澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

伊藤詩織・大坂なおみ両氏の、この社会での飛び抜けた影響力。

(2020年9月24日)
米誌タイムは、例年「世界で最も影響力のある100人」を選出して発表している。「パイオニア(Pioneer)」「Artists(アーティスト)」「Leaders(リーダー)」「Titans(巨人)」「Icons(アイコン)」の5カテゴリーに分けてのこと。

昨日(9月23日)今年の「100人」が発表になった。日本からは、2人の女性が選出されている。自らの性暴力被害を公表しているジャーナリスト伊藤詩織さんと、人種差別反対を訴えているテニスプレーヤーの大坂なおみさんである。伊藤さんについては「勇気ある告発」で日本人女性の在り方を大きく変えたと評価され、大坂さんについては、全米オープンの場で人種差別に抗議、スポーツの領域を超えた存在感を示したと紹介されている。

伊藤さんの選評は、社会学者の上野千鶴子さんが執筆しているという。伊藤さんの告発を機に、日本でほかの女性もセクハラ被害に声を上げるようになったことなどを紹介し、「勇気ある告発で、日本人女性の生き方を永遠に変えた」などとした。

この2人が、今の日本で「最も影響力のある人物」という、タイムの見識に敬意を表さねばならない。今年は、アベ晋三やスガ義偉を選ばず、小池百合子や吉村洋文も、そしてトヨタやホンダの経営者も無視したセンスに肯かざるを得ない。

タイム誌のフェルセンタールCEO兼編集長は「(コロナ禍や反人種差別デモで)6カ月前には考えられない顔ぶれになった。政府首脳ら伝統的な権力者だけではなく、あまり知られていないが素晴らしい人たちも多く含まれている」と述べたという。なるほど、そのとおりとなっている。

さて、伊藤詩織さんである。上野千鶴子さんの選評は、「彼女は性被害を勇敢にも告発することで、日本人女性たちに変化をもたらしました」と評価。「彼女は日本の女性たちにも#MeToo運動に加わることを後押しし、全国の女性たちが花を持って集まり、性被害の経験について語ることで、性暴力に抗議するフラワーデモにも火をつけました」とのこと。

彼女は2017年、山口敬之・元TBS記者から性行為を強要されたことを記者会見で公表した。この件は、刑事事件としては嫌疑不十分で不起訴となり、検察審査会でも「不起訴相当」と判断された。山口敬之と官邸との親密な関係から、この不起訴にまつわる濃厚な疑惑を払拭できない。

その後、伊藤さんは山口を相手に民事訴訟を提起し、2019年12月の一審・東京地裁で勝訴判決を得た。この判決は、「合意のないまま本件行為に及んだ事実」などが認められるとして不法行為の成立を認定している。また、いわゆる「セカンドレイプ」に当たる誹謗中傷表現について、漫画家のはすみとしこや議員の杉田水脈らの責任を追及して損害賠償を求める訴訟を起こしてもいる。

彼女は今回の発表の後、「私の中ではまだまだ変えていくべきところの途中にいると思っています。選ばれたことを見たとき、確実な一歩が踏めたんだなという気持ちになりました」と話したという。

彼女が選出されたカテゴリーは、「パイオニア(Pioneer)」部門であるという。彼女は、その行動によって日本のジェンダー意識を変えた。ジェンダー文化を変革したと言ってもよいかも知れない。まさしく「パイオニア(先駆者)」なのだ。このジェンダー不平等社会を代表する山口敬之や、官邸まで繋がる一連の人脈の男性たち。そして、はすみとしこや杉田水脈ら、多くの野卑な女性たち。こういう人たちの存在の中での、泣き寝入りを拒絶した勇気ある行動が、彼女を「パイオニア(先駆者)」たらしめているのだ。

そして、大坂なおみさんである。こちらは2年連続の選出だが、今年の重みは昨年の比ではない。彼女は、アメリカで広がっている警官による黒人への暴行に抗議する「Black Lives Matter」の主張に賛同して、2020年全米オープンでは、犠牲になった黒人の名前をプリントしたマスクを7着を用意して試合に望み、全7試合に勝利した。

彼女には、「スポーツの場に政治を持ち込むな」「スポーツと政治は混同させるべきではない」という、非難が浴びせられる。だが、このような、ネトウヨ諸君からの誹謗や中傷あればこそ、輝きを増す勇気ある行為であり褒むべき影響力なのだ。

「スポーツの場に政治を持ち込む」とはいったいどんなことなのか、「Black Lives Matter」は「政治」なのか、それがなぜ非難されるべきことなのか、非難する者からの説明は一切ない。

大阪さん自身は、「アスリートは政治に関与してはいけない、ただ人を楽しませるべきだと言われることが嫌いです」とはっきりと表明し、「第一に、これは人権の問題です。第二に、なぜ私よりもあなたの方がこの問題について『話す権利』があると言えるのでしょうか? その論理だと、例えばIKEAで働いていたら、IKEAの “グローンリード”(ソファのシリーズ)のことしか話せなくなりますよ」と小気味よく反論している。

報道されている中で、「天気やランチの話をするように、人権について話をすべき」という賛同のコメントが、素晴らしい。

彼女も、日本女性やアスリートの文化を変えた。自分の信念を堂々と表現してよいのだ。とりわけ、人権について、差別についての、見て見ぬふりの沈黙はむしろ『裏切り』でさえある。彼女の発言は、まことに爽やかである。確かに、影響力は大きい。

「2020東京オリパラ」と「東京都ヘイト規制条例」

日朝協会の機関誌「日本と朝鮮」の2月1日号が届いた。全国版と東京版の両者。どちらもなかなかの充実した内容である。政府間の関係が不正常である今日、市民団体の親韓国・親朝鮮の運動の役割が重要なのだ。機関誌はこれに応える内容となっている。

その東京版に私の寄稿がある。これを転載させていただく。内容は「東京都ヘイト規制条例」にちなむものだが、「2020東京オリパラ」にも関係するもの。なお、オリンピック開会は、猛暑のさなかの7月24日である。その直前7月5日が東京都知事選挙の投票日となった。ぜひとも、都知事を交代させて、少しはマシなイベントにしたい。

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東京都ヘイト規制条例の誕生と現状

 2020年東京の新年は、オリンピック・パラリンピックで浮き足立っている。オリパラをカネ儲けのタネにしたい、あるいは政治的に利用したいという不愉快な思惑があふれかえった新春。あの愚物の総理大臣が「2020年東京オリンピックの年に憲法改正の施行を」と表明したその年の始めなのだ。

オリンピックには、国威発揚と商業主義跋扈の負のイメージが強い。国民統合とナショナリズム喚起の最大限活用のイベントだが、言うまでもなく、国民統合は排他性と一対をなし、ナショナリズムは排外主義を伴う。内には「日の丸」を打ち振り、外には差別の舞台なのだ。

もっとも、オリンピックの理念そのものは薄汚いものではない。オリンピック憲章に「オリンピズムの根本原則」という節があり、その1項目に、「このオリンピック憲章の定める権利および自由は、人種、肌の色、性別、性的指向、言語、宗教、政治的またはその他の意見、国あるいは社会的な出身、財産、出自やその他の身分などの理由による、いかなる種類の差別も受けることなく、確実に享受されなければならない」とある。

これを承けて、東京都はオリンピック開催都市として、「オリンピック憲章にうたわれる人権尊重の理念の実現を目指す条例」を制定した。これが、「東京都ヘイト規制条例」と呼ばれるもので、昨年(19年)4月に施行されている。

その柱は2本ある。「多様な性の理解の推進」(第2章)と、「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進」(第3章)。性的マイノリティーに対する差別解消も、ヘイトスピーチ解消への取り組みも、都道府県レベルでは、初めての条例であるという。しかし、極めて実効性に乏しい規制内容と言わざるを得ない。

オリンピックとは、これ以上はない壮大なホンネ(商業主義・国威発揚)タテマエ(人類愛・国際協調)乖離の催しである。都条例は、タテマエに合わせて最低限の「差別解消」の目標を条例化したのだ。しかしこの条例には、具体的な「在日差別禁止」条項はない。「ヘイトスピーチ違法」を規定する条文すらない。また、「在日」以外の外国人に対する差別については、「様々な人権に関する不当な差別を許さないことを改めてここに明らかにする」と述べられた一般理念の中に埋もれてしまっている。もちろん、罰則規定などはない。

オリンピック開催都市として、東京都の人権問題への取り組みをアピールするだけの条例制定となっている感があるが、それでも自民党はこれに賛成しなかった。「集会や表現の自由を制限することになりかねない」という,なんともご立派な理由からである。

条例のヘイトスピーチ対策は、「不当な差別的言動を解消するための啓発の推進」「不当な差別的言動が行われることを防止するための公の施設の利用制限」「不当な差別的言動の拡散防止するための措置」「当該表現活動の概要等を公表」にとどまる。

それでも、東京都は同条例に基づいて、10月16日に2件、12月9日に1件の下記「公表」を行った。

(1)5月20日、練馬区内での拡声器を使用した街頭宣伝における「朝鮮人を東京湾に叩き込め」「朝鮮人を日本から叩き出せ、叩き殺せ」の言動
(2)6月16日、東京都台東区内でのデモ行進における「朝鮮人を叩き出せ」の言動
(3)9月15日、墨田区内でのデモ行進における「百害あって一利なし。反日在日朝鮮人はいますぐ韓国に帰りなさい」「犯罪朝鮮人は日本から出ていけ」「日本に嫌がらせの限りを続ける朝鮮人を日本から叩き出せ」の言動

 公表内容はこれだけである。この言動を「本邦外出身者に対する不当な差別的言動に該当する表現活動」であると判断はしたものの、街宣活動の主催者名の公表もしていない。

問題はこれからである。タテマエから生まれたにせよ、東京都ヘイトスピーチ条例が動き出した。これを真に有効なものとしての活用の努力が必要となろう。東京都や同条例に基づいて設置された有識者による「審査会」の監視や激励が課題となっている。また、ヘイトスピーチ解消の効果が上がらなければ、条例の改正も考えなければならない。

オリパラの成功よりも、差別を解消した首都の実現こそが、遙かに重要な課題なのだから。

(2020年2月3日・連続更新2499日)

