(2020年11月7日)
権力とはかつては暴力そのものであり、統治とは暴力の作用であった。権力は暴力による支配をカムフラージュする統治の正当性の根拠を欲した。それはなんでもよかった。被統治者が納得してくれる、もっともらしいものでありさえすれば…。
野蛮な権力は、そのような統治の正当性の根拠を、天命や、神意や、道徳や、善政や、神話や血統や万世一系などに求めた。が、いまや、統治の正当性の根拠は、もっぱら人民多数の意思に求めざるを得ない。人民多数の意思に基づいて作られた権力だけが、正当性を持った統治の根拠として人民を自発的に服従させる権威をもっている。
その人民多数の意思を確認する手続が選挙である。民主主義を標榜する社会の政治家は、選挙に示された人民多数の意思を尊重しなければならない。この当然のことに、世界最強国の大統領には理解がないようだ。これは、恐るべき事態である。
トランプは5日夜のホワイトハウス記者会見で、「合法的な票を数えれば、私は楽勝だ。違法な票を数えれば、彼らは選挙を盗むことができる」と述べたという。
翻訳してみよう。「私の票は合法的な票、彼らの票は違法な票だ。だから、合法的な票だけを数えれば、私は楽勝となる」「しかし、違法な票を数えて彼らが勝ちそうだ。これは、彼らが私から選挙の成果を盗むということだ」
問題は、「私の票は合法的な票」「私に反対する票は違法な票」という、トランプ流の思い込みと断定である。候補者は、有権者の審判を仰ぐ立場にある。その投票を、敵と味方に分類して、相手方の票を根拠なく軽々に「違法」と言ってはならない。もし、本気で「違法」と言うのであれば、それこそ丁寧に具体的な根拠を示さなければならないが、それは一切ない。
米メディアは、このトランプの発言を、「民主主義への攻撃だ」と批判しているという。この捉え方は見識である。同様の見方は、共和党内にもあり、根拠も示さないままに主張するトランプに対し、共和党政治家の批判もあるという。
トランプ氏に近いクリスティー前ニュージャージー州知事はABCの番組で、「証拠を何も聞いていない。情報を与えずに、炎上させるだけだ」と述べ、ロムニー上院議員も「すべての票を集計するのは民主主義の核心だ」とツイートしたという。
さらに問題は、トランプに煽られた支持者の言動にある。トランプ敗北が確定したミシガン州デトロイトの不穏な状況が報じられている。
「デトロイトのコンベンションセンター周辺には6日朝から約400人超のトランプ氏支持者が集結。「この選挙は不正だ」などと声を上げた。銃を持ち、防弾ベストを着て集会を見守っていたフィル・ロビンソンさん(43)は、地元ミリシア組織の一つの創設者。「選挙結果は冗談みたいなものだ。全米で不正が横行している。選挙をやり直すべきだ」と語気を強め、武器の所持については「あくまで自分や参加者を守るため。攻撃してくるのはいつも極左からだ」と話した。」(毎日・夕刊)
ミシガン州は、トランプと対立するウィットマー知事(民主党)の拉致を計画したとして、民間軍事組織ミリシアのメンバーら13人が訴追される事件も起きたところ。Ballot(投票)の結果を尊重しなければ、Bullet(弾丸)がものを言う社会に逆戻りとなる。かつては暴力そのものであった権力への逆行ではないか。
アメリカを今の事態に貶めたトランプの罪は深い。
(2020年11月5日)
アメリカ大統領選が気になってならない。本日早朝に、朝日デジタルが未確定5州を残して、「バイデン264選挙人を獲得」「ペンシルベニア、ジョージア、ノースカロライナ、ネバダのどれか一つを獲得すれば過半数の270人に達する」「勝利に王手」と報道してから随分経つが、次の動きがない。最終的には、バイデン勝利となるのだろうが、トランプの「善戦」に背筋が寒い。
全米にトランプの嵐が吹き荒れている。非理性、非寛容の穏やかならざる嵐。アメリカだけでなく全世界にトランプ的な風が渦巻いている。その風の激しさは民主主義を薙ぎ倒さんばかり。ポスト・トゥルースという言葉を世界に流行らせたのがトランプだ。その反知性ぶり、あからさまにホンネを語って恥じない野蛮な姿勢に、全米の半数が喝采を送っているのだ。これは、驚くべき風景ではないか。
「トランプの嵐」は、トランプ一人では起こせない。これを熱狂的に支持する多くの人々があってこその激しい嵐。この社会には、人のたしなみを重んじる風潮があったはず。これをかなぐり捨てた、嘘とごまかし、相手陣営への罵倒、対立を煽る言動に人々が熱狂する図が恐怖を呼ぶ。
私が、物心ついて以来ごく最近まで、「進歩史観」が社会に浸透していたと思う。道は曲がりくねり、ジグザクも障碍もあれども、長い目で見れば社会は進歩する。民主主義や人権や平和、人の平等や友愛の関係は深まり堅固になっていくだろう、という人間信頼の社会観である。今、それが揺らいでいる。アメリカ、中国、ロシア、中東、そして日本。なんという指導者ばかり。そして、そんな指導者を支持する民衆のありかた。世は、むくつけきエゴの衝突の場でしかない。
思いたいのだ。共和党とは、決してトランプの私党ではなかろう。民主主義の理性に支えられた、矜持をもった共和党員もいるに違いない。言わば、「非トランプ流良心的共和党」が。
たまたま、ネットでそのような人の話を見つけた。COURRiER Japon(クーリエ・ジャポン)というメディアに、大要次のような話が掲載されている。トランプの言動にウンザリしていたところだが、これに、救われた思いである。誰よりも、トランプにこの話を聞かせたい。
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トランプ支持者がご近所のバイデン支持者をリスペクト ─ 「言論の自由」の尊さを息子に示した父
米ウィスコンシン州のワシントン郡、先月末、バイデン氏を支持するティム・プレースという男性の自宅の前に立てられていた看板が、何者かによって盗まれた。被害に遭ったプレースは、看板を再び立てられるようになるのだが、意外な人物の助けによってそれが実現した。
プレースに手を差し伸べたのは、ドナルド・トランプ氏を支持するジョシュ・シューマンという男性だった。シューマンは、選挙によって選ばれたワシントン郡の行政府の長だ。その彼が、言うならば敵対候補を支持する市民のために動いた理由は、民主主義国家で重んじられている言論の自由を守るため、そして政治という枠組みを超えた人間関係の尊さを子供たちに教えるためだった。
