文鮮明について、アメリカ大統領・レーガンに釈放要請の嘆願書を書いている。84年11月のこと。日本の元総理がアメリカの現職大統領に宛てて、韓国人「脱税犯」の逮捕が不当だとして釈放を要請するという、極めて異例の内容。その概要が以下のとおりである。

 「文尊師は、現在、不当にも拘禁されています。貴殿のご協力を得て、私は是が非でも、できる限り早く彼が不当な拘禁から解放されるよう、お願いしたいと思います」
 「文尊師は、誠実な男であり、自由の理念の促進と共産主義の誤りを正すことに生涯をかけて取り組んでいると私は理解しております
 「彼の存在は、現在、そして将来にわたって、希少かつ貴重なものであり、自由と民主主義の維持にとって不可欠なものであります

 安倍晋三は、この岸を師と尊敬して政治家となった。反共の思想をそのまま引き継ぎ、統一教会との関係も維持し続けた。彼が、その関係を公然と見せつけた最後の機会が、昨年(2021年)9月12日の『天宙平和連合(UPF)』主催大規模集会でのリモート基調講演。トランプとの共演で話題となった。

 以下、信頼できる「やや日刊カルト新聞」の報道から引用させていただく。

 「統一教会」(天の父母様聖会世界・世界平和統一家庭連合)フロント組織『天宙平和連合(UPF)』の大規模集会に安倍晋三前内閣総理大臣がリモート登壇し、教団最高権力者・韓鶴子におもねる基調演説を行った。

 安倍晋三が基調演説を行ったのは韓国の教団聖地・清平の清心ワールドセンターで9月12日午前9時半から開かれた『神統一韓国のためのTHINK TANK 2022 希望前進大会』なる大規模集会。教団のオンラインプラットフォームであるPeacelinkから全世界に配信された。

 安倍晋三とともに特筆すべき人物としてドナルド・トランプ前米大統領がリモート基調演説を行い韓鶴子に賛美の言葉を贈った。

 教団と深い関係にあった岸信介元首相や安倍晋太郎元外相についても言及した司会から「韓鶴子総裁とTHINK TANK2022の主旨に積極的に支持してくださり本日の基調演説を担当してくださいました安倍晋三総理を大きな拍手でお迎えください」と紹介を受けた安倍晋三がリモート登壇。以下その概要。

 「ご出席の皆さま、日本国、前内閣総理大臣の安倍晋三です。UPFの主催の下、より良い世界実現のための対話と諸問題の平和的解決のためにおよそ150か国の国家首脳、国会議員、宗教指導者が集う希望前進大会で世界平和を共に牽引してきた盟友のトランプ大統領とともに演説の機会をいただいたことを光栄に思います。ここにこの度出帆したシンクタンク2022の果たす役割は大きなものがあると期待しております。今日に至るまでUPFとともに世界各地の紛争の解決、とりわけ朝鮮半島の平和的統一に向けて努力されてきた韓鶴子総裁を始め皆様に敬意を表します」

UPFの平和ビジョンにおいて家庭の価値を強調する点を高く評価します。世界人権宣言にあるように家庭は世界の自然且つ基礎的集団単位としての普遍的価値を持っています。偏った価値観を社会革命運動として展開する動きに警戒しましょう

「とてつもない情熱を持った人たちによるリーダーシップが必要です。この希望前進大会が大きな力を与えてくれると確信いたします」

 これまで、拉致問題や慰安婦・徴用工問題で、安倍晋三の対朝鮮韓国差別意識を感じてきたものとしては、この韓国の宗教団体へのおもねりぶりは理解しがたい。反共での連帯意識がナショナリズムの壁を凌駕しているということだろうか。いずれにせよ、安倍晋三は岸信介の反共思想を受け継ぎ、反社会性の高い悪徳商法主催者と反共で結ばれていたのだ。

安倍晋三は、反共組織としての統一教会(勝共連合)と癒着していた。

(2022年7月22日)
 本日、政府は安倍晋三の国葬を閣議決定した。閣議決定は魔法の杖。一振りでなんでもできる。稀代のウソつきを「国民の敬愛に包まれ、外国要人からの尊敬も勝ち得た、偉大な政治家」に変身させるなんぞは、造作もないこと。あとは、内外からのおべんちゃらを待てばよい。そのおべんちゃらを、いかにももっもらしく尾ひれを付けて語ってくれるのが御用メディアだ。そうすりゃ、天皇の利用も、NHKの利用も、教育行政の利用も、まあ、楽なもの。

