本日(6月9日)の毎日新聞朝刊25面に、「是枝監督 文科相のお祝い辞退」の記事。「公権力と距離保つ」と横見出しがついている。私には、カンヌの「パルムドール」がナンボのものかはよく分からない。しかし、「文化は公権力と距離を保つべきもの」「そのために、文科相のお祝いは辞退する」という、是枝裕和監督の心意気はよく分かる。権力への摺り寄りやら忖度やらが横行する昨今。清々しいことこの上ない。
毎日の記事を引用しておこう。
フランスで先月開かれた第71回カンヌ国際映画祭で、メガホンを取った「万引き家族」が最高賞「パルムドール」を受賞した是枝裕和監督に対し、林芳正文部科学相が文科省に招いて祝意を伝える考えを示したところ、是枝監督が自身のホームページ(HP)に「公権力とは潔く距離を保つ」と記して辞退を表明した。
林氏は7日の参院文教科学委員会で、立憲民主党の神本美恵子氏から「政府は是枝監督を祝福しないのか」と質問され、「パルムドールを受賞したことは誠に喜ばしく誇らしい。(文科省に)来てもらえるか分からないが、是枝監督への呼びかけを私からしたい」と述べた。今回の受賞を巡っては、仏紙「フィガロ」が安倍晋三首相から祝意が伝えられないことを「是枝監督が政治を批判してきたからだ」と報じていた。
答弁を受け、是枝監督は同日、HPに「『祝意』に関して」と題した文章を掲載。今回の受賞を顕彰したいという自治体などからの申し出を全て断っていると明かした上で「映画がかつて『国益』や『国策』と一体化し、大きな不幸を招いた過去の反省に立つならば、公権力とは潔く距離を保つというのが正しい振る舞いなのではないか」とつづった。
是枝裕和のコメントは、下記URLで読める。
http://www.kore-eda.com/message/20180607.html
『祝意』に関して 2018年6月7日
6月5日にブログで発表した『「invisible」という言葉を巡って』には思った以上に沢山の感想が寄せられました。ありがとうございました。
あれで終わりにしようと思っていたのですが、まぁ僕が語った趣旨がすぐにその通りに浸透するわけもなく…。
国会の参院文科委員会で野党の議員が「(是枝に)直接祝意を表しては? 現場をとても鼓舞する。総理に進言を」と文科相に問いただしているやりとりを目にし、更にその後「林文科相が文科省に招いて祝福したいという意向を示した」と伝えられたとNHKのニュースで目にしました。他に多くの重要な案件がありながら、このような私事で限られた審議や新聞の紙面やテレビのニュースの時間を割いて頂くのも心苦しく、もう一言だけ(笑)僕なりの考えを書いておくことにしました。
実は受賞直後からいくつかの団体や自治体から今回の受賞を顕彰したいのだが、という問い合わせを頂きました。有り難いのですが現在まで全てお断りさせて頂いております。先日のブログの中で僕はこう書きました。
「大きな物語」に回収されていく状況の中で映画監督ができるのは、その「大きな物語」(右であれ左であれ)に対峙し、その物語を相対化する多様な「小さな物語」を発信し続けることであり、それが結果的にその国の文化を豊かにするのだ
もちろん、例えば敗戦からの復興の時期に黒澤明の『羅生門』がベニスで金獅子賞を獲得したことや、神戸の震災のあとに活躍したオリックスの球団と選手を顕彰することの意味や価値を否定するものでは全くありません。
しかし、映画がかつて、「国益」や「国策」と一体化し、大きな不幸を招いた過去の反省に立つならば、大げさなようですがこのような「平時」においても公権力(それが保守でもリベラルでも)とは潔く距離を保つというのが正しい振る舞いなのではないかと考えています。決して波風を立てたいわけではないので「断った」などとはあえて口にしないでおりましたが、なかなかこの話題が収束しないようなので、本日ここに公にすることにいたします。なので、このことを巡る左右両派!のバトルは終わりにして頂きたい。映画そのものについての賛否は是非継続して下さい。『万引き家族』明日公開です。「小さな物語」です。
最後に一言だけ。今回の『万引き家族』は文化庁の助成金を頂いております。ありがとうございます。助かりました。しかし、日本の映画産業の規模を考えるとまだまだ映画文化振興の為の予算は少ないです。映画製作の「現場を鼓舞する」方法はこのような「祝意」以外の形で野党のみなさんも一緒にご検討頂ければ幸いです。
6月5日付ブログ『「invisible」という言葉を巡って』の記事はかなり長い。その中から、『メッセージと怒り』と小見出しを付けた部分だけを紹介しておきたい。
http://www.kore-eda.com/message/20180605.html
映画監督なのだから政治的な発言や行動は慎んで作品だけ作れというような提言?もネット上でいくつか頂いた。僕も映画を作り始めた当初はそう考えていた。95年に初めて参加したベネチア映画祭の授賞式でのこと。ある活動家らしき人物がいきなり壇上に上がり、フランスの核実験反対の横断幕を掲げた。会場にいた大半の映画人は、立ち上がり拍手を送った。正直僕はどうしたらいいのか…戸惑った。立つのか立たないのか。拍手かブーイングか。この祭りの空間をそのような「不純な」場にしてもいいのか?と。しかし、23年の間に気付いたことは、映画を撮ること、映画祭に参加すること自体が既に政治的な行為であるということだ。自分だけが安全地帯にいてニュートラルであり得るなどというのは甘えた誤解で不可能であるということだった。
? 映画祭とは、自らの存在が自明のものとしてまとっている「政治性」というものを顕在化させる空間なのである。目をそむけようが口をつぐもうが、というかその「そむけ」「つぐむ」行為自体も又、政治性とともに判断される。しかし、このようなことは映画監督に限ったことではもちろんなく、社会参加をしている人が本来持っている「政治性」に過ぎない。日本という国の中だけにいると意識せずに済んでしまう、というだけのことである。少なくともヨーロッパの映画祭においては、こちらの方がスタンダードである。今僕はその“しきたり”に従っている。もちろん公式会見や壇上のスピーチではそういった行為は避ける。「作った映画が全てだ」という考え方がやはり一番シンプルで美しいと思うから。しかし、これは個人的な好みの問題でしかない。個別の取材で記者に問われれば、専門家ではないが…と断りを加えた上で(この部分は大抵記事からはカットされる)自分の社会的・政治的なスタンスについては可能な限り話す。そのことで自分の作った映画への理解が少しでも深まればと思うからである。これを「政治的」と呼ぶかどうかはともかくとして、僕は人々が「国家」とか「国益」という「大きな物語」に回収されていく状況の中で映画監督ができるのは、その「大きな物語」(右であれ左であれ)に対峙し、その物語を相対化する多様な「小さな物語」を発信し続けることであり、それが結果的にその国の文化を豊かにするのだと考えて来たし、そのスタンスはこれからも変わらないだろうことはここに改めて宣言しておこうと思う。その態度をなんと呼ぶかはみなさんにお任せいたします。
この映画監督が、頭の中に「大きな物語」と「小さな物語」の対立構図を持っていることがまことに興味深い。「大きな物語」とは、「国家」とか「国益」に収斂する物語だが、これは空虚でウソの匂いがつきまとう。一人ひとりの人生は、「小さな物語」でしかなく、泣いたり笑ったり感動したりは、この「小さな物語」の中にしかない。ところが、いまは「人々が『大きな物語』に回収されていく状況」と捉えられている。
