澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

「2020東京オリパラ」と「東京都ヘイト規制条例」

日朝協会の機関誌「日本と朝鮮」の2月1日号が届いた。全国版と東京版の両者。どちらもなかなかの充実した内容である。政府間の関係が不正常である今日、市民団体の親韓国・親朝鮮の運動の役割が重要なのだ。機関誌はこれに応える内容となっている。

その東京版に私の寄稿がある。これを転載させていただく。内容は「東京都ヘイト規制条例」にちなむものだが、「2020東京オリパラ」にも関係するもの。なお、オリンピック開会は、猛暑のさなかの7月24日である。その直前7月5日が東京都知事選挙の投票日となった。ぜひとも、都知事を交代させて、少しはマシなイベントにしたい。

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東京都ヘイト規制条例の誕生と現状

 2020年東京の新年は、オリンピック・パラリンピックで浮き足立っている。オリパラをカネ儲けのタネにしたい、あるいは政治的に利用したいという不愉快な思惑があふれかえった新春。あの愚物の総理大臣が「2020年東京オリンピックの年に憲法改正の施行を」と表明したその年の始めなのだ。

オリンピックには、国威発揚と商業主義跋扈の負のイメージが強い。国民統合とナショナリズム喚起の最大限活用のイベントだが、言うまでもなく、国民統合は排他性と一対をなし、ナショナリズムは排外主義を伴う。内には「日の丸」を打ち振り、外には差別の舞台なのだ。

もっとも、オリンピックの理念そのものは薄汚いものではない。オリンピック憲章に「オリンピズムの根本原則」という節があり、その1項目に、「このオリンピック憲章の定める権利および自由は、人種、肌の色、性別、性的指向、言語、宗教、政治的またはその他の意見、国あるいは社会的な出身、財産、出自やその他の身分などの理由による、いかなる種類の差別も受けることなく、確実に享受されなければならない」とある。

これを承けて、東京都はオリンピック開催都市として、「オリンピック憲章にうたわれる人権尊重の理念の実現を目指す条例」を制定した。これが、「東京都ヘイト規制条例」と呼ばれるもので、昨年(19年)4月に施行されている。

その柱は2本ある。「多様な性の理解の推進」(第2章)と、「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進」(第3章)。性的マイノリティーに対する差別解消も、ヘイトスピーチ解消への取り組みも、都道府県レベルでは、初めての条例であるという。しかし、極めて実効性に乏しい規制内容と言わざるを得ない。

オリンピックとは、これ以上はない壮大なホンネ(商業主義・国威発揚)タテマエ(人類愛・国際協調)乖離の催しである。都条例は、タテマエに合わせて最低限の「差別解消」の目標を条例化したのだ。しかしこの条例には、具体的な「在日差別禁止」条項はない。「ヘイトスピーチ違法」を規定する条文すらない。また、「在日」以外の外国人に対する差別については、「様々な人権に関する不当な差別を許さないことを改めてここに明らかにする」と述べられた一般理念の中に埋もれてしまっている。もちろん、罰則規定などはない。

オリンピック開催都市として、東京都の人権問題への取り組みをアピールするだけの条例制定となっている感があるが、それでも自民党はこれに賛成しなかった。「集会や表現の自由を制限することになりかねない」という,なんともご立派な理由からである。

条例のヘイトスピーチ対策は、「不当な差別的言動を解消するための啓発の推進」「不当な差別的言動が行われることを防止するための公の施設の利用制限」「不当な差別的言動の拡散防止するための措置」「当該表現活動の概要等を公表」にとどまる。

それでも、東京都は同条例に基づいて、10月16日に2件、12月9日に1件の下記「公表」を行った。

(1)5月20日、練馬区内での拡声器を使用した街頭宣伝における「朝鮮人を東京湾に叩き込め」「朝鮮人を日本から叩き出せ、叩き殺せ」の言動
(2)6月16日、東京都台東区内でのデモ行進における「朝鮮人を叩き出せ」の言動
(3)9月15日、墨田区内でのデモ行進における「百害あって一利なし。反日在日朝鮮人はいますぐ韓国に帰りなさい」「犯罪朝鮮人は日本から出ていけ」「日本に嫌がらせの限りを続ける朝鮮人を日本から叩き出せ」の言動

 公表内容はこれだけである。この言動を「本邦外出身者に対する不当な差別的言動に該当する表現活動」であると判断はしたものの、街宣活動の主催者名の公表もしていない。

問題はこれからである。タテマエから生まれたにせよ、東京都ヘイトスピーチ条例が動き出した。これを真に有効なものとしての活用の努力が必要となろう。東京都や同条例に基づいて設置された有識者による「審査会」の監視や激励が課題となっている。また、ヘイトスピーチ解消の効果が上がらなければ、条例の改正も考えなければならない。

オリパラの成功よりも、差別を解消した首都の実現こそが、遙かに重要な課題なのだから。

(2020年2月3日・連続更新2499日)

嫌いな言葉は「愛国心」。「真の愛国者」はなおさらいけない。

嫌いな言葉は山ほどある。なかでも、「愛国」「愛国者」「愛国心」はその最たるもの。憂国・国士・祖国・殉国・忠義・忠勇など、類語のすべてに虫酸が走る。「真の愛国者」は、なおいけない。生理的に受け付けない。

パトリオティズムやナショナリズムと横文字に置き換えても同じことだ。パトリオティズムは理性の香りあるものとして肯定的に、ナショナリズムは泥臭く否定的に語られることが多いが、大した変わりはない。どちらも胡散臭さに変わりはない。どちらも、個人よりも国家や民族などを優越した存在として美化するもの。まっぴらご免だ。

辟易するのは、「愛国」とは倫理的に立派な心根であると思い込んでいる多くの人びとの押し付けがましい態度である。この愛国信仰者の愛国心の押し売りほど嫌みなものはない。夫婦同姓の強制、LBGTへの非寛容などとよく似ている。要するに、過剰なお節介なのだ。

国家や社会にゆとりがあるときには、「愛国」を叫ぶ者は少なく、邪悪な思惑による愛国心の鼓吹は国民の精神に響かない。愛国心の強制や強調が蔓延する時代には、国家や社会にゆとりがなくなって、個人の尊厳が危うくなっているのだ。とりわけ、政治権力が意図してする愛国心の鼓吹は、国家や社会が軋んでいることの証左であり警告なのだ。まさしく今、そのような事態ではないか。

為政者にとって最も望ましい国民とは、その精神において為政者と同一体となった国民,それも一つの束となった国民である。為政者は国家を僭称して、国民を愛国心の紐で、ひとつの束にくくろうと試みる。それさえできれば、為政者の望む方向に国民を誘導できる。そう。戦争の準備にも。場合によっては開戦にも。