 国葬は9月27日に日本武道館でとのことだが、この葬儀、大規模な抗議の対象とならざるを得ない。国論分裂の秋、風雲穏やかならざる武道館界隈。もちろんその元兇は、強引に無理を通そうとしている岸田政権である。

 政府・自民党の思惑は、安倍晋三の死を最大限利用して安定政権を築き、あわよくば「安倍さんの悲願だった憲法改正」へと世論を誘導したいところ。そのためには、安倍晋三を悲劇のヒーローとしてだけではなく、偉大な政治家にまつりあげねばならない。しかし、なかなかそううまくはいかない。正反対に、国葬への反発から政治家安倍晋三とはいったい何者であったかが、今徹底的に抉り出されようとしている。もちろん、その中心は、旧統一教会との関係である。しかも、岸信介以来世襲政治家3代との醜悪な関係。

 統一教会とは、宗教でもあり、政治団体でもあり、悪徳商法組織でもある。この3者の側面が一体となった存在である。マニュアル化されたシステムで入信させてその精神を支配する「宗教団体」であるだけでなく、反共の政治思想・政治行動と緊密に結びつき、しかも霊感商法で莫大な利益を上げてきた悪徳商法組織として財政基盤を築いてきた。

 安倍晋三・自民党と統一教会との関係を見極めるには、何よりもその反共団体としての側面(勝共連合)との持ちつ持たれつのもたれ合いにメスを入れなければならない。これから、大いに汚いウミが曝け出されることになるだろう。

 そのような立場から、共産党は、昨日(7月21日)旧統一教会と政治との関わりなどを調べる問題追及チームを立ち上げた。小池晃書記局長が責任者、宮本徹衆院議員が事務局長を務める。同日国会内で開かれた第1回会合で、小池書記局長は「安倍晋三元首相に対する銃撃事件を機に、旧統一協会に対し大きな社会的注目が集まってきている」「旧統一協会と一体の右翼団体である国際勝共連合が繰り返し日本共産党に対する攻撃を行ってきた」「われわれは真正面からたたかっていかなければならない相手だ」と述べている。

 立憲民主党の西村幹事長は、同日党内に宗教法人「世界平和統一家庭連合(旧統一教会)」をめぐる被害対策本部を設置すると発表した。霊感商法などの消費者被害が「国会としては看過できない問題」(西村氏)として、事情に詳しい弁護士らに聞き取りをして対策を検討するという。

 そして、何と、維新も動かざるを得ないと考えた。同日松井一郎代表は、党所属の国会議員と世界平和統一家庭連合(旧統一教会)側との関わりの有無について全国会議員に対し、聞き取り調査を行う意向を明らかにし、調査結果は公表するという。これは楽しみだ。

 ところで、肝腎の自民党はどうなのだ。統一教会との関わりを認めるのか認めないのか、調査もしないのか。せめて、銃撃犯が語った安倍晋三と統一教会との関係くらいは、その認識を公表すべきだろう。さもなくば、自浄能力のない組織との批判を甘受せざるを得ないことになる。

 本日の赤旗の報道によれば、2019年10月5日、旧統一協会系の天宙平和連合(UPF)が韓鶴子総裁を迎えて名古屋市で開いた国際会議に、細田博之衆院議長がゲストとして出席しスピーチもしていたという。そのスピーチの中で細田は「今日の盛会、そして会議の内容を安倍総理にさっそく報告したい」と述べていたという。

 驚くべきは、この会議に、「政界からは現職国会議員を含む約160人、そのほか宗教界、学会、言論界などから合わせて約800人」(世界平和統一家庭連合ニュースオンライン)が参加しているという。細田の他にも多くの自民党関係者が出席。

主催者側で、出席者を紹介したのが、梶栗正義・国際勝共連合の会長。安倍と近かった北村経夫参院議員は「日頃よりみなさまには大変お世話になっております」と参加者に頭を下げ、山口県選出の江島潔参院議員は、壇上で韓鶴子UPF総裁に感謝の花束を贈呈したという。そのほか、奥野信亮、工藤彰三、島村大、原田義昭、伊達忠一らの出席ないし発言が確認されているという。

