澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

3月11日津波のあとに漁師になることを決意してくれた息子が継承できる漁業をー「浜の一揆訴訟」法廷で

3月11日である。この日が、特別の感慨をもって語り合われるようになってから、今日が5回目の「3・11」。この日私は、沿岸の漁民の皆さんと盛岡にいた。午後2時46分、集会を中断して一分間の黙祷を捧げた。今日は、何よりも鎮魂の日である。

このような特別の日は、「8月15日」以来のこと。その前には、9月1日くらいしか思いうかばない。「3月10日」「6月23日」「8月6日」「8月9日」。そのいずれも絶対に忘れてならぬ鎮魂の日ではあるが、8月15日の敗戦体験に収斂させることが可能だろう。

震災被災の体験は、戦争体験を思い起こさせる。とりわけ原発事故は国策の誤りとしてよく似ている。その反省のあり方、責任の所在の曖昧さは、酷似しているといってよい。

8・15の悲惨な体験の反省は、「再び戦争を繰り返さない」という非戦の誓いとなった。「再び、負けてはならない」「負けないように戦争の準備をしよう」と反省したのではない。3・11の反省も「再び、原発を稼働してはならない」というものであるべきなのだ。「再び事故を起こさないように原発を稼働しよう」「今度は、事故が起こっても、適切に避難できるようにしておこう」などというのは愚の極みではないか。

戦争への反省において寡少なる者は、原発事故への反省にも寡少である。いまだに汚染水処理もできず、「トイレのないマンション」状態も未解決のまま。それでも、福島第1原発の爆発やメルトダウンの恐怖を忘れ、「アンダー・コントロール」だの「ブロック」だのと強弁して再稼働を進め、さらには原発の輸出までしようという政権の神経に暗澹たる思いである。こんな政権を放置し、許しておいてよいのか。

幸いにして岩手には原発はない。しかし、津波の被害の甚大さは語り尽くせない。いまだに復興は遅々として進まない。本日の盛岡での集会で、今日の東京新聞の次の記事が話題となった。
「岩手県では、沿岸の全12市町村で人口が減少。復興の進み具合で自治体間に差がついている現状が浮き彫りになった。首都大学東京の山下祐介准教授は、『5年たっても完了しない復興政策は失敗』と生活再建の遅れを問題視する。『ボタンを掛け違えたまま同じ路線で政策を進めても傷口を広げるだけで、被災者のためにはならない』と厳しい見方を示した」

「ボタンを掛け違えたまま同じ路線で政策を進めても傷口を広げるだけ」という指摘が、胸に響く。浜の一揆訴訟では、「小型漁船の漁師にもサケを獲らせろ」という沿岸漁民の切実な要請に、県の水産行政は、旧来の政策を固守しようとしている。「ボタンを掛け違えたまま同じ路線で政策を進めて」いるのだ。

本日の浜の一揆訴訟第2回法廷で、原告の一人である漁師(70歳)が、次の通りの堂々の意見陳述をした。

陸前高田市小友町の漁師です。中学をあがってすぐ漁師になりました。北洋サケマス,サンマ巻網など、様々な漁をやってきました。その中でも長年やってきたのは、小型漁船漁業です。ドンコ,スイ,カレイなどの小魚を採って暮らしてきましたが、今では到底生活できません。

 5年前の3月11日、自分はカレイの刺網を上げていました。突然、軽トラで砂利道を走っているような振動が来て、何ごとかと思いましたが…。しばらくして地震だと気づき、津波が来るから、沖からさらに沖へと船を出し、岡に上がったのは次の日でした。倉庫は影も形もなく、もちろん漁具はすべて流され、船も2艘消えていました。

これまでのように小魚で生活していけないので、季節ごとに来る回遊魚に頼るしかありません。サケ,タコ,タラ,カニなどです。
 問題は秋です。カゴ漁がダメになります。
 そこで、9月から12月はタラのはえ縄漁をおこなっています。いま、5.5トンの船に乗っています。タラのはえ縄は、水深300メートル?500メートルの海域でおこなわれ、波も高く、風も強い。9.9トンや19トンの船ならばいいのですが、5.5トン程度の船でやるのは命がけです。
 この時期にサケ刺網漁ができれば、そんな危険な思いをしなくてもと、何度思ったかわかりません。サケでいくらかでも収入があれば、9月?12月の漁をつなぐことができます。小型漁船の経費は決して安くはないのです。

 私が漁をしているすぐ近くに宮城県との境があります。隣の宮城県などでは目の前で小型漁船がサケ刺網を堂々としています。宮城県などでは小型漁船に柔軟に対応しています。
 今は定置網に入るサケの漁も減っていますが、放流も行われていて資源も戻りつつあります。規模の小さな小型船舶が採りつくして資源をなくしてしまうとは思えません。
 うちには後継者がいます。23歳になる息子です。津波の恐ろしい波を見ても、私を助けるために会社をやめてまで漁師になる決意をしました。しかし今その息子に、小遣い程度しかあげられません。会社の給料の半分以下かと苦笑いされます。11月に訴えを起こしたときに息子や地元の若い数少ない後継者に言われた言葉は「弁護士の先生や支援してくれる皆さん方と力を合わせて、何とか漁師で生活していけるようにがんばって欲しい」とのことでした。私はその思いを託されて、こうして声をあげています。

 小型漁船漁師の多くは船が小さく、金額が上がるサンマやイサダを採ることは無理です。少し大きい船は無理をしてやってはいますが、規模が格段と違うので、危険と背中合わせです。しかし、その小型漁船漁業者がいるからこそ常に浜は守られているのではないでしょうか?その漁師を守ろうという気持ちが県にはまったくないのでしょうか?
 今私たちは次の世代に、漁業をつないでいかないといけません。
 裁判官の皆さまには、岩手の漁業の未来のためにもサケ刺網漁を許可していただけるようにお願いします。

残念ながら行政は頼りにならない。憲法22条で保障された営業の自由を行政が侵害しているのだ。漁民たちは司法に頼らざるを得ない。侵害された営業の自由の回復のために。
(2016年3月11日)

明日(3月11日)「浜の一揆訴訟」第2回法廷

けっして忘れることができない、あの「3・11」被災の日から、明日(2016年3月11日)が5年目の日となる。たまたま、その日が盛岡地裁での浜の一揆訴訟、第2回口頭弁論の日となった。

盛岡の各メティアに宛てた、取材依頼と記者レクチャー用のレジメを掲載する。
これで、訴訟の現段階までの経過と、意義をご理解いただけるものと思う。

私は1月15日の等ブログに、次の趣旨を書いた。

「被告の反論は当然にありうる。その有力なものは、漁協や漁連は漁民の民主的な自治組織であるのだから、行政が漁協中心主義の政策をとることは正しい、というものである。行政が海区調整委員会の議を経て、漁協に漁獲を独占させ、個別の漁民にはサケの漁獲を禁じているのは、すべて民主的に行われているのでなんの問題もない、というわけだ。

私は、それなりに耳を傾けるべきことではないかと思うのだが、この論法、原告漁民たちには鼻先であしらわれて、まったく通じない。

よく考えると、この理屈、個人よりも家が大切。社員よりも会社が大事。住民よりも自治体が。国民よりも国家に価値あり。という論法と軌を一にするものではないか。個人の漁を漁協が取り上げ、漁協存続のためのサケ漁独占となっているのが岩手沿岸漁業の現状なのだ。漁協栄えて漁民亡ぶの本末転倒の図なのである。

形だけの民主主義は、支配の道具になりはてる。民主主義には、常に命を吹き込まなければならない。いま、三陸の漁民100人がそのような意識で起ち上がって行動している。

これが、「浜の一揆」である。民主主義の覚醒なのだ。
(2016年3月10日) **************************************************************************

