澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

政治家甘利明の対UR口利きを、秘書限りの立件で幕引きしてはならない。

東京地検特捜部は、一昨日(4月8日)甘利明前経済再生担当相の金銭授受問題で、あっせん利得処罰法違反の疑いで、千葉県印西市にある都市再生機構(UR)の千葉業務部と、甘利側に現金を提供した千葉県白井市の建設会社「薩摩興業」、同社の元総務担当だった一色武の自宅を家宅捜索した。捜索は、8日の午後から9日の明け方まで続けられた。なお、今回の捜索対象に甘利氏の事務所や自宅は含まれていないという。

特捜は、これまで既に甘利の元公設第1秘書(清島健一)からも任意で事情を聴いていると報道されていたが、いよいよ強制捜査に踏み切ったのだ。週刊文集のスクープ報道以来、大きな話題となったこの事件。特捜も動かざるを得なくなったということだが、果たしてどこまでの本気度なのかは必ずしも明らかではない。

報道では、被疑罪名はあっせん利得処罰法違反と特定されているが、誰を被疑者としての強制捜査なのか、明らかにされていない。被疑者として可能性のあるのは、甘利明、公設秘書清島健一、政策秘書鈴木陵允、一色武であるが、事件の本命がアベ政権の中枢にあってこれを支えていた「有力政治家・甘利明」であることは明白である。既に切られたトカゲの尻尾の処罰で一件落着着としてはならない。

URとの補償交渉に難航していた薩摩興業(千葉県白井市)が、交渉を有利に運びたいととして有力政治家甘利明(事務所所在地は神奈川県相模原市)に目を付け、これに口利きを依頼して、その見返りとして報酬を支払った。これが事件の大筋であり骨格でもある。有力政治家甘利明の存在あればこその、これを頼っての口利きの依頼である。その口利きは交渉相手において無視し得ず、一定の効果を期待しうるのだ。

要するに、本件ではカネで有力政治家が動いて行政に準ずる団体に口利きをした。その結果として利得するものがあり、その利得の一部が対価として政治家に支払われた。被害者は税金を負担する国民であり、損なわれたものは政治や行政の廉潔性に対する国民の信頼である。政権に近い有力政治家は、かくして汚いカネをくわえ込んで太り、さらに影響力を拡大する。

そのようなカネと政治家との汚い関係が明るみに出たのだ。徹底して、事態を解明し膿を摘出しなければならない。類似の事件はどこにもありそうなことながら、ことの性質上闇に葬られて表には出て来ない。この事件は稀有なこととして、政治家にカネを渡した当事者が自分も罪に服することを覚悟して、事件を明るみに出し証拠をぶちまけたのだ。

もう一つ、稀有なことがあった。普通は秘書レベルで済まされている金銭の授受に、本件では政治家本人が直接関与していたことだ。現金50万円が2度にわたって、一色から直接甘利に手渡されている。しかも、そのうちの1回は大臣室でのこと。これで、甘利を立件できなければ、せっかくの「あっせん利得処罰法」がザル法であることを証明することになる。検察の権威にも関わることにもなりかねない。

政治とカネ、カネと政治家の汚い関係の一角に光が当たって、闇の世界から浮かびあがったこの事件を、けっしてうやむやにしてはならない。秘書や情報提供者だけを立件して幕引きということがあってはならない。

薩摩興業から甘利事務所に動いたカネは、一色の言として1200万円とされている。甘利の秘書が口をきいて、URから薩摩興業に渡ったカネは、2億2000万円と報道されている。UR側は、当初1600万円を適正額としていたが、甘利事務所が介入してからは、1億8000万円に跳ね上がり、さらに2億円となり、最終的には2億2000万なのだ。このままでは、「1200万円程度は安いもの」「政治家は利用のしがいがある」との「教訓」を残したままとなるではないか。

この事件では、2件の告発がある。1件は、社会文化法律センターのものだが、私には告発状を読むことができない。もう1件は、「落選運動を支援する会」によるもの。「甘利明前経済産業大臣(神奈川13区)を次期衆議院選挙における落選対象議員第1号として告発しました」という趣旨での告発である。長文のものだが下記のURLで読むことができる。私も代理人の一人で起案にも関与している。

  http://rakusen-sien.com/topics/5281.html

この種の告発は、報道された事実を整理して法的に再構成するものではあるが、それなりの迫力をもつものとなっている。さらに、告発をしておくことは、万が一被告発人甘利に対する立件が見送られた場合に検察審査会への審査申立ができることに大きな意味がある。

あっせん利得処罰法の内容を確認しておきたい。「あっせん」とは、政治家あるいはその秘書の「行政への口利き行為」をいう。同法第1条は政治家(国会議員)が、あっせん(口利き)行為に関して財産上の利益を収受することを犯罪としている。第2条では政治家秘書についての規定。

同法第1条(公職者あっせん利得)1項の構成要件は以下のとおりである。
(犯罪主体) 衆議院議員、参議院議員又は地方公共団体の議会の議員若しくは長(以下「公職にある者」という。)が、
(犯罪行為) 国若しくは地方公共団体が締結する売買、貸借、請負その他の契約又は特定の者に対する行政庁の処分に関し、
   請託を受けて、
   その権限に基づく影響力を行使して
   公務員にその職務上の行為をさせるように、又はさせないようにあっせんをすること又はしたことにつき、
  その報酬として財産上の利益を収受したときは、
(刑罰)三年以下の懲役に処する。

また、同条2項は、第1項の「国又は地方公共団体」だけでなく、「国又は地方公共団体が資本金の二分の一以上を出資している法人」に対象を拡大して、「前項と同様とする。」と定めている。本件の場合のURはこれに当たるわけだ。
 
各要件の該当性吟味は、告発状をお読みいただきたい。外形的には構成要件該当性は十分に立証可能である。もちろん、共謀の態様や具体的な故意の有無内容など、捜査を遂げなければ詰め切れないことは多々残る。しかし、それでも、甘利についての立件見送りはあり得ないというべきだろう。

国会では、甘利が交渉をリードしたTPP承認案に関する審議が衆院の特別委員会で始まったばかり。当然に国会審議にも影響するだろうし、4月24日投開票の衆院北海道5区補選への影響もあるだろう。しかし、そんなことで検察が捜査を躊躇することは許されない。公訴時効を徒過することなく、厳正な捜査と立件をされるよう、しっかりと見守りたい。
(2016年4月10日)

「足立康史もおおさか維新も、あほじゃないか。あほです。あほ」

品のない表現で恐縮だが、我慢してお読みいただきたい。

「足立康史もおおさか維新も、あほじゃないか。あほです。あほ」「安保法が合憲だと胸を張っているのは、あほじゃないか」「こんな議員も政党も日本の恥だ。あほ、ばか、どうしようもない」「もし、議員や所属政党に不愉快な思いをさせたとすれば陳謝する。しかし、私の発言に事実誤認は見当たらない」「私の発言を取り上げて名誉毀損だの侮辱だのというのは単なる嫌がらせだ。そのような嫌がらせの言論自体が、違法というに値する」

以上は、足立康史の衆議院総務委員会発言のパロディである。原発言の「民進党」を「おおさか維新」に置き換え、「足立康史」をくっつけただけ。これが、飲み屋のカウンターではなく、国会審議の場での発言であるから驚く。まさしく、足立こそは「議会の恥、日本の恥。民主社会の恥」である。そして、大阪9区の恥でもあると言えよう。

足立の地盤大阪9区は府の北部、北摂といわれる地域。池田市・茨木市・箕面市・豊能町・能勢町である。足立は2012年選挙で日本維新から出馬して風に乗り当選している。このときの得票率が39.8%。前回14年選挙では、自民(公明推薦)候補に当選を譲ったが、それでも39.5%の得票を得て比例復活を果たしている。私は少年時代を南河内で過ごしたが、北摂けっしてアホな地域ではない。池田・茨木・箕面・豊能・能勢、この辺りはむしろ教育水準が高いというイメージがある。その土地のイメージに全くそぐわない、粗野でアホというしかない議員を選出していることが不思議というほかはない。