 自民党よ、統一教会・勝共連合との関わりをまずは自ら明らかにせよ。それが、銃撃犯の動機や背景事情として重要であるだけでなく、この日本の政治状況の実態を物語るのだから。我々は、主権者として正確な説明を要求する。

反論 ー「弔意」を強制して「生前の罪業批判」に蓋をする論調に。

(2022年7月21日)
 「たかまつなな」さん。朝日デジタルで、あなたの投稿を拝見しました。「【提案】政治的な評価と暗殺(ご冥福をお祈りする)をわけて考えませんか」という表題のもの。7月16日の「西木空人選・朝日川柳」欄に掲載された7句についてのご意見。〈2022年7月18日23時52分 投稿〉というタイムスタンプが付されています。

 実は、このタイトルだけを目にして、うかつにもこの川柳作者の立場を励ますものと早とちりしてしまいました。冷静に「政治的な評価」と「弔意(ご冥福をお祈りする)」とを分けて考えようというご提案であれば、「元首相に対するいかに深い弔意」あろうとも、元首相の生前における「目に余る政治的な罪業の評価」に遠慮があってはならない、という論旨になるはずと誤解したのです。

 同時に、てっきり元首相についての国葬反対のご意見かとも思いました。なにせ今巷に溢れているのは、元首相に対する「弔意(ご冥福をお祈りする)」と「政治的な評価」とをごっちゃにする意見。国民全体に「安倍さんお気の毒」という「弔意(ご冥福をお祈りする)」を強調して「政治的な評価」を口にしにくくするものが圧倒的。その風潮に悪乗りしての総仕上げが「国葬」なのですから。

 「たかまつなな」さん。あらためて、あなたのご意見の全部を拝読して、まったく逆の文意であることに気が付き、強烈な違和感をもちました。けっしてネトウヨ風の文体ではなく、政治的なバランス感覚ももっていますとアピールしながらの偏った結論。その手法に危険なものを感じて、あなたと同様に「言っておかなくてはいけないと思いあえて」批判の一文をしたためました。

 以下に、あなた(たかまつ)のご意見を引用し、逐語的に私(澤藤)の意見を申し述べます。

「安倍元総理の功罪はどちらもとても大きいと思います。」
 ⇒安倍元総理の「罪」がとても大きいということには同感ですが、私には、彼の「おおきな功」の方は思い浮かべることができません。しかし、このことは今さしたる問題ではありませんので、あなたのご意見として承っておきます。

「私は森友・加計・桜、官僚の忖度体質などたくさんの「罪」があったと思います。ですが、安倍さんは暗殺されてしまった。暗殺されていい人などこの世にいません。暗殺された人に対して、ご冥福をお祈りするということがそんなに難しいことなのかと少しこの川柳を拝読して、悲しくなりました。」

 ⇒あなたは「暗殺された人に対して、ご冥福をお祈りするということがそんなに難しいことなのか」と嘆いて見せていますが、難しいはずはありません。現に、実に多くの人々が、犯行の現場で献花し、葬儀に出向き、沿道に詰めかけて葬列を見送るなどして「ご冥福をお祈り」しているではありませんか。あなたが嘆いているのは、「みんなして深くご冥福をお祈りすべきなのに、ご冥福の祈り方の足りない人がいることが嘆かわしい」ということではありませんか。それこそが、弔意の強制以外のなにものでもないのです。おそらく、このことが、あなたの文章の決定的な問題点なのです。
 
「無念の死に対して、あの世までというのは、さまざまな考えがあると思いますが、私は違和感を覚えました。」
 ⇒あなたの違和感は、「政治的な評価」と「弔意」を分けて考えないところからのものではないでしょうか。あなたが、あなたご自身の思想や感性に基づいて「弔意」の表明を大事なものと考え、元首相の死を「暗殺されてお気の毒」「ご冥福をお祈りしたい」とすることの自由は保障されています。しかし、だからと言って、「弔意よりは、政治的な評価」を大切に思う立場の人たちに、あなたのご意見を強制することはできません。
 「忖度はどこまで続く あの世まで」が、死者を冒涜するとか、死者を鞭打つ表現とはとうてい考えられないところです。この程度のことを言って攻撃を受けるとすれば、それこそ政治家の死を利用した言論弾圧というべきであり、「たかまつなな」さん、あなたもそれに加担していると言わねばなりません。

