今年・2017年は、ロシア革命から100週年の年である。
その年の十月革命から内戦を経て1922年にソビエト連邦が成立した。各国からの干渉戦争を乗り越え、ナチスドイツとの大戦に勝利して、戦後はアメリカ合衆国と対峙する超大国として世界に君臨したが、結局は官僚独裁の弊によって1991年に崩壊した。崩壊はしたが、資本主義の矛盾を克服しようとする人類史上の壮大な試みとして、その意義を否定することはできない。
若いころの私には、マルクスもレーニンも毛沢東もそしてカストロも、輝く魅力にあふれる存在だった。社会主義陣営にこそヒューマニズムがあり未来があるものと感じていた。必ずや「東風が西風を圧する」ものと思いこんでもいた。
否応なく自分の身の回りに見える資本主義社会の矛盾は明らかだった。社会には大きな経済格差があり貧困があった。多くの人々が、低賃金や失業や生活の不安におののいていた。資本の利益に適うとされる限りで、人は人たるに値する処遇を期待することができるが、資本の利益に資することのないとされる人は、切り捨てられ見捨てられる。
人は、人として遇されるのではない。資本に利潤をもたらす労働力としてのみ価値あるものとされる。そのことを当然とし馴らされた国民が保守政党を支持することで、この国の政治が成り立っている。政党政治も民主主義も醜悪な欺瞞以外のなにものでもないと映った。
これに比較して、資本主義の矛盾を克服する試みとしての、社会主義の理念の正しさに疑いはなく、ソ連や中国の社会主義もまぶしいものに見えた。スターリンの粛正も、毛沢東の経済政策の失敗も、当時はよく知らなかった。あるいは、よく知ろうとはしなかったというべきだろう。結局は、ソ連や中国の実態に触れることのないままの観念的な思い込みに過ぎなかった。
中国はいち早く「改革開放」という名の資本主義化に舵を切り、さらにソ連が崩壊するに至って、社会主義の壮大な実験の失敗が明らかとなった。
現実の社会主義建設の試みは失敗したが、そのことによって、克服すべき資本主義の矛盾が解決されたわけではない。むしろ、競争者がなくなったことで、資本主義の傲りは著しいものになったと言えよう。
資本主義の矛盾への対処は、革命というドラスティックな処方が唯一のものではない。資本主義という猛獣を退治しようとしたのが社会主義革命だが、退治するのではなく、その牙を抜き訓育しようという種々の策が各国で試みられている。民主主義的政治原理で、経済の制度や運用をコントロールしようという試みといってよい。ここには、法や人権の観念が大きな役割を果たすことが期待されている。
資本主義の原初の姿が、搾取の容認であり競争の放任である。すべてを市場の原理に任せて良しとするのだ。その破綻は、既に誰の目にも明らかであって、資本の放縦への規制が必要なのだ。資本の行動に枠をはめ、まずは労働者の保護と公正な市場の管理が不可欠なのだ。そして、資本の回転の各過程で、下請け企業の保護や消費者の保護、環境の保護などが必要となる。
ところが、今また、規制を排し資本に無限の自由を与えようという、新自由主義の潮流がはびこっているではないか。労働者の使い捨ては容認され、格差はますます拡がり、貧困はさらに深刻の度を深めている。100年前のロシア革命は、「人間を大切した社会主義」の樹立に成功しなかったが、それに代わって眼前にあるのは「人間を大切にしない野放図な資本主義」である。
私は、人間の尊厳こそが最優先の価値と考える。民主々義的政治過程によって資本を規制することを通じて、「人間を大切にした節度ある社会」を目指したいと思う。ロシア革命は失敗したが、人類は資本主義の基本構造の変革という現実の選択肢をもっているとを示した点に、その意義を見出すべきだろう。
(2017年1月3日)
アベ・シンゾーでございます。何をやっても国民の怒りが政権批判に向かない、この不思議な国の内閣ソーリ大臣で、ご存じのとおり立法府のチョーでもございます。賭博解禁法案について、ワタクシの忌憚のないところをご披露申しあげます。最後まで、ご静聴ください。
議員立法として提出されております「特定複合観光施設区域の整備の推進に関する法律案」でございますが、提案者諸君は「IR法案」と言っておるようでございます。しかし、ご指摘のとおり、この法案眼目は賭博の解禁にあるわけでございます。ですから、正確に申しあげれば「賭博解禁法案」、あるいはもっと端的に「賭場開帳御免法案」「バクチ法案」というべきでありましょう。
これを「カジノ法案」だとか、「IR法案」というのは、呼び方をマイルドにして実態をごまかそうという姑息なやり方。これは、不必要に国民世論の反発を恐れた、政治家として恥ずべき愚かな姿勢と言わねばなりません。お隣の韓国とは、我が国は国柄が違うのです。天皇陛下を戴くこの国は、どんな法案が出てきても、どんな強行採決をしようとも、「政府が右といえばまさか左とは言えない」ということでことが収まる「美しい国」ではありませんか。この国民性を徹底して信頼して真実を述べるべきが当然ではありませんか。
はっきりと申しあげます。アベ政権は、維新とともに、賭博解禁の法律制定を行おうとしています。で、それがナニカ?? 文句があったら、次の選挙でアベ政権を倒せばよろしいのではございませんか。
ご存じのとおり、賭博は犯罪です。刑法185条は単純賭博罪を定め、「賭博をした者は、50万円以下の罰金又は科料に処する」とし、同186条は、常習賭博と賭博場開張等図利の罪を定めて、「常習として賭博をした者は、3年以下の懲役に処する。」「賭博場を開張し、又は博徒を結合して利益を図った者は、3月以上5年以下の懲役に処する」と定めています。
しかし、こんな法律は日本国憲法よりも古い、時代遅れの法律というべきではありませんか。時代が変わり、人々の生活環境が変わり、経済環境が変われば法律の改正や廃止は当然のことではありませんか。
いま、アベ政権は、愚かな賭博禁止に、合理的な風穴を開けようというのです。「IR法案」などと呼称しようという卑屈な姿勢はとりません。堂々と、数の力で審議も省略して強行突破させていただこうというのです。国民の皆さまから、いただいた議席を有効に活用しようというのです。それがナニカ?
このバクチ解禁法案につきましては、我が党の議員にも後ろめたさが感じられまして、「外国人観光客の集客を見込んでいる」とか、「ビジネスや会議だけではなく、家族でそうした施設を楽しむことができる施設」とか言っていますが、誰が聞いてもみっともない態度。わざわざ法案を作るのは「バクチ」を解禁するからであって、「入場者の大半は国民を、しかも地元民」を見込んでいます。それがナニカ?