ある晩、12歳の息子からバイデン氏を支持している隣人宅の庭にあった看板が盗まれたことを聞いたシューマンは、16歳の長男も含め、共和党支持の一家に生まれた2人の息子たちにとっても良い学びの機会になると思い、行動を開始した。
彼は民主党の事務所を訪ね、バイデン氏、副大統領候補のカマラ・ハリス氏支持者用の看板をもらえるか聞いたという。民主党員かどうかを確認されたシューマンは、正直にトランプ支持者であることを明かした。当然ながら民主党関係者は目を丸くさせたが、事情を説明すると納得してもらえ、無事に看板の入手に成功。帰宅後、次男を車に乗せて看板盗難の被害に遭った隣人宅に向かい、ドアベルを鳴らした。
車中、シューマンは次男に言論の自由の大切さを説いた。たとえ支持する候補者が違っていても、恫喝、破壊行動、盗みなどで自分の主張を通すような真似はしてはならないと説明したという。
シューマンの突然の訪問に驚いたプレースだったが、彼の善意に感動した。そして、もしシューマン家が同じような被害に遭ったら、同様の形でサポートすると伝えた。(以下略)
(2020年9月3日)
類は友を呼ぶ。アベシンゾーの友は、同類のトランプやプーチンであるという。「友」もいろいろ。シンゾーもひどいが、トランプやプーチンは、これに輪を掛けたムチャクチャぶり。それぞれにムチャクチャではあるが一定の岩盤支持層を有していることが、同類の所以。
トランプは退任表明をした朋友シンゾーについて「素晴らしい人物。最大の敬意を表したい」とお世辞を言っているそうだ。お互いにそう言い合おうとの魂胆が見え見えで、醜悪きわまる。もっとも、トランプの真意はこういうことだ。
「シンゾーこそ、これまでどんな無理なことも私の言うとおりに従順に従ってくれた素晴らしい人物。とりわけ、友情の証しとして、日本国民への苛酷な負担をも顧みず、ほとんど独断で不必要な大量の武器を私の言い値で購入してくれたことに、心の底からの敬意を表したい」
トランプとシンゾー。ゴルフ仲間だという。多分どちらも、パットは下手くそなのだろう。トランプが、「ゴルフの大会で、3フィートのパットでも外すことはある」と言ったことが話題になっている。もちろん、「3フィートのパット外し」は、比喩である。この出来の悪い比喩が、もしかしたら大統領選の命取りになるかも知れない。
トランプは8月31日放送のFOXニュースのインタビューで、米中西部ウィスコンシン州の警官による黒人男性銃撃事件を話題にして、警官を取り巻く非難の重圧がますます厳しくなっていると強調した。その上で、このような重圧の中では「ゴルフの大会でもそうだが、3フィート(約90センチ)のパットでも外すことはある」と述べたのだ。白人警察官が丸腰の黒人男性の背後から至近距離で7発もの銃弾を打ち込んで瀕死の重傷を負わせた深刻な犯罪行為を、お気楽に趣味のゴルフに例えたというわけだ。
「3フィートのパットを外す」という比喩は、「7度の発砲」についてのもの。恐ろしく下手くそで分かりにくいだけでなく不愉快極まる比喩ではあるが、重圧の中ではどんなゴルファーも、「3フィートのパットを外すというミス」を起こすものだ。同様に、非難の世論という重圧の中では、白人警官が「黒人男性に対する背後からの7度の発砲というミス」を起こしても不思議ではないと言いたいのだ。だから、パットミスと同様に、発砲した白人警官を責めることは酷に過ぎる、大目に見てやれ。そういう、白人層に対するアピールなのだ。白人警官の黒人に対する発砲行為が抱えている深刻な問題を見ようとせず、パットミス程度の問題と擁護しようというのだ。当然のことながら、ワシントン・ポスト紙を始め有力メディアが、批判の声を上げている。
パットミスを使った下手な比喩で、白人警官を擁護しようとしたトランプ発言だったが、実はパットを外してミスを犯したのはトランプ自身ではないか。彼は、自らの「3フィートのパットミス」発言で、差別主義者であることをさらけ出したのだから。確かに、厳しい環境に焦ると本性をさらけ出す発言で、取り返しのつかないミスを犯しがちではある。トランプがそれを証明して見せた。
ところで、トランプの友人というシンゾー君。ゴルフ仲間のシンゾー君よ。「素晴らしい人物。最大の敬意を表したい」とまでお世辞を言われているシンゾー君。そして、シンゾー後継を争う諸君。君たちもそう思うか。トランプの言うように、「白人警官が黒人男性の背後から7回も銃撃することは、パットミス程度のことか」と。また、こんな発言をするトランプと、今後も友人関係を続けようというのか、と。
(2020年6月7日)
久しぶりに、アメリカ発のニュースで、コリン・キャパニックの名を耳にした。この度の白人警官による黒人殺害事件で、全米に拡がった抗議運動の報道の中でのこと。彼は、元NFL所属の49ersでQBだったスーパースター。日本語では「片膝付き」と訳されている、プロテストポーズ「テイク・ア・ニー」の元祖である。
特定の身体ポーズが、政治的・宗教的主張と結びつくことがある。かつては、ヒトラーの崇拝者たちが、一斉に右手を伸ばすナチス式敬礼のうえ、「ハイルヒトラー」と叫んだ。以来、あのポーズは全体主義の印として周りの者をぞっとさせる。
また、アメリカ公民権運動を担った黒人活動家たちは、「ブラック・パワー・サリュート」という、拳を高く掲げる抗議のポーズをとった。1968年メキシコオリンピック表彰台における、トミー・スミスやジョン・カーロスの星条旗に対して拳を突き上げたあの抗議の姿が感動的だった。
2016年8月26日、NFLプレシーズンマッチでの試合前の国歌斉唱時に、キャパニックは起立を拒み、テイク・ア・ニーの姿勢を貫いた。その年の7月5日に南部ルイジアナ州で黒人男性が警官に射殺され、7月6日にも米中西部ミネソタ州で、黒人男性が警官に射殺される事件が続いた。全米に抗議行動が巻きおこっているさ中に、キャパニックは抗議の意思を表明したのだ。彼の日抗議の先は、毅然とした対策をとらない国家に向けられた。「黒人や有色人種への差別がまかり通る国に敬意は払えない」と明言している。
この行動に、多くの選手が賛同して国歌斉唱時のテイク・ア・ニーは大きな運動となった。当然のこととして、その賛否にアメリカの世論は大きく割れた。キャパニック批判の先頭に立ったのが、新大統領となったトランプだった。
17年9月22日における彼の支援者集会での演説のえげつなさが衝撃である。これが、超大国大統領の品性の程度である。
「我々の国旗に不敬な態度をとる奴に、NFLチームのオーナーが『あのクソ野郎をすぐにグラウンドからつまみだせ。出てけ。クビだ』と言ったら最高じゃないか」(クソ野郎の原語は、「son of a bitch」)「そのうちどこかのオーナーがきっとこう言うに違いない。『あいつは国旗を侮辱した。クビだ』とね。彼らは知らないのだ。私にはオーナーの友人がたくさんいる。」