「伊藤詩織・#MeToo訴訟」の反訴はスラップだ

伊藤詩織さんの山口敬之に対する損害賠償請求訴訟。昨日(12月18日)、よい判決となった。公にしにくい性被害の不当を訴えて声を上げた、伊藤さんの勇気と正義感に敬意を表したい。
被害者は私憤で立ち上がるが、行動を持続するには,私憤を公憤に昇華させなければならない。でなければ社会の支持を得られないからだ。はらずも、伊藤さんの行動はそのお手本になった。
被害者伊藤さんの支援の人びとのピュアな雰囲気と、加害者側の応援団の臭気芬々との対比が一興である。この醜悪な山口応援団の面々を見れば、その背後に安倍晋三ありきという指摘にも頷かざるを得ない。応援団に誰が加わっているのか、その面子というものは、ものを言わずともそれ自体で多くを語るものなのだ。

私は、判決全文を読んでいない。裁判所が作成した「要旨」を読む限りだが、客観状況に照らして、被告山口のレイプは明白で、十分に刑事事件としての起訴と公判維持に耐え得る案件だと思われる。何ゆえ山口が不起訴になったのか、その背後に官邸の指示や要請はなかったのか。あらためて、本格ジャーナリズムの切り込みを期待したい。

ところで、私の格別の関心は、この事件の「反訴」にある。
伊藤さんが、慰謝料など1100万円の損害賠償を求めて東京地裁に提訴したのが、2017年9月。被告山口は、今年(2019年)2月に反訴を提起した。
この反訴は、「(伊藤が)山口の行為をレイプと社会に公表することで、(山口の)名誉が毀損された」とする損害賠償請求訴訟。その慰謝料請求額が1億3000万円という高額で話題となった。

これは、スラップの一種である。訴訟という舞台での高額損害賠償請求をもって、原告を恫喝しているのだ。伊藤さんと同じ立場で訴訟を企図する性被害者たちの提訴萎縮効果をも招くものとなっている。

こういう非常識な反訴提起という訴訟戦術には、代理人弁護士の個性が大きく関与している。この弁護士は、愛知県弁護士会に所属する北口雅章弁護士。実はこの人、自身のブログに、伊藤さんの訴えについて「裁判に提出されている証拠に照らせば、全くの虚偽・虚構・妄想」と記載。被害の様子をつづった伊藤さんの手記の出版は「(山口の)名誉・社会的信用を著しく毀損する犯罪的行為」と書き込んでアップした。このブログは今は消去されて読めないが、弁護士としての品位を欠くものとして、懲戒手続が進行している。

懲戒請求は、まず綱紀委員会で審査される。ここで、懲戒審査相当の議決あって始めて懲戒委員会が審査を開始する。

愛知県弁護士会の綱紀委員会は、本年(2019年)9月12日、当該ブログの内容は、伊藤さんの名誉感情を害し、人格権を侵害するものと認定し、「過度に侮蔑的侮辱的な表現を頻繁に交えながら具体的詳細に述べ、一般に公表する行為は、弁護士としての品位を失うべき非行に該当すると判断した」と報じられている。

被懲戒者側は、「虚偽の事実の宣伝広告によって山口の名誉が毀損されていることに対する正当防衛」と主張したが、綱紀委員会は一蹴している。北口は、この議決を受けてブログ記事を削除している。もちろん、それでも懲戒委員会の審査が進行中である。

私は愛知県弁護士会が同弁護士に対して厳しい懲戒処分をするよう期待する。スラップ訴訟提起の不当・違法は明らかで、これを主導する弁護士には、制裁あってしかるべきなのだ。私は、「スラップやった弁護士は懲戒」の定着を望ましいと思っている。厳密には、本件は「代理人となってスラップを主導したから懲戒」という事案ではない。「スラップの主張を、ブログでも品位を欠く態様で公表したから懲戒」なのだ。しかし、本件は望ましい懲戒への、栄光ある第1歩の案件となるやも知れない。

さて、当然のことながら、山口からのこの反訴請求は全部棄却された。「判決要旨」は、まことに素っ気なく、次のようにまとめている。

【(原告伊藤の)被告(山口)に対する不法行為の構成】
 原告(伊藤)は自らの体験・経緯を明らかにし、広く社会で議論することが、性犯罪の被害者を取り巻く法的・社会的状況の改善につながるとして公表に及んだ。
 公共の利害にかかわる事実につき、専ら公益を図る目的で表現されたものと認めるのが相当であること、その摘示する事実は真実であると認められることからすると、公表は名誉毀損による不法行為を構成しない。プライバシー侵害による不法行為も構成しない。

 なお、1億3000万円の反訴提起に必要な印紙額は41万円。山口が本件判決を不服として控訴するとなれば、訴額は本訴反訴合計で1億3330万円。必要な印紙額は63万3000円となる。もちろん、弁護士費用は別途必要となる。庶民には大金だが、稼いでいる記者には大したものではないのかも知れない。
(2019年12月19日)

大相撲 牛に寄られて あとがない

闘牛も女人禁制とは知らなかった。毎日新聞によれば、新潟県長岡市の「山古志牛の角突き」(闘牛)、「闘牛場の土俵は、角突き前に酒と塩で清めた時から女人禁制とされていた」という。この「女人禁制」がなくなった。

角突きを終えた牛の健闘を称えるため、オーナーが自分の牛を闘牛場を周回するのが「牛の引き回し」。しかし、清めた土俵に女性オーナーは立つことができない。この「伝統」に、一人の女性オーナーが異議の声を上げ、主催者である山古志闘牛会が真摯に耳を傾けた。

昨日(5月4日)、「松井富栄会長が会員らに解禁を提案。大きな拍手で承認された。松井会長は『山古志の角突きは牛を大事にする。男性でも女性でも牛を大切にしてくれる人たちと、角突きという習俗をこれからも育てていきたい』と話した。」と報じられている。

この「山古志牛の角突き」は、国の重要無形民俗文化財に指定されているものという。その角突きの土俵で、さっそく女性による「牛の引き回し」が実現した。地元紙も好意的に報道している。

ところで、牛ならぬ本家の大相撲の方は、こんなにスッキリとは行かない。公益財団法人日本相撲協会が、ホームページに「女性差別問題」に関する釈明の理事長談話を掲載した。「協会からのお知らせ」と題するもので、先月(4月)28日付である。
http://www.sumo.or.jp/IrohaKyokaiInformation/detail?id=268

大要は、
(1)「舞鶴市での不適切な対応について」謝罪し、
(2)「宝塚市長に土俵下からのあいさつをお願いしたことについて」釈明し、
(3)「ちびっこ相撲で女子の参加のご遠慮をお願いしたことについて」再検討する、
というもの。

とにもかくにも、ダンマリを決めこまず、説明責任を果たそうという姿勢には好感が持てる。今後も続けて協会の考え方を外部に発信していただきたい。オールド相撲ファンの一人として、そう思う。

とはいうものの、この理事長釈明の説得力は極めて弱い。全編「女性差別の意図はないことにご理解を」という趣旨だが理解は難しい。客観的に差別していることが明らかなのに、その合理性について納得させるものとなっていないからだ。もしかしたら、理事長自身が形だけの抵抗をしてみせて、世論に圧された形で性差別を払拭したいと考えているのかも知れない。そんな深謀遠慮さえ感じさせる内容なのだ。

協会は、まずこういう。

?(1)舞鶴市での不適切な対応について
?京都府舞鶴市で行った巡業では、救命のため客席から駆けつけてくださった看護師の方をはじめ女性の方々に向けて、行司が大変不適切な場内アナウンスを繰り返しました。改めて深くおわび申し上げます。

しかし、こうも言うのだ。

?大相撲は、女性を土俵に上げないことを伝統としてきましたが、緊急時、非常時は例外です。人の命にかかわる状況は例外中の例外です。不適切なアナウンスをしたのは若い行司でした。命にかかわる状況で的確な対応ができなかったのは、私はじめ日本相撲協会幹部の日ごろの指導が足りていなかったせいです。深く反省しております。

これでは、「緊急時、非常時、人の命にかかわる状況などの例外」の場合には、女性を土俵に上げてもやむを得ないが、それ以外では「女性を土俵に上げない伝統を守る」という、伝統墨守宣言と読まざるを得ない。女性差別に関する根本的な考察も反省もまったくなされていない。

また協会はこう言う。

(2)宝塚市長に土俵下からのあいさつをお願いしたことについて
?兵庫県宝塚市で行った巡業では、宝塚市の中川智子市長に、土俵下に設けたお立ち台からのあいさつをお願いしました。市長にご不快な思いをさせ、誠に申し訳なく恐縮しております。

そして、これに続けてこう言っている。

??? あいさつや表彰などのセレモニーでも、女性を土俵に上げない伝統の例外にしないのはなぜなのか、協会が公益財団法人となった今、私どもには、その理由を改めて説明する責任があると考えます。

自らの説明責任を認めていることは、立派な姿勢と言わねばならない。また、問題を「あいさつや表彰などのセレモニーでも、女性を土俵に上げない」ことと絞っているのも、そのとおりだ。女性を力士として登録させないことや、男性力士と同じく、女性力士を認めよとなどというレベルでの女性差別を問題にしているのではない。当面問題になっているのは「あいさつや表彰などのセレモニー」での性差別だけなのだ。

協会は「セレモニーで女性を土俵に上げない」理由を3点挙げている。
 第1に、相撲はもともと神事を起源としていること、
 第2に、大相撲の伝統文化を守りたいこと、
 第3に、大相撲の土俵は男が上がる神聖な戦いの場、鍛錬の場であること。

これだけでは分からない。もっと詳しい説明があるだろうと思って次を読むことになるのだが、理解は容易でない。

まず第1の「神事起源」説。協会自らがこう言っている。

「『神事』という言葉は神道を思い起こさせます。そのため、『協会は女性を不浄とみていた神道の昔の考え方を女人禁制の根拠としている』といった解釈が語られることがありますが、これは誤解であります。」

ここで語られていることは、「神道は女性を不浄としているが、協会も同じ考え方というのは誤解だ」という弁明だけ。相撲が神事であることが、なにゆえ「セレモニーにおいても女性を土俵に上げてはならないという理由になっているのか」その説明として語られているところはない。

さらに続けて、協会はこう言う。

「大相撲にとっての神事とは、農作物の豊作を願い感謝するといった、素朴な庶民信仰であって習俗に近いものです。大相撲の土俵では『土俵祭(神様をお迎えする儀式)、神送りの儀』など神道式祈願を執り行っています。しかし、力士や親方ら協会員は当然のことながら信教に関して自由であり、協会は宗教におおらかであると思います。歴代の理事長や理事が神事を持ち出しながらも女性差別の意図を一貫して強く否定してきたのは、こうした背景があったからです。」

