9条発案者を「幣原からマッカーサーに入れ替えた」ことの意味
本日(11月6日)の東京新聞1面トップの見出しが、「入れ替わった9条提案 学習漫画『日本の歴史』」「幣原→マッカーサーに」というもの。
小学館発行の学習漫画『日本の歴史』の、最終巻「現代の日本」の中の一コマの内容が、ある時期増刷の際に「9条提案者が入れ替わっていた」というもの。ことは、「平和憲法」が押しつけられたものか否かという論争に関わる。内容改変の時期は、20年余の以前に遡るものだが、東京新聞はこれを今日的に意味ある問題としてトップ記事に取り上げたのだ。
リード
戦争放棄を盛り込んだ憲法九条は、日本側の意思でつくられたのか、それとも連合国軍総司令部(GHQ)に押し付けられたものなのか。長く論争となってきたテーマについて、読者の方から興味深い情報が寄せられた。小学館の学習漫画は当初、幣原喜重郎首相の提案と表現していたが、ある時からマッカーサーGHQ最高司令官の提案に変わったという。記載はいつごろ変わったのか、どんな事情があったのか、学習漫画を巡る『謎』を追った。
本文
学習漫画は『少年少女日本の歴史』。第一巻が一九八一年から刊行されているロングセラーだ。指摘された場面は第二十巻『新しい日本』の中で、四六年一月二十四日の幣原・マッカーサー会談を描いた一コマ。出版時期が違うものを探して比べたところ、絵柄はほぼ同じなのに発言内容が変わっていた。
具体的には、九三年三月発行の第三十三刷は、戦争放棄を憲法に入れるよう提案したのは幣原としていたが、九四年二月発行の第三十五刷はマッカーサーの提案となっていた(第三十四刷は見つからず)。現在発行されている増補・改訂版は二十一巻で現憲法制定に触れているが二人の会談場面は描かれていない。(以下略)
記事は、、改変前後のマンガの一コマを対比している。
いずれも、左にマッカーサー右に幣原の会話の図柄。よくよく見ると、マッカーサーの帽子のふくらみ具合が少しだけ違ようだが、まったく同じと言っても差し支えない。そして、両コマに戦争放棄発案の吹き出しが付けられている。その吹き出しの向きが違っている。
ビフォアーは、幣原の発言となっている。その内容は次のとおり。
「病中いろいろ考えたのですが、新しい憲法には、戦争放棄ということをもりこみたいと思います」
そして、これにマッカーサーが「大賛成です!」と応じている。
アフターは、幣原ではなくマッカーサーの発言となっている。
「いろいろ考えたのだが、新しい憲法には、戦争放棄ということを盛りこもうと思う」
ビフォアーでは、両者の言葉遣いは対等者間のもの。これに対して、アフターではマッカーサーの言葉遣いが、やや命令口調。「押しつけ」のニュアンスがにじみ出ている。92年?93年に、どうしてこうなったか。小学館も不明といい、東京新聞も解明できなかったとしている。
東京新聞は、このことに気付いて発信を始めたという埼玉県日高市のドイツ人平和歴史学者、クラウス・シルヒトマン氏(72)のインタビューを掲載している。
インタビューは、『戦力不保持を明記した九条は際立っている。この条文を各国の憲法に生かすことができれば、大きな起爆剤となるはずだ』という同氏の発言で締められているが、内容改変の動機やその影響については、説得力ある発言となっていない。
この学習漫画「少年少女日本の歴史」のキャッチフレーズは、「『日本の歴史』学習まんがの決定版!」「30年以上にわたるベストセラーです。2015年現在、累計発行数は1800万部。あの『ビリギャル』もこのシリーズで日本史を学びました。全23巻をセットで読んでも、興味のある巻だけ読んでもしっかり楽しく学べます。」というもの。たいへんなロングセラーである。
また、このようにも宣伝されている。