「回収」という言葉が、言い得て妙。回収する主体は「国家」や「国益」を司る者。今は安倍政権である。これが、生活ゴミを回収するがごとく、産廃を回収するがごとくに、一人ひとりの「小さな物語」を「大きな物語」の一部として取り込み、回収しようとしているのだ。
「回収の道具」はいろいろある。日の丸・君が代・元号・勲章などは、個人の「小さな物語」を国家の「大きな物語」に取り込み、回収するための分かり易い小道具。オリンピックも、ワールドカップもそんなものなのだろう。
ジャーナリズムも文化も教育も、気をつけないとそんな「回収のための小道具・大道具」に堕してしまうことになりかねない。
だから、是枝は、大切なことは、「『大きな物語』(右であれ左であれ)に対峙し、その物語を相対化する多様な『小さな物語』を発信し続けること」だという。「そのスタンスはこれからも変わらないだろうことはここに改めて宣言しておこうと思う。」という、その言やよし。
もう一言。ネットでの右翼諸君の発言に、「是枝監督の 辞退表明、政府から助成金もらっておきながら『公権力とは潔く距離を保つ』って違うんじゃない?」というものが多い。
この言は、薄汚い権力者のホンネだ。ネトウヨが、アベ政権の本心を代理して発言しているのだ。
「国民の税金はすべて我が政権の手中にある。この政権に従順な者だけに金を配分してやろう。政権に楯突く不逞の輩にはカネをやらない。」「だから是枝よ、胸に手を当ててよく考えろ。」「映画を作るには金が要るだろう。助成金が必要なら、『公権力とは潔く距離を保つ』などと格好つけていてはならない。『魚心あれば水心』って、あながち知らないわけでもなかろうに。」
助成金は国民の税金だ。国民に還元しなくてはならない。還元は先は、けっして公権力でも政権でもない。政権の意向を忖度しない映画の制作こそ、最も適切な国民への還元なのだ。
(2018年6月9日)
DHCと吉田嘉明が、私(澤藤)に6000万円を請求したスラップ訴訟。私がブログで吉田嘉明を痛烈に批判したことがよほど応えたようだ。人を見くびって、高額請求の訴訟提起で脅かせば、へなへなと萎縮して批判を差し控えるだろうと思い込んだのだ。そこで、自分を批判する言論を嫌って「黙れ」という私への恫喝が、当初は2000万円のスラップ訴訟の提起。私が黙らずに、スラップ批判を始めたら、たちまち提訴の賠償額請求額が6000万円に跳ね上がった。なんと、理不尽な3倍増である。この経過自体が、言論封殺目的の提訴であることを雄弁に物語っているではないか。
そのスラップ訴訟は私(澤藤)の勝訴が確定したが、DHC・吉田嘉明が意図した、「吉田を批判すると面倒なことになる」「面倒なことに巻き込まれるのはゴメンだ。だから吉田嘉明を刺激せずに批判は差し控えた方が賢い」という風潮が払拭されていない。そこで、今私は、DHC・吉田嘉明を相手に、スラップ提訴が不法行為となるという主張の裁判を闘っている。これを「反撃訴訟」「リベンジ訴訟」などと呼んでいる。
本日(6月8日)午前10時15分から、「反撃訴訟」の法廷が開かれた。係属部は、東京地裁民事第1部合議係。
次回期日は2018年8月31日(金)午後1時30分?、415号法廷となった。
次回は、当方が準備書面を提出し、人証の申請もすることになる。是非、傍聴をお願いしたい。
本日までの当事者間の書面のやり取りの経過は以下のとおりである。
前回4月26日の法廷では、澤藤側が「反訴原告準備書面(2)」を陳述した。25頁の書面だが、要領よくなぜスラップの提訴が違法となるかをまとめている。それに対するDHC・吉田嘉明側の反論が、「反訴被告ら準備書面2」である。これがどうにも投げやりな6頁の書面。本日の法廷では、「反訴原告準備書面(3)」に基づく、当方からの求釈明をした。
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反訴原告準備書面(2)の要約
1.準備書面(2)は第1から第3で構成されている。
2.第1は、反訴被告の答弁書に対する反論である。答弁書の主張は、前件名誉毀損訴訟は、反訴被告らの敗訴が明らかというようなものではなかったというものであり、其の理由として、主に以下の5点、すなわち、
? 前件訴訟では、反訴原告も、反訴原告のブログにより反訴被告らの社会的評価が低下したことを認めている。
? 前件訴訟において、裁判所は、反訴原告らが主張した訴え却下の主張をしりぞけた。
? 反訴原告と事前交渉しなかったのは、事前交渉しても応じないだろうし、応じる意思があるのなら、訴訟を起こせば反訴原告はブログを削除し連絡してくると考えたから。
? 前件訴訟は、請求額が非常識に高額と非難されるようなものではない。
? 前件訴訟は、判断が微妙な事件だった。
といった事由を上げている。
これらの点に関する反訴原告の意見は反訴状で既に詳細に述べているが、要約すると、他人の言動を批判する論評がその人の社会的名誉を低下させることがあるのは当然のことで、問題はそのような論評が違法か否かであり、訴え却下と不当・スラップ訴訟の判断要素は異なるから、訴えが却下されなかったことが不当訴訟の責任を免れる十分要件となるものではなく、事前交渉の必要性に関する反訴被告らの主張は、その主張内容こそが、異なる意見の交流を認めない反訴被告らのスラップ性を示すもので、請求額については、およそ認容される余地のない非常識に高額なものであるということに尽きる。さらに、前件訴訟は、反訴被告吉田が週刊誌に公表した言動に対する意見、批判、すなわち、前提事実に誤りのない論評であって、違法性のないことは明らかであったということである。
3.準備書面の第2は、前件名誉毀損訴訟と関連する10件の判決結果に対する、反訴被告らの、およそ真に名誉回復を目指して裁判を提起しているとは思えない不合理的な控訴、上告等の姿勢、あるいは、和解、取下げ同意の態様から、前件名誉毀損訴訟は、裁判による権利回復を目指すものではなく、勝訴の可能性などは歯牙にもかけず、批判言論を力づくで封殺することだけを目的としたものであったことを論述したものである。裁判所におかれては、反訴被告らが、関連事件の全部敗訴事件と実質敗訴の一部勝訴事件において、本件のスラップ性を露わにした対応をしていることに注目していただきたい。
4.準備書面の第3では、前件訴訟が、東京地裁が平成17年3月30日に言い渡した「消費者金融会社武富士」のスラップ訴訟判決と同種のものであること、また、前件名誉毀損訴訟が提起された背景には、反訴被告会社のHPから窺われる反訴被告吉田の異なった意見は反日として徹底的に排除するという信条が根強くあり、今後も同様な事件が繰り返されるおそれのあることを東京MXテレビの「ニュース女子」事件等から論じている。また、本件に関連し、反訴被告らの威圧に屈し、裁判被告となる愚を回避するとして、ブログ記事を削除したあるブロガーの記事も紹介し、前件訴訟や関連訴訟のブロガーに対する威圧効果の一例を示した。
以上
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これに対するDHC・吉田嘉明側の反論
第1 前訴提起に至る経緯
1 反訴被告吉田は,日本国をより良くしたいとの思いから,脱官僚を政策に掲げる政治家を応援するべく,訴外渡辺善美に8僮円を貸付けた。ところが,これが公になったあと,一部週刊餡やプログにおいて,反訴被告吉田の貸付行為は,政治を金で買うものだとの全くの事実無根の記述がなされ,反訴被告らの名誉が毀損される事態に陥った。
