澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

自衛隊の実像ー防大に横行する常軌を逸したイジメ・暴行

本日の赤旗トップ記事。大見出しの「防大 いじめ・暴行」。少しポイントを下げて、「月平均 規律違反10人・処分5人」「背景に『命令と服従』」。「幹部自衛官養成」「上級生から下級生へ」。3面に続いて、「防大『指導』の名で容認」「『ファイヤー』『食いしばき』悪質さ深刻」と、おどろおどろしい。

(リード)自衛隊幹部の養成機関である防衛大学校(学生数2010人、神奈川県横須賀市)で上級生らによる下級生への暴行、いじめ、セクシュアルハラスメントなど反社会的な「服務規律違反」が横行しています。過去10年間で平均して毎月10人が服務規律違反に問われ、うち5人が懲戒処分となるなど異常な事態が、防大の内部資料から明らかになりました。

内部資料は、2016年5月に国と加害学生を相手に損害賠償請求訴訟を起こした元防大生の弁護団が裁判手続きや情報開示請求で入手したもの。元防大生は、上級生らから暴行やいじめをうけ、2学年だった14年8月に休学に追い込まれ、15年3月に退学しました。

防大が開示した07年から16年までの10年分(16年は4月から7月)の「学生などの懲戒処分者」によると、服務規律違反は合計1136件に上ります。うち懲戒処分をうけたのは約半数の550件です。平均すると規律違反は月10件程度、懲戒処分が月5件程度になります。

 提訴した元防大生の被害実例にそって防大がまとめた「防衛大学校における不適切な学生間指導などに関する調査報告書」(16年2月)には、こんな実例が記述されています。

「13年秋頃、部屋のポットのお湯を交換していなかった罰として、被害学生らに対し、ズボンと下着を脱ぐように指示し、掃除機で陰茎を吸引した」「複数回、同様の行為を行った」

 防大の懲戒処分台帳には、4学年が「ポットのお湯を(下級生に)掛けさせた」「私的制裁 鼓膜破れる」など暴力行為も多く記載されています。

 これらのケースは氷山の一角です。防大生は全寮制です。学生寮での日常生活について上級生が下級生を指導します。その指示は自衛隊の「命令と服従」と同様で“絶対服従”です。「命令と服従」を基本にした訓練と「生活指導」を教育の根幹にすえる防大の姿勢が、反社会的行為に拍車をかけているのではないか―。“防大の闇”の実態に迫ります。

『ファイヤー』とは、陰毛に火をつけること。『食いしばき』とは「ラー油の一気飲みや靴墨などを混入させた食べ物を与えること」だという。常軌を逸しているとしか言いようがない。こうして育てられた自衛隊幹部が、中堅・下級の自衛隊員の教育に携わり、自衛隊全体を同じ体質に染め上げて、部隊の指揮を執る。自衛隊全体が、常軌を逸した集団であると考えざるをえない。

なぜ、こんなことが日常化しているのか。戦争が常軌を逸しているからであろう。戦争を任務とする組織においては、徹底した上命下服の関係が要求される。将は兵に、理「不尽な死」を命令できなければならず、兵は将の理不尽な「死ね」という命に服さなければならない。その関係や感覚が、常軌を逸したイジメやシゴキの横行のなかで培われる。それが、「防大『指導』の名で容認」の意味するところ。

実は、この赤旗記事をみて、少し驚き、すこし残念と思った。あと数日で「法と民主主義」7月号が発行となる。その特集が、「自衛隊の実像」なのだ。赤旗に先を越されたか、という少しの残念。

その「法民」特集に佐藤博文弁護士が、「防衛大学校における人権侵害の実態」を寄稿している。同弁護士は、「(防大は)社会常識からかけ離れた重大事案という認識に立って改善努力をしてきたのかまったく疑問」「『悪弊』などではなく、本音では容認している(ダブルスタンダード)と言わざるを得ない」「かれらに日本の平和と国民人権を守ることを委ねてよいのか」と述べている。

特集のコンセプトは、次のようなもの。
いま、「安倍9条改憲」の阻止が、憲法運動における焦眉の課題となっている。安倍首相(総裁)が、国民に向けて「現在の自衛隊を合憲であると明確にするだけ」のことであって、実質的に何の変更もないと宣伝に務めているが、その虚偽性は既に明らかと言えよう。しかし、自衛隊を憲法上の存在として確認することの正確な意味や影響を論じるには、現在の自衛隊の何たるかを多面的に明らかにする必要がある。限定的にもせよ集団的自衛権の行使を容認した安保法制(戦争法)成立後の自衛隊の法的位置付については、活発な論争ががなされてきたが、自衛隊の実態把握という点での議論は必ずしも十分とは言えないのではないか。
最近の自衛隊をめぐる諸事件の数々には、慄然とせざるを得ない。本特集は、安倍9条改憲案が、憲法上の存在として位置づけようという自衛隊と、隊員の実像をリアルに把握するための論稿集である。…

本特集には、佐藤論文を含めて6本の論稿が寄せられている。
◆「旧軍と自衛隊・シビリアンコントロールの視点から」(纐纈厚・明治大学特任教授)は、自衛隊の文民統制が危うくなりつつある現状を詳細に論述している。「文民優越の原則を守ることによってのみ民主と軍事は共存可能である」「なぜならば、私たちは素手で実力組織を統制していく宿命を負っているのだから」という。
◆「防衛計画の大綱改定への動向」(大内要三・ジャーナリスト)は、防衛大綱の見直し問題である。現在の「25大綱」が、賞味期限切れで「本年末を目指して」改定検討中だという。これで「自衛隊は明らかに外征軍となる」「安倍政権が憲法で認知させようとしている自衛隊の実態はこのようなものだ」という。
◆「現代の戦場経験から考える自衛隊の憲法明記問題」(清末愛沙・室蘭工業大学大学院准教授)は現代の戦場体験をリアルに語っている。筆者は、イスラエル占領下のヨルダン川西岸地区で、「国際連帯運動」のメンバーとして、イスラエル軍と非暴力で対峙する。その苛酷な体験を通じての「人は武器を持つと変わる」という言葉には説得力がある。
◆最後に、自衛隊関連文献解説の二編。
「読書ノート自衛隊」(小沢隆一・東京慈恵会医科大学教授)。自衛隊を違憲とする論者が、「自衛隊の実相を知っておく最低限の作業はしなければ」と読み込んできた「読書ノート」である。
◆「漫画に描かれた自衛隊」(澤藤大河・弁護士)。こちらは漫画編。漫画でもリアルにいじめやしごきの実態が描かれ、「これがあってこそ精強な軍隊を維持できるというイデオロギーが根付いている」という。

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本日(7月25日)時点では、まだ6月号【529号】「特集★性の尊厳をとりもどそう」が最新号として紹介されている。同特集の掲載論文は以下のとおり。
◆特集にあたって………編集委員会・小沢隆一
◆セクシュアル・ハラスメントの現状と課題………戒能民江
◆職場のハラスメントの法規制………内藤 忍
◆セクシュアル・ハラスメントとメディア──行動を起こした女性たち………明珍美紀
◆麻生財務大臣の言動とその裾野………角田由紀子
◆女性たちは何と闘っているのか?マタニティ・ハラスメント裁判原告女性の経験に着目して………杉浦浩美
◆刑法・強姦罪規定改正の意義と課題──「女性に対する暴力」根絶ツールとしての刑法を………谷田川知恵
◆旧優生保護法による強制不妊手術・謝罪と補償を………新里宏二
◆性的マイノリティと人権──LGBT/SOGIという概念が問いかけること………谷口洋幸
◆性の商業的搾取──規制が遅れた最後の性暴力?………中里見 博?