もう、そろそろ不毛な「維新」劇の幕を引く時期ではないか。足立の「あほ発言事件」は、おおさか維新の賞味期限終了のピリオドとして記憶されねばならない。9区がこの次の選挙でまた足立を通すようなことになれば、池田・茨木・箕面・豊能・能勢の「有権者があほじゃないか。あほです。あほ」と言われることにならざるを得ない。

安倍周辺にもひどい議員が少なくないが、足立康史のひどさは際立っている。違法を重ねて恥じないのだ。

私のブログでも昨年3月に一度足立を取り上げている。こちらは厚生労働委員会の質疑の中で、脈絡もなく「自分の秘書に残業代支払わない」宣言をしたことを批判したもの。これを再掲しておきたい。

議会というところは、諸勢力、諸階層、諸階級の代表が、それぞれの利益を代弁してせめぎ合うコロシアムだ。有権者は、どの政党、どの議員が自分の味方で、敵は誰なのかを見極めなければならない。多くの政党や議員が、騙しのテクニックに磨きをかけて、庶民の味方を装う。「オレオレ詐欺に引っかかってなるものか」という、あの細心の注意による見極めが必要なのだ。

時にホンネが語られることがある。ついつい議員の地金が出る。メッキがはげ、衣の下から鎧が見える。これを見逃してはならない。

その典型例が、昨日(2015年3月25日)の衆議院厚生労働委員会での、維新の党足立康史議員の発言。これは、維新の党が誰の味方で誰の敵であるかを、よく物語って分かり易い。同時に、維新の党のレベルの低さを物語る点でも興味深い。

共同配信記事は以下のとおり。短いがまことに要領よく事態をとらえたもの。
「維新議員、秘書残業代不払い宣言 『労基法は現実に合わない』
 維新の党の足立康史衆院議員(比例近畿)は25日の厚生労働委員会で質問に立ち、元私設秘書から未払いの残業代700万円を請求されたことを明かし『払うことはできない。私たち政治家の事務所は、残業代をきっちりと労働基準法に沿って払えるような態勢かと問題提起したい』と述べ、未払いを正当化した。
 足立氏は『私は24時間365日仕事をする。そういう中、秘書だけ法に沿って残業代を支払うことはできない』と持論を展開。元秘書からの請求に対しては『ふざけるなと思う』と強弁。
 取材に対し『労基法は現実に合っておらず、見直しが必要だ。議論を喚起するために発言した』と述べた。」

「ふざけるな」と言いたいのは、まずは未払いの残業代を請求している元秘書氏だろう。そして、おそらくは現役の同議員秘書氏もだ。うかうかしていると残業代を含めた未払い賃金の請求権は2年で時効になる。早めに手を打っておくことをお勧めする。

それだけではない。すべての労働者が「足立議員よ、フザケルナ」と言わねばならないし、法による秩序を大切に思うすべての国民が「維新の党よ、フザケルナ」と言いたいところだ。私は、法による秩序すべてが守るに値するという立場ではない。しかし、社会法の典型として弱者を保護する労基法は厳格に遵守されねばならないことは当然だ。仮に、法改正を要するとの意見を持っていたとしても、現に存在する法規に違反することは許されない。この維新議員、恐るべき法感覚と指摘せざるを得ない。

いうまでもなく、残業には割増分(25%)を付した賃金を支払わなければならない(労基法37条)。その支払いを拒絶することは犯罪に当たる。刑罰は6か月以下の懲役または30万円以下の罰金である(労基法119条1項)。足立発言は、国会と公の場での犯罪宣言にほかならない。足立議員は、告発され厳重に処罰されてしかるべきだ。

念のためにユーチューブで彼の質問を聞いてみた。「自分はこういう労働基準法を改正するために議員になった」とまで言っている。臆面もなく、強者の側に立って、弱者保護の法律をなくしてしまおうという使命感。こんな議員、こんな政党に票を投じることは、多くの人にとって自分のクビを締めることになる。

なるほどこれが維新の役割なのだ。この維新の議員は、「残業代ゼロ法案」を提案している悪役・政府与党の政務三役までを品良く見せている。こんなお粗末な手合いが、維新の党を作り、議員になっているのだ。民主主義の堕落というほかはない。

この足立という議員。2012年の総選挙では、陣営から選挙違反の逮捕者を出している。投票呼びかけの電話作戦を担当した女性運動員3人に時給約800円の報酬を支払う約束をしたという被疑事実。維新全体がそうだが、コンプライアンス意識に大いに問題あり、なのだ。

足立には「ブラック議員」というネーミングが、まことにふさわしい。ブラック企業、ブラック社長、ブラック選対だけではない。ブラック政党、ブラック政治家、そしてブラック政権だ。この世にブラックが満ちている。

議会内のブラックは、選挙で一掃する以外にない。まずは、7月参院選からである。参院選に足立は出ないが、おおさか維新には批判の意思を表明しうる。
(2016年4月9日)

本日は「東京新聞」の宣伝。

私は、東京新聞とも中日新聞社とも、なんの縁故もない。が、この新聞の読者が増えて欲しいと思う。そのリベラルな論調が、社会に浸透して欲しいと思う。その思いから、本日の紙面を紹介して宣伝に努めたい。

まずは、毎号一面の左肩に定位置を占めている「平和の俳句」。戦後70年企画として始まったヒット連載。

今日の一句は、
  昼下り妻に勝てない指相撲 (村松武徳(73)静岡県袋井市)

いとうせいこうが、「病によって半身マヒの作者。動かない方の手でなく、きっと動く手のことだろう。それでも指相撲に負けてしまい、笑いの出る平穏。」と解説している。このコーナーは、闘いとるべき厳しい平和よりは、のどかな平和のたたずまいが好もしい。

一面の記事では、「舛添都知事、海外出張費計2億円超 就任後2年で8回 共産都議団批判」の見出しが目を引く。
「舛添要一東京都知事が二〇一四年二月の就任後に行った八回の海外出張の経費が、合計で二億一千三百万円に上ることが分かった。共産党都議団が七日、一回当たりの費用は平均二千六百万円余で、石原慎太郎元知事の平均額を一千万円上回っていることを明らかにし、随行職員が多いためだと指摘。「『大名視察』との批判もある。都民の税金で賄われており、必要性を精査して経費節減の徹底を」と改善を求めた。」という都民への注意喚起の内容。

あの傲慢石原慎太郎を上回る金額というのだから、舛添要一恐るべしである。共産党都議団の資料を記事にすることに躊躇しない東京新聞の姿勢を買いたい。

「TPP 首相『丁寧に説明』と矛盾 衆院特別委 民進『隠蔽』と反発」という解説記事も充実している。「七日の衆院環太平洋連携協定(TPP)特別委員会で、TPP担当の石原伸晃経済再生担当相は交渉経過について、約二十回も『コメントを差し控える』などと繰り返した。安倍晋三首相はTPPについて『影響や対策を国民に丁寧に説明していく』と理解を求めたが、民進党は『隠蔽内閣だ』と反発、情報開示に関する追及を強める構え」という内容。論点の解説が分かり易い。

「茨城の元首長ら『安保法廃止を』 参院選へ市民連合」という記事もある。錚々たる呼びかけ人が、参院選だけでなく、次期衆院選での野党統一候補擁立を働きかける動きを報じている。

実は、最も感心したのは、第5面。社説と投書の欄である。
社説は2本。「年金運用損失 なぜ公表を遅らせる」と、「TPP本格審議 透明度を上げ、丁寧に」。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016040802000133.html
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016040802000132.html

どちらも、落ちついた論調で説得力に富む。そして、どちらも鋭い政権批判となっている。とりわけ、「年金運用損失」の社説を読むと、安倍内閣の姑息な姿勢にあらためて憤らずにはおられない。

投書欄は、「発言」の表題。いつも、政府批判の論調というわけではないが、本日の投書は優れている。

「表現自由侵す広告は拒否を」 例の「右派論客らが名を連ねる「視聴者の会」の意見広告について述べたもの。「言論の自由圧殺に肩入れすれば、いつかメディア全体を縛ることになる」という警告。