国民の「愛国心」は、易々と為政者の「国家主義」に取り込まれる。あるいは、国家主義が愛国心を作り出す。愛国心に支えられた国家主義は、容易に排外主義ともなり、軍国主義ともなる。結局は、大日本帝国のごとき対外膨張主義となるのだ。愛国心とはきわめて危険なものと考えざるを得ない。

もうすぐ東京五輪である。ナショナリズムとナショナリズムが交錯して昂揚する一大イベント。どの国の為政者も、この場を利用しようとする。国旗国歌が輻輳 する空間が生まれる。旗や歌がもつ国民統合の作用を最大限利用しない手はない。どの為政者もそう考えて実行する。

日の丸が打ち振られる。あの戦争のときのように。今度は旭日旗までがスタジアムに登場するという。形を変えた、擬似戦争であり、ミニ戦争である。

今のままでは、安倍政権下、小池百合子都政が、東京五輪の主催者となる。世が、あげて東京都五輪礼賛であることが、まことに不愉快極まりない。

山ほどある嫌いな言葉に、もう少し付け加えよう。「東京五輪」「日本選手を応援しよう」「日本チームの奮闘が素晴らしい」「日本の活躍が楽しみですね」…。
(2019年9月16日)

「これからは、2度と日章旗の下では走るまい」? 孫基禎、金メダルを得ての思い

昨日(5月25日)、ちきゅう座総会に参加した際に、社会評論社の松田健二さんから「評伝 孫基禎」(寺島善一著)をいただいて、興味深く読んだ。著者の立場は公平である。オリンピックやスポーツだけを切りとるのではなく、日本の朝鮮に対する植民地支配の歴史に目を配っている。それだけに読後感はやはり重い。日本人の朝鮮に対する差別意識の底流が露わになっている今だけに、なおさらである。

著者は、近代オリンピズムの崇高さを強調し、孫と同時代アスリートとの交流を「スポーツで築き上げた友情は、国境を越えていつまでも不変」と讃えている。大島謙吉、オーエンス、ハーパー(英・孫に続いてマラソン2位)らとの交流は確かに感動的なのだが、現実の厳しさの方に圧倒される。

国威発揚のナショナリズム、人種差別、そして商業主義の跋扈というオリンピック事情は、1936年当時も現在も、さして大きな変化はないのではないか。

来年(2020年)の五輪は、歴史修正主義者が首相を務める国の、民族差別主義者が知事の座にある首都で、開催される。本当に、東京五輪開催の積極的意味はあるのだろうか。

プロ・アマを問わずスポーツ隆盛の今、若者たちに訴えたい。かつて理不尽な仕打ちを受けていた朝鮮人アスリートがいたことを。日本が朝鮮を植民地としていたが故の悲劇である。その代表的な人物が、孫基禎なのだ。

孫基禎(ソン・キジョ)、1919年8月の生まれ。当時、既に朝鮮は日本の植民地とされていた。貧苦の中で走り続けて、ランナーとして頭角を表し、世界記録保持者として、1936年8月9日ベルリンオリンピックのマラソンに挑んで、金メダルに輝く。当時のオリンピック新記録。なお、このとき朝鮮人南昇竜も銅メダルを獲得している。

その表彰式では、「日の丸」が掲揚され「君が代」が演奏された。これは、孫には耐えがたい屈辱だった。後年、彼自身がこう語っている。

「優勝の表彰台で、ポールにはためく日章旗を眺めながら、『君が代』を耳にすることはたえられない侮辱であった。…果たして私が日本の国民なのか? だとすれば、日本人の朝鮮同胞に対する虐待はいったい何を意味するのだ? 私はつまるところ、日本人ではあり得ないのだ。日本人にはなれないのだ。私自身の為、そして圧政に呻吟する同胞のために走ったというのが本心だ…。これからは、2度と日章旗の下では走るまい。この苦衷をより多くの同胞に知ってもらわなければならない」

孫も南も、表彰式では陰鬱な表情をしてうつむいている。孫は、ユニフォームの胸に付けていた日の丸を勝者に与えられた月桂樹で隠している。表彰式での真正面からの写真では、胸の日の丸が見えない。しかし、斜めからの撮影では日の丸が映ってしまう。この日の丸を消した写真を掲載したのが、8月25日付東亜日報だった。よく知られている「消えた日の丸」事件である。

現地の日本軍20師団司令部が激怒し、直ちに総督府と警察に関係者の緊急逮捕を命じた。こうして、5人の関係者が逮捕され、40日余の残酷な拷問が行われた。その上で、東亜日報は無期限発行停止処分、5人は言論界から永久追放となった。

ところで、孫と南の表彰式の後、日本選手団本部は選手村で祝賀パーティを開いたが、両名とも出席しなかった。「差別と蔑視故の抗議であったろう」という。その時刻両名はどこにいたか。ベルリン在住の安鳳根(アン・ボングン)という人物を訪問していたという。あの安重根(アン・ジュングン)の従兄弟である。

孫は、このとき安鳳根の書斎で、生まれて初めて「太極旗」と対面したのだという。

「これが太極旗なのだ。わが祖国の国旗なのだ。そう思うと感電でもしたように、熱いものが身体を流れていった。太極旗がこうして息づいているように、わが民族も生きているのだという確信が沸き起こってきた」

これが、彼の自伝「ああ月桂冠に涙ー孫基禎自伝」(講談社・1985年)の一節。
その後、孫は徹底して警察からマークされる。到底、金メダリストの扱いではない。彼が日の丸を背負って走ることは2度となかった。指導者たらんと東京高等師範と早稲田の入学を志すが、受験を拒否されている。明治大学だけが、暖かく迎え入れたが、当局はこれを許可するに際して条件を付けた。「再び陸上をやらないこと。人の集まりに顔を出さないこと。できる限り静かにしていること」だという。

明治大学は、箱根駅伝で彼を走らせようとしたが、かなわなかった。息子・孫正寅の語るところでは、2002年臨終の際に残した言葉が、根駅伝を走りたかった」だった。

言うまでもなくマラソンは、オリンピックの華である。必ず最終日に行われる最終種目。この特別の競技の勝者には、特別の敬意が捧げられる。1936年ベルリンオリンピックで、10万の観衆が待ち受けるスタジアムに先頭で姿を現し、最後の100メートルを12秒台で走り抜けたスーパーヒーロー。それが、日本人として登録された朝鮮人・孫基禎だった。

孫は朝鮮民族の英雄となった。民族の団結や連帯の要となり得る立場に立った。日本の当局は、その言動を制約せざるを得ないと考えたのだ。孫に、朝鮮人の民族的な自覚や矜持を鼓舞する言動があるのではないかと危惧したのだ。

明治大学名誉教授である著者は、孫基禎と明治大学の親密な結び付きを誇りとして書いている。慶應も早稲田も東京高師も、この明治の姿勢に敬意を表さねばなるまい。

なお、ご注文は下記まで。

http://www.shahyo.com/mokuroku/sports/essay/ISBN978-4-7845-1569-1.php

(2019年5月26日)

新東京五輪返上音頭

あの噂って、ホントかな?
いったい、何の話?