ここで強調されているのは、「相撲協会は信教の自由を尊重し、神道や神事を力士や親方らに押しつけることはしていない」ということ。してみると、第1の「女性差別神事起源説」は、差別合理化の根拠としては主張されていないということのようだ。

第2の「女性差別伝統文化」説は、「これまでそのような理由が語られていた」というだけで、現在もこれを固執するとはされていないし、その内容の説明もない。

これに較べて、第3の「土俵は力士らにとっては男が上がる神聖な戦いの場、鍛錬の場」説」には紙幅がとられている。が、まったく女性を土俵に乗せない理由の説明にはなっていない。もう一度確認しておこう、問題は「あいさつや表彰などのセレモニー」での性差別である。戦いの真っ最中に、あるいは鍛錬に精進しているときに、「戦いや鍛錬に無関係な者の闖入はならない」というのなら、論理としては分かる。しかし、「戦いは終わり、鍛錬も行われていない場」としてのセレモニーとしての土俵である。男性であれば、老人でも、子どもでも、外国人でも、また相撲界とは無関係な知事や市長や議員も土俵に上がって差し支えないのに、女性は一切お断りという理由の説明にはなっていない。

協会の説明は、「多くの親方たちの胸の中心にあったのは、第3の『神聖な戦い、鍛錬の場』という思いではなかったかと思います。」という言い回しで、第3説を「『神聖な戦い、鍛錬の場』という思い」と言い直している。

しかし文面からは、「戦いの場、鍛錬の場」としての土俵に意味はなく、むしろ「男が上がる神聖な」土俵に意味あるとしか理解しようがない。結局は、「男がだけが上がるべき神聖な」場としての土俵に、女性は上がる資格をもたないと言っているのだ。

??? 昭和53年5月に、当時の労働省の森山真弓・婦人少年局長からこの問題について尋ねられた伊勢ノ海理事(柏戸)は、「けっして女性差別ではありません。そう受け取られているとしたら大変な誤解です。土俵は力士にとって神聖な闘いの場、鍛錬の場。力士は裸にまわしを締めて土俵に上がる。そういう大相撲の力士には男しかなれない。大相撲の土俵には男しか上がることがなかった。そうした大相撲の伝統を守りたいのです」と説明いたしました。

こんな説明で、あの森山真弓が納得したはずはない。セレモニーでも、女性が土俵に上がれない理由の説明にはなっていないからだ。伊勢ノ海が言っているのは、「大相撲の土俵には男しか上がることがなかった。そうした大相撲の伝統を守りたい」と言っているだけなのだ。繰り返すが、子どもでも、年寄りでも、外国人でも、議員でも市長でも、男性なら土俵に上ってけっこう。同じ年齢、職業、立場でも、女性はお断り。これが差別でなくてなんであろうか。

伊勢ノ海理事(柏戸)やその亜流には、こう言わなくてはならない。「あなたの考え方が女性差別そのものなのです。もし、そうでないと本気でお考えなら、それこそが大変な誤解なのです。考えを改めてもらわねばなりません。神聖な場所には、女性は立ち入り禁止というその考え方をです」

また、内閣官房長官となった森山真弓に、出羽海(佐田の山)はこう言ったという。

「女性が不浄だなんて思ってもいません。土俵は力士が命をかける場所ということです」

これも、通らない理屈だ。「力士が命をかける場所」だから、男性の立ち入りは差し支えないが女性はダメだというのだ。現役時代の柏戸も佐田の山も、私は好きな力士だったが、およそものを考えての発言だとは思えない。伝統・文化・慣わしという実体のないものに寄りかかろうとしているだけなのだ。

現理事長(八角)は、「土俵は男が必死に戦う場であるという約束ごとは力士たちにとっては当たり前のことになっており、その結果として、土俵は男だけの世界であり、女性が土俵に上がることはないという慣わしが受け継がれてきたように思います。」と自信なさげに結論めいたことを言っている。「必死に闘う場としての土俵は男だけの世界」という「慣わし」を容認しているのだ。

但し、理事長は、「この問題につきましては、私どもに時間を与えていただきたくお願い申し上げます。」「外部の方々のご意見をうかがうなどして検討したいと考えます。」と再検討の含みを残している。この柔軟な姿勢に期待したいと思う。

(3)ちびっこ相撲で女子の参加のご遠慮をお願いしたことについて
宝塚市、静岡市などの巡業で、ちびっこ相撲への女子の参加をご遠慮いただくようお願いいたしました。これは、女児の顔面に怪我あることなどを慮り、「また高学年の女子が相手になると、どう体をぶつけていいのかわからないと戸惑う声もあった」から。「けがをしない安全なちびっこ相撲を考えて、再開をめざします。合わせて、女子の参加についても再検討いたします。」という。

これも、再考の結果を期待したいと思う。

私は、物心ついたころからの相撲フアンである。伝統の四本柱を取り去り、尺貫法をメートル法に切り替え、物言いにビデオ判定を取り入れ、外国人力士を平等に扱うなどの改革を見てきた。伝統なんて乗り越えて振り返ればたいしたものではない。山古志村闘牛会は容易に乗り越えたではないか。今どき、「女人禁制」とか、「神聖な男の世界」などとは、感覚がずれているとしか思えない。

相撲協会に比較して、山古志村闘牛会の方が、はるかに鋭く時代の空気を読んでいる。セクハラ問題が政治と社会を揺るがしている今、相撲協会の対応の遅滞は、致命傷になりかねない。

もし女人禁制を続けるのなら、「公益財団」を返上して、純粋に私的な興行団体となればよい。そうなれば、社会もそのように遇するだろう。大相撲、徳俵に足がかかっている。もう、あとがない。
(2018年5月5日)

「無知と無神経と無理解」だけでなく、「無恥・無体・不作法・無分別に無為無策」

長く佐川宣寿が占めていた「時の人」のトップの座。柳瀬唯夫が佐川を襲ってしばらくはその位置を占めていたが、ここ数日福田淳一に一気に抜かれて、その座を明け渡している。いま、財務事務次官・福田淳一こそは、その言動に国民の耳目を集める「ミスター・セクハラ」であり、まごうかたなき「THE時の人」である。

財務省は、旧大蔵省以来「省の中の省」「官僚機構中の官僚機構」である。その次官といえば「官僚の中の官僚」にほかならない。その現役トップ官僚のセクハラは、現代日本社会の一断面を雄弁に物語っている。注目すべきは、「次官のセクハラ」のみならず、日本官僚機構のセクハラ告発に対する対応のありかたである。麻生という愚かな大臣が対応を誤ったなどと問題を矮小化してはならない。日本の官僚機構の、あるいは日本政府の体質が露わになっている。これこそが、素の姿なのだ。

2004年に公益通報者保護法が成立したとき、その不十分さを指弾しつつも、私はその法の制定を深い意義あるものとして歓迎した。今の社会に生きる人は、国家と対峙しているだけではない。企業や、官庁や、あるいは地域や家庭にも縛られている。個人の独立は、国家による支配を排除するだけでなく、中間組織からの、とりわけ企業や官庁からの支配を脱することなしには達成し得ない。

個人は、国家と対峙するだけでなく、常に所属する中間組織との緊張関係の中にある。個人が組織の不正義を認識して是正の行動を起こしたとき、あるいは個人が組織から権利の侵害を受けたときには、個人が組織に押し潰される理不尽を防ぐための法のサポートが不可欠なのだ。これは、社会の正義の総和を増大させるためという功利的な問題であるよりは、個人の尊厳という根源的な価値を守るためなのだ。

公益通報者保護法の制定は、そのような問題意識と議論が獲得した小さな成果であり、大きな課題への出発点であった。この問題意識は、すべての弱い個人が強大な組織と向き合うすべての場合に敷衍して考えられる。

今回財務省トップ官僚による省外の女性に対する人権侵害の疑いが生じた。組織は、組織内に人権侵害や不正義があった場合には、これを隠蔽することなく、加害事実を徹底して明らかにしなければならない。強者の不正義こそが、徹底して糺弾されなくてはならないのだ。

このところ、このように考えてはいたものの、私の出番ではないだろうと思っていた。ところが、昨日(4月19日)の赤旗に掲載された角田由紀子さんの談話に、いささかのショックを受けた。

角田さんは、人も知るこの分野での大御所。その人の談話のタイトルが、「無知と無神経と無理解」というのだ。角田さんの指摘の「無知」については、実は私も大同小異。すると、「無神経と無理解」にも該当するのかも知れない。

談話の冒頭は次のとおりである。
「財務省の調査方法には、同省のセクハラ対応への無知と無神経と無理解が現れています。公務員のセクハラ対応については、均等法がセクハラ指針を設けた後の1999年4月から「人事院規則10?10」が実施されており、これに従って処理されています。これは男女雇用機会均等法に基づくものよりも厳しい内容です。この運用についての最終改正は2016年12月1日となっています。これによれば、この規則は、今回の記者のように職員が職員以外の者を不快にさせたときにも適用されます。同規則は、人事院の責務として、各省庁の長がセクハラ防止等のために実施する措置等に関する指導、助言等を行うことを定めており、各省庁の長の責務の内容も具体的に定めています。」

国家公務員の服務規程として、人事院規則が定められていることは常識に属するが、その具体的内容についてはほとんど知らない。セクハラ防止規定として、「男女雇用機会均等法に基づくものよりも厳しい」とは初めて知った。この「人事院規則10?10」を末尾に掲載しておくことにする。そして、実に詳細に規定されたその運用通達の全文も。

私は断言する。麻生も、福田も、この規則や通達を読んだことは、一度たりともないはずだ。

角田さんの談話は、次のように続く。

麻生財務大臣や福田淳一事務次官の人ごとのような弁明からすれば、財務省では、人事院規則が無視されていたのではないかと疑われます。財務省は上から下まで、本気でセクハラ防止に取り組んできていたのでしょうか。高級公務員への疑惑は、この国の政府はセクハラ根絶にどの程度本気であったのかとの疑問を生みます。「女性活躍」のリップサービスの前に、女性の人権確立のためにやるべきことが山積しています。
多くの女性たちの抗議の声は、刻々と集まるネット署名「セクハラ告発の女性に名乗り出ることを求める調査方法を撤回してください!!」に渦巻いています。