「伊勢神宮での歓迎行事憂慮」 伊勢志摩サミットでの歓迎行事を伊勢神宮で行うとすれば、明らかな政教分離違反。もってのほかではないか、という盲点の指摘。

そして、「衆参同日選挙の混乱懸念」 同日選の複雑さとそれ故の混乱を懸念して、「そこまでして同日選を行う大義名分があるか」を問うている。 

さらに、「容疑者の卒業取消疑問」の意見。「在学中のデモ参加などでの逮捕歴でも卒業取消ともなりかねない」という指摘に、なるほどと思う。

名物「こちら特報部」今日の記事の一つは、「警官に首を絞められた」《ヘイトスピーチ過剰警備》河野国家公安委員長が謝罪」である。「与党法案、実効性ゼロ」「警察への人権教育を」という小見出しも付いている。

歴史修正主義者・安倍晋三がヘイトスピーチと深く結びついていることは誰もが知ってはいるが、なかなか決定的な証拠は出てこない。今日の記事は、「ヘイトスピーチ問題をめぐっては、レイシストらのデモや街宣を護衛する一方、カウンター側を徹底して規制する警察の対応が非難を浴び続けてきた」という認識を基調に、警備の警察官がカウンター側の女性の首を絞めている写真を掲載して、問題提起したもの。これはインパクトが大きい。今後の追加報道を期待させる。

最後に、コラム「筆洗」も紹介しておきたい。
「世界で一番貧しい大統領」と呼ばれた南米ウルグアイの元大統領ホセ・ムヒカについて。次の個所がこの新聞らしい。
「自由。この人が語るこの言葉には特別な重みがある。彼は反政府勢力の幹部として捕らえられ、十数年間も獄中で過ごした。地面に穴を掘った独房に入れられ、一年余も体を洗えなかったこともあるという。それは狂気と闘う日々だったという。ムヒカさんは口に石を含み、叫び出す衝動を抑えた。穴に入り込んでくるカエルやネズミとパンくずを分け合い、彼らを友とすることで孤独を癒やした。そんな極限の生活を体験したからこそ、地球の資源を食い尽くすような大量生産・大量消費の虚構が見えたのだろう。」

タックスヘイブンで蓄財している政治指導者に読ませたい。海外出張に都民の税金を惜しげもなく2億円も使い込む都知事にも。

全体に紙面が伸びやかで萎縮を感じさせない雰囲気がよい。そして、分かり易く面白い。東京新聞が、この姿勢を続けて多くの読者を得ることができるよう願っている。
(2016年4月8日)

アベ政権迎合の立場からの放送メディア・バッシングに警戒を

例のアベ政治御用集団・「放送法遵守を求める視聴者の会」の蠢動がやまない。
4月1日付で、「TBS社による重大かつ明白な放送法4条違反と思料される件に関する声明」を発表し、記者会見をしている。あろうことか、TBSを標的にスポンサーへの圧力をかけることを広言するに至っている。

アベチルドレンが百田尚樹を招いての会合で、「マスコミをこらしめるには広告料収入をなくせばいい。文化人が経団連に働き掛けてほしい」「悪影響を与えている番組を発表し、そのスポンサーを列挙すればいい」などと気勢を上げて、世論からの厳しい指弾を受けたのは、昨年(2015年)の6月。議員に代わって、今度は右派「言論人」たちが、気に食わないメディアのバッシングに一役買って出たということなのだ。一見在野の如くだが、明らかにアベ人脈の面々。

この声明の一部を抜粋する。カッコ内は私(澤藤)の感想。
「勿論、放送法第4条に定められた『政治的公平性』や『多角的論点の提示』は曖昧な概念であり、このような概念を根拠に政府による罰則を適用するのは極めて危険である。(そのとおり) が、今回のTBSによる安保法制報道は、議論の余地も政府による恣意の介在も許さない、局を挙げての重大かつ明確な放送法違反とみなし得よう。(そんな決め付けが危険ではないの?) 残念ながら、現行の標準的なガイドラインに従えば、TBS社は電波停止に相当する違法行為をなしたと断定せざるを得ないのではあるまいか。(「あるまいか」は「断定」とは矛盾するね) ただし、誤解ないように強調したいが、当会は、政府が放送内容に介入することには断固反対する。(本当? いったいどっちなの?) もしも電波停止のような強大な権限が、時の政権によって恣意的に用いられたならば、民主主義の重大な危機に直結する。いかなる政権も、どんな悪質な事例であれ、放送事業の内容への直接介入に安直に道を開いてはならない。(あなたたちが、その道を開こうと先導しているではないか)」
どうも何を言っているのか、よく分からない。

声明は、TBSが放送法違反を犯したと決めつけたうえで、TBS本社と、「倫理向上委員会を名乗る任意団体BPO」と、「TBSの報道番組のスポンサー企業各位」と、国会のそれぞれに「要望」を申し入れている。

この声明のBPOに対するむき出しの敵意が際立っており、「放送法遵守を求める視聴者の会」の性格をよく表している。

TBSを名指しの攻撃に、さすがにTBSも反論した。昨日(4月6日)付の「弊社スポンサーへの圧力を公言した団体の声明について」とするコメント。短いものなので全文を引用する。

「株式会社TBSテレビ
 弊社は、少数派を含めた多様な意見を紹介し、権力に行き過ぎがないかをチェックするという報道機関の使命を認識し、自律的に公平・公正な番組作りを行っております。放送法に違反しているとはまったく考えておりません。
 今般、「放送法遵守を求める視聴者の会」が見解の相違を理由に弊社番組のスポンサーに圧力をかけるなどと公言していることは、表現の自由、ひいては民主主義に対する重大な挑戦であり、看過できない行為であると言わざるを得ません。
 弊社は、今後も放送法を尊重し、国民の知る権利に応えるとともに、愛される番組作りに、一層努力を傾けて参ります。」

公平・中立を求めるという名目での政権迎合のメディア攻撃。アベ政権が改憲を公言することができるのは、このような政権迎合の輩の蠢動の後押しがあってのことなのだ。

「視聴者の会」の声明自身がいうとおり、『政治的公平性』や『多角的論点の提示』は極めて曖昧な概念であり、どのようにも論じることができる危険を内包している。

このことに関連して、『法と民主主義』の最新号(2・3月合併号)が、「アベ政権と言論表現の自由」を特集している。
http://www.jdla.jp/houmin/

主な記事は、以下のようなもの。
◆安倍政権によるメディア介入と言論・表現の自由の法理………右崎正博
◆情報統制に向かう日本 進む放送介入………田島泰彦
◆安倍政権の圧力とNHK政治報道の偏向………戸崎賢二
◆安倍政権のメディア政策──その戦略と手法………石坂悦男

放送界での最大の問題メデイアは、TBSではなく明らかにNHKである。
「安倍政権の圧力とNHK政治報道の偏向(戸崎賢二)」は、「NHK『ニュースウオッチ9』が報道しなかった事項」を一覧表にまとめている。テレ朝の「報道ステーション」、TBSの「NEWS23」との比較においてである。

テレ朝とTBSの両者が報道して、NHKが報道しなかった事件(あるいは言葉使い)の主なものは次のとおり。
5月20日【党首討論】ポツダム宣言について「詳らかに読んでいない」との安倍総理の答弁
5月28日【衆院特別委】安倍総理「早く質問しろよ」などのヤジ(NHKは翌日報道)
6月1日【衆院特別委】日本に対して攻撃の意思のない国に対しても攻撃する可能性を排除しないとする中谷防衛大臣の答弁
6月1 日 衆院特別委】「イスラム国」に対し有志連合などが行動する場合後方支援は法律的に可能との中谷大臣の答弁
6月中旬 憲法学者へのアンケートほか、「違憲」とする憲法学者が多数であることの報道
7 月1 日 自民党「勉強会」の発言について「威圧」「圧力」という表現使う
7月15日【衆院特別委】採決に「強行」という表現使う
7月29日【参院特別委】戦闘中の米軍ヘリへの給油を図解した海上自衛隊の内部文書について共産党小池副委員長が追及
8月5 日【参院特別委】「後方支援で核ミサイルも法文上運搬可能」という中谷大臣の答弁
8月19 日【参院特別委】安保法案成立を前提とした防衛省文書で中谷大臣の矛盾する答弁を共産党小池副委員長が追及。
8月下旬 ノルウェーの平和学者、ヨハン・ガルトゥング博士が来日、安倍首相の「積極的平和主義」は本来の意味とは違うと批判
9月2日【参院特別委】自衛隊統合幕僚長が訪米した際の会議録について共産党仁比議員が追及
9月17日【参院特別委】採決で「強行採決」という表現を使う