この号も充実している。両冊をお求めいただけたら、たいへん有り難い。
(2018年7月25日)

トランプもNRA(全米ライフル協会)も「恥を知れ」。「ふざけるな」。

昨年(2017年)10月1日のラスベガス銃乱射事件での驚愕の思い冷めやらぬうちに、2月14日またまたフロリダ州の高校での大量殺人事件が起こった。ラスベガスでの犠牲者は58人、政府も政治もこの大事件に何らの対応策を打てないうちに、また17人の若い命が犠牲になった。明らかに、アメリカは病んでいる。

この事態に、現地から声が上がっている。2月17日の抗議集会でのことだ。伝えられているところでは、追悼集会ではなく、銃を規制しない政治家たちへの抗議集会の模様なのだ。鋭い発言をした高校生のエマ・ゴンザレの名が、話題となっている。

AFPは、こう伝えている。
「米南部フロリダ州で行われた反銃集会で、同州パークランド(Parkland)のマージョリー・ストーンマン・ダグラス高校(Marjory Stoneman Douglas High School)で14日発生した銃乱射事件の生存者である女子生徒が熱弁を振るい、ドナルド・トランプ(Donald Trump)米大統領と全米ライフル協会(NRA)の関係に辛辣な言葉を投げ掛けた。
 同校生徒のエマ・ゴンザレス(Emma Gonzalez)さんは、米大統領選でトランプ陣営がヒラリー・クリントン(Hilary Clinton)元国務長官に勝つためにNRAから数千万ドル(数十億円)の支援を受けた事実を攻撃し、『NRAから寄付金を受け取る全政治家、恥を知れ!』と発言し、集まった人々も『恥を知れ!』と繰り返した。

 同校の生徒や保護者、地元当局者が参加した集会で演説したゴンザレスさんは、『もし(トランプ)大統領が私に向かって、(今回の銃乱射事件は)恐ろしい悲劇だったけれど何の対策も行われないと言うならば、私は喜んで彼(トランプ大統領)にNRAからいくら献金を受け取ったのかと尋ねます」と述べ、次のように続けた。「でもそれはどうでもいいことです。私はもう知っていますから。3000万ドル(約32億円)です」
 そしてその金額を米国で今年これまでに起きた銃乱射事件の犠牲者の人数で割れば『1人の命の値段は幾らになるのでしょうか、トランプさん?』と問いかけた。
 このパワフルな演説はインターネット上ですぐに拡散し、ゴンザレスさんの名前はツイッター(Twitter)でトレンド入りした。」

CNN(ネット日本語版)の伝えるところは、もっと辛辣だ。
「事件現場に居合わせた同校3年生のエマ・ゴンザレスさんは演説で、連邦議会に銃乱射事件の発生を防ぐための法改正を強く求めた。
『大人たちは「これが現実」と言うのが習慣になっているかもしれない』『でも皆さんが行動を起こさなければ、人々は死に続けます』と訴え、銃規制に反対する全米ライフル協会(NRA)から献金を受け取っている政治家に『恥を知れ』と抗議した。また、銃規制を強化しても銃暴力は減らないと主張する政治家らを『ふざけるな』と非難した。

ゴンザレスさんに続いて、数百人の聴衆も『恥を知れ』『ふざけるな』と声を上げた。

集会の冒頭では、州上院議員のゲイリー・ファーマー氏が殺傷能力の高い銃や部品を禁止し、登録制度を強化する法改正を要求。学校の警備強化で対応しようとの案は「的外れ」だと批判し、警備が強化されれば銃を持った者が公園や教会で乱射するだけだと指摘した。

集会の参加者は『銃ではなく子どもたちを守れ』などと書いたプラカードを掲げ、銃規制に反対する議員を追放しようと気勢を上げた。」

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『恥を知れ』『ふざけるな』と言われたトランプは、今回もだんまりのままだ。しかし、ラスベガス事件の前には、彼がなんと言っていたか。これも、AFPが明確に伝えている。

【2017年4月29日 AFP】ドナルド・トランプ(Donald Trump)米大統領は28日、ジョージア(Georgia)州アトランタ(Atlanta)で開かれた同国最大の銃ロビー団体「全米ライフル協会(NRA)」の年次総会で演説し、自身は同団体の「真の友人で擁護者」だと表明した。
NRAは米国の選挙に大きな影響力を持っており、共和党の候補者がその支持を得ようと競い合うことはよくあるが、現職大統領がNRAのメンバーに向け演説するのは異例。昨年の大統領選でNRAは早期からトランプ氏を支持していた。
大統領就任100日目の節目を翌日に控え、NRAの第146回年次総会に出席したトランプ氏は、ロナルド・レーガン(Ronald Reagan)元大統領以来、ほぼ35年ぶりに同総会で演説した現職大統領となったことを「誇りに思う」と表明した。
また、「米国民の大統領として、人々が銃を所持する権利は絶対に侵害しない」と宣言。銃乱射事件の頻発を受け銃規制強化を目指したバラク・オバマ(Barack Obama)前政権を念頭に、「過去8年間におよぶ修正憲法第二条(銃所持の権利保護を定めた合衆国憲法の条項)への攻撃は終わりを迎えた」と語った。

これが、トランプだ。銃の販売で儲けようというものの「真の友人で擁護者」なのだ。だから、高校生たちから、『恥を知れ』『ふざけるな』と言われるにふさわしいのだ。

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「ビジネスインサイダー」というサイトの日本語版の転載だが、2018年に入ってから起きた、銃に関係する事件は以下のとおりだという。日付はいずれも、現地時間。
https://www.businessinsider.jp/post-162201
1月3日:ミシガン州で31歳の男が以前通っていた元小学校の駐車場で銃を使って自殺。
1月4日:シアトル郊外にあるニュー・スタート高校で銃撃。被弾したり、負傷した人はいなかった。
1月5日:アイオワ州フォレスト・シティで、ペレット・ガン(空気銃)の弾がスクールバスの窓を粉々に。通学のため多くの生徒が乗っていたが、負傷者はいなかった。
1月9日:アリゾナ州の小学校のトイレで、14歳の男子生徒が自殺。
1月10日:カリフォルニア州立大学の建物が被弾。負傷者なし。
1月10日:テキサス州にあるグレーソン大学の学生が、インストラクターの下で銃の訓練中に誤まって銃を発射。負傷者なし。
1月15日:テキサス州マーシャルの警察に深夜、ウィレイ大学で銃声が聞こえたとの通報が入った。学生寮の1つに流れ弾が当たったが、負傷者はいなかった。
1月20日:ノースカロライナ州で、ウィンストン・セーラム州立大学のフットボール選手がウェイクフォレスト大学で開かれたイベント中に撃たれて死亡。
1月22日:テキサス州にあるイタリー高校で、16歳の男子生徒が銃を撃ち、女子生徒が負傷。
1月22日:ルイジアナ州ニューオーリンズで、ネット・チャーター高校の前に集まった生徒の集団に向かって、何者かがピックアップトラックから銃撃。男子生徒が1人、負傷した。
1月23日:ケンタッキー州の15歳の高校生が銃を撃ち、2人が死亡し、17人が負傷した。
1月25日:アラバマ州にあるマーフィー高校の外で、16歳の少年が銃を乱射。負傷者はいなかった。
1月26日:ミネソタ州にあるディアボーン高校の駐車場で、バスケットボールの試合中、言い争う2人の人間に何者かが銃を発射。負傷者はいなかった。
1月31日:ペンシルベニア州フィラデルフィアにあるリンカーン高校の外で、バスケットボールの試合後、乱闘騒ぎの結果、銃が使用された。この騒ぎに関与した生徒はいない。1人が死亡。
2月1日:カリフォルニア州ロサンゼルスにあるサルヴァドール B. カストロ中学校で12歳の女子生徒が銃を発射。1人が重傷、他にも4人が負傷した。事件はアクシデントだったと報じられている。
2月5日:メリーランド州にあるオクソン・ヒル高校の駐車場で1人の生徒が撃たれる。
2月5日:ミネソタ州にあるハーモニー・ラーニング・センターで、3年生が職員の銃の引き金を引く。
2月8日:ニューヨーク州ニューヨークのブロンクスにあるメトロポリタン高校で、17歳の少年が銃を撃つ。負傷者はいない。
2月14日:フロリダ州パークランドにあるマージョリー・ストーンマン・ダグラス高校で、元生徒が銃を乱射、複数の死亡者と負傷者を出した。
[原文:There have already been 18 gun-related incidents at American schools in 2018]

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NRAは、米国最大のロビイスト団体として知られる。銃規制を緩和せぬよう、莫大な献金を多数の議員に浴びせている。その最大のターゲットがトランプなのだ。

NRAの言い分は、「市民がより多くの銃を持てば持つほど、国は安全になる」というものだ。エマ・ゴンザレスは怒りに震えて、この論法を『恥を知れ』『ふざけるな』と罵ったのだ。惨劇を間近に見た人、あるいは犠牲者の家族も、これに同意して唱和した。

『恥を知れ』『ふざけるな』の言葉は、NRAもトランプも、銃規制の世論を封じることで莫大な利益を得ているからだ。人の命を危険に曝すことを儲けのタネにしていることの倫理的な批判であり、憤りなのだ。

スケールは劣るが、DHC・吉田嘉明と渡辺喜美との関係とよく似ている。厳しい厚労省の規制を嫌って、規制緩和派の政治家にカネをつかませるDHC・吉田嘉明のこのやり口は、徹底して批判されなければならない。NRAがトランプに、吉田嘉明が渡辺喜美に、それぞれつかませるカネは「規制をなくして、スポンサーの眼鏡にかなった立派な政治」を期待してのものだ。刑事上の構成要件該当性はともかく、政治や政治家の廉潔性に対する社会の信用を毀損する点において、実質的に賄賂の収受と変わらない可非難性がある。