2 そこで,反訴被告会社担当者らは,当該事実無根の記述をしてい る週刊誌やブログをピックアップし,顧問弁護士と協議の上,表現があまりにも酷く,?裁判所に救済を求める事例,?法務担当者らから警告をするにとどめる事例及び?名誉毀損とまではい攴ないため放置する事例とに分け(乙14参照),?については,特に慎重に不法行為が成立するか,顧問弁護士の意見を聞いた上で,請求認容されると予想された10件について,訴訟提起することとし,反訴被告吉田の了解を得た。
3 より具体的には,顧問弁護士は,不法行為の成否について,まず訴訟対象とした10件については,その表現がかなり酷く,反訴被告らの社会的評価を低下させており,請求原因が認容される可能性が高いものを選別した。
抗弁については,反訴被告吉田の8億円貸付の動機については,反訴被告らが政治を金で買う目的で8億円を貸し付けたなどという動機は見当違いも甚だしく,相当の根拠も全くなかったので,違法性や責任が阻却される可能性はないと考え,その他についても同様であった。(以下略)
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この書面に対する求釈明が以下のとおり。
反訴被告ら準備書面2に対して反論するにあたり、以下の点を明確にされたい。
1 反訴被告らは、週刊誌やブログの記載について、?裁判所に救済を求める事例、?法務担当者らから警告をするにとどめる事例、?名誉毀損とまではいえないため放置する事例、に分けたと述べている。
上記?、?、?に分類された週刊誌やブログの件数は、それぞれ何件か。
また、?に分類された事例のうち、警告後に?に移行した事例はあるか。ある場合にはその件数。
2 週刊誌やブログのピックアップや分類に関与した「反訴被告会社担当者ら」氏名と役職、「顧問弁護士」の全員の氏名。
3 反訴被告らは、明らかに勝訴できると考えて提訴し判決された事件のすべてが敗訴もしくは実質敗訴した理由はどこにあると考えているのか。
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さて、DHC・吉田嘉明はこの求釈明にどう答えたか。反訴被告は口頭で全面的に回答を拒否したのである。
これに対して、反訴原告側から口頭で「以前の準備書面には、『顧問弁護士ら』と複数になっていたが、今回準備書面では『『顧問弁護士』と単数になっている。これは、どういうことか?」と問があり、「今回の書面が間違いで、複数が正しい」との回答があった。
では、「その複数の顧問弁護士の中に、今村憲さん、あなたがはいっていると確認してよいか」と重ねて聞くと、「けっこうです」との返答。裁判所もこれを調書に録っている。
次回には、反論書面とともに、人証の申請をすることになる。こんなことに書面での回答ができないというのなら、証人としての尋問に回答してもらおう、ということなのだ。常識的に、反訴原告本人(澤藤)と、反訴被告本人(吉田嘉明)、そして顧問弁護士今村憲と法務担当者が申請対象となる。
閉廷後、報告と意見交換の会合を持った。そこで、今回もDHCを内情を知る人から、貴重な情報を得ることができた。
DHCに対する批判は実に多様なのだ。DHCの本質のなせる業である。それなら、厚いDHC・吉田嘉明包囲網を作れるのではないだろうか。
スラップ訴訟の被告
提訴には至らないが言論介入を受けた多くの人たち
労働事件で対決した元労働者
いじめられた取引先
吉田嘉明からヘイト攻撃を受けている被害者
対立業者
消費者被害者
DHC取材のジャーリスト
まずは、多様な人々が大同団結して集会を開き、
DHC商品不買運動宣言を採択して、
正々堂々たるDHC・吉田嘉明批判の出版などをやってみては。
日本の民主主義のために、有益な行動提起になりそうではないか。
(2018年6月8日)
DHCスラップ訴訟。DHC・吉田嘉明が、吉田批判言論の萎縮を意図して提起した不当極まる典型的スラップ。DHC・吉田嘉明はスラップの常連だが、2014年3月に明らかになった「対渡辺喜美8億円事件」の批判言論封じ目的のスラップは計10件。私に対する提訴は、そのうちの1件である。
私の勝訴が確定はしたが、DHC・吉田嘉明が意図した、「吉田を批判すると面倒なことになる」「吉田嘉明という男は、カネに飽かせて裁判をやって来る」「面倒なことに巻き込まれるのはゴメンだ。だから吉田嘉明を刺激せずに批判は差し控えた方が賢い」という風潮が払拭されていない。そこで、今私は、DHC・吉田嘉明を相手に、スラップ提訴が不法行為となるという裁判を闘っている。これを「反撃訴訟」「リベンジ訴訟」などと言っている。
その反撃訴訟の次回期日が、6月8日(金)午前10時15分から、東京地裁415号法廷での開廷。担当裁判所は民事第1部合議係。
今回の法廷では、DHC・吉田嘉明側が「反訴被告準備書面2」を提出する。そして、反訴原告(澤藤)側から、いくつかの立証に必要な事項について、求釈明をする予定となっている。
今回の法廷は、山場ではない。見せ場もない。それでも、表現の自由やDHC・吉田嘉明に関心のある皆様に、是非傍聴をお願いしたい。どなたでも、なんの手続も不要で、傍聴できる。誰何されることはない。
閉廷後、いつものとおり、弁護団からのご説明や意見交換の機会を持つことになります。然るべき資料も配付いたします。
今回の法廷で陳述となる「反訴被告準備書面2」は全6頁のたいへんに短いもの。
第1 前訴提起に至る経緯
第2 反訴原告準備書面(2)に対する若干の反論
の2節からなっている。
その内、第1節、第7項?8項の全文をご紹介したい。
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平成29年(ワ)第98149号損害賠償請求反訴事件
反訴原告 澤藤統一郎
反訴被告 吉田嘉明,株式会社ディーエイチシー
反訴被告ら準備書面2
平成30年6月1日
東京地方裁判所民事第1部合議係御中
反訴被告ら訴訟代理人弁護士 今村憲
第1 前訴提起に至る経緯
7 訴訟提起した10件の内1件は謝罪がなされたので取下げた。
内1件については,裁判所の和解勧告があり,双方代理人が尽力した結果,相手が事実と異なる表現をしたことを認め,和解金を支払うに至ったので,早期円満解決した。
内2件は一部勝訴し,残部について当然控訴するかは検討したが,相手も控訴せず,素直に判決に従・た。金員を遅延損害金を含めて支払うというので,早期解決のため,控訴しなかった。
内5件については敗訴したが、わが国においては,三審制が採られており,特に本件は前記最高裁判決の射程,解釈に関わる問題を含んでいたこともあり,上級審に救済を求めて,いずれも控訴,上告受理申立てをしたものである。
8 以上のとおり,前訴提起が,違法となる余地など微塵もない。
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これに、少しだけ解説を加えておきたい。
「前訴」とは、DHC・吉田嘉明が私(澤藤)を被告として提起した、6000万円請求のスラップ訴訟のこと。
そして、「訴訟提起した10件」とは、DHC・吉田嘉明が、対渡辺喜美8億円裏金交付事件についての批判者を被告としたスラップ訴訟である。これが、何と10件。その概容は以下のとおり、一見して凄まじい。
1 平成26年(ワ)第9172号
被 告 ジャーナリスト
提訴年月日 2014年4月14日
損害賠償請求額 6000万円