情報源はもっぱらNHKという視聴者がいたとすれば、恐るべく偏頗な情報に操作されていることになる。なるほど、アベ政権と籾井NHK、持ちつ持たれつの関係がよく見えてくる。

このことは、3月31日の参院総務委員会質疑でも話題とされている。民進党の江崎孝議員が、この「法と民主主義」を取り上げて籾井会長らを追及している。上記の一覧表をパネルにして、NHKの報道姿勢の偏向ぶりを問題としたのだ。

「NHK」対「テレ朝・TBS」の対立の構図。けっしてそれぞれの側の応援団が相互に批判し合って、水掛け論になっているのではない。中立や公平という用語は、すべてを相対化してしまう危険を内包している。視聴者が真に関心をもつべきは、時の権力に不都合な事実が萎縮することなく放送されているか否か、という一点である。

真実を曇らせる力をもつものは権力である。その権力に遠慮も迎合もすることのない姿勢があってこそジャーナリズムと呼ぶにふさわしい。権力は、自らの正当性を訴えるのに十分な情報発信力をもっている。放送において、臆するところのない権力批判に圧倒的なスペースが割かれて当然なのだ。その基準からは、明らかにNHKがおかしい。TBSはそれよりはマシで、当たり前というだけのこと。

「視聴者の会」はアベ政権の外にあって、アベ改憲政権のお先棒担ぎ。この蠢動に動じてはならないが、軽視してもならないとおもう。
(2016年4月7日)

教育委員の諸君。まず謝りなさい。反省なさい。そしてあなた方こそ再発防止研修を受けなさい。

めぐり来る春は、卒業式・入学式のシーズンである。東京の春は、「日の丸・君が代」強制の季節。今年も、東京都教育委員会は、懲りることなく全教職員に対して、卒業式では「国旗に向かって起立し、国歌を斉唱せよ」とする職務命令を発した。さらに、これに従えないとする者に懲戒処分を科している。昨日(4月5日)、卒業式の不起立で懲戒処分を受けた教員に対する、服務事故再発防止研修という名の加重懲罰が実施された。早朝8時半。水道橋の研修センター門前に、都教委に抗議し研修受講者を励ます60人が参集した。私も、マイクを握って、研修の責任者である総務課長に申し入れをした。

東京「君が代」裁判弁護団の澤藤です。本日、服務事故再発防止研修受講の業務命令を受け、不本意ながらもこれから研修を受けるためこのセンターに入構する教員を代理して、都の教育委員諸氏と、教育庁の全職員に抗議と要請を申しあげます。

まず、憲法19条を再読いただきたい。
そこには、「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」と、強い命令形で書かれています。命令しているのは主権者である国民。憲法制定権者でもある国民が命令しているのです。命令されているのは、公権力を担う者。東京都教育委員会であるとともに、あなた方教育庁の全職員が「思想及び良心の自由を侵してはならない」と命令を受けているのです。

誰の「思想及び良心の自由」を侵してはならないとされているか。国籍や地位、身分、年齢や性別、思想・信条などあらゆる区別なく、すべての人に思想と良心の自由が保障されているのです。もちろん、懲戒された教育公務員にも自由が保障されています。

いかなる思想の自由、いかなる良心の自由が憲法上の保障を受けるものであるか。
憲法における自由とは、公権力の束縛からの自由を意味します。強大な権力を持つ国家を暴走させないための憲法なのですから、思想の自由とは何よりも国家が公定する思想の束縛からの自由でなくてはなりません。「国家は正しい」「国家には従うべきだ」「国家は大切なものだ」とする思想を拒絶する自由こそが最大限の保護をうけなければならないのです。

国家が国民に対して、愛国心の涵養を強制することはけっして許されません。自由主義の国家においては、憲法が最も警戒する思想こそ愛国心である、と言って差し支えないのです。

また、究極において、憲法とは国家と個人の関係の規律ですから、国家と国民個人との関係についての考え方こそ、憲法が最も関心をもつ思想領域なのです。この点についての国民の思想は、徹底して自由でなくてはなりません。国家が特定の思想を排斥したり、特定の考え方を押しつけることは許されないのです。国家と個人の関係についての思想こそ、他のいかなるテーマにも増して、幅の広い自由が保障されなければなりません。

ですから、国民は、国家大好きであっても、大嫌いであっても、まったくの無関心であってもいっこうに差し支えないのです。愛国心を強制することは許されず、国家の象徴である国旗や国歌に敬意を表明することの強制は本来憲法が許さないことというほかはないのです。

そして良心です。本日研修を強制される教員たちは、自らの教員としての良心を貫く立場から、「日の丸・君が代」への敬意表明ができなかったのです。戦前、天皇制とあまりに深く結びつき、子どもたちの心を軍国主義一色に染め上げる道具であった、学校儀式での日の丸と君が代。教師を志した初心に省みて、子どもたちの精神の自由を守るために、この歌と旗を受け容れることは出来ないと決意したのです。

本来は、国旗国歌あるいは「日の丸・君が代」への敬意表明の強制からの自由が保障されなければなりません。しかし、今、「日の丸・君が代」が踏み絵となって、思想の転向が迫られ、良心がむち打たれる事態となっているではありませんか。是非このことを理解していただきたいのです。

したがって、本日の研修はまったく必要のないものです。いや、本日予定されている研修はけっしてあってはならないものというべきなのです。東京都の教育委員とあなた方教育庁の職員は、違憲違法な行為を強行しようとしているのです。

研修が必要なのは、日の丸・君が代の強制に屈せず、教員としての良心を守り抜いた教員ではありません。むしろ、あなた方、東京都教育委員の諸君と教育庁の幹部職員にこそ、研修が必要と言わざるを得ません。

とりわけ強く申しあげたい。あなた方は、教員との裁判で12連敗している。正確に言えば、判決と執行停止の決定ととをあわせて、この2年間というもの一貫して負けつづけています。これは重大事だと、自覚してもらわねばなりません。

たった一つでも裁判に負けた場合、都教委の行為が違法と判断されたのですから、まず違法な公権力の発動によって迷惑をかけた相手に対して心からの陳謝をすべきが当然の社会常識です。そして、自分が間違っていた旨を公表し、責任の所在を明確にして、責任者にはしかるべき制裁措置が必要です。それだけでなく、どこでどのように間違えたのかを真摯に反省することによって、再発防止策を見つけねばなりません。そして、その具体策を実行しなければなりません。そして、責任者には再発防止研修を受けさせなければなりません。

教育委員諸君と、あなた方こそが再発防止研修を受けなければなりません。本日の研修の主体と客体はまさに逆転しています。おかしいのです。

教育委員は、教育の本質を学ばなければならない。憲法や教育基本法についての研修を受けなければならない。戦前の教育のどこがどう間違い、それをどのように反省して今日の教育法体系やシステムができているのか。憲法や教育基本法は、教育や教員のあり方をどのように定めているのか。しっかりと十分な理解ができるまで研修を繰り返して、違憲・違法な教育行政の再発防止に努めていただきたい。ついでに、国旗国歌法の制定経過とその趣旨もよく学んでいただきたい。