得意になって、激した言葉で聴衆に語りかけるトランプ。これにヤンヤの喝采で応える支持者たち。煽る側、煽られる側の相互作用。節度も知性のかけらもない、これがアメリカの一面の現実なのだ。
このトランプ発言に、選手たちが反発してテイク・ア・ニーはさらに拡がった。この事態に、NFLコミッショナーのロジャー・グッデルは「大統領による無神経な発言を受け、彼ら(選手たち)はフラストレーションや失望を平和的な形で表明したのだ」とし、国歌斉唱中に平和的抗議運動を展開するNFL全体の動きを「誇りに思う」とまで語った。
当初は、キャパニックの所属チームは「宗教や表現の自由をうたう米国の精神に基づき、個人が国歌演奏に参加するかしないか選択する権利を認める」と同選手の決断を尊重するとの声明を発表した。また、NFLは声明で、「国歌の演奏中に選手たちが起立することを奨励するが強制ではない」と選手を擁護した。
しかし、このNFLのグッデルも、この姿勢を堅持できなかった。翌2018年にはNFLは方針を変え、選手たちの抗議活動を支持せず、国歌斉唱の際にひざまずくことを禁止。違反した場合には処罰を課すとした。これが、NFLの公式姿勢として今日まで続いた。キャパニックと49ersとの契約が切れたあと、彼を迎え入れるチームはなく、いまだに彼は失職状態にある。
しかし、捨てる神ばかりではなく、大手スポーツ用品メーカーのナイキが登場して拾う神となる。キャパニックを同社のイメージキャラクターとして採用した。同社のスローガン「Just Do It」の30周年を記念する広告にキャパニックを起用した。広告では、キャパニックの顔に「何かを信じろ。たとえすべてを犠牲にするとしても」という言葉を重ね合わせている。キャパニックがアメリカの自由を象徴する人物とすれば、トランプがアメリカの不寛容を象徴する存在であり、ナイキはアメリカの懐の深さを象徴したというべきであろう。
もちろん、トランプは、ナイキも執拗に攻撃した。18年9月5日の彼のツイッターは、ナイキを指して「間違いなく殺される」と述べた。「テレビ視聴率が下がったNFLと同じように、ナイキは間違いなく、怒りと購買拒否によって殺される。ナイキはそうなることを分かってやっているのか」とした。
そして、白人警官の黒人に対する絞殺事件という衝撃の新事態を迎える。全米に激しい抗議の行動が巻きおこっている。その矛先は、今、間違いなくトランプに突きつけられている。NFLの選手たちも声を上げ始めた。「人種差別や黒人への組織的弾圧を糾弾し、選手たちの平和的抗議を禁じた過ちを認め、黒人の命の大切さを尊重してほしい」との動画を投稿することでNFLに呼びかけた。
これに、NFLコミッショナーのロジャー・グッデルが呼応した。現地6月5日(金)、NFLが「以前にNFL選手の声に耳を傾けなかった」ことは間違いだったと認め、NFLのソーシャルメディアプラットフォームを通じて投稿した動画で「すべての人が意見を述べ、平和的に抗議」することを奨励すると語ったのだ。具体的には下記のとおりである。
「われわれナショナル・フットボール・リーグは、人種差別や黒人の方々に対する組織的弾圧を糾弾します。われわれナショナル・フットボール・リーグは、以前にNFL選手の声に耳を傾けなかったのは間違いだったと認め、すべての人が意見を述べ、平和的に抗議することを奨励します。われわれ、ナショナル・フットボール・リーグは、黒人の命の大切さを尊重します。個人的には皆さんと共に抗議しており、この国の切望される変化に携わりたいと思っています。黒人選手なくして、ナショナル・フットボール・リーグは存在しません。国内で行われている抗議活動は黒人の選手、コーチ、ファン、スタッフに対する何世紀にもわたる沈黙、不平等、弾圧を象徴しています。私たちは耳を傾けています。私は耳を傾けています。声を上げてくれた選手たちに連絡し、改善方法やNFLファミリーがさらに一致団結して前進できる方法を伝えていくつもりです」
直接にはキャパニックの名は出て来ない。国歌斉唱時のテイク・ア・ニーに言及されてもいないが、「以前にNFL選手の声に耳を傾けなかった間違い」と言えば、このことしかない。結局は、国歌斉唱時における選手たちのテイク・ア・ニー行動を容認するということなのだ。
「黒人や有色人種への差別がまかり通る国に敬意は払えない」と言ったキャパニックから見れば、差別主義者トランプを大統領とする米国の国旗にも国歌にも敬意を払うことはとうていできまい。黒人を差別し、黒人に敵意を持つ国は、黒人にとって自らの国ではあり得ないのだ。
もっとも、キャパニックは、国家を本来的に性悪なものとして、原理的に国旗や国歌への敬意表明を拒絶していたわけではない。Black Lives Matterをスローガンとする運動が今度こそ成功をおさめ、トランプが大統領選で大敗した後には、キャパニックも国歌を歌えるようになるだろう。
米国によるイラン軍司令官殺害に関する
社会権の会(防衛費より教育を受ける権利と生存権の保障に公的支出を求める専門家の会)声明
はじめに
アメリカのトランプ大統領は2020年1月3日、米軍がイラン革命防衛隊の司令官ソレイマニ氏をイラクのバグダッドで殺害したと発表した。トランプ大統領は同日の記者会見で、ソレイマニ司令官は「米国の外交官や軍人に対し、差し迫った邪悪な攻撃を企てていた」と批判し、「我々の行動は戦争を止めるためのものだった」として殺害を正当化している。イランが「イランに対する開戦に等しい」「国連憲章を含む国際法の基本原則を完全に侵害する国家テロだ」として反発し報復を宣言する(ラバンチ国連大使)一方、米国防総省は米軍部隊3,500人を中東地域に増派する方針を明らかにし、米イラン関係、米イラク関係を含め中東地域は緊迫した情勢となっている。
?意見の理由
ソレイマニ氏はイラン革命防衛隊コッズ部隊の司令官として、各国でイスラム教シーア派民兵組織(イスラム国[IS]に対抗してイラクの宗教指導者シスタニ師が呼びかけて結成された人民動員部隊[PMU]など)を支援してきた革命防衛隊最高幹部であり、敵対するアメリカに対しては、過去に、中東に展開する米軍をいつでも攻撃できるという趣旨の発言もしていた。しかし、いかに政治的・軍事的に目障りな存在であるとしても、超法的に人を殺害することが許されるはずはない。大統領という国家機関によって指示されたこの殺害行為は、明白な脱法行為であり、アメリカによる国際法違反行為(超法的処刑extra-judicial execution)である。