2 平成26年(ワ)第9407号
被 告 ジャーナリスト
提訴年月日 2014年4月16日
損害賠償請求額 2000万円
3 平成26年(ワ)第9411号
被 告 業界紙
提訴年月日 2014年4月16日
損害賠償請求額 2000万円⇒後に1億円に増額
4 平成26年(ワ)第9408号
被 告 弁護士(澤藤)
提訴年月日 2014年4月16日
損害賠償請求額 2000万円⇒後に6000万円に増額
5 平成26年(ワ)第9412号
被 告 弁護士
提訴年月日 2014年4月16日
損害賠償請求額 2000万円
6 平成26年(ワ)第10342号
被 告 出版社
提訴年月日 2014年4月25日
損害賠償請求額 2億円
7 平成26年(ワ)第1 1 3 0 9号
被 告 出版社
提訴年月日 2014年5月8日
損害賠償請求額 6000万円
8 平成26年(ワ)第1 5 1 9 0号
被 告 出版社
提訴年月日 2014年6月16日
損害賠償請求額 2億円
9 平成26年(ワ)第1 5 1 9 1号
被 告 ジャーナリスト
提訴年月日 2014年6月16日
損害賠償請求額 2000万円
10 平成26年(ワ)第1 5 1 9 2号
被 告 ジャーナリスト
提訴年月日 2014年6月16日
損害賠償請求額 4000万円
以上のスラップ10件がどのような結末となったか。DHC・吉田嘉明が前記準備書面において「訴訟提起した10件」について書いているところに沿って明らかにしておきたい。
「訴訟提起した10件の内1件は謝罪がなされたので取下げた。」
これは、上記7の事件である。1審の審理の最中、原告が突然訴えの取り下げ書を提出し、その3日後に被告が取り下げ同意書を提出して訴訟終了となっている。同事件被告の出版社が謝罪した記録はなく、もちろん、謝罪の訂正記事も出されていない。そもそも、6000万円の請求を「謝罪がなされたので取下げた」は余りにも不自然。問題の記事は、被告出版社が事前に吉田に取材して執筆したもの。この記事での謝罪は、ジャーリストとしてのプライドを投げ捨てるに等しく、到底考えられない。記録を閲覧した限りでは、DHC・吉田嘉明は、まったく勝ち目ないことを覚って、敗訴判決を避けるために取り下げたとの印象が強い。
「内1件については,裁判所の和解勧告があり,双方代理人が尽力した結果,相手が事実と異なる表現をしたことを認め,和解金を支払うに至ったので,早期円満解決した。」
これは信じがたい不正確。上記1事件と10事件の被告は同一人物。そのため両事件が併合された。合計請求額が1億円である。和解に至ったのは併合された両事件。1億円請求に対して、和解金額は30万円。300万円の間違いではない。請求金額の1%の和解というのも恥ずかしいが、この和解は、0.3%という代物。係争費用を考えれば、和解したくもなる気持は理解できる。「相手が事実と異なる表現をしたことを認め」は、形式的にはそのとおりである。しかし、記事のどの部分がどのように事実と異なっていたかの特定はまったくない。この被告は、1億円もの請求の提訴から「30万円と形式だけの謝罪」で解放される道を選んだのだ。むしろ、「9970万円=99.7%」は不当訴訟であったとも言える低額和解ではないか。
「内2件は一部勝訴し,残部について当然控訴するかは検討したが,相手も控訴せず,素直に判決に従った金員を遅延損害金を含めて支払うというので,早期解決のため,控訴しなかった。」は、噴飯物の言い分である。DHC・吉田嘉明の体質をよく物語る主張と言うべきだろう。DHC・吉田嘉明の言には、眉に唾して聞かなければならない。
「内2件」とは前記3の事件と、6の事件である。
3事件は1億円の請求に対して100万円の一部勝訴、6事件は2億円の請求に対して100万円の一部勝訴であった。問題は、この勝訴部分が、いずれも対渡辺喜美8億円裏金交付事件についての批判言論とはまったく無縁なのだ。つまり、スラップとは無関係の別件を併せて提訴して、そちらの方では一部勝訴したから提訴の面目が立ったということにして矛を収めたのだ。確認しておこう。対渡辺喜美8億円裏金交付事件についての批判の言論をけしからんとした、DHC・吉田嘉明の提訴での判決はゼロ敗なのだ。
「内5件については敗訴したが、わが国においては,三審制が採られており,特に本件は前記最高裁判決の射程,解釈に関わる問題を含んでいたこともあり,上級審に救済を求めて,いずれも控訴,上告受理申立てをしたものである。」
馬鹿馬鹿しいから、これ以上の論評はしない。確認しておくが、その請求額は、2000万円(上記2の事件)、2000万円(上記4の事件)、6000万円(上記5の事件)、2億円(上記8の事件)、2000万円(上記9の事件)であり、これでゼロ敗なのだ。これだけ負け続けて、反省の弁もない。謝罪もしないのだ。
ところで、貼用印紙(裁判所利用の手数料)は、上記8の事件だけで、1審62万円、控訴審93万円、上告審124万円である。合計279万円。これをはるかに上回る弁護士費用を払っているものと考えられる。
スラップ訴訟とは金がかかる。カネを持つものと持たざるものと、同じ金額でもまったく重みがちがうから、スラップが脅しとなる。言論抑圧手段となるのだ。
(2018年6月7日)
親しいYM弁護士は、飄々、悠々という言葉の似合う人。口角に泡というタイプとはおよそ正反対。ところが、嫌煙権と元号反対では決して譲らない。もっとも、その主張は常にマイルドである。
私は「天皇制を国民意識に刷り込む元号に反対」というが、彼は「元号は不便。便利な西暦を使おう」という。
その彼が、とある団体の機関誌に「西暦使用の勧め」を寄稿したところ、ボツになったという。その話しを聞いて、その原稿を当ブログに掲載したいと依頼し、快諾を得た。
昨日お話した幻の原稿です。多少修正しています。
おとなしい原稿ですが、ボツになることはある程度予想していたので、驚きはしませんでした。
先年、出身大学の在籍証明書を取ったところ、すべて西暦表示になっていました。外国人学生も増えていることですし、今や当然のことなのでしょうね。
金融機関も西暦に統一すれば楽なのに、なぜか「和暦」。
ちなみに手許にある預金通帳は、
みずほ「年月日」
三菱「年月日」
三井住友「年月日(和暦)」
ゆうちょ「年月日」とあって、
年月日欄だけでなく、通帳に「平成」の文字をを印刷している銀行はありませんでした。これなら、改元により、無駄になることもないのですね。
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「西暦使用の勧め」
東京オリンピックの開催が2年後、2020年7月に迫って来ました。その前、2020年4月1日には改正民法が施行されます。そして、2019年5月1日から新元号となります。
ご存知のとおり、元号は「元号法」により規定されており、その法律は、「元号は、政令で定める」、「元号は皇位の継承があった場合に限り改める」との2項しかありません。日本国民は(あるいは、日本の中では)元号を使用しなければならない、との規定はどこにもありません。
裁判所は「元号」使用です。
しばらく前までは、分割金を「平成33年6月まで支払う」といったありえない年号を書いた和解条項が見受けられました。今でも、見られるのかもしれません。おそらく、こうした条項に違和感を覚えた人は少なくないでしょう。一義的、明確に、分かりやすく書くというのが和解条項だから、明らかに存在しないと分かっている年号をあえて書いていることに、そう感じたのでしょう。