皆さん、今国民が望んでいる政治の役割とはなんでしょうか。言うまでもなく、働く場を作り、雇用を創出することではないでしょうか。いま、アベ政権は雇用を作り、税収を増やしています。でも、まだ十分とは言えません。その目玉が、賭博なのです。
賭博にこそ大きな投資があるわけで、それこそが雇用の創出にもつながっていくのです。今回のこの賭博解禁法案こそが様々な投資を起こし、大きな雇用を作っていくということになるのです。だから、採決を強行しても、この法律の成立が必要なのです。それがナニカ?
何よりも経済振興が大切です。投資と雇用の創出。そのためには、徹底した規制の緩和、いや規制の撤廃で、儲けのために自由に事業ができるようにしなければなりません。
まずは賭博禁止の規制の緩和ですが、もちろんこれだけに終わらせてはなりません。いろんな規制に切り込んでいかなくてはなりません。
大阪の橋下徹さんは、「米兵に風俗の活用でも検討したらどうだ、と言ってやった。まあこれは言い過ぎたとして発言撤回したけど、やっぱり撤回しない方がよかったかも。きれいごとばかり言わず本気で解決策を考えろ!」などと発言していました。卓見だと思います。
今、管理売春は犯罪(十年以下の懲役及び三十万円以下の罰金)ですがこの規制も緩和ないし撤廃して売春を公認すれば、一大産業になります。大きな投資を呼び込み、雇用の創出と税収の増加を見込むことができます。アベ政権は、維新とともに真剣に検討課題といたします。えっ、それがナニカ?
事業成功の要諦は、みんなが望むことを的確に把握し、その要望に応えた商品やサービスを提供することににあります。ですから、政治を預かる者にとっての経済活性化の要諦は、国民が望む商品やサービスの提供を可能とするよう規制を緩和し撤廃することにほかなりません。そのような観点から、アベ内閣は、まず賭博を、次いで売春を、そしてその次には大麻を、麻薬を、覚せい剤の販売許容を検討します。日本が麻薬・覚せい剤を公認すれば、世界中からカネと人が集まります。投資が増え、雇用が飛躍的に増大すること間違いなし。銃砲刀剣類所持等取締法を抜本的に見直して、全国民が自由に銃や刀剣類を購入できるようにすることも経済政策として魅力満点です。「投資と雇用創出のため」と呪文を唱えれば、日本国民は抵抗しませんよ。それから、サラ金復活政策もありますね。これも大きな投資と雇用の創出。多重債務者の激増は、司法書士や弁護士業界の雇用創出にもつながります。
そして、言うまでもなく究極の投資は軍事費であり、最大の雇用創出は軍隊です。ワタクシ・シンゾーが、投資を呼び込み雇用を創出するために、まず手はじめに賭博解禁法案を強行しようとしていることについての深謀遠慮をよくご理解いただきたいと願う次第です。えっ、それがナニカ?
(2016年12月10日)
言葉は大切だ。
用語の選択で、イメージは大きく変わる。
上手な言葉の使い方に政治家のセンスが問われる。
民主政治の本質は、良民のダマシにあるのさ。
上手な言葉の使い方で、
上手にダマシができなくちゃあ、
一人前の政治家なんていえやしない。
だから、「賭博の開帳」なんて言っちゃ、お仕舞いよ。
「博打」も「ギャンブル」も禁句さね。
できれば、「カジノ」も避けたいものさ。
なんてったって「IR」と言わなくっちゃね。
IRじゃ何のことか分からない?
分からなくて、けっこうなのさ。
ワーワー騒がれないうちにことを運ぶ。
あの手口を学んだらどうかね。
なんてったって、「IR」。
「愛 あ?る」って読めるだろう。
これ、憎めないじゃないか。
人も政策も、見掛けが9割。
人も政策も、本質ばれるまでが勝負なのさ。
えっ?
「IR」って、実はカジノだろう。
カジノって、バクチだろう。
バクチって犯罪じゃないか、ですって?
なんと狭量な、そして古くさいお考え。
まったく誤解でござりまする。
「IR」とは、インテグレイテド・リゾートでございます。
ファミリーで楽しむことのできる、統合型複合行楽施設。
その中の一角に、カジノを楽しんでいただける施設も整っているというだけのことなのでございます。
カジノとバクチは大違い。
カジノは英語で、バクチは日本語。
カジノはギャンブルで、バクチは賭け事。
どっちも、身ぐるみ剥がれてスッテンテン。
えっ、やっぱりおんなじじゃないかって?
カジノは品良くする賭けでございまして、
品よくとはまいらないバクチとは大違いなのでございます。
上品に身ぐるみ剥がれるか、下品にスッテンテンとなるか。
えっ? まだ違いが分からない?
先日は、野球賭博が有罪となりました。
賭博は犯罪でございます。
でも、IRのカジノは犯罪ではございません。
なぜって、我々政治家が認めるからでございます。
これが、一番分かり易い。
通称「IR議連」の正式名称は、
「国際観光産業振興議員連盟」でございます。
「国際」「観光」「産業」「振興」と単語を並べるとバクチ推進議員連盟となる仕掛け。
頭の固い、共産党と社民党を除く全党の議員が参加して、
現在238名の大勢力なのでございます。既に賭けに勝ったも同然。
昨日(10月12日)、その総会が国会内で開催されました。
IR議連の国会議員関係者、IR誘致に取り組む地方自治体、地方経済団体、IR産業界からも、ゾロゾロゾロゾロと約300名が集結して、会場を埋め尽くしたのでございます。
賭博業者と、地方政治家と、そして国会議員とが形づくる美しい三角形。
なにしろ、昔からバクチ開帳は儲けのタネ。
胴元が儲かりさえすればよいのです。
背に腹は代えられないというではありませんか。
業者が儲かれば、政治家にも甘い汁がしたたり落ちる、
これをトリクルダウンと申します。
昨日は、「団結固く結束し、したたり落ちる甘い汁にありつこう」
そう決意を確認しあったのでございます。
「今臨時国会でIR推進法案を成立させるべくガンバロー」
「全力で与党、野党の各議員を説得するゾー」
「自民だけでなく、公明も民進もがんばるゾー」
と叫んだのでございます。
最後に、推進自治体の代表者が登壇しました。
・大阪府 松井一郎・知事
・北海道 辻泰弘・副知事
・長崎県 里見晋・副知事
・全国IR誘致団体協議会 森田金清・会長
・徳島県・鳴門IR健康保養リゾート誘致協議会 中西昭憲・会長
の皆様でございます。
これぞ、主権者の民意。これぞ、地域の声。
民意に応えるのが、民主主義社会における政治家の任務。
沖縄の辺野古や高江の地元の声はどこ吹く風。
私の耳には聞こえませぬ。聞きませぬ。
カジノ建設なら、我々は勇躍して、
実現のための要望を聞き届けようというのです。
甘い汁があるかないかの大違い。
これが、資本主義社会の民主政治の鉄則なのでございます。
今やIR推進法案成立のために、官邸と与党トップの調整が進んでおります。
自民党の二階俊博・幹事長、細田博之・総務会長、茂木敏充・政調会長、公明党の山口那津男・代表、井上義久・幹事長、漆原良夫・中央幹事会会長が、それぞれIR推進法案の審議入りを容認する姿勢を表明しておるのでございます。
(カジノIRジャパンcasino-ir-japan.com/)
このところ、悪役づいている大阪府松井一郎知事だけではありません。実は、東京都の小池知事も、IRにはことのほか熱心なのです。「エンターテインメントをそっくり考えるという意味でのIRについては積極的。IRは、カジノ単独の施設ではない」「カジノが真っ先に語られることによって、青少年の教育への影響やギャンブル依存症など社会的な問題が注目され、議論が進みにくい。思考停止に陥りがち」と述べているところでございます。
えっ? なんですって?