国連憲章51条は「武力攻撃が発生した場合」にのみ自衛権の行使を認めており、先制的・予防的な自衛権の行使は認められていない。在外自国民の保護など、国の領土保全に対する武力攻撃に至らない程度の侵害行為に対しても、自衛権を援用することは許されない。攻撃が急迫していると信ずるに足りる合理的な理由がある場合には先制攻撃も許されるという学説もあるが、差し迫ったものかどうかの判定は先制攻撃を行う国が行うこととなり、濫用されやすい考え方である。
先制的自衛論を含め、そもそも自衛権の行使が濫用されやすいものであることは、歴史が示している。アメリカの軍艦が攻撃を受けたとして、アメリカがベトナム戦争に本格的に参戦するきっかけとなった「トンキン湾事件」は、後に、アメリカが秘密工作によって自ら仕掛けた「やらせ」であったことがジャーナリストによって暴かれた(ペンタゴン・ペーパーズ)。また、2003年のイラク戦争は、イラクが大量破壊兵器を持っている「恐れ」を理由とし、ブッシュ大統領の先制攻撃論(ブッシュ・ドクトリン)によってアメリカとイギリスが一方的にイラクを攻撃したものだったが、大量破壊兵器は発見されなかった。にもかかわらず、軍事行動は「フセイン大統領の排除」、「イラクの民主化」と目的を変遷させて続けられた。
こじつけの理由であれ、いったん始まった軍事行動はエスカレートするのが常であり、その結果は悲劇的である。ベトナム戦争では200万人以上のベトナム人が犠牲になり、米軍の撒いた枯葉剤による障害や健康被害に苦しむ人が今もいる。イラク戦争は推定で数十万人ものイラクの民間人死者を出し、米軍の使った劣化ウラン弾などによる奇形児の誕生など被害は続いている。さらに、イラク戦争とそれに続くアメリカ・イギリス軍の駐留、その後発足したイラク新政権、これらにより激化した社会の混乱とイスラム教の宗派対立は、「イラクのアルカイダ」を源流とするISを生む結果になったと今では広く認識されている。
イラク戦争時、日本の小泉政権はアメリカに追随してイラク戦争を手放しで支持したが、イラク戦争を遂行した国や支持した国(オランダ、デンマークなど)と異なり、日本政府は今なお、イラク戦争を支持した政治判断の検証をしていない。それどころか政府は、憲法の専守防衛の原則に明らかに反する2015年の安保法制によって、地球上どこでもアメリカと共に集団的自衛権を行使して日本の自衛隊が軍事活動を行うことを可能にする法整備を行った。
今回の事件を受け、中東に駐留する米軍がイランから攻撃を受ける可能性がある。その場合日本は、集団的自衛権の行使として米軍と共に反撃することが求められる事態になりうる。折りしも日本政府は先月末の閣議決定で、1月中に中東地域に海上自衛隊を派遣する決定を行っている。これは、「日本関係船舶の安全確保に向けた情報収集を強化」するという名目で、防衛省設置法上の「調査・研究」を根拠として行われるものだが、自国船舶の防護を求めるトランプ政権の意向を受けた派遣であり、これによって得られた情報はアメリカと共有されることが当然考えられる。自衛隊が駐留することになった結果、場合によっては、アメリカの同盟国として自衛隊が攻撃を受けることがありうる。きわめて憂慮すべき事態である。
トランプ大統領は、環境保護や紛争の平和的解決のための国際協定から次々とアメリカを離脱させる一方、日本には高額の米国製兵器を売りつけ、日本や韓国、ドイツなど同盟国に駐留米軍経費負担の大幅増を求めるなど、国際社会の公益には関心がなくもっぱら米国の経済的利益のための「ディール」を推進する人物である。そして、日本政府はそのような指導者をもつアメリカと距離をおくどころか、その要求を唯々諾々と受入れ、米国製兵器のローン購入を含め、防衛費をかつてない規模に増加させ続けている。急速に少子高齢化が進む中、年金の引下げと生活不安(「老後2,000万円」問題)、保育所を設置し待機児童をなくす、若い人の人生の足かせになっている「奨学金」ローンの問題といった少子化対策、教育を受ける権利を実現するための学費値下げなどが本来、日本の抱える最重要課題であるにもかかわらずである。
今回の殺害は、次期大統領選挙も見据え「強いアメリカ」を演出する意図もあったとみられるが、アメリカも、そして日本も、イラク戦争がISを生み今に至っていることへの反省もなく、さらに中東地域を武力衝突の悪循環に陥れることは断じて許されない。
意見の趣旨
我々は日本政府に対し、第一に、ソレイマニ司令官殺害が戦争を止めるための正当な行為だったとするアメリカの説明を支持せず、超法的殺害として毅然と非難する態度を取るよう求める。第二に、自衛隊の中東派遣は直ちに中止すべきである。第三に、アメリカがさらなる軍隊派遣と攻撃によって武力衝突の危険を高めていることに日本として懸念を示し、問題の平和的な解決を促すことを強く要求するものである。
2020年1月5日
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2020年 1月 6日
報道関係のみなさま
世界平和アピール七人委員会
私たち世界平和アピール七人委員会は、本日、添付の通り、「米国によるイラン革命防衛体司令官殺害を非難し、すべての関係者が事態を悪化させないよう求める」を発表し、国連総長、国連総会議長、米国大使館、イラン大使館、安倍首相、茂木外相、河野防衛相に送りました。報道関係のみなさまには、私たちのアピールとその意図するところを、世界に広く伝えていただくよう、よろしくお願いします。
なお、私たちは、米国がイラン核合意を一方的に破棄し、中東の緊張が高まる情勢の中で、「調査・研究」を名目として自衛隊が中東に派遣されることについて、昨年12月12日付で「自衛隊の海外派遣を常態化してはいけない」を発表しています。これも併せて、お送りします。
「世界平和アピール七人委員会」は、1955年(昭和30年)11月、世界連邦建設同盟理事長で平凡社社長の下中弥三郎の提唱で、人道主義と平和主義に立つ不偏不党の有志の集まりとして結成され、国際間の紛争は絶対に武力で解決しないことを原則に、日本国憲法の擁護、核兵器禁止、世界平和などについて内外へのアピールを発表してきました。 今回のアピールは、平和アピー
ル七人委員会発足から、138番目のアピールです。
発足時のメンバーは、下中のほか、植村環(日本YWCA会長)、茅誠司(日本学術会議会長、のちに東京大学総長)、上代たの(日本婦人平和協会会長、のちに日本女子大学学長)、平塚らいてう(日本婦人団体連合会会長)、前田多門(日本ユネスコ協会理事長、元文相)、湯川秀樹(ノーベル賞受賞者、京都大学教授、京都大学基礎物理学研究所長)でした。
