ホントのところはですね。安保法制についての丁寧な説明なんて要らないんでございます。なんと言っても、自民党が選挙に勝っているわけでございますから。しかも圧倒的にですよ。国民の皆さまから、存分にやりたまえとワタクシは予めのご支持を得ているんでございます。だから、丁寧な説明抜きの採決強行についても、国民から了解済みだということをご了解いただきたいわけでございます。
民主主義の世の中ですから、民意が最も大切でございましょ。その民意は選挙に表れます。けっして、デモや集会ではないのでございます。2014年暮れの総選挙では、幸いに我が自民党が、主権者の皆さまから厳粛に引き続いての政権の委託を受けたわけでございます。国権の最高機関である国会の議席は、与党が圧倒的な多数を占め、第一党の党首であるワタクシが内閣総理大臣としての指名を受け、憲法の規定に従って天皇陛下にご任命いただいたのでございます。
選挙制度が歪んだ鏡になっているとか、小選挙区制のマジックだとか、民意は正確に議席に反映されていないとか、自民党の絶対支持率はわずか25%だとか、いろいろご意見のあることはすべて承知しています。しかし、どれもこれも民意を獲得できなかった陣営の負け惜しみというほかはありません。現行のルールでワタクシたちは勝たせていただいたのです。勝てば官軍、しかも民主主義の儀式としての選挙で勝ったのです。
その選挙の公約をよくお読みいただけば、今国会でご審議いただいている法案のことも書き込んでありますよ。具体性がないとか、目立たないようにしている、などという些末なご批判はとるに足りないものと思います。公約とは、全体的な方向を決めるものではないでしょうか。そもそも我が党は、堂々と9条を改正して国防軍を作るという具体的な憲法改正案を公表しています。ワタクシが右翼的だとか好戦的だとか、反憲法的だなどと言われているのは、今日に始まったことではありません。昔からのことでございますよ。もちろん選挙前からのこと。それでも、堂々と選挙に勝たせていただいたのですから、安全保障政策については、国民の皆さまから、このワタクシとワタクシの率いる政権がお任せいただいた、そう考えて差し支えないではありませんか。
そもそも、安全保障や軍事の問題については、国民の皆さまには分かりにくいことなのです。選挙で選ばれた政権に任せていただくことがもっとも適切だと確信しているわけでございます。
分かりにくさの原因の一つは、問題が複雑で専門用語も多いこと、本当に理解するためには厖大な時間と労力が必要なのです。実のところ、ワタクシだってよくは分かっていないのです。信頼する官僚の作ってくれた資料とメモの棒読みでなんとか急場を凌いでいるのですから。ましてや、主権者である国民の皆さま方はお忙しい。勤務のことや商売のことで頭がいっぱいでございましょう。安保法制だけを考えて暮らしておられるわけではない。デートもすれば、プロ野球も気になる、NHKのドラマも見なけりゃならないでございましょ。国民の皆さまが十分に安保法制の理解ができないことは当然のことでもあり、やむを得ないことでもあるのです。
分かりにくさの原因のもう一つは、ことがらの性質上、明らかに出来ないことが多いことにあるのでございます。何しろ、防衛機密の漏示は、戦前であれば死刑を含む重罪でした。国会では、野党の諸君が「情報公開せよ」「説明責任を全うせよ」「事実が分からずして審議ができるか」などと叫びます。国民の皆さまには、一見もっともな要求と聞こえるかも知れません。しかし、責任あるワタクシとしては、軽々に公の場で防衛秘密を漏示するに等しい利敵行為に及ぶことができようはずはありません。とぼけて話をそらしているだけというわけでもないのでございます。
ですから、我が国の安全保障についての論議は、ワタクシを信頼してお任せいただくしかないのでございます。ワタクシが信頼できないとなれば、次の選挙でワタクシに代わるどなたかを選び直せばよいのです。それまではワタクシが総理として責任をもって、法案を提出し国会では与党多数で粛々と物事を決めていく。これが民主主義というものでございます。もちろん一億国民の中には、反対も心配もございましょう。しかし、いちいちこれに対応していては、ものごとは前には進みません。何よりも安全保障には政策決定のスピードと断固たる姿勢が大切なわけでございます。
選挙で選ばれたワタクシこそが国民の総意を体現する立場にあるのでございます。ですから、ワタクシを信頼することは、民意を尊重すること。主権者国民の皆さまには、ワタクシに政治をお任せていただき、反政府的な「戦争法案反対」のデモや集会に参加するなど面倒な上に無駄なことはおやめになって、日常生活にいそしんでいただきたいのでございます。それこそが、賢明でもあり、望ましい民主主義政治のあるべき姿でございましょう。
ワタクシを首班とする閣議決定も、ワタクシの内閣が提案する法案も、それ自体が民意そのものであります。ですから、国民の皆さまには、中身を読まずとも、この法案が国家の安全を守り、国民の幸福を維持し増進するものと信頼していただくことが何よりも肝要なのでございます。
それでも、「戦争準備の法案だ」「他国の戦争に巻き込まれるおそれがある」「安倍の危険な好戦性の表れだ」「違憲の立法だ」などという悪宣伝が振りまかれていますので、これを払拭するために、繰りかえし「国民の皆さまには丁寧な説明を」と申しあげてまいりました。
何のための「丁寧な説明」か。もちろん、国民の皆さまを説得しご納得いただいて、ワタクシにご同意をいただくためのものでございます。けっして、国民の皆さまの民意を問い直すものではございません。法案成立は、国際公約なのですから、今さら撤回はできません。世論調査の結果では「丁寧な説明がなされていない」「説明不足だ」という意見が8割を超えて、説明すればするほど法案に反対の声も増えているやに聞いております。ワタクシのインターネット出演も評判が芳しくない。それなら、聞く耳を持たない、ものわかりの悪い国民の皆さまへのご説明は無駄なことですから、打ち切らざるを得ません。国会の内外でのご説明を打ち切って、「決めるときには決める」。これこそがワタクシに与えられた任務なのでございます。
繰りかえしになりますが、安保法制関連2法の採決強行は、国民の皆さまから負託を受けたワタクシの責任として断固行うものなのでございます。でありますから、野党や、憲法学者や、弁護士会や、広範な有識者や、今や反安倍で固まりつつあるマスコミの論調や、今は影響力を失った自民党の長老諸氏や、宗教団体や、反対の決議を上げている地方議会や、元法制局長や、労働組合や民間諸団体や、昨日は大人数で国会前に押しかけた若者たちや、世論調査に表れた反対世論などが、どんなに大きな声で、なんと言おうとも、やるべき時にはやらねばならないのです。反対の声に耳を傾けて、その説得力にうろたえ反対勢力の大きさに圧倒されて遅疑逡巡することは、尊敬する祖父の遺志に反することでもあり、民主主義にもとるあるまじきことであるとのワタクシの信念をご理解くださるようお願いする次第でございます。