オリンピックの五輪のマーク。あの5色を、東京五輪が終わるまでは、全部金色にするんだって。
なるほど、金まみれオリンピックの開き直りってことか。

それだけでなくてね、金メダルと言わずに、カネメダルということにするんだって。
さだめし、銀メダルは銀貨メダル、銅メダルは銅貨メダルってことか。

それから、新東京五輪音頭って知ってる? こんなのらしいよ。
  ハァ?
  コントロールとブロックと
  2億のワイロでせしめた五輪
  おかげで みやこは 建設ラッシュ
  ほとぼり冷めたら また儲けましょと
  固い思いは 夢じゃない
  ヨイショコリャ 夢じゃない
  オリンピックは カネまみれ
  ソレトトント トトント カネとカネ
そいつはいいや。ピッタリじゃん。東京五輪は儲けのタネだものね。

アベ政権って、たまたまの景気でもっているよね。オリンピックの公共事業のおかげもあるんじゃない。
アベさんは、「2020年オリンピックの年を改正憲法施行の年に」なんて、改憲の道具にも使っているよ。

ほら、愚民には「パンとサーカス」って言うでしょう。いまなら、株とオリンピックというところね。
政府が操作した株価と、カネにまみれたオリンピック。今の日本にふさわしいのかもね。

成熟した都市は、どこもオリンピック招致には反対だというね。
リオと東京が、ワイロまで出して招致したわけだ。

JOC会長の竹田恒和って人、フランスの司法当局から取り調べを受けてるんだって。被疑者なの?
贈賄の疑いで予審判事の調査を受けているという報道だけど、制度が違うんで分かりにくいね。

何のカネかはともかく、竹田会長の責任で2億2000万円をシンガポールの怪しげな会社に支払ったことは間違いないのね。
そのカネは、IOCの委員の息子に渡ったようだ。その父親の委員が当時、開催地の決定に影響力を行使できる立場にあったんだって。だから、そのカネの支払いは賄賂にあたると見られているようだね。

2億2000万円。ワイロかコンサル料かはともかく、そんなのは、はした金なんだ。
東京五輪の総費用、当初は7000億といわれていたけど、今や3兆円を超すというものね。2億2000万円なんて、こまかいはなし。

放射線も予算も偽装での招致ってことね。築地も夏場の暑さも欺された感でいっぱい。ブラックボランティアの問題もあるし、問題ばかりね。
欺しといえば、「復興五輪」のスローガン。三陸の津波被害の現地では、土木作業者をオリンピックにとられて、「復興妨害五輪」と言ってるよ。

それよりも、オリンピックを国威発揚に利用したり、ナショナリズムを煽る舞台とするのが、気持ち悪い。
オリンピック憲章には結構よいこと書いてあるけど、現実には、金まみれ、政権の思惑まみれ。

今から、東京五輪返上ってわけには行かないかしらね。
  オリンピック返上の
  固い思いは 夢じゃない
  ヨイショコリャ 夢じゃない
  オリンピックは もうよそう
  ソレトトント トトント さようなら
(2019年3月26日)

こんなの要らない。返上しよう、薄汚い東京オリンピック。

英紙「ガーディアン」が一昨日(9月14日)報じたところによると、ブラジルの捜査当局は、「東京五輪招致に買収疑惑あり」との結論を出したという。捜査は、リオ五輪と東京五輪の両者に行われていたというが、私の関心は自ずと東京の招致問題だけ。

捜査結果の報道が、ブラジル紙ではなく、なぜ「ガーディアン」なのか。このあと続報があるのかないのか。フランス当局の捜査の進展はどうなっているのか。そもそも、ブラジルでは国内法のどのような犯罪構成要件に該当するというのだろうか。よく分からないことが多い。が、五輪を支える組織や幹部の腐敗の実態や、東京五輪誘致陣の薄汚さの再確認という点で、関心を持たざるを得ない。

各紙の報道に目を通しても、なかなか事実経過をつかみにくい。すこし、整理が必要である。

問題は、東京五輪誘致に関わる贈収賄。贈賄側は、東京五輪招致委員会。理事長が竹田恆和、理事に橋本聖子や鈴木大地などが名を連ねる。当然に、首相や当時の都知事もからんでいる。

収賄側は、IOC委員でもあり国際世界陸連会長でもあったラミン・ディアク(セネガル)という人物。大物としてIOC内で特別な影響力があり、次期五輪会場の決定に大きな権限あると思われていた人物だという。その代理人として、交渉や金の授受の窓口になったのは、息子のパパマッサタ。

登場人物はこれだけではない。カムフラージュとしての中間項が登場する。その内の最重要なのが、ブラック・タイディングス社というペパーカンパニー。一時期だけ、シンガポールの公営アパートの一室に形だけがあったという。

時系列を確認しておきたい。安倍晋三がブェノスアイレスで、「アンダーコントロールで完全ブロック」という詐欺まがいのトークで、2020年東京五輪招致を掠めとったのが2013年9月7日。その前後の同年7月と10月とに、招致委員会から出た金がラミン・ディアク側に渡っているというのだ。結論から言えば、これは買収資金の「着手金」と「成功報酬」と解釈するしかない。

最初、疑惑はフランス検察当局の捜査状況として報じられた。2013年の7月と10月の2回にわたって、東京五輪招致委員会がブラック・タイディングス社の秘密口座に送金されてたことが確認されたということが大きなニュースになった。このブラック・タイディングス社はラミン・ディアクの息子パパ・マサタ・ディアクに深い関係があるペーパーカンパニーとも報じられた。

その金額は2億3000万円。東京五輪招致委員会の理事長であり、日本オリンピック委員会(JOC)会長でもある竹田恒和は当初この疑惑を否定したが、後に国会に参考人として招致された際には認めて「正式な業務契約に基づく対価として支払った」と釈明した。「招致計画づくり、プレゼン指導、国際渉外のアドバイスや実際のロビー活動、情報分析など多岐にわたる招致活動の業務委託、コンサル料などの数ある中の1つであり、正式な業務契約に基づく対価として支払った」というのだ。おそらく誰もこんなことを信じてはいない。コンサル料名義の賄賂を、名もない会社の秘密口座に送金したという疑惑が極めて濃厚なのだ。

ブラック・タイディングス社とは、シンガポール東部の老朽化し、取り壊しを待つ公営住宅の1室にあり、シンガポールメディアによると同社は2014年には業務を停止しているとのこと。つまりは完全なペーパーカンパニーで、プレゼン指導、国際渉外のアドバイスや実際のロビー活動、情報分析などのコンサル業務を行う能力の片鱗もなさそう。

竹田恒和は国会で、支払った2億3000万円の最終的な使途についてブラック・タイディングス社側に「確認していない」と証言している。さらには「同社とは現在連絡が取れていないと聞いている」とも答えている。無責任極まるというレベルではなく、贈賄と疑われてやむをえないとの発言なのだ。