また、銃を放任する社会の問題は、国際間の軍事抑止力論争とよく似ている。核拡散の危険を示唆してもいる。大量の銃の拡散は、相互威圧による安全をもたらしはしない。社会的な管理の限界を越えることが、大量殺人や偶発事故に繋がるのだ。既に、事実がそのように物語っているではないか。

私も、エマ・ゴンザレスに唱和しよう。「トランプもNRAも恥を知れ」。「ふざけるな」。

(2018年2月19日)

年の瀬に アベの悪政 あ・い・う・え・お

いよいよ今日が大晦日。今年を振り返らねばならないのだが、そんな余裕を持ち合わせていない。ともかく、この1年の365日、途切れなく当ブログを書き続けた。非力な自分のできることはやった感はあるものの、世の泰平は感じられない。憲法は危うく、真っ当ならざる言論が幅を利かせる、少しも目出度くはない越年である。

何しろ、衆・参両院とも、改憲派が議席の4分の3を超している。改憲発議は既に可能なのだ。安倍晋三政権が長期の命脈を保っていることそれ自体が、諸悪の象徴であり、また諸悪の根源でもある。

安倍が掲げる反憲法的な諸課題に対峙するとともに、安倍を徹底して批判し安倍にNOを突きつけることで、安倍が主導する改憲策動を阻止しなければならない。

そのような心構えで年を越すしかない。2017年の暮れに、「アベの悪政 あ・い・う・え・お」である。
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あ 安倍晋三よ、あんたが国難。

右手に明文改憲、左手に解釈壊憲を携えて、平和・人権・民主主義を破壊しようというのが、アベシンゾーとその仲間たち。特定秘密保護法・戦争法、そして共謀罪までのゴリ押し。さらには、原発再稼働、カジノ法案、働き方改悪…。安倍晋三という存在自体が、日本国民にとっての災厄である。すこしの間なら辛抱して嵐が過ぎ去るのを待てばよい。ところが、こうも長すぎると後戻りできないまでの後遺障害を心配せざるを得ない。明文改憲の現実もあり得ないでない。いまここにある安倍晋三という国難を除去することこそが、覚醒した真っ当な国民にとっての喫緊の課題である。

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い 一強が招いた政治腐敗

2017年は、森友問題と加計学園疑惑に揺れた一年だった。すべてはアベ一強政治が招いた腐敗。忖度という言葉が、流行語大賞を取ってさらに話題ともなった。もり・かけとも、アベシンゾー夫妻との親しい間柄で甘い汁を吸おうとしたオトモダチ。朋友相信じた仲。にもかかわらず、その一人籠池泰典は、妻ともども、拘置所での年越しを余儀なくされている。旗色悪しと見たアベに、トカゲの尻尾よろしく切り捨てられたからだ。私は、籠池の思想には唾棄を催すが、その人柄には親近感を覚える。いまやすべてを失った彼に、一抹の同情を禁じえない。
一方、加計孝太郎は、すべてを保持したままこの年の瀬を逃げ切ろうとしている。安倍と気の合う仲間にふさわしい陰湿さに、忌まわしさを感じるばかり。何を考え、どこで、何をしながらの年越しだろうか。
水の流れが澱めば、必ず腐敗する。アベ一強忖度政治の教訓を噛みしめたい。
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う うっかりせずに、しっかり反対「安倍9条改憲」

アベ改憲は4項目。「緊急事態」・「教育の拡充」・「参院選挙の合区」と、自衛隊を明文化しようという「アベ9条改憲」。アベの関心は、もっぱら9条で、その他は改憲擦り寄り、下駄の雪諸政党にバラ播かれた餌だ。いずれも、明文改憲なくとも困ることは生じない。
問題は、「9条改憲」のみなのだ。「現にある自衛隊を憲法上の存在として確認するだけ」「だからなんにも変わらない」というウソを見抜かなければならない。本当に「何にも変わらない」のなら、改憲の必要などない。本当は様変わりするのだ。
「自衛隊違憲論」者(当然、私もそのなかにいる。)にとって、自衛隊を明文化しようという「アベ9条改憲」が、驚天動地のトンデモ改憲案であることは論を待たない。しかし、「自衛隊は自衛のための最低限度の実力を超えるものではなく『戦力』にあたらない。それゆえ『戦力』の保持を禁じた9条2項に違反しない」という専守防衛派にとっても、憲法の景色は様変わりすることになる。
武力組織としての自衛隊を憲法が認めることは、9条2項を死文化することになる。そのことが、自衛隊の質や量、可能な行動範囲への歯止めを失うということになるのだ。それだけではなく、いまや自衛隊は戦争法(安保関連法)によって、一定の限度ではあるが集団的自衛権行使が可能な実力部隊となっている。これを憲法で認めるとなれば、憲法が集団的自衛権行使を容認することにもなる。
うかうかと、アベの甘言に欺されてはならない。
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え 越年しても忘れない

アベ改憲のたくらみも、壊憲政治も、そして政治と行政の私物化も、すべてはアベシンゾウとその取り巻きのしでかしたこと。アベ一強政治が続いたからこその政治危機であり、腐敗である。
これに対する国民の側の反撃の運動も、大きく育ちつつある。覚醒した市民と立憲主義を大切に思う野党の共闘こそが希望だ。来年こそ、この共闘の力を発揮して、アベ退陣と、改憲阻止を実現したい。このことを、けっして越年しても忘れてはならない。
先日の「安倍靖国参拝違憲訴訟の会・関西訴訟団」の闘いを締めくくる声明の末尾に、「戦争を志向し人権を侵害する行為を見逃さない司法が確立し、今後、閣僚らの靖国参拝が永遠にとどめられるまで、闘いをやめないことを宣言する。」とあった。闘いに負けない秘訣は、「永遠に闘い続け、闘いをやめないこと」だ。そう。決意しよう。
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お 沖縄の悲劇と沖縄の希望

そして、特筆すべきは沖縄の闘い。オスプレイやCH53が墜落する。米兵の犯罪が横行する。辺野古の新基地建設のための大浦湾の埋立が進んでいる。反対運動が弾圧を受けている。DHCテレビがフェイクニュースを垂れ流す。米軍が保育園や小学校にヘリの部品を落とすと心ない本土のウヨクが政権の意向を忖度して、保育園や小学校に「ヤラセだろう」と電話をかける…。
沖縄全土が、反アベ・反トランプとならざるを得ない深刻な事態。いまや、アベ政権対オール沖縄の、安全保障政策をめぐる政治対決の様相。新年2月4日には名護市長選挙、これを前哨戦として11月には沖縄県知事選が闘われることになる。
沖縄は、いまだに虐げられた非劇の島である。しかし、粘り強くスクラムを組んだ闘いを続けることにおいて、希望の島となりつつある。アベ政権にNOを突きつける意味でも、オール沖縄支援したい。

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か からだ気をつけ 風邪引かぬよう

ところで、先日同期の児玉勇二さん(元裁判官・現弁護士)から、「健康に生きたいー真の健康への自立と連帯」という旧著(1981年刊)を送っていただいた。280ページにもおよぶ、児玉さんの健康回復実践と思索の記録である。

キーワードは、「自然治癒力」。人間が自然の一部であることを自覚して、生活に自然を取り込むよう心がけること。人工的な環境・人工的な食品・人工的な薬品を避けて、自然の中での運動にいそしみ、偏食なく伝統的な自然食品を摂取すべきだという。「食品公害」という語彙が頻繁に出てくる。この書は、まだサプリメントが横行していない時代のものだが、定めしサプリメントは健康の敵。

私は健康に自信がない。児玉さんに学び、「自然治癒力」を体内に取り込んで、すこしでも平和な世、誰もの自由や権利が尊重され商業主義に毒されない真っ当な世になるまでを見極めたい。それが、年の瀬の私の願い。
(2017年12月31日)

李京柱「アジアの中の日本国憲法」ー韓国と日本の平和な未来への祈りとして

李京柱 (リキョンジュ)さんが、「アジアの中の日本国憲法: 日韓関係と改憲論」(勁草書房)を上梓された。発行日が、2017年7月20日となっている。320頁を超える浩瀚な書。「韓国と日本の平和な未来への祈りとして受けとっていただきたいと思う」とのメッセージが、目に飛び込んでくる。

李さんは、「1965年韓国光州生まれ。高麗大学法学部卒業、一橋大学大学院法学研究科で博士後期課程修了、博士(法学)。ドイツDAAD・アメリカUC Berkeley,Visiting Scholar、韓国慶北大学法学部助教授を経て、現在韓国・仁荷(INHA)大学法科大学院教授。専攻は憲法学」と紹介されている。

私は、2011年4月に、日本民主法律家協会の韓国憲法裁判所調査の際にソウルで初めてお目にかかり、韓国の憲法事情や司法制度について教えを受けた。その後、靖国神社を一緒に訪問したり、日の丸・君が代強制拒否訴訟の法廷を傍聴していただいたり、大統領弾劾デモに関して講演をお願いするなどしてきた。