いま、安保法制関連法案に反対は、圧倒的な国民の声になりつつあります。しかし、幸いにして、その反対世論は内閣の不信任には直結していません。最近の世論調査でも、いまだに安倍内閣の支持率は40%を維持しています。たとえ「衆参両院で2度の採決を強行して、その都度支持率が5%ずつ低下しても、まだ30%台に踏みとどまることができ、危険水域までは落ちないというのが政権の思惑だ」、一部のマスコミがこう報道したとおりなのです。「このような事態でなお私を支持してくれる国民の3割」こそがワタクシの心の支えで、頼りであり杖なのでございます。私を支持し共鳴される、この人たちのいる限り、ワタクシはその方々の誠の心に応えるつもりなのでございます。
(2015年7月11日)
本日は、東京「君が代」裁判・4次訴訟の第6回口頭弁論期日。東京地裁527号法廷が、代理人席傍聴席とも満席となった。原告の準備書面(5)の陳述に加えて、原告1名、原告代理人1名が口頭で意見陳述をした。
「日の丸・君が代」強制の職務命令違反を理由とする懲戒処分の効果は、第1次訴訟の最高裁判決が、かろうじて処分の合憲性を認めたが、損害を伴わない戒告のみにとどめるべきとして、減給停職等の実質損害を伴う処分は過酷に過ぎて違法とされている。
石原教育行政の処分の量定は以下のように累積加重するものであった。
1回目不起立 戒告
2回目 減給(10分の1・1か月)
3回目 減給(10分の1・6か月)
4回目 停職1月
5回目 停職3月
6回目 停職6月
おそらくは、7回目で免職を考えていたはず。
この累積加重の懲戒処分の手法を我々は、「転向強要システム」と呼んだ。心ならずも、思想・良心を枉げて、国旗国歌(「日の丸・君が代」)への敬意表明強制の屈辱を受け入れるまで、処分は加重され、それでも拒否し続ければ最終的には失職を余儀なくされる。400年前の、あのキリシタン弾圧の踏み絵と同じ構造だというのが我々の主張である。最高裁は、この点を認めた。最高裁が認める処分の量定は、原則戒告だけなのである。
もちろん、原告団も弁護団も、それで満足していない。違憲の判断を求めて、裁判所を説得する努力を重ねている。訴状と、その後の5本の原告準備書面は、違憲論で埋めつくされている。本日陳述の準備書面(5)も同様である。そして、その中のさわりを弁護団の雪竹奈緒弁護士が語った。
テーマは「儀礼・儀式論」である。最高裁の合憲判断の理由中に、「卒業式の国旗国歌掲揚は儀礼・儀式に過ぎない」と述べられている。「儀礼・儀式に過ぎないものの強制は、直接に思想良心を侵害するものとはならない」との文脈である。これへの反論の仕方には、「儀礼・儀式であっても、その強制は思想良心の自由を侵害しうる」というものもあるが、本日の雪竹弁護士の論旨は、「学校行事における儀礼・儀式こそ、子どもへの特定の思想刷り込みの手段として危険なもの」ということにある。
長文の準備書面の一部の要約だが、短くすることで、ポイントを凝縮した分かり易い意見陳述となった。以下、その原稿を掲載する。
なお、原告本人(数学科教員)の陳述も、教育の場における「日の丸・君が代」強制の問題点を浮かび上がらせて、立派な内容だった。残念ながら、当ブログへの掲載の許諾を得ることを失念していた。後日あらためて掲載したい。
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意 見 陳 述
東京地方裁判所民事第11部乙B係 御中
原告ら訴訟代理人 弁護士 雪竹 奈緒
1 本件で問題となっている国旗掲揚・国歌起立斉唱につき、最高裁判所は、「学校の儀式的行事」における「慣例上の儀礼的な所作」であって、個人の思想良心を直ちに制約するものではない、と述べています。また都教委は、国旗掲揚・国歌起立斉唱は「国際儀礼」である、として、やはり「儀式」「儀礼」であるから思想良心の侵害にはならない、と主張します。
しかし、「儀式である」から、「儀礼である」から、起立斉唱を命令しても思想良心を侵害しない、ということになるのでしょうか。むしろ、「学校儀式」における「儀礼的所作」こそが子どもへの思想注入に利用され、大変恐ろしい結末をもたらしたという歴史的事実があったのだという現実を、私たちは決して忘れてはなりません。
2 戦前の小学校や中学校においては、三大節や四大節といった国家の祝祭日に、学校儀式を挙行することが、小学校令施行規則などによって定められていました。その内容は、時期によって多少の違いはあるものの、おおむね「唱歌君が代合唱」、「天皇・皇后の『御真影』への一同最敬礼」、「学校長教育勅語奉読」等を含むものでした。昭和期にはいって発表された文部省「礼法要綱」では学校儀式の順序・方式等を細かく定め、全国で画一的な学校儀式が挙行されてきました。
戦前の学校教育は総体が、教育勅語を中心として「忠君愛国の志気を興す」国民教化の場でしたが、特に学校儀式については、四大節に関する教材に以下のような教員向け記述があります。「天長節の儀式と緊密に関連させて、最後に右のごとき心構を喚び起こし得るように取り扱う。」その内容として「みんな天長節の式に列して、ほんとうにおめでたい日であると思った。お写真を拝んでありがたいと思った。天皇陛下の御恵みをうける私たちは、みんなしあわせである。天皇陛下が益々お健やかで、日本の国が益々栄えていくことをうれしいと思った。わたしたちも、先生のいいつけをよく守って、りっぱな国民にならなければならない、という覚悟をつよくした。」とあります。
すなわち、学校儀式は、児童生徒にこのような忠君愛国の心構えを植え付ける目的があることを明言しているのです。
実際、戦前の学校儀式を体験した人たちの証言では、「私たちの周囲には国とか天皇とかいうただならぬものがたちこめていて、子供心に私はすくなくともただならなさは感じとっていた」とか、「(御真影は)何かわけが分からぬながら、畏敬すべきもの、この世のほかのものという印象を受けていた」など、厳粛な雰囲気の学校儀式の中で、天皇や国家が神聖化され、「何かわけが分からぬながら」ひれ伏すべきもの、という心情が醸し出されていったことが見てとれます。
国家は目に見えない抽象的なものであり、天皇ははるか遠くの存在です。それを、旗や歌、御真影といった「目に見えるもの」「感得出来るもの」に象徴させ、それらを使った儀式を繰り返し行うことによって、国民に、天皇や国家への絶対服従を刷り込んでいったのです。
このような忠君愛国精神の国民に統合された国家がいかなる悲劇を生んだかは、あらためてここで申し上げる必要もないと思います。
3 10・23通達は戦前回帰だ、というと、「何を大げさな」「この近代民主主義国家で、今さら、あのころのような戦争体制に戻るはずはない」とお思いになる方が多いかもしれません。しかし、つぶさに見ていくと、それが決して杞憂でないことがお分かりいただけると思います。