法は、弱い立場の者のためにある。組織に比して、個人は弱い。男性に比して女性は弱い。財務省という「官庁の中の官庁」に対峙する女性個人の人権をどう守れるか。法の実効性が問われている。同時に日本の社会の質が、文明の程度が問われてもいる。
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人事院規則10?10(セクシュアル・ハラスメントの防止等)

第1条(趣旨) この規則は、人事行政の公正の確保、職員の利益の保護及び職員の能率の発揮を目的として、セクシュアル・ハラスメントの防止及び排除のための措置並びにセクシュアル・ハラスメントに起因する問題が生じた場合に適切に対応するための措置に関し、必要な事項を定めるものとする。

第2条(定義)この規則において、次の各号に掲げる用語の意義は、当該各号に定めるところによる。
一 セクシュアル・ハラスメント他の者を不快にさせる職場における性的な言動及び職員が他の職員を不快にさせる職場外における性的な言動
二 セクシュアル・ハラスメントに起因する問題セクシュアル・ハラスメントのため職員の勤務環境が害されること及びセクシュアル・ハラスメントへの対応に起因して職員がその勤務条件につき不利益を受けること

第3条(人事院の責務) 人事院は、セクシュアル・ハラスメントの防止等に関する施策についての企画立案を行うとともに、各省各庁の長がセクシュアル・ハラスメントの防止等のために実施する措置に関する調整、指導及び助言に当たらなければならない。

第4条(各省各庁の長の責務) 各省各庁の長は、職員がその能率を充分に発揮できるような勤務環境を確保するため、セクシュアル・ハラスメントの防止及び排除に関し、必要な措置を講ずるとともに、セクシュアル・ハラスメントに起因する問題が生じた場合においては、必要な措置を迅速かつ適切に講じなければならない。この場合において、セクシュアル・ハラスメントに対する苦情の申出、当該苦情等に係る調査への協力その他セクシュアル・ハラスメントに対する職員の対応に起因して当該職員が職場において不利益を受けることがないようにしなければならない。

第5条(職員の責務) 職員は、次条第1項の指針の定めるところに従い、セクシュアル・ハラスメントをしないように注意しなければならない。
2 職員を監督する地位にある者(以下「監督者」という。)は、良好な勤務環境を確保するため、日常の執務を通じた指導等によりセクシュアル・ハラスメントの防止及び排除に努めるとともに、セクシュアル・ハラスメントに起因する問題が生じた場合には、迅速かつ適切に対処しなければならない。

第6条(職員に対する指針) 人事院は、セクシュアル・ハラスメントをしないようにするために職員が認識すべき事項及びセクシュアル・ハラスメントに起因する問題が生じた場合において職員に望まれる対応等について、指針を定めるものとする。
2 各省各庁の長は、職員に対し、前項の指針の周知徹底を図らなければならない。

第7条(研修等) 各省各庁の長は、セクシュアル・ハラスメントの防止等を図るため、職員に対し、必要な研修等を実施しなければならない。
2 各省各庁の長は、新たに職員となった者に対し、セクシュアル・ハラスメントに関する基本的な事項について理解させるため、及び新たに監督者となった職員に対し、セクシュアル・ハラスメントの防止等に関しその求められる役割について理解させるために、研修を実施するものとする。
3 人事院は、各省各庁の長が前二項の規定により実施する研修等の調整及び指導に当たるとともに、自ら実施することが適当と認められるセクシュアル・ハラスメントの防止等のための研修について計画を立て、その実施に努めるものとする。

第8条(苦情相談への対応) 各省各庁の長は、人事院の定めるところにより、セクシュアル・ハラスメントに関する苦情の申出及び相談(以下「苦情相談」という。)が職員からなされた場合に対応するため、苦情相談を受ける職員(以下「相談員」という。)を配置し、相談員が苦情相談を受ける日時及び場所を指定する等必要な体制を整備しなければならない。この場合において、各省各庁の長は、苦情相談を受ける体制を職員に対して明示するものとする。
2 相談員は、苦情相談に係る問題の事実関係の確認及び当該苦情相談に係る当事者に対する助言等により、当該問題を迅速かつ適切に解決するよう努めるものとする。
この場合において、相談員は、人事院が苦情相談への対応について定める指針に十分留意しなければならない。
3 職員は、相談員に対して苦情相談を行うほか、人事院に対しても苦情相談を行うことができる。この場合において、人事院は、苦情相談を行った職員等から事情の聴取を行う等の必要な調査を行い、当該職員等に対して指導、助言及び必要なあっせん等を行うものとする。

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人事院規則10―10(セクシュアル・ハラスメントの防止等)の運用について
(平成10年11月13日職福―442)
(人事院事務総長発) 最終改正:平成28年12月1日職職―272

標記について下記のとおり定めたので、平成11年4月1日以降は、これによってください。

第1条関係
「セクシュアル・ハラスメントの防止及び排除」とは、セクシュアル・ハラスメントが行われることを未然に防ぐとともに、セクシュアル・ハラスメントが現に行われている場合にその行為を制止し、及びその状態を解消することをいう。

第2条関係
1 この条の第1号の「他の者を不快にさせる」とは、職員が他の職員を不快にさせること、職員がその職務に従事する際に接する職員以外の者を不快にさせること及び職員以外の者が職員を不快にさせることをいう。
2 この条の第1号の「職場」とは、職員が職務に従事する場所をいい、当該職員が通常勤務している場所以外の場所も含まれる。
3 この条の第1号の「性的な言動」とは、性的な関心や欲求に基づく言動をいい、性別により役割を分担すべきとする意識又は性的指向若しくは性自認に関する偏見に基づく言動も含まれる。
4 この条の第2号の「セクシュアル・ハラスメントのため職員の勤務環境が害されること」とは、職員が、直接又は間接的にセクシュアル・ハラスメントを受けることにより、職務に専念することができなくなる等その能率の発揮が損なわれる程度に当該職員の勤務環境が不快なものとなることをいう。
5 この条の第2号の「セクシュアル・ハラスメントへの対応」とは、職務上の地位を利用した交際又は性的な関係の強要等に対する拒否、抗議、苦情の申出等の行為をいう。
6 この条の第2号の「勤務条件につき不利益を受けること」とは、昇任、配置換等の任用上の取扱いや昇格、昇給、勤勉手当等の給与上の取扱い等に関し不利益を受けることをいう。

第4条関係
1 各省各庁の長の責務には、次に掲げるものが含まれる。
一 セクシュアル・ハラスメントの防止等に関する方針、具体的な対策等を各省庁において部内規程等の文書の形でとりまとめ、職員に対して明示すること。
二 職員に対する研修の計画を立て、実施するに当たり、セクシュアル・ハラスメントの防止等のための研修を含めること。
三 セクシュアル・ハラスメントに起因する問題が職場に生じていないか、又はそのおそれがないか、勤務環境に十分な注意を払うこと。
四 セクシュアル・ハラスメントに起因する問題が生じた場合には、再発防止に向けた措置を講ずること。
五 職員に対して、セクシュアル・ハラスメントに関する苦情の申出、当該苦情等に係る調査への協力その他セクシュアル・ハラスメントに対する職員の対応に起因して当該職員が職場において不利益を受けないことを周知すること。
2 職場における「不利益」には、勤務条件に関する不利益のほか、同僚等から受ける誹謗や中傷など職員が受けるその他の不利益が含まれる。

第5条関係
この条の第2項の「職員を監督する地位にある者」には、他の職員を事実上監督していると認められる地位にある者を含むものとする。

第6条関係
この条の第1項の人事院が定める指針は、別紙1のとおりとする。

第7条関係
1 この条の第1項の「研修等」には、研修のほか、パンフレットの配布、ポスターの掲示、職員の意識調査の実施等が含まれる。
2 この条の第1項の「研修等」の内容には、性的指向及び性自認に関するものを含めるものとする。

第8条関係
1 苦情相談は、セクシュアル・ハラスメントによる被害を受けた本人からのものに限らず、次のようなものも含まれる。
一 他の職員がセクシュアル・ハラスメントをされているのを見て不快に感じる職員からの苦情の申出
二 他の職員からセクシュアル・ハラスメントをしている旨の指摘を受けた職員からの相談
三 部下等からセクシュアル・ハラスメントに関する相談を受けた監督者からの相談
2 この条の第1項の苦情相談を受ける体制の整備については、次に定めるところによる。
一 本省庁及び管区機関においては、それぞれ複数の相談員を置くことを基準とし、その他の機関においても、セクシュアル・ハラスメントに関する職員からの苦情相談に対応するために必要な体制をその組織構成、各官署の規模等を勘案して整備するものとする。
二 相談員のうち少なくとも1名は、苦情相談を行う職員の属する課の長に対する指導及び人事当局との連携をとることのできる地位にある者をもって充てるものとする。
三 苦情相談には、苦情相談を行う職員の希望する性の相談員が同席できるような体制を整備するよう努めるものとする。
四 セクシュアル・ハラスメントは、妊娠、出産、育児又は介護に関するハラスメント(人事院規則10―15(妊娠、出産、育児又は介護に関するハラスメントの防止等)第2条に規定する妊娠、出産、育児又は介護に関するハラスメントをいう。以下同じ。)その他のハラスメントと複合的に生じることも想定されることから、妊娠、出産、育児又は介護に関するハラスメント等の苦情相談を受ける体制と一体的に、セクシュアル・ハラスメントの苦情相談を受ける体制を整備するなど、一元的に苦情相談を受けることのできる体制を整備するよう努めるものとする。
3 この条の第2項の人事院が定める指針は、別紙2のとおりとする。
4 この条の第3項の「苦情相談を行った職員等」には、他の職員からセクシュアル・ハラスメントを受けたとする職員、他の職員に対しセクシュアル・ハラスメントをしたとされる職員その他の関係者が含まれる。    以 上