本日研修受講を命じられている教員は、教育の本質と教員としての職責を真摯に考え抜いた結果、自己の良心と信念に従った行動を選択したのです。このように良心と信念に基づく行動に対して、いったいどのように「反省」をせよと言うのでしょうか。信念にもとづく行為に対して「再発防止」を迫るということは、思想や良心を捨てよと強制することにほかなりません。日の丸・君が代への強制に服しない者への公権力による処分自体が思想・良心を侵害する公権力の発動として許されることではありませんが、これに加えて再発防止研修に名を借りた転向強要は、絶対にあってはならない違法行為といわざるを得ません。

そのような観点から、本日の研修を担当する研修センターの職員の皆様に要請を申しあげます。あなた方が本日行おうとしている研修の強行は、キリシタン弾圧や特高警察の思想弾圧と同じ質の問題を持つ行為です。おそらく皆様には、内心忸怩たる思いがあることでしょう。キリシタン弾圧の役人や特高警察になぞらえられるようなことを進んでやりたいとは思っているはずはない。だが、仕事だから仕方がない。上司の命令だから仕方がない。組織の中にいる以上は仕方がない。「仕方がない」ものと割り切り、あるいはあきらめているのだろうと思います。

しかし、お考えいただきたい。本日の研修受講命令を受けている教員たちは、「仕方がない」とは割り切らなかった。あきらめもしなかった。教員としての良心や、生徒に対する責任を真剣に考えたときに、安易に職務命令に従うという選択ができなかった。

懲戒処分が待ち受け、人事評価にマイナス点がつき、昇給延伸も確実で、賞与も減額され、服務事故再発防止研修の嫌がらせが待ち受け、あるいは、任地の希望がかなえられないことも、定年後の再任用が拒絶されるだろうことも、すべてを承知しながら、それでも日の丸・君が代への敬意表明の強制に屈することをしなかった。この教員たちは多大な不利益を覚悟して、それぞれの良心に忠実な行動を選択したのです。

本日の研修命令受講者は、形式的には、非行を犯して懲戒処分を受けた地方公務員とされています。しかし、実は自分の思想と教員としての良心を大切なものとして守り抜いた尊敬すべき人格、模範的な教員ではありませんか。是非、そのことを肝に銘じていただきたい。

あなたがた研修センター職員の良心に期待したい。その尊敬すべき研修受講者に対して、心して研修受講者の人格を尊重し、敬意をもって接していただくよう要請いたします。
(2016年4月6日)

差し迫った参院選に向けて、「野党は共闘!!」という市民の声。

今、政治のすべてが7月参院選挙をにらんで動いている。総選挙との同日選になる可能性も高いとされ、7月政治決戦の重大性は高まるばかり。仮に同日選となり、両院とも改憲勢力が3分の2の議席を占めることになれば、一気に明文改憲の気運が高まることにもなりかねない。

明文改憲は、取り返しのつかない政治的後退と考えざるをえない。日本国憲法の「改正」とは、立憲主義・平和主義・人権保障・民主主義が大きく損なわれることにほかならない。「小異を捨てて大同につく」とした場合、「改憲阻止」以上の大同はない。いまや、安倍政権とその追随勢力が明文改憲を強行しようという事態である。すべての政治勢力は改憲派と護憲派に二分される。それ以外はないのだ。

7月政治決戦において改憲に必要な議席を獲得すべく、与党勢力は不人気の政策を選挙後に先送りして失政隠しに余念なく、ひたすらにバラマキを狙っている。一方、院内では守勢に立つ野党は、小異を捨てた選挙協力によって、改憲にストップをかけようとしている。いまや、日本の命運が野党の選挙協力の成否にかかっていると言って過言でない。

一昨日(4月3日)の毎日新聞トップ記事が、参院選の野党共闘進展の模様を伝えている。見出しは、「野党一本化、15選挙区…32の1人区 本紙調査」というもの。これが、全国の最新情勢と見てよいだろう。

「夏の参院選に向け、全国で32の「1人区」(改選数1)のうち15選挙区で民進党と共産党を中心にした野党の候補者一本化が確実になったことが分かった。両党による協議が進んでいる選挙区も10あり、「統一候補」はさらに増える可能性が高い。参院選では1人区の勝敗が選挙戦全体の結果を左右する傾向が強く、2013年の前回参院選で『自民党一強』を選んだ民意が変わるかどうかが注目される。」

毎日は、32の「1人区」を野党の選挙協力成否に関して3分している。

合意成立 15区
青森・宮城・山形・栃木・新潟・福井・山梨・長野・「鳥取島根」・山口・「徳島高知」・長崎・熊本・宮崎・沖縄

協議中 10区
岩手・秋田・福島・富山・三重・滋賀・和歌山・岡山・佐賀・大分

難航 7区
群馬・石川・岐阜・奈良・香川・愛媛・鹿児島

これはまずまずの朗報ではないか。昨年(2015年)の戦争法反対運動の中での市民のコール「野党は共闘」が、このような形で実を結びつつあるのだ。

毎日は次のようにもいう。
「13年参院選の1人区(当時は31選挙区)で29勝2敗と圧勝した自民党は、野党の動きに警戒を強めている。」

「単純には比較できないが、13年参院選の結果を基に試算すると、15選挙区のうち宮城、山形、栃木、新潟、山梨、長野の6選挙区で野党の合計得票数が自民党を上回る。」

なお、逆転は「協議中」の三重を入れれば7選挙区となる。他の選挙区も、共闘の相乗作用で勝機が出てこよう。参院一人区は小選挙区制なのだから、野党の選挙協力なき限り、与党圧勝となるのだ。明文改憲が日程に上る情勢では、野党は選挙協力をするしかなく、反自民で野党の選挙協力ができれば、小選挙区効果で底上げの議席に胡座をかいている与党に大きな打撃を与えうることになる。

アベノミクスの失敗による地方の疲弊。TPPのウソ。原発再稼働の強行。平和や民主主義の危機…。安倍政権に魅力的な政策はないでないか。共闘の成果は、大きく情勢を変えるものとなるだろう。

選挙協力しても野党に失うものはないように見えるところだが、合意成立難航の理由については、このように説明されている。
「逆に協議が難航しているのは7選挙区。民進党や連合の県組織に共産党へのアレルギーが強いのが主な原因だ。奈良では民進、共産両党が協力を探っているものの、おおさか維新の会が候補者を擁立するため、野党票が分散する。一方、愛媛では今後、民進党の元衆院議員擁立で野党がまとまる余地がある。」

市民が共闘を願っているこのときに、野党各党の改憲阻止本気度が問われている。共産党アレルギーが共闘の障害とは情けない。おそらくは、市民からの手痛い批判を免れないだろう。全国的に、野党の選挙共闘が進展すれば、「難航7区」の情勢も変化せざるを得ない。

本日(4月5日)になって、「難航7区」のうちの愛媛選挙区での野党統一候補擁立が報道されている。また、「協議中10区」のうちの富山でも、「今月中旬にも野党統一候補擁立へ」の報道がなされている。地元テレビが報じるその共闘協議のあり方が、たいへんに興味深い。

候補者調整の主役は、「アベ政治を許さない!戦争法反対!野党共闘を求める オールとやま市民会議」である。「オールとやま」が、民・共・社・生の4党に呼びかけて、協議を重ね、本日(4月5日)時点で、民・共ともに独自候補擁立を断念し、4党が「オールとやま」推薦の「政党色のない清新な統一候補」擁立に原則合意したというのだ。富山から目が離せない。毎日が報じた「最新情勢」も急速に動きつつあるのだ。

野党共闘の動きに与党は戦々恐々というところ。「ばらばらだったものがまとまった時に野党票が大きく上向く可能性はあり、脅威だ」というのが、ホンネのところ。タテマエとしては、「何のために野党共闘を作り上げるかの大義名分も不鮮明だ。国民の信頼は向かない」という野合論が語られている。

野党内の政策の違いは当然だ。当選した統一候補が、議会の審議において、民・共どちらの立場に立つか、難しい局面におかれることも当然にあるだろう。それでも、その程度のことを小異として共闘しているのは、もっと大きな大義があるからなのだ。その大義とは、「アベ政治を許さない!戦争法反対!」そして「憲法改悪阻止」である。