日本を訪れる外国人も増えています。観光客だけでなく、長期間住み続けている人もいます。外国人が裁判の当事者になることも珍しくありません。
そうした外国人に対して、日本にいる以上は元号を使用せよ、元号だけで不便はないはずだ、というのは乱暴でしょう。
官公庁は、元号を積極的に使っているようですが、さすがに、わが国の旅券(パスポート)は、生年月日、発行年月日、有効期限ともに西暦表示であって、元号はどこにも見当たりません。世界で通用させるためには当然のことです。
新元号は2019年4月には決定されるようですが、今後どうしても元号を使用するというのなら、少なくとも西暦併記にしてもらいたいものです。時代を語るのなら元号は便利なものかもしれませんが、実用性を考えるのなら、西暦が便利です。変わらない、世界で通用する、日本にいる外国人にも分かる、期間計算をするのに便利、等等です。
期間計算で、元号が二つ、三つ、それ以上にまたがることも稀ではありません。年齢計算ですら面倒なものになります。結局は、始期、終期の元号年をいったん西暦年に直して計算することになるのでしょう。それなら、西暦表示を基本とすべきです。
2018年10月から毎月1回、36回の分割払い、そのような和解条項をこれから作成するとき、皆様はどのように書きますか? 「2018年10月から2021年9月まで(36回)」と書けば分かりやすいし、明快です。
ちなみに、西暦表示の場合、わざわざ「西暦2018年」と書かなくても、単に「2018年」と書けば通用します。
裁判所の和解条項、調停条項でも、今回の元号改正を機に、元号表示から西暦表示とすることを勧める次第です。西暦は世界暦です。
以 上
う?む。これがボツか。
(2018年6月6日)
DHCスラップ訴訟。DHC・吉田嘉明が、吉田批判言論の萎縮を意図して提起した不当極まる典型的スラップ。DHC・吉田嘉明はスラップの常連だが、2014年3月に明らかになった「対渡辺喜美8億円事件」の批判言論封じ目的のスラップは計10件。私はその被告の内の1人である。
私(澤藤)が被告となった事件では、当然に私の勝訴となった。しかし、DHC・吉田嘉明は、敗訴が分かりきっているのに、執拗に控訴し上告受理申立をして最高裁まで争った。
私の勝訴が確定はしたが、DHC・吉田嘉明が意図した、「吉田を批判すると面倒なことになる」「吉田嘉明という男は、カネに飽かせて裁判をやって来る」「面倒なことに巻き込まれるのはゴメンだから、刺激しない方が賢い」という風潮が残っている。だから、今、私は、DHC・吉田嘉明を相手に、スラップ提訴が不法行為となるという裁判を闘っている。これを「反撃訴訟」「リベンジ訴訟」などと言っている。
その反撃訴訟の次回期日が、近づいている。6月8日(金)午前10時15分から、東京地裁415号法廷での開廷。担当裁判所は民事第1部合議係。
今回の法廷では、DHC・吉田嘉明側が「反訴被告準備書面2」を提出する。そして、反訴原告(澤藤)側から、いくつかの立証に必要な事項について、求釈明をする予定となっている。
今回の法廷は、山場ではなく、見せ場もない。それでも、表現の自由やDHC・吉田嘉明に関心のある皆様に、是非傍聴をお願いしたい。
閉廷後、いつものとおり、弁護団からのご説明や意見交換の機会を持つことになります。然るべき資料も配付いたします。
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今回の法廷で陳述となる「反訴被告準備書面2」は全6頁のたいへんに短いもの。
第1 前訴提起に至る経緯
第2 反訴原告準備書面(2)に対する若干の反論
の2節からなっている。
その内、冒頭の第1節、第1項?3項の途中までをご紹介したい。
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平成29年(ワ)第98149号損害賠償請求反訴事件
反訴原告 澤藤統一郎
反訴被告 吉田嘉明,株式会社ディーエイチシー
反訴被告ら準備書面2
平成30年6月1日
東京地方裁判所民事第1部合議係御中
反訴被告ら訴訟代理人弁護士 今村憲
第1 前訴提起に至る経緯
1 反訴被告吉田は,日本国をより良くしたいとの思いから,脱官僚を政策に掲げる政治家を応援するべく,訴外渡辺善美に8僮円を貸付けた。ところが,これが公になったあと,一部週刊餡やプログにおいて,反訴被告吉田の貸付行為は,政治を金で買うものだとの全くの事実無根の記述がなされ,反訴被告らの名誉が毀損される事態に陥った。
2 そこで,反訴被告会社担当者らは,当該事実無根の記述をしてい る週刊誌やブログをピックアップし,顧問弁護士と協議の上,表現があまりにも酷く,?裁判所に救済を求める事例,?法務担当者らから警告をするにとどめる事例及び?名誉毀損とまではい攴ないため放置する事例とに分け(乙14参照),?については,特に慎重に不法行為が成立するか,顧問弁護士の意見を聞いた上で,請求認容されると予想された10件について,訴訟提起することとし,反訴被告吉田の了解を得た。
3 より具体的には,顧問弁護士は,不法行為の成否について,まず訴訟対象とした10件については,その表現がかなり酷く,反訴被告らの社会的評価を低下させており,請求原因が認容される可能性が高いものを選別した。
抗弁については,反訴被告吉田の8億円貸付の動機については,反訴被告らが政治を金で買う目的で8億円を貸し付けたなどという動機は見当違いも甚だしく,相当の根拠も全くなかったので,違法性や責任が阻却される可能性はないと考え,その他についても同様であった。
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これに、少しだけ解説を加えておきたい。前訴とは、吉田嘉明から私(澤藤)に対する6000万円請求のスラップ訴訟のことである。
反訴被告吉田は,日本国をより良くしたいとの思いから,脱官僚を政策に掲げる政治家を応援するべく,訴外渡辺喜美に8億円を貸付けた。ところが,これが公になったあと,一部週刊誌やブログにおいて,反訴被告吉田の貸付行為は,政治を金で買うものだとの全くの事実無根の記述がなされ,反訴被告らの名誉が毀損される事態に陥った。
同準備書面冒頭のこの一文が、準備書面全体の主旨となっている。
ここでは、「渡辺喜美に8億円を貸付けた」ことが「公になった」と表現されているが、第三者の手によって、心ならずも「公になった」のではない。吉田嘉明自身が週刊新潮誌上に手記として公表したことによるものなのだ。吉田本人自らが、得々として「理念なき政治家・渡辺喜美に8億円を交付した」と述べたのだ。これに批判が殺到したのは当然のことではないか。
本件スラップは、公表者自らが慌てて自分の手記への批判を封じようとしている点で、他にない特徴を持つ。批判のブログを書いた私(澤藤)は、当時吉田嘉明という人物の言行を知らなかった。すべては、吉田自身が自ら「公にした」情報に基づいて、私の見方(意見ないし論評)を述べたに過ぎない。
ここに記載されている「日本国をより良くしたいとの思いから」との動機は、通常の社会常識と国語力を有する者が、通常の読み方で吉田嘉明手記を読む限り、到底措信しえない。吉田嘉明は、その手記において無邪気に自分の会社の経営に行政の規制が厳しいことに不平を述べている。「脱官僚を政策に掲げる政治家を応援する」のは、自分の会社への厚生労働行政規制の撤廃ないしは緩和を動機とするとしか受けとりようがない。それが常識というものである。