かつて国家統合の象徴として利用された「君が代」や「日の丸」を中心に据えた儀式。
御真影の位置や式の順序等を詳細に定めた戦前の学校儀式同様、国旗の掲揚位置や式次第、会場設営まで詳細に定めた画一性。
何よりも、「厳粛かつ清新な」雰囲気の中で例外なく全員を起立斉唱させることで、ただなんとなく「全員が起立斉唱するのが当然のもの」「国旗・国歌は敬意を表すべきもの」という雰囲気を醸し出すこと。
なんと、戦前の儀式の光景に似ていることでしょうか。
10・23通達の実施の指導の中で、近藤精一指導部長が次のような発言をしています。「卒業式や入学式について,まず形から入り,形に心を入れればよい。形式的であっても,立てば一歩前進である。」
「形」すなわち儀式から入り、後に「心」を入れる。まさに、戦前の学校儀式と同じ意図を有していることを、都教委自身が告白しているのです。
4 10・23通達について、これは教師や生徒にロボットになれというのと同じことであるとし、ナチスの将校、アイヒマンの例を引いて警鐘を鳴らす学者もいます。アイヒマンは、ナチス・ドイツの占領したヨーロッパ全域からユダヤ人をポーランドの絶滅収容所に移送する責任者で、ホロコーストに大きな責任を負っている人物でした。しかし彼は、上司の命令をただ伝えただけだと裁判で抗弁し、自分が義務に忠実であったわけで、ほめられることはあっても犯罪者ではないと主張しました。
行政や上司の命令について、その内容を吟味することなく無目的に従うことを当然視する教員が多くなってしまえば、皆がアイヒマンになってしまうわけで、その命令が誤っていたときに取り返しのつかない結果をもたらすことになるのです。
5 現在、国会で議論されている、いわゆる安保関連法案について、「戦争できる国家体制づくりだ」と批判する声が上がっています。「戦争できる国家体制」に、「国家に絶対服従する国民」がそろったら、この国はどうなってしまうのでしょうか。いま、この国は重大な岐路に立たされています。
平和国家70年の歴史に恥じないご判断を裁判官の皆様にお願いして、私の陳述を終わります。
(2015年7月10日)
じん肺と闘う運動の中から生まれた名フレーズが、
「あやまれ、つぐなえ、なくせ。じん肺」 というもの。
「あやまれ、つぐなえ、なくせ。公害」 とも使われる。
思想弾圧にも、侵略戦争にも、植民地支配にも、対内的な戦争責任にも、戦時の人権侵害にも、加害・被害の関係のあるところ、責任追及と関係修復のスローガンとして、普遍性を持つものとなっている。
交通事故でも、学校事故でも、医療過誤や消費者被害でも、イジメ事件でも傷害事件でも同様だ。被害者の求めるものは、まずは加害責任を明確にしての真摯な反省に基づく謝罪である。これあればこその「つぐない」となり、さらに「なくせ」の徹底となる。これがそろって、被害者は加害者を宥恕することができることになり、関係は修復される。
まず何よりも、求められているのは真摯な謝罪である。真摯ならざる開き直りの似非謝罪は、被害者の心情をさらに傷つけ、加害被害関係の修復を困難にする。
安倍首相が7月3日の衆院平和安全法制特別委員会で枝野議員の質問に答える中でしたとされる自民党「報道圧力勉強会」暴言についての「陳謝」は、そのような似非謝罪の典型といえよう。「一応、謝っておきます」「謝ったんだからもういいだろう」「謝りついでに、言いたいことも言っておこう」という、真摯ならざる思惑が芬々なのだ。
だから、安倍自身はなんの償いもしようとはしない。口先以上の責任はとらない。自民党と安倍政権の体質から出たこの事件。「真摯なあやまり」がないのだから、「つぐない」も「なくせ」にもつながるはずはない。
この安倍謝罪について、大方の報道と解説は次のようなものである。
「自民党の若手勉強会で報道機関への圧力を求める発言や沖縄への侮辱的な発言が出たことについて『党を率いる総裁として国民に心からおわびを申し上げたい』『国民の皆様に申し訳ない気持ちだ。党の長年の沖縄振興、基地負担軽減への努力を水泡に帰すものであり大変残念だ』などと繰り返した。」
「先月25日の勉強会開催から約1週間、自民党総裁としての責任をようやく認めた形だ。首相側には当初、危機感はなかったが、安全保障関連法案の衆院通過に向けた環境整備に向け、方針を転換。明確に陳謝することで騒動を幕引きしたい考えだ。」(毎日)
委員会議事録(速報版)では、首相の発言は次のとおりである。
「先般の自民党の若手勉強会における発言につきましては、党本部で行われた勉強会でございますから、最終的には私に責任があるもの、このように考えております。
報道の自由、そして言論の自由を軽視するような発言、あるいはまた沖縄県民の皆様の思いに寄り添って負担軽減、沖縄振興に力を尽くしてきたこれまでの我が党の努力を無にするかのごとき発言が行われたものと認識をしております。
これは大変遺憾であり、非常識な発言であり、国民の信頼を大きく損ねる発言であり、看過することはできないと考え、そのため、谷垣幹事長とも相談の上、関係者について、先週土曜日、直ちに処分することとしたところでございます。」
「沖縄県民の皆様の思いに寄り添って負担軽減、沖縄振興に力を尽くしてきたこれまでの我が党の努力」とはよくも言ったり。その鉄面皮ぶりも腹立たしいが、「党本部で行われた勉強会でございますから、最終的には私に責任がある」という言いまわしにも引っかかる。あたかも、本来自分には無関係のことだが、立場上責任を認める、と言わんばかり。潔さの誇示さえ感じさせる。
いったい、どんな「勉強会」だったのかAERA最近号の記事が話題となっている。「自民党若手が開く『報道圧力』勉強会の真相 企業と法制局にも圧力」という表題。
会出席の衆院議員が、匿名を条件に取材に応じ、こう明かした。「会の本来の目的は(秋の総裁選での)安倍再選の雰囲気づくりだった」
発起人は党青年局長の木原稔衆院議員だが、背後の「プランナー」は会合にも出席していた安倍首相の側近である萩生田光一・党総裁特別補佐と加藤勝信官房副長官だったという。
同じ日に予定されていた「反安倍」議員の勉強会を中止させ、同じ週に放送される討論番組「朝まで生テレビ!」への議員の出演も、党本部の要請で出席を見送らせたとも伝えられている。万全の準備で臨んだ安倍応援の会合のはずだった。
私的勉強会といいながら、自民党を担当する記者でつくる「平河クラブ」に開催の案内が届いた。しかも、「終了後に、代表の木原稔より記者ブリーフィングをさせていただきます」とある。ひっそり勉強する会ではないことは、誰の目にも明らか。期待通り、大勢のメディアが集まり、会合の最中には「壁耳」と呼ばれる取材が行われた。
勉強会では、実際に報道されている以上に激しい言葉が飛び交った。
