(2021年3月21日)
都教委の悪名高い「10・23通達」(2003年)以来、都内の全公立校に卒業式・入学式のたびに、君が代斉唱時の「起立」の職務命令が発せられている。違反者には懲戒処分である。
もうすぐ懲戒処分取消の第5次訴訟の提起となる。原告は14名となる予定。3月31日と提訴日を決めて、いま訴状の作成準備を重ねている。
その準備の中であらためて思う。憲法を守るしっかりした司法があれば、国旗・国歌(日の丸・君が代)の強制などはあり得ないものを。嘆かわしきは、憲法に忠実ならざる司法の姿。
その訴状の冒頭の一部(未確定版)を引用しておきたい。裁判所にこの訴訟の概要を説明する一文、新聞ならリードに当たる部分の一部である。
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本件訴訟の概要と意義(抜粋)
☆ 本件は毀損された「個人の尊厳」の回復を求める訴えである
(1) 精神的自由の否定が個人の尊厳を毀損している
本件は原告らに科せられた懲戒処分の取消を求める訴えであるところ、本件各懲戒処分の特質は、各原告の思想・良心・信仰の発露を制裁対象としていることにある。原告らに対する公権力の行使は、原告らの精神的自由を根底的に侵害し、そのこと故に原告らの「個人の尊厳」を毀損している。
原告らは、いずれも、公権力によって国旗・国歌(日の丸・君が代)に対する敬意表明を強制され、その強制に服しなかったとして懲戒処分という制裁を受けた。しかし、原告らは、日本国憲法下の主権者の一人として、その精神の中核に、「国旗・国歌」ないしは「日の丸・君が代」に対して敬意を表することはできない、あるいは、敬意を表してはならないという確固たる信念を有している。
国旗・国歌(日の丸・君が代)をめぐっての原告らの国家観、歴史観、憲法観、人権観、宗教観等々は、各原告個人の精神の中核を形成しており、国旗・国歌(日の丸・君が代)に対する敬意表明の強制は、原告らの精神の中核をなす信念に抵触するものとして受け容れがたい。職務命令と、懲戒処分という制裁をもっての強制は、原告らの「個人の尊厳」を毀損するものである。
(2)国旗・国歌(日の丸・君が代)強制の意味
国旗・国歌が、国家の象徴である以上、原告らに対する国旗・国歌への敬意表明の強制は、国家と個人とを直接対峙させて、その憲法価値を衡量する場の設定とならざるを得ない。
国家象徴と意味付けられた旗と歌とは、被強制者の前には国家として立ち現れる。原告らはいずれも、個人の人権が、価値序列において国家に劣後してはならないとの信念を有しており、国旗・国歌への敬意表明の強制には従うことができない。
また、国旗・国歌とされている「日の丸・君が代」は、歴史的な旧体制の象徴である以上、原告らに対する「日の丸・君が代」への敬意表明の強制は、戦前の軍国主義、侵略主義、専制支配、人権否定、思想統制、宗教統制への、容認や妥協を求める側面を否定し得ない。
「日の丸・君が代」は、原告らの前には、日本国憲法が否定した反価値として立ち現れる。原告らはいずれも、日本国憲法の理念をこよなく大切と考える信念に照らして、日の丸・君が代への敬意表明の強制には従うことができない。
国旗・国歌(日の丸・君が代)に敬意を表明することはできないという、原告らの思想・良心・信仰にもとづく信念と、その発露たる儀式での不起立・不斉唱の行為とは真摯性を介して分かちがたく結びついており、公権力による起立・斉唱の強制も、その強制手段としての懲戒権の行使も各教員の思想・良心・信仰を非情に鞭打ち、その個人の尊厳を毀損するものである。司法が、このような個人の内面への鞭打ちを容認し、これに手を貸すようなことがあってはならない。
(3) 教育者の良心を鞭打ってはならない
また、本件は教育という営みの本質を問う訴訟でもある。
原告らは、次代の主権者を育成する教育者としての良心に基づいて、真摯に教育に携わっている。その教育者が教え子に対して自らの思想や良心を語ることなくして、教育という営みは成立し得ない。また、教育者が語る思想や良心を身をもって実践しない限り教育の成果は期待しがたい。『面従腹背』こそが教育者の最も忌むべき背徳である。本件において各原告が、「国旗不起立・国歌不斉唱」というかたちで、その身をもって語った思想・良心は、教員としての矜持において譲ることのできない、「やむにやまれぬ」思想・良心の発露なのである。これを、不行跡や怠慢に基づく懲戒事例と同列に扱うことはけっして許されない。
国旗・国歌(日の丸・君が代)への敬意表明の強制によって、教育現場の教員としての良心を鞭打ち、その良心の放棄を強制するようなことがあってはならない。
(4) 原告らに、踏み絵を迫ってはならない
原告らは、公権力の制裁を覚悟して不起立を貫き内なる良心に従うべきか、あるいは心ならずも保身のために良心を捨て去る痛みを甘受するか、その二律背反の苦汁の選択を迫られることとなった。原告らの人格の尊厳は、この苦汁の選択を迫られる中で傷つけられている。
原告らの苦悩は、江戸時代初期に幕府の官僚が発明した踏み絵を余儀なくされたキリスト教徒の苦悩と同質のものである。今の世に踏み絵を正当化する理由はあり得ない。キリスト教徒が少数だから、権力の権威を認めず危険だから、という正当化理由は成り立たない。
思想・良心・信仰の自由の保障とは、まさしく踏み絵を禁止すること、原告らの陥ったジレンマに人を陥れてはならないということにほかならない。個人の尊厳を掛けて、自ら信ずるところにしたがう真摯な選択は許容されなければならない。
以上のとおり、本件は毀損された原告らの「個人の尊厳」の回復を求める訴えである。その切実な声に、耳を傾けていただきたい。