解釈改憲による戦争法に反対。その廃止法成立を求める立場においての共闘が必要であり、明文改憲阻止がその次の問題点。その理念で議員としての活動があれば、あとは各議員の判断に任せればよいことではないか。敏感に世論に耳を傾け、自分の判断で発言し行動する議員が増えることは大歓迎だ。

私はひそかに思っている。こうなるのではないか。
各地での選挙協力協議の推進⇒各地での選挙準備活動の活発化⇒各地相互の波及効果⇒全国での選挙協力合意促進⇒議会内での野党活動原則の確認⇒議会外での市民運動の活発化⇒各野党の党勢拡大⇒参院選勝利⇒総選挙への波及⇒改憲阻止⇒安倍退陣⇒日本の民主主義と立憲主義の前進
これこそ「好循環」ではないか。
(2016年4月5日)

「誰一人、置いてきぼりにしない」北海道5区の池田まき候補に注目

北海道5区の衆議院補欠選挙の日程が間近だ。4月12日告示24日投開票。この選挙の意味が大きい。参院選の前哨戦でもあり、野党共闘成功の試金石でもある。この選挙結果が衆参同時選挙の有無を決めることになるかも知れない。今後の情勢を大きく変えうる選挙として注目せざるを得ない。

北海道5区とは、札幌市厚別区、江別市、千歳市、恵庭市、北広島市、石狩市、当別町、新篠津村の地域。有権者455,720人。

補欠選挙は、町村信孝前衆院議長の死去に伴うもの。自民党は亡町村信孝の次女の夫を立てての「弔い合戦」。これに対抗して「安全保障関連法廃止を目指す野党統一候補」となっているのが、無所属新人池田まき(43歳)。どのメディアも、「池田まき急追」「大接戦」の報。当然のことながら知名度はイマイチだが、清新さでは断然リード。

下記URLが、池田まき公式WEBサイト。政治家らしくなく、候補者らしくない、同候補の好感度は抜群と言ってよい。
  http://ikemaki.jp/

 「ずっと平和を。もっと安心を。北海道5区から日本を変えよう」
これが、同候補のメイン・スローガン。
そして、同候補の最大の強みは、福祉の現場で働いてきたこと。多くの人の生活苦や不幸と直接に接してきたことである。

同サイトでは、こんな挨拶文を読むことができる。
 「飢餓、貧困、格差、紛争、難民、テロ。
  立憲主義、民主主義の危機。
  世界の、そして日本の大きな課題です。

  強い者による強い者たちのための政治が、
  こうした問題を深刻化させています。
  権力の暴走を止めなければなりません。
  声なき声をもよく聞き、政治に反映させなくてはいけません。
  『誰一人、置いてきぼりにしない』
  『誰もが安心して暮らせる社会をつくる』

  私、池田まきはそれをモットーに、福祉の現場で、
  既成概念にとらわれず、行動を起こしてきました。
  さらに、環境、経済、政治など広い分野で
  社会的な危機の解決に取り組んでいくために。
  ここ北海道から、より良い日本をつくりたい。
  池田まきは、皆さんと共に、
  平和、いのち、暮らしを守る戦いに挑みます。」

『誰一人、置いてきぼりにしない』は、手垢の付いた政治家には言えないセリフ。「安保関連法案に反対するママの会」の名言、「だれのこどもも、ころさせない」を連想させる。野党共闘候補としてまことにふさわしいものではないか。

北海道新聞が同候補の人となりを詳報している。
「池田氏 虐待、夫蒸発…壮絶な半生あえて語る」という見出し。およそ、二世候補などとはまったく違う生い立ち。政治家になるべく育ったのではない。恵まれない家庭に生まれ、社会に翻弄された「普通の生活者」が政治の世界に跳び込もうというのだ。

「子供時代は平和な家庭でなかった。今でいうDV(ドメスティックバイオレンス)。社会は助けてくれず、いつも空を見ていた。」
「幼いころから、父親によるDVは日常茶飯事。母親、妹とともに、暴力を受け続けた。中学時代には父親から避難するため、4人家族がバラバラになった。18歳で結婚した。2人の子どもに恵まれ、やっとつかんだ幸せも、わずか2年で夫が借金で蒸発。シングルマザーとして生活保護を受けながら介護ヘルパーなどの資格を取得し、東京都板橋区職員に採用された。」
「安全保障関連法廃止を目指す野党統一候補として脚光を浴びるが、政治家を志した原点は福祉だ。生きづらさをばねにはい上がり、当事者目線で福祉の仕事をしてきた自負がある。」
こんな候補者なら、応援したくなるではないか。

2014年12月の前回(第47回総選挙)北海道第5区の選挙結果は、以下のとおりだった。なお、投票率は58.43%。

当 町村信孝 70 自民(公明推薦) 前 131,394票 50.9%
  勝部賢志 55 民主党       新 94,975票 36.8%
  鈴木龍次 54 日本共産党    新 31,523票 12.2%

単純な票数合計なら、「自・公」対「民・共」は自公若干有利ながらもほぼ互角。但し、今回の自民公認(公明推薦)候補は、町村後継の強み。「弔い合戦」の有利もある。これに対して、反安倍統一候補は、選挙協力の相乗効果を生かせるかどうかがカギ。

相乗効果ならぬ「相殺効果」が生じることもある。民共各支持者の意見が余りに違い、各党の公認候補なら投票するが、共闘候補では投票の意欲が湧かないという場合だ。あるいは、共闘を至上目的として候補者を選任した結果、結局魅力ある共闘の候補者を得られなかった場合など。そんな場合は、共闘候補の得票数は、民・共それぞれ単独立候補の場合の想定得票数に及ばぬことになる。

しかし、今回の場合その心配はなさそうだ。何よりも、共闘の大義がある。非立憲安倍政治の暴走を許すなという広範な市民層に後押しされての共闘である。大きな相乗効果が期待できるのではないか。

前回選挙で、日本共産党候補に投票した3万人余の多くは、死票になることを覚悟で同党への支援アピールの投票であったろう。反自民候補当選の可能性が低いことから、投票の意欲を失った有権者もすくなくなかったのではないか。これらの有権者が今度は、共闘候補に投票するだろう。何しろ、民共の統一候補ならば、現実に当選の可能性が出て来る。この可能性は選挙活動のモチベーションを上げることになるだろう。

私はひそかに思っている。
 北海道5区選挙共闘成功⇒緒戦の勝利⇒参院選野党選挙共闘の進展⇒参院選での野党共闘勢力の勝利⇒衆院小選挙区での選挙共闘の進展⇒総選挙での野党共闘の勝利⇒自民改憲断念⇒安倍退陣

これを、「好循環」という。アベノミクスへの期待が蜃気楼として消えつつある今、このような好循環はけっして夢でも幻でもないと思うのだが。
(2016年4月4日)

目取真俊を支えているオール沖縄の反基地運動

米軍による目取真俊の「身柄拘束」と引き続く海保による逮捕。辺野古基地建設反対運動への弾圧として憤っていたが、比較的早期の釈放となったことにまずは胸をなで下ろしている。

海保は、逮捕後すみやかに送検したようだ。送検を受けた検察の持ち時間は24時間。この間に、裁判所に勾留を請求するか釈放しなければならない。結局検察官の判断によって、勾留請求なく身柄の釈放に至った。

もっとも、不起訴処分となったわけではない。刑特法2条を被疑罪名とする嫌疑については処分保留のままで、法的には捜査が継続することになる。早期不起訴を求める世論形成が必要な事態なのだ。

4月2日の東京新聞が、一面と社会面に取り上げ、「芥川賞作家を海保逮捕」「米軍拘束」「辺野古制限区域 海上抗議で初」「『刑事事件化は異常』」という見出しで記事を掲載した。目取真の写真だけでなく、「仲間を返せ、と抗議の声を上げる」現場の写真も付けてのことである。この扱いが事件の大きさを正当に反映したものだろう。毎日も、社会面で記事にし、浅田次郎と又吉栄喜の目取真に寄り添ったコメントを掲載した。

