刑事司法制度が危ういー第44回司法制度研究集会
本日(11月9日)は、日本民主法律家協会の第44回司法制度研究集会。憲法の理念を正確に反映する司法をいかに構築するか。そのような問題意識で続けてきた集会の今年のテーマは、「徹底批判・『新時代の刑事司法制度』ー冤罪と捜査機関の暴走を防げるのか」というもの。このテーマを取りあげた理由は、実務を担った司法制度委員会が以下のとおりにまとめている。
法制審議会に「新時代の刑事司法制度特別部会」が設けられており、まもなく刑事司法改革についての最終案がとりまとめられる。これに基づく刑事訴訟法改正法案などが、来年の通常国会に提出される予定と言われている。その多岐にわたる内容は、「改革」どころか、被疑者・被告人の人権保障に逆行するだけでなく、犯罪捜査の枠を超えて市民生活を脅かす重大な危険を含んでいる。
そもそも「特別部会」は、2010年に発覚した大阪地検特捜部によるフロッピー改竄事件という重大な検察不祥事と、厚労省事件、布川事件、足利事件、志布志事件などの冤罪事件に対する深刻な反省を踏まえ、「検察の在り方検討会議」をへて、2011年に、取調偏重、供述調書偏重の刑事司法に対する抜本的改革案の法制化をめざすために発足したはずだった。
多くの国民は、「特別部会」の委員に、冤罪被害者である村木厚子厚労省元局長や、映画「それでもボクはやってない」の周防正行監督が入ったこともあって、いよいよ取調べの全面可視化や検察官の手持ち証拠の全面的な開示など、刑事司法を透明化し、冤罪を防止できる法制度が実現するのではないかと期待している。ところが、2013年1月に発表された特別部会の「基本構想」は、特別部会での人権保障強化の意見をほとんど反映していない、国民の期待に完全に逆行するものとなっている。
例えば、被疑者取調べの録音・録画制度については「取調べや捜査の機能等に大きな支障が生じることのないような制度設計を行う必要がある」などとしてその対象範囲を「取調官の裁量に委ねる」案を提示している。事前の全面証拠開示は「被告人に虚偽の弁解を許すことになる」などとして検討課題にもしていない。取調べへの弁護人立会権は「取調べという供述収集手法の在り方を根本的に変質させてその機能を大幅に減退させる」ことを理由に否定している。あからさまに捜査権限の維持を最優先にし、冤罪防止や人権保障の方向で刑事司法改革には著しく消極的な姿勢をみせている。
他方で、通信傍受の拡大、会話傍受の導入、司法取引、自白事件の簡易迅速処理、被告人の証言適格等々、警察・検察権限のさらなる強化と刑事裁判の簡易迅速化のための新たな制度作りを強く打ち出している。通信・会話傍受などは、犯罪捜査の枠を超えて濫用される危険もはらんでいる。
こうした「基本構想」とそれに続く「作業分科会」の中間報告に対しては、刑事法学者95名(9月10日現在)が批判の意見書をとりまとめており、マスコミにも一部批判的論調がみられるが、まだまだその内容が十分に知られていない。第44回司法制度研究集会では、このような法制審における議論の問題点・危険性を徹底的に検証・批判するとともに、真に必要な刑事司法改革とは何かについて、考え、議論する場としたい。
本日の集会の基調報告は、渕野貴生氏(立命館大学教授)による「法制審『新時代の刑事司法制度』を批判し、あるべき刑事司法改革を考える」
問題提起者として、大久保真紀氏(朝日新聞編集委員・元鹿児島総局デスク)「志布志事件における虚偽自白強要の実態」、客野美喜子氏(「なくせ冤罪!市民評議会」代表)「冤罪被害者と市民が要望する刑事司法改革」、泉澤章弁護士「新しい捜査手法の濫用の危険性」
そして、会場からの質疑・討論の発言が充実していた。
詳細は「法と民主主義」12月号の報告に譲るので、是非ご覧いただきたい。
集会の基調報告や各パネラーそして会場発言で印象に残ったことは、近年刑事司法の分野において、「人権よりは治安・秩序」「個人よりは国家・社会」という理念転換の風潮が著しいということ。訴訟における一審裁判官の職権主義、控訴審での事後審としての運用の厳格さ、再審についての明らかな方針転換。そして、立法や法改正の分野でも「法制審・新時代の刑事司法制度」である。底にあるものとしては、政府主導の「司法改革」路線以来一貫した傾向との見方もできるが、近年の変化は見落とせない。
パネラーのお一人から、「所詮権力というものはこういうものと切り捨てるだけでは、適切な改善策につながらない。治安や秩序、あるいは安全安心を求める国民世論の傾向を見なくてはならない」「この傾向への対応が必要ではないか」という発言があった。
そのとおりだと思う。治安・秩序弱体化のデマやプロパガンタの部分とは徹底して切り結び、実体を伴う部分に関してはその原因を解明する努力がが必要である。そのうえで、人権としての被疑者・被告人の権利の大切さを訴えなければならない。
また、「なによりも刑事司法における冤罪の実態や、冤罪の温床となっている取り調べの実態などの諸事実がほとんど国民に知らされていないことが問題で、これを具体的に知ってもらう努力をしなければならない。知ってもらうことによって人の意見は確実に変わる」との発言が説得力あるものだった。
自民党の改憲草案を見よ。「国民のうえに国家があり、国家が天皇を戴いている」という構図が政権与党によって臆面もなく語られるご時世である。国民の人権は、公序公益によっていかようにも切り縮められると公言されている。格差社会の進展がもたらす社会不安を逆手にとって、秩序・治安の強化や天皇の権威を持ちだしてのナショナリズムないしは共同体意識醸成による社会の再統一がはかられようとしているのだ。刑事法分野の「揺り戻し」も、その一分野なのだろう。
たまたま司研集会の会場に近い衆議院憲政記念館で「戦後日本の再出発特別展」を見た。充実した内容でお薦めしたい。期間は月末まで。特別展ではなく、常設展の展示の中に、1942年の翼賛選挙のポスターが目を惹いた。「自由は国を亡ぼす。推薦で行きませう」というもの。個人の尊厳や自由ではない、国家が大事。「天皇が大事。滅私奉公の大政翼賛会推薦候補に投票しましょう」というのだ。安倍政権が世を煽っている思想そのものではないか。この大政翼賛イデオロギーと闘わねばならないのだ。
もうひとつ、司研集会で印象に残ったこと。渕野さんが、会場からの質問に促されるかたちで、「理論と実務の架橋」というテーマで発言された。ひたすら理念を語り続けることが、研究者としての使命だという趣旨のもの。短期的には無力に見えても、必ず実務への影響を及ぼすことに繋がるものとの信念を感じさせられる発言だった。
研究者の問題提起は、実務家が真摯に受けとめなくてはならない。実務家が人権を擁護する活動をするには世論に支えられなければならない。法制審の危険な動きについても、まずは、法律家の任意団体や弁護士会が受けとめ取り上げ発信しなければならない。そして、マスメディアを通じて世論を形成し抵抗する現実の力を作りあげなければならない。
そのような運動の第一歩としての司研集会となったと思う。
(2013年11月9日)