(2021年3月20日)
前川喜平が、実名に(右傾化を深く憂慮する一市民)という自己紹介文を付したハンドルネームで、ツィッターを発信している。なるほどと、頷けることばかり。
https://twitter.com/brahmslover
前川喜平(右傾化を深く憂慮する一市民)
@brahmslover
一昨日(3月18日)発信の前川ツィートが、「DHC」に触れている。
「この前泊まったホテルの浴室にはDHC製品が置かれていた。もうあのホテルは使わない。」
「DHC製品、私は買わない」というだけでなく、アメニティとしてDHC製品を使っているホテルへの宿泊もやめようというメッセージ。DHCへの批判を、積極的に具体的な行動で表そうという呼びかけでもある。
このツィートは、沖縄タイムス阿部岳記者の以下の発信にリツィートしたもの。
「デマとヘイトの責任を問う法廷で、DHC「ニュース女子」側はなおもデマとヘイトを垂れ流し続けた。制作会社プロデューサーの一色啓人氏は(証人として)「高江に住んでいる半数以上が基地建設が決定してから住んだ」と述べた。すぐ高江区長に電話して確かめたが、事実ではなかった。」
阿部記者の言う「デマとヘイトの責任を問う法廷」とは、辛淑玉さんが原告となって、DHCテレビジョン(DHCの100%子会社、代表取締役会長:吉田嘉明)と長谷川幸洋を訴えた訴訟での証人調べ法廷のこと。
沖縄・高江の米軍ヘリパッド建設への抗議行動を取り上げたDHCテレビ番組「ニュース女子」で名誉を毀損されたとする辛淑玉さんが、制作会社DHCテレビジョンと司会を務めていた長谷川幸洋に計1100万円の慰謝料などを求めて東京地裁に提訴し、併せて番組の差し止めと削除、謝罪広告の掲載も求めている。
3月17日東京地裁法廷での証人尋問の模様を阿部記者は、沖縄タイムスにこう書いている。
「涙」「能弁に」「笑いながら」 証言台の3人、語る姿の違いに現れた差別の構造
証言台に立った3人は、ともに恐怖や被害を語った。だが、語る姿は全く違った。テレビ番組「ニュース女子」に名指しされた辛淑玉(シンスゴ)氏は涙で言葉に詰まりながら。司会だった長谷川幸洋氏は能弁に。制作会社の一色啓人氏は時に笑いながら。
この差は、個性だけによるものではない。社会における力の差、差別の構造が表れている。仮に同じ出来事が降りかかったとしても、少数派には差別の重さが加わり傷はより深くなる。
前川ツィートは、この阿部記者の姿勢に共感するとともに、DHCやそれに与する人々への批判を形にすべきことを訴えているのだ。ヘイト容認派対ヘイト批判派、デマ容認派対デマ撲滅派。そのせめぎ合いの最前線で、DHCへの向き合い方が問われている。デマやヘイトを許さないとする者は、DHC製品をボイコットして、DHCの姿勢を正さなければならない。
前川は、2020年12月20日にも、
「DHCが提供するTV番組は見ない。」
とツィートしている。「DHCがスポンサーになっているTV番組」をみんなが見ないとなれば、DHCの売り上げは確実に激減するだろう。
「DHCの製品、私は買いません」
「DHCの製品、私の親類縁者には買わせません」
「DHCの製品を使っているホテルには泊まりません」
「DHC提供の番組は見ません」
「DHCのコマーシャルが流れたら、スイッチを切ります」
前川喜平に倣って、DHCに対する批判を具体的な行動に表わそう。積極的に表現しよう。あるいは、下記の米山隆一のごとくに。
差別を見過ごす人はその人も一定程度差別に加担しています。今般のDHCのキャンペーンの広報は、私には耐えがたいものに思えます。私は以前DHCの製品を使っており、その後止めた後現在時折買っていたのですが、もう金輪際買いません。差別に加担する積りはありません。(2020年12月16日)
DHC製品ボイコットに対する経済制裁は案外効いているのではないだろうか。
最近までのDHCは、業界ナンバー1を豪語し、1000億円(年間売上)企業と誇ってきた。しかし、今やDHCは確実に売り上げを減らして業績を悪化させている。既に、業界ナンバー1でも、1000億円企業でもなくなっている。
2019年までは、何とか1000億円の売り上げをキープしていたDHCだったが、2020年(7月決算)の売り上げは、973億円と大台を割り込んだ。とりわけ当期純利益は、49億(18年)⇒41億(19年)⇒13億円(20年)と、激減と言ってよい。
この間、ライバル会社ファンケルの業績が好調で、18年に初めて売上げ1000億円を超えてDHCを凌駕した。2020年(3月)の決算では、売上高1270億円と大きく水を開け、当期純利益がちょうど100億円となっている。
また、「通販健康食品」という分類で、DHCは長く業界のトップに位置していたが、2019年の販売金額でのトップはサントリーウエルネスで923億円。次いでDHCが399億円と、大きく引き離されている。
DHCの業績悪化の本当の原因は分からない。しかし、ニュース女子の番組で、DHCのヘイト体質が世に知られるようになったのが、2017年1月のことである。この辺りから世論の指弾とともに業績の悪化が始まっている。案外DHC製品不買運動が、効果を上げているようにも思える。
前川喜平や米山隆一に倣って、DHCの製品不買を呼びかけよう。「DHC製品、私は買わない」、たったそれだけのことが、デマやヘイトのない社会の実現につながる。
(2021年3月19日)
東京の昨日と今日とは、陽光燦々春も本番の趣。天気上々なれば気分も悪かろうはずはない。上野の桜ももうすぐ見頃。ヨウコウは満開、オオシマザクラは五分咲き、そしてソメイヨシノもちらほらと咲き始めている。コロナ禍のさなか、マスクは手放せないが、間もなく庶民の「花見・桜を見る会」の時期。ちょうど符節を合わせたように、安倍晋三の「桜を見る会・前夜祭」疑惑を忘れるな、という検察審査会議決。