8億円もの裏金である。この巨額を政治家に渡す動機を「自分の会社の利益を最大限にするため」と私利私欲を赤裸々に語る人物の存在は考え難い。「企業活動を円滑にして豊かな社会を築くためのやむにやまれぬ思いから」、あるいは「新たな保守第2党を育てることで旧態依然の自民党政治に終止符を打ちたい思いから」などと、動機を美化することはいくらでも可能なのだ。吉田嘉明の「日本国をより良くしたいとの思いから」という稚拙な美化された動機の表現について、通常の社会人であれば、その美化された表現のとおりにそのままに受けとることはあり得ない。
吉田の言う「脱官僚」とは「脱行政規制」しかも消費者の利益を擁護するための社会的規制撤廃と同義である。「脱官僚を政策に掲げる政治家を応援する」とは、「カネをやって脱行政規制の政治を求める」ことにほかならない。規制に縛られた自分の会社の利益を拡大するために、大金を政治家に渡したと自ら言っているとしか解しようがない。私は、この吉田の行為を「自分の利益のために政治を金で買うもの」と批判した。批判せざるを得ないではないか。
善意に解釈すれば、吉田嘉明の思考の構造は、「よりよい日本」とは行政規制がなくなり、「自分の会社が儲かる日本」ということなのかも知れない。しかし、巨額の裏金で「日本をよりよくする」ことは、政治をカネで動かすこととして、許されない。
DHC・吉田嘉明は、前訴(スラップ訴訟)において敗訴してなお、「政治を金で買うものだとの全くの事実無根の記述」というのは、驚くべき非常識というほかはない。いまだに、何の反省もなく、私の批判を「反訴被告らの名誉が毀損される事態に陥った」などと述べていることが信じがたい。
その余の解説は、後日追々のこととする。私は、このブログで、吉田嘉明を徹底して批判することで、生きた教材としての表現の自由を語り尽くしたいと考えている。
(2018年6月5日)
本日(6月4日)早朝、大阪検察審査会に審査申立書を書留便で郵送。10時半から、東京地裁の司法記者クラブでの記者会見で報告。
私は、「森友・加計問題の幕引きを許さない市民の会」からの依頼を受けて、下記2件の告発代理人となった。
A 告発日 2017年10月16日
被疑者
(1)池田靖(近畿財務局管財部統括国有財産管理官・当時)
(2)佐川宣寿(財務省理財局長・当時)
罰条
(1)背任
(2)証拠隠滅
B 告発日 2017年11月22日
被疑者 美並義人(近畿財務局長)
罰条 背 任
そのいずれも2018年5月31日に不起訴処分となり、その旨の通知が6月1日に発送されて2日に届いた。本日の検察審査会への審査申立は、上記A案件の申立人が19名、Bが4名である。
私の発言のサワリはこんなところ。
森友学園問題とはいったい何なのでしょうか。一国の最高権力者とその妻による、行政の私物化、政治の私物化ではありませんか。この事件の元凶は明らかに首相とその妻。その元凶の威光に迎合して、国有財産の只同然の売り払いが行われたというものではありませんか。この元凶の影響を隠すために、官僚による隠蔽・改ざん・虚偽答弁が重ねられてきたのです。
残念ながら、元凶の力が強く、批判する野党に十分な力が与えられてない。官僚も国会も頼りにならない。そこで政治勢力から独立しているはずの刑事司法に期待して告発したのですが、残念ながらこれも頼りにはならなかった。最後の砦としての検察審査会に期待して審査申立をいたしました…。
本日私たちのグループがした検察審査会への審査申立は、被疑者3名で告発罪名は2件である。しかし、関連告発の被告発人は38名だという。そして、告発罪名は6件に及んでいる。
38名の内訳は、財務省(本庁)関係者が23名、近畿財務局関係者が10名、国交省(大阪航空局)関係者が4名、そして森友学園関係者が1名というもの。
そして、被告発罪名は、まず背任、そして公用文書等毀棄、虚偽有印公文書作成・同行使、有印公文書変造・同行使、証拠隠滅、そして公務員職権濫用。このうち、公務員職権濫用を告発罪名とする事案だけは、不起訴の理由が「嫌疑なし」(罪にならない)とされたが、他は圧倒的に「嫌疑不十分」である。
検察審査会の審査には大いに期待しよう。
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ところで、「森友・加計問題の幕引きを許さない市民の会」は、6月10日 「財務省前納税者一揆行動+デモ」をする。納税者一揆の第3弾だ。
「安倍、麻生の納税者・国民を舐めきった言動、常識が壊された国会のあり方に、いい加減決着をつけよう!」がメインスローガン。
6月10日の12:00? 財務省前アピール行動
その後直ちにデモ行進出発
出発 日比谷公園西幸門→
解散 丸の内・鍛冶橋駐車場(13時過ぎ)
スローガン
★嘘は止めて今すぐ辞めろ!
★安倍内閣は総辞職せよ!
★麻生財務相の居座りは許さない、引責辞任せよ!
★佐川氏の立件見送り許さない!
★事前のすり合わせ?
会計検査院は財務省とつるむな!
そして、14:00?は「6.10国会前大行動」(総がかり行動委)に合流する。
この「財務省前納税者一揆行動+デモ」には、女流落語家 古今亭菊千代さんが登壇する。
ようこそ菊千代ページへ
「平和でなくては落語は笑ってもらえない、だから憲法9条を守ります。」という方。是非ともご参加の上、納税者の怒りを、安倍や麻生にぶつけようではありませんか。
(2018年6月4日)
1 以下は、不起訴処分となった本件告発(2017年10月16日付)の末尾の文章です。
「以上の被告発人両名に対する本件告発は、森友学園事件疑惑の全容解明を期待する国民世論を代表しておこなうものである。御庁検察官は、権力に屈しない毅然たる姿勢をもって、本告発にかかる事案について厳正な捜査を遂げ、さらに権力中枢の関与についてまで、国民が納得できるよう捜査が及ぶことを望むものである。」
残念ながら、同じことを検察審査員の皆様に申しあげなければなりません。仮に、皆様の判断が、検察官と同様のものだとすれば、もう森友学園事件の刑事事件としての立件は不可能となります。それは、日本の民主主義にとっての大きな禍根と言わざるを得ません。あとがないのです。
皆様に、耳を傾けていただくよう、お願いいたします。
2 検察審査員の皆さんの職責は、検察官の不起訴処分について、その当不当を判断することとされています。一見どんなに些細に見える事件に関しても、適正な刑事司法作用を実現するための検察審査員の関与は意義の大きいもので、それだけに重責と言うべきでしょう。
しかし、ときに、一見些細に見えるどころではない重大事件というものがあります。検察審査員の判断が、民主主義の根幹を揺るがすことにもなりかねない審査申立事件。森友事件関係者38人の一括不起訴処分に対する審査申立案件は、まさしくそのような重大な意味をもっています。あなた方審査員11人の、不起訴処分に対する当不当の判断が、わが国の健全な民主主義を発展させるのか衰退させるのか、そのような大きな影響力を持つものと考えざるをえません。
3 もっと正確に言えば、森友事件で表面化したわが国の政治や行政のありかたは、行政私物化、政治の私物化、あるいは国家の私物化と言われる事態です。憲法が想定するような公平で公正なものではありません。それを建て直すラストチャンスがあなた方の手中にあります。その権限を正しく行使していただきたいのです。仮にも、これを放置して、38名の不起訴を相当とするようなことになれば、わが国の民主主義は地に落ちてしまうことにもなりかねません。