盛岡・司法記者クラブ 殿
同 ・県政記者クラブ 殿
                   弁護士 澤藤統一郎
      「浜の一揆」第2回法廷・記者レクチャー・メモ
第1 当日の日程
 東日本大震災5周年の3月11日
 盛岡地裁「浜の一揆」訴訟の第2回法廷のご案内をいたします。
 取材方をよろしくお願いします。
1 三陸沿岸の漁民は、予てから沿岸で秋サケの採捕を禁じられていることの不合理を不満とし、これまで岩手県水産行政に請願や陳情を重ねてきたが、なんの進展もみませんでした。とりわけ、3・11の被災後はこの不合理を耐えがたいものと感じることとなり、昨年11月5日、100人の漁民が岩手県(知事)を被告として、盛岡地裁に行政訴訟を提起しました。原告らは、これを「浜の一揆」訴訟と呼んでいます。
 訴訟における請求の内容は、県知事の行った「サケ採捕申請不許可処分」の取消と、知事に対する「各漁民のサケ採捕申請許可」義務付けを求めるものです。
 小型漁船で零細な漁業を営む漁民に「サケを獲らせろ」という要求の実現を目指すもので、このことは、「漁民を保護して、漁業がなり立つ手立てを講じよ」という行政への批判と、「後継者が育つ漁業」をという切実な願いを背景にするものです。
2 本件は県政の水産行政のあり方を問うとともに、地域の民主主義のあり方を問う訴訟でもあります。また、3・11被災後の沿岸漁業と地域経済の復興にも、重大な影響をもつものとも考えています。
 原告ら漁民は、岩手県民の理解を得たいと願う立場から、県内メティアの取材を希望いたします。
3 スケジュール
  午後1時30分 盛岡地裁301号法廷 第2回口頭弁論
          原告の意見陳述と、代理人陳述があります。
  午後2時 原告ら報告集会 盛岡市勤労福祉会館401号・402号室
        (盛岡市紺屋町2-9  019-654-3480)
   午後2時30分ころ 同所で集会途中で記者会見

第2 経過概要
 1 県知事宛許可申請⇒小型漁船による固定式刺し網漁のサケ採捕許可申請
    2014年9月30日 第1次申請
    2014年11月4日 第2次申請
    2015年1月30日 第3次申請
 2 不許可決定(102名に対するもの)
    2015年6月12日 岩手県知事・不許可決定(277号・278号)
     *277号は、固定式刺し網漁の許可を得ている者  53名
     *278号は、固定式刺し網漁の許可を得ていない者 49名
 3 審査請求
    2015年7月29日 農水大臣宛審査請求(102名)
    2015年9月17日 県側からの弁明書提出
    2015年10月30日 審査請求の翌日から3か月を経過
 4 提訴と訴訟の経過
    2015年11月5日 岩手県知事を被告とする行政訴訟の提起
    2016年1月14日 第1回法廷 瀧澤さん意見陳述 訴状・答弁書陳述
    2016年3月11日(本日) 第2回法廷 戸羽さん意見陳述

第3 提訴の内容
 1 当事者 原告 三陸沿岸の小型漁船漁業を営む一般漁民100名
          (すべて許可申請・不許可・審査請求の手続を経ている者)
         被告 岩手県(処分庁 岩手県知事達増拓也) 
   ☆農林水産大臣の裁決を待たず提訴する者   ⇒100名
   ☆審査請求に対する農林水産大臣の裁決を待つ者⇒  2名
 2 請求の内容
   *知事の不許可処分(277号・278号)を取消せ
     *277号処分原告(既に固定式刺し網漁の許可を得ている者) 51名
     *278号処分原告(固定式刺し網漁の許可を得ていない者)  49名
   *知事に対するサケ漁許可の義務づけ(全原告について)
    「年間10トンの漁獲量を上限とするサケの採捕を目的とする固定式刺網漁業許可申請について、申請のとおりの許可をせよ。」

第4 争点の概略
 1 処分取消請求における、知事のした不許可処分の違法の有無
(1) 手続的違法
    行政手続法は、行政処分に理由の付記を要求している。付記すべき理由とは、形式的なもの(適用法条を示すだけ)では足りず、実質的な不許可の根拠を記載しなければならない。
    しかし、本件不許可処分には、「内部の取扱方針でそう決めたから」というだけで、まったく実質的な理由が書かれていない。
  (2) 実質的違法
    法は、申請あれば許可処分を原則としているが、許可障害事由ある場合には不許可処分となる。下記2点がサケ採捕の許可申請に対する障害事由として認められるか。飽くまで、主張・立証の責任は岩手県側にある。
  ?漁業調整の必要←漁業法65条1項
  ?水産資源の保護培養の必要←水産資源保護法4条1項
 2 義務づけの要件の有無 上記1と表裏一体。 

第5 答弁書の内容
 *訴えの適法性についての問題点の指摘はない。
 *許可申請と不許可の経過、不許可の理由は訴状の主張を認める。
 *争点について、不許可理由は処分時のものを繰り返すだけ。
 *なお、漁業法が言う「漁業の民主化」とは、「漁協・漁連・海区調整委員会の意見を尊重すること」だということが強調されている。

第6 本日陳述の原告準備書面(1)の内容
 1 基本的な考え方
  *憲法22条1項は営業の自由を保障している。
    ⇒漁民がサケの漁をすることは原則として自由(憲法上の権利)
    ⇒自由の制限には、合理性・必要性に支えられた理由がなくてはならない。
  *漁業法65条1項は、「漁業調整」の必要あれば、
   水産資源保護法4条1項は、水産資源の保護培養の必要あれば、
    「知事の許可を受けなければならないこととすることができる。」
  *岩手県漁業調整規則23条
「知事は、「漁業調整」又は「水産資源の保護培養」のため必要があると認める場合は、漁業の認可をしない。」
     ⇒県知事が、「漁業調整」「水産資源の保護培養」の必要性について
      具体的な事由を提示し、証明しなければならない。
 2 ところが、被告(県知事)は、不許可事由として、「漁業調整」「水産資源の保護培養」の必要性にまったく触れるところがない。
   不許可の理由は形式的に「庁内で作成した「取扱方針」(2002年制定)にそう書いてあるから」というだけ。
   この理由付記は最高裁判例が求める要件を欠き、不許可処分が違法となる。
 3 しかも、知事が適用している「取扱方針」の条項は、
   「固定式刺し網漁不許可」に関するもので、「サケ漁の許可」に関するものではない。51名の原告は「固定式刺し網漁不許可」は既に得ているので、被告(知事)の不許可処分の理由は、論理的に破綻している。
 4 原告は、被告に9項目の求釈明をして、回答を求めた。
   回答次第で、審理の進行は大きく変わって来ることになる。
     以 上

皇位も含む「女性に対するあらゆる形態の差別」

女性差別撤廃条約(外務省の訳では「女子差別撤廃条約」)の正式名称は、「女性に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約」という。
 この条約は、「男女の完全な平等の達成に貢献することを目的として、女子に対するあらゆる差別を撤廃することを基本理念としています。具体的には、『女子に対する差別』を定義し、締約国に対し、政治的及び公的活動、並びに経済的及び社会的活動における差別の撤廃のために適当な措置をとることを求めています。」(外務省)

条約は1979年の第34回国連総会において採択され、1981年に発効、日本は1985年に締結している。

各国の女性差別撤廃条約の実施状況を審査するのが、国連の女性差別撤廃委員会(CEDAW)。その定員は23名。条約締約国から選出され、個人の資格で職務を遂行する。委員の構成は、弁護士や学者、外交官・国会議員・NGO代表などからなる。この委員会意見が、グローバルスタンダードだと言わざるを得ない。

一昨日(3月7日)、その委員会が日本政府に対する勧告を含む「最終見解」を公表して話題となった。勧告は14ページ、57項目にわたるものだという。まさしく、「あらゆる形態の差別」に言及されている。

日本政府の女性差別撤廃へ向けた努力への評価もなされている。しかし、全体としては「過去の勧告が十分に実行されていない」と厳しい指摘となっている、という。

たとえば、夫婦同姓の強制制度。最高裁の「合憲」判決にかかわらず、「実際には女性に夫の姓を強制している」と指摘し、改正を求めている。

女性についての6カ月の「再婚禁止期間」について、最高裁は「100日を超える部分」を違憲としたが、「女性に対してだけ、特定の期間の再婚を禁じている」として、撤廃を求める内容となっている。

マタハラ、セクハラを禁じ、国会議員や企業の管理職など、指導的な地位を占める女性を20年までに30%以上にすることなども求めた。

そして、慰安婦問題には約1ページが割かれ、前回の勧告より詳細な記述になったという。日本政府が「被害者の権利を認識し、完全で効果的な癒やしと償いを適切な形で提供する」ことなどを求めている。この問題では、「被害者中心のアプローチが十分にとられていない」として、日韓両政府が批判されている。

注目すべきは、日本政府が、「慰安婦問題は女性差別撤廃条約を締結した以前に起きたために委員会が取り上げるべきではない」と主張していることについても、取り上げられ「遺憾に思う」とされている。