「(沖縄)タイムス、(琉球)新報の牙城の中で、沖縄の世論、ゆがみをどう正しい方向に持っていくか。(中略)沖縄はもう左翼勢力に乗っ取られちゃってる」
「朝日、毎日、東京新聞を読むと、もう血圧が上がって、どうしようもない。あれに騙されているんですよ、国民は」
「青年会議所も経団連も商工会議所も、子どもたちに悪影響を与えている番組ワースト10とか発表して、これに広告を出している企業を列挙すべきだ」
「法制局は法の番人とか言われているが、内閣法制局で法律家の資格を持っているのは6人だけ。言ったら、80人の医者のなかで免許を持っているのが6人だけの病院なんですよ。そういう人たちの解釈をずっと持ち続けないといけないのか」
よく分からない例えだ。最後に百田氏がこう締めくくった。
「政治家は言葉が大事。戦争と愛については何をしても許されるという部分はあるんです。その目的のためには、負の部分はネグったらええんです、はい。学術論文ではないのだから、いかに心に届くかです」
また、朝日(7月8日)は、次のようにも報じている。
そもそも、懇話会の目的は「保守思想の発信」にあった。懇話会代表の木原稔青年局長(当時)は周辺に「保守的な国家観や政策を国民に理解してもらうため、国民の心に響く言葉を学びたい」と語っていた。憲法改正に反対する「九条の会」を意識し、作家の大江健三郎氏や作曲家の坂本龍一氏らに対抗できる保守的な文化人を発掘することも念頭にあった。
しかし5月初旬、党内にリベラル系の若手議員が「過去を学び『分厚い保守政治』を目指す若手議員の会」を立ち上げたことで、「首相応援団」の性格が一層強まった。
9月の総裁選を無投票で乗り切りたい首相側はリベラル系の動きを警戒。首相側近の加藤勝信・官房副長官と萩生田光一・党総裁特別補佐が「顧問格」で入り、懇話会の人数集めに加わった。
何のことはない。問題暴言は「安倍の身内による安倍のための会合」でのことだったのだ。首相が他人事のように、「党本部で行われた勉強会でございますから、最終的には私に責任があるもの」などという謝り方で済む問題ではない。到底、真摯な反省に基づく謝罪ではない。安倍の陳謝の相手方は国民である。こんな謝り方で、国民が自民党や安倍政権を宥恕する気持になれるはずもない。
制服向上委員会のあの歌の歌詞が、妙にリアリティをもって響く。
「諸悪の根源 自民党」「大きな態度の安倍総理」
「本気で自民党を倒しましょう!」という以外に、加害・被害を清算する解決の途はなさそうである。
(2015年7月9日)
維新とはなんであろうか。
自民を見限って民主に期待し、民主にも裏切られた保守層の期待幻想が紡ぎ出した虚妄である。半自民、反民主ではあるが、自らの中にプリンシプルを持たない。だからまとまりはなく、一貫した政策もない。全員が一色ではなかろうが、全体としては、世の風向きを読むことに敏感で、自己保身の遊泳に精一杯なだけの、政治世界の盲腸のようなもの。
その盲腸、場合によっては虫垂炎を起こす危険な代物となる。虫垂内部で細菌が増殖すると、膿瘍を形成し穿孔し腹膜炎を起こして重症化する。対処を誤ると、局所症状に留まらず重篤な全身症状となって死に至ることさえもある。起因菌が増殖を始めた盲腸は早めに摘除しなければならない。
今まさしく、維新が危険な盲腸として炎症を起こしつつある。維新が、戦争法案の成立に手を貸そうとしているのだ。自・公とならんで、維新を世論の矢面に立たせなければならない。3本目の批判の矢が必要となっている。取り立ててなんの理念ももたない維新のことだ。世論の風向き次第で態度は変わる。摘出手術の荒療治まではせずとも、批判の注射だけで無害の盲腸に戻すことが可能となる公算もある。
昨日(7月7日)配信の時事通信記事は次のとおりである。
「民主党の枝野幸男、維新の党の柿沢未途両幹事長は7日、国会内で会談し、武力攻撃に至らないグレーゾーン事態に対処する『領域警備法案』について、共同提出を見送ることを確認した。…政府提出の安全保障関連法案の採決日程をめぐって対立し、共同提出に向けた協議が決裂。両党は8日にそれぞれ単独で国会提出する。
会談では同席した維新の馬場伸幸国対委員長が、領域警備法案の審議時間を確保するため、同法案と政府案の採決日程をあらかじめ与党側と合意するよう提案。政府案の廃案を目指す民主党は『与党に手を貸すようなことには協力できない』として拒否した。」
読売がきわめて適切な見出しをつけている。「枝野氏『突然、非常識な提案』 維新との協議決裂」というもの。記事は、「維新の党側は、与党が求めている関連法案の採決について、7月下旬に応じることを民主党に持ちかけた。」となっている。
産経の報道は次のとおり。
「民主党の枝野幸男幹事長は不快感をあらわにした。維新から『与党に手を貸すような提案』があった」「『出口の話をするような無責任な野党としての対応はできない』として決裂した」
この報道には驚いた。そして、呆れた。これまでは、極右政党「次世代」を除いて、野党の足並みは政府提案の戦争法案反対で揃っていたはず。少なくも、徹底審議での共闘合意ができていたはず。ところが、維新は態度を豹変させて、「戦争法案採決について7月下旬に応じることを民主党に持ちかけた」というのだ。枝野幹事長が「突然、非常識な提案」と怒るのはもっともな話。民主党の感覚が、真っ当ではないか。
ああ、そうなのか。あらためて合点が行く。6月14日突然に設定された安倍・橋下密談がこんな筋書きを描いていたのか。あれ以来様相が変わってきたではないか。対案を出すだの、民主と共同提案だのと維新が言っていたことは、すべて野党分断、民主抱き込みの伏線だったのか。自民党へ恩を売るための下工作だったのか。与党と維新の間では密約が成立し、「7月下旬採決強行」のスケジュールが組まれていたのだ。自民が、「7月15日採決案」をリークする。維新が手柄顔に、「7月下旬まで先延ばし」して、与党強行のイメージを薄めた採決の舞台を整える。この筋書きに、うっかり欺されるところだった。
維新とは「これ(維)新たなり」の意味だが。昨日露わになった維新のやり口は、まったく清新なところがない。旧態依然の、裏工作、駆け引き、目眩まし。永田町流政治術は自民の専売ではないのだ。
しかし、盲腸の変身が戦争法案反対の運動に大きな影響を及ぼすはずもない。飽くまで、正攻法で、戦争法に反対しよう。違憲法案は廃案にさせるしかない。それが、平和を維持し、国民の安全を守ることなのだ。政権と与党と維新に、3本の矢を突きつけて、それぞれを正々堂々と批判しよう。
(2015年7月8日)
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事態の変化は目まぐるしい。昨日(7日)民主と維新の幹事長会談では壊れた領域警備法案の共同提案が、本日(8日)の党首会談で元の鞘に収まったという。その上で、「党首会談では、与党に領域警備法案の十分な審議を求めることを確認し、法案が参院送付後60日経ても議決されない場合、衆院で再可決が可能となる「60日ルール」の適用を阻止することでも一致した。維新は7日の幹事長会談で、政府案と対案の採決日程を決めて与党と交渉する提案を行ったが、党首会談では取り上げなかった。」(産経)と報道されている。