「〈日本の歴史が楽しくわかる。〉綿密な時代考証にもとづき旧石器時代から現代までを大迫力のまんがで再現。子供が最初に出会う歴史書として楽しみながら正しい知識が得られる本格的な全書です。」「学習まんがだから小学生でも読みやすく、しかも内容は本格的。中学入試からセンター試験まで、小中高・・・と長く利用できます。親しみやすいまんがで学ぶ事により歴史が大好きになります。」「偏差値が上がるともっぱらの評判! 受験に役立ちます。映画『ビリギャル』のモデルが愛用して慶應大学に合格したという大人気シリーズです。」
そして、「第21巻 現代の日本(?現代)」。「この本は、1981年10月に発行されたものを、1998年2月に『改定・増補版』として新しくまとめたものです。」「この巻では、敗戦後から現代に到る日本の姿を描きます。敗戦後の日本は激動の時代でした。アメリカの占領、日本国憲法の制定、経済大国への道、そして平成の現代までをまんがでときあかします。戦後、現代の日本がどのようにしてできたかをわかりやすく描きます。」となっている。
私も、店頭でパラパラとめくって見たおぼえがある。内容悪くなかったはず、という印象がある。
インターネットは便利だ。10頁ほどの立ち読みができる。
そのマンガのなかに、こんなセリフが出てくる。
「何だ、何だ?」「農地改革だと?」
「ばあちゃんよろこべ」「地主の農地を国が買い上げて、おれたち小作人に安くはらい下げてくれるそうだ」
「えっ、ありがたいこった!」「もう小作料を払わなくてもいいんだな」「そうとも。働いた分だけ自分のものになる」
「地主の世の中は、もう終わりなんじゃな。」「もう、ペコペコせずにすむぞ」
「くそっ、GHQめ!!」
「空襲はどうだったか。」
「は、全部やけました。」
「全部、あ、そう。」
「この子たちは、戦災孤児であります。」
「あ、そう…」「元気にやりなさい」
(マークゲインを思わせるアメリカ人記者)「天皇に対する日本人の態度には、おどろかされるばかりだ」
「おや、あれは?」「NHKの街頭録音だぞ」
「あなたの今の最大の関心事は?」
「戦地から帰らぬ長男のことじゃ。」
「天皇の戦争責任のことだ」
「食うこと、それが一番ですよ」
この年の五月、皇居前広場で食糧メーデーが行われました。
「ワタシタチハ オナカガ ペコペコデス」
「詔書 国体はゴジされたぞ。朕はタラフク食ってるぞ。 ナンジ人民飢えて死ね。ギョメイギョジ」
問題は、基調としては以上のような水準にある学習歴史漫画が、どうして突然に改説したかである。当初は、明確に「9条幣原発意説」を採りながら、突然にマッカーサー発意説に、わざわざ変更したのだ。新たな資料が発見された、あるいは有力学説の大きな転換があった、などという事情は考えられない。東京新聞は、「湾岸戦争で世界の批判影響か」としているが、推測としても説得力がない。
「9条幣原発意説」と「マッカーサー発意説」のいずれが歴史的真実であるかという歴史学的論争とは関わりなく、「押しつけ憲法論」者からの圧力があったとするのが最も考え易いところではないか。
歴史は、真相を探求し真実のとおりに語るべきが当然である。自分に都合のよいように歴史を断定してはならない。私は、マッカーサーの証言を信憑性高いものとして「9条幣原発意説」を有力とみるが断定はしがたい。また、仮に「マッカーサー発意説」でも、あるいは「両者合同発意説」でも、70年経過した今日、日本国民が選び取った9条になっていることにいささかの影響もないとも思っている。
しかし、「押しつけ憲法論」の陣営にとっては、幣原発意説ではプロパガンダ上具合が悪いのだ。だから、幣原発意説を攻撃し、「学習漫画『日本の歴史』」に対しては、その圧力が奏功したと見るべきだろう。教科書だけではない。国民の監視の目が届かないところでは、あるいはその目が曇れば、あらゆる場面で歴史修正主義が跋扈することになる。このことが本日の東京新聞トップの記事が語る教訓といってよいと思う。
(2016年11月6日)