女性差別撤廃委員会が扱ったテーマは、差別に関する法整備から女性への各種暴力、雇用、人身売買、売春、ゲーム・アニメも含むポルノ規制、アイヌや在日コリアンなどマイノリティーの問題など広範囲に及んでいる。心して耳を傾けるべきだろう。

さて、以上が7日の「最終意見書」に盛り込まれて話題になったこと。今日(3月9日)になって、盛り込まれなかったことが話題になった。皇位継承に関する女性差別である。

女性差別撤廃委員会が日本政府に対してまとめた最終見解の案に、皇位を男系男子に限っているのは女性差別に当たるとして、皇室典範の改正を求める勧告が盛り込まれていたという。

これは、菅官房長官が9日の記者会見で明らかにしたこと。日本側が強く抗議し、7日に公表された最終見解からは記述が削除されたのだという。グローバルスタンダードがローカルルールに譲歩した図ではないか。

具体的には、「皇室典範は男系男子の皇族のみに皇位継承権が継承されるとの規定を有しているが、母方の系統に天皇を持つ女系の女子にも皇位継承が可能となるよう皇室典範を改正すべきだ」と勧告していたのだという。なるほど、「女性に対するあらゆる形態の差別の撤廃」は、そこまで及ぶのだ。皇位は紛れもなく国家機関である。皇室典範は国会で改廃が可能である。グローバルスタンダードからは、是正勧告の対象と映るのだ。

皇位が世襲であることは身分的差別として不合理は明らかだが女性差別ではなく、女性差別撤廃委員会の容喙するところではない。しかし、皇位が男系男子に限られているとすれば、国家機関受任における明らかな女性差別があることになる。

官房長官は、記者会見で「わが国の皇位継承の在り方は、女子に対する差別を目的にしていないことは明らかだ」と述べたという。不快感だけは理解できるが、論理的には意味不明。反論になっていない。

夫婦同姓も、再婚禁止期間の設定も、慰安婦問題の解決遅延も、「女子に対する差別を目的にしていない」とは言えるのだ。ローカルルールでは、「女子に対する差別を目的にしていない」として問題にならないことが、グローバルスタンダードでは、「目的」を捨象した「客観的な差別の有無」が問題とされるのだ。

官房長官は、おそらく本当に言いたいことはこんなところだろう。
「我が国は、有史以来天皇という神的な権威を中心に国家を形成し国民を統合してきました。天皇は神聖にして侵すベからざるものなのです。皇位の継承は言わば神の意思によって定められたもので、畏れおおくも臣下の我等が口をはさむことなどできることではありません」

しかし、これこそローカルルールとして日本の一部にだけ通じる話。グローバルスタンダードを論じる場では、通じることではない。

産経が、予想された通りの反応をしている。
「国連女子差別撤廃委員会が、母方の系統に天皇を持つ女系の女子にも皇位継承が可能となるよう皇室典範を改正すべきだとの勧告をしようとしていたことは、同委がいかに対象国の国柄や歴史・伝統に無理解な存在であるかを改めて示したものだ。勧告の理由は、女性だから皇位継承権を与えられないのは差別であるという単純かつ皮相的なもので、125代の現天皇陛下まで一度の例外もなく男系継承が続いてきた事実、日本国の根幹をなす皇室制度への尊重はみられない。」

閉鎖的環境から国際社会への直情的な反発というしかない。自分たちが「国柄や歴史・伝統」と後生大事にしていたものが、実は偏狭な陋習でしかないことを知るべきなのだ。

北朝鮮や戦前の日本が好例である。拳を振り上げて、神聖なものを守ろうという姿勢が、グローバルスタンダードからは滑稽に映らざるを得ない。まずは、国連の委員会の言に耳を傾けよう。同姓の強制も、再婚禁止期間も、従軍慰安婦問題解決も。そして、皇位承継の女性差別についてもだ。
(2016年3月9日)

メディアは、スラップ訴訟の害悪を世に広く知らしめる努力を ?「DHCスラップ訴訟」を許さない・第77弾

昨日(3月7日)の朝日新聞社会面が、スラップ訴訟関連の記事を取り上げた。
見出しは、「言論封じ『スラップ訴訟』」「批判的な市民に恫喝・嫌がらせ」というもの。デジタル版では、「批判したら訴えられた…言論封じ『スラップ訴訟』相次ぐ」となっている。
  http://digital.asahi.com/articles/ASJ3652LRJ36UTIL00H.html?rm=324
ようやくにしてではあるが、まずは目出度い大手メディアデビューである。

スラップの実態や弊害についての議論は、ネット上では旺盛に行われている。当ブログの「DHCスラップ訴訟を許さない」シリーズは本日が第77弾。おかげで、スラップに関する情報の提供を受けたり、相談に与ることも少なくない。しかし、大手メディアの沈黙が不気味であった。記者会見には来るメディアも、記事にはしない。萎縮効果はここまで…と疑わざるを得ない事態だった。が、この記事をきっかけに、他紙も安心してスラップの記事を書くことができるようになるのではないか。遠慮なく、DHC・吉田嘉明の名前を出して。そのような批判の記事なくしては、メディア自身の表現の自由も危うくなるではないか。

朝日の記事の冒頭に次のリードがある。
「会社などを批判した人が訴訟を起こされ、『スラップ訴訟だ』と主張する例が相次いでいる。元々は米国で生まれた考え方で、訴訟を利用して批判的な言論や住民運動を封じようとする手法を指す。法的規制の必要性を訴える専門家もいるが、線引きは難しい。」

具体的な事例として、最初に「伊那太陽光発電スラップ訴訟」を紹介し、この事件に大きくスペースを割いている。

次いで、DHCスラップ訴訟(対澤藤事件)が取り上げられている。その全文が次のとおり。

「憲法は『裁判を受ける権利』を定めており、『スラップ訴訟』かどうかの線引きは難しい。
 1月、化粧品大手ディーエイチシー(DHC)と吉田嘉明会長が、ブログで自らを批判した沢藤統一郎弁護士に賠償を求めた訴訟の判決が東京高裁であった。
 吉田会長がみんなの党(解党)の渡辺喜美元代表に8億円を貸していた問題を、沢藤弁護士はブログで『自分のもうけのために、政治家を金で買った』と批判。吉田会長は、同様の批判をした評論家や他の弁護士も訴えた。このため沢藤弁護士はブログで『スラップ訴訟だ』とさらに批判。すると2千万円だった請求が6千万円に増やされた。
 東京地裁に続いてDHC側の請求を棄却した高裁の柴田寛之裁判長は『公益性があり、論評の範囲だ』と述べた。判決後、沢藤弁護士は『訴えられると、言論は萎縮せざるを得ないと実感した。判決にほっとした』と話した。DHC側は上告受理を申し立てた。」

これをいかにも朝日らしい、というのだろうか。臆病なまでに公正らしさに配慮して、「憲法は『裁判を受ける権利』を定めており、『スラップ訴訟』かどうかの線引きは難しい。」と書いたあとでの、DHCスラップ訴訟の紹介なのだ。

それでも、この記事の掲載には大きな意義がある。「スラップ訴訟」という用語の解説もあるし、これまでの「訴えられた側が『スラップ訴訟』だと主張した例」として、幸福の科学事件、武富士事件、オリコン事件などの経過概要も紹介されている(もっとも、固有名詞はすべて伏せられている)。スラップ訴訟という言葉を人口に膾炙せしめ、スラップのダーティーなイメージを世に広めるために、大きな役割を果たすことになるだろう。

この朝日記事の最大の評価ポイントは、コメンテーターとして、内藤光博教授を採用したことである。その全文を引用しておこう。

「スラップ訴訟の研究を進める専修大学の内藤光博教授(憲法学)は『特定の発言を封じるだけでなく、将来の他の人の発言にも萎縮効果をもたらす。言論の自由に対する大きな問題で、法的規制も検討するべきだ』と指摘する。
 米国では1980年代、公害への抗議や消費者運動をした市民に、大企業が高額賠償を求める訴訟が多発。『表現の自由への弾圧』と批判され、90年代以降に防止法が作られた。カリフォルニア州など半数以上の州で制定。裁判所が初期段階でスラップと認定すると訴訟が打ち切られ、提訴側が訴訟費用を負担する仕組みが多いという。
 ただ、日本ではまだ認識が薄く、基準もあいまいだ。内藤教授は『まずは事例を研究した上で、きちんと定義し、議論を深める必要がある』と話す。」