「カジノは、人を不幸にする。人を不幸にしての経済振興はあり得ない。」
「どんなに表面をごまかしても、勤労意欲減退、ギャンブル依存症、反社会勢力の横行、青少年に悪影響。」
「カジノ誘致には、基地や原発の誘致と同じ匂いがする。基地や原発に依存した経済の二の舞となることが目に見えている。」
そんなことは、選挙で勝てない勢力ののきれいごと。甘い汁を吸えない負け犬の遠吠え。
せっかく民意が経済振興を求めているではありませんか。基地や原発だって、地元に大きな経済利益をもたらしたのですよ。
選挙に勝った我々に正義があるのです。
さあ、断乎、日本中に博打場を。もとい、IRの建設を。
(2016年10月13日)
昨日(5月28日)の朝日川柳欄。入選7句のうち、3句が同じテーマ。さすがに達者な出来映え。
リーマンもショックで逃げる景気観(東京都 秋山信孝)
消費税延期のためのG7(大阪府 片柳雅博)
珍説を咎めず客がおもてなし(埼玉県 小島福節)
アベの思惑の透け方。アベの姑息。アベの狡さと間抜けさ。そのすべてが、川柳子の好餌となっているのだ。
川柳だけでない。社説も辛辣だ。
「首脳宣言で「財政出動」と「経済危機」への言及にこだわり続けた日本のリーダーの姿勢は世界にどう映ったか。議長として指導力はある程度重要だとしても、我田引水では信頼を失いかねない。」
「首相の会見はいかにも我田引水が過ぎる印象だが、それが許されてしまうのも議長国だからだ。各国が持ち回りで議長を務めるため「お互い大目に見よう」との配慮が働くといわれる。議長国の恣意が強くなりすぎると、サミットの意義を低下させかねないことを肝に銘ずべきだ。」(東京新聞)
本日(5月29日)の毎日朝刊も、アベには無遠慮に「伊勢志摩サミット 『リーマン級』に批判相次ぐ」との記事を掲載している。
「27日閉幕した主要7カ国(G7)首脳会議(伊勢志摩サミット)で、安倍晋三首相が『世界経済はリーマン・ショック前に似ている』との景気認識をもとに財政政策などの強化を呼びかけたことに対し、批判的な論調で報じる海外メディアが相次いだ。景気認識の判断材料となった統計の扱いに疑問を投げかけ、首相の悲観論を『消費増税延期の口実』と見透かす識者の見方を交えて伝えている。」
毎日が紹介する海外メディアの批判記事は、英紙フィナンシャル・タイムズ、英BBC、仏ルモンド紙、米経済メディアCNBC、中国国営新華社通信などである。
たとえば、「BBCは27日付のコラムで『G7での安倍氏の使命は、一段の財政出動に賛成するよう各国首脳を説得することだったが、失敗した』と断じた。そのうえで『安倍氏はG7首脳を納得させられなかった。今度は(日本の)有権者が安倍氏に賛同するか見守ろう』と結んだ。」「ルモンドは、「安倍氏は『深刻なリスク』の存在を訴え、悲観主義で驚かせた」と報じた。首相が、リーマン・ショックのような事態が起こらない限り消費税増税に踏み切ると繰り返し述べてきたことを説明し、『自国経済への不安を国民に訴える手段にG7を利用した』との専門家の分析を紹介した。」「CNBCは『増税延期計画の一環』『あまりに芝居がかっている』などとする市場関係者らのコメントを伝えた」という具合。
BBCがいう「安倍氏はG7首脳を納得させられなかった。今度は(日本の)有権者が安倍氏に賛同するか見守ろう」は重い。こんな、政権を許すのか、実は世界から日本の有権者が見つめられているのだ。
解説記事も辛口。
「サミットを締めくくる議長会見。安倍首相は「リーマン・ショック」という言葉を7回も使って「世界経済のリスク」を強調したうえで、「アベノミクスのエンジンをもう一度、最大限ふかしていく決意だ。消費税率の引き上げの是非を含めて検討する」と踏み込んだ。
首相が「リーマン級のリスク」を主張するのは、これまで、消費増税を延期する例として、2008年に起きたリーマン・ショックや大震災を挙げてきたからだ。しかも、G7で合意した「世界経済のリスク」に対応するため、という理由であれば、自らの看板政策であるアベノミクスが失敗したという批判も避けられるというわけだ。」(朝日)
「安倍首相がこじつけとも言えるデータを示して『危機に陥るリスクに立ち向かう』と強調した背景について、ある金融市場関係者は『日本経済は不調が続いているが、アベノミクスが失敗しているとは口が裂けても言えない。景気対策の財政出動をするためには、リーマン・ショック級のデータを示すしかなかったのだろう』と指摘している。」(共同)
この各紙の厳しさは、アベノミクス失敗についてのものではない。これを糊塗し、誤魔化し、責任転嫁しようという安倍政権の姿勢への批判の厳しさである。
当然のことながら、「野党は首相への批判を強めている。」と報じられている。
「民進党の岡田克也代表は記者会見で『アベノミクスの失敗を糊塗するため、サミットの場が使われたとすれば罪は重い。ここまでやるか』と厳しく批判した。」
「共産党の志位和夫委員長も記者団に『日本の経済情勢こそリーマン・ショック前の状況だ。自らの失政の責任を世界経済に転嫁するというのは成り立つ話ではない』と述べた。」という。
「信なくば立たず」というではないか。愚直でも、その言動に嘘やごまかしのない限りは政治家の政治生命が断たれることはない。言っていることが姑息で、狡くて、信頼できないとなれば、もはや政治家として立つことはできない。
昨日から今日の紙面を埋めた、安倍の言動への評価の言葉を拾えば、我田引水・恣意・こじつけ、G7の利用、責任転嫁…。首都の知事は、都民の信を失って、水に落ちた。およそ知事としての勤めが果たせる状況にない。アベも同じではないか。彼の言動に信の根拠となるべきものはない。都合のよいデータをつなぎ合わせて、自己弁護の材料としているだけだ。
それにしても、冒頭に引用した3句。この3句が、すべてを語り尽くしている。川柳の説得力恐るべし、である。なお、タイトルの1句は、恥ずかしながら拙句である。残念ながら入選句ではない。
(2016年5月29日)
選挙は戦争によく似ている。昨日(4月12日)開戦の、北海道5区の「選挙戦」について、本日の朝日トップは、「衆院2補選告示 参院選前哨戦」と見出しを打った。天下分け目の総力戦の前哨戦。しかも、アベ自民と野党・市民連合の一騎打ちである。
続いて、「アベノミクスの評価 焦点」という大見出し。関連の記事は以下のとおり。