常に温和な李さんなのだが、この本のあとがきには、李さんの心穏やかではいられない心情が綴られている。

「2016年、3度目の在外研究生活の…下半期は留学生活をしていた懐かしい東京(一橋大学)で過ごした。ほぼ20年ぶりの長期滞在は多くのことを感じさせた。
一番印象的だったのは本屋であった。ある本屋はコーヒーさえ飲めば何時間でも新しい本を読んでよいということであった。発想の転換が面白かった。ところが、その本屋には私のような社会科学関係の研究者が読めそうな本はほとんどなかった。入口の方に、良く売れている広い意味での社会科学関係の本が並んでいたが、それは嫌韓、嫌中のような本だったり、そのようなことを煽っている著名人の本だったりであった。
二番目に印象に残ったのは日本会議であった。20年前の日本にもそのような動きがなかったわけではないが、ほとんど注目されず、取るに足りない存在に過ぎなかった覚えがある。靖国神社などの周辺で街頭演説をする人が韓国の新聞などで取り上げられるときも、一握りの存在に過ぎず、身の回りの普通の生活を送っている人は健全で安心して交流してもよいと勧めたりしていた。ところが、2016年の日本は国会議員の多くが日本会議の会員であり、特に安倍内閣の大多数はそこのメンバーであった。
在日韓国・朝鮮人ほどではないが、自分自身、韓国と日本にまたがる人間であって、韓国と日本の平和と友好が実現してほしいと心から願っている者になっていることに気が付く。日本に留学したことで、韓国にいるといつも日本のことについて訊かれる。日本にいると韓国のことについていろいろと訊かれる。しかし、20年ぶりの日本はこのような私に非常に大きな戸惑いを感じさせた。この国はいったいどこに行ってしまうんだろう。」

あとがきの最後は、次のように締めくくられている。
「この(日本の平和主義の)危機の根源には、『アジアの中のものとしての日本国憲法』という認識の著しい風化もあると思われる。風化は主に、日本国憲法は日本一国のものではなく、アジアへの不戦の誓いであることを忘れることからきていると思う。『日本の安全』のみならず、『日本に対する安全』に関する平和的感受性が必要な時期である。」

日本人は、『日本の安全』のみを論じているが、アジアの諸国は『日本に対する安全』を危惧していることを忘れてはならないという指摘。「平和的感受性」という言葉が痛い。平和を考える際に必要な感受性とは、「自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」、あるいは「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」するという心情であろう。これが、いま日本で退化し、韓国で進化しているのだ。

また、李さんの問題意識は、次の一文によく表れている。
「「平和憲法の核心は他国を侵略しないことである」という議論もあるようだ。確かに日本国民の多くが「第九条も自衛隊も」という相矛盾する憲法意識を持っていることを考えると、専守防衛というカードが侵略戦争という絶対悪を防ぐ切り札になるかもしれない。ところが自衛隊を認めることは、果たして侵略戦争阻止の止め石になるのか、それとも侵略戦争への渡り橋になってしまうのか、油断できない。第九条があってやっとここまで防げたとは考えられないだろうか。そういう議論は古すぎるのであろうか。
いずれにせよ、自衛隊が軍隊として認められてしまうことは、アジアの諸国にとっては衝撃的な出来事になるであろう。日本はアメリカとは戦後処理をしたかもしれないが、アジアとはまともにしていない。日本がアジアに対するまともな戦後処理なしにアジア社会に復帰できたのは、第九条という約束があったからに違いない。この約束が破られることをアメリカは了解するかもしれないが、アジア諸国は大きなショックを受けるだろう。」

日本は、もっと「アジアの中の日本国憲法」を意識せよ。とりわけ、アジアに対する不戦の誓いとして第九条があることを忘れるな。という指摘なのだ。

なお、この本の帯のフレーズと、目次とを紹介しておきたい。
日本国憲法は日本のものでもあるが、9条の先駆性からすれば世界のもの、不戦の誓いという歴史性を考えればアジアのものとも言える。アジア、とくに韓国では9条をめぐる時事的なことについてどう考えられているのか。韓国憲法との比較も交え、アジアの中での日本国憲法の意義について論じる。」

目次
はしがき
第?部 アジアと日本国憲法の制定
第一章 アジアにとっての日本国憲法
1 「日本の安全」と「日本に対する安全」
2 安保関連法と東アジア
3 東アジアと「日本に対する安全」
4 日本国憲法第九条とアジアの平和的未来
第二章 武力による憲法と武力によらない憲法の間
1 近くて遠い国、そして憲法調査会
2 武力による平和主義と韓国
3 武力によらない日本国憲法
4 「論憲」の今日的意味とアジアの平和
第三章 仲間入りの憲法――韓国からみた日本国憲法
1 招魂式と改憲
2 仲間入りの憲法と仲間外れの改憲
3 憲法改正の限界と自民党の憲法改正案
4 姿を消した平和的生存権
5 平和の仲間に

第?部 日本国憲法とアジア
第一章 韓国と日本の平和を語り合う――平和主義の現在と将来
1 平和を論じる
2 日本の平和主義が韓国の平和主義に語りかける平和的生存権
3 韓国の平和主義が日本の平和主義に語りかける「平和外交」
4 日本の外交に平和を望む
5 東アジアの平和を担うべき韓国と日本
第二章 第九条、アジアのものになりえるか
1 二〇〇五年、自民党「新憲法草案」の波長
2 後ろ向きの日本の平和主義
3 前向きの韓国の平和主義
4 改憲、アジアのためになるのか
5 信頼の岐路
第三章 東北アジアから見た憲法第九条の役割――韓国の平和運動を中心に
1 「平和からの脱走」と「平和の熱望」
2 平和主義の自立
3 市民社会と平和
4 韓国憲法の平和主義発見とその限界
5 日本国憲法第九条と東北アジアの平和

第?部 韓半島の平和とアジア
第一章 韓国憲法の平和主義、可能性と限界
1 はじめに
2 韓国憲法史と平和主義
3 平和主義の構造と内容
4 平和的生存権
5 限界
6 小括
第二章 韓半島緊張の原因と平和への道
1 停戦六〇周年の韓半島
2 北の外交国防政策
3 南の外交と国防政策
4 韓半島の平和体制のための実践策
5 韓半島の平和のための憲法論
6 むすびに代えて
第三章 韓半島の平和体制と日本
1 はじめに
2 平和協定の争点
3 「南北基本合意書」と平和体制
4 韓半島の平和体制の課題と日本
第四章 韓国における国家緊急権と有事法
1 災害を名乗る日本の国家緊急権
2 戒厳令
3 緊急命令
4 動員法としての諸有事法制
5 むすび
あとがき
資料
年表
索引
(2017年8月11日・連続第1594回)

憲法記念日を前に訴える緊急声明(日民協)ー「軍事力で問題は解決しない!米朝対立による戦争の危機を回避せよ」

1.日本国憲法施行70年を迎える憲法記念日が近づいています。憲法は前文
で「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存す
る権利を有することを確認」しています。ところが今、朝鮮半島に「戦争の
危機」が迫っています。
私たち日本民主法律家協会は、米国および北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和
国)両国の対立から、東アジアで戦争が起きることを断固として回避し、あ
くまで話し合いによって問題解決を図るよう、米、朝両国政府に訴えるとと
もに、日本政府と韓国、中国、ロシアを初めとする東アジアの各政府が問題
を深刻にとらえ、対話による問題解決の道を開くため、あらゆる努力を傾注
することを求めます。

2.北朝鮮政府は、度重なる国連の決議にも拘わらず、核兵器および、その運
搬手段である中、長距離の弾道ミサイルの開発を進め、実験を続けてきてい
ます。これに対し、米国の新政権は、これまでの北朝鮮への経済制裁、韓国、
日本との共同訓練だけでなく、武力による制圧を計画し、近海への空母攻撃
団の派遣など圧力を強めています。そしてさらに、米国は「あらゆるオプシ
ョンがテーブル上にある」「中国が協力しなければ、独力で北朝鮮核問題を
解決する」「一線を越えれば、トランプ大統領は行動に出る」などと発言、
一方の北朝鮮も「米国が選択すれば戦争に乗り出す」「米国の無謀な軍事作
戦に先制打撃で対応する」「トランプ政権の対朝鮮政策は、歴代政権と比べ
てもさらに悪辣で好戦的」などと応酬、「宣伝戦」を続けています。
4月18日に行われたペンス米副大統領と安倍晋三首相との会談では、ペン
ス米副大統領が、「平和は力によってのみ初めて達成される」と述べたこと
に対し、安倍首相が事実上同意して、この「力による『平和』」を支えるた
めに「北朝鮮が真剣に対話に応じるよう圧力をかけていくことが必要だ」な
どと軍事的対立を煽るかのような発言をしています。
こうした日本国憲法の平和理念と正反対の動きに竿をさす安倍首相の責任
は重大であり、私たちは強く抗議します。
これらの発言は、メディアで取り上げられ、拡大され、それぞれの考え方
や思惑を越えて、世界に不安と不信を広げています。