本日書留郵便で、東京第五検察審査会からの、被疑者配川博之に対する審査申立に対する議決書が届いた。内容は、末尾に転載のとおり。
この件の審査申立対象の主役は安倍晋三である。起訴・有罪に持ち込むことができれば、彼の議員としての地位は失われる。彼は、それだけの犯罪を犯してきた人物なのだ。配川は、その公設秘書で端役に過ぎない。後援会長とされていただけの人。しかも、既に略式起訴が確定して有罪(罰金100万円)となっている。
東京地検特捜部は昨年12月、安倍晋三後援会の2016?19年分政治資金収支報告書に、桜・前夜祭の会食費に関する収支計約3022万円を記載しなかったとして、政治資金規正法違反罪で後援会代表だった配川を略式起訴した。が、2015年分については起訴の対象としなかった。会計帳簿の原本が失われていたことが理由とされている。検察審査申立は、これを不服としたもの。
検察が起訴しなかった2015年の「桜前夜祭会食費」について、検察審査会議決は「不起訴不当」と判断した。今後、東京地検が再度捜査し、起訴するかどうかを判断することになる。
この議決書、「検察官の不起訴は、一般市民の感覚では納得できない」とし、「収支報告の原本を廃棄しないための法改正・運用改正を求めている」などの点で立派なものとなっている。
実は、配川に対する審査申立は、時効の関係から急ぐ事情があるとして、安倍告発の本体から、切り離して別事件とした経緯がある。理由はともあれ、配川についての「不起訴不当」の議決は、やや物足りない。安倍に対する審査申立本体では、是非とも「起訴相当」の議決がほしいところ。そして…、毎年桜の咲く季節には、桜疑惑を思い出そう。国政を私物化し、選挙民を会食に誘っては飲食の費用を補填していた、とんでもない首相がいたことを。
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令和3年3月18日
令和3年(申立)第4号
審査申立人 澤藤 大河 殿
同 澤藤統一郎 殿
東京第五検察審査会
通 知 書
当検察審査会は,上記審査事件について議決したので,別添のとおり,その要旨を通知します。
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令和3年東京第五検察審査会審査事件(申立)第2号,同第3号,同第4号
申立書記載罪名 政治資金規正法違反
検察官裁定罪名 政治資金規正法違反
議 決 年 月 日 令和3年3月3日
議決書作成年月日 令和3年3月17日
議 決 の 要 旨
審査申立人(第2号事件)
上 脇 博 之
審査申立人(第3号事件)
泉 澤 章 外6名
審査申立人(第4号事件)
澤 藤 大 河 外1名
被疑者 配 川 博 之
不起訴処分をした検察官
東京地方検察庁 検察官検事 田 渕 大 輔
上記被疑者に対する政治資金規正法違反被疑事件(東京地検令和2年検第18326号)につき,令和2年12月24日上記検察官がした不起訴処分の当否に関し,当検察審査会は,上記申立人らの申立てにより審査を行い,次のとおり議決する。
議 決 の 趣 旨
本件不起訴処分は不当である。
議 決 の 理 由
1 本件は,安倍晋三後援会(以下「後援会」という。)の会計責任者であった被疑者が,政治資金規正法により山口県選挙管理委員会に提出すべき後援会の平成27年分の収支報告書に平成27年4月に東京都内のホテルで開催された「安倍晋三後援会桜を見る会前夜祭」(以下「前夜祭」という。)における収支を記載しないで,山ロ県選挙管理委員会に提出したという事案である。
なお,平成28年分から令和元年分までの収支報告書に前夜祭の収支を記載しないで山ロ県選挙管理委員会に提出した事実については,既に略式命令がなされている。
2 本件不起訴処分記録並びに各審査中立書及び審査申立人が提出した資料等を精査し,慎重に審査した結果は次のとおりである。
(1)本件不起訴処分記録及び審査申立人が提出した資料等によると,平成27年度の収支報告書の原本(以下「本件原本」という。)は保管期限の経過により既に廃棄されていること,山口県選挙管理委員会が情報公開により開示をしてインターネットで公表ざれている平成27年度の収支報告書の写し(以下「本件写し」という。)は宴会費等を記載すべき部分を含む支出項目や会計責任者が署名する宣誓書等が欠落している不完全なものであることが認められる。
(2)しかし,本件不起訴処分記録によると,被疑者は,本件原本に平成27年の前夜祭の収支を記載しなかったことを認めている。
(3)また,平成27年の前夜祭の収入については,本件写しには収入に関する部分に欠落がないので,本件原本にも同年の前夜祭の収入が記載されていなかったことが認められる。
(4)そして,平成27年の前夜祭の支出については,仮に本件原本に支出項目の部分が欠落していたとしても,本件写しに記載されている平成27年度の支出総額よりも,証拠上認められる同年の前夜祭の支出額の方が多額であることから,本件原本における支出総額の記載は,同年の前夜祭の支出額を加えた記載でなかったことは明らかである。
(5)そうすると,本件原本が既に廃棄されていたとしても,他の証拠によって事実を認定できるので,本件を不起訴とした検察官の裁定は,一般市民の感覚では納得できない。
よって,上記趣旨のとおり議決する。
3 なお,本件では,本件原本が廃棄されているために原本自体を証拠とすることができないので,他の証拠から不記載罪が認定できるかどうかを検討せざるを得 ないが,当検察審査会としては,このような事態を避けるために,不記載罪の公 訴時効が完成するまでは収支報告書の原本を廃棄しないように,法律や運用を改める必要があると考える。