さて、公正にして中立な朝日の記事は、スラップ訴訟の仕掛け人である吉田嘉明のコメントを掲載している。
「朝日新聞の取材に、吉田会長は『名誉毀損訴訟を起こすのは驚くほど金銭を要し、泣き寝入りしている人がほとんどではないでしょうか。それをいいことに、うそ、悪口の言いたい放題が許されている現状をこそ問題にすべきです』とのコメントを寄せた。」

開いた口が塞がらない。この人はなんの反省もしていない。多くの敗訴判決から何も学んでいないのだ。これでは、今後も同じことを繰り返すことになる。

この人が『名誉毀損訴訟を起こすのは驚くほど金銭を要し』とは、聞かされる方が驚くほどのこと。吉田嘉明は、自ら「何度も長者番付に名を連ね、現在も多額の収入と資産がある」と表明している人物である。私は、「カネに飽かせてのスラップ訴訟常連提起者」と批判してきた。その当人が「敗訴必至の訴訟に驚くほど金銭を要した」というのだ。

通常の訴訟は経済合理性に支えられている。勝訴してもペイせず、費用倒れに終わることの明らかな提訴は、普通は行われない。敗訴のリスクが高ければなおさらのことである。真っ当な弁護士に相談すれば、「およしなさい」とたしなめられるところ。ところが、スラップ訴訟はまったく様相を異にする。経済合理性は度外視し、判決の帰趨についての見通しも問題としない。ただひたすらに自分に対する批判者に、可能な限り最大限のダメージを与えようという目的の提訴なのだ。だから、「金銭を要する」のはスラップ訴訟である以上、あまりに当然のことなのである。これを当の本人が「驚くほど」高額ということになのだから、いったいどれほど莫大な金額をかけたものやら、驚くほどのことというわけだ。

「週刊新潮・8億円裏金提供暴露手記」の批判者を被告として、DHC・吉田が原告となって提起したスラップ訴訟は、私に対するものを含めて同時期に10件ある。損害賠償請求額は最低2000万円、最高は2億円である。この請求金額が、貼用印紙額や弁護士費用の計算基準となる。敗訴覚悟の無茶苦茶な高額請求をしておいて、「驚くほど金銭を要し」たのは自業自得以外のなにものでもない。しかし、問題の本質は別のところにある。

DHCスラップ訴訟とは何か。吉田嘉明が8億円もの裏金を政治家渡辺喜美に提供して、規制緩和の方向に政治を動かそうとした。そのことに対する批判の意見が噴出したとき、その批判の政治的言論を高額損害賠償請求の訴訟を濫発して封殺しようとしたものなのだ。しかも、その提訴を通じて社会を威嚇し、政治的な言論に対する萎縮効果を狙ったところに、最大の問題がある。

吉田は、自らに対する政治的な批判の言論を「うそ、悪口の言いたい放題」という。自らが、事実を手記として週刊誌に発表しておいて、これを批判されると、批判に「うそ、悪口の言いたい放題」と悪罵を投げつける。果たして批判の言論が「うそ」であるか、「悪口」であるか、「言いたい放題」であるか、いくつもの判決が既に決着をつけている。

吉田は、自分への批判を封じ込めたいというのだが、それが許されるようでは、世も末だ。表現の自由は地に落ち、民主主義が崩壊する。

メディアは、これを他人事として傍観していてはならない。やがては自分に降りかかってくる問題ではないか。これまで、私が記者会見で何度も訴えてきたことを繰り返したい。

「私の判決が、DHC・吉田の完敗でよかった。もし、ほんの一部でもDHC・吉田が勝っていたら、政治的な言論の自由は瀕死の事態に陥いることになる。

DHCスラップ訴訟とは、優れて政治的な言論の自由をめぐるせめぎ合いの舞台なのだ。そのような目で、私の事件にも、その他のDHCスラップ訴訟にも、そしてその他のスラップ訴訟にも注目していただきたい。

ぜひ、記者諸君に、自分の問題としてとらえていただくようお願いしたい。自分が書いた記事について、記者個人に、あるいは社に、2000万あるいは6000万円という損害賠償の請求訴訟が起こされたとしたら…、その提訴が不当なものとの確信あったとしても、どのような重荷となるか。それでもなお、筆が鈍ることはないと言えるだろうか。

権力や富者を批判してこそのジャーナリズムではないか。ジャーナリストを志望した初心に立ち返って、金に飽かせての言論封殺訴訟の横行が、民主主義にとっていかに有害で危険であるか、想像力を働かせていただきたい。今、世に頻発しているスラップ訴訟の害悪を広く知らしめ、スラップ防止の世論形成に努めてもらいたい。

スラップ訴訟は、言論の萎縮をもたらす。今や政治的言論に対する、そして民主主義に対する恐るべき天敵なのだ。けっして、スラップに成功体験をさせてはならず、その跋扈を防止しなければならない。」
(2016年3月8日)

これが酷薄アベ流「ダ・マ・シ・ウ・チ」

古来、正義が勝つ…ことは稀である。正邪にかかわらず強い者が勝ち残る。また、狡い者が勝ちをおさめる。これが冷徹な現実だ。

大坂冬の陣では、手痛い反撃を受けた家康は、和睦して休戦中に大阪城の外堀ばかりか、内堀まで埋めてしまう。こうして、防御能力を失った秀頼側は、夏の陣ではあっけなく敗れる。狡い者が勝つ、典型例。辺野古基地訴訟の和解は、冬の陣後の和睦を思い出させる。もちろん、アベがタヌキおやじの役どころ。

今日(3月7日)午後、石井啓一国土交通相が、県の埋め立て承認取り消しは違法だとして翁長雄志知事へ是正を指示する文書を郵送した。

4日記者会見のアベ発言を思い起こそう。
「本日、国として、裁判所の和解勧告を受けて、沖縄県と和解する決断をしました。20年来の懸案である普天間飛行場の全面返還のためには、辺野古への移設が唯一の選択肢であるとの国の考え方に何ら変わりはありません。しかし、現状のように、国と沖縄県双方が延々と訴訟合戦を繰り広げているこの状況のままではこう着状態となり、家や学校に囲まれ市街地の真ん中にある普天間飛行場をはじめ、沖縄の現状がこれからも何年も固定化されることになりかねません。これは誰も望んでいない、そうした裁判所の意向に沿って和解を決断すべきと考えました。」

多くの人が、「国と沖縄県双方が延々と訴訟合戦を繰り広げているこの状況」を抜本的に解決するための和解受諾で、誠実な協議によって事態の打開をはかろうとしたものと考えたことだろう。NHKの岩田朋子(解説委員)なども、アベの「真意」をその言のままに解説していたのだから、NHKを一人前のメディアと信じる善男善女が「法的手続は脇に置いて、これから国と県との円満解決に向けた協議が始まるのだ」と、そう思い込んだのもむりはない。

ところがどうだ。和解成立が4日の金曜日。土・日をはさんでの週明けの今日、舌の根の乾かぬうちの宣戦布告である。早くも、「国と沖縄県双方の延々と訴訟合戦」再開を告げる鏑矢を打ち込んだのだ。その矢の射手となった石井啓一が公明党議員だということを確認しておこう。

国交相から、翁長雄志知事への文書の内容は、「3月15日までに、辺野古海面の埋立承認の取り消し処分を取り消す」べしとする是正の指示だという。

公用水面の埋立は県知事の承認がなければ着工できない。防衛施設局の埋立承認申請に、仲井眞前知事が承認を与えた。そのために、仲井眞は民意の支持を失って知事選に敗れた。代わって辺野古新基地建設反対の民意を担って新知事となった翁長雄志が、前知事の承認には瑕疵があるとしてこれを取り消す処分をした。「この『取消処分』を取り消せ」というのが、石井の指示なのだ。

まったくなんの話し合いもしないうちのアベの宣戦布告である。結局は、敗訴のリスクが高かった訴訟を取り下げ、最も安全な訴訟1本に絞るという思惑だけでの和解受諾であったことを満天下に示すことになった。

それでも和解によって沖縄県側が得たものは小さくない。
何よりも埋立工事が中断した。これからしばらく、工事の着工はできない。翁長県政の努力の成果が目に見える形となった。これは大きい。

また、アベ政権の無理は必ずしも通らないという自信にもつながっている。閣議決定までして拳を振り上げた代執行訴訟は結局取り下げざるを得なかった。このままでは敗訴となることを恐れての和解だと国民みんなが知ることとなったみっともなさ。アベ政権の強権的コケオドシ恐るにたりず、と印象づけられた。