別紙1
セクシュアル・ハラスメントをなくすために職員が認識すべき事項についての指針
第1 セクシュアル・ハラスメントをしないようにするために職員が認識すべき事項
1 意識の重要性
セクシュアル・ハラスメントをしないようにするためには、職員の一人一人が、次の事項の重要性について十分認識しなければならない。
一 お互いの人格を尊重しあうこと。
二 お互いが大切なパートナーであるという意識を持つこと。
三 相手を性的な関心の対象としてのみ見る意識をなくすこと。
四 女性を劣った性として見る意識をなくすこと。
2 基本的な心構え
職員は、セクシュアル・ハラスメントに関する次の事項について十分認識しなければならない。
一 性に関する言動に対する受け止め方には個人間で差があり、セクシュアル・ハラスメントに当たるか否かについては、相手の判断が重要であること。
具体的には、次の点について注意する必要がある。
(1) 親しさを表すつもりの言動であったとしても、本人の意図とは関係なく相手を不快にさせてしまう場合があること。
(2) 不快に感じるか否かには個人差があること。
(3) この程度のことは相手も許容するだろうという勝手な憶測をしないこと。
(4) 相手との良好な人間関係ができていると勝手な思い込みをしないこと。
二 相手が拒否し、又は嫌がっていることが分かった場合には、同じ言動を決して繰り返さないこと。
三 セクシュアル・ハラスメントであるか否かについて、相手からいつも意思表示があるとは限らないこと。
セクシュアル・ハラスメントを受けた者が、職場の人間関係等を考え、拒否することができないなど、相手からいつも明確な意思表示があるとは限らないことを十分認識する必要がある。
四 職場におけるセクシュアル・ハラスメントにだけ注意するのでは不十分であること。
例えば、職場の人間関係がそのまま持続する歓迎会の酒席のような場において、職員が他の職員にセクシュアル・ハラスメントを行うことは、職場の人間関係を損ない勤務環境を害するおそれがあることから、勤務時間外におけるセクシュアル・ハラスメントについても十分注意する必要がある。
五 職員間のセクシュアル・ハラスメントにだけ注意するのでは不十分であること。
行政サービスの相手方など職員がその職務に従事する際に接することとなる職員以外の者及び委託契約又は派遣契約により同じ職場で勤務する者との関係にも注意しなければならない。
3 セクシュアル・ハラスメントになり得る言動
セクシュアル・ハラスメントになり得る言動として、例えば、次のようなものがある。
一 職場内外で起きやすいもの
(1) 性的な内容の発言関係
ア 性的な関心、欲求に基づくもの
? スリーサイズを聞くなど身体的特徴を話題にすること。
? 聞くに耐えない卑猥な冗談を交わすこと。
? 体調が悪そうな女性に「今日は生理日か」、「もう更年期か」などと言うこと。
? 性的な経験や性生活について質問すること。
? 性的な噂を立てたり、性的なからかいの対象とすること。
イ 性別により差別しようとする意識等に基づくもの
? 「男のくせに根性がない」、「女には仕事を任せられない」、「女性は職場の花でありさえすればいい」などと発言すること。
? 「男の子、女の子」、「僕、坊や、お嬢さん」、「おじさん、おばさん」などと人格を認めないような呼び方をすること。
? 性的指向や性自認をからかいやいじめの対象とすること。
(2) 性的な行動関係
ア 性的な関心、欲求に基づくもの
? ヌードポスター等を職場に貼ること。
? 雑誌等の卑猥な写真・記事等をわざと見せたり、読んだりすること。
? 身体を執拗に眺め回すこと。
? 食事やデートにしつこく誘うこと。
? 性的な内容の電話をかけたり、性的な内容の手紙・Eメールを送ること。
? 身体に不必要に接触すること。
? 浴室や更衣室等をのぞき見すること。
イ 性別により差別しようとする意識等に基づくもの
女性であるというだけで職場でお茶くみ、掃除、私用等を強要すること。
二 主に職場外において起こるもの
ア 性的な関心、欲求に基づくもの
性的な関係を強要すること。
イ 性別により差別しようとする意識等に基づくもの
? カラオケでのデュエットを強要すること。
? 酒席で、上司の側に座席を指定したり、お酌やチークダンス等を強要すること。
4 懲戒処分
セクシュアル・ハラスメントの態様等によっては信用失墜行為、国民全体の奉仕者たるにふさわしくない非行などに該当して、懲戒処分に付されることがある。

第2 職場の構成員として良好な勤務環境を確保するために認識すべき事項
勤務環境はその構成員である職員の協力の下に形成される部分が大きいことから、セクシュアル・ハラスメントにより勤務環境が害されることを防ぐため、職員は、次の事項について、積極的に意を用いるように努めなければならない。
1 職場内のセクシュアル・ハラスメントについて問題提起する職員をいわゆるトラブルメーカーと見たり、セクシュアル・ハラスメントに関する問題を当事者間の個人的な問題として片づけないこと。
職場におけるミーティングを活用することなどにより解決することができる問題については、問題提起を契機として、良好な勤務環境の確保のために皆で取り組むことを日頃から心がけることが必要である。
2 職場からセクシュアル・ハラスメントに関する問題の加害者や被害者を出さないようにするために、周囲に対する気配りをし、必要な行動をとること。
具体的には、次の事項について十分留意して必要な行動をとる必要がある。
一 セクシュアル・ハラスメントが見受けられる場合は、職場の同僚として注意を促すこと。
セクシュアル・ハラスメントを契機として、勤務環境に重大な悪影響が生じたりしないうちに、機会をとらえて職場の同僚として注意を促すなどの対応をとることが必要である。
二 被害を受けていることを見聞きした場合には、声をかけて相談に乗ること。
被害者は「恥ずかしい」、「トラブルメーカーとのレッテルを貼られたくない」などとの考えから、他の人に対する相談をためらうことがある。被害を深刻にしないように、気が付いたことがあれば、声をかけて気軽に相談に乗ることも大切である。
3 職場においてセクシュアル・ハラスメントがある場合には、第三者として気持ちよく勤務できる環境づくりをする上で、上司等に相談するなどの方法をとることをためらわないこと。

第3 セクシュアル・ハラスメントに起因する問題が生じた場合において職員に望まれる事項
1 基本的な心構え
職員は、セクシュアル・ハラスメントを受けた場合にその被害を深刻にしないために、次の事項について認識しておくことが望まれる。
一 一人で我慢しているだけでは、問題は解決しないこと。
セクシュアル・ハラスメントを無視したり、受け流したりしているだけでは、必ずしも状況は改善されないということをまず認識することが大切である。
二 セクシュアル・ハラスメントに対する行動をためらわないこと。
「トラブルメーカーというレッテルを貼られたくない」、「恥ずかしい」などと考えがちだが、被害を深刻なものにしない、他に被害者をつくらない、さらにはセクシュアル・ハラスメントをなくすことは自分だけの問題ではなく良い勤務環境の形成に重要であるとの考えに立って、勇気を出して行動することが求められる。
2 セクシュアル・ハラスメントによる被害を受けたと思うときに望まれる対応
職員はセクシュアル・ハラスメントを受けた場合、次のような行動をとるよう努めることが望まれる。
一 嫌なことは相手に対して明確に意思表示をすること。
セクシュアル・ハラスメントに対しては毅然とした態度をとること、すなわち、はっきりと自分の意思を相手に伝えることが重要である。直接相手に言いにくい場合には、手紙等の手段をとるという方法もある。
二 信頼できる人に相談すること。
まず、職場の同僚や知人等身近な信頼できる人に相談することが大切である。各職場内において解決することが困難な場合には、内部又は外部の相談機関に相談する方法を考える。なお、相談するに当たっては、セクシュアル・ハラスメントが発生した日時、内容等について記録しておくことが望ましい。

別紙2  セクシュアル・ハラスメントに関する苦情相談に対応するに当たり留意すべき事項についての指針

第1 基本的な心構え
職員からの苦情相談に対応するに当たっては、相談員は次の事項に留意する必要がある。
1 被害者を含む当事者にとって適切かつ効果的な対応は何かという視点を常に持つこと。
2 事態を悪化させないために、迅速な対応を心がけること。
3 関係者のプライバシーや名誉その他の人権を尊重するとともに、知り得た秘密を厳守すること。

第2 苦情相談の事務の進め方
1 苦情相談を受ける際の相談員の体制等
一 苦情相談を受ける際には、原則として2人の相談員で対応すること。
二 苦情相談を受けるに当たっては、苦情相談を行う職員(以下「相談者」という。)の希望する性の相談員が同席するよう努めること。
三 相談員は、苦情相談に適切に対応するために、相互に連携し、協力すること。
四 実際に苦情相談を受けるに当たっては、その内容を相談員以外の者に見聞されないよう周りから遮断した場所で行うこと。
2 相談者から事実関係等を聴取するに当たり留意すべき事項
相談者から事実関係等を聴取するに当たっては、次の事項に留意する必要がある。
一 相談者の求めるものを把握すること。
将来の言動の抑止等、今後も発生が見込まれる言動への対応を求めるものであるのか、又は喪失した利益の回復、謝罪要求等過去にあった言動に対する対応を求めるものであるのかについて把握する。
二 どの程度の時間的な余裕があるのかについて把握すること。
相談者の心身の状態等に鑑み、苦情相談への対応に当たりどの程度の時間的な余裕があるのかを把握する。
三 相談者の主張に真摯に耳を傾け丁寧に話を聴くこと。
特に相談者が被害者の場合、セクシュアル・ハラスメントを受けた心理的な影響から必ずしも理路整然と話すとは限らない。むしろ脱線することも十分想定されるが、事実関係を把握することは極めて重要であるので、忍耐強く聴くよう努める。
四 事実関係については、次の事項を把握すること。
(1) 当事者(被害者及び加害者とされる職員)間の関係
(2) 問題とされる言動が、いつ、どこで、どのように行われたか。
(3) 相談者は、加害者とされる職員に対してどのような対応をとったか。
(4) 監督者等に対する相談を行っているか。
なお、これらの事実を確認する場合、相談者が主張する内容については、当事者のみが知り得るものか、又は他に目撃者はいるのかを把握する。
五 聴取した事実関係等を相談者に確認すること。
聞き間違えの修正並びに聞き漏らした事項及び言い忘れた事項の補充ができるので、聴取事項を書面で示したり、復唱するなどして相談者に確認する。
六 聴取した事実関係等については、必ず記録にしてとっておくこと。
3 加害者とされる職員からの事実関係等の聴取
一 原則として、加害者とされる職員から事実関係等を聴取する必要がある。ただし、セクシュアル・ハラスメントが職場内で行われ比較的軽微なものであり、対応に時間的な余裕がある場合などは、監督者の観察、指導による対応が適当な場合も考えられるので、その都度適切な方法を選択して対応する。
二 加害者とされる者から事実関係等を聴取する場合には、加害者とされる者に対して十分な弁明の機会を与える。
三 加害者とされる者から事実関係等を聴取するに当たっては、その主張に真摯に耳を傾け丁寧に話を聴くなど、相談者から事実関係等を聴取する際の留意事項を参考にし、適切に対応する。
4 第三者からの事実関係等の聴取
職場内で行われたとされるセクシュアル・ハラスメントについて当事者間で事実関係に関する主張に不一致があり、事実の確認が十分にできないと認められる場合などは、第三者から事実関係等を聴取することも必要である。
この場合、相談者から事実関係等を聴取する際の留意事項を参考にし、適切に対応する。
5 相談者に対する説明
苦情相談に関し、具体的にとられた対応については、相談者に説明する。