東京第五検察審査
(2021年3月18日)
昨日(3月17日)、札幌地裁(武部知子裁判長)が、「同性婚訴訟」判決で民法規定を違憲とする判断を示した。正確には、「同性愛者に対しては,婚姻によって生じる法的効果の一部ですらもこれを享受する法的手段を提供しないとしていることは,立法府の裁量権の範囲を超えたものであって,その限度で憲法14条1項に違反する。」(裁判所作成の判決要旨)という言い回し。
同性での結婚を望む同性愛者に婚姻を認めない民法の規定は、異性間婚姻者と比較しての差別であって、許容される立法府の裁量の限度を越えたものとして憲法(14条1項)違反であるというこの判断。インパクトが大きい。画期的な判決と言ってよい。
裁判所が作成した【判決要旨全文】が、ネットの各サイトで紹介されているが、これもA4・8頁のかなりの分量。これを要約しなければならない。
事件は国家賠償請求事件である。行政訴訟ではない。3組6名の原告が、国を被告として、《同性間の婚姻を認める規定を設けていない民法及び戸籍法の婚姻に関する諸規定》(判決が「本件規定」と呼んでいる)の違憲を前提とする国家賠償請求をしたもの。
原告の違憲の主張は、「本件規程」が、憲法24条1項(婚姻は両名の意思にのみ基づいて成立する)及び2項(婚姻における個人の尊厳)に違反し、憲法13条(個人の尊重)に違反し、憲法14条1項(法の下の平等)にも違反しているというもの。
以上の主張に対する判決の骨子は以下のとおり。
1 「本件規定」は,憲法24条1項及び2項には違反しない。
2 本件規定は,憲法13条には違反しない。
3 本件規定が,同性愛者に対しては,婚姻によって生じる法的効果の一部ですらもこれを享受する法的手段を提供しないとしていることは,立法府の裁量権の範囲を超えたものであって,その限度で憲法14条1項に違反する。
4 本件規定を改廃していないことが,国家賠償法1条1項の適用上違法の評価を受けるものではない。
以下は、共同通信が配信した、「判決要旨」の要約である。
民法や戸籍法は、婚姻は異性間でなければできないと規定している。憲法24条は「両性の合意」「夫婦」など異性の男女を想起させる文言を用い異性婚について定めたもので、同性婚に関して定めたものではない。民法などの規定が同性婚を認めていないことが、憲法24条に違反すると解することはできない。
婚姻とは当事者とその家族の身分関係を形成し、種々の権利義務を伴う法的地位が与えられ、複合的な法的効果を生じさせる法律行為だ。
民法などの規定が同性婚について定めなかったのは1947年の民法改正当時、同性愛が精神疾患とされ社会通念に合致した正常な婚姻を築けないと考えられたためにすぎない。そのような知見が完全に否定された現在、同性愛者が異性愛者と同様に婚姻の本質を伴った共同生活を営んでいる場合、規定が一切の法的保護を否定する趣旨・目的まであるとするのは相当ではない。
性的指向は自らの意思にかかわらず決定される個人の性質で、性別、人種などと同様のものと言える。いかなる性的指向がある人も、生まれながらに持っている法的利益に差異はないと言わなければならない。
日本では同性カップルに対する法的保護に肯定的な国民が増え、異性愛者との間の区別を解消すべきだという要請が高まりつつあるのは考慮すべき事情だ。同性愛者に対し婚姻の法的効果の一部ですら受ける手段を提供しないのは、合理的根拠を欠く差別的取り扱いで、憲法14条が定める法の下の平等に違反する。
国内では、画期的な判決だが、海外では、同性婚を認める国が増えている。とりわけ、先進諸国では既に常識となっており、約30の国や地域が同性婚を認めている。2019年には、台湾がアジアで初めて、同性婚を法制化した。南アフリカやブラジル、米国や台湾では、司法の判断が切っ掛けとなって同性婚が認められた。
人の生き方は多様である。多様な個性を認め合う寛容な社会においてこそ、人権の尊重が実現される。多様な個性に適合した選択肢の提供が必要なのだ。日本でも、今回の判決によって同性婚の議論が盛んになり、この問題について考えていこうという機運につながるだろう。制度改革への第一歩となりうる。
原告らの痛切な訴えが、3名の裁判官の胸に熱く響いたのだ。原告の真剣さ、切実さに共感する裁判官を素晴らしいと思う。原告である人間の心の痛みの訴えに、人間として共感する裁判官。このハーモニーが、新たな地平を切り拓く第一歩を刻んだ。
(2021年3月17日)
NHK番組「クローズアップ現代+」が、スクープとして放映した「日本郵政職員のかんぽ保険不正販売問題」。元総務次官の日本郵政上級副社長鈴木康雄が、この番組にクレームを付けると、NHK経営委員会は鈴木に迎合した。何と、鈴木の意を酌んで、上田良一会長を厳重注意としたのだ。経営委員会でその中心的役割を果たしたのが森下俊三。当時は委員長代行で、現委員長。
さて、経営委員会でのどのような議論を経て、異様な「会長厳重注意」に至ったのか。メディアが議事録の開示請求をしても、経営委員会がこれを出させない。第三者機関「NHK情報開示・個人情報保護審議委員会」が、5度にわたって「開示すべき」と答申したにもかかわらず、どうしても応じようとしない。
それなら、訴訟するしかないではないか。訴訟提起を構想して見ようということになった。以下がその試案である。
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NHKに対して経営委員会議事録等の開示を請求し、開示が得られなければ訴訟を提起しようと考えています。その際の訴訟における請求は以下の2点です。