それでも、「維新の正体」「維新への批判の必要」の私の見解は変わらない。本日のブログの原稿を訂正することなく、掲載する。
政府与党の戦争法案には違憲の烙印が定着した。自民も公明も、違憲の世論に抗いがたいと覚悟せざるを得ない深刻事態。世論の攻撃事態に重要影響事態となって、今や法案の存立危機事態なのだ。
この政府案にとって替わろうと登場したのが維新の対案。明日(7月8日)に国会上程の予定と報道されている。どのような裏工作あっての維新案なのか、あるいはは全く裏の話しはないのか詳らかにしないが、これに振り回されてはならない。この法案の取扱が与党に採決強行の口実を与えることを警戒しなければならない。
維新対案提出の動きは今回が初めてではない。6月中旬にもメディアにその内容が公表され、6月17日の当ブログは、「朝日が報道する維新の『対案』は、政府提案の腐肉にほんのひとつまみの塩を振りかけた程度のもの。塩をかけても腐肉は腐肉。法案違憲の本質はまったく変わらない。維新案はその実質において、憲法の平和条項に対する死の宣告に手を貸すもの」と書いた。
今回の提案は、衆院法制局の官僚の手を煩わせたものだろうが、相当の分量で法案の形を整えている。目を通すだけでも一苦労の煩わしさ。分量は大部だが、合違憲を判断するには維新がホームページでまとめている2頁の要旨を読むだけで十分だろう。結論は以下のとおり。
「維新の対案は政府提案の腐肉に、こってりと胡椒を振りかけたもの。こってり胡椒を振りかけようとも、その下の腐肉は腐肉。法案違憲の本質は変わらない。維新案はその実質において、憲法の平和条項を破壊に導くものである」
議論を次のように整理すべきだろう。
1 「集団的自衛権行使違憲論」は、自衛隊発足以来今日まで長く政府のとってきた解釈であり、憲法学者を含む広範な国民の認識に定着してきた。
2 この「集団的自衛権行使違憲論」は、「武力による個別的自衛権行使合憲論」とセットをなす立論であって、許容限度ぎりぎりの憲法解釈論である。
3 ところが今、「最小限度の限定があれば、集団的自衛権行使を容認する余地がある」、「最小限度の歯止めが明確であれば集団的自衛権行使を可能とする立法が合憲であり得る」という立論が提案されている。
4 しかし、いささかなりとも集団的自衛権行使を容認する余地を認めることは、許容限度ぎりぎりの憲法解釈をはみ出すものであり、「最小限度の歯止めがあることを理由に集団的自衛権行使を可能とする立法案」はすべて違憲であることを明確にしなければならない。
5 また、個別自衛権の名を借りて、自国領域外の武力行使を容認する立論も、集団的自衛権行使違憲の脱法として許してはならない。
6 専守防衛の域を出ない個別的自衛権行使に関する立法について、今政府案の対案として提出する意味はない。基本は現行法で対応は十分であって、現行法を超えて個別的自衛権行使の行動範囲を拡大する立法には、十分立法事実は認めがたく、。
維新は、自らの対案について、「複数の法学者から合憲のお墨付きを得た」という。しかし、私にはこれが合憲とは到底考えられない。また、仮に厳密な意味で合憲の内容であれば、今、そのような法案を対案として国会に提出する意味はない。重要なことは、政府提案の危険な違憲法案を共同で潰すことであって、対案を提出することは敵に塩を送ることになるだろう。
維新の対案では、「存立危機事態」に替えて、「武力攻撃危機事態」(紛らわしいが現行法の「武力攻撃事態」ではない)という新奇のカテゴリーを設定する。この「事態」の定義は、「条約に基づきわが国周辺の地域においてわが国の防衛のために活動している外国の軍隊に対する武力攻撃が発生し、これによりわが国に対する外部からの武力攻撃が発生する明白な危険があると認められるに至った事態(我が国に対する外部からの武力攻撃を除く。)」というものである。
その要点は、「第三国から日本に対する攻撃はないが、アメリカに対する攻撃があった場合」に、その攻撃が「わが国に対する外部からの武力攻撃が発生する明白な危険」と認められれば、自衛隊による武力反撃を可能とするというもの。「我が国に対する急迫不正の侵害が現在する」という国家の正当防衛権行使の要件を具備する必要はないとしているところにある。
「武力攻撃危機事態」が発生すれば、自衛隊の防衛出動が可能となる。「わが国に対する外部からの武力攻撃が発生する明白な危険」の部分に着目すれば個別的自衛権のふくらましのようでもあるが、いまだ「外国の軍隊に対する武力攻撃が発生し」ているのみで我が国への攻撃はないのだから集団的自衛権の行使と捉えるよりほかはない。
定義の文言からも、個別的自衛権を意識した「我が国に対する外部からの武力攻撃があった場合」はわざわざ明示的に除かれているのだから、個別的自衛権行使としての武力行使とは別のカテゴリーと理解すべきであろう。維新は、「専守防衛を徹底」と言い、個別的自衛権行使要件の緩和と主張する如くであるが、「集団的自衛権の行使は認めない」との明言には接していない。ホームページの解説を見る限りでは、「存立危機事態にもとづく集団的自衛権の行使は認めない」というのみである。専守防衛(個別的自衛権の行使)からはみ出した「武力攻撃危機事態」において武力を行使する、と言っているとしか理解できない。
要するに、「安保条約(国連決議ではない)に基づく活動に対する攻撃を要件とする歯止め」「我が国周辺という地域限定の歯止め」「わが国に対する外部からの武力攻撃が発生する『明白な危険』を要件とする歯止め」が、最小限度性を担保しているというのだ。政府案よりは限定的であることを売りにした、やはり集団的自衛権容認論にほかならない。
問題は最小限度性の確保にあるのではない。集団的自衛権行使容認に踏み込むことが問題なのだ。憲法原則は、頑固に墨守しなければならない。その立場からは、解釈の許容限度ぎりぎりの専守防衛論を、これ以上緩める余地のないことを確認しなければならない。こってり胡椒をかけても、所詮腐肉は腐肉。やはり、国民に危険な腐肉を提供してはならない。
(2015年7月7日)
本日の毎日新聞1面の左肩に、何度見ても笑みがこぼれる折れ線グラフが掲載されている。安倍内閣成立以来毎月続けられてきた、内閣支持率と不支持率。青の線の内閣支持率が上側にあっ下落を続け、赤の線の不支持率が右肩上がり。内閣成立直後は、支持が70%で不支持はわずかに15%程度。その大差そ55ポイントが次第に縮まって、最新調査でついに逆転したのだ。