さらに、この性急な宣戦布告は、アベ政権の狡さと汚さ、酷薄さを国民に強く印象づけるものとなった。県民世論だけでなく、心ある国民の多くの怒りを呼び起こし、拡大し、強固にするという効果ももたらすだろう。必ずや、国民の支持は大きく沖縄に向かうことに違いない。

さて、今後である。和解の内容に従って、3月15日に沖縄県は、国交相の指示に不服として、「国地方係争処理委員会」(係争委)に審査を申し出ることになる。そして、係争委の結論がどうなっても、訴訟合戦が続くことになる。

右手の拳を振り上げて、左手で握手はできない。アベの姿勢は、到底「円満解決」に向けた協議を行おうという姿勢ではない。

翁長知事は、本日県庁で会見して、「『大変残念だ』と不快感を示した」と報じられている。抑制した談話だが、本心は「はらわたが煮えくりかえる思い」なのだろう。それでも、アベ流「ダ・マ・シ・ウ・チ」は両刃の剣だ。酷薄なアベ自身をも窮地に陥れることになるだろう。
(2016年3月7日)

「国旗国歌に敬意を表することだけが正しい」と教えることの異様さー東京君が代裁判・代理人陳述

東京君が代裁判4次訴訟のこれまでの法廷では、毎回原告一人と代理人弁護士一人が各意見陳述をしてきた。単に書面を提出して各裁判官に目で読んでもらうだけでなく、真摯さに溢れた生身の声や息遣いを裁判官の胸に響かせたいという思いからである。法廷での意見陳述を許すか否かは、裁判所の裁量にかかっている。これまでのところ、裁判所は原告側の申し入れを容れ、真面目に聞く耳をもっているという姿勢を示している。

原告代理人の意見陳述は、長い準備書面のエッセンスを効果的に裁判所に伝えることにある。3月4日期日の原告第7準備書面のテーマは多岐にわたるが、その冒頭に、憲法の根底にある価値多元主義についての論述がおかれている。多元的な価値観尊重の態度涵養は教育の本質とも関わる。とりわけ、国家と個人の関係についてのとらえ方は、最も憲法が関心をもつテーマとして価値観の多様性尊重が最大限に重視されなければならない。

にもかかわらず、都教委による教育の場での国旗国歌への敬意表明の強制は、この価値多元主義に真っ向から反する、という主張である。

このことを白井剣弁護士が、下記のように、裁判官に穏やかに語りかけた。説得力に富んでいると思う。これが裁判官の胸に響かぬはずはない…と思うのだが。
(2016年3月6日)
  ********************************************************************
 国旗国歌は起立斉唱して敬意を表す対象であると生徒に教えることの意味について,7分間のお時間を頂戴いたします。

 今から半世紀前のことです。1968年8月20日夜,チェコスロバキアの首都プラハに7000台の戦車と62万人の軍隊が進入しました。チェコ事件です。プラハの春と呼ばれた民主化の動きが一夜で制圧されてしまいました。価値観の多元性が否定されました。ソ連共産党が正しいと決めたことだけが正しいとされる社会になりました。

 その2か月後の1968年10月。メキシコでオリンピックが開催されました。チェコスロバキア選手団のなかに女子体操選手ベラ・チャスラフスカがいました。64年の東京オリンピックのときには華麗な演技が評判になりました。メキシコオリンピックでは彼女は4つの金メダルと銀メダル1つをとりました。優勝するたびに「ベラ!。ペラ!」とその名を呼ぶ声が観客席から沸きあがりました。
 床運動ではソ連の選手と同点優勝になりました。ふたりが並んで表彰台に立ちました。チェコスロバキア社会主義共和国とソビエト社会主義共和国連邦の2枚の国旗がならんで掲揚台に上がりました。ふたりとも国旗に向かって真っすぐに立っていました。やがてソ連の国歌が演奏されました。演奏が始まると,チャスラフスカは首を右に曲げ,国旗から顔を背けました。ソ連国歌の演奏のあいだずっと,その姿勢をとり続けました。ソ連の国旗と国歌に敬意を表することができなかったのです。演奏が終わると彼女は国旗に向き直りました。そして満面の笑顔で観衆の拍手に応えました。その姿は,衛星中継で世界中にテレビ放送されました。多くの人々に感銘を与えました。

 もしもこのとき,被告と同じ主張をする人がいたら,どうだったでしょうか。
「自国のものであれ,他国のものであれ,国旗・国歌に敬意を表しないのは,周囲から批判を受ける行動である」
 そんなことを言う人は,逆にその人が世界中から非難を受け,笑い者になったでしょう。この裁判で被告が主張していることはそういうことです。

 被告の主張を少し読んでみます。
 「もし国(くに)の象徴である国旗・国歌を尊重しないような態度をとるならば,国際社会において…他国を尊重しない国民とみられかねないのであって,…世界の人々が信頼と尊敬を寄せてくれるかは極めて疑問であろう。国際社会においては,その歴史的な沿革がいかなるものであろうとも,自国のものであれ,他国のものであれ,国旗・国歌は尊重されるべきものであるとの共通認識が存在することは周知の事実である」(答弁書121頁)

 国旗はただのハタではありません。国歌はただのウタではありません。そのハタとウタの向うに,国家の存在をひとは見るのです。聴くのです。
 国旗国歌が象徴する国家は抽象概念ではありません。まさに歴史の事実を,正と負の両面の遺産として背負った,具体的存在です。国旗国歌の向うに何を見て何を聞くのか,そして国旗国歌にどう向き合うのかは,ひとそれぞれです。国家にどう向き合うのかという価値観の問題だからです。

 教育現場では価値多元性が大事にされなければなりません。およそ価値観をめぐる教育課題は,生徒が自ら考えて自ら選び取ることこそが肝要です。
 10・23通達より以前の都立学校では,国歌斉唱の際,起立斉唱するかどうかは個人が判断すべきことであり,静かに着席しても不利益を受けることはないというアナウンスが多くの学校でおこなわれていました。これもまた価値多元性を大事にする姿勢の現れでした。

 被告はこう主張しています。
 「都教委は,将来,児童・生徒が,国歌斉唱をする場に臨んだとき,一人だけ,起立もしない,歌うこともしない,そして,周囲から批判を受ける,そのような結果にならないよう指導すべきと考え,国旗・国歌の指導を行ってきたのである」
 立たないことが間違いであると決めつける,このやり方は「価値多元性の否定」です。10・23通達は「価値多元性の否定むを都立学校に持ち込んだのです。

 論理的に考える機会を与えるのではありません。立って歌うという機械的行動と教職員の懲戒処分とをセットにして,不起立不斉唱は「周囲から批判を受ける」と教え込む。国家について生徒に考えさせるのではなく,「国家象徴に敬意を表しなければならない」というショートカットを生徒の心のなかに成立させることになります。こんなものは教育ではありません。まったくの別物です。
 駒村圭吾慶應大学教授は意見書のなかでこう述べでいます。
 「本来,複雑な検討や広汎な考察が必要な『国家』の問題を,教育現場のいろいろな局面で丁寧に教えていくことを誠実に施行していくこととは別に,また,生徒がそのような課題をゆっくりとしかし誠実に考察していく前に,まずは敬意の対象であることを身体に教え込むのは,思考停止あるいはショートカットを生む」

 2003年10月23日以来,都立学校の多くの教職員たちが葛藤し脳み苦しんできました。長い教職員人生のなかで,懲戒処分で脅かされるの機会が毎年かならず訪れてくることの重みと辛さは,想像をはるかに超えるものがあります。処分が重いか軽いかにかかわらず,重く辛い試練です。
 それでもなお起立斉唱命令には従えないという思いに教職員たちは駆られます。
 それは,価値多元性こそが教育の本質的要請であると思うからです。起立斉唱しなければならないという特定の価値観を生徒たちに教え込んではならないという教職員としての職責意識があるからです。

 10・23通達が出されてから12年余りが経過しました。都立学校における価値多元性の否定をいつまでも続けていいものかどうか。どうか裁判所にはあらためて慎重にお考えいただきたいのです。