3.私たちは、いかなる事情があろうとも、問題を武力で解決しようとする双
方の考え方を支持することはできません。
私たちは日本中をがれきにし、アジアで2000万、日本人だけで300
万を超す犠牲者を出した戦争の惨禍を経て、非戦、非武装の日本国憲法を守
り、70年を生きてきました。
しかし、今回、いずれかの国が「先制攻撃」をし、もう一方がそれに「反
撃」をすれば、米朝両国だけでなく、韓国も日本も、その戦争に巻き込まれ
多大な犠牲を出すであろうことは、火を見るより明らかです。まして、いっ
たん核兵器が実戦に使われたならば、一地域の問題ではなく、地球規模の被
害となることも必定です。
国民の生命と財産を守るべき日本政府は、こうした状況を冷静に見据え、
あくまで、朝鮮半島がそのような事態にならないよう、両国に訴えかけるな
ど、積極的な努力をしなければなりません。そして同時に、平和的な外交手
段を通じて、北東アジア地域全域の「武力によらない平和と安全保障」を追
求しなければなりません。
いま私たちは、この危機に直面して、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と
欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」とう
たった憲法前文と、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行
使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」とした憲
法九条を改めて思い起こし、「軍事力で問題は解決しない」ことを、声を大
にして訴えます。

日本政府と米朝両国、また、両国をはじめ世界の人々が、直ちに、話し合
いの呼びかけなど、そのための具体的な努力をされるよう、こころから訴え
るものです。
2017年 4月19日
日本民主法律家協会
理事長 森 英 樹

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少しだけ、私見を付け加える。
今対決すべきは、「平和は力によってのみ初めて達成される」という思想。70年前の日本国憲法制定時に、われわれはこれを採らないとした思想だ。私たちは戦争の惨禍を経て、「武力による平和」という考えを捨てて平和憲法を採択した。私たちのテーブルには、豊富な平和への選択肢がある。しかし、武力による威嚇や武力の行使による平和構築という選択肢はない。

樋口陽一氏の講演録からの引用である。
「1931年の満州事変の時、国際法学者の横田喜三郎(1896ー1993)は、「これは日本の自衛行動ではない」と断言した。その横田の寄稿を載せた学生たちの文集が手許にある。その中で横田は「汝平和を欲さば、戦への備えをせよ」とのラテン語の警句を引き、「汝平和を欲すれば平和を準備せよでなければならない」と呼び掛けた。そして文集に、学生が「横田先生万歳!」「頑張れ!」と共感を書き込んでいる。恐らく、この2人の学生は兵士として出征しただろう。再び母校に戻ってくることはなかったかもしれない。」

今必要なのは、「平和は力によってのみ初めて達成される」に対置される、「平和を欲するがゆえの平和を準備」にほかならない。平和を欲して「平和を準備する」その一歩は、とにもかくにも平和を望む声をあげることだ。日民協の声明は、その一つの試み。その声明を紹介する私のこのブログも、そのような小さな声の一つ。

日民協の緊急声明。是非とも、転載拡散をお願いしたい。

(2017年4月19日)

雨にも負けず、アベにも負けず、改憲を許さぬ街宣行動。

花が満開となったあと、東京の天候が不順である。アメリカや日本の政権並みの異様さだ。
昼休み時刻、降りしきる雨である。しかも冷雨だ。激しくはないが風もある。スピーカーの音が雨に消されそう。当然のことながら、ビラの受け取りは悪かろう。で、今日は街宣活動はやめようか。逡巡して私は中止を提案したが、仲間の熱意が勝って結局は雨中の街宣決行となった。参加者10名。その平均年齢は60代の半ばだろう。なんたる意欲満々。

雨の中本郷三丁目交差点をご通行中の皆さま、ご近所の皆さま。こちらは地元「本郷・湯島九条の会」の定例の訴えです。しばらくお耳をお貸しください。

私たちは、「憲法を守ろう」、「憲法の理念を大切しよう」、「とりわけ何にも代えがたい平和を守りぬこう」、「絶対に戦争を繰り返してはならない」、「安倍政権の危険な暴走を食い止めなければならない」。そういう思いから、訴えを続けています。雨にも、アベにも、負けてはいられません。

アメリカがシリアを巡航ミサイルで攻撃しました。明らかな国際法違反です。世界にならず者国家というものがあるとすれば、まさしく、その筆頭がトランプのアメリカではありませんか。国連憲章は、自衛権の行使を例外として、武力の行使を認めていません。今回のトランプの攻撃がいかなる意味でも自衛のためであったはずはありません。国連ではシリアの化学兵器使用の確認を調査しようという話し合いが進んでいたところに、突然の攻撃。常軌を逸しているとしか評しようがありません。

しかも、さらにはシリアから矛先を転じて対北朝鮮への恫喝であり挑発です。複数の空母を朝鮮半島の至近海域に展開して、北朝鮮を牽制しようということのようです。一触即発という言葉が頭をよぎります。「シリアも、北朝鮮も怪しからん」「だから、徹底して脅して傷めつけてやれ」などという短絡した反応であってはなりません。日本国民としては、安定した平和な朝鮮半島情勢を築くべく、外交努力を求めなければならないと思います。安倍首相のように、条件反射的に、「アメリカのやることなら、爆撃でも進攻でも、なんでも支持します」では不安でなりません。今こそ、憲法の平和主義の理念を再確認しなければならないと思います。

もうすぐ、5月3日の憲法記念日がやって来ます。「国民の祝日に関する法律」では「日本国憲法の施行を記念し、国の成長を期する」日。今年(2017年)の憲法記念日は70周年の節目。言わば、憲法が古稀を迎えます。

この日本国憲法が生まれて生きてきた70年間、日本は戦争に踏み切ることも、戦争に巻き込まれることもありませんでした。明治維新以来、日本は10年ごとに、戦争を繰り返してきました。戦後70年間、戦争のないことは、日本国憲法の貴重な功績というべきではありませんか。いま、その平和主義の理念を再確認して日本にも、関係各国にも、声を大にして平和的な問題解決を呼びかけようではありませんか。

平和憲法を守ろう、憲法の平和主義を貫徹しよう、という訴えは、70年前から一貫した切実な国民の声であって、色褪せることはありません。ご一緒に、平和を求める世論を作りあげていこうではありませんか。

風雨激しいなかでの宣伝活動だった。思いのほか、通行人の共感を呼んだのではないか、というのが、参加者の事後の感想。韓国から来た旅行者たちが、足を止めて「写真を撮らせてください」と興味を示した一幕もあった。ビラの手を休めて一人が憲法擁護の意義などを話したところ、若い韓国人旅行者が「ボクたちも同じ考えです。がんばってください」と言ったそうだ。小さな、国際連帯。

次回は、5月9日(火)のお昼休み。12時15分から13時まで。今度はきっと、青空の下の宣伝活動。共謀罪審議が本格化している頃だ。場所はいつもの、本郷三丁目交差点、かねやすの前。憲法を大切に思う方、どなたでもご参加を。
(2017年4月11日)

気の合う似た者同士 春の夜の秘密の会話

A国首脳からB国首脳への打電
秘密が厳重に守られていることを信頼して、ご連絡いたします。
貴国が、本日(3月6日)午前7時36分ごろ、貴国西岸から東北東に向けて発射した飛距離約1千キロの弾道ミサイル4発のうち3発がわが国西岸海域の排他的経済水域(EEZ)に到達して落下。残る一発も域外近海に着水。私は、貴国を強く非難する談話を発表し、防衛相は「引き続き、情報収集・警戒監視に万全を期せ」との指示を出した。折しも、わが国の国会は、小学校新設問題をめぐっての私と妻のスキャンダルで騒然としていたところ。私の名を冠した校名で寄付を集め、私の妻が名誉校長に就任していた小学校の新設。その校地の国有地払い下げに私ども夫婦が関与したという疑惑。いつものことながら、実にタイミングよく貴国がミサイルを発射して、国民の関心をそらしていただき、私の窮地を救っていただいたことを感謝申し上げます。

B国首脳からA国首脳への返信
お役に立てたこと、欣快の至りでございます。
貴殿を首班とする長期政権が貴国の政治に継続することが、わが国にとっての死活的利益なのです。貴殿は、貴国を軍事大国化するとして、強引に突出した防衛予算膨張政策を続けていますが、その政策こそが我が国と軌を一にするところです。貴国が軍事費の膨張を重ねるから、我が国も軍備拡張してミサイル発射の口実をもつことができる。貴国も、我が国の軍備拡張を根拠に、防衛予算の拡大ができる。持ちつもたれつの親しい間柄ですから、貴殿の事情は常に把握し、必要あると忖度されるときは果敢にミサイル発射でも、核実験でもさせていただきます。貴国のナショナリズム喚起のため、そして何よりも貴殿の政権存続のために。