普通、「ワニの口」は時とともに開いていくことの喩えに用いられるが、この図は、まさしくワニの口が閉じたことを連想させる。これまでの、安倍内閣の世論誘導策が吹き飛んだ。騙しのテクニックのメッキがはげた。これからが、ビリケン(非立憲)内閣を追い詰める正念場だ。
いったん閉まったワニの口は再び開くことになるだろう。そのときは上顎と下顎か逆になっているはずだ。赤線(不支持率)が上になり、青線(支持率)が下に逆転のワニの口が大きく開いて、戦争準備内閣を飲み込むことになる。
《毎日新聞世論調査:安倍内閣不支持上回る 安保法案、説明不十分8割》
毎日新聞は4、5両日、全国世論調査を実施した。安倍内閣の支持率は5月の前回調査から3ポイント減の42%、不支持率は同7ポイント増の43%で、2012年12月の第2次安倍内閣発足後初めて、支持と不支持が逆転した。政府・与党が衆院通過を急ぐ安全保障関連法案については、国民への説明が「不十分だ」との回答が81%に上った。会期延長した今国会で安保法案を成立させる方針にも61%が「反対」と答え、「賛成」は28%にとどまった。
安倍内閣の支持率は13年3月に70%に達した後、徐々に低下し、14年6月以降は40%台半ばで横ばい状態が続いていた。今回の42%は衆院選のあった14年12月の43%をわずかに下回り、第2次、第3次内閣では最低を記録。一方、不支持率は初めて40%台になった。自民党の国会議員が開いた勉強会で「マスコミを懲らしめる」など報道機関に圧力をかける発言があったことについては「問題だ」が76%に上り、「問題ではない」は15%。自民支持層でも「問題だ」が7割弱を占めた。
注目すべきは、次の数字だ。
戦争法案に 「反対」 58%(前回53) +5
「賛成」 29%(前回34) ?5
今国会成立に 「反対」 61%
「賛成」 28%
戦争法案は 「違憲だと思う」 52%
「違憲と思わない」 29%
政府の説明は 「十分だ」 10%
「不十分だ」 81%
解説記事が付いている。
「首相官邸や与党は、安全保障関連法案を今国会で成立させようとすれば一定の支持率低下は避けられないとみていたものの、自民党の若手勉強会による報道機関への圧力発言問題も重なり、「法案への国民の理解が広がらないまま衆院で採決を強行すれば、さらに10ポイント前後下がるのではないか」(同党幹部)と危ぶむ声も出始めた。
自民党幹部も「ついに来たかという感じだ。勉強会の問題が響いていると思う」と述べた。さらに「環太平洋パートナーシップ協定(TPP)交渉が大詰めを迎え、結果によっては党内で反発が出るだろう。経済もいつまでいいか分からない」と懸念を示した。公明党幹部は「自民が次から次へとオウンゴールした影響が大きい」と語った。
今国会での成立に反対する層では内閣支持率が24%にとどまり、不支持率は63%。政府・与党が採決を急げば、支持率はさらに下がる可能性がある。
以上は、常識的なものの見方。ところが、世の中、常識的なものの見方だけではない。とりわけ、政府中枢の考え方は、常人には計り知れない。
菅義偉官房長官は記者会見で安保法案を今国会で成立させる方針を繰り返し表明している。安保法案の国民への説明が「不十分だ」との回答が81%だったことに対しても、参院自民党幹部は「100時間審議しても200時間審議しても、この質問への答えは変わらない」との見方を示す。同党の支持率自体は大きく下がっていないことも強気の背景にあるようだ。
同時期に読売も世論調査をし、本日結果を発表している。
こちらはワニの口はまだ閉じていない。しかし、「安倍内閣の支持率は49%で、前回調査(6月5?7日)の53%から4ポイント低下した。内閣支持率が5割を切ったのは、14年12月の第3次安倍内閣発足直後(49%)以来で、「報道規制」発言が影響したとみられる。不支持率は40%(前回36%)。」と、支持と不支持の差は、17%から9%と8ポイント縮まった。読売の調査をもってしても、1億の有権者の内400万人が、安倍内閣支持から不支持へと鞍替えした計算になる。
戦争法案の審議が始まって一か月半。「法案に対する政府の説明は不十分」が圧倒的な民の声である。さりとて、「丁寧に説明すればするほどボロが出る」「審議が進むほどに反対世論が大きくなる」。「次から次へのオウンゴール」はたまたまのことではない。すべては、安倍内閣の体質そのものの露呈ではないか。
内閣支持率に火が付いたこの事態で、政府与党が戦争法案の採決を強行できるはずはない。まさしく、それは火に油を注ぐ愚行だ。
政権の選択肢は二つ。自暴自棄に採決強行してワニの口に飲み込まれるか、それとも法案を撤回してワニを宥めるか。ワニをなめてはならない。
(2015年7月6日)
若者よ
未来の担い手である君たち。
未来のすべてが君たちの手の中にある。
君たちがこの社会を受け継ぎ支え、
君たち自身がこの社会を作りかえていく。
誰もが等しくこの世に生を受けたことを喜びとする社会、
恐怖と欠乏から免れ平和のうちに生きる権利が保障された社会。
今の世の私たちには作ることができなかったそのような社会。
そのような社会を作ることができるのは君たちだ。
戦争法案に反対の声を上げつつある若者よ
君たちの目の前に、
君たちの受け継ごうとしているこの世の現実がある。
富を持つ者が支配者となり、
権力を持つ者が富を持つ者に奉仕するこの社会。
不本意ながら、これが現世代の君たちへの遺産だ。
富を持つ者はさらに収奪をくわだて
権力を握る者は、持たざる者の抵抗を押さえつける。
富める者、力ある者に、正義も理想もない。
雨の中、澁谷で「9条守れ」と声を上げた3000人の若者よ
君たちこそが未来への希望だ
君たちの自覚こそが、社会を変えるエネルギー。
「9条守れ」の声は、富と権力に驕る者に鋭く突き刺さる。
「憲法守れ」「戦争法案を廃案に」「安倍政権に終わりを」
そう叫ぶ若者の行動が、支配の構造に打撃を与える。
君たちの声と行動とが確実に社会を変える。
人は齢を重ねるにつれて、しがらみを身につけていく。
身にまとわりついたしがらみは、理想や理念を枯らしていく。
だから人は齢を重ねると、心ならずも人におもねり社会におもねり、
口を閉じて下を向いて、うずくまってしまう。
若い君たちだからこそ
理想や理念のままに声を上げ行動することができる。
だから若者たちよ、大きく声を上げよう。
おかしいことはおかしいと言おう。
理不尽を押しつけられるのはマッピラごめんだと声を揃えよう。
殺すことも殺されることも断固拒否する、と。
ぜひ、そう言っていただきたい。
君たちの若々しく朗々たる声の響きは、多くの人々を励ますことになる。
しがらみの中でうずくまっていた人々も、
君たちの声の響きに励まされて立ち上がり、閉じた口を再び開けることになるだろう。
そのことが、戦争法案を廃案にし、安倍内閣を退陣に追い込むこととなる。
さらにその先の未来も開くことになる。
この次ぎの金曜日、7月10日渋谷・ハチ公前広場は
さらに多数の若者たちであふれるだろう。
ハチ公前広場に集うあふれんばかりの若者たちのその声の響きこそ、