その後、委員は入れ替わり、現メンバーは、武者小路公秀(国際政治学者、元国連大学副学長)、大石芳野(写真家)、小沼通二(物理学者、慶應義塾大学名誉教授)、池内了(宇宙論・宇宙物理学者、総合研究大学院大学名誉教授)、池辺晋一郎(作曲家、東京音楽大学客員教授)、?村薫(作家)、島薗進(上智大学教授、宗教学)です。
連絡先:世界平和アピール七人委員会事務局長 小沼通二
URL: http://worldpeace7.jp
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2020年1月6日 WP138J
米国によるイラン革命防衛体司令官殺害を非難し、
すべての関係者がこの危機を悪化させないよう求める
世界平和アピール七人委員会
武者小路公秀 大石芳野 小沼通二 池内了 池辺晋一郎 ?村薫 島薗進
米国政府は、イラクでイラン革命防衛隊の司令官を1月3日にドローンで殺害したと発表した。これに対してイランは報復を予告している。イラク首相は主権侵害だとしている。
「米国」と「イラン」の立場を置き換えたとき、米国政府と米国民は自国軍の司令官の殺害という事態を受け入れられるだろうか。
私たち世界平和アピール七人委員会は、米国によるこの殺害を非難し、この危険な事態をさらに悪化させないよう関係するすべての国に求める。
国連安全保障理事会のメンバー諸国は 直ちに自国の立場を明示すべきであり、国連は速やかに総会を開いて対話による解決のためのあらゆる努力を行っていただきたい。
米国とイラン双方と友好関係にあると自任する日本政府は、直ちに米国に完全な自制を促すべきである。
日本政府は、米国が2019年6月に提案した有志連合には参加せず、海上自衛隊の護衛艦と哨戒機を、通行する船舶の護衛を含まない「調査・研究」のために中東に派遣すると、国会にも国民にも説明しないまま2019年12月27日に決定した。
しかし得られる情報を有志連合と共有するため、バーレーンにある米中央海軍司令部に連絡員を派遣することが明らかになり、事態が変われば派遣目的を変更するとされている。これでは米国に与するものとみなされてもしかたがない。我々が12月12日に発表したアピール『自衛隊の海外派遣を常態化してはいけない』の内容をあらためて強く求める。日本国憲法によって法的に制限された軍事組織である自衛隊を危険地域の周辺に派遣させるべきでない。日本は非軍事的手段による平和構築に積極的に取り組むべきである。
連絡先::http://worldpeace7.jp
(2020年1月6日)
正月気分が消し飛んだ。背筋が寒い。これは大変な事態ではないか。昨日(1月3日)トランプがイラン革命防衛隊の司令官をバグダードの空港付近で殺害したという事件である。ゴーンの逃亡などとは次元が違う。もしや開戦もと,本気になって心配しなければならない。
殺害されたソレイマニという司令官は、イランの国民的英雄とされるきわめて重要な人物だったという。最高指導者ハメネイも復讐のメッセージを出している。イラン国民が報復の挙に出ることは覚悟しなければならない。イランだけではなく、主権を侵害されたイラク国民の憤激も当然の無法な行為。いったいトランプは、こんな危険なことを,どんな理由でやらねばならなかったのか。このあとの事態をどう治めるつもりなのか。そもそも成算あってのことなのか。
トランプ氏は、「合衆国の軍は、世界随一のテロリスト、カセム・ソレイマニを殺害した空爆を完璧な精度で実行した」「その殺害は、戦争を始めるためでなく、止めるため」だったと述べたという。
しかし、愚かで邪悪なトランプよ。おまえにこそ、「テロリスト」「ならず者」でないか。そしてトランプを大統領としているアメリカこそ、「テロ支援国家」「ならず者国家」と言われるに相応しい。
また、ペンタゴンは、「大統領の指示のもと、米軍はカセム・ソレイマニを殺害することで、在外アメリカ人を守るための断固たる防衛措置をとった」と発表したという。
同じことをイランの国防省も言いたいはずである。「最高指導者の指示のもと、イラン軍は最悪のテロリスト・トランプを殺害することで、イランの国民の生命と財産を守るための断固たる防衛措置をとった」と。
明らかなことは、この愚行によって、イランとアメリカの緊張は一気に激化することだ。いや、中東全体が一触即発の事態となる。もしかしたら、「一触」は既に通り過ぎていて、「即発」が待ち受けているのかも知れない。
オバマ前政権でホワイトハウスの中東・ペルシャ湾政策を調整していたフィリップ・ゴードンは、ソレイマニ殺害はアメリカからイラクへの「宣戦布告」のようなものだと言う。
その自覚あってか、米国務省はイラク国内のアメリカ人に「ただちに国外に退去するよう」警告し、米軍は兵3000人を中東に増派する方針という。オバマが築いた中東平和への努力をトランプがぶち壊している。なんということだ。
アメリカとイランの現在の緊張は、イラン核合意からトランプが一方的に離脱したことに始まっている。火に油を注ぐ今回のアメリカの行為には、世界がトランプを批判しなければならない。とりわけ、これまで動きが鈍かった関係各国が緊急に動かなければならない。
この事態に日本は鳴かず飛ばずのようだが、傲慢で愚かなトランプと肌が合うという、お友達の日本首相は、トランプに沈静化の努力をするよう、身を挺して説得しなければならない。たとえ失敗しても、誠実にやるだけのことをやるかどうか、国民は見ている。それをしなければ、「外交はやる気のないアベ政権」の看板を掲げるがよい。
もう一点。中東へ派遣を閣議決定した護衛艦一隻とP?3C哨戒機。あの決定を取り消さねばならない。派遣名目の「調査・研究」をするまでもない。中東情勢の厳しさは既によく分かった。よく分かった以上は、武力を紛争地に展開する愚は避けなければならない。イランから見れば、憎きアメリカの同盟軍となるのだから。失うものは大きい。
(2020年1月4日)
人類は、地球環境の中に生まれた。この環境から抜け出すことはできない。環境に適応して人類は生存を維持し、生産し文明を育んできた。生産とは、環境に働きかけて環境を加工し、環境からの恵みを享受することにほかならない。