今回のガーディアンの報道では、ブラジルの当局は、2013年9月8日(東京招致成功の翌日)に、ブラック・タイディングスがシンガポールのスタンダード・チャータード銀行の口座から8万5000ユーロ(約1113万円)をパリのある会社宛てに送金し、それがマッサタ・ディアクが宝石店で購入した高額商品の支払いに充てられたことを明らかにした。

つまり、東京五輪招致委員会→ブラック・タイディングス社→パパマッサタの金の流れが確認できたということだ。コンサル料とは、実はIOC委員への買収資金としての賄賂送金だったという以外には考えがたい。ブラジル当局は、その認識である。

共同は、「東京五輪、リオデジャネイロ五輪は招致で『買収』と結論 英紙が報道」と見出しを打った。ブラジルの当局は「買収」の意図があったと結論づけたというのだ。
「東京の五輪招致にIOCの票の買収があった容疑について新展開」「ブラジルの当局は、ラミン・ディアク氏を買収する意図があったとしている」という記事。

ガーディアン記事は、「ブラジル連邦検察局はフランス検察局の調査結果を踏まえて、支払いが『IOC内部に強い影響力を持つラミーヌ・ディアクの支援と票の買収の意図をもって』、2020年東京の招致成功のためになされたという結論を出した。」という。さて、これからどう捜査が発展するのだろうか。

ガーディアンは、「ブラジルからの今回の暴露によって、次回の五輪開催国(日本)に対する調査が再開され、どのようにして東京が五輪開催権を獲得したのかそのプロセスが解明されることになるだろう。」という。

東京五輪はうんざりだ。アベ政権や小池都政の政治利用、国威発揚、ナショナリズム鼓吹、住民無視の東京再開発の促進、東北復興妨害、税金の無駄遣い、負のレガシーの創出…、そしてこの薄汚い招致活動での恥さらし。もう、きっぱり返上しようではないか。
(2017年9月16日)

大きな声で叫ぼう。「東京五輪を返上しよう!」

毎日新聞の牧太郎という記者の語り口が、何とも魅力的で心地よい。およそ拳を振り上げることなく、肩肘張らず、すこしシャイに、それでいて遠慮なく言いたいことを思う存分言ってのける。その文章の読後に爽快感がある。肺がんの手術を受けてから間もないとのことも、私には同病相憐れむの親近感。

毎週火曜日の夕刊に、「牧太郎の大きな声では言えないが…」を連載していて、これが楽しみ。ところが、ちょうど一月前の8月7日付コラムを見落としていた。これは失態だった。このことをある集会で配られたビラで知った。
久米宏だけではない。おお、牧太郎よ、あなたも。よくぞ言ってくれた。

東京五輪返上の声は、今や小さくない。金がかかり過ぎ。そんな金は被災地の復興に回せ。国威発揚の五輪だ。過剰なナショナリズム鼓吹。猛暑の時期、アスリートに酷。政権や都知事の人気取りに使われている。改憲にまで利用の悪乗りではないか。過剰な商業主義の横行。東京の喧噪が我慢しかねる。愚民政策…。反対理由はいろいろだが、少なくない人々が「東京五輪反対!」「東京五輪返上!」論に賛成している。五輪をダシにした世論操作の胡散臭さへの反発が大きいのだ。

牧太郎の“東京五輪病”を返上!のコラムの書き出しは、おずおずと始まる。
 東京五輪を返上しろ!なんて書いていいのだろうか? 何度もちゅうちょした。毎日新聞社は東京五輪オフィシャルパートナー。いわば、五輪応援団である。
 でも、恐る恐るサンデー毎日のコラム「牧太郎の青い空白い雲」(7月25日発売)に「日本中が熱中症になる“2020年東京五輪”を返上せよ!」と書いてしまった。すると、意外にも、知り合いの多くから「お前の言う通り!」という意見をもらった。返上論は僕だけではないらしい。

そして反対論の幾つかの理由が述べられる。
 その最大の理由は「非常識な酷暑での開催」である。日本の夏は温度も湿度も高い。太陽の熱やアスファルトの照り返し。気温35度、もしかして40度で行われるマラソン、サッカー、ゴルフ……自殺行為ではあるまいか? 沿道の観客もぶっ倒れる。
 サンデー毎日では書かなかったが、日本にとって最悪な季節に開催するのは、アメリカの3大ネットワークの“ゴリ押し”を国際オリンピック委員会(IOC)が認めてからである。メディアの「稼ぎ」のために健康に最悪な条件で行う「スポーツの祭典」なんて理解できない。

 もう一つの理由は「異常なメダル競争」である。日本オリンピック委員会(JOC)は「金メダル数世界3位以内」を目指しているそうだが、オリンピック憲章は「国家がメダル数を競ってはいけない」と定めている。日本人力士を応援するばかりに、白鵬の変化技を「横綱にあるまじきもの」とイチャモンをつける。そんな「屈折したナショナリズム」が心配なのだ。
 「東京五輪のためなら」でヒト、モノ、カネ、コンピューター……すべてが東京に集中している。地方は疲弊する。ポスト五輪は「大不況」……と予見する向きまである。

そして、久米宏同様、今からでも東京五輪返上は遅くないとして、こう言う。
 返上となると、1000億円単位の違約金が発生する。でも、2兆、3兆という巨額の予算と比較すれば、安いものではないか。

さらに、最後に牧太郎の真骨頂。
 東京五輪は安倍晋三首相が「福島の汚染水はアンダーコントロール」と全世界にウソをついて招致した。安倍内閣は「東京五輪のため」という美名の下で、人権を制限する「共謀罪」法を無理やり成立させた。東京五輪を口実に、民主主義が壊されようとしている。
 少なくとも、我々は“東京五輪病”を返上すべきだ!

「1000億円単位の違約金…、安いものではないか。」
牧太郎がそう言えば、私も同感だ。自信を持って1000億など安いものと言える。

「大きな声では言えないが…」などと、おそるおそる語る必要はない。大きな声で叫ぼう。「東京五輪を返上しよう!」「2020年東京五輪は、熨斗をつけてお返しだ!」
(2017年9月7日)

久米宏の「東京オリンピック返上論」に拍手を送る。

ラジオが元気だ。とりわけ、TBS。森本毅郎、荻上チキ、そして久米宏。多彩なパーソナリティが魅力的だ。

「久米宏 ラジオなんですけど」は毎週土曜日午後1時からの放送。俄然注目されているのは、6月17日の「リスナー国民投票 東京オリンピック・パラリンピック、今からでも返上するべき?」というテーマでの放送があったから。

この「国民投票」は2度目だそうだ。あと3年に迫った「2020年東京オリンピック・パラリンピック」、「今からでも返上すべき」か、それとも「このまま開催すべき」か。投票結果を、番組のホームページは次のように伝えている。