?被告NHKに対する、経営委員会議事録開示請求
?被告森下俊三に対する、議事録不開示による損害賠償請求
その請求の根拠は、概要以下のとおりです。
《NHK情報公開制度と用語の整理》
※ NHKには、行政文書情報公開法の適用はない。
※ これに代わるものとして、NHKは情報公開に関する内規として、00年制定の「NHK情報公開基準」と、01年の「NHK情報公開規程」とを定めている。前者が綱領的に制度の概要と理念を示し、後者がそれを条文化したもの。
※ この内規では、情報公開法と同様に「情報公開」制度を「情報提供」「情報開示」とに二分している。「情報提供」は典型的にはホームページへの掲載という一般的なもので、「情報開示」は特定の視聴者からの特定の文書についての開示請求に応じるもの。
※「情報公開」制度における文書開示の請求を、NHKの内規では、文書についての「開示の求め」という用語を用いている。
※ 視聴者から文書の開示の求めがあった場合、開示を原則とするが、規程8条1項一?六号に該当する場合は例外とされる。
※ 視聴者は、「開示の求め」に対する判断に不服があれば、「再検討の求め」を行うことができる。(規程17条)
※ NHKは、「再検討の求め」があれば、「NHK情報公開・個人情報保護審議委員会」に意見を求め、「その意見を尊重して」最終的に開示・不開示の判断を行う。(規程21条)
《訴訟の全体像》
※ 訴訟の基本性格は、行政文書の公開請求に対する不開示決定を取り消す行政訴訟ではなく、視聴者がNHKに対する受信契約上の「文書開示請求権」にもとづいて、「当該議事録等」の文書の開示を求める民事訴訟となる。
※ 下記の民事訴訟ではあるが、情報公開法の理念を援用しての訴訟となる。
原告は、文書の「開示の求め」手続を経て、開示を拒否された視聴者
(今回は「再検討の求め」の手続を経ることなく提訴する。)
被告は2名。(1) 文書開示義務の主体であるNHKと、(2) 文書開示拒否の責任者である森下俊三
請求の趣旨 (1) 被告NHKは原告らに対して、各議事録を開示せよ
(2) 被告森下俊三は各原告に対して、それぞれ2万円を支払え
《被告NHKに対する文書開示請求の根拠》
☆原告と被告NHK間に受信契約が締結されている。
☆受信契約の効果として、被告NHKは原告視聴者に対し下記義務を負担している。
A「豊かで良い番組」(法1条)の放送を提供すべき義務(中心的債務)
B 視聴者の権利に関わる法令・内規を遵守すべき義務(付随的債務)
☆NHKの法令・内規の内、
視聴者の権利に関わるものについては、その履行が契約上の義務となる。
☆上記Bには、情報公開基準・同規程における「情報開示義務」を含み、NHKは、文書の開示の求めをした視聴者に対し、求められた文書の開示義務を負う。
☆開示請求権の根拠となる理念は、公開基準前文の「放送による表現の自由確保」と「視聴者に対する説明責務」にある。これが、具体的な開示可否の判断基準ともなる。当該議事録の開示は、まさしくその両者の検証に不可欠である。
☆開示請求権の要件は、当該文書が規程第3条の(役職員が業務上保有する)文書に該当することで足りる。開示が原則で、例外の主張は被告の抗弁となる。
☆開示の求めに対する応答が不開示であった場合、通例、再検討の求めに進んで、審議会の意見を待つことになる。しかし、本件議事録に関しては、既に5度の開示を指示する答申が出ており、不開示の不当違法は明らかである。
☆基準も規程も、「NHKは審議委員会答申を尊重して開示・不開示の判断を行う」と、《答申尊重義務》を明記している。NHKはこの《答申尊重義務》を履行して、開示しなければならない。
☆NHK側の不開示の理由は、「当該議事は非公表を前提とした審議・検討に関する内容で、これを公開したのでは今後の活発な議論の妨げになる」というものだが、既に審議会答申が十分な反論をしている。
《被告森下俊三に対する、文書開示拒否を理由とする請求》
★併せて、違法な文書不開示の責任者である森下俊三に対して、文書不開示によって原告に与えた精神的損害慰謝料1万円と、弁護士費用1万円を請求する。
★この請求は、契約の不履行による責任追及ではなく、不法行為に基づく損害賠償請求である。
(2021年3月16日)
昨日(3月15日)の記者会見で、国連のドゥジャリク事務総長報道官は、クーデターへの抗議デモが続くミャンマーで治安部隊の弾圧により「これまでに女性や子どもを含む少なくとも138人の平和的なデモ参加者が殺害された」と述べた。グテレス事務総長は同日の声明で、国軍による弾圧激化について「がくぜんとしている」「デモ参加者の殺害や恣意的な拘束は基本的人権を侵害しており、自制や対話を求める国連安全保障理事会の呼び掛けにも反している」と批判した。
ミャンマーの人口は5000万人余。その9割が仏教徒だという。仏教徒の戒律として、出家には十戒、在家信者にも五戒が課せられる。五戒とは、不殺生戒・不偸盗戒・不邪婬戒・不妄語戒・不飲酒戒。その筆頭が《不殺生戒》。生きとし生けるものの命を奪ってはならないとする戒めだというが、もちろん「人を殺してはならない」がメインである。
漢の高祖は、法は三章のみと言った。「人を殺す」「人を傷つる」「人の物を盗む」を罪とする。モーゼの十戒も、「汝、人を殺す勿れ」と言う。古今東西を通じて、「殺人」は社会が許さない違法な行為であり、「殺してはならない」という規範は、人の倫理として深く心に刻まれている。
ミャンマーの治安部隊や国軍の兵士とて、人である。その多くは、仏教徒でもあろう。どうして、平和なデモ隊に銃を向け、実弾を発射できるのだろうか。命じられたからとしても、どうして人殺しができるのだろうか。どうして、圧倒的な民衆の側に敵対し、殺人までできるのだろうか。