「安倍首相はこれまで、経済が好調であることを前面に掲げて国政選挙を連勝してきた。ただ、今年に入り世界経済の減速を受けた円高・株安の影響で、政権が掲げる「経済の好循環」の実現が見通せなくなっており、アベノミクスの評価が改めて問われる。安全保障関連法が昨年9月に成立してから初めての国政選挙でもあり、同法の是非をめぐる論戦も焦点だ。環太平洋経済連携協定(TPP)への賛否も争われる。」
結局対立軸となる争点は、「アベノミクス」「安全保障関連法」「TPP」の3本というわけ。3本ともアベ側が放った矢だが、色褪せ、折れている。「アベノミクスの失敗」「戦争法の違憲性」「TPPの秘密主義と地域経済切り捨て」の3本の矢が、返り討ちの矢となっている。
谷垣幹事長の街頭演説が紹介されている。
「野党統一候補を『何党に所属して政治をやるのかも分からない』と批判。一方で『アベノミクスを力の限りやってきた。あと一歩のために、政治の安定が何よりも大事だ』と訴えた。」という。この人、性格上大言壮語は似合わない。結局、これくらいのことしか言えないのだ。
アベ側候補の出陣式で読み上げられた安倍晋三自身のメッセージは次のとおり。
「国民に責任を持つ自民党、公明党の連立政権か、批判だけの(旧)民主党、共産党勢力かの選択を問う極めて重要な戦いだ」。
防戦一方のメッセージ、積極的な武器も戦略も戦術もなんにもない。迫力ないことこの上ない。総大将がこれでは、士気は上がらない。
戦は、勢いだ。いま自公側に勢いはなく、野党・市民側には勢いがある。緒戦の戦況、我が軍に大いに有望ではないか。
ところで、野党連合軍に新兵器はないのか。敵の放った矢を的外れとし、あらためて射返すだけでも大いに意気が上がってはいるが、さて、果たしてこれで十分だろうか。
常々、不思議に思っていたのは、アベ自民の評判はよくない。よくないどころではなく、悪いと言いきってよい。アベの性格もよくない。政策もよくない。個別の政策では明らかに世論の支持を得ていない。ところが、内閣支持率はなかなか落ちない。落ちそうになりながらも、落ちきらない。その理由が実感しにくい。
本日の東京新聞「本音のコラム」欄に、斉藤美奈子が「一発逆転の秘策」という記事を書いている。中身は、松尾匡『この経済政策が民主主義を救うー安倍政権に勝てる対案』(大月書店)の紹介。斎藤美奈子をして、「安倍自民党に勝つための起死回生ともいうべき本を見つけた。」と言わしめている。
大筋ははこんなことだ。「安保法制も改憲も問題だけど、人々が求めているのは景気と福祉だ。対抗勢力はそこがわかってない。個別の案件では反対者が多いのに安倍政権の支持率が落ちないのはなぜか。人々が不況に戻るのを恐れているからだ」というのが、この書の基本視点。確かにそうだと頷かざるを得ない。
自民党は長期低落傾向にあって、国民から見放された。国民の輿望を担って、民主党政権ができたが、国民の意識としては大きな失敗をしたのだ。この失敗の失望が大きい。
自民党の方がまだマシだった。アベ自民に戻って、なにか民主党政権よりはマシなことをやっているようだ。自分の生活は少しも楽にはならないが、いつかはよくなることを期待できそうだ。自民以外の政権に委ねるのは冒険ではないか。そんな気分が、安倍の評判の悪さにもかかわらず、内閣支持率を支えているのだろう。
「英労働党の党首選でコービン氏が勝ったのも、米大統領選の民主党候補者指名争いでサンダース氏が躍進したのも、庶民に手厚い政策ゆえだった。」ことから学べ、というのが松尾書のコンセプト。
「よって野党が勝つには『こんなものでは足りない』『もっと好景気を実現します』『日銀マネーを福祉・医療・教育・子育て支援にどんどんつぎこみます』というスローガンを掲げる以外に方法はない!」というのだ。なるほど。それは基本的に正しいと思う。
アベノミクスは、「パイを大きくしましょう。そうすれば、貧者にも分け前が期待できる」とした。しかし、パイもさして大きくはならず、むしろいびつな形に変形した。何よりも3年待っても分け前は来ない。ならば、アベノミクスとはおさらばして、徹底してパイの分け前優先に切り替えよう。国民1%の利益にではなく、99%の利益のために。ここから、社会は活性化する。経済の好循環が始まる第一歩ともなる。
いま、野党・市民連合の池田まき候補が、「誰一人置いてきぼりにしない政治をつくる」としているのは、結局はその路線だ。一人ひとりの人間を大切にする政治の実現こそが、社会全体の経済を活性化し、パイの拡大にも繋がるということなのだ。
池田まき候補の公式ウェブサイトを何度も開いて宣伝に努めたい。
http://ikemaki.jp/mypolicy
同候補はこう言っている。
「飢餓、貧困、格差、紛争、難民、テロ。立憲主義、民主主義の危機。
世界の、そして日本の大きな課題です。
強い者による強い者たちのための政治が、
こうした問題を深刻化させています。
権力の暴走を止めなければなりません。
声なき声をもよく聞き、政治に反映させなくてはいけません。
『誰一人、置いてきぼりにしない』
『誰もが安心して暮らせる社会をつくる』
私、池田まきはそれをモットーに、福祉の現場で、
既成概念にとらわれず、行動を起こしてきました。
さらに、環境、経済、政治など広い分野で
社会的な危機の解決に取り組んでいくために。
ここ北海道から、より良い日本をつくりたい。
池田まきは、皆さんと共に、
平和、いのち、暮らしを守る戦いに挑みます。」
がんばれ。野党市民共闘候補。安倍の「強い者による強い者たちのための政治」に負けるな。
(2016年4月13日)
本日、天気晴朗なれども、空気が重い。
2016年3月29日零時。戦争法が施行となった。その第一日目の今日、昨日とは違う日本である。これまでは、「専守防衛の立場からの個別的自衛権発動は例外としても」、戦争を政策の選択肢に入れてはならないとする日本であった。今日からは、政権による「存立危機事態」の判断さえあれば、世界中のどこででも戦争を行うことができることになったのだ。駆けつけ警護も、他国軍への武器運搬等の支援もできることになった。日本に敵対をしていない第三国への開戦は、当然のことながら、当該国からの反撃を覚悟の上でのことになる。その場合、日本国内のどこもが標的目標となる。