常々「東京オリンピック」には反対を表明しているパーソナリティの番組…とはいえ、最終的に2000票を超える投票が集まる中、実に8割を超えるリスナーが「返上」への支持を表明するという結果となりました。また、年代が高くなるほど「返上」の割合が高まっていくという傾向も見えました。ご投票いただいたみなさん、ありがとうございます。

全体の投票結果は、以下のとおりだったという。

投票総数:2193票
東京オリ・パラ、今からでも返上するべき:83%
                  開催すべき:17%

もちろん、これが世論の分布と同一であるはずはない。リスナーも、投票者も、バイアスをもっている集団であることは間違いない。しかし、それにしても、この数字刮目すべきではないか。どこか大手紙が、母集団を都民全体とした調査をしてみてはどうだろうか。正確に、これだけ金がかかる、これだけの問題点があることを明示して。案外、返上派が多数になるかもしれない。

私の実感としては、東京オリンピックに市民の支持の熱意は希薄である。「施設の建設や運営にこんなに金がかかるのなら、無理にやるほどのことではない」というのが、平均的な感覚ではないだろうか。「石原都政以来、オリンピック誘致と関連計画は、利権がらみの胡散臭さがつきまとう。とうてい歓迎いたしかねる」という意見も、おそらくは過半の人のものだ。オリンピックはうるさい。混雑する。交通規制は迷惑だ。治安も心配。どうしてこんなものをわざわざ東京にもってきたのか。歓迎派は、儲けを当て込む輩と、暗示に弱い幼児だけだろう。

明らかに、ポピュリストたちが東京オリンピックを煽っている。とりわけ、安倍晋三と小池百合子。そして、多くの企業がこれに便乗して儲けようといる。操られ、むしられているのが、都民であり、国民ではないか。東京オリンピック反対は、市民の意識革命だ。久米宏の言に、精一杯のエールを送りたい。

以上が第1幕。その話題性に着目して、日刊ゲンダイが久米宏のインタビュー記事を掲載した。これが第2幕。7月31日のことだ。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/210304

この第2幕が滅法面白い。反権力の痛快さだけではなく、本質を衝いた議論になっている。こうなると、久米宏だけでなく、日刊ゲンダイの元気な姿勢にも拍手を送りたい。

長いインタビューで、論点は多岐にわたっているが、「酷暑のオリンピックは非常識」、そして「『今更やめられない』と言ってはならない」の2点が白眉。「安倍晋三の国際的な詐欺的演説で誘致した東京オリンピックだから歓迎はしかねるが、ここまで準備が進行したのだから、今更止めるわけにはいかないだろう」という多くの良識派に、久米の舌鋒が鋭い。そのような市民の消極姿勢が、現体制を利することになるという指摘だ。

久米宏独壇場のさわりをご紹介する。

――この季節、東京はうだるような暑さが続いています。
競技を行うには暑すぎます。台風も来るし。日本にとって最悪の季節に開催するのは、アメリカ3大ネットワークのごり押しをIOCが聞き入れているだけ。今からでもIOCに10月に変えてと懇願すべきです。

――アスリートファーストをうたいながら、選手には過酷な環境です。
 ウソばかりつきやがってって感じですよね。なぜ真夏開催でOKなのか。本当に聞きたいんです、組織委の森喜朗会長に。アンタは走らないからいいんだろ、バカなんじゃないのって。この季節の開催は非常識の極み。開催期間の前倒しは難しいけれど、3カ月ほどの後ろ倒しは、それほど無理な注文じゃないと思う。工事のスケジュールも楽になる。絶対に開会式は前回と同じ10月10日にすべき。それこそレガシーですよね。

――こうした不都合な真実を報じるメディアも少ない。朝日、読売、毎日、日経が東京五輪の公式スポンサー。いわば五輪応援団です。誘致の際の裏金疑惑などを追及できるのか疑問です。
 国際陸連の前会長の息子が、黒いカネを派手に使ったって、みんな気付いているんですけど。なんで追及しないのかねえ、あんな酷いスキャンダルを。

オリンピック憲章をプリントアウトしました。第1章6項1に〈選手間の競争であり、国家間の競争ではない〉、第5章57項には〈IOCとOCOG(オリンピック組織委員会)は国ごとの世界ランキングを作成してはならない〉とある。

 ところが、日本政府はもう東京五輪の目標メダル数を発表しているんです。ハッキリ言ってオリンピック憲章違反。国がメダルの数を競っちゃいけないのに、3年も前からJOCがメダルの数を言い出す。こういうバカさ加減が、子供の頃から変だと…。しかも、メダルの色や数で競技団体が受け取る助成金まで上下する。差別ですよ、完全に。

 五輪開催について都民の声を一切聞かない。巨額の税金を使うのに、都民に意見を聞かずに開催していいのか。非常に疑問です。今からでも賛否を問う住民投票を行う価値はあります。

――多くの人々は「ここまで来たら」というムードです。
 それと「今さら反対してもしようがない」ね。その世論が先の大戦を引き起こしたことを皆、忘れているんですよ。「もう反対するには遅すぎる」という考え方は非常に危険です。日本人のその発想が、どれだけ道を誤らせてきたか。シャープや東芝も「今さら反対しても」のムードが社内に蔓延していたからだと思う。

五輪を返上すると、違約金が1000億円くらいかかるらしいけど、僕は安いと思う。それで許してくれるのなら、非常に有効なお金の使い道です。

――五輪反対を公言する数少ないメディア人として、向こう3年、反対を言い続けますか。
 何で誰も反対と言わないのか不思議なんですよ。そんなに皆、賛成なのかと。僕は開会式が終わっても反対と言うつもりですから。今からでも遅くないって。最後の1人になっても反対します。でもね、大新聞もオリンピックの味方、大広告代理店もあちら側、僕はいつ粛清されても不思議ではありません。

そのあと、第3幕が開いた。
この久米宏発言に、東京五輪の組織委員会が噛みついたのだ。東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会から久米宛に「反論」書が届いたというのだ。これを久米が、8月12日(土)午後の番組で朗読した。
「第32回オリンピック競技大会においては招致の段階で、開催時期は2020年7月15日から8月31日の期間から選択するものと定められていました。この期間外の開催日程を提案した招致都市は、IOC理事会で正式に候補都市としてすら、認められていませんでした」

これに対して久米は、こう言った。
「いかにバカかわかるでしょう。日本にオリンピックを招致した人たちは、夏の開催だということを承知して引き受けたんです。つまり、東京オリンピックに世界中から集まるアスリートたちのコンディションを考えてるんじゃない。オリンピックを招致することがいかに大切かを考えたんです。アスリートファーストなんていうのはウソ八百なんです」

さらに、「期間をIOCが決めてて、それ以外の開催時期が選べなかったんだから、しょうがないじゃないかとすべての責任をIOCに押し付けているんです」とも。
そして、名セリフ。「彼らはスポーツマンを愛しているわけではない。オリンピックだけを愛している」。