A国首脳からB国首脳への再打電
貴殿は貴国創建者の3代目。私も、政治家3代目。お互い気心が通じる素地があろうかと思います。私は、我が国の防衛力を強化して軍事大国化することが念願ですが、そのためには国民精神が危機意識をもってナショナリズムに覚醒しなければならりません。ところが、我が国には平和憲法があって、国民は平和主義・国際協調主義にすっかり慣れてしまっています。笛吹けど踊らぬ国民を踊らせるには、貴国の存在が何より必要なのです。世論調査における私の支持率は、貴国のミサイル発射のたびに持ち直すのです。今後も、よろしくお願いします。

B国首脳からA国首脳への再返信
我が国こそ、とりわけ私こそ、貴殿に感謝と恩義を感じています。
仮に、貴国において平和憲法を守ろうという政治勢力が政権に就くようなことがあれば、お互いにとってこの上ない悪夢というしかありません。貴国の軍備は削減されて、領海や国土の保全機関に徹することになり、あるいは大規模な環境保護部隊や災害救助専門部門に改組されて、我が国にとっての脅威でなくなるとすれば、我が国の軍事力維持増強の根拠が崩壊することになる。これは、恐るべき事態ではありませんか。

A国首脳からB国首脳への再々打電
まったく、おっしゃるとおり。腹を割ってお話しすれば、お互い利害を共通にし、同じ悩みももつもの同士。自国の民心を掌握するためには、ナショナリズムを喚起し隣国に対する敵愾心を掻きたてなければなりません。「自国は常に正義、相手国は常に邪悪」とお互いに非難し合うことが効果的なのは、歴史の示すところ。

B国首脳からA国首脳への再々返電
今回のミサイル発射は、今月1日から始まったC・D両国合同軍事演習に対する不快感の表明でもあり、自国民へのアピールでもあります。国民は、自国の軍備の増強には、無邪気に素直に喜ぶのです。国民は、政権と被治者の間の敵対関係を見抜くことなく、「自国」の軍備増強大歓迎なのです。このことは貴国でも事情は同じことでしょう。私の国から見ますと、天皇制政府が被抑圧階級を搾取し弾圧したことは動かしがたい歴史の事実。その天皇制政府の高官として、戦争突入内閣の商工大臣を務め、大陸侵略の大立て者だった人物の孫を、被抑圧階級が選挙で選んでいることが信じがたい滑稽なことではあります。それでも、ミサイル発射は貴殿の窮状を救うためなのです。

A国首脳からB国首脳への再々々打電
私の方こそ、貴国の独裁体制には批判があるのですが、それを言い始めると、いつものようにぶち切れますのでやめておきます。いずれにせよ、貴殿と私とは、一心同体ともいうべき軍事力信奉者であり、軍備拡大論者なのですから、お互いに相手の軍備増強姿勢を批判しつつも根拠にしつつ、表向きは相手国を挑発者と罵りながらしっかりと軍備増強に励もうではありませんか。

B国首脳からA国首脳への再々々返電
そう、お互いがお互いを挑発者とし、軍事演習を不快とし、新しい兵器の調達や防衛予算の拡大を口実にし合いながら、持ちつ持たれつで、軍備の増強に励もうでありませんか。

両首脳からの同時発信
有意義な意見交換でした。表面は反発し合いつつ、それぞれの国の軍備を増強しましょう。
(2017年3月6日)

「押しつけられた憲法」ではない。「守り抜いた憲法」だ。

ご近所の皆さま、ご通行中の皆さま。こちらは「本郷湯島九条の会」です。「平和憲法を守ろう」、「平和を守ろう」、「日本を、再び戦争する国にしてはならない」。そのような思いで、活動している小さなグループです。小さなグループですが、同じ思いの「九条の会」は全国に7500もあります。

安倍内閣の改憲策動を許さない。平和憲法を壊してはならない。政策の選択肢として戦争をなし得る国にしてはならない。全国津々浦々で、7500の「九条の会」が声を上げています。しばらくご静聴ください。

日本国憲法は、70年前に公布されました。言わば、今年が古稀の歳。人間と違って、年老いるということはありません。ますます元気。ますます、役に立つ憲法です。私たちは、これを使いこなさなくてはなりません。

しかし、この憲法が嫌いな人がいます。なんとかしてこの憲法を壊したい。別のものに変えてしまいたい。その筆頭が、今の総理大臣。最も熱心に、最も真面目に、憲法を守らなければならない立場の人が、日本中で一番の憲法嫌い、最も熱心に日本国憲法を亡き者にしようと虎視眈々という、ブラックジョークみたいな日本になっています。

皆さまご存じのとおり、この人は「戦後レジームから脱却」して、「日本を取り戻す」と叫んでいます。「戦後レジーム」とは、日本国憲法の理念による社会のあり方のこと。日本国憲法の理念とは、国際協調による平和、民主主義、そして一人ひとりがかけ替えのない個人として人格を尊ばれる人権擁護のこと。

総理大臣殿は、そんな社会が大嫌いなのです。そのホンネが、2012年4月に自民党が公式に発表した「日本国憲法改正草案」に生々しく書かれています。

この改憲草案は、102条1項に、「すべて国民はこの憲法を尊重しなければならない」と書き込みました。これはおかしい。憲法とは、本来主権者である国民が権力を預けた者に対する命令の文書です。だから現行憲法は、「天皇または摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員」に憲法を尊重し擁護する義務を課しています。「国民に対する憲法尊重義務」を書き込むことは、憲法の体系を壊すこと、憲法を憲法でなくしてしまうことにほかなりません。

そして、自民党改憲草案は、現行憲法の「第2章 戦争の放棄」を、「第2章 安全保障」と標題を変えます。これは極めて示唆的です。日本は、戦争を放棄した国ではなくなるということです。今の自衛隊では戦争ができない。戦争するために差し支えのない国防軍を作ろうというのです。軍法会議も憲法に明記しようというのです。こうして、戦争を国の政策の選択肢のひとつとして持ちうる、戦争のできる国に変えようというのです。

もちろん、政権は、国民の権利も自由も大嫌いです。言論の自由をはじめとする国民の権利は大幅に切り下げられます。国民の自由に代わって、責任と義務が強調されることになります。「公益と公の秩序」尊重の名の下に国家・社会の利益が幅を利かせることになります。

それだけではありません。緊急事態条項というとんでもない条文まで紛れ込ませました。日本国憲法制定のための議会の審議では「権力に調法だが、それだけに危険だから憲法には置かないことにした」という代物です。戦争・内乱・自然災害などの「緊急事態」においては、国会を停止させようというのです。その代わりを内閣がする。法律でなければできないことを政令でできるようにする。予算措置も、内閣だけで可能というのです。

そして、自民党改憲草案の前文は、日本を「天皇を戴く国」とし、天皇を元首としています。憲法に、国旗国歌条項を書き入れるだけではもの足りないと、国民に国旗国歌尊重義務を課するという徹底ぶり。これが、安倍晋三が称える、「日本を取り戻す」というものの正体ではありませんか。

元首たる天皇が権威を持ち、国防軍が意のままに行動でき、反戦平和の運動や政府批判の言論が弾圧される。個人主義などもってのほか、人権ではなくお国のために尽くしなさいと教育がなされる国。それが、自民党・安倍政権が目指す「取り戻すべき日本」というほかはありません。

政権や自民党は、「憲法は外国から押しつけられたものだから変えましょう」という。これもおかしい。この70年の歴史を曇りない目で見つめれば、アメリカと日本の軍国主義者たち、日本国憲法は邪魔だという権力者たちが、日本国民からこの憲法を奪い取ろうとしてきた70年であったというべきではありませんか。

私たち国民にとっては、押しつけられたのではなく、守り抜いた日本国憲法ではありませんか。このことを私たちは、誇りにしてよいと思います。

憲法への評価は、立場によって違うのが当然のこと。一握りの権力に近い立場にいる者、経済的な強者には、邪魔で迷惑な押しつけかも知れません。しかし、大部分の国民にとっては、嫌なものの押しつけではなく、素敵なプレゼントだったのです。

もし、仮に日本国憲法を押しつけというのなら、押しつけられたものは、実は日本国憲法だけではありません。財閥解体も、農地解放も、政治活動の自由も、言論の自由も、労働運動の自由も、政教分離も、教育への国家介入禁止も、みんなみんな「押しつけられた」ことになるではありませんか。「押しつけられたものだから、ともかくいったんは、ご破算にしてしまえ」ということになりますか。