今、ヤンゴンで、マンダレーで、白昼路上での大規模な集団殺人が行われている。殺す側と殺される側が対峙しているとき、「その等距離の位置を堅持する」「両者の言い分を聞こう」などと
人権を語るべき国も個人も、ともかく「殺人をやめよ」と声を発しなければならない。
ヤンゴン市内在住のジャーナリストからのこんな報道に接すると胸が痛む。
SNS上には、国軍が民間人に発砲する「蛮行」の様子を示すさまざまな動画がアップされている。中でもひどいのは「発砲を嫌がる警官を軍人が脅して、民間人を撃つよう命令する」様子を映したものだ。BBCが3月15日に伝えたところによると、抗議デモ開始以降、ミャンマー全土で少なくとも120人以上が死亡したという。
見せしめ的な殺害行為もある。かねて「何体の遺体が集まったら国連は行動を起こすんですか?」と書いた紙を持ち、孤軍奮闘している姿が各国のニュースサイトに報じられた男性、ニーニーアウンテッナインさん(23)は2月28日、ヤンゴン市内のデモの主要スポット・レーダンで当局により射殺された。国際社会に向け、メディアに発信する人間は消される状況にある。(さかい もとみ)
軍政は戒厳令を発している。ミャンマーでは、法の支配が停止され、軍が権力を掌握しているということである。軍政の最高意思決定機関「国家統治評議会」は、昨日(3月16日)付の国営紙で、ヤンゴン6地区に発令した戒厳令の詳細を公表した。軍法会議を設置し、政府や国民の不信、恐怖をあおる行為や政府職員の規律に悪影響を与える行為、偽情報の流布など23項目を犯罪とした。最高刑は死刑、上訴は認めないなどとする内容。デモ参加者らへの弾圧をさらに強める可能性が高いと報じられている。
人権と民主主義とはセットになっている。目的的な価値である人権を擁護するために手段的な価値としての民主主義が重要なのだ。民主主義が崩壊するとき、人権も失われる。民主主義の崩壊を象徴するものが戒厳令にほかならない。自民党改憲案(2012年)は、戒厳令と紙一重の詳細な緊急事態条項が提案されている。ミャンマーの出来事は、けっして対岸の火事ではない。
(2021年3月15日)
余、コロナ蔓延の猖獗に際して、世界の大勢と日本国の現状とに鑑み、非常の措置を以って事態を収拾せんと欲し、ここに忠良なる汝ら一般国民に告ぐ。
余は、日本国と国民の名において、新型コロナウイルスとの闘いにこれ以上打つ手のないことを世界各国に対し率直に明らかにして敗北を宣するとともに、その敗北の証しとして東京五輪を返上する旨通告せしめたり。
そもそも、日本国民に対して健康で文化的な生活を保障し、世界各国の人民との共存共栄をはかることは、余の一貫した重要政策としてきたところ。新型コロナに対する殲滅の戦いもまた、実に日本国の自存と国民の繁栄を願ってのことで、望むべくんば「人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証しとしての完全な形での東京五輪開催」こそが余の昨日までの努力傾注の目標であった。
しかるにコロナとの交戰すでに1年と3か月になんなんとして、これを撲滅することを得ず、一億国民各々と医療従事者が最善を尽せるにかかわらず、戦局必ずしも好転せず、世界の大勢また我に利あらず、しかのみならず敵コロナは頻りに新たな変異株となって無辜の国民を殺傷に及ぶ。
余はこの事態においても、これまでは東京五輪の開催にこだわり続けてきた。五輪の成功こそが唯一の政権浮揚策であり、東京五輪の開催失敗は解散の時期を失し、追い込まれ解散による2021年総選挙の与党大敗を招きかねないからである。
しかし、このまま東京五輪開催実現前提でコロナとの交戦を継続すれば、ついに日本と日本国民に取り返しのつかない災厄を招来するのみならず、延いては人類の文明をも破却することが予測されるに至った。
とすれば、これまでコロナ蔓延対策の明らかな障碍と認識されていた東京五輪を返上せざるを得ない。これは自明の理である。「人類が新型コロナウイルスに打ち負かされた証しとしての東京五輪中止」と揶揄されようとも、やむを得ざるところ。
そして、他には既に打つべき手もなければ、非常事態宣言を解除して成り行きに任せるに如くはなしとの判断。是れが、余の敗北宣言の所以なり。
余は時運の趨くところ、堪えがきを堪え、忍びがたきを忍び、以って万世のために東京五輪を返上せんとする。汝ら一般国民、余のために泣け。そして余の意を体せよ。
署名 捺印
(2021年3月14日)
全人代が終わった。中国当局は、もっぱらコロナを抑え込んだ実績を強調し、引き続いての経済発展の喧伝にこれ努めているが、日本の各紙は香港問題に関心を寄せて報道している。
この全人代が採択した「決定」は、賛成2895票、反対0票、棄権1票であった。恐るべき、中国共産党の中央集権体制である。この国に異論の存在は許されない。ということは民主主義は存在しないのだ。
朝日は、北京からの特派員記事に、「香港の選挙制度改変採択して閉幕 民主派排除へ」と見出しを打っている。リードは、「中国の全国人民代表大会(全人代、国会に相当)は11日、香港の選挙制度改変に関する決定などを採択し閉幕した。「愛国者による香港統治」の名の下、香港民主化の柱だった選挙から民主派が排除されることで「一国二制度」の形骸化は一層深まることになる。」としている。