また久米は、最後に「組織委員会の広報の方は、今日の放送をどうお聴きになったか、またご感想があったら送ってください。またご紹介したいと思います。よろしくお願いします」と締めくくっている。

そんな次第で、本日(8月19日)の放送を楽しみに聞いたのだが、「組織委員会からの再度の感想」は送られてこなかったようだ。久米がこの問題に触れることはなかった。

やや、ものたりないと思いつつ、毎日新聞の夕刊を開くと、ベルリン五輪の写真発掘の記事。言うまでもない、「ヒトラーの五輪」だ。そのなかに、走り幅跳びで田島直人が3位となった表彰旗掲揚の写真があった。真ん中に「星条旗」。これはオーエンス優勝の表彰であろう。その両脇に、2位と3位の旗。これが、みごとに「ハーケンクロイツ」と「日の丸」なのだ。

いま、「ハーケンクロイツ」は公の場から姿を消したが、運命をともにすべき「日の丸」は生きながらえている。やっぱりオリンピックは、いやなもんだ。国威発揚の舞台であり、ナショナリズム涵養の場なのだ。ナショナリズムこそが、世界の国際協調の敵対物ではないか。表彰式での国歌や国旗なんてすっぱりやめて、ナショナリズムと縁を切ったオリンピックなら、そして金のかからない税金を使うことのないオリンピックなら、さらに東京に混雑や治安の懸念をもたらさないオリンピックなら、私も声援を送ってもよいのだが。
(2017年8月19日)

東京オリンピックは、日の丸・君が代抜きで願いたい。

アツイ。あつい。暑い。熱い。いふまいとおもへどけふのあつさかな。「暑い」という以外に言葉はなく、話題もない。

3年後の夏、この暴力的な猛暑の東京で、オリンピック・パラリンピックが開催されるという。マラソンの日程は男女とも8月上旬だとか。恐るべき炎熱下の試練。愚かしくも非人道的な「地獄の釜」の中の苦役。東京の夏に五輪を誘致した諸君よ。キミたちはクーラーの効いた部屋で、剣闘士たちの酷暑の中の死闘を眺めようというのか。アスリート諸君よ、奴隷の身に甘んじることなかれ。

オリンピックといえば、国威発揚であり、ナショナリズムの鼓吹である。あたかも当然のごとくに国旗国歌が大きな顔をして鼻につく。どこの国の国旗国歌も愉快なものではないが、とりわけ日の丸・君が代は不愉快極まる。わが国の天皇制支配や軍国主義や侵略や植民地支配の負の歴史を背負って、歪んだ保守派ナショナリズムのシンボルとなっている。天皇教によるマインドコントロール下の大日本帝国とあまりに深く結びついたその旗と歌。今なお、日本人が無邪気にこの旗を振り、この歌を唱う感性が信じがたい。

ところで、最近こんな文章にお目にかかった。筆者を伏せて、ご一読願いたい。
《優勝者のための国旗掲揚で国歌の吹奏をとりやめようというブランデージ(当時のIOC会長)提案に私は賛成である。(略)私は以前、日本人に稀薄な民族意識、祖国意識をとり戻すのにオリンピックは良き機会であるというようなことを書いたことがあるが、誤りであったと自戒している。民族意識も結構ではあるがその以前に、もっと大切なもの、すなわち、真の感動、人間的感動というものをオリンピックを通じて人々が知り直すことが希ましい》

民族意識や祖国意識よりも、「真の感動」、「人間的感動」をこそ重視すべきだという。「真の感動」、「人間的感動」の何たるかはこの短い文章に盛りこまれてはいないが、国威発揚やナショナリズム鼓吹の対立物としてとらえられている。だから、「優勝者のための国旗掲揚で国歌の吹奏をとりやめよう」という提案に賛成だというのだ。真っ当な見解ではないか。

この一文は、1964年10月11日付読売新聞に「人間自身の祝典」との標題で掲載されたものだという。筆者は、何と石原慎太郎。スポーツライターの玉木正之さんのサイトに紹介されていたもの。石原慎太郎とは、その40年後に東京都知事として、公立学校の教職員に、国旗国歌を強制する「10・23通達」を発出した張本人である。

石原に倣って、私はこう言いたい。
《学校の卒業式に国旗掲揚や国歌斉唱をとりやめようという良識ある教員たちの提案に私は賛成である。少なくとも、天皇(明仁)が米長邦雄に語ったとおり「やはり強制になるということでないことが望ましいですね」というべきだろう。
私は以前、日本人に稀薄な民族意識や祖国意識、そして秩序感覚をとり戻すのに卒業式の国歌斉唱は良き機会であるというようなことを思ったことがあるが、誤りであったと自戒している。民族意識も愛国心も秩序感覚も結構ではあるが、その以前に、もっと大切なもの、すなわち、自立した人格の形成、精神的な自由の確立、斉一的な集団行動の強制ではなく、国家や集団に絡めとられない個の確立、そして教育の場での真の感動、人間的感動というものを確認する卒業式であることこそが希ましい》

オリンピックであろうと、卒業式であろうと、国旗・国歌は個人と対峙し、個人を呑み込む。アスリートよ、国の栄光のために競うな。自分のために輝け。それこそが、真の感動ではないか。卒業式の若者よ、国歌を歌うな。自分自身の魂の詩を語れ。それこそが人間的感動を確認する手段ではないか。

国威発揚の五輪に成功したのがヒトラーだった。そのドイツ民族を主役とする大祭典は第2次大戦を準備するものでもあった。2020年東京五輪が、その亜流であってはならない。国旗国歌の氾濫する20年夏は暑苦しく息苦しい。せめて、「優勝者のための国旗掲揚で国歌の吹奏をとりやめよう」くらいの五輪であって欲しい。日の丸・君が代抜きの東京五輪であれば爽やかとなろうし、少しは涼やかな東京の夏となるだろう。
(2017年7月21日)

「憲法改正は五輪音頭の囃子に乗せて」ーアベ流改憲メッセージ

ご来場の右翼の皆様、こんにちは。「自由民主党」総裁のアベ晋三です。
本日は、5月3日の憲法記念日にちなんだ、「第19回公開憲法フォーラム」に、私のホンネをビデオメッセージとしてお届けいたします。

この集会にご参加の「民間憲法臨調」や「美しい日本の憲法をつくる国民の会」の皆様。世の中では「右翼」と蔑まれている皆様こそが私の同志、腹心の友であります。皆様方が常日頃から、打てば響くように、私の憲法改正への執念を忖度され、支えていただいていることを大変心強く感じております。また、皆様が陰に陽に、日本国憲法を論難し攻撃する言動を重ねておられることに、心からの敬意を表するとともに感謝申し上げる次第です。