太古の過去から現在に至るまで、人類は地球環境に依存しその恩恵を受けながら、環境を不可逆的に改変しつつ文明を築き上げてきた。しかし、地球環境は有限である。幾何級数的な生産力の増大は、人類に地球環境の有限性を意識させざるを得ない。いまや、成り行きに任せていたのでは、近い将来に地球環境は人類を生存させる限界を超える。このことが世界の良識ある人びとの共通認識となっている。
20世紀中葉、人類は戦争によって絶滅する危険を自覚した。にもかかわらず、人類は今日に至るも戦争の危険を除去し得ていない。愚かな核軍拡競争の悪循環を断ちきれないでいる。その事態で、もう一つの人類絶滅の危機、環境破壊問題に遭遇しているのだ。
人類の生産活動と生活様式が,地球環境を破壊しつつある。このまま手を拱いているわけにはいかない。もしかしたら、もう手遅れかも知れないのだ。今、喫緊になすべきことは、生産を縮小しても大気中の二酸化炭素を減らさねばならないこと。マドリードで開かれているCOP25(国連気候変動枠組み条約第25回締約国会議)が、その人類の課題に取り組んでいる。
国家の作用には2面性がある。資本の意を体して経済活動自由の秩序を守ることと、主権者国民の意を受けて資本の生産活動を規制することである。これまでは、前者の側面が強く出てきたが、今や、人類の生存維持のためには、公権力による経済活動の規制が必須だという国際合意の形成が迫られている。
しかし、資本の意を体した化石的抵抗勢力は、すんなりと環境保護のための規制を受け入れがたいとしている。その象徴的人物が、まずは世界の反知性を代表する米のトランプ。開発派のブラジル・ボルソナーロ。そして、石炭火力の継続に固執するアベシンゾーである。
アベの配下でしかないセクシー・進次郎は、今最大の問題となっている石炭火力の削減に言及できず、世界のブーイングを浴びることとなって、この会議中2度目の化石賞という不名誉に輝いた。しかし、これは彼の政治家としての理念の欠如や無能・無責任だけの問題ではない。主としてはアベ政権の姿勢の問題なのだ。政権の意思を決している国内資本の責任であり、こんな政権をのさばらせている、われわれ日本国民の責任でもある。
環境擁護派は、よい旗手を得た。16才の高校生グレタ・トゥンベリである。この若い活動家に、化石派のブラジル・ボルソナーロ大統領が、「ピラリャ」という言葉を投げつけて話題となっている。
私には、このポルトガル語の語感は理解し難いが、「ピラリャ」とは若輩者の未熟を侮辱するニュアンスで語られる品のよくない悪罵だという。「お嬢さん」「娘さん」「若者」ではなく、「ガキ」。これが日本語の適切な訳語だという。
環境保護派の旗手に、化石派から投げつけられた、「ガキ」呼ばわり。環境保護運動全体に投げつけられた悪罵である。しかし、いったいどちらがガキかは明らかではないか。理性的な論理で対抗する意欲も能力もなく、感情にまかせて論争の相手を「ガキ」呼ばわりする方が,真の「ガキ」なのだ。
一方、グレタは「最大の脅威は、政治家やCEOたちが行動をとっているように見せかけていることです。実際は(お金の)計算しかしていないのに」と言った。まさしく、進次郎の姿勢に、ぐうの音もいわさぬ批判となっている。
ブラジル・ボルソナーロ大統領だけではない。アベシンゾーも「ガキ」ぶりではひけをとらない。彼の悪罵は「キョーサントー」であったり、「ニッキョーソ」であったりするわけの分からぬもの。「ガキ」のケンカそのものではないか。
トランプ・ボルソナーロ・アベシンゾー。いずれがティラノか三葉虫。その化石度において、兄たりがたく弟たりがたし。こういう化石化した指導者に任せておくと、本当に人類の生存が危うい。アベを辞めさせることは、人類への貢献なのだ。
(2019年12月12日)
私は未見なのだが、映画「主戦場」が大きな話題となっている。2019年4月20日公開で、その2か月後の興行成績を朝日新聞は、「東京の映画館では満席や立ち見状態になり、上映後には拍手が起きる『異例のヒット』」と報じている。全国各地に上映館が拡大している。この種の映画としては、紛れもない「最大級の異例のヒット」。世論への影響も小さくない。
テーマは慰安婦問題。劇映画ではなく、多数者へのインタビューを重ねた地味なドキュメンタリー。これがなぜ異例のヒットとなったか。何よりも、異例の宣伝が功を奏したからだ。出演者自らが勤勉な宣伝マンとなって話題作りに励み、この映画の題名や内容や評判を世に知らしめ、多くの人の鑑賞意欲を掻き立てたのだ。制作者の立場からは、こんなにありがたいことはなかろう。
5月30日、この映画の出演者の内の7人が、共同で上映中止を求める抗議声明を発表した。そのうち、3人が共同記者会見をしている。これが、この映画の存在と性格を世に知らしめる発端になった。言わば、これが話題作りパフォーマンスの発端。多くの人は、この記者会見で、こんな映画があり、こんな問題が生じていることを初めて知ることとなった。
「主戦場」を異例のヒットに導いた7人の宣伝マンの名を明記しておかなくてはならない。多くは、おなじみの名だ。ほかならぬこの7名が、映画の出演者として自らが出演した映画の上映中止を求めている。それだけで、映画の宣伝としての話題性は十分。この声明と記者会見で、この映画を観るに値すると考え、映画館に足を運ぼうと思いたった数多くの人がいたはずである。
??? 櫻井よしこ(ジャーナリスト)
??? ケント・ギルバート(タレント)
??? トニー・マラーノ(テキサス親父)
??? 加瀬英明(日本会議)
??? 山本優美子(なでしこアクション)
??? 藤岡信勝(新しい教科書をつくる会)
??? 藤木俊一(テキサス親父のマネージャー)
「共同声明」は、彼らが映画の上映中止を求める理由を7項目にわたって書いている。その7項目のタイトルが下記のとおり。
1、商業映画への「出演」は承諾していない
2、「大学に提出する学術研究」だから協力した
3、合意書の義務を履行せず
4、本質はグロテスクなプロパガンダ映画
5、ディベートの原則を完全に逸脱
6、目的は保守系論者の人格攻撃
7、出崎(監督のデザキ)と関係者の責任を問う
上映や出版の中止を求める場合、普通は「事実が歪曲されている」「事実無根の内容によって名誉と信用を毀損された」とする。表現の自由も、「事実を歪曲する自由」を含まないからだ。しかし、この7項目に、そのような主張は含まれていない。具体的に、真実と異なる表現を指摘できないと理解せざるを得ない。
毎日「夕刊ワイド」が詳細に報じているとおり、「『主戦場』は、出演者の発言と表情を克明に追う。抗議声明に名前を連ねているケント・ギルバート氏は3月の試写会鑑賞後、毎日新聞の取材に対し『取り上げる意味のない人物の発言を紹介している』と批判を加えた一方で、自身の発言部分については『まともに取り上げてくれています。それは大丈夫です』と話している。」というのだ。