「こちらの川柳は、twitter上でも、さまざまな意見があり、投稿された方にも誹謗中傷などが及んでいないかと心配で、このようなコメントをすることもさらに追い討ちをかけてしまうのではないかと悩んだのですが、コメントプラスをしているメンバーとして、いっておかなくてはいけないと思いあえて投稿します。」
 ⇒失礼ですが、何をおっしゃっているのか、なにをおっしゃりたいのか、理解できません。あなたは、この川柳作者たちに「誹謗中傷などが及んでいないかと心配」しながら、さらに敢えてムチを加えたというのでしょうか。ぜひとも、自分の発言への責任をご自覚ください。

「暗殺されたことを受け、ご冥福をお祈りした上で、政治的な功罪を議論するということをしませんか。」
⇒これは、まことに露骨な弔意の強制。「暗殺された人にはご冥福をお祈りしなさい」などとは、さすがに権力の座にある者としては恥ずかしくて言えることではありません。まさしく、政権の意を忖度して代弁している発言というほかはありません。亡くなった元首相の政治的な功罪の議論に今は蓋して、まずは「国民みんなでご冥福をお祈りしましょうよ」という、弔意強制のご意見。はからずも国葬実施のホンネを語っています。たかまつさん、あなたがそのことに何の疑問もお持ちでないことが恐ろしい。あなたが、元首相の死を悼むことは結構だが、本来人の死を悼むも悼まないも、純粋に私的な領域に属すること。他からの強制になじむものではありません。とりわけ政治家の死は、利用されやすく強制されやすいもの。「ご冥福をお祈りしましょう」という弔意の強制には最大限の警戒を要します。

「投稿者の方というよりも、これを選び掲載された朝日新聞側に問題提起をと思い投稿します。」
 ⇒これはひどい。「これを選び掲載された朝日新聞側への問題提起」とはいったい何ですか。こんな川柳の選句は以後あってはならない、朝日は今後こんな川柳を掲載するな、とでもいうのでしょうか。「私は違和感を覚えました」から数段飛躍しての恐るべきコメント。
 「たかまつなな」さん。あなたには、ご自分が表現の自由抑圧の尖兵になっていることの自覚がありますか。表現の自由とは、権力をもつ者、社会的に強い者、多数者を批判する自由のことです。あなたがあげつらう川柳作者の皆さんは、まさしく、弔意の強制に抵抗して権力を批判する表現を実践しています。あなたは、権力の手先になって、これを圧殺する側の立場なのです。

 あなたが批判する川柳の第7句がこう言っています。「ああ怖いこうして歴史は作られる」。この川柳作者にとって、権力も怖いが、その権力を支えているあなたこそが怖いのです。私も、あなたが怖いと言わざるを得ません。

朝日川柳 西木空人選7句我流解説

(2022年7月20日)
 川柳の解説なんぞは、野暮の骨頂としてこれに過ぐるものはない。解説が作意の的を射抜くことはまずないし、解説が句の意味を限定すると句が縮こまる。句のもっている雰囲気が失われる。ときには句の神髄をぶち壊すことにもなる。本来、句は読む人の数だけの解釈に任せればよい。

 それでも敢えて、7月16日「西木空人選・朝日川柳」の掲載7句の解説をしてみたい。もちろん、作者と作品に敬意を表し、この優れた川柳を野蛮な攻撃から擁護したいとの思いからである。

  疑惑あった人が国葬そんな国(福岡県 吉原鐵志)

 「疑惑あった人」とは、とある国の元首相のようでもあり、もしかしたらそうではないのかもしれない。ともかく、その国で権勢を振るった人ではあるようだ。その人の「疑惑」とは、議会で118回もウソをついたということのようでもあり、国政を私物化したということのようでもあり、公文書を改竄・隠匿したことのようでもある。そんな疑惑にまみれた人物なのに、亡くなったら国民こぞってその死を悼むという「国葬」の栄誉を贈るというのだ。そんな国が、この世界のどこかにあるのだという驚きを率直に吐露した句である。本当にそんな国があるのかしら、あってよいものだろうかと、考えさせられる。

  利用され迷惑してる「民主主義」(三重県 毎熊伊佐男)