4 森友学園事件の発端は、内閣総理大臣とその妻の威光によって、およそ非常識な教育を行う小学校の建設が認可される運びとなったことにあります。そして、国民の財産である国有地がその校地として只同然の価格で売り渡されたことが、明らかになりました。
これを追及された首相は、「国有地の売却や学校の認可に自分や妻が関わっていれば、首相も政治家も辞める」と明言しました。そのため、多くの官僚が首相を擁護するために、首相の意向を忖度して、書類の隠蔽・改ざん、虚偽の答弁を繰り返してきました。
首相夫妻が元凶で、内閣に自浄作用なく、政権与党も官僚も忖度を繰りかえすばかり。国会が本来の役割を果たし得ていません。最後の頼みが検察だったのですが、残念ながらこれも結局は頼りになりませんでした。とすれば、日本の民主主義は、検察審査会の審査員11名の皆様に希望を託するより方法はありません。
5 法とは正義の別名です。法の適切な運用によって、正義が実現します。皆様の適切な判断によって、日本の民主主義が息を吹き返します。
いま、あなた方11名が、その正義を実現することができる立場にあります。皆様が法であり、正義となります。政治の浄化のために、民主主義のために、勇躍して主権者の任務を果たしていただくよう期待して、本申立をいたします。
6 なお、一言付言いたします。審査員皆様の任務は、被疑者・被告発人の有罪を断定するものではありません。あくまで、本件が裁判官に有罪か無罪かを判断してもらうにふさわしい事案であるかどうかの判断なのです。その意味では、過度に有罪の確信にこだわる必要はありません。飽くまで、国民一般の目線で、これだけの灰色の材料があれば、裁判所の判断を仰ぐべきだというレベルの心証で、不起訴を不当とし、起訴を相当としてよいのです。
そのようなご認識で、以下の告発にかかる被疑事実をお読みください。
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森友学園問題での告発が正確に何件あるかは知らない。報道では、38人の被告発人がすべて不起訴となった。おそらく告発人のすべてが、検察審査会への審査申立をするだろう。
私は下記2件の告発代理人となった。
(1) 告発日 2017年10月16日
被疑者 (1)池田 靖? (2)佐川宣寿
罪状 (1)背 任??? (2)証拠隠滅
(2) 告発日 2017年11月22日
被疑者 美並義人
罪状 背 任
そのいずれも2018年5月31日に不起訴処分となり、その旨の通知が6月1日に発送され、2日に届いた。
本日(6月3日)、大阪検察審査会への審査申立書を起案し、明朝(6月4日)郵便で発送する。
その冒頭の担当審査員への訴えの部分が上掲の一文である。良い結果を期待しつつ…。
(2018年6月3日)
正規労働者と非正規労働者との労働条件格差は大きい。この格差の是正は、ますます大きな今日的課題ととなっており、それゆえに労働法実務の問題ともなっている。昨日(6月1日)、この問題に初めての最高裁判断が示されて話題を呼んでいる。
当然のことながら、あらゆる労働条件をめぐって、労使が鋭く対立している。非正規格差に関しては、労働者側のスローガンは「同一労働同一賃金」だ。しかし、使用者者側は非正規を安価で解雇容易な労働力として使いたい。あるいは使い捨てたい。格差大歓迎なのだ。
たとえば、パートで働く労働者には期末手当が出ない。同じ職場で同じように働いても、正規労働者には30万のボーナスが出て、パートにはゼロ。ありふれた光景だ。社長が、パートに1万円だけを支給したとして、これを「社長のありがたい思し召し」と受けとるべきか、「29万円の不当な格差」と考えるべきか。使用者側の頭になっていると、契約にない1万円が好意で支払われたことになり、「同一労働同一賃金」の原則からは「わずか1万円、バカにするな」ということなる。
労働条件は、労使の交渉で決まるのが本筋。労働者は労働組合を結成して団体交渉で高い労働条件を勝ち取るのが、法が想定するあるべき姿。とはいえ、現状、そのような想定が普遍性を持っていない。そこで、法が労働条件の最低限度を決める形で規制することになる。正規と非正規の格差についての規制はどうなっているか。これが、最近話題の労働契約法20条である。
労働契約法20条は読みにくい。毎日新聞が上手にリライトしているから、それをご覧いただきたい。
2013年に施行。正社員のような無期雇用労働者と、非正規の嘱託社員や契約社員のような有期雇用労働者の労働条件の差について
(1)職務の内容
(2)異動や配置変更の範囲
(3)その他の事情??
を考慮して「不合理と認められるものであってはならない」と規定する。現在、国会で審議されている働き方改革関連法案では労契法から削除され、パートタイム労働法に盛り込まれる方向で条文の表現も変更される。
お分かりのとおり、正規と非正規に「労働条件における格差があってはならない」とはしていない。「不合理な格差があってはならない」というのだ。では何が不合理か。「労働者の業務の内容」「責任の程度」「配置の変更の範囲」「その他の事情」を考慮して判断する、という。要するに、個別事例ごとに裁判で決着を着けるしかないことになる。
ということは、格差は不当だから納得できないとする非正規の労働者が、裁判を起こすしかないのだが、これは大仕事だ。これまで、幾つかの大仕事が労契法20条の要件を少しずつ具体化する成果を上げてきた。
通勤手当・家族手当・精勤手当・物価手当・住居手当・扶養手当・早出残業手当、夏季・冬季・病気休暇などでの差別は不合理とされてきた。
そして、昨日の「ハマキョウレックス契約社員訴訟」と、「長沢運輸定年後再雇用訴訟」の各最高裁(第2小法廷)判決である。労働者側の反応は対照的だった。「格差からの解放へ」とハタを出した前者と、無念の記者会見の後者と。
本日(6月2日)の毎日社説が要領よくまとめている。以下は、これをベースにした判決内容の紹介。
正社員と非正規社員が同じ仕事をした場合、待遇に差があるのは、労働契約法が禁じる「不合理な格差」に当たるのか。最高裁は、通勤手当などを非正規社員に支給しないのはその目的に照らし、不合理だと初めて認定した。
判決があったのは、物流会社(ハマキョウレックス)の契約社員として働くトラック運転手が提訴した裁判だ。
1審では通勤手当、2審ではそれに加え無事故・作業・給食の3手当について「支払われないのは不合理だ」と認定されていた。
最高裁は、四つの手当に加え、皆勤手当についても、乗務員を確保する必要性から支払われるのだから格差は不合理だと判断した。
しかし、住宅手当については、正社員と契約社員の間に転勤の有無などの差があり、契約社員に支払わないのは「不合理ではない」とした。
一方で、定年後に再雇用された嘱託社員のトラック運転手3人が原告の裁判(長沢運輸定年後再雇用訴訟)では、基本給や大半の手当について、格差は「不合理ではない」とした。退職金が支給され、近く年金が支給される事情も踏まえた。
ただし、全営業日に出勤した正社員に支払われる精勤手当や、超勤手当については、やはり個別に考慮して格差は不合理だと結論づけた。
この裁判で原告らは、同じ仕事なのに年収が2?3割減ったと訴えていた。企業側は「再雇用の賃下げは社会的に容認される」と主張し、2審はそれを認めていた。最高裁は一定の格差を認めつつも、そうした考え方にくぎを刺したと言える。
長沢運輸訴訟は、1審は労働者側の全面勝訴だったが、控訴審で逆転敗訴となっていたもの。労働者の側からは到底納得しがたい。