未来への希望の確かさなのだ。
(2015年7月5日)
日本民主法律家協会(日民協)は60年安保改定に反対する大国民運動から生まれた。幅広い多くの法律家が、自らの職能の持つ使命感から安保反対の国民運動に参加した。その法律家集団が、「安保条約改定阻止法律家会議」を経て、1961年10月に日民協の設立に至った。協会は、安保闘争の申し子である。
安保闘争が、主権と平和と民主主義の擁護を願う国民的な拡がりを持つものであったことから、日民協は自ずと法律家団体の統一戦線的組織となった。思想的な幅の広さだけでなく、「法律家諸団体の連合組織として、また学者・弁護士・税理士・司法書士・裁判所職員・法務省職員・法律事務所職員など多職能の法律分野で働く人々が参加しているという、他に例のない特色」(「協会案内」から)をもっている。
その「安保闘争の申し子」が、新安保闘争というべき戦争法案反対の国民運動燃えさかる中で、本日第54回定時総会を迎えた。アメリカと日本との関係、支配層の憲法嫌悪、世論と議席数の乖離、民主主義の脆弱さ…、基本的なことがらが60年安保の当時と少しも変わっていないことに驚かざるを得ない。なんと、当時の首相の孫が、現首相という因縁さえもある。悪夢のデジャヴュではないか。
日民協が自らに課してきた主たる課題は、一つが「憲法の擁護」であり、もう一つが「司法の独立」である。その取り組みが憲法分野重視のこともあり、もっぱら司法問題を重視したこともあった。今は、まぎれもなく熱い憲法の季節。
以下が、総会で採択された「壊憲と戦争への道を許さず、国民の力で憲法を守り抜こう」と題する、「戦後70年にあたってー日本民主法律家協会第54回定時総会アピール」である。同アピールは下記の3パラグラフから成っている。
第1パラグラフで、日本国憲法に内実化されている平和を説いて、戦争法案が違憲であって、それ故に国民の平和への願いを踏みにじるものとして指摘し、
第2パラグラフで、今や憲法9条だけでなく、あらゆる憲法理念が、安倍政権によって全面的に攻撃されていることを、「壊憲」として指摘し、
第3パラグラフにおいて、戦争法案審議の強行と壊憲の動きに反対する歴史的な国民運動を巻き起こそうと呼びかけている。
ぜひ、ご一読いただきたい。
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壊憲と戦争への道を許さず、国民の力で憲法を守り抜こう
1 戦後70年。この節目の年に、この国は再び戦争への道に足を踏み出そうとしています。
日本は、アジア諸国民2000万人以上、日本人約310万人の尊い命を奪った侵略戦争の悲惨な経験から、再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、不戦の誓いを持って戦後の国際社会に復帰し、戦争放棄と戦力不保持を規定した憲法9条の下、戦後70年にわたり、海外での武力行使を許さない立場を堅持してきました。
しかし、今国会に提出された安保関連法案(戦争法案)は、戦闘地域を含め世界中どこでも、いつでも、アメリカをはじめとした他国の軍事行動に対し、弾薬や武器の提供などの兵站活動、武器の使用、さらには参戦も、切れ目なくできるようにしたもので、平和国家としての日本の国のあり方を根本から変える戦争法案です。
憲法9条は、戦争を永久に放棄し、戦力の不保持,交戦権の否認を謳っており、本来、自衛隊の存在を認めることさえ困難です。戦争法案は、憲法9条によって守り抜かれてきた「戦わない」という一線を踏み越えるもので、明らかに憲法違反であり、解釈で憲法9条を壊すことは立憲主義の見地から許されないことはもちろん,70年間戦争を拒否してきた日本国民の平和への意思を踏みにじるものです。
2 安倍政権の政策は、憲法9条の破壊にとどまりません。日本の戦後の制度の根幹を揺るがす重大な政策転換を全面にわたって行おうとしています。
労働者の権利を壊す残業代ゼロ法案、命と環境を壊す原発推進、暮らしを壊す社会保障大幅縮減、農業破壊のTPP、軍事国家化のみならず国民の知る権利・批判の自由を壊す秘密保護法、国民のための教育権を壊す教育の国家統制、学問の自由・大学の自治を壊す大学管理強化・文系学部圧殺、司法の独立を壊す司法「改革」、法科大学院制度導入に伴う法学研究の破壊、刑事被告人・被疑者の権利を壊し監視社会を作る刑事司法制度の大改悪(盗聴拡大・司法取引導入など)等々の、個別問題としても大きな憲法破壊の動きが同時進行で襲いかかってきています。
安倍政権は、憲法を頂点とする戦後の制度を「戦後レジーム」と罵倒し、ここから「脱却」することを目標として暴走しています。これらはいずれも憲法壊し、つまり「壊憲」です。
3 安倍政権は、戦争法案の危険性を隠したまま、また、壊憲政策と言うべき幾つもの法案を数に任せて成立を強行しようとしています。
しかし、国民や国会を無視した安倍政権の反民主主義的態度が国民に大きな不安を抱かせ、国会を大きく揺るがせています。与党の推薦者をはじめ参考人全員が戦争法案を違憲と断じ、憲法研究者や学者が今までにない広がりで廃案を求め、国民運動の共同の輪が広がり、運動に関わったことのない人々も声をあげ始め、多くの地方議会でも反対意見書が採択され、世論調査でも、国民の大多数が反対し、さらに広がりをみせています。また、壊憲政策というべき幾つもの法案に対する反対の声も強まっています。
延長国会となったこの夏、国民の共同を、より多様に、より広く、より地域に根ざして、大きく発展させ、政権と国会を包囲し、戦争法案を必ず廃案にし、また壊憲政策を頓挫させなければなりません。
この国が歴史的岐路に立つ今、私たちは、本協会設立の原点である、法律家を結集する結節点としての役割、また、国民各層と共同する役割を深く自覚し、壊憲と戦争への道を許さず、主権者である国民の力を結集して憲法を守り抜くことを決意します。
(2015年7月4日)
まずは、下記の請願に目を通されたい。
安全保障法制の関連法案に反対を求める請願
請願者 文京平和委員会
紹介議員 板倉美千代
請願理由
安倍政権は集団的自衛権の行使容認を柱とした「閣議決定」(2014年7月1日)を具体化するための「安全保障法制の関連法案」を国会に提出しました。これは、戦力の不保持や交戦権否認を明記した憲法9条に違反して、海外での武力行使に踏み出すことを可能にするものです。
すなわち、?自衛隊が「戦闘地域」まで行って軍事支援をする、?イラクやアフガニスタンでの治安維持活動などに参加し、武器を使用できるようにする、?集団的自衛権を発動し、他国の戦争にも参戦するなどで、これらはこれまでの「専守防衛」の安保政策の大きな転換点を意味します。よって私たちは、以下のことを強く求めます。
請願事項
「安全保障法制の関連法案」を廃案にするよう、国に求めること。