この戦争法は明らかに平和憲法に違反している。しかし、最高裁がこれを違憲と判断しうるだろうか。心もとないといわざるを得ない。よもや合憲と宣言することはありえないが、敢えて判断を避けることになる公算が高い。もっともらしい理由を付けながらも責任を放棄して判断を回避する、結局は逃げるのだ。
できることなら、違憲の法律を国民の意思の表明として廃止したい。国会は唯一の立法機関だが、「立法」とは、法律の制定だけでなく、改正も廃止も含むことになる。国民世論が選挙結果に結実して、「戦争法違憲派」が国会の過半数を制すれば、戦争法の廃止が可能となる。来たるべき参院選をそのような選挙にしなければならないと思う。
その戦争法施行第一日目に、文京区革新懇が中心となって企画した浜矩子講演会があった。演題が、「グローバル時代の救世主、それが日本国憲法」というもの。
冒頭に、日本国憲法前文の「諸国民との協和による成果を確保し」というフレーズを引用して、「これこそ、21世紀のグローバル時代を見通した」名言であって、今や「誰もが世界とつながり、だれもがひとりでは生きてゆけない時代となっている」ことが強調された。
安倍首相が唱える「戦後レジームからの脱却」「日本を取り戻す」のスローガンは、「大日本帝国」時代への復古にほかならない。当時の経済政策は強兵のための富国であり、植民地侵略の経済戦略としての大東亜共栄圏構想であって、グローバル時代のものではあり得ない。
昨年4月、安倍首相は笹川平和財団アメリカ支部での講演で「アベノミクスと私の外交政策は表裏一体」と語っている。経済政策の目的を外交安全保障と一体と位置づけることの危険は国際的に確認されていること。本来の経済政策の目的とは、経済の均衡が破綻したときの回復と、経済的弱者救済の二つに限定されなければならない。経済の均衡破綻とは、極端なデフレとハイパーインフレを典型とし、これによって傷つくのはまさしく弱者だ。アベノミクスは、弱者の救済ではなく、「富国強兵」を目的とするものなのだ。
今回、新3本の矢で、GDP2割増の600兆円にするというのも、国防費を増やすことが目的。TPPも防衛戦略が目的とされている。アメリカ議会での安倍演説では「その経済効果には、戦略的価値がある」と言っている。これは、TPPではなく、TYP(とっても、やばいパートナーシップ)と呼ぶべきだろう。
強調されたことは、「アベノミクスを政権維持のための民心収攬手段」と考えるのは大きな間違いで、「危険な富国強兵策そのもの」ととらえなければならない、ということ。
経済の講演を期待したものの、むしろ憲法の話しとなった。印象的だったのは、やや年齢層の高い聴衆の真剣さである。戦争法施行第一日目にふさわしい講演会となった。
(2016年3月29日)
昨日(11月15日)が、自由民主党の誕生日。1955年11月15日、自由党と民主党が保守合同して、自民党が誕生した。以来60年、自民党は還暦を迎えた。自民党とて、議会制民主主義を是とする政党である。悪役ではあるが、民主主義社会の主要なアクターの一つ。小選挙区制実施以後、とりわけ安倍総裁時代の最近は、すこぶる姿勢がよくないが、必ずしも以前からこうだったわけではない。還暦とは、干支が一巡りして元に戻るということ。安倍自民党を脱皮して。60年前の初心に戻ってもらいたいと思う。
昨日(11月15日)の中央各紙のうち、毎日、読売、東京の3紙が社説で自民党を論じていた。毎日と、東京の社説は読み応え十分。読売は、歯ごたえがないスカスカの社説。東京社説の一節を引用しておきたい。
「昨年の衆院選で全有権者数に占める自民党の得票数、いわゆる絶対得票率は小選挙区で24%、比例代表では17%にすぎない。投票率低下があるにせよ、全有権者の2割程度の支持では、幅広く支持を集める国民政党とは言い難い。
自民党が安倍政権下での重圧感から脱するには、立党の原点に返る必要がある。党内の多様性を尊重し、よりよい政策決定に向けて衆知を集める。国民の間に存する多様な意見に謙虚に耳を傾ける。それこそが自民党が国民政党として再生するための王道である。」
ところで、60年前の結党時に採択されたいくつかの文書の中に、初心を示す「党の性格」がある。その6項目の自己規定が興味を惹く。結党時のありようと、60年後の現実とを対比してみよう。(一?六が結党時の「党の性格」、1?6が澤藤の見た現状)
一、わが党は、国民政党である
わが党は、特定の階級、階層のみの利益を代表し、国内分裂を招く階級政党ではなく、信義と同胞愛に立って、国民全般の利益と幸福のために奉仕し、国民大衆とともに民族の繁栄をもたらそうとする政党である。
1. わが党は大企業本位政党である。
わが党は、国際的グローバル資本と、金融・製造・流通の国内大企業との利益を代表し、その他の階級・階層にはトリクルダウン効果を期待せしめる政党である。すべての部門で市場原理を貫徹し、農林水産業は積極的に切り捨てる。このことこそが、国民全般の利益と幸福のために奉仕する所以であり、民族の繁栄をもたらすものと確信する。なお、我が党の政策には、「三本の矢」「新三本の矢」「一億総活躍」など、検証不可能な曖昧模糊たるスローガンを並べ、国民の目を眩ます努力を惜しまない。
二、わが党は、平和主義政党である
わが党は、国際連合憲章の精神に則り、国民の熱願である世界の平和と正義の確保及び人類の進歩発展に最善の努力を傾けようとする政党である。
2. わが党は、抑止力至上主義政党である
わが党は、近隣諸国との信頼関係の構築という生温い手段ではなく、戦争辞せずの覚悟をもって抑止力の整備に全力を尽くすことで国民の安全をはかる。アメリカの核の傘のもと軍備を整え、集団的自衛権行使を容認して、積極的平和主義の名による武力の行使を躊躇しない方針を堅持する。
三、わが党は、真の民主主義政党である
わが党は、個人の自由、人格の尊厳及び基本的人権の確保が人類進歩の原動力たることを確信して、これをあくまでも尊重擁護し、階級独裁により国民の自由を奪い、人権を抑圧する共産主義、階級社会主義勢力を排撃する。
3. わが党は、非立憲主義政党である
わが党は、立憲主義を排撃する。内閣の意によって何時にても憲法解釈を自由に変更することを認める。何となれば、政権こそが直近の民意を反映するものだからであり、その民意の反映を活かすことこそが民主主義だからである。
経済活動の自由こそが国民の豊さの根源であることから、人類進歩の原動力たる経済活動の自由を神聖なものとして、これを掣肘する労働運動や共産主義、社会主義勢力を強く排撃する。