ところが、朝日の扱いがあまりに小さいことに驚き、赤旗には掲載がなかったことに焦慮を憶えた。その上で、ネットで検索した限りで不当逮捕への抗議行動の規模が予想ほどのものでなかったのかと早とちりをしてしまった。今日(4月3日)の赤旗で、共産党の赤嶺政賢も抗議行動に駆けつけたことを知った。社民党の照屋寛徳も、そして沖縄平和運動センターの大城悟事務局長も海保(11管)現場での抗議行動に参加して、「オール沖縄、オール日本の取り組みで基地建設を止めていこう」と訴えていたことを確認して安心した。

私の早とちりは、目取真が「危険な匂い」のする作家であることからきている。もしかしたら、オール沖縄の運動体の一部に、この危険な匂いを敬遠する思いがありはしないかという危惧があった。

けっして熟した表現ではないが、「不敬文学」というジャンルの提唱がある。不敬とは、かつて日本の刑法に存在していた「不敬罪」の、あの不敬である。大日本帝国は支配階級の調法な統治のツールとして天皇制を拵え上げた。人民支配の道具としての天皇制は、一面精神的な支配として「一億の汝臣民」をマインドコントロールするものであったが、これにとどまらない。マインドコントロールの利かない者を暴力で押さえ込んだ。その野蛮な暴力の法的根拠の最たるものが不敬罪である。

敗戦後制度としての不敬罪はなくなった。しかし、「不敬」は死語になることなく、いまだに隠微に生き続けている。天皇や皇族への批判の言論は不敬としてタブーとなっているのだ。世渡り上手はタブーと上手に付き合うことになる。売れっ子作家がタブーに触れることはない。天皇や皇族を語るときには、世の良識にしたがって、当たり障りのないことを述べて済ますのだ。そのことがタブーを再生産することになる。

しかし、作家とは本来危険な存在である。必要あれば、タブーに切り込むことを敢えて厭わない非妥協性をもたねばホンモノではない。「不敬文学」とはそのようなホンモノに対する敬意を込めた造語にほかならない。

沖縄の歴史を紐解くときに、天皇や天皇制との対峙なくして語ることはできない。もちろん日本全国においても同様というべきではあるが、沖縄は間違いなく格別である。沖縄の民衆の意識の深層を掘り起こすときには、天皇タブーに触れることが避けられない。このとき、タブーを意識して心ならずも妥協するか、敢然とタブーに切り込むか、表現者としてのホンモノ度が問われる。

目取真は間違いなく、非妥協派の一人である。昨日(4月2日)の毎日が解説記事の中で代表作の一つとして挙げた「平和通りと名付けられた街を歩いて」がその典型とされている。皇太子(現天皇)夫妻の2度目の沖縄訪問を舞台として、この二人に沖縄戦の記憶を深層に宿している沖縄の民衆を対峙させ、皇室の聖性や虚飾を剥ぎ取ろうとするタブーへの挑戦は、目取真の真骨頂と言えよう。

もちろん、ブログを見れば分かるとおり、目取真の運動に関する発信は極めて真っ当であって物議を醸す要素はまったくない。しかし、「オール沖縄」とは当然に保守層をも含んでいる。革新層にも、統一のために保守層への配慮を過度に重視する傾向もあるのではないか。目取真の位置を私ははかりかねていた。もしかしたら、いざという局面では、「オール沖縄」の目取真に対する視線は冷たくなるのではないか。

私の危惧は杞憂に過ぎなかった。「オール沖縄」は目取真の強靱な精神をしっかりと抱え、支えている。この広さと深さこそが、強さの根源であろう。あらためてオール沖縄の団結のあり方に敬意を表したい。
(2016年4月3日)

目取真俊の身柄拘束に抗議する。

昨日(4月1日)、辺野古基地建設反対行動中の作家目取真俊が、辺野古で米軍に身柄を拘束され、その後海保に身柄を引き渡されて緊急逮捕された。

共同通信の報じるところでは、「那覇地検は2日、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設への抗議活動中、辺野古沿岸部にある米軍キャンプ・シュワブ周辺の立ち入り禁止区域に許可なく入ったとして逮捕された沖縄県在住の芥川賞作家目取真俊氏(55)を釈放した。」 という。身柄の拘束が1日の午前9時過ぎ。釈放は翌2日(本日)の夕刻7時ころのようだ。

緊迫した辺野古新基地建設問題に大きな一石を投ずる事件である。問題は、いくつもある。

何よりも、逮捕の理由とされた被疑事実が大きな問題である。沖縄タイムス(電子版)の報道は以下のとおりである。
「第11管区海上保安本部は1日、名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブ周辺の米軍提供水域内に許可なく入ったとして、日米地位協定に伴う刑事特別法違反の疑いで、芥川賞作家の目取真俊さん(55)を緊急逮捕した。目取真さんは仲間数人とカヌーに乗り、新基地建設に対する抗議活動をしている際に米軍に拘束されたという。」
「11管によると、逮捕した男は1日午前9時20分ごろ、海上の立ち入り制限を示すフロート(浮具)を越え、辺野古崎付近に許可なく立ち入った疑いがある。」

被疑罪名は、日米地位協定に伴う刑事特別法第2条違反である。「正当な理由がないのに、合衆国軍隊が使用する施設又は区域(「基地」)であつて入ることを禁じた場所に入り、又は要求を受けてその場所から退去しない」ことが構成要件である。住居侵入でもなければ、威力業務妨害でもない、刑特法違反。砂川事件と同じ被疑罪名。万が一起訴されるようなことになれば、1959年の砂川最高裁判決の妥当性を問い直す大事件となる。

海保が言う、「米軍キャンプ・シュワブ周辺の米軍提供水域内」という表現はよく分からない。侵入したとされた場所は公有水面たる海面であって陸地ではない。海上に米軍がフロート(連結された浮具)さえ敷設すれば、刑特法2条にいう「入ることを禁じた場所」に当たるというのだろうか。

手続的にも大きな問題がある。琉球新報(電子版)の報道は以下のとおり。
「目取真さんと共に行動していた市民によると、目取真さんは午前9時20分ごろ、米軍キャンプ・シュワブ沿岸の海岸付近で新基地建設に抗議していた際に米軍警備員に身柄を拘束された。午後5時22分に、米軍側から身柄引き渡しを受けた中城海上保安部が、刑特法違反の容疑で緊急逮捕した。」

目取真俊を拘束したという「米軍警備員二人」とは何だろうか。どの報道も「拘束」と表現を揃えている。「警備員による拘束」である。米軍が目取真を「(警察権の行使としての)逮捕」したというのではない。では、身柄拘束の手続的根拠はなんだろうか。私人としての現行犯逮捕だったと考えざるをえない。

その根拠条文は、刑訴法213条「現行犯人は、何人でも、逮捕状なくしてこれを逮捕することができる」というもの。だが、同法214条は、「(私人が)現行犯人を逮捕したときは、直ちにこれを検察官又は司法警察職員に引き渡さなければならない」と定めている。「直ちに」である。「午前9時20分逮捕・午後5時22分引渡」は、いくらなんでも遅すぎる。米軍警備員の目取真に対する監禁罪成立の余地がある。

政治的な影響を考えてみたい。
「抗議行動に伴い、これまでにもカヌーによる抗議が行われていたが、市民が同容疑で逮捕されたのは初めて。米軍側が拘束してから引き渡すまで、目取真さんは約8時間基地内に拘束されていた。池宮城紀夫弁護士は『不当な拘束だ』と指摘している。」「目取真さんはほかの4人と共に抗議を展開。浅瀬でカヌーを浮具(フロート)の内側に入れようとしたメンバーの1人を、陸上から駆け付けた米軍警備員が拘束しようとした。そばにいた目取真さんが拘束を止めようとした際、警備員2人に体をつかまれ陸地側に引きずられていったという。」などと報道されている。