第3 問題処理のための具体的な対応例
相談員が、苦情相談に対応するに当たっては、セクシュアル・ハラスメントに関して相当程度の知識を持ち、個々の事例に即して柔軟に対応することが基本となることは言うまでもないが、具体的には、事例に応じて次のような対処が方策として考えられる。
1 セクシュアル・ハラスメントを受けたとする職員からの苦情相談
一 職員の監督者等に対し、加害者とされる職員に指導するよう要請する。
(例) 職場内で行われるセクシュアル・ハラスメントのうち、その対応に時間的な余裕があると判断されるものについては、職場の監督者等に状況を観察するよう要請し、加害者とされる職員の言動のうち問題があると認められるものを適宜注意させる。
二 加害者に対して直接注意する。
(例) 性的なからかいの対象にするなどの行為を頻繁に行うことが問題にされている場合において、加害者とされる職員は親しみの表現として発言等を行っており、それがセクシュアル・ハラスメントであるとの意識がない場合には、相談員が加害者とされる職員に対し、その行動がセクシュアル・ハラスメントに該当することを直接注意する。
三 被害者に対して指導、助言をする。
(例) 職場の同僚から好意を抱かれ食事やデートにしつこく誘われるが、相談者がそれを苦痛に感じている場合については、相談者自身が相手の職員に対して明確に意思表示をするよう助言する。
四 当事者間のあっせんを行う。
(例) 被害者がセクシュアル・ハラスメントを行った加害者に謝罪を求めている場合において、加害者も自らの言動について反省しているときには、被害者の要求を加害者に伝え、加害者に対して謝罪を促すようあっせんする。
五 人事上必要な措置を講じるため、人事当局との連携をとる。
(例) セクシュアル・ハラスメントの内容がかなり深刻な場合で被害者と加害者とを同じ職場で勤務させることが適当でないと判断される場合などには、人事当局との十分な連携の下に当事者の人事異動等の措置をとることも必要となる。
2 セクシュアル・ハラスメントであるとの指摘を受けたが納得がいかない旨の相談
(例) 昼休みに自席で週刊誌のグラビアのヌード写真を周囲の目に触れるように眺めていたところ、隣に座っている同僚の女性職員から、他の職員の目に触れるのはセクシュアル・ハラスメントであるとの指摘を受けたが、納得がいかない旨の相談があった場合には、相談者に対し、周囲の職員が不快に感じる以上はセクシュアル・ハラスメントに当たる旨注意喚起をする。
3 第三者からの苦情相談
(例) 同僚の女性職員がその上司から性的なからかいを日常的に繰り返し受けているのを見て不快に思う職員から相談があった場合には、同僚の女性職員及びその上司から事情を聴き、その事実がセクシュアル・ハラスメントであると認められる場合には、その上司に対して監督者を通じ、又は相談員が直接に注意を促す。
(例) 非常勤職員に執拗につきまとったり、その身体に不必要に触る職員がいるが、非常勤職員である本人は、立場が弱いため苦情を申し出ることをしないような場合について第三者から相談があったときには、本人から事情を聴き、事実が認められる場合には、本人の意向を踏まえた上で、監督者を通じ、又は相談員が直接に加害者とされる職員から事情を聴き、注意する。

伝統を守ることは、人の生命より大切。

伝統を大切にすべきは当然のことだ。疑う余地はない。伝統とは、日本の歴史であり、文化のことだ。日本民族の魂と言ってもよい。伝統を守るとは、前代から受け継いだ日本民族の魂を、次代に手渡すことだ。我々の世代で、伝統を断つことは、祖先にも子孫にも、申し開きのできない大きな罪を犯すことになる。

相撲は、日本の文化であり、日本の歴史そのものだ。民族の魂とともにある。だから、格別に伝統にこだわっている。当たり前のことだ。伝統を守ることに、理由も理屈もない。それが伝統だから守るのだ。なにかの基準に照らして、「正しい伝統だから守る」「正しくない伝統だから変えていく」という不遜な態度は、それこそまちがっている。伝統は、伝統だから大切にすべきであり、伝統だから守り受け継ぐべきものなのだ。

「土俵は女人禁制」これは、伝統だ。伝統である以上は、断固として守るのだ。なぜかという理由は要らない。この伝統が、他の理念と衝突しないか。時代に合わないのではないか。そんなことを考える必要はまったくないのだ。

日本社会の歴史は、長く男性中心で女性を差別してきた。だから、女人禁制とは男尊女卑の社会意識がもたらした伝統だ。そう言われれば、おそらくそのとおりなのだろう。しかし、だから男尊女卑の象徴である「女人禁制」をあらためようということにはならない。伝統を守るとは、敢えて時代錯誤との誹りを甘受すること。今の時代の精神には適合しないことを認識しつつ、今の時代に挑戦することにこそ意味がある。

だから、伝統を守ろうと決意を固めたわれわれは、「土俵は女人禁制」を徹底して、男尊女卑を墨守するまでだ。今の時代の良識にも常識にも適合しないことをすることを宣言しているのだ。変遷する時代の良識に従おうというのは、伝統を守ることと対極の姿勢。伝統擁護とは、断固として因循固陋に徹するという決意のことなのだ。

相撲協会は、女性が土俵に上がることを認めていない。小学生だろうと、市長だろうと、知事だろうと、女は女。神聖な土俵に上がる資格はない。相撲は神事だ。神事では女性は穢れだ。穢れた女性を神聖な土俵に上げることができるわけはない。

舞鶴巡業で市長が土俵で倒れたとき、女性看護師が市長の救命のために土俵に上った。あのときの、「女性は土俵から降りてください」と何度も繰り返されたアナウンスは、あれこそ伝統を守ろうという精神の真骨頂で正しかったのだ。あのとっさの時に、人命よりも伝統が大切だと、毅然とした判断ができたのは、日ごろからの協会の精神のあり方が、若手の行司にも浸透していたということで、素晴らしいことだった。

「緊急の場合だ。人の命の方が大切」などという浅薄な俗説は俗耳に入りやすい。しかし、市長一人の命よりも伝統が重い、という今の社会にはなかなか受け入れがたい正しい考えを、敢えて実行したこの行司はエライ。

八角理事長は、この行司のアナウンスを謝罪したが、あの謝罪こそが間違っている。堂々とこう言うべきだった。
「私たちは、『土俵は女人禁制』という伝統を守ってまいりました。私たち力士にとって、伝統を守るということが何にもまして重要なことであることをご理解いただき、今後はいかなる場合にも、女性の皆様には土俵に立ち入ることのないようご留意をお願い申しあげます」「ちびっ子相撲も同様。女児も女性ですから、年齢にかかわらず、土俵に上らせることのないよう、ご注意ください。」

伝統の由来や、その意味づけなどを穿鑿することは、余計なことであるだけでなく、むしろ有害なことだ。伝統とは、民族の魂である。民族の魂が、男尊女卑を叫んできた以上は、男尊女卑を貫くのだ。民族の魂が、弱い者いじめをくりかえしてきたのだから、新弟子イジメは当然の伝統として容認する。旧軍隊の精神と同様である。思考を停止して、伝統に従う。こうでなくてはならない。

ところで、いったい何が伝統で、何が伝統でないか。実はこれが難しい。難しいから、何が伝統かは、実のところ融通無碍なのだ。

相撲は日本民族の魂なのだが、いま大相撲では、外国人力士大活躍で日本人力士の影は薄い。「土俵は外国人禁制」ではない。なぜか、その理由は分からない。もっとも、興行的には、外国人力士に活躍してもらわねばならない。

ちびっ子相撲では、昨年は女児も参加できたそうだが、今年からはダメだ。なぜって、それが伝統だから。じゃあ、なぜ昨年までは参加できたのかって?

そんなことは聞いてはならない。協会発表には、文句をいわない。細部にはこだわらない。それこそが、伝統だろう。

実のところ、何より大切なのは興行収入だ。大相撲の体質が女性客に不愉快で、客離れが生じるようでは困る。ホンネのところ、興行収入は伝統よりもはるかに大切なのだ。「興行収入 > 伝統 > 人の命」という奇妙な価値序列。

いや奇妙ではない。「命にもまして金が大切」は、これこそ神代の昔からの民族の伝統なのだから。
(2018年4月13日)

土俵は女人禁制ーまるで「自民党改憲草案」並みのばかばかしさ

自民党は、2012年4月に「日本国憲法改正草案」を発表した。これは、自由民主党という戦後の日本を主導してきた政党が、いったい何者であるかを遺憾なく示す記念碑的重要文書である。のみならず、現在の政権党がいったいどんな政治社会の建設を意図しているのか、そのホンネを赤裸々に語った文化財的文書として定着している。この貴重な文書をゆめゆめ粗末に扱ってはならない。軽々に改竄させたり、隠蔽させてはならない。できることなら、額装して朝に夕にこれを復誦し、現政権のホンネはここにあることを肝に銘ずべき代物なのだ。

私も、「アベ改憲・4項目」だの、「アベ9条改憲7案」だのと、政権や自民党の本心ならざるフェイントにごまかされて、この貴重文書の存在を忘却の彼方に押しやっている日常に反省しきりである。

しかし、ありがたいことに、折に触れて、この自民党改憲草案の存在を想起せざるを得ない事態に遭遇する。そのたびに、ああ、自民党とはこんな党だったではないか、と自分に言い聞かせるのである。

そのようなことは、天皇制や「日の丸・君が代」や、政教分離や、緊急事態や、防衛問題などのテーマに多いが、一昨日(4月4日)のニュースに接して、「歴史・伝統・文化」というキーワードで、自民党改憲草案を想起した。

4日、京都・舞鶴市で行われた大相撲春巡業で、舞鶴市の多々見良三市長が、土俵上であいさつ中に体調を悪化させて倒れた。くも膜下出血の発症だったという。一刻を争う緊急事態に、医療の心得のある女性が、機敏に土俵上で市長の心臓マッサージを行った。場内アナウンスは、この女性の行為に感謝するどころか、「女性は土俵から降りてください」と複数回の指示をしたという。