6月30日、わが町文京の区議会本会議がこの請願の採択を決議したのだ。戦争法案の違憲を指摘したうえで、曖昧さを残さず、その廃案を求める請願の採択である。拍手を送りたい。
地方自治法第99条は「地方公共団体の公益にかかわる事柄に関して、議会の議決に基づき、議会としての意見や希望を意見書として内閣総理大臣、国会、関係行政庁に提出できる」とさだめる。この請願は文京区議会の意見として、内閣と、衆参両院に提出されることなる。
東京新聞の報道では、「白石議長は、自身の所属する自民党が成立を目指す法案に反対する要望書を送付することに『議会が決めたことですから、きっちり扱わないといけない』と語った」という。
紹介議員の板倉美千代さんは共産党の所属。ブログでもと探したが、見あたらなかったので、代わって金子てるよし文京区議(共産党)のブログを紹介する。決議成立の経過について、次のように解説されている。
■「不採択」の主張は自民・公明だけ
請願が審議された総務区民委員会は、採決に加わらない委員長を除くと委員は8名(自民1、公明1、未来3、共産2、市民1)です。26日の総務区民委員会で自民・公明の委員は「決して戦争法案ではない」「歯止めがある」と反論しましたが、未来・共産・市民の委員は「憲法違反」と指摘し、採択6・不採択2で「採択すべき」との報告が議長にされていました。
■マスコミも注目「東京」(1日付)が報道
「安保法制関連法案の廃案を求める要望書」が区議会の意思として政府に提出されることが確実になった30日、本会議開催前から党区議団にも取材があり、共産党都委員会や民主党都連への取材も踏まえ、法案に明確に反対の請願採択は“23区では初めて”と注目し、記事を掲載しました。
「未来」とは、正式名称は、「ぶんきょう未来」。「民主、維新、無所属の10人が所属する区議会最大会派」とのこと。結局、自・公が孤立して、本議会では「賛成多数」による採択だった。今は、自公以外は戦争法案に反対の姿勢なのだ。
民主党のベテラン・渡辺まさし区議のホームページの、立派な一文(抜粋)も紹介しておきたい。
特筆すべきは「安保法制案の廃案を求める」請願が採択されたこと。この案件において、地方議会から政府にダメだしを発信できたことはとても意義あることで、まさに区民の「時の声」を反映できたものと嬉しく思っています。
……地球の裏側で自衛隊が武力行使することや、集団的自衛権を行使できるなどということは、どう解釈しても現下の憲法では読み解くことが出来ないと思います。政府は集団的自衛権の行使について「歯止めがある」と強調していますが、国会審議を見る限りそれらも曖昧なままです。これらのことを真摯に受け止めて、どうぞ今後国会においては立法府として、また国権の最高機関としての矜持を示して頂き、間違っても憲法違反となるであろう法案を成立させることのないよう強く望むものです。
6月20日のNHKニュース7が、「安全保障法制について各地の地方議会が次々と国への意見書を議決している」というニュースを報じた。
その集計結果は、
賛成 3
反対 181
慎重 53
である。この数字はなかなかのものではないか。
もっとも、NHKは、「賛成」と「慎重」の各1議会を現場取材して放映したが、「反対」意見を議決した圧倒的多数の議会については、一つも取り上げなかった。このみごとな偏向ぶりが話題を呼んで印象が深い。
今日(7月3日)の赤旗の首都圏欄に、文京区だけでなく、鎌倉市(13対10)と、国立市(12対9)での廃案を求める請願採択の記事が出ている。いずれも、反対した自公が孤立して敗れている。これは、今の世論の動向を良く表した結果だ。
これで、少なくとも、反対決議をした地方議会数は184となった。国会の会期は9月下旬まで。文京区や鎌倉市の成果が他に伝播していくことを期待したい。
(2015年7月3日)
「自公の与党幹部が、昨日(7月1日)東京都内で会談し、衆院特別委員会で安全保障関連法案を7月15日を軸に採決をめざす方針を確認した。」
朝日の報道である。「会期末をにらみ、参院審議も念頭に衆院での再議決が可能な60日以上の日程を確保して衆院を通過させ、関連法の確実な成立をめざす。」という解説。そりゃ、ないよ。
丁寧に説明すると聞いた憶えがあるが、まだ丁寧な説明には遭遇していない。もう、先を決めての審議だというのか。形だけの説明、形だけの丁寧。国民が理解しようとしまいと、スケジュールのとおりに粛々と採決に持ち込む算段。そりゃなかろう。
60年安保を思い出そう。あの大運動が本格的に盛りあがったのは、5月19日衆院安保特別委員会での強行採決、そして翌5月20日衆議院本会議強行採決を契機としてのことだった。平和の問題だけでなく、民主主義の問題までが、国民の前に突きつけられたのだ。今回、様相が似て来つつあるではないか。
そもそも、本当に採決強行などできるのか。自公に次世代だけではみっともない。せめて維新を抱き込みたいというのが政府与党の願望だろうが、いよいよ世論の支持が細りはじめている。維新も自公と心中はしたくないだろう。ダメージは大きいぞ。本当に内閣がつぶれかねない。手を貸した政党もだ。
各社の世論調査で安倍内閣の支持率が軒並み低下している。戦争法には反対、集団的自衛権は容認しない、法案は違憲だ、内閣の説明はまったく不十分、というのが圧倒的な世論となっている。朝日の調査を皮切りに、共同、産経、日経、テレビ朝日と、軒並み同様だ。それに重ねて、「若手勉強会+百田」の「マスコミを懲らしめろ」「沖縄2紙を潰せ」の発言問題。このオウンゴールがよく利いている。説明すればするほど支持率低下する。だから、世論に耳を傾けて譲歩せざるを得ないとするか、早めに強行採決した方がよいと開き直るか。
こんな折、 福島民報社・福島テレビ共同の県民世論調査結果に驚いた。この調査、6月29日時点のものだが、全国にさきがけての激動の予兆なのかも知れない。
法案「違憲」54.3% 「違憲ではない」15・3%
まず、この数値の差に驚かざるを得ない。
集団的自衛権行使容認に「反対」51・7% 「賛成」14・5%
これにはさらに驚いた。極めつけは、内閣支持率だ。
安倍内閣を「支持する」28・4% 「支持しない」50・6%
この圧倒的な内閣不支持率は、既に事件だ。安倍にとっては驚愕の数字だろう。今後の各紙各社の調査が楽しみだ。
福島民報は県内最大のメディアである。福島だけが突出しているというよりは、これが最近の世論の動向とみるべきだろう。もしかしたら、この調査結果、安倍政権の凋落を知らせる桐の一葉なのかも知れない。
常識的には、弱い立場の安倍政権、強気の強行採決などできようはずもない。しかし、坐してジリ貧を待つよりは今のうちに乾坤一擲、ということもないではない。すべては党利党略で、民意が国会にも、内閣にも届いていないもどかしさを感じる。
もとはと言えば、小選挙区制のマジックのなせるわざ。民意の風が国会にも官邸にも、さわやかに吹いてもらいたい。
(2015年7月2日)