また、読売の報道は、「香港の選挙制度見直し採択、中国全人代閉幕…李首相「愛国者による香港統治を堅持するため」と題して、「中国の国会にあたる全国人民代表大会(全人代)は11日、香港の選挙制度の見直しなどを採択して閉幕した。習近平シージンピン政権が掲げる「愛国者による香港統治」に基づき、中国共産党・政府に批判的な民主派を香港政界から排除するのが狙いだ。香港に高度な自治を認めた「一国二制度」は空文化する。」と報じている。他紙も大同小異。
新制度では、立法会(議会)選挙など各種選挙の立候補者を「愛国者」かどうかで事前に選別する「資格審査委員会」を新たに設けるという。それだけではなく、大多数が親中派で構成されるとみられる「選挙委員会」に立法会選の立候補者指名の職権を与えるともいう。
一昨年(19年)の香港区議会(地方議会)選挙では民主派が議席の8割超を獲得して圧勝した。これを香港の民意と見るべきが常識的な態度。しかし、中央政府に不都合な民意は認められないのだ。だから「愛国者」排除となる。共産党の指導に従う者だけが「愛国者」と認められて立候補可能となり、共産党の指導に従うことに疑念を持たれれば、「非愛国者」として立候補はできないのだ。我が国敗戦前の「非国民」という言葉を思い出させる。
全人代閉幕直後、李克強首相が記者会見をした。これが、「愛国者による香港統治を堅持する」方針を語っている。以下が、その該当部分。但し、On-lineアプリを使っての翻訳で、日本語の出来は悪い。
われわれは、引き続き「一国二制度」、「香港人による香港管理」、高度な自治方針を全面的かつ正確に貫徹し、憲法と基本法に厳格に基づいて事を運び、特別行政区が国家の安全を守る法律制度と執行メカニズムをしっかりと実行し、特区政府と行政長官が法に基づいて施政することを全力で支持することを明確に提起した。
先ほど、全人代が香港の選挙制度の充実について決定を下したとお聞きになりましたが、決定は非常に明確で、「一国二制度」の制度体系を堅持し、充実させ、終始「愛国者による香港統治」を堅持することであり、「一国二制度」の長期的な安定を確保するためでもあります。
昨年、香港は多くの衝撃を受けましたが、香港各界が手を携えてできるだけ早く疫病の発生状況に打ち勝ち、経済の回復的成長を実現し、民生を改善し、香港の長期的な繁栄と安定を保つことを希望します。中央政府は引き続き全力で支援していきます。
愛国とは、おぞましくも危険な言葉だ。とりわけ、権力者が使う「愛国」は国民欺罔の手段として警戒しなければならない。李克強がいう「愛国」とは、中国共産党の指導に従順であることに過ぎない。「愛国者による香港統治」とは、「中国共産党の指導が貫徹した香港統治」というだけのことであって、民主主義とは縁もゆかりもない。
民主主義の政治過程では、国民が国家を作るのであって、その反対ではない。国民が国を作る手段が選挙であって、《全ての国民が選挙に参加して国を作る》のである。国家が国民に選挙参加の資格を選別することはあり得ない。
だから、「愛国者による香港統治を堅持する」とは、香港の民主主義を根絶やしにするという宣言なのである。《「一国二制度」、「香港人による香港管理」、高度な自治方針を全面的かつ正確に貫徹し、憲法と基本法に厳格に基づいて事を運び》とは、《「一国二制度」は形だけのものにする、「党中央による香港管理」を徹底する、「北京が支配する香港の自治」方針を全面的かつ正確に貫徹し、厳格に中華人民共和国憲法をに基づいて事を運ぶ結果として香港基本法を空文とする》ということなのだ。
(2021年3月13日)
忘れてはならない、安倍晋三政権という7年8か月の悪夢を。国政私物化と、ウソとゴマカシで塗り固めた汚れた政権運営を。その汚れた政権が、2020年を「改憲施行の年に」と叫んでいたことを。
心に留めておこう、安倍政権不祥事の数々を。最低限下記の呪文だけは記憶にとどめて、事件を覚えておこう。
モリ・カケ・さくら、タマゴにカジノ、クロカワイ。
森友学園事件・加計学園事件・桜を見る会私物化・鶏卵大手アキタフーズ農水大臣贈収賄事件、秋元司カジノ収賄事件・官邸の守護神黒川弘務事件・河井夫妻公選法起訴事件…。数え切れない、覚えきれない…。この政権は、アベノマスクに象徴される「無能政権」であったばかりではない。腐敗の政権、改憲指向の政権だった。この政権が国内の右翼を勢いづけ、民主主義や人権を脅かしたことを忘れまい。
「忘れまい」と力まずとも、折々、事件の方から国民に挨拶がある。たまたま昨日(3月12日)には、菅原一秀(元経済産業大臣)議員が話題の人となり、記者のマイクとカメラの標的となった。秘書が選挙区内の有権者に香典などを渡していた、あの香典政治家である。「モリ・カケ・さくら、卵にカジノ、クロカワイ」のどこにも入っていない。脇役でしかないが、歴とした安倍腐敗政権の有力大臣であった人。さすがに安倍政権、腐敗の裾野は広い。
この人、市民から刑事告発されたが、地検は起訴猶予とした。しかし、告発した市民はこの処分に納得せず、検察審査会に審査請求をしていたところ、「起訴相当」の議決となった。この議決のインパクトは大きい。告発人にも、検察審査員にも敬意を表したい。こうして、少しずつでも、政治の腐敗は正されていくのだ。
この人、2019年10月、選挙区内の有権者に、秘書が香典を渡してまわったことが明らかになって、公職選挙法違反の疑いで告発状が提出された。公選法は、「政治家がみずから葬儀や通夜に出席する場合を除いて選挙区内の人に香典を渡すこと」を禁じている。「政治家が選挙区内の人にむやみに香典を渡す名目で票を買う行為を防止するために、みずから葬儀や通夜に出席する場合以外の香典交付が禁じられた」と解すべきだろう。
東京地検特捜部は、捜査の結果、この人が「選挙区内の18人に総額17万5千円相当の枕花を寄付していた」「みずから弔問せずに選挙区内の9人にあわせて12万5千円の香典を寄付していた」と認定したうえで、「法を無視する姿勢が顕著とはいえない」として、起訴猶予処分とした。