 そのことを申し上げて本日の代理人弁論といたします。

「逝いて還らぬ教え兒」を再び作ってはならないー「君が代裁判裁判」原告教師の意見陳述

昨日(3月4日)、「東京君が代裁判」第4次訴訟法廷での原告陳述を紹介したい。
毎回の法廷での原告陳述が、例外なく感動的なものである。それぞれが、個性溢れる語り口で教師としての使命感を述べ、その使命感に照らして、国旗国歌(あるいは日の丸・君が代)強制がなぜ受け容れがたいかを語っている。そして処分の恫喝に抗して、煩悶しながらも信念をどう貫いてきたかが痛いほどよく分かる。すべての原告の一人ひとりに、記録に値する歴史があるのだ。

私は、その人たちの代理人の立場で、歴史に立ち会っているのだという思いを強くする。さすがに裁判官もよく耳を傾けてくれているとは思うのだが、さてどこまで胸の内に響いているのだろうか。

本日ご紹介する陳述は、典型的な、平和を願う立場から「日の丸・君が代」の強制には服しがたいとする教員のものである。固有名詞は一切省いたことをお断りする。
(2016年3月5日)
  ************************************************************************
 私は理科(物理)の教員です。それまで勤めていた民間企業を辞めて、予備校の講師を経ての仕事でした。新採として赴任した学校は、勉強が苦手でやんちゃな生徒の多い工業高校、それも、特に手のかかる大変な生徒の多い高校でした。喫煙、暴力、万引き等も頻繁にありました。しかし、次第に、経済的・学力的・境遇的に恵まれていると言えない多くの生徒が、それでも一生懸命一人前の大人になるために頑張っている、そんな彼らの人生に少しでも関わり寄り添うことができ、最後は「ありがとう」とさえ言ってもらえるこの高校の教員という仕事が、なんとやりがいのある責任ある仕事であるか、日に日に理解することができるようになりました。
 1991年に「湾岸戦争」が起こったとき、「教え子を再び戦場に送るな」の言葉を聞くようになりました。そして次第にその言葉が、自分の教員としての価値観の中で大きな位置を占めるようになっていきました。
 幼い頃から父母に、特に海軍に行った父に戦争の話を聞かされ、その最後には必ず「おまえの時代にはこんなことがないようにしていくのだよ」と繰り返し言い聞かされていたことが、目の前の生徒に対して自分が行う教育活動と結びついていったのです。そんな私にとって「日の丸・君が代」は、若者を戦争に駆り立てたものの象徴であり、再び若者の心を偏狭な「愛国心」へと導くことのないよう注意深く見張って行かなくてはならないものなのです。

 敗戦直後には、戦争を深く反省し平和憲法がつくられましたが、その後の東西対立の時代には日本の再軍備が静かに始まりました。1953年には「教育の場で『愛国心』を育てる」という意味の日米の合意もなされ、実際教育現場では、少しずつ少しずつ「日の丸」や「君が代」が入り込み、ついには強制されるようになったのです。そして2003年、ついにいわゆる「10.23通達」が出されたのです。

 通達後初めての、2004年の3月の卒業式では、「君が代」斉唱時に立つか立たないかを初めて「処分」という言葉とともに突きつけられることになりました。式の前日の夕方、答辞を読むことになっている卒業生が私のところへ挨拶に訪ねてきてくれて、「先生のことも答辞に出てくるからよく聞いていてね」、と嬉しそうに帰って行きました。今までなら精一杯心から喜んであげることができたはずです。しかし、その時の私の頭の中は、この理不尽な職務命令を受け入れるのか否かでいっぱいでした。
 卒業式を心から祝う気持ちになれない罪悪感の中で、それでもどうすることもできず悩んでいました。もう夜の9時は回っていましたが、やはり同じように考えあぐねいていた同僚がやってきて、しばらく話をしていきました。家に帰ってからも、「日の丸・君が代」に対して同じ考えをもつ同業の夫と、明け方近くまで話し込みました。
 結局心を決めたのは式の直前でした。これからどうなるかわからない不安の中で、私は職務命令のとおりに起立することにしました。社会の急速な右傾化が危ぶまれ、教育基本法の改悪が問題になっている時でした。これで全てが終わってしまうわけではない。私が教員としてやらなければならないことは山ほどある。たとえ今回どんなに苦しくても、私は強い人間だから我慢して立つことくらいできる。立ったところでこんな通達に屈したことにはならない、と心を決めました。それでも歌の間こぼれる涙をどうすることもできずにボロボロ泣きながら立っていました。その後しばらくの間は、このときのことに触れると、発作のように涙があふれ喋れなくなる状態が続きました。自分はちっとも強くないと、初めて知りました。通達後初めて迎えた卒業式は、私にとってはそのように辛いものでした。

 2006年についに教育基本法は改悪されてしまいましたが、このとき「愛国心」教育については多くの議論がありました。そんなとき、中学校教員であった竹本源治氏が1952年に発表した詩「戦死せる教え兒よ」を目にしました。ここに書かれている思いこそ、私が引き継ぎかつ次の世代にも繋げていかなければならないものである、と確信しました。

 『戦死せる教え兒よ』   竹本 源治

  逝いて還らぬ教え兒よ
  私の手は血まみれだ!
  君を縊ったその綱の
  端を私も持っていた
  しかも人の子の師の名において
  嗚呼!
  「お互いにだまされていた」の言訳が
  なんでできよう
  慚愧 悔恨 懺悔を重ねても
  それがなんの償いになろう
  逝った君はもう還らない
  今ぞ私は汚濁の手をすすぎ
  涙をはらつて君の墓標に誓う
  「繰り返さぬぞ絶対に!」 

 40代の終わりの異動で、夜間定時制高校で働くことになりました。そこでの生徒を取り巻く環境は、初任校と比べても、はるかに過酷なものでした。一日1食しか食べられない生徒、よくぞここまで生きてきた、と思うような生徒もたくさんいました。担任として彼らと接していくうちに、そんな生徒一人ひとりには、社会に出てからたとえ一人でも自信を持ってやっていけるだけの基本的な力や自分で考える力を身につけさせることが何より大切であること。また、自らのために努力すれば報われる社会、戦時中のように「お国」のためではなく、それぞれが自分自身のための人生を生きることができる社会を、私たち大人が保障しなければならない、と思うようになりました。卒業までの4年間をかけて、戦争のこと、憲法のこと等、自らも学習しながら必死に生徒達に語ってきました。

 こうして迎えた2013年3月の卒業式で、私は「君が代」が聞こえる中、初めて静かに座ったのです。
 「『君が代』のたった40秒の我慢ができないのか」と言われることもあります。しかし、あの戦争を体験した多くの人が警鐘を鳴らしている今、文科省や都教委の異常な強制のもとで、かつて「日の丸」とともに人々を戦争に駆り立てた「君が代」を起立斉唱せよというこの職務命令が、「立って歌を歌え」という以上の意味を含んでいることは明らかだと思います。このような時代にこそ、「繰り返さぬぞ絶対に!」の誓いを忘れてはいけない。たとえそれが「40秒」であっても、「形だけ」であっても、それが戦争に向かう道であるならば、たとえそれがどんなに小さな道であっても、その道を塞いでいかなければいけないと思うのです。そうでなければ、人間の知性は何のためにあるのか。あの戦争で失った多くの命が無駄になってしまうと思うのです。思想良心の自由が謳われているこの国で、どうしてそのような心の深いところで大切にしている思いを、「40秒だから」、「形だけやればいいのだから」と、自ら踏みにじることができるでしょうか。

 人の一生の中でも、10代後半から20代にかけての時は、その生がまぶしく輝いて見える時期です。そんな中にいる生徒らに寄り添い、泣き笑いをともにすることができるこの教員という職業が、私は好きです。私は大人として、彼らには、少なくとも他の誰でもない自分のために生きることのできる社会を手渡したいと思っています。人間の知性を信じ、人類が生きながらえていくべき存在であると確信するのであるならば、私たちは過去の過ちを繰り返してはなりません。「戦争法」や「経済的徴兵制」などという言葉が飛び交う現在、過去の歴史に思いを馳せ、先輩教員の言葉にならない嘆きの声に真摯に向き合うのなら、その奥に何らかの意図を感じられる職務命令に何の問題意識も持たずに従ってしまうことはできないのです。
 「君を縊ったその綱の端を私も持っていた」となりたくなのです。「お互いにだまされていた」と言いたくないのです。「繰り返さぬぞ絶対に!」の気持ちを、私たちは決して忘れてはいけない、私は決して忘れたくないと思うのです。
  