藤岡信勝は「学術研究とは縁もゆかりもない、グロテスクなまでに一方的なプロパガンダ映画だった」と強調したというが、本来プロパガンダ映画作りも、表現の自由に属する。
その上、「商業映画への出演は承諾していない」「大学に提出する学術研究だから協力した」「合意書の義務を履行せず」の主張は、彼らにとって旗色が悪い。
一方、デザキ氏と『主戦場』配給会社の東風は6月3日、東京都内で記者会見した。デザキ氏は、出演者が「撮影、収録した映像、写真、音声などを私が自由に編集して利用することに合意する合意書、承諾書に署名した」と指摘した。藤岡氏ら2人については、公開前の確認を求めたため、昨年5月と9月に本人の発言部分の映像を送ったという。その後、連絡がなかったため大丈夫だと考えたという。デザキ氏は、出演者には「試写会」という形で一般公開される前に全編を見てもらう機会を与えたとも強調した。(週刊金曜日)
にもかかわらず、6月19日、この7人のうちの5人(ギルバート、マラーノ、山本、藤岡、藤木)が原告となって映画の上映差し止めと計1300万円の損害賠償を求める訴えを東京地裁に起こした。どういうわけか、櫻井よしこ、加瀬英明の二人は、提訴をしていない。
いずれにせよ、勝ち目を度外視したにぎやかな提訴がまたまた話題を呼び、この映画の社会的関心を盛り上げることに成功している。有能な宣伝マンたちの、献身的な行為と賞讃せざるを得ない。
なお、朝日の報道に、原告らは「映画で『歴史修正主義者』『性差別主義者』などのレッテルを貼られ、名誉を毀損(きそん)された」とある。
フーン。彼らにも、『歴史修正主義者』『性差別主義者』などは、名誉を毀損する悪口だという認識があるのだ。
「歴史修正主義」とは、歴史的事実をありのままに見ようとせず、自らのイデオロギーに適うように歴史を歪めて見る立場をいう。イデオロギーに、事実を当てはめようという倒錯である。典型的には、「天皇の率いる日本軍が非人道的な行為をするはずがない」という信念から、「従軍慰安婦などはなかった」とする立場。あるいは、日本という国を美しいものでなくてはならないとする考え方から、日本の過去の行為はすべて美しいものであったという歴史観。原告ら5人は、この映画制作進行の過程で、こう指摘される結論に至ったのだ。その過程が示されていれば、名誉毀損にも侮辱にも当たらない。
また、「性差別主義者」についてである。「例えば、上映中止を求めている一人の藤木俊一氏。『フェミニズムを始めたのは不細工な人たち。誰にも相手にされないような女性。心も汚い、見た目も汚い』との内容を語る様子がスクリーンに映し出される。だが、記者会見でこの発言について確認を求められた藤木氏は『訂正の必要はない』と述べている。」(毎日・夕刊ワイド)
『主戦場』という映画のタイトルは、いまや日本でも韓国でもなく、当事国ではないアメリカこそが、この論争の主戦場になっているという、映画の中での右派の言葉からとったものだという。
あるいは、これまでの論争を総括し集約して、このスクリーンこそが従軍慰安婦問題の主戦場である、という主張なのかも知れない。いや、スクリーンにではなく現実の社会の論争喚起にこそ主戦場がある、との含意かも知れない。何しろ、安倍晋三を首相にしているこの日本の歴史認識状況なのだから。
この映画と映画をめぐる諸事件が、従軍慰安婦問題論争に火をつけ、活発なメディアの発言が続いていることを、歴史修正主義派を糾弾する立場から歓迎したい。
(2019年6月21日)
安倍晋三がイランを訪問した。アメリカとイランの緊張が高まっている中での注目の外交ではあった。タイミングとしては上々の舞台設定。衆目の一致するところ、安倍はトランプの使いっ走りではあるが、それなるがゆえの期待もあった。
安倍とその取り巻きは、本日(6月14日)の各紙トップに、アベ外交成果の記事が躍っていることを夢みていたのかも知れない。アメリカとイラン、その間を取りもって平和的な解決への道筋をつけることができれば、それは明らかに評価に値する。しかし、夢は所詮夢でしかなかったようだ。本日の大ニュースは、むしろホルムズ海峡でのタンカー攻撃と被災だった。「首相訪問に冷や水」(産経)の文脈での報道。
トランプの、イラン核合意からの一方的な離脱と経済制裁は不可解千万。誰が見ても、真っ当な国のすることではない。イランの怒りはもっともというほかはない。ところが関係国のどこにも、アメリカをたしなめる権威がない。イラン核合意の当事国とは、P5(米・英・仏・露・中)と、ドイツ・EUである。このズラリ並んだ世界の大国が、トランプという粗暴な人物の粗暴な振る舞いを静止できないのだ。
そこで、関係国でない日本の、トランプの使いっ走りに期待が集まった。溺れる者にとってのワラの一本である。「もしかしたら、トランプは振り上げた拳の下ろしどころに苦慮しているのではないか」「面子を保ちつつ、イランとの関係修復の路を安倍に託したのではないか」という期待である。
しかし、この期待は空振りだった。仲介者が交渉をまとめるためには、交渉材料の仕込みが肝要である。反米感情沸騰のイランの指導者を宥めるだけの交渉材料。その「手みやげ」を秘めての外交ではないかとの期待だったが、裏切られた。安倍がトランプから、事前に何らかの譲歩の提示を託されたとは見えない。
アベに提灯の常連を除いては、安倍外交の成果についての大方の見方は厳しい。「失敗」「成果ゼロ」「いつもの、やってる振り」というあたりが常識的な見方。
毎日の評価は、「日本は対話の糸口を探ったが、『仲介』に向けた戦略は練り直しを迫られている。」 というもの。このあたりが穏当なところだろうが、実は練り直すべき、もともとの「戦略」があったとは考え難い。無手勝流で、取りあえず交渉してみたが、なんの成果もなく、初めて「戦略が必要」なことを悟った、というところではないか。要するに、手みやげなく、手ぶらの使いだったわけだ。
安倍の立場は、トランプのメッセンジャーボーイであって、それ以上でも以下でもない。安倍は、トランプと対決してトランプを説得しようとの気概はない。日本の首相の権威のないことを嘆かずにはおられない。
仮に、日本が真の平和国家としての信任を各国から得ていたとしたら…、いかなる国とも平等対等の平和外交を貫いていたとしたら…。日本の外交力は、もっと強力なものとなっていたはずではないか。