四、わが党は、議会主義政党である
わが党は、主権者たる国民の自由な意思の表明による議会政治を身をもって堅持し発展せしめ、反対党の存在を否定して一国一党の永久政治体制を目ざす極左、極右の全体主義と対決する。
4. わが党は、小選挙区制依存主義政党である
わが党は、民意を正確に議席に反映しない小選挙区制のマジックに依存して政権を維持していることを深く自覚し、小選挙区制を奉戴してその改正を許さない。また、小選挙区制こそが党内を統制して政権の求心力を高める唯一の制度的源泉である。これを最有効に活用して党内反対勢力を一掃し、現執行部の永久支配体制を目ざすものである。そのような多様性排除のプロセスを経て、わが党は、既に極右の全体主義政党になりつつある。
五、わが党は、進歩的政党である。
わが党は、闘争や破壊を事とする政治理念を排し、協同と建設の精神に基づき、正しい伝統と秩序はこれを保持しつつ常に時代の要求に即応して前進し、現状を改革して悪を除去するに積極的な進歩的政党である。
5. わが党は、小児的精神年齢政党である。
わが党は、「ニッキョウソどうすんだ!ニッキョウソ」「早く質問しろよ」などと、答弁席から野次を飛ばす総理を総裁と仰ぐ、小児的精神年齢政党である。ナチスの手口を学びつつ、右翼的ファシズムの伝統と政治資金タカリの構造はこれを保持し、常にアメリカと財界の要求に即応して前進する。農家・漁民・小規模商店・中小零細企業、福祉・教育・文化などの、非効率不採算部門を除去するに積極的な進歩的政党である。
六、わが党は、福祉国家の実現をはかる政党である
わが党は、土地及び生産手段の国有国営と官僚統制を主体とする社会主義経済を否定するとともに、独占資本主義をも排し、自由企業の基本として、個人の創意と責任を重んじ、これに総合計画性を付与して生産を増強するとともに、社会保障政策を強力に実施し、完全雇用と福祉国家の実現をはかる。
6. わが党は、福祉国家理念を放擲した新自由主義政党である
わが党は、新自由企業と新保守主義の担い手であることを宣言して、企業活動の完全な自由を擁護することを宣言する。福祉国家理念とは、怠け者再生産主義でしかないことが、この60年で明瞭になった。徹底した競争こそが進歩と豊かさの原動力である。競争には敗者がつきもので、勝者と敗者のコントラストの強調こそがよりよい社会を作る。そのゆえ、社会保障政策や完全雇用、さらには福祉国家などの時代遅れの理念や政策は敢然とこれを放棄し、労働者は非正規をもって旨とする。
(2015年11月16日・連続第961回)
本日(10月22日)、プロ野球ドラフト会議。私の関心外のイベントだが、たまたま本日各紙の朝刊が、大きく「巨人選手の野球賭博問題」を報じている。賭博に関与していたと報告された3選手も、何年か前にはドラフトの対象だった。その一人松本竜也は、2011年の巨人1位指名選手。その長身と剛速球から「甲子園のランディ・ジョンソン」と異名をとった有望選手だったという。賭博問題の根を残しておいたのでは、今日のドラフト対象選手も、数年後には賭博に引き込まれかねない。あるいは、もっと積極的に人を犯罪に巻き込みかねない。
組織的に賭博を運営している暴力団の存在が疑われ、これとプロ野球選手との交際の疑惑がある。原辰徳巨人軍監督の1億円恐喝被害問題が記憶に生々しい。巨人だけとは言わない。いや、プロ野球だけでもなく、興行一般と暴力団とのしがらみの根は深く根絶し難い。この社会の健全さの保持のために徹底して膿を出し切ってもらいたい。
この問題で私が意を強くしているのは、案に相違して世間の目は賭博に厳しいということ。大相撲でもプロ野球でも、これを賭博の種にすることに世の批判は厳しいのだ。社会は、なかなかに健全である。
「案に相違して」と言ったのは、世に賭博が溢れているからだ。競馬・競輪・競艇・パチンコ・スロット…。もちろん、宝くじも、先物取引もFXも、立派な賭博である。この賭博が堂々とコマーシャルを打つ時代である。世人の賭博を見る目が甘くなっていると思わざるを得ないのだ。
賭博とは何か。私の定義では、「複数の者が財貨を拠出しあい、お互いに何らかのルールでこの拠出された財貨を取り合うこと」である。賭場に金を積んで、積まれた金を、サイコロの目でも巨人阪神戦の勝敗でも日経平均の上下でも、何かを基準に勝ち負けを決めて取り合うのだ。何のために賭博に参加するのか。当然のことながら、人の金を我が物としたいから。他人の懐に手を突っ込んで取ってくれば、窃盗か強盗になる。お互いの了解で、ルールを決めて、他人の懐の金の取り合いをするのが賭博である。賭博は、財貨の所在を変えるが、何の経済価値も産みださない。
賭博は窃盗や強盗にはならないが、やはり犯罪である。国家が刑罰権を発動して制裁を科する必要があるとされている違法性の高い行為なのだ。その本質において、互いに相手の財産を奪い合う醜い行為であり、社会の健全さを失わしめ、やがては賭博参加者自らをも滅ぼす看過し得ない違法な行為でもある。単純賭博罪(刑法185条)、常習賭博罪(同186条1貢)、賭博場開張図利罪(同186条2項)。博徒結合図利罪(同)と類型化され、富くじの発売も、発売の取次も、授受も犯罪(同187条)とされている。
ダンテの「神曲」では、賭博を行う者が堕ちて行くべき地獄はことのほか深い。「他人の不幸を自己の幸福とする」その心根の卑しさの罪が深いのだ。最高裁判例は、「国民の射幸心を煽り、勤労の美風を損い、国民経済に悪影響を及ぼす」ことを処罰の根拠と説明している。
ところが、「賭博はお互い負ければ取られることを了解での大人のゲームだ。許された娯楽と考えるべきで、刑罰をもって禁圧するほどのことはあるまい」という意見は昔からあった。最近この声は大きい。安倍政権になってからはことさらのこと。経済政策の目玉のひとつになろうとしているからだ。賭博を開帳してテラ銭を稼ごうという、有力企業は政治と結託してこの論調を高めている。プロ野球と暴力団の醜い関係などとは比較にならない、政治家と胴元企業の大規模の醜悪な関係があるのだ。
この醜悪な連中は、博打とか、賭博という言葉を敢えて避ける。推進議員の集まりは「カジノ議連」で、賭博場は「IR」(インテグレイテド・リゾート)という。しかし、なんと言葉を言い換えても本質が醜悪な賭博であることに変わりはない。