 以上、処分を受けるに至った経過と思いを述べました。裁判所の公正な御判断をお願い申し上げます。

ゴリ押しはヤバイ。選挙のあとにしよう。ー「辺野古訴訟」和解受諾

あー、面白くない。どうしてこんなことになっちゃったんだ。総理大臣の私に、できないことが多すぎる。やっぱり、憲法がよくない。憲法を眠り込ませたヒトラーはエライ。ナチス政権が羨ましい。

ホントのことを言うと、国と沖縄県との間でどんな裁判をやっているのか、私には詳しいことはよく分からない。何度も説明は受けたけれど、複雑で覚えきれない。分かっているのは、「世界一危険な普天間飛行場」をなくすには、辺野古に新しい基地を作って、米軍に移ってもらうしか方法がない、ということ。辺野古新基地建設の埋立工事を続行するための代執行訴訟だくらいは私も分かっている。この訴訟は、こちらが原告となって仕掛けた訴訟だ。それを、判決はあきらめて、和解に応じなければならないなんて、屈辱じゃないか。

「和解を受諾せざるをえない」と言われたときには、私も驚いた。でも、指定代理人になっている専門家が、「判決をもらえば敗訴の公算が高い」と言うんだから、仕方がない。「補充性」というらしいが、他にとりうる手段がないときに限り、代執行訴訟が可能なんだそうだ。その補充性の立証が難しいということのようだ。この訴訟提起の前に、国交大臣の執行停止命令があって、知事の埋立承認取り消しへの対処はできている。現実に工事は続行できているのだから、補充性の要件に欠けるというややこしいことらしい。専門家なら、初めからそんなことくらい分かっていたはずだと思うんだがしょうがない。敗訴のみっともなさよりは、作り笑いで和解に応じた方が、浅い傷で済む。

でも、和解の内容を説明されると、なるほど一方的な譲歩という話しだけでもなさそうだ。負けそうな判決を避けて、あとで反撃に転じることも可能なのだから、これも悪知恵のうちかも知れない。

和解は次のような骨子だ。
▽国は代執行訴訟を取り下げる。沖縄県知事は、国地方係争処理委員会に申し出た審査請求が却下されたことを不服として起こした訴訟を取り下げる。
▽防衛省沖縄防衛局長は、沖縄県知事による埋め立て承認取り消しに関する国土交通相への審査請求と執行停止申し立てを取り下げ、埋め立て工事を直ちに中止する。
▽国は知事に対し、埋め立て承認取り消しについて地方自治法に基づき是正を指示する。知事は不服があれば、指示があった日から1週間以内に国地方係争処理委員会へ審査を申し出る。
▽委員会が是正指示を違法でないと判断し知事に不服がある場合や、違法と判断し国が勧告に応じた措置をとらない場合、知事は是正指示の取り消し訴訟を提起する。
▽国と知事は、是正指示の取り消し訴訟の判決が確定するまで、普天間飛行場の返還と辺野古の埋め立てについて円満解決に向けた協議を行う。確定した判決に従い、互いに協力して誠実に対応することを確約する。

けっして、協議を先行する内容ではない。協議の進展に関わりなくいつでも「埋め立て承認取り消しの是正指示」ができることがミソなのだ。結局は、現在3本ある裁判を、是正指示取消の裁判に一本化して、これで決着をつけようということなんだ。その裁判での決着がつくまでの間に、「普天間飛行場の返還と辺野古の埋め立てについて円満解決に向けた協議を行う」ことになる。

この問題で、国が方針を変更することはあり得ないのだから、円満解決のためには沖縄県が譲るしかない。明日にでも是正の指示を出すことができるわけだが、ここは駆け引きだ。いつ出すのが得策かよく考えてみよう。指示が遅れれば、裁判での解決も遅れ、それまで埋立工事がストップするのは面白くないが、ここは選挙対策の意味もある。寛大なアベの顔を見せることも無駄ではない。

担当者の起案のとおりに、記者会見ではこう言った。
「本日、国として、裁判所の和解勧告を受けて、沖縄県と和解する決断をしました。20年来の懸案である普天間飛行場の全面返還のためには、辺野古への移設が唯一の選択肢であるとの国の考え方に何ら変わりはありません。しかし、現状のように、国と沖縄県双方が延々と訴訟合戦を繰り広げているこの状況のままではこう着状態となり、家や学校に囲まれ市街地の真ん中にある普天間飛行場をはじめ、沖縄の現状がこれからも何年も固定化されることになりかねません。これは誰も望んでいない、そうした裁判所の意向に沿って和解を決断すべきと考えました。」

この取り繕った理由、自分でも白々しいと思う。そんなこと、裁判を起こす前から分かりきっていた。これまでは、裁判所の和解案を無視し続けてきた。ここで突然折れた理由にはならない。誰の目にも、「よく考えたら、敗訴の可能性が高い」「それなら、不本意だけど和解の方がマシ」という判断が見え見えだ。

それでも、ゴリ押しの印象は選挙によくない。沖縄県議選が5月27日告示、6月5日投票日に決まっている。直後に、参院選も控えている。それまでは、マイルドにいかなくちゃならない。敗訴のリスクはどうしても避けなくてはならない。辺野古の工事は、機動隊に守られて続行というイメージが定着して甚だよろしくない。だから、一旦停止だ。リセットだ。再度の強行は、選挙のあとにしよう。

もちろん、すんなりと方針が決まったわけじゃない。断乎として埋立工事は続行したいところだ。そのために起こした裁判を取り下げて工事も中止じゃあ、国としての面子が立たない。案外弱いんだなと侮られることも避けたい。工事を阻止しようと現地に集まる人たちに、バンザイなんて言わせたくはない。でも、敗訴判決をもらうことを思い比べれば、我慢ができるし、我慢をしなければならない。

じっと耐えて選挙が終わったら、そのときこそが、本格的なアベ晋三の底力。遠慮のないゴリ押しを始めよう。そして今度は、途中で「敗訴の可能性が高い」などということのない訴訟の準備を指示しなくちゃ。

それにしても、仲井眞さんは名知事だった。常識的な考え方で、分かり易かった。共通の土俵の人だった。「県民世論がなかなかウンとは言いませんぞ」などといいつつ、上手な条件闘争を積み重ね、取るだけのものを取ったうえで折れあった。さすがに、経済人だけのことはある。ところが、翁長知事ときたらどうだ。どうしてあんなに、強情で折れ合おうとしないのか。私には理解しかねる。この人相手では、そして私が総理でいる限り、やはり、裁判でしか問題は解決しそうにない。そうなれば、裁判官はきっと国の立場をよく分かってくれるはずだ。
(2016年3月4日)

えっ? アベが「在任中に改憲」だって?

昨日(3月2日)の「首相の改憲意欲発言」が各紙に大きく報道されている。参院予算委員会での答弁に際してのもの。安倍が何を口にしたかもさることながら、「安倍首相『改憲、在任中に』」と各紙が揃って報じたことが、実は大きなニュースとしてインパクトのあることなのだ。

たとえば朝日。「18年9月までを念頭」として、「安倍晋三首相は2日の参院予算委員会で、憲法改正について『私の在任中に成し遂げたいと考えている』と述べ、強い意欲を示した。夏の参院選で改憲勢力が3分の2を確保し、2018年9月までの自民党総裁任期を念頭に国会発議と国民投票による実現をめざす考えを示したものだ。」

たとえば毎日新聞。「『在任中改憲』首相表明」「参院選争点化確実」「衆院と同日選も視野」と見出しを打った。これだけで、政局へのインパクトは大きい。

もちろん、各紙とも「首相は同時に『我が党だけで(発議に必要な)3分の2を(衆参で)それぞれ獲得することは不可能に近い。与党、さらに他の党の協力もいただかなければ難しい』とも語り、改憲に向けたハードルが高いとの認識も示した。」との報道もしている。が、こちらは飽くまで付け足しでしかない。刺身のつまほどの存在感もない。改憲のスケジュールについて、「在任中」すなわち、「2018年9月まで」と期限を切ったことが、重要なのだ。

毎日は、年頭以来の安倍改憲発言を次のようにまとめている。
1月4日 「憲法改正はこれまで同様、参院選でしっかり訴えていく。訴えを通じて国民的な議論を深めていきたい」(年頭記者会見)

1月10日 「与党だけで(致憲発議に必要な衆参各院の)3分の2は難しい。おおさか維新もそうだが改憲に前向きな党もある。改憲を考えている責任感の強い人たちと3分の2を構成していきたい」(NHK番組、収録は9日)

1月21日 「いよいよ、どの条項を改正すべきかという現実的な段階に移ってきた。新しい時代にふさわしい憲法のあり方について、国民的な議論、理解が深まるよう努めたい」(参院決算委員会)