私たち右翼にとって、憲法記念日とは、日本国憲法を改正して、大日本帝国憲法時代の輝かしい御代を取り戻す決意と覚悟を固める日。それがお約束ではありませんか。右翼の一端を担う自由民主党にとっても、憲法改正は立党以来の党是です。自民党結党以来の悲願でありながら、なんと70年間、この唾棄すべき日本国憲法に指一本触れることができませんでした。憲法はたった一字も変わることなく、施行70年の節目を迎えるに至りました。なんたる屈辱。なんたる国辱。歴代の総裁が受け継いでできなかった憲法改正を、このワタクシ・アベ晋三はどうしてもなし遂げたい。その決意です。

次なる70年に向かって日本がどういう国を目指すのか。今を生きる私たちは、少子高齢化、人口減少、経済再生、安全保障環境の悪化など、我が国が直面する困難な課題に対し、真正面から立ち向かい、未来への責任を果たさなければなりません。私は、そのように何度も声高に言い続けてまいりました。

正直のところ、「少子高齢化」「人口減少」「経済再生」の3点については、なぜ憲法改正の根拠となるのか、その対応策としてどのような改正が必要になるのか、実は私自身もよく分かりません。もしかしたら、憲法を変えなければ対処できないというのは、大きな嘘なのかも知れません。しかし、それでもよいのです。私は政治家で学者ではないのですから、正確なことをお話しすることが仕事ではありません。国民のみなさんが、それで良しという気分になっていただけば、万事オーライなのです。

フクシマ第1原発から、放射能の汚染水がダダ漏れなのは、日本人ならみんな知っていたこと。それでも敢えて、「完全にブロックされ、アンダーコントロールの状態にある」と平気で言ったことによって東京五輪誘致を成功させたではありませんか。あのブェノスアイレスでの発言のどこがまずかったというのでしょうか。真実よりも、結果なのです。

なんとなく世の中は変わってきた。だから、なんとなく憲法も変えた方がよいのではないだろうか。あまり深くものごとをお考えにならない多くの国民の皆様が、漠然とそう考えていただけたら、それで大成功なのです。アベ内閣の支持率も、そのようにして保たれているのですから。

「安全保障環境の悪化」はやや別です。これは、明らかに憲法九条の改正につながります。ですから、真実であろうとなかろうと、国民の意識に定着し、それによって国民世論が九条改憲を容認する仕掛けを作らなければなりません。

邪悪な近隣諸国がわが国に対する攻撃の意図をもっていると、繰りかえし繰りかえし煽ることで、実は「安全保障環境の悪化」は現実化するのです。
「中国も北朝鮮も恐いぞ、彼らはわが国を敵視している」「彼らの軍備増強はわが国への攻撃の意図あればこそだ」「だからわが国も軍備の増強を」。そういえば、相手国も、木霊のように同じことを言って、軍備の増強に精を出すことになります。これが、好循環。労せずして、九条改憲を実現する環境が調ってくるのです。

もっとも、わが国の国民の平和意識にはなかなかに強固なものがあります。一挙に、九条を全面改正して、日本を戦争ができる国にすることは容易なことではありません。そこで、ここは小手先の小細工が必要となります。国会議員の3分の2に以上の賛成を得たうえ、国民に提案して過半数の同意を獲得する現実的な提案が必要です。たとえば、こんな風に九条改正案を提案するのはどうでしょうか。

「今日、災害救助を含め、命懸けで、24時間、365日、領土、領海、領空、日本人の命を守り抜く、その任務を果たしている自衛隊の姿に対して、国民の信頼は9割を超えています。しかし、多くの憲法学者や政党の中には、自衛隊を違憲とする議論が、今なお存在しています。『自衛隊は、違憲かもしれないけれども、何かあれば、命を張って守ってくれ』というのは、あまりにも無責任です。私は、少なくとも、私たちの世代の内に、自衛隊の存在を憲法上にしっかりと位置づけ、『自衛隊が違憲かもしれない』などの議論が生まれる余地をなくすべきである、と考えます。」

このような国民への呼びかけが重要だと思うのです。自衛隊を語るには、なによりもまず真っ先に、「災害救助」を持ち出さなければなりません。「災害救助を含め、命懸けで、24時間、365日…その任務を果たしている」と言えば、あたかも「災害救助」が自衛隊の本務であるかの錯覚を呼び起こすことが期待できます。「災害救助」に真面目に取り組む自衛隊を憲法上の存在として位置づけよう。なかなかうまい作戦ではありませんか。

もちろん、ホンネは9条の1項も2項も変えたい。とりわけ、2項の「戦力不保持」は変えなければなりません。それは同志の皆様と同じ思い。しかし、ここは作戦として、「急がば回れ」でなくてはなりません。

だから、表向きにはこう言っておくのです。
「平和主義の理念については、未来に向けて、しっかりと、堅持していかなければなりません。そこで、『9条1項、2項を残しつつ、自衛隊を明文で書き込む』という考え方、これは、国民的な議論に値するのだろう、と思います。」

なんにせよ、70年間無傷という手強い憲法です。改正手続に一度でも失敗したら、半永久的に改正はできなくなります。下手をすると、逆方向の社会主義革命的な改正の機運が盛りあがって、われわれ右翼の側が「憲法を守れ」と言わざるを得ない事態にもなりかねないのです。

さてそこで、現実の問題です。右翼と自・公の与党だけでは、改憲を実現する勢力としては心もとない。そこで期待できる改憲グループとして、維新を仲間に入れる必要があります。そのためには、彼らが主張している教育無償化の問題を憲法改正のテーマとして取り上げる必要があります。

教育無償化の実現が、憲法改正を待たなければできないことであるかどうか。そんなことは、どうでもよいのです。維新の教育無償化政策をヨイショと持ち上げることで、仲間が増えるのですから、これを利用しない手はないのです。

さらに、問題は改憲の時期です。私の任期の間にやりたい。やらせていただきたい。たまたま、2020年が東京五輪の年です。ぜひとも、この年を改正された新しい憲法施行の年にしたいのです。

オリンピックと憲法。本来は何の関係もありません。でも、強引に結びつけることが大切なのです。それが政治というものなのです。問題は、時代の空気。空気だけなのです。なんとなく、国民のみんなが、そのような空気を感じ、なんとなくそのような風が吹いていると思えばそれでよいのです。

1964年の東京五輪を機に、日本は大きく生まれ変わりました。その際に得た自信が、その後、先進国へと急成長を遂げる原動力となりました。2020年にも、日本は新しく生まれ変わるのです。そのような気分になっていただき、オリンピックついでに、70年間無傷の憲法をリニューアルしようというのです。オリンピックをダシにした、憲法改正計画です。

本日は、「憲法擁護」「憲法改悪阻止」「改憲ではなく、憲法を生かせ」という、護憲派の集会が、日本中で大規模に開催されているようです。私は、行政府の長としては、憲法擁護・遵守義務を負う立場ですが、そちらの集会とはまったくの没交渉です。改憲派の皆様とだけ、親しくしたいと思います。