しかし、審査請求を受けた東京第4検察審査会(東京には、第1?第6審査会まである)が本年2月24日付で「起訴相当」と議決した。その理由を「香典は個人的な関係だけで渡したものではなく、将来における選挙も念頭に置いたものと考えるのが自然だ。公職選挙法は金がかからない選挙を目指していて、検察は、国会議員はクリーンであってほしいという国民の切なる願いにも十分配慮すべき」と指摘していると報道されている。
「起訴相当」であるから、これを受けて地検は再び捜査を行うことになる。仮に、検察が再び不起訴にした場合には、検察審査会の再度の「起訴相当」議決によって強制起訴となりうる。「起訴相当」の議決には11人中8人以上の賛成が必要なのだから、地検は、国民目線の厳しさを心すべきである。
また、たまたま時を同じくして、話題の主となったのが、元東京高検検事長の黒川弘務。世が世であれば、検事総長として政権の守護神となっていたはずのお人。在職中に担当の新聞記者らと点ピンの賭けマージャンをしていた問題で告発され、この人も不起訴処分となったが、第6検察審査会が「起訴相当」と議決し、再捜査が進行していた。
各紙が一斉に報じている。東京地検は、賭博罪で黒川を略式起訴する方針を固めたという。「取材で分かった」との報道だが、リークがあったのだろう。地検は判断を一転させたことになる。略式ではあっても起訴は起訴。元検事長の起訴なのだから、インパクトは大きい。
実は、これまで表面化しなかったが、官僚や政治家に対する接待疑惑が噴出している。これも、安倍政権腐敗の膿である。「ソンタク」とならぶ「セッタイ」が流行語となりそうな雲行き。
あとからあとから切りがないとあきらめることなく、政治浄化の努力を続けよう。「どうせ告発などしたところで、まともに取りあげてはもらえない」と決めつけていては、事態は変わらない。現実に告発が実を結ぶこともあるのだ。
(2021年3月12日)
気が滅入ってばかりの3・11報道の中で、たった一つの明るいニュース。東京・上野で30年間灯され続けた「広島・長崎の火」が、昨日(3月11日)原発事故の被災地フクシマ楢葉町に「ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマを結ぶ『非核の火』」として継承され、再点火された。新たな核廃絶の希望の火がともった。
「広島・長崎の火」から、「ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマを結ぶ『非核の火』」へというコンセプトは、「原子爆弾投下による核爆発被害」だけでなく、「ビキニ被曝や原発事故の放射線被害」をも人類に対する核の脅威と捉える姿勢を示している。この火は、核の脅威を警告するとともに、『非核』を目指す運動の希望の火となって輝き続ける。まことにフクシマの地にあることがふさわしい。
「上野東照宮の『広島・長崎の火』が今はない」という記事を本年2月21日の当ブログに掲載した。上野東照宮の『広島・長崎の火』の由来については、下記のURLをご覧いただきたい。
https://article9.jp/wordpress/?p=16358
嵯峨敞全という名物宮司の厚志で実現した上野東照宮敷地の「広島・長崎の火」だったが、時代が遷って今度は、早川篤雄という住職の賛同を得て、楢葉町「宝鏡寺」境内に新たな火が灯されたのだ。
2月21日ブログで紹介したとおり、「上野の森に「広島・長崎の火」を永遠に灯す会」は、昨日2021年3月11日をもって解散した。しかし、上野東照宮境内の『広島・長崎の火』が消えたわけではない。ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマを結ぶ『非核の火』として、福島県楢葉町の宝鏡寺の境内に建設されるモニュメントに再点火された。「非核」の思いも受け継がれた。
前回ブログは、「火」が上野からなくなることを惜しむニュアンスの記事になったが、フクシマでの再点火を積極的に評価したい。宝鏡寺の早川篤雄住職は、反原発運動のリーダーとして知られた方。原発避難者訴訟の原告団長でもある。
昨日(3月11日)「宝鏡寺」での「非核の火」をともす式典には130人以上が参加した。新たに立ち上げられた「『非核の火』を灯す会」共同代表の伊東達也氏は「核兵器も原発も人間がつくったもので、人間の力でなくせる。『これ以上ヒバクシャをつくるな』『二度と原発事故を起こすな』の声を日本と世界に伝える決意だ」とあいさつした。
早川篤雄住職は、原発事故で「豊かな自然、平和な暮らし、地域が奪われた」と述べ、「人類の幸福と進歩は平和なくして不可能」と強調した。
東京新聞は、この件を取材して、《福島にともる「非核の火」 原爆、ビキニの資料館も―東日本大震災10年》という記事を掲載している。
移設を機に「ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマを結ぶ『非核の火』」と名を変えるのは、「環境や命、ふるさとを奪う核被害は許さない」という早川篤雄さんの思いからだという。新たな「火」のモニュメントの近くには、「原発悔恨・伝言の碑」が建てられ、「平和な未来は歴史を知ることから始まる」と、資料館も併設される。原発事故の教訓を中心に、原爆被害や第五福竜丸などが被ばくしたビキニ環礁での水爆実験の資料などを展示する予定と報道されている。
フクシマにこそふさわしい「非核の火」。原子炉という地獄で燃える核の劫火ではなく、人類の希望として輝く「非核の火」。2021年3月11日を第1日として、この先ずっと輝き続けていただきたい。