3月1日「(自民党の憲法改正)草案には自衛隊を国防軍と位置付ける記述がある。私は自民党総裁だ。草案と私が違うことはあり得ない」(衆院予算委員会)

3月2日「自民党だけではなく、他党の協力もなければ(衆参での3分の2の獲得は)難しい。私も在任中に成し遂げたいと考えているが、そういう状況がなければ不可能だろう」(参院予算委員会)

アベ発言をこう並べてみると、なるほど、彼の改憲への執念の緊迫度を感じざるをえない。やる気満々なのである。

とはいえ、必ずしも成算あってのものとは考えにくい。今、あらゆる世論調査が、「改憲ノー」の回答を示しているではないか。「任期中改憲」の発言は、安倍晋三の焦りの表れと言わざるを得ない。

しかし、焦りであろうと、成算なかろうと、無鉄砲アベは、猪突猛進する可能性が高い。7月参院選は重い闘いとなる。これからは、衆参両院の憲法審査会が議論の舞台となる。ここから目が離せなくない。
  衆議院憲法審査会
   http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kenpou.nsf/html/kenpou/index.htm
  参議院憲法審査会
   http://www.kenpoushinsa.sangiin.go.jp/

明文改憲阻止の闘いがもう始まっている。その緒戦の参院選では、自民と公明、そしておおさか維新を加えた改憲勢力に議席を与えてはならない。選挙の結果が憲法の命運を決める。憲法の命運は国民の生存と平和に関わる。

なお、アベ政権が狙う最初の改憲項目は、緊急事態条項からと言われている。緊急事態条項を憲法に新設しようという改憲勢力のたくらみを、深く学ぼう。この分野であれば水島朝穂さん。本日(3月3日)の赤旗に水島さんのレクチャーが出ている。読み応え十分だ。そして下記の本格的なブログの記事も。
       http://www.asaho.com/jpn/bkno/2016/0125.html
これを学んで自分のものとし、周囲に訴えようではないか。
(2016年3月3日) 

『バナナの逆襲』から見えてくるスラップの萎縮効果 ?「DHCスラップ訴訟」を許さない・第76弾

一昨日(2月29日)の毎日新聞夕刊。特集ワイドが、「『バナナの逆襲』フレドリック・ゲルテン監督に聞く」を掲載した。全面に近いスペースを割いた、文字どおりの「ワイドな特集」。
  http://mainichi.jp/articles/20160229/dde/012/200/005000c

「農民VS米大企業、映画にしたら訴えられた」「衰える『表現の自由』」というストレートな大きな見出しが小気味よい。 記者の力量もあって、表現の自由への圧力とジャーナリズムのあり方についての問題提起として、読み応え十分である。ただ、残念ながら、「スラップ訴訟」という言葉が出て来ない。

この特集での映画の紹介は以下のとおり。
「ニカラグアのバナナ農園で働く労働者12人が、米国では使用禁止の農薬の影響で不妊症になった可能性があるとして、米国の食品大手ドール・フード・カンパニーを相手取り損害賠償を求める裁判を起こす。ゲルテンさん(スウェーデン人)は、その裁判を追ったドキュメンタリー映画を製作。これが第2話(2009年、87分)だ。」

「映画は09年、ロサンゼルス映画祭に出品される予定だったが、ドール社は主催者に上映中止を要求。ゲルテンさんを名誉毀損(きそん)で訴える。監督自身が上映に向け孤軍奮闘する姿を描いたのが第1話(11年、87分)だ。」

私が注目したのは、以下の点だ。
米メディアの多くはゲルテンさんに厳しく、非難の矢面に立たされる。「メディアの大半はドール社やそのPR会社に取材し、『貧しいキューバ人移民の悪徳弁護士がバナナ農民を原告に立て、米企業を脅迫している』『世間知らずのスウェーデン人が弁護士を英雄に仕立て上げた』といった物語として報じました。作品を見てもらえず、うそつき呼ばわりされ、かなりのストレスを感じました」
「米国の報道陣には、大多数とは違う視点で物事を報じるエネルギーや好奇心が薄いという印象を受けました」とも。

ゲルテンは、アフリカや中米で記者活動の経験をもつ。その経験から、ジャーナリストの一般的な習性を「事件でも問題でも一つの現象を描く場合、人と、特に大多数とは違う角度から描くことに熱意と努力を発揮する」と見ているという。それだけに、企業に配慮したかのような米メディアの報道姿勢を意外に感じたというのだ。この指摘は、示唆に富むものではないか。

その理由について、ゲルテンの語るところはこうだ。
「米国は一種の『恐怖社会』じゃないかなという印象を持ちました。例えばスウェーデン人の私は、失職しても子供の教育費も家族の医療費も無料ですから、すぐには困らない。でも民間頼りの米国では、そうはいかないんです」

さらに、こうも言う。
「米国企業の場合、自社の信用を落とすような報道に対しては、イメージ戦略として、とりあえず訴えを起こす傾向がありますが、記者たちはそれを恐れているように思います。大企業に訴えられた新聞社が、末端の記者を解雇して訴訟を免れる例が過去に何例もあるのです。少人数の調査で、ようやく貴重な事実を発掘しても、十分な訴訟費用のないメディアだと記者たちを最後まで守りきろうとしないこともあります」

彼は、「映画は裁判を描いただけなのに、それが上映されないのはおかしいと私は言い続けた。つまり当たり前のことをしたわけです」という。ところが、「私の知る少なからぬ米国人には、一人で抵抗することがよほどすごいことのように思えたようです。それだけ当局や大企業からの圧力が浸透しているということではないでしょうか」

ゲルテンは「ジャーナリストが年々弱くなってきている」と慨嘆し、こう締めくくっている。
「ネットの浸透、紙メディアの衰退で、ジャーナリストは常に失職を恐れています。でも不安や恐れにばかりとらわれていては、良い仕事はできません。独立した、自由に物を書けるジャーナリストのいない社会に本当の意味での民主主義は育ちません。政府にも政党にも企業にも批判されない無難な話だけが流されることになってしまいます。本当の話には必ず批判があります。後に賞を受けたような報道は必ず、その渦中では反論を浴び、圧力や批判を受ける。だからこそ、ひるんではならないのです」

すばらしい言ではないか。本当にそのとおりだ。「自由に物を書けるジャーナリストのいない社会に本当の意味での民主主義は育たない」のだ。だが、ジャーナリストといえども、衣食足りてこそ自由に物を書けるのだ。失職の恐れ、社会保障のない社会に放り出されることの恐れが、結局はジャーナリズムを「政府にも政党にも企業にも批判されない無難な話だけが流される」ことにしてしまう。ジャーリスト個人の資質だけの問題ではなく、社会のあり方がジャーナリズムの質を規定しているのだ。

ゲルテンは、スウェーデンと米国を比較して、明らかに米国のジャーナリズムはおかしくなっていることに警告を発している。では、日本はどうだ。「社会のあり方がジャーナリズムの質を規定している」とすれば、米日は大同小異。しかも、伝統浅い日本のジャーナリズムは、米国よりもはるかに権力や企業の圧力に弱い。

権力の意向を忖度し、萎縮して「無難な話だけが流される」状態は既に定着している。それであればこそ、停波処分をチラつかせた権力の威嚇効果はてきめんなのだ。さすれば、DHCや吉田嘉明相手程度でも、恐れることなく私が批判を続けることの意義はあろうというもの。けっして「ひるんではならない」し、「ひるむ必要」もないのだから。

『バナナの逆襲』は、東京・渋谷のユーロスペース(配給・きろくびと)で上映中。3月18日までの予定。問い合わせはユーロスペース(03・3461・0211)へ。

3/05(土)15:00回後に、小林和夫さん(オルター・トレード・ジャパン) 、石井正子さん(立教大学異文化コミュニケーション学部教授)らのトークを予定。
渋谷・ユーロスペースでの上映時間は下記URLで。
  http://kiroku-bito.com/2bananas/index.html

3月19日(土)からは、横浜シネマリンで公開。
  http://cinemarine.co.jp/counterattack-of-bananas/

さらに、続いて下記劇場でも公開決定とのこと。
名古屋シネマテーク/大阪・第七藝術劇場/神戸アートビレッジセンター/広島・横川シネマ
(2016年3月2日)

澤藤統一郎の憲法日記 © 2016. Theme Squared created by Rodrigo Ghedin.