 ワタクシは民主主義です。これまで、数々の政府の横暴に泣かされてきました。典型的には、強引に憲法解釈を変更して集団的自衛権の行使を認めた安全保障法制や、「共謀罪」を創設した改正組織犯罪処罰法。少なからぬ国民に根強くある反対論を、理性と道理による説得ではなく、数の力で強引に押し切っての成立でした。さらに、ウソとごまかしの政治手法の数々。そのたびに、私は涙を流してきたのです。
 ところが今度は、『国葬儀を執り行うことで、我が国は暴力に屈せず、民主主義を断固として守り抜くという決意を示す』と言うのです。ワタクシ民主主義としては、この政府のご都合主義に呆れ、不本意に利用されることに大迷惑と言わねばなりません。

  死してなお税金使う野辺送り(埼玉県 田中完児)

 この人の生前の税金無駄遣いは数々あるが、一番分かり易いのが「誰も使わなかったアベノマスク」。これこそは、無能政治の象徴として後の世に語り継がれることになる「怪挙」である。その費用は、当初の政府発表で466億円。その後、会計検査院の検査で115億円相当が未配布と判明。のみならず8200万枚が倉庫に保管されていたことが明らかにされた。その保管費用6億円以上。いったい、政権とつるんだどの業者がいくらの金額を食いものにしたものだろうか。それで足りずに、「野辺の送りにまで、無駄に税金を使おうということか」という、庶民の感慨と怒りが読み込まれた一句。

  忖度(そんたく)はどこまで続く あの世まで(東京都 佐藤弘泰)

 これは、いかにも川柳らしい、よく風刺の利いた立派な句である。この句に詠まれている人物は、生前「忖度される人」として知られた。
 相手を叩き伏せる剣術は未熟なのだそうだ。達人ともなると、剣を振るわずして相手を制圧することができるという。この人も、政治家として達人の域にあって、部下に無理無体を表だって直接に命じることは記録上みえない。常にこの人の部下がこの人の意を先回りして忖度し、自らが健気に責任を被る形でこの人の意を実行してきた。その年月は長く長く続いて、とうとう「あの世に行ってまで」の忖度が国葬という形になったという慨嘆。なるほどなるほど。

  国葬って国がお仕舞(しま)いっていうことか(三重県 石川進)

 これも、秀句である。もちろん、「国葬」とは国家が主催する葬儀のことだ。しかし、国政を私物化し、憲法改正に専念してきた政治家を「国葬」にすると聞かされたときに、「国葬」とは「国のお葬式」かとひらめいたのだ。こんなことでは「国もおしまい」ではないかという感想。少なくとも、「日本国憲法が想定した国」「民主主義が根付いた国」「平和を国是とする国」「道理がとおり希望に満ちた国」はおしまいという含意である。このような川柳までが、右翼勢力からの攻撃を受ける現実をみると、ますます「この国がお仕舞いっていうことか」と嘆かざるを得ない。

  動機聞きゃテロじゃ無かったらしいです(神奈川県 朝広三猫子)

 本句は、本件犯行を反射的に政治テロとして反応した人たちへの批判である。銃撃犯の犯行の動機は、まだよく分からない。我々には密室での取調べの内容は知る由もなく、捜査機関が被疑者の供述とするリークの一部に接触できるだけなのだから。今のところ言えるのは、「銃声で浮かぶ蜜月政と宗(神奈川県 石井彰)」(15日朝日川柳)ということ。この政(自民党とりわけ安倍3代)と宗(旧統一教会)との癒着に徹底したメスを入れなければならない。けっして、「銃弾が全て闇へと葬るか(千葉県 鈴木貞次)」(前同)とさせてはならない。

  ああ怖いこうして歴史は作られる(福岡県 伊佐孝夫)

 以上の川柳7句への右翼の批判が凄まじいと聞く。朝日は、毅然としてこの批判から川柳子や選者を守ろうというのではなく、川柳への批判を「重く、真摯に受け止める」とコメントした。これには驚いた。いや、「ああ怖い、本当に怖い」と言わざるを得ない。こうして表現の自由弾圧の歴史が作られる。そして、その先に待っているであろう歴史は、もっと怖いものになる。
 朝日よ、せめて右翼からの攻撃を「重く、真摯に受け止める」ではなく、「軽く、しなやかに受け流して」いただきたい。

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