今年は、女性参政権が実現してから70年でもあります。46年4月の歴史的な衆議院議員選挙で、はじめて女性が選挙に参加しました。憲法を押しつけというなら、男女平等も押しつけられたもの。「外国から押しつけられた女性の参政権は、日本の醇風美俗を失わしるもの。だからご破算にして元に戻せ」などというおつもりですか。日本国憲法押しつけ論は、もうバカバカしくて何の説得力もありません。

憲法の制定にも携わった憲法学者である佐藤功が、こう言っています。
「憲法が君たちを守る。君たちが憲法を守る」

ここでいう「君たち」とは私たち、一般国民です。政治権力も経済権力もない圧倒的多数の相対的弱者のこと。「憲法は弱い立場の国民を守る」からこそ、国民にとって守るに値する日本国憲法なのです。だから「弱い立場にある私たち国民が憲法を守ってきた」のです。憲法を都合よく変えたいとする強い立場にある人たちとのせめぎあいを凌いでのことなのです。

これまで、日本国憲法を守り抜いて、自分たちのものにしてきたからこそ、憲法の古稀を目出度いものとしてお祝いしようではありませんか。

なお、一点付け加えます。日本国憲法は、国家よりも個人を大切にしています。ところが、今東京都の教育現場では、都教委が教員に国旗国歌(日の丸・君が代)に敬意を表するよう「起立・斉唱」の職務命令を発し、これに従わなかった教員に懲戒処分を濫発しています。これは、個人よりも国家を貴しとする思想にもとづくもの。しかも、教員の思想良心の自由を侵害する権力の行使であり、教育の内容に公権力が介入してはならないとする教育基本法が定める大原則の侵害でもあります。これではまるで戦前の日本。あるいは、まるでどこかの独裁国家のよう。到底自由な国日本の現象ではありません。

このことについては、幾つもの訴訟が提起されていますが、今最も大きな規模の「東京「君が代」裁判・4次訴訟」での原告本人尋問が、11月11日(金)に行われます。どなたでも、98席が満席になるまで、手続不要で傍聴できますので、ぜひお越しください。
 時 11月11日(金)午前9時55分?午後4時30分
所 東京地裁103号法廷

6人の原告の皆さんが、いま、この社会で、東京の教育現場で起こっている現実が生々しく語られます。きっと、感動的な法廷になります。そして、石原都政以来の憲法蹂躙の都政と東京都の教育行政に、ご一緒に怒ってください。よろしくお願いします。

ご静聴ありがとうございました。
(2016年11月8日)

自衛隊員よ。危険を背負わされて、南スーダンに行くなかれ。

アベ政権は、アフリカ・南スーダンPKO(国連平和維持活動)に派遣予定の陸上自衛隊部隊に「駆けつけ警護」と「共同防護」の任務を付与しようとしている。今月(11月)15日にも閣議決定の予定と報道されている。大統領派と副大統領派の戦闘の現実を、「戦闘ではない、衝突に過ぎない」と無責任なレトリックで、危険な地域に危険な任務を背負わしての自衛隊派遣である。これは、海外派兵と紙一重。

これまで派遣されていたのは「南スーダン派遣施設隊」の名称のとおり、施設科(工兵)が主体。道路修復などもっぱらインフラ整備を主任務としてきた。今度は、普通科(歩兵)だ。危険を認識し覚悟しての自衛隊派遣。派遣される自衛隊員も危ないし、自衛隊員の武器使用による死傷者の出ることも予想されている。

アベ政権が、危険を承知で新任務の自衛隊派遣を強行しようというのは、憲法を壊したいからだ。憲法の平和主義を少しずつ侵蝕して、改憲の既成事実を積み上げたい。いつの日にか、「巨大な既成事実が憲法の理念を押さえ込む」ことを夢みているのだ。

1992年6月成立のPKO協力法(正式には、「国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律」)審議は、国論を二分するものだった。牛歩の抵抗を強行採決で押し切って、にようやくの成立となった。もちろん、憲法との整合性が最大の問題だった。

そもそも1954年成立の自衛隊法による自衛隊の存在自体が憲法違反ではないか。これを、与党は「自衛権行使の範囲を超えない実力は戦力にあたらない」として乗り切った。そのため、参議院では全員一致で「自衛隊の海外出動を為さざることに関する決議」をしている。

PKO協力法は、その自衛隊を海外に派遣しようというもの。明らかに違憲ではないかという見解を、法に「PKO参加五原則」を埋め込むことで、「戦闘に参加する恐れはない。巻き込まれることもない」として、乗り切ったのだ。

そして今度は、「駆けつけ警護」と「宿営地の共同防護」だ。場合によっては、積極的に武器使用を辞さない覚悟をもっての自衛隊派遣を許容する法が成立し、運用されようとしている。これを許せば、いつたい次はどうなることやら。

下記は、10月27日付けの法律家6団体による「南スーダン・PKO自衛隊派遣に反対する声明」である。さすがに問題点をよくとらえている。

 安倍政権は、多くの市民の反対の声を無視して、2015年9月に「戦争法」(いわゆる「安保関連法」)の制定を強行し、この中で「国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律」(いわゆる「PKO法」)も改正された。施行された改正PKO法によって、今年11月には、南スーダンへ「派遣」される青森駐屯地の陸上自衛隊第9師団第5普通科連隊を中心とした部隊に、他国PKO要員などの救出を行う「駆け付け警護」と国連施設などを他国軍と共に守る「宿営地の共同防護」の任務を付与しようとしている。
 そもそも、1992年にPKO法が制定された時、PKO活動の変質(米ソ冷戦前は北欧やカナダなどが原則非武装で、派遣国の停戦・受入合意がある場合にPKO活動を行っていたが、米ソ冷戦後は時にアメリカなどの大国が重武装で、しかも派遣国の停戦・受入合意がない場合でもPKO活動を実施するようになった)と憲法との関係(自衛隊をPKO活動に「派遣」するのは憲法9条違反ではないかという議論)から、当時の野党は国会で牛歩戦術まで使って抵抗したほど議論があった。
 そのため、政府・与党もPKO法を制定したものの、PKO法に基づく参加に当たっての基本方針として5原則(?紛争当事者間での停戦合意の成立、?紛争当事者のPKO活動と日本のPKO活動への参加の同意、?中立的立場の厳守、?上記原則が満たされない場合の部隊撤収、?武器使用は要員の生命等の防護のために必要最小限のものに限られること)を定め、自衛隊のPKO活動はあくまで復興支援が中心で、武器使用は原則として自己及び自己の管理に入った者に限定し、派遣部隊も施設部隊が中心であった。
 しかし、南スーダンでは、今年4月に大統領派と反政府勢力の前第1副大統領派とが統一の暫定政府を立ち上げたが、今年7月に両派で大規模な戦闘が発生し、この戦闘ではPKO部隊に対する攻撃も発生し、中国のPKO隊員と国連職員が死亡している。国連安保理は、今年8月にアメリカ主導で南スーダン政府を含めたいかなる相手に対しても武力行使を認める権限を付与した4000人の地域防衛部隊の追加派遣をする決議案を採択したが、この決議には南スーダンの代表自体が主要な紛争当事者の同意というPKOの原則に反しているという理由で反対し、ロシアや中国なども棄権している。今月も大統領派と前第1副大統領派との間での戦闘が拡大し、1週間で60人もの死者を出している。この状況はとてもPKO参加5原則を満たしている状況とはいえない。そして、政府が今後予定しているのは、施設部隊に加えて普通科部隊や、さらに中央即応集団の部隊も派遣される可能性があり、他国部隊を守るために武器使用に踏み切るならば、憲法9条で否定された武力行使にあたることになる。
 私たち改憲問題対策法律家6団体連絡会は、憲法違反の「戦争法」(いわゆる「安保関連法」)の廃止を引き続き求めていくとともに、かかる状況の下での自衛隊の南スーダンへの派遣と新任務の付与に断固として反対するものである。
  2016年10月27日
改憲問題対策法律家6団体連絡会
 社会文化法律センター 代表理事 宮里邦雄
 自由法曹団 団長 荒井新二
 青年法律家協会弁護士学者合同部会 議長 原和良
 日本国際法律家協会 会長 大熊政一
 日本反核法律家協会 会長 佐々木猛也
 日本民主法律家協会 理事長 森英樹

その後さらに、事態は悪化している。国連南スーダン派遣団(UNMISS(アンミス))参加国の撤退が相次いでいるからだ。

ケニア政府は11月3日、現地部隊にUNMISSからの即時撤退を命じた。同国は南スーダンの隣国、1230人を派遣してUNMISS総人員約1万3000人の主力をなし、UNMISSの司令官を出す地位にあった。ところが、潘基文国連事務総長はこのオンディエキ司令官を解任した。同国部隊が撤退した事情は、「今年7月首都ジュバで発生した政府軍と反政府勢力との戦闘のなか、政府軍の攻撃で多くの住民が死傷し、海外の援助関係者がレイプなどの被害に遭ったにもかかわらず、UNMISSの歩兵は動かなかった」「このため、国連は1日公表の報告書で、文民保護に失敗したと断定。司令官だったオンディエキ氏はその責任を追及されたとみられる」と報じられている。