田中浩一郎・慶応大大学院教授(政策・メディア研究科)が、「イランの期待に応えず」として、毎日紙上に解説している。分かり易く、納得できる内容。とりわけ、イラン側からの見方が鮮明である。部分的に引用して、ご紹介しておきたい。
「イランは米国による経済制裁の影響で国内経済が厳しい状況に置かれており、日本に対して主要財源である原油の輸出を可能にしてほしいと期待していた。しかし、首脳会談後、記者発表をするロウハニ大統領の表情は硬く、事態が大きく動くようなことはなかったと思う。安倍首相も用意された文書通りに話している印象だった。」
「イランからすれば、勝手に核合意から離脱し国際秩序を乱しているのは米国だ。米国の言う通りの形で直接対話に応じることはない。しかし、経済的には苦境が続く。そうした状況下で得た機会が、今回の安倍首相の訪問だった。」
「根本的な問題に対処するなら、日本が米国との仲介役として、イラン側にも信頼を得ることだ。そのためには米国に核合意復帰を約束させることだが、それができない以上、米国が禁じたイラン原油の輸入を日本が続けることを通じ、日本の中立的な立場を明確にする必要がある。だが、今回、日本はそこまで踏み込めなかった。」
「もともと米国に対して厳しい姿勢を示しているハメネイ師を、日本が『手ぶら』で翻意させるのは無理だ。米国が一方的に振る舞っているのに、なぜそれに従わなければならないのかと思うのは、主権国家として当然だ。」
「日本の外交努力が今回限りではなく、継続するプロセスであることを示しておく必要がある。トランプ米政権の中でも特に強硬なボルトン大統領補佐官らに、『日本のようなイランと特別な関係を持つ国まで乗り出してきたのに、イランは交渉に応じなかった。外交の季節は終わり』と、軍事的な対応を始めるアリバイ作りに使われる危険があるからだ。」
一々、もっともである。「トランプと親密で、トランプと価値観を同じくし、トランプの手先に甘んじる外交」の功罪を、もっとリアルに見つめ直さねばならない。政権も、国民も。やがて、トランプが世界から指弾されて失脚する日が必ず来る。そのとき、日本もトランプの同類として指弾の対象とされてはならないのだから。
(2019年6月14日)
トランプが日本列島に不快な熱波を運んできた。暑苦しくて寝苦しくて鬱陶しくて、不愉快極まりない。
私は、長くアメリカの民主主義の伝統には、深甚の敬意を惜しまなかった。さまざまの欠点はあっても、学ぶべきところの多い国。近年その敬意は次第にしぼんではきたものの、オバマの時代まではかろうじて持ちこたえた。が、トランプの出現によって、アメリカに対する敬意はまったく消え失せた。こんな、知性を欠いた、自分勝手で粗暴な男が、世界の大国の大統領だという。危険極まりない。
日本はアベ。アメリカはトランプ。兄たりがたく、弟たりがたし。民主主義そのものに、懐疑的とならざるを得ない。
一昨日(5月25日)、江川昭子さんが「明日の国技館、せめて心ある相撲ファンの方による、短くていいから、力強い『Boo!』の一声が出るように祈りたい。」とツィートして、話題になっている。アベご一統は別にして、心ある人なら皆同じ思いだろう。
とは言え、レイシストでも粗暴でも国賓ではある。大国の現職大統領には違いない。それなりに、応接しなければならないという意見もあろう。その際には、面従腹背で行くしかない。たとえば、次のようにご挨拶を。
この度、アメリカ合衆国大統領ドナルド・トランプ閣下が、令夫人と共に、我が国を御訪問になりましたことを心から歓迎申し上げます。今宵、大統領御夫妻をこの晩餐会の席にお迎えすることができ、たいへん嬉しく思います。
つらつら思えば、我が国が、鎖国を終えて国際社会に足を踏み出したきっかけは、今から166年前の1853年、貴国の軍艦4隻が浦賀に来航して、いわゆる砲艦外交の威嚇をもって、開国・開港を迫ったからにほかなりません。
300年の平和を満喫していた我が国の民は、サスケハナを旗艦とする4隻の「黒船」の武力を恐れ、貴国をはじめとする世界の列強に屈しました。こうして、まずは翌年の1854年に、貴国との間で日米和親条約を締結し、次いで通商条約を締結しました。それ以来、我が国は、長く列強との不平等条約の撤廃に苦難の道を歩まざるを得ませんでした。
しかし、我が国は貴国から受けた仕打ちを教訓とし、立場を代えて近隣諸国に同様の仕打ちをすることに成功いたしました。こうして、我が国は世界の列強の仲間入りをするまでになりました。
これを快しとされない貴国とは、ついに戦火を交える関係となり、日本にも責任があるとは言え、貴国は日本の各都市に容赦ない空襲を重ねて国民を殺傷し、沖縄地上戦では10数万に及ぶ現地住民の犠牲を余儀なくさせ、さらには広島と長崎に史上初めての原爆投下までされました。
しかし、戦後、日米両国とその国民は、様々な困難を乗り越え、相互理解と信頼を育み、今や太平洋を隔てて接する極めて親しい隣国として、強い親分・子分関係の信頼の絆で結ばれております。
たとえば、一夜にして10万人の焼死者を出した1945年3月10日の東京大空襲。無辜の東京市民を徹底して焼き尽くす計画を練り上げた、カーチス・ルメイ将軍に対して、戦後の日本は最高の名誉ある勲章を差し上げて、その功績をねぎらっています。
日米の友好関係は、今や最高潮に達していると言って過言でありません。その象徴が、沖縄の辺野古新基地建設問題。地元の沖縄県民が、どんなに反対しようとも、日米両政府は固い結束のもと徹底して馬耳東風。いささかの痛痒もなく、動揺もありません。日本国政府が責任をもって貴国の軍事基地建設に余念がないのです。
このような関係を築いて参りました貴国に、私どもは、懐かしさと共に、特別の親しみを感じています。とりわけ、トランプ大統領と安倍首相。ともに、凡庸で国民からの信頼や尊敬とはほど遠い人物でも、現に一国のリーダーが務まるのだという実例をお示しになられて、多くの人たちに希望と親しみを感じさせていらっしゃいます。まことに慶賀なことと存じます。
日本は、今、緑の美しい季節を迎えています。もっとも、大統領御夫妻の御滞在の期間だけが、過去に例のない5月の熱波のようでございます。それでも、おやりになることは、ゴルフと相撲に炉端焼き。お遊びに来られご様子ですから、せいぜい楽しくやってください。
なお、まだ我が国にはカジノはございません。次回お越しの際には、良識ある国民の反対運動を蹴散らして、トランプ大統領に巨額の献金をされているあの業者のカジノができているかも知れません。それをお楽しみに、またぜひお越しください。
では、日米両国における似た者どおしの政権が一日も長からんことを祈念して杯を挙げたく思います。
(2019年5月27日)