「救命行為を直ちに中止せよ」というアナウンスは信じがたい。その行為が犯罪になることさえ考えられる。バカげた事態というのは適切ではない。誇張ではなく、恐るべき事態と言うべきだろう。問題は、なぜこんなことが起きたのかだ。

この問題について、日本相撲協会の八角理事長が、4日下記のコメントを出した。

本日、京都府舞鶴市で行われた巡業中、多々見良三・舞鶴市長が倒れられました。市長のご無事を心よりお祈り申し上げます。とっさの応急処置をしてくださった女性の方々に深く感謝申し上げます。
応急処置のさなか、場内アナウンスを担当していた行司が「女性は土俵から降りてください」と複数回アナウンスを行いました。行司が動転して呼びかけたものでしたが、人命にかかわる状況には不適切な対応でした。深くお詫び申し上げます。

以上が全文。「人命にかかわる状況には不適切な対応」とは、「人命にかかわるほどの状況でなければ、不適切な対応とは言えない」という含意が見え見えである。

この「女性は土俵から降りてください」発言は、「人命にかかわる状況には不適切な対応」だったと責められるべきではない。「人命にかかわる状況においてまでも女性差別を貫徹しようとしたことは、相撲協会の徹底した女性差別体質を現したものとして不適切な対応」なのだ。

今回の件は、「人命にかかわる状況」だったから例外的に臨機応変の対応をすべきだった、のではない。女性を土俵に上げてはならないなどという差別の愚かさ、ばかばかしさを如実に示したものと受けとめなければならない。女性という、社会の半数をなす人々を、穢れたものとする思想と行動の払拭が求められているのだ。

本日(4月6日)兵庫県宝塚市で開かれた予定の大相撲の地方巡業「宝塚場所」で、同市の中川智子市長が巡業の実行委員会に「土俵上であいさつしたい」との意向を伝えたが断られ、やむなく土俵下であいさつをした。「私は女性市長ですが人間です。女性であるという理由で、市長でありながら、土俵の上であいさつができない。悔しい。つらい」と訴えると、観客から拍手が起こったという。

この興行の主体は公益財団法人相撲協会である。「公益法人」でなくとも、大相撲は、十分に社会的な存在となっている。社会的な存在である以上は、性による不合理な差別は許されない。

協会に聞いてみたいものだ。
「なぜ、土俵は女人禁制なのか」「その女人禁制の理由は現在なお妥当性をもつのか」と。

女性差別の理由は、それが伝統とか文化であるから、というものでしかなかろう。伝統も文化も曖昧模糊。実はなんの実体もない。伝統とは因習に過ぎず、文化とは野蛮にほかならず、合理的理由を説明できないときの説明拒否の逃げの一言でしかないのだ。相撲協会は、こうはっきり言えるだろうか。「相撲は神事であり、神事では女性は穢れたものとされているから」と。そんな神は、敗戦時に、大日本帝国とともに滅亡して死に絶えたのだ。差別を合理化する神も神事も、生き返らせてはならない。どだい、女から生まれなかった横綱も大関もいないのだから。

こんなふうに考えると、自ずから「自民党改憲草案」が思い浮かぶのだ。党の公式解説書である、「Q&A」に、こんな文章がある。

(憲法)前文は、我が国の歴史・伝統・文化を踏まえた文章であるべきですが、現行憲法の前文には、そうした点が現れていません。

人権も民主主義も平和も、人類史的に普遍的な理念などと考えてはいけない。「日本の憲法は、日本固有の歴史・伝統・文化を踏まえたものでなくてはならない」という屁理屈の布石である。この「日本固有の歴史・伝統・文化」の尊重とは、とりもなおさず、天皇制であり、天皇制を支えた家制度であり、男性中心の女性差別である。究極には、個人の尊厳ではなく、国家や全体主義社会を優越的価値とする為政者に好都合な秩序観のことである。

念のため、「自民党改憲草案」の前文(抜粋)を掲記しておこう。
日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される。
日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。
我々は、自由と規律を重んじ、美しい国土と自然環境を守りつつ、教育や科学技術を振興し、活力ある経済活動を通じて国を成長させる。
日本国民は、良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため、ここに、この憲法を制定する。」

土俵は女人禁制、それこそは、長い歴史と固有の文化の所産であり、男性である天皇を戴く国家での当然のありかたである。日本国民は、「和」とされる上下・貴賤の秩序を尊び、家族や社会全体をこのヒエラルヒーに組み込んで国家を形成する。
自民党は、この良き伝統を墨守して、ここに、土俵は女人禁制の良俗を守り抜くことを宣言する。

自民党・安倍政権と相撲協会、まことによく似ているではないか。
(2018年4月6日)

本夕澁谷で慰安婦に献げるキャンドルアクション 「女性に対する暴力撤廃の国際デー」にちなんで

ご存じだろうか。本日11月25日は、国連で定めた「女性に対する暴力撤廃の国際デー」にあたる。本日澁谷で、この日にちなんだ従軍慰安婦に献げるキャンドルアクションが行われる。

この日の由来は、ドミニカの独裁者ラファエル・トルヒジョの命令によって、ドミニカ共和国の政治活動家ミラバル三姉妹が惨殺されたこと。その日が1960年11月25日だったという。世界各地の女性団体は、1981年からこの日を女性に対する暴力撤廃デーとして共同の活動を始め、1999年に至って国連がこの日を「女性に対する暴力撤廃の国際デー」と定めた。以来、毎年11月25日から12月10日(世界人権デー)までの16日間、女性への暴力の撤廃を呼びかける催しが世界中で取り組まれているという。

本日、ソウル清渓広場ではこの日にちなんで大規模なキャンドル集会が開かれる。「女性に対する暴力」の象徴的被害者である、従軍慰安婦とされた女性に灯が献じられる。そして、その場が全ての日本軍「慰安婦」被害者への女性人権賞授与の式場になるという。

これに呼応して、東京渋谷でも、キャンドルアクションが行われる。主催団体は、次のように呼びかけている。

「慰安婦」問題は外交問題ではなく、女性の人権問題です。戦時中、日本軍の「慰安婦」になることを強要された女性たちの名誉回復も未だになされていません。私たちは、戦後半世紀もの間沈黙を強いられてきた女性たちが、1990年代以降、勇気を持って名乗り出たことの意味を深く受け止めます。この声に応答することこそ、今、一番やるべきことだと考えています。性暴力のない社会、被害を受けた人が声を上げやすい社会を一緒に築くため、このキャンドルアクションにご参加ください。

とき:11月25日(土)
   リレートーク&歌:18時30分 19時30分
発言者
柴洋子(日本軍「慰安婦」問題解決全国行動共同代表)
田中雅子(上智大学教員/16 Days Campaign-Sophia University)
池田恵理子(女たちの戦争と平和資料館(wam)館長)
伊藤和子(ヒューマンライツ・ナウ事務局長)
佐藤香 (女性と人権全国ネットワーク共同代表)
亀永能布子or柚木康子(安保法制違憲訴訟・女の会)
青木初子(沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック)

キャンドルアクション:19時、19時30分
 青信号の間、キャンドルを持って、交差点を埋め尽くします(2回ずつ)
 集合場所:渋谷駅 ハチ公広場
※キャンドルは配布します
※主催 日本軍「慰安婦」問題解決全国行動
参照下記URL
http://www.restoringhonor1000.info/

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※賛同団体募集
賛同団体は、日本軍「慰安婦」問題解決全国行動のブログにて
公表します。賛同金(任意)1口千円(複数口歓迎)
郵便振替口座
加入者名 日本軍「慰安婦」問題解決全国行動2010
口座番号 02760-1-84752
「11.25キャンドルアクション賛同金」とご記入ください。
領収書は振込取扱票右側の振替払込受領証をもって替えさせていた だきます。

他銀行から振り込む場合
ゆうちょ銀行 店番279
店名:二七九(ニナナキユウ)
口座番号:当座 0084752

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最近慰安婦問題日韓合意(2015年12月28日)の破綻を物語る報道が増えている。問題の真の解決を回避して、見せかけだけの解決をはかろうとしても無理なことが明確になりつつあるのだ。被害者を置き去りにした解決ができないことは当然のこと。加害者側の形だけの「謝罪の振り」も見透かされている。「真の解決」とは何か。「被害者に受けいれてもらえる真の謝罪」とは何か。それを探る真摯さが重要ではないか。

昨日(11月24日)、韓国国会は、毎年8月14日を『日本軍慰安婦被害者の日』とする法案を採択した。

【ソウル聯合ニュース】韓国の国会は24日の本会議で、毎年8月14日を「日本軍慰安婦被害者をたたえる日」とし、慰安婦被害者への支援を拡大することを盛り込んだ慰安婦被害者生活安定支援法の改正案を可決した。
 改正案は8月14日を法定記念日とし、慰安婦問題を国内外に伝え、被害者を記憶するための行事などを行う内容が盛り込まれている。8月14日は故金学順(キム・ハクスン)さんが1991年に慰安婦の被害を初めて公の場で証言した日だ。
 また、政府が被害者に関連した政策を策定する場合、被害者の意見を聴取し、政策の主な内容を国民に積極的に公開するようにした。
 追悼施設設置などの事業を支援し、被害者の死去時に遺族へ葬儀費を支給することなども盛り込まれた。

これは、日本にとっても大きなインパクトをもつ重大ニュースだ。

また、昨日には、大阪市長がサンフランシスコ市に慰安婦像を市有化した問題で、姉妹都市解消を表明したことも報道されている。

戦後今日まで、侵略戦争や植民地支配について、我が国の国民が真に反省せず、被害者の琴線に触れる謝罪も償いもしてこなかったことのツケなのだ。加害者側からの居丈高な対応は問題をこじらせるだけ。加害者は、真摯に被害者の心情を汲む努力をしなければならない。
(2017年11月25 日・連日更新第1700回)

ジェンダーギャップを克服しえない日本とは

各紙が、世界経済フォーラム(WEF)の2016年版「ジェンダー・ギャップ指数」(Gender Gap Index:GGI)を報道している。国際比較における「男女平等ランキング」として定着しているものだが、日本は144か国中の111位と順位を下げたことが話題になっている。2014年が104位、15年が101位。そして、今年の111位は過去最低であるという。