これを契機に、私もあらゆる権謀術数を弄して、憲法改正という歴史的使命をしっかりと果たしていく決意であることを改めて申し上げます。憲法改正に向けて、同志の皆様、ともに頑張りましょう。
(2017年5月4日・連続第1495回)

アベの「論理」ー「東京は世界有数の安全都市“だ・か・ら”、オリンピックは『共謀罪』がなければ開催できない」

「二度あることは三度ある」というが、さすがに「四度目もある」とは言わない。「仏の顔も三度まで」であって、通常四度目はない。

アベは、籠池を指して「非常にしつこい」と評し、「簡単に引き下がらない」「教育者としていかがなものか」という。が、アベのしつこさは、これに輪をかけてのもの。

政府は、「『共謀罪』こと組織犯罪処罰法改正案」を明日(3月21日)に閣議決定する方針だという。これは過去3度の廃案法案の蒸し返し。「なんとしつこい」「政治家としていかがなものか」と言わざるを得ない。

4度目の特徴は、テロ対策を金看板に押し出し、東京五輪成功のためと銘打っていることである。これで、世論を誘導しようとの思惑なのだ。昨日(3月19日)の東京新聞が、この点について真っ向からの批判記事を掲載している。その姿勢が小気味よい。

まずは一面のトップ記事。大きな見出しが、「政府の『治安対策戦略』」「テロ対策計画『共謀罪』触れず」「組織犯罪の章で言及」というもの。

これだけではやや分かりにくいが、この見出しに言葉を補えば、「政府の『治安対策戦略』を調べて見ると、《テロ対策計画》の章では『共謀罪』はまったく触れられていない。『共謀罪』に言及しているのは《組織犯罪》の章だけ」というもの。記者の言わんとするところは、「だから、政府自身の考え方が、共謀罪は《組織犯罪》とだけ関連するもので、《テロ対策》とは無関係としているのだ」「ということは、共謀罪法案提出を《テロ対策》として動機づけている政府の説明は、真っ赤な嘘ではないか」「あるいは、甚だしいご都合主義」ということになる。

リードは以下のとおり。「国連では、《国際組織犯罪》と《テロ》とは理論上区別されている」ことを意識して読むと分かり易い。

「政府はテロ対策として『共謀罪』法案が不可欠とするが、これまで策定してきた治安対策に関する行動計画では、テロ対策として『共謀罪』創設が必要との記述がないことが分かった。『共謀罪』はテロ対策とは別の組織犯罪対策でしか触れられていない。政府の行動計画を詳細にチェックすると、『共謀罪』法案がテロ対策とする政府の説明は根拠が弱いことが分かる。」

本文中に以下の指摘がある。
「政府は『共謀罪』について国際組織犯罪を取り締まるために必要と指摘してきたが、2020年東京五輪・パラリンピックの招致が決まったあとは、テロ対策に必要と指摘。『共謀罪』の呼称を「テロ等準備罪」に変更した。
だが、五輪開催決定を受けて13年12月に閣議決定した政府の治安対策に関する行動計画「『世界一安全な日本』創造戦略」では、東京五輪を見据えたテロ対策を取り上げた章に『共謀罪』創設の必要性を明確に記した文言はない。
この戦略で『共謀罪』は「国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約締結のための法整備」として、国際組織犯罪対策を取り上げた別の章に記されている。例えばマネーロンダリング(資金洗浄)は組織犯罪対策とテロ対策の二つの章に記述があるが、『共謀罪』を示す法整備が登場するのは組織犯罪対策の章だけだ。」

誰が見ても、「テロ対策を前面に打ち出したのは今回が初めてで、世論を意識した後付けの目的にすぎない」というべきなのだ。東京新聞は、品がよいからこの程度だが、私に言わせれば、「共謀罪はテロ対策に必要」という政府の説明は真っ赤な嘘と言ってよい。

さらに2面に、追い打ちをかける記事が載っている。いまはやりの「ファクトチェック」という趣向。見出しは、「首相の招致演説『ファクトチェック』」「東京は世界有数の安全都市⇒五輪『共謀罪』ないと開けぬ」

これは上手だ。見出しだけで、我が国の首相が嘘つきであることが、よく分かる。

「安倍晋三首相は世論の理解を得ようとテロの脅威を訴え、2020年東京五輪・パラリンピック開催には、(『共謀罪』の成立が)不可欠と主張しているが、3年半前の五輪招致演説では東京の安全性をアピールしていた。本紙の担当記者があらためて招致演説を「ファクトチェック」したところ、数々の疑問が浮かんだ。」
以上の問題意識から、ごく短い「アベ五輪招致演説」の4個所を、東京新聞の「共謀罪担当」、「原発取材班」、「東京五輪担当」記者がチェックしている。こんな短い文章中の4個所。中身は、ほとんど全部ウソと誇張であるといってよい。次のようにである。

ファクトチェック(1)
「首相は今国会で、『共謀罪』法案について「国内法を整備し、国際組織犯罪防止条約を締結できなければ東京五輪・パラリンピックを開けないと言っても過言ではない」「法的制度の中にテロを防ぎ得ない穴があれば、おもてなしとして不十分だ」と強調している。

ところが、首相は13年9月、ブエノスアイレスでの国際オリンピック委員会(IOC)総会で、東京は「20年を迎えても世界有数の安全な都市」と強調して招致に成功した。同法案が成立しなければ五輪は開けないという今の主張とは大きな差がある。」

ファクトチェック(2)
「首相の五輪招致演説といえば、東京電力福島第一原発事故について「状況は、統御されています」と訴えたことで有名。実際には汚染水の流出が続いていたため「根拠がない発言」と批判された。今でも、汚染水は増え続け、溶け落ちた核燃料の状況もほとんど確認できていない。」

ファクトチェック(3)(4)
「これだけではない。演説で首相は「ほかの、どんな競技場とも似ていない真新しいスタジアム」と「確かな財政措置」が、確実に実行されるとも訴えた。
現実には、演説時に決まっていた女性建築家のデザインは迷走の末、白紙撤回。

大会開催費も、当初を大幅に上回る最大1兆8千億円との試算が出て、分担を巡る話し合いが続いており、財政措置が裏付けられているとは言いがたい。」

なお、同日の東京新聞は、一面に、「辺野古反対派リーダー保釈」というキャプションで、支援者と抱き合って喜ぶ山城博治さんの写真を掲げた。よい写真だ。また、社会面トップで「抗議中に逮捕 山城議長」「拘束5カ月、保釈」「『不当な弾圧だった』」の記事を掲載した。「不当な弾圧だった」という山城さんの記者会見の批判を見出しに使った、その姿勢や大いに良しというべきである。だれがどう見ても、不当に長期の勾留。批判は当然なのだから。山城さんと支援の方々に心からの敬意を表し、声援を送る。
(2017年3月20日)

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