以下は、本年1月3日の産経新聞記事「カジノ解禁はいつか…巨大プロジェクト『IR』始動、経済効果は計り知れず」の抜粋である。小見出しとして、『これは成長戦略の目玉になる』とタイトルが付されている。醜悪な政治と醜悪な企業の醜悪な連携についての、醜悪なメディアの報道である。
「平成26年5月、シンガポールを訪れた安倍晋三首相は、カジノを中心とした統合型リゾート(IR)『マリーナ・ベイ・サンズ』などを視察して、こう期待感をにじませた。
カジノのフロアには1500台のスロットマシンや600台のゲームテーブルが並び、地上200メートルの屋上プールや会議場、水族館、遊園地も併設されている。実際にIRがシンガポールにもたらした経済効果はすさまじく、2013年の観光客数は09年から6割増の1560万人に達した。IR設置に伴う雇用も約2万3000人に上るという。
シンガポールに追随しようとしているのが日本だ。政府は観光立国を掲げ、訪日外国人旅行者を20年までに2000万人、30年に3000万人超に増やす計画だが、この起爆剤としてIRを位置づけている。
IR誘致の最大のメリットは、その経済効果。みずほ総合研究所がまとめたリポートでは、東京地区にカジノを含むIRを開設した場合、約3兆7000億円の経済効果が期待できるとしている。同様に香港の投資銀行CLSAは経済効果を年間400億ドル(約4兆7000億円)、大阪商業大の佐和良作教授は最大約7兆7000億円と見積もる。」
産経は、「巨大な経済効果を取り込もうと、自治体の誘致合戦も激しくなっている。すでに全国で20カ所以上の自治体がIR誘致に名乗りを上げている。」「とりわけ熱心なのが大阪…」「IR整備推進法案の通過が、日本におけるIRの第一歩となる。」と報じている。幸い、まだIR整備推進法案の成立には至っていない。
賭博の繁栄がもたらす経済効果を当てにしてのアベノミクス。「おかしいだろ、これ。」としか言いようがないではないか。
ところで、野球賭博。本日の読売が、社説を書いている。「巨人野球賭博 ファンを裏切った罪は重い」というのだ。
「伝統ある球団で、あってはならない不祥事が起きたことは、極めて残念である。」なんだかよく分からない。巨人が特別なんてことはあるまい。「プロ野球界は、選手が賭博に関わらないよう厳しく指導してきた。暴力団排除の取り組みも強化した。3選手の愚行は、球界の努力を無にしかねない。」これもおかしい。3選手だけが悪者か。「プロ野球選手は、子供たちにとって、あこがれの的だ。発言や行動は常に注目される。ユニホームを着ていない時も、身を律することが求められる。」。なんだ、結局は選手個人の自覚の問題にされているのか。
野球賭博も罪深い。しかし、カジノ議連や「IR整備推進法」の罪は、格段に大きく深いのだ。一国の首相が、他国のカジノを見学して目を輝かせているこの時代状況がおかしいのではないか。安倍晋三自身は共産党の追求でカジノ議連最高顧問の座を退いたが、その側近たちが虎視眈々とIR整備推進法案の成立を狙っている。「社会の健全化よりも経済振興の方が大切だ」「アベノミクスの3本目の矢の中に賭博もはいっているのだ」「カジノなんてしゃれた大人のムード」「客寄せには賭博が一番」「これこそ経済復興の目玉」…。
何のための経済振興か。経済とは何なのか。哲学が問われている。野球賭博追放の心意気で、カジノ・IRをも追放しなければならない。アベノミクスもカジノ議連も一掃してはじめて健全な社会を取り戻すことができるのだ。
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「公表された議事録作成の経緯の検証と当該議事録の撤回を求める申し入れ」への賛同署名のお願い
そもそも存在しない安保関連法案の「採決」「可決」を後付けの議事録で存在したかのように偽るのは到底許されません。私たちは、このような姑息なやり方に強く抗議するとともに、当該議事録の撤回を求める申し入れを提出します。ついては多くの皆様に賛同の署名を呼びかけます。
ネット署名:次の署名フォームの所定欄に記入の上、発信下さい。
http://goo.gl/forms/B44OgjR2f2
賛同者の住所とメッセージを専用サイトに公開します。
https://bit.ly/1X82GIB
第一次集約日 :10月27日(火)22時とします。なお、詳細は、下記ブログをご覧ください。
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/blog/2015/10/post-fb1b.html
https://article9.jp/wordpress/?p=5768
(2015年10月22日・連続935回)
富国・強兵、強兵・富国。
キョウヘイ・フコク、フコク・キョウヘイ。
なんとすばらしいハーモニー。
富国と強兵とは、表と裏、一体にして不二。
強兵のための富国であり、富国のための強兵ではないか。
アベノミクスは、実は民生のための経済政策ではない。
「格差が広がった。貧困が深刻化した」
それでよいのだ。強兵のための富国政策なのだから。
そして、富国のための強兵策が、積極的平和主義。
富国と強兵とが相支え相補いあって、
戦後レジームからの脱却を可能とする。
昔日の強い軍国日本を取り戻すことができる。
それこそ、ワタクシ安倍晋三と仲間たちの目論むところ。
第二次安倍内閣成立当初は、はじめは処女のごとくの喩えそのままの経済政策優先。これがアベノミクスの表向きの姿だ。2015年選挙がない年には戦争法のごり押し。そして、戦争法の無理が一段落した今、また経済政策に逆戻り。新アベノミクスだ。富国から強兵、強兵からまた富国へ。
富国も強兵も、すべてはお国のため。国民はお国のために子を産み、子を育て、子を国家に役立てることになる。当たり前の話ではないか。国の子は、「強兵」に育つか、産業戦士に育てるのか、二つに一つだ。どちらもいやだという、利己的な若者の跋扈には、追々箍をはめていかねばならない。
戦争は必ずしも起きなくてもよい。しかし、戦争ができるような国の秩序はどうしても作っておかねばならない。強兵あっての有利な外交であり、強兵こそ富国の支えではないか。