この点、本日の東京新聞社説は、こう述べている。
最高裁の考え方は明確である。同じ仕事をしていて、同じ目的を達成するための手当ならば、正社員、非正規社員を問わず、会社は支払わねばならない?という当たり前の結論である。
問題は定年後の再雇用者の給料だ。一審判決は「職務が同じなのに賃金格差があるのは不合理」とし原告勝訴だった。だが、最高裁は「定年制は労働者の長期雇用や年功的処遇を前提としながら、賃金コストを一定限度に抑制するための制度」だから、定年を境に賃金体系が変わるとし、原告の言い分を退けた。
ただ判決には疑問も覚える。運転手がハンドルを握る時間が同じなら、やはり「同一労働同一賃金」という物差しを当てるべきではないのか。
▽長沢運輸の定年後再雇用訴訟判決の要旨はこう述べている。
? 再雇用された嘱託乗務員と正社員は、職務内容と配置の変更の範囲が同じだが、賃金に関する労働条件はこれだけでは定まらない。経営判断の観点からさまざまな事情を考慮でき、労使自治に委ねられる部分も大きい。
? 定年制は賃金コストを一定限度に抑制する制度。正社員は定年までの長期雇用が前提だ。再雇用者は定年まで正社員の賃金を支給され、老齢厚生年金も予定されている。こうしたことは、不合理かの判断の際に考慮する点として20条が挙げる「その他の事情」となる。
世の使用者はこの最高裁の判断を納得するだろう。非正規労働者は納得できるはずがない。問題は、正規労働者諸君だ。格差の上位の立場にある者として納得してはならない。労働者の団結こそが労働者の利益で、分断こそが使用者の利益なのだから。
なお、最高裁は賞与の格差についても言及している。定年前、正規社員と当時は5か月分出ていた賞与は、定年後の再雇用で非正規となったとたんに、ゼロとなった。この点について、最高裁は、こう言っている。
??? 賞与は多様な趣旨を含み得る。嘱託乗務員は老齢厚生年金や調整金が予定され、年収も定年前の79%程度と想定。不合理ではない。
賞与なくても、定年前後で年収2割減程度なら不合理な格差とはならないというのだ。やむを得ないとして納得すれば、これが世の常識として定着することになる。批判を続けなければ事態は変わらない。労契法20条は、「明らかな合理性に裏付けられていると認められる場合を除いて格差は許されない」と読むべきであろう。
最終的には不本意で無念な判決ではあったにせよ、裁判を起こして原告となった長沢運輸の定年後再雇用労働者の皆さんに心からの敬意を表したい。
(2018年6月2日)
NHK会長 上田良一様
権力監視報道に立ち戻り、報道現場の萎縮克服を求めます
研究者・弁護士有志(名簿略)
目下、わが国では、森友・加計問題、防衛省の日報隠しに代表される国家の私物化、権力の濫用と腐敗が極限に達しています。しかも、そうした事態を正すべき国会審議と国政調査権が数の力に遮られ、機能不全の状態に陥っています。
このような民主主義の危機的状況を立て直す最後の砦は有権者の理性的な意思表明と行動ですが、それには有権者が賢明な判断を下すのに十分な情報が不可決です。いわゆるメディアの権力監視報道はそうした使命を担うものにほかなりません。
この点で、NHKは昨年来、森友学園問題や自衛隊の日報隠しなどで優れたスクープ報道を行ってきました。
しかし、その一方で、現場の記者の精力的な取材の成果を抑え込むような報道局上層部の姿勢が市民の疑惑、批判を招いてきたことも事実です。たとえば、去る3月29日の参議院総務委員会において、NHKの内部関係者から寄せられた通報と断って、「ニュース7、ニュースウオッチ9、おはよう日本などのニュース番組の編集責任者に対し、NHKの幹部が森友問題をトップ・ニュースで伝えるな、トップでも仕方ないが放送尺は3分半以内、昭恵さんの映像は使うな、前川前文科次官の講演問題と連続して伝えるな」などと事細かな指示が出ていることが取り上げられました。
こうしたNHK局内の動きと関連して、森友問題で貴重なスクープ取材をしてきたNHK大阪放送局の記者をこの6月の異動人事で記者職から外し、考査部に異動させるという動きも伝えられています。
私たちは、このような一連の動きに共通するNHKの権力監視報道の希薄化を危惧し、以下のことをNHKに求めます。
1. 受信料で支えられる公共放送機関としてのNHKは、権力から独立して自主自律の放送を貫くなか、権力を監視し、国民の知る権利に応える放送を続けているという視聴者の信頼を得ていることが大前提です。NHKが日々の報道でも人事においても、こうした前提を自ら壊すような言動は視聴者への背信行為であり、厳に戒めること
2.? NHK報道局の上層部は取材・番組制作の現場の職員を萎縮させるような人事権を含む権限の濫用を斥け、事柄の核心に迫ろうとする意欲的な取材、番組制作への職員のモチベーションを支え、高めるような役割と職責を果たすべきこと
3.? 以上の趣旨と関連して、目下、伝えられているNHK大阪放送局の記者を異動させる人事につき、不当で不合理なおそれも強く、中止を含め根本的に再検討すること?
以上
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本日(6月1日)午前中に、醍醐聰さんを筆頭とする有志7名が議員会館内で記者会見をし、午後NHKに赴いて、上記の申し入れを行った。
記者会見はおよそ90分。質疑は活発だった。思いがけなくも、有志の側だけでなく、取材の記者を含む共通認識が確認できたという印象。NHKは公共放送として、その使命を果たしていないのではないか。むしろ、権力を監視するジャーナリズムの本旨を貫こうとしている現場の記者をNHKの上層部が押さえつけているのではないか。NHKの中枢には、政権から通じている太いパイプが存在し、このパイプを通じて権力の意向が伝達される仕組みができあがっているのではないか。
記者職から外され考査部に異動の内示を受けているNHK大阪放送局の記者は、森友問題での数々のスクープで知られている。その記者としての活動は、政権にとって明らかに不都合なもの。政権からの指示か、NHKの忖度か、いずれにせよ政権の意向に沿った人事の象徴として注目されている。
NHKは官邸への擦り寄りを優先してこの記者の異動を強行するのか、それとも官邸のNHKに対する圧力などないことを明確にするために異動の内示を撤回するか。いまや岐路に立っているとの自覚が必要だ。
官邸の意向におもねることは易きにつくことである。総務省とは円滑な関係となり、事業計画も予算・決算も、スムースに運ぶことになろう。反対に、官邸の意向に背くことは、難きにつくことである。総務省とは不穏な関係となり、事業計画も予算・決算もスムースには運ばないと覚悟せざるを得ない。
しかし、どんなに困難でも、権力の意向におもねってはならない。権力を監視し批判すべきジャーナリズムの本道から離れてはならない。それは国民の信頼を失うことであり、公共放送の存在根拠を失うことでもあるのだから。
さらには、ことはNHKの問題にとどまらない。国民の知る権利を侵し、日本の民主主義過程の正常な展開を妨げて、国の将来をも危うくしかねない。それは、大本営発表の時代再来の悪夢である。とりわけ、アベ政権が改憲をねらう今、権力におもねらずに「権力が不都合とする情報」についての旺盛な報道姿勢が不可欠なのだ。
本日記者会見に参加していただいた第一線記者たちの、NHK問題についての共通認識が頼もしい。もっとも、NHKと産経・読売の記者は見えなかったようだが。
(2018年6月1日)