文民警察を派遣していた英国、ドイツ、スウェーデン、ヨルダンなども、7月の戦闘を契機に「安全確保」などの理由で文民警官を国外に退避させている。新たな任務を帯びた自衛隊は、そんなところに行くのだ。

UNMISSの一員としての自衛隊は、その任務遂行のためには南スーダン政府軍との交戦が避けられない。既に、PKO参加五原則の要件は崩壊している。敢えての自衛隊派遣と駆けつけ警護等による武器使用は、憲法の許すところではない。

自衛隊員よ。南スーダンに行くなかれ。
(2016年11月7日)

9条発案者を「幣原からマッカーサーに入れ替えた」ことの意味

本日(11月6日)の東京新聞1面トップの見出しが、「入れ替わった9条提案 学習漫画『日本の歴史』」「幣原→マッカーサーに」というもの。

小学館発行の学習漫画『日本の歴史』の、最終巻「現代の日本」の中の一コマの内容が、ある時期増刷の際に「9条提案者が入れ替わっていた」というもの。ことは、「平和憲法」が押しつけられたものか否かという論争に関わる。内容改変の時期は、20年余の以前に遡るものだが、東京新聞はこれを今日的に意味ある問題としてトップ記事に取り上げたのだ。

リード
 戦争放棄を盛り込んだ憲法九条は、日本側の意思でつくられたのか、それとも連合国軍総司令部(GHQ)に押し付けられたものなのか。長く論争となってきたテーマについて、読者の方から興味深い情報が寄せられた。小学館の学習漫画は当初、幣原喜重郎首相の提案と表現していたが、ある時からマッカーサーGHQ最高司令官の提案に変わったという。記載はいつごろ変わったのか、どんな事情があったのか、学習漫画を巡る『謎』を追った。

本文
 学習漫画は『少年少女日本の歴史』。第一巻が一九八一年から刊行されているロングセラーだ。指摘された場面は第二十巻『新しい日本』の中で、四六年一月二十四日の幣原・マッカーサー会談を描いた一コマ。出版時期が違うものを探して比べたところ、絵柄はほぼ同じなのに発言内容が変わっていた。

 具体的には、九三年三月発行の第三十三刷は、戦争放棄を憲法に入れるよう提案したのは幣原としていたが、九四年二月発行の第三十五刷はマッカーサーの提案となっていた(第三十四刷は見つからず)。現在発行されている増補・改訂版は二十一巻で現憲法制定に触れているが二人の会談場面は描かれていない。(以下略)

記事は、、改変前後のマンガの一コマを対比している。
いずれも、左にマッカーサー右に幣原の会話の図柄。よくよく見ると、マッカーサーの帽子のふくらみ具合が少しだけ違ようだが、まったく同じと言っても差し支えない。そして、両コマに戦争放棄発案の吹き出しが付けられている。その吹き出しの向きが違っている。

ビフォアーは、幣原の発言となっている。その内容は次のとおり。
「病中いろいろ考えたのですが、新しい憲法には、戦争放棄ということをもりこみたいと思います」
そして、これにマッカーサーが「大賛成です!」と応じている。

アフターは、幣原ではなくマッカーサーの発言となっている。
「いろいろ考えたのだが、新しい憲法には、戦争放棄ということを盛りこもうと思う」

ビフォアーでは、両者の言葉遣いは対等者間のもの。これに対して、アフターではマッカーサーの言葉遣いが、やや命令口調。「押しつけ」のニュアンスがにじみ出ている。92年?93年に、どうしてこうなったか。小学館も不明といい、東京新聞も解明できなかったとしている。

東京新聞は、このことに気付いて発信を始めたという埼玉県日高市のドイツ人平和歴史学者、クラウス・シルヒトマン氏(72)のインタビューを掲載している。
インタビューは、『戦力不保持を明記した九条は際立っている。この条文を各国の憲法に生かすことができれば、大きな起爆剤となるはずだ』という同氏の発言で締められているが、内容改変の動機やその影響については、説得力ある発言となっていない。

この学習漫画「少年少女日本の歴史」のキャッチフレーズは、「『日本の歴史』学習まんがの決定版!」「30年以上にわたるベストセラーです。2015年現在、累計発行数は1800万部。あの『ビリギャル』もこのシリーズで日本史を学びました。全23巻をセットで読んでも、興味のある巻だけ読んでもしっかり楽しく学べます。」というもの。たいへんなロングセラーである。

また、このようにも宣伝されている。
「〈日本の歴史が楽しくわかる。〉綿密な時代考証にもとづき旧石器時代から現代までを大迫力のまんがで再現。子供が最初に出会う歴史書として楽しみながら正しい知識が得られる本格的な全書です。」「学習まんがだから小学生でも読みやすく、しかも内容は本格的。中学入試からセンター試験まで、小中高・・・と長く利用できます。親しみやすいまんがで学ぶ事により歴史が大好きになります。」「偏差値が上がるともっぱらの評判! 受験に役立ちます。映画『ビリギャル』のモデルが愛用して慶應大学に合格したという大人気シリーズです。」

そして、「第21巻 現代の日本(?現代)」。「この本は、1981年10月に発行されたものを、1998年2月に『改定・増補版』として新しくまとめたものです。」「この巻では、敗戦後から現代に到る日本の姿を描きます。敗戦後の日本は激動の時代でした。アメリカの占領、日本国憲法の制定、経済大国への道、そして平成の現代までをまんがでときあかします。戦後、現代の日本がどのようにしてできたかをわかりやすく描きます。」となっている。

私も、店頭でパラパラとめくって見たおぼえがある。内容悪くなかったはず、という印象がある。

インターネットは便利だ。10頁ほどの立ち読みができる。
そのマンガのなかに、こんなセリフが出てくる。
「何だ、何だ?」「農地改革だと?」
「ばあちゃんよろこべ」「地主の農地を国が買い上げて、おれたち小作人に安くはらい下げてくれるそうだ」
「えっ、ありがたいこった!」「もう小作料を払わなくてもいいんだな」「そうとも。働いた分だけ自分のものになる」
「地主の世の中は、もう終わりなんじゃな。」「もう、ペコペコせずにすむぞ」
「くそっ、GHQめ!!」

「空襲はどうだったか。」
「は、全部やけました。」
「全部、あ、そう。」
「この子たちは、戦災孤児であります。」
「あ、そう…」「元気にやりなさい」
(マークゲインを思わせるアメリカ人記者)「天皇に対する日本人の態度には、おどろかされるばかりだ」

「おや、あれは?」「NHKの街頭録音だぞ」
「あなたの今の最大の関心事は?」
 「戦地から帰らぬ長男のことじゃ。」
 「天皇の戦争責任のことだ」
 「食うこと、それが一番ですよ」

この年の五月、皇居前広場で食糧メーデーが行われました。
 「ワタシタチハ オナカガ ペコペコデス」
 「詔書 国体はゴジされたぞ。朕はタラフク食ってるぞ。 ナンジ人民飢えて死ね。ギョメイギョジ」

問題は、基調としては以上のような水準にある学習歴史漫画が、どうして突然に改説したかである。当初は、明確に「9条幣原発意説」を採りながら、突然にマッカーサー発意説に、わざわざ変更したのだ。新たな資料が発見された、あるいは有力学説の大きな転換があった、などという事情は考えられない。東京新聞は、「湾岸戦争で世界の批判影響か」としているが、推測としても説得力がない。

「9条幣原発意説」と「マッカーサー発意説」のいずれが歴史的真実であるかという歴史学的論争とは関わりなく、「押しつけ憲法論」者からの圧力があったとするのが最も考え易いところではないか。

歴史は、真相を探求し真実のとおりに語るべきが当然である。自分に都合のよいように歴史を断定してはならない。私は、マッカーサーの証言を信憑性高いものとして「9条幣原発意説」を有力とみるが断定はしがたい。また、仮に「マッカーサー発意説」でも、あるいは「両者合同発意説」でも、70年経過した今日、日本国民が選び取った9条になっていることにいささかの影響もないとも思っている。

しかし、「押しつけ憲法論」の陣営にとっては、幣原発意説ではプロパガンダ上具合が悪いのだ。だから、幣原発意説を攻撃し、「学習漫画『日本の歴史』」に対しては、その圧力が奏功したと見るべきだろう。教科書だけではない。国民の監視の目が届かないところでは、あるいはその目が曇れば、あらゆる場面で歴史修正主義が跋扈することになる。このことが本日の東京新聞トップの記事が語る教訓といってよいと思う。
(2016年11月6日)

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