強兵策の最大のハードルは、私が最も忌むところの日本国憲法だ。憲法9条こそ私の天敵。一刻も早くこの天敵を成敗して、戦争のできる憲法に作り替えたいのだが、急いては事をし損じるの喩え。やむなく、急がば回れの解釈改憲。そして、もっぱら違憲と評判の安保関連2法だ。
戦争ができる国の秩序には、法整備が不可欠だが、しばらくはこれでよかろう。この法律と、特定秘密保護法の組み合わせで、相当のことまではできるようになった。また、いつか、「我が国を取り巻く防衛環境が変わった」という魔法の杖をもう一振りすれば、戦前並の国防保安法や国家総動員法、そして治安維持法の制定も夢じゃない。
今回は、公明党によく働いていただいた。しかし、このように働いてくれる政党は、公明党ばかりではない。いつの世にも、政権与党につながって甘い汁を吸いたい政党や政治家がすり寄って来るものなのだ。それと組んで、もう一押しの強兵策。
しかし、強面ばかりでは民意が離れる。民意を掌握する要諦は、期待を長く引っ張ることだ。今は豊かにならないが、我慢すればそのうちに豊かになれるという幻想を与え続けることなのだ。3本の矢がうまくいかなければ、新しい別の矢を3本放てばよい。それも的に当たらなければ、目先を変えてもう4、5本射てばよい。下手な鉄砲も数の喩え、何本も射ることによって、まぐれでもいくつか当たればよいのだ。いや、当たる可能性があると信じさせればよいだけのこと。
えっ、なに? それは詐欺の手口ではないかだと? 教えていただきたい。政治と詐欺の違いを。政治家と詐欺師の言に、いったいどんな違いがあると言うのか。
(2015年10月4日・連続917回)
ヤットと言おうか、トウトウと言うべきか。とにもかくにもピケティの「21世紀の資本」を読了した。文京区立図書館から200番を越える予約順番待ちで借り出した貴重な書籍。私のあとには400人を超える人が順番を待ちかねている。日本人の知的欲求はたいしたもの。すくなくとも文京区には、反知主義のはびこりはない。
この書を借りて手許に置ける期間は2週間。その間モクモク、コツコツ、エンエン、いったりきたり、ページをめくり続けた。正確な理解はおぼつかないが、「ひとのするものをわれもしてみんとて」の野次馬根性を支えに読破を成し遂げた。600ページ分の滓みたいなものがついた感はある。新聞に掲載された関連書物の「書評」がスラスラ読めるようになった。これだけでも大変な進歩。
私の理解した限りでの「21世紀の資本」の内容は次のとおり。
日本についての記述はほんの少ししかない。フランス革命以来の資料がそろっているフランスとイギリス、そして新世界アメリカの分析が中心。予想に反して、フランス革命は富の格差解消にはたいして役に立たなかった。第一次・第二次の両世界大戦が、大なたを振るって貧富の格差を大いに縮小した。日本ではGHQが断行した農地解放や財閥解体で地主や富裕階級が没落したが、イギリス、フランスなどの戦勝国でも同様だったという。財産を爆撃された富裕層がタケノコ生活に落ちぶれていったというわけだ。戦争は勝っても負けても、経済社会の格差にガラガラポンの平準化がもたらされるようだ。格差社会に絶望した若者たちが戦争を恐れないということには一理ある。人々を経済格差の絶望に追い込むことは、戦争を誘発する危険があるということでもあるのだ。
戦争によって格差が縮まって、戦後は貧富の差の少ない社会が到来するかと思いきや、21世紀を迎える今、格差は戦前の状態にもどりつつある。富が生む配当や利子や賃料などの利潤が増える割合(資本収益率)の方が、経済成長による所得の増える率(経済成長率)より高いからだという。金持ちはどんどん持ち金を増やせるが、給料の増え具合はたかがしれているというわけだ。
「働けど働けどなおわが暮らし楽にならざりじっと手を見る」の啄木がピケティを読めば、「俺はそんなことは前から知っていた」と言うに違いない。ピケティも、自分の本を「『経済学については何も知らない』と言いつつも所得や富の格差についてきわめて強い関心を持っている人々に読んで欲しい。産業革命以来、格差を減らすことができる力というのは世界大戦以外にはなかったことがわかる」と書いている。
格差が近年ますます大きくなってきていることについて、ピケティはスーパー経営者(CEO)の莫大な報酬について、販売員があくせく働いているそばから「レジに手を突っ込んでいるようだと」と評し、「2050年や2100年の世界はトレーダーや企業トップや大金持ちに所有されているだろうか、それとも産油国や中国銀行に所有されているだろうか?あるいはこうしたアクターの多くが逃げ場にしているタックス・ヘイブンに所有されているかもしれない。」と書いている。
では、どうしたら、格差を埋めていくことができるのか。ピケティは「民主主義が資本主義に対する支配力を回復し、全体の利益が私的な利益より確実に優先されるように」すべきだと提案する。具体的には累進富裕税、それもタックス・ヘイブンに逃げることができないように、IT技術を駆使したグローバル課税制度の構築である。これを選挙で実現しようというものだ。
しかし、言うは易く実現は困難な提案ではないか。偏った富の分配で潤っている人々は、社会の強者であり、政治的な支配者でもある。政治的民主主義は、はたしてこの富の偏在の是正という難事をなし得るだろうか。
もしかしたら、大富豪のバフェットは賛成するかもしれない。が、それ以外には任意の賛成者を思い浮かべることはできない。ユニクロの柳井やソフトバンクの孫も反発するだろう。法人税を下げ、「富者からのトリクルダウンを待て」という安倍は指一本動かそうとはしないだろう。オバマは資本主義大国アメリカで全く動きがとれない。ロシアのプーチンや中国の習も黙り込むだろう。EU諸国ならいくらか可能性があるのだろうか。はたして、資本家や企業の抵抗を押さえ込んで、彼らの富を剥ぎ取ってこれを再分配の原資にできるだろうか。
おそらくは、「万国の労働者団結せよ」と階級闘争を呼びかけたマルクスの方が、「現代世界の政治担当者を説得せよ」と言うピケティよりも、遙かに現実を深く見つめ、正論を言っている。あるいは、民主主義的手続でやれるところまでやって、限界を見極めることが必要ということなのだろうか。
読了したピケティ。その富の集中と格差拡大の「実証的論証」については大いに説得力がある。しかし、格差解消策の政策提言についての説得力には疑問符の印象。600ページ読んで疲れて、いささか頭痛がしてきた。
(2015年5月11日)