もっとも、「ジェンダー・ギャップ」の比較は、指標のとりかたで変わってくる。
たとえば、国連開発計画(UNDP)のジェンダー不平等指数(Gender Inequality Index:GII)では、昨年発表のランキングで日本は、155か国中の26位であるというが、こちらはあまり話題にならない。GIIよりはGGIの方が、詳細なデータでの比較になっているからなのだろう。

GGIは、女性の地位を経済、教育、政治、健康の4分野で分析する。今年のランキングでは、日本は健康や教育では順位を上げたが、「経済」が118位と12ランクも下げている。その主たる理由は、収入の比較方法を改め実態に近づくように修正したからだという。その結果、「所得格差」が75位から100位に急落して、総合順位に反映したのだという。これまでが、やや上げ底だったというわけだ。これは、安倍内閣にとって由々しき数字ではないか。

GGIは、各比較項目について完全平等を1、完全不平等を0に数値化する。一昨年(2014年)の数値だが、総合指数1位は、アイスランド(0.8594)、2位フィンランド(0.8453)、3位ノルウェー(0.8374)、4位スウェーデン(0.8165)、5位デンマーク(0.8025)…と続いて、日本は104位(0.6584)。

興味深いのは、日本の分野別指数。経済0.6182、教育0.9781、健康0.9791、そして政治が0.0583と極端に低い。なお、日本と中国、韓国がいずれもよく似た平等後進国となっている。

なぜこうなのだろうか、と考える。なぜ、世界共通の現象として、ジェンダーギャップがあるのだろうか。そして、なぜ日本においてそのギャップが著しいのだろうか。

私にとってこの種の問題を考える際の基本書がある。若桑みどりの著書、なかでも「女性画家列伝」(1985年・岩波新書)。

この書の書き出しはこうなっている。
「美術史に残る女性の芸術家はきわめて少ない。人々はその理由として、女性は本来創造的行為や思索に向いていないのだと言ってきた。
 今日ではそのような説を頭から信じる人はいない。なぜなら、美術系の大学は圧倒的に女性によって占められており、その才能の優秀さには誰も目をつぶることはできないからである。私は都立の芸術高校から芸大の美術学部に進んだが、ここで天才的な能力を持って目立っていたのはみな女性の友人だった。では、いまその女性がどうしているかというと、私の友人の場合、みな現在は主婦になっていて制作はしていない。
 今でも芸大の美術学部の教授たちはみな男性である。男女共学になってからやがて半世紀近くになるというのに、芸大美術学部には唯一人の女の教授もいない」

また、同書に収録された女性芸術家との対談のなかで、若桑は自分の執筆活動と子育てについて、次のようにリアルに語っている。

「私は子供二人いますから最悪ですよ。私、論文に打ちこむと、その世界に浮かんじゃうわけですね。16世紀とか、シュール・レアリスムとか。論文を書いている時に「御飯」なんていわれると、カーッと来ますね。(笑) ま、しようがないから、立つんですけどね。水仕事しながら、この大学者がこんな茶碗なんか洗って。(笑) こんなすごい学者が魚なんて焼いてんだからって。(笑) そうすると子供が、何ブツブツいってるの、早く作ってよっていう。こんな大学者が御飯作るなんて、何てことだっていってんのよ、なんていうと、向こうは学者だなんて思ってませんからね。御飯作るおばさんだと思ってる。(笑) でも、子供ですから、親の世界を尊重して邪魔する。子供が小さい時、私の誕生日に沈黙券ていうのくれたんです、十分とか五分とか、子熊ちゃんとかいろいろ書いて、ホチキスでとじてあるんです。何って聞くと、私にそれ渡しておいて、私が五分って渡すと彼は五分黙って、私の勉強の邪魔しないって、そういう券で、(笑) それで私一度に全部渡して部屋に閉じこもりました。」
「自分で望んでつくった子供ですからね。育てあげるのは当然です。でも私は本当に男性と同じ時間がほしい。切実です。」

なるほど、そのとおりだろう。実によく分かる。男性としては耳が痛い。

同じ書に、「家父長制と女」という小見出しで、水田珠枝の『女性解放思想史』(筑摩書房)が引用されている。「私はこの本に書かれているいくつかの事実には反論があるし、また事実の解釈についても全面的に共感はしないけれども、…今までの思想史のなかで女性がどういう立場に置かれていたかを、明快に、わかり易く書いてある好著だと思う。」とのコメントしてのものである。

「歴史をおしすすめた原動力、それは生産力であった。生活資料を生産し増大させる能力が、人類を自然から分離し、生活水準を高め、私有財産を、階級分化を、権力を発生させ、文化をつくりあげていった」。しかし、出産という重荷を負う女性は、生活資料の生産において男性に劣り、その結果、生産の占有権は男性の手に握られる。こうして「物をつくりだす男性は尊敬されるが、命をつくりだす女性は軽視される。……生活資料の生産が生命の生産を、男性が女性を支配することになる」。

「こうした男女関係を制度として固定し、永続化したのが家父長制であった。そこでは、生活資料の生産と消費、そして生命の生産が家族を単位としておこなわれるために、生産活動で優位にたつ男性=家長が絶対権をにぎり、唯一の財産所有者となって、家族員の生活を保障するというかたちをとりながら、かれらの権利も人格も労働も、一身に吸収してしまう。……したがって、この制度の下では、女性の経済的、人格的自立の可能性はうしなわれる。階級支配とは異質な、しかも普遍的な性支配は、家父長制によってつらぬかれ、他人に依存する女性の性格もそこでつくりあげられる」。

ここで語られているのは、「物をつくりだす性」と「命をつくりだす性」の対比である。優位に立った前者が後者を支配する構造があるというのだ。おそらく、文明の進歩とはこの支配・差別を意識的に克服する過程なのだろう。

ヨーロッパ諸国がジェンダーギャップを克服しつつあるのに、中国(99位)、日本(111位)、韓国(116位)が揃って後塵を拝している。おそらくは、「女子と小人は養い難し」とする儒教文化の影響なのだろう。

戦後民主々義は、「父子有親。君臣有義。夫婦有別。長幼有序。朋友有信。」の五倫も、「男女7歳にて席を同じくせず」も、教育勅語も、銃後の婦徳も、みんな払拭したはずなのだが、この社会の根っこのところで脈々と生き残っているということなのだろう。
(2016年10月27日)

文京母親大会講演「戦争はごめん! いのち輝く平和な社会を」ー憲法公布・女性参政権70年

女性こそ母親こそ、最も戦争を憎み平和を望む者。アジア太平洋戦争では230万人の兵士が死んだ。230万回も母の涙が流れた。また、この兵士たちによって殺された近隣諸国の犠牲者は2000万人と見積もられている。この国々の母の涙は、はかり知れない。
「誰の子どもも殺させない」「誰の子どもも戦場に送ってはならない」そして、「世界中のすべての母親に悲しい思いをさせてはならない」。

日本国憲法は、筆舌に尽しがたい戦争の惨禍のすえに、この惨禍をけっして繰り返してはならないとする決意として生まれた。母の涙から、生まれた憲法と言っても間違っていない。

1945年12月に衆議院議員選挙法が改正され女性参政権が実現した。そして、歴史的な総選挙が行われたのが46年4月10日。初めて女性が投票所に足をはこび、39人の女性議員が誕生した。

この総選挙のあとに、第90帝国議会が開かれて制憲議会となった。この議会の審議で形の上では憲法改正、実質的には新憲法制定となった。

新憲法は、揺るがぬ平和を構築するために、前文では平和的生存権を唱い、9条1項で戦争を放棄しただけでなく、同2項で戦力の不保持を宣言した。国際協調によって平和を維持するという歴史的な選択が採択され、武力均衡による平和や抑止論は考慮されなかった。自衛のための武力の保持も行使も否定されている。

しかも、その日本国憲法は、前文から本文のすべてが、一切戦争を想定することなく、戦争を起こさぬように、平和を維持するように作られている。個人の尊厳、国民主権、国民の政治参加、表現の自由・知る権利、政教分離、違憲審査権、教育の自由、教育を受ける権利、地方自治…、全て平和を支え平和に通ずる。まさしく日本国憲法は平和憲法なのだ。

憲法9条2項の発案者とされている幣原喜重郎は、議会の答弁において「文明と戦争とは両立しない。文明が戦争を廃棄しなければ、戦争が文明を廃棄してしまう」と9条の意義を述べている。

また、吉田茂は、「戦争抛棄に関する憲法草案の条項に於きまして、国家正当防衛権による戦争は正当なりとせらるるようであるが、私は斯くの如きことを認むることが有害であると思うのであります。近年の戦争は多くは国家防衛権の名に於て行われたることは顕著なる事実であります。故に正当防衛権を認むることが偶々戦争を誘発する所以であると思うのであります。」
 
平和憲法を支える女性の役割は大きい。かつて「家」制度が、「国家」主義を支えていた。男性中心の修身斉家治国平天下の思想と心理は、国家の差別構造になぞらえられた「家」に支えられていた。天皇→国家→家→個人の価値序列は、徹底して個人が軽んじられる社会。戦前、戸主でない女性は民事上の無能力者であり、参政権を持たなかった。期待されたのは、銃後を守る女性像であり、精強な兵士を生み育てる役割を担う女性像であった。

戦後、憲法24条は、女性を解放し、男性との対等性を回復した。家制度は崩壊し。女性参政権は平和をもたらした(はず)である。

ところが、今平和・女性の権利が危うい。憲法それ自体も危うくなっている。
自民党改憲草案(2012年4月)の思想は、国防国家・国家主義と人権抑圧・立憲主義の否定である。民族の文化・歴史・伝統が強調されているが、その内実は天皇を中心とした「國體」以外になにもない。これが、安倍政権の「戦後レジームからの脱却」の正体にほかならない。

自民党草案24条は「家族の尊重と相互扶助の義務付け」を謳う。これは家制度の復活を目指すものといわざるを得ない。

安倍政権の壊憲政策は、それでも足りずに明文改憲路線を明確にしている。憲法は、単に理想を書き連ねた文書ではない。個人の尊厳・自由・平等、そして何よりも平和を実現するためのこの上ない有効なツールである。けっして、これを手放してはならない。

女性の力は世界の半分を支えている。平和を支える母親の力は半分よりもはるかに強いはず。是非とも、憲法を我が子の如くお考えいただきたい。平和と個人の尊厳を擁護するために、憲法改正には絶対反対という立場を貫いていただきたい。
(2016年10月1日)

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