沖縄防衛局は、訴訟での和解後に、埋立作業を中止し事態を静観していた。県警も海保も、カヌー隊の行動を逮捕までしなければならないものとは思っていなかった。しかし、米軍だけが基地建設反対の運動に神経を尖らせていたということなのだ。米軍の不快感の表明に対応を躊躇した県警・海保の消極姿勢が、身柄の引き受けまで8時間も要したことになったのではないか。米軍側の積極的姿勢を警戒しなければならなし、もっと大きな抗議が必要ではないか。

「米軍が目取真を拘束」「海保が逮捕に踏み切った」とは、大きな事件ではないか。辺野古基地反対運動への弾圧ととらえて、直ちにオール沖縄で抗議の嵐が巻き起こってしかるべきではないのか。当然のことながら、運動に携わる者には、互いに「運動参加者への弾圧は許さない」という連帯の姿勢が必要なのだ。

目取真俊は、ブログ「海鳴りの島からー沖縄・ヤンバルより」を連載している。
  http://blog.goo.ne.jp/awamori777

沖縄に生を受け、沖縄に住み続ける者として、沖縄の現状に真正面から対決している覚悟が見える。
3月30日(逮捕2日前)の記事の中に次の一文が見える。
「30日はカヌー5艇で松田ぬ浜を出発した。国と沖縄県の間で和解が成立し、埋め立て工事が中断している中で、多くの人が海上行動に集まるのは難しい。それでも、現場の状況を常に確認し、把握しておく必要がある。一見何もないかのように見えるこういう期間に、日々の行動を積み重ねていくことが大切なのだ。」
これが、カヌー隊の行動であった。

また、次の記載もある。
「この日はカヌーが海に出る前に米軍がゴムボートを3隻出し訓練していた。カヌーを浜に出して準備していると、米軍のゴムボートはいったん浜に上がり、カヌーが通過するまで待機していた。」
この「訓練中の米軍」が目取真を襲ったのだ。

3月31日(逮捕前日)の記事は以下のとおり。
「31日は所用のためカヌーの活動は休み、午後から高江のN1ゲート前で開かれた集会に参加した。…集会のあと新緑を眺めた。辺野古の海の青と高江の森の緑。どれも心が洗われる。人の手では作り出せない自然の美しさと豊かさを実感する。こういうヤンバルの自然が軍事基地建設のために破壊される。考えただけで怒りが湧くが、実際に阻止するためには現場で体を張らなければならない。やりたいこともできず、自分の時間が失われるが、誰かがやらなければならない。」
真摯な責任感をもつ者の言ではないか。このような姿勢で運動の第一線に立つ目取真に敬意を表するとともに、米軍と海保一体となった弾圧に抗議して、目取真を激励したいと思う。

今回の顛末を彼は書物に書き残すことになるだろう。毎日新聞に浅田次郎がコメントを寄せたとおり、多くの人が怒りのエネルギーに満ちたその書を読むことになるだろう。無論、私も読みたいと思う。そして、米軍や海保に、身柄の拘束は逆効果だったと思わせたい。
(2016年4月2日)

4月1日の日米首脳密談

【ワシントン発USO】訪米中の安倍晋三首相は本日(4月1日)、ワシントンでオバマ米大統領と会談した。会談は2度行われ、2度目の会談は秘密会談として行われた。

 秘密会談では、冒頭オバマ氏が安倍氏に対して、沖縄県宜野湾市の米軍普天間飛行場の移設を巡る訴訟で、日本政府と沖縄県が和解して移設工事が中断していることを重大な問題として指摘し、「移設計画が大幅に遅れることが必至ではないか。このことは日米間の信頼関係に重大な影響を及ぼすことになる」と叱責した。

 これに対して、安倍首相は「普天間基地の名護市辺野古への移設は沖縄県民の強硬な反対世論によって、これを強行することは到底不可能な事態に立ち至っている。辺野古基地新設工事は、現在中断しているにとどまらない、実は断念せざるをえない」ことを説明し、アメリカ側の理解を求めた。

 オバマ氏は大いに驚き、「辺野古への移設が不可能であれば、世界一危険な飛行場と言われる普天間は、いつまでも現状維持となることを沖縄県民は覚悟しなければならない」と述べたが、ここで安倍氏のさらに驚くべき発言が続いた。

 「普天間を現状のまま放置する選択肢はあり得ません。もし、そんなことを私の口から言えば、沖縄県民の反米・反政府感情が沸騰するというだけではなく、安倍内閣が崩壊を免れません。県内移設は断念というだけでなく、普天間基地の維持も諦めざるを得ないのです。是非とも、このことをご了解ください。」「軍事専門家も、今や必ずしも沖縄に海兵隊基地を維持する必要はないと言っていることもあり、この際に辺野古移設を断念するだけでなく、普天間基地の全面撤去もやむを得ないと判断した次第です。」

 さらに、安倍氏はこうも続けた。「今、辺野古移設を強行した場合には、安倍政権が7月の国政選挙で勝てないというだけでなく、反米的な政権に取って代わられる危険さえあります。日本には『急がば回れ』ということわざがあります。あるいは、『損して得取れ』『小の虫を殺して大の虫を活かせ』などとも言います。小の虫に過ぎない沖縄の海兵隊基地維持はすっぱりと諦めて、親米安倍政権の存続という『大の虫』を生かしていただくよう伏してお願い申しあげます。」

 オバマ氏は、苦虫を噛み潰したような表情でしばらく沈黙したあとに、このように発言した。「私は、レームダック状態にありながらも、キューバと国交を回復することで、多少は後世に名の残る仕事をした。辺野古移設の断念と、移転先なしの普天間基地撤去によって懸案の抜本解決ができるのであれば真剣に考えてみよう」

さらに、もう一つの議題である環太平洋パートナーシップ協定(TPP)についてオバマ氏は、「公開の会談では、『これが最優先の議会(承認)案件だ』としたが、実は議会の承認は無理な情勢だ。また、次の大統領に誰が就任するにせよ。今の大統領選での論戦をみていれば、新大統領がTPP推進の立場に立つとは到底考えられない。」と述べて、一転して悲観的な状勢認識を吐露した。

これに対して、安倍氏も「実は、TPPは我が国でもすこぶる評判が悪い。我が国でも、TPPの承認を強行すれば、政権がもたないと心配せざるを得ないのです。」「加えて、TPP担当大臣が、あっせん利得処罰法違反を指摘されて立件されかねない立場にあり、後任大臣が無能で知られた人物となったのです。」「そんなわけで、TPPも強行すれば安倍政権の命取りとなりかねないのです。」と応じ、両首脳は、表面上はともかく真意のところではTPP承認の推進を見送る方向で一致した。

さらに、安倍首相から、オバマ氏に対して、2点の要請があった。
ひとつは、5月に開かれる主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)において、伊勢神宮を公式行事の場として使用することは日本国憲法の政教分離原則に抵触することになるので、伊勢神宮との公的な接触は厳に避けていただきたいとの要請があり、オバマ氏はこれを了解した。

また、公開の会談においてオバマ氏が「自分が大統領として日本を訪問するこの最後の機会に、日米関係をさらに良くする努力をしたい」と述べたことに関連して、安倍氏はこう提案した。

「そのようなご努力の一環として、是非とも、広島の原爆資料館だけでなく、東京夢の島の第五福竜丸展示館を訪問の上、日本人の核なき世界への強い願いをご理解いただきたい」。この唐突な提案に対してオバマ氏は、極めて意外なことを聞かされたとの様子をみせながらも、大いに喜んで「せっかくのお申し出を実現する方向で検討させていただきたい」と応じた。

会談はこの間1時間近くに及び、前半は不穏な雰囲気であつたが、最後は両者笑みをかわして面談を終えた。

なお、最後に、オバマ氏からこの秘密会談の内容については議事録を作成しないこと、秘密は厳格に守るべきことの確認を求め、安倍氏はこれに応じた。したがって、以上の内容が公表されることはない。
(2016年4月1日)

澤藤統一郎の憲法日記 © 2016. Theme Squared created by Rodrigo Ghedin.