澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

コロナ禍の今夏、感染拡大の危険を冒してまで東京オリパラを開催する意義が見出せるだろうか。

(2021年1月26日)
1月21日付の「タイムズ」が、今夏の東京オリパラについて、「日本政府が、新型コロナウイルス感染症のため非公式に中止せざるをえないと結論づけた」と報じたことが話題となった。同紙は、23日に「日本のジレンマ メンツを保ちながら中止する方法」と題した続報を載せ、「組織委、IOC、日本政府は一貫して大会は順調に進んでいると宣言しています。しかし、舞台裏では希望はほとんどなくなっている」とし、日本側は中止を模索しているとした。担当記者は、「公式発表まで当局は計画通りに進んでいるかのように振る舞う。しかし、末期症状の患者のように、重要な臓器がシャットダウンする時がくるだろう」と言っている。

「日本、コロナのせいで五輪脱出を模索」と題した東京発のタイムズ記事は具体的で詳細な内容となっている。連立与党幹部による「既に1年延期された大会は絶望的だとの認識で一致している。今は次に可能な32年大会の開催を確保することに焦点が当てられている」とのコメントを紹介。「誰も最初に言いたがらないが、(開催は)難しすぎるというのが一致した意見」との情報筋の談話も紹介し、IOCと日本政府が表向きには五輪開催は可能と主張しているとした。また、五輪準備へ少なくとも250億ドル(約2兆6000億円)を投入した日本にとって「大会中止は金融危機となる」とも指摘している。

ことの真偽は確認のしようもないが、ありそうなことだと誰もが思う記事。とりわけ「タイムズ」の報道である。とうていフェイクとは思えない。

もちろん、日本政府がこれを認めるはずはない。直ちに、「そのような事実は全くない」と否定するコメントを発表した。菅義偉得意の「そのような指摘は当たらない」「全く問題ない」という一刀両断だが、はなはだ切れ味が悪い。

政府のコメントは「東京大会については、競技スケジュールと会場が決定されており、夏からの大会の成功に向けて、関係者が一丸となって準備に取り組んでいる」「政府としては、感染症対策を万全に、安全・安心な大会の開催に向けて、引き続き、IOC=国際オリンピック委員会や大会組織委員会、東京都などと緊密に連携して、準備をしっかりと進めていく」というお決まりの内容。しかし、問題は政府の決意ではない。現実に開催できるか否かの、客観的で具体的な状況の如何なのだ。

同じ21日、IOCのトーマス・バッハ会長が、共同通信のインタビューに応じている。新型コロナウイルスの影響で1年延期された大会について、「7月に開幕しないと信じる理由は現段階で何もない。だからプランB(代替案)もない」と述べ、中止や再延期の可能性を否定したという。

この人、「全ての選手が東京に来ることを望んでいる」とし、「ワクチン接種を含む予防策に自信を示した」とも報じられている。客観的で具体的な状況の説明はない。菅や森・小池だけでなく、このバッハという人物にも、次第に胡散臭い雰囲気が漂い始めている。

問題はこういう形で投げかけられている。コロナ禍のさ中に、そんなに無理をし感染拡大の危険を冒してまで、東京オリパラを開催する意義がどこにあるのか。

今の時期に、東京オリパラ開催を強行するデメリットは、述べるまでもない。人と人との接触がコロナウィルス感染の基礎である。世界の各国から多数の人を集め、人と人とを密着・密集させることは、コロナ禍拡大の機会を提供することにほかならない。相互にウィルスを感染させ、世界に蔓延させ、猖獗を極めさせるリスクを否定し得ない。

日本医師会の中川会長は、「現時点で、オリンピック・パラリンピックの開催が可能かどうか言及するつもりはないが、選手団だけでも大変な数だ。もし新たな新型コロナウイルスの患者が発生すれば、今の医療崩壊が頻発している状況のもとで受け入れ可能かというと、可能ではない」と述べている。

「オリンピック・パラリンピックの開催が可能かどうかに言及するつもりはないが」と言いつつも、結局は、「医療崩壊が頻発している状況のもとで受け入れ可能かというと、可能ではない」と明言している。正直なところだろうし、常識的な結論でもある。

では、そんなリスクを冒してまで、東京オリパラを開催すべき積極的な意義はあるのだろうか。商業主義の膝下に呻吟するオリンピックである。これを当て込んで儲けを企む人々には、当然に「大いに開催の意義あり」ということになるだろう。国威発揚を目論んでいる人も、この場で目立ちたがっている人々も同様。

オリンピック本来の目的は「人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会の推進を目指すために、人類の調和のとれた発展にスポーツを役立てること」と定式化されているという。また、パラリンピックは、そのゴールを「パラリンピックムーブメントの推進を通してインクルーシブな社会を創出すること」とし、「すべての人が共生する社会の構築を目指す」という。いずれも美しい言葉ではあるが、言葉のとおり、美しく胸に響くだろうか。

これに対して、「反東京オリンピック宣言」という異議申立の書籍が出版されている(航思社)。こちらは、「開催を返上・中止せよ!!」という立場。その惹句が次のとおり。

「アンダーコントロール」などという安倍首相による世界に向けた破廉恥なまでの虚偽発言、裏金不正疑惑、抵抗するアスリートの排除、野宿者排除・人権蹂躙、だるま式に膨れ上がる開催費用/まやかしの経済効果、環境汚染、置き去りにされる福島復興・原発対策……。様々な問題が山積・噴出しているにもかかわらず、なぜ東京でオリンピックを開かねばならないのか? 政府・東京都・広告業界、それらと一体と化したマスメディアが、これらの問題に目を耳を口を閉ざして歓迎ムードを醸成、反対の声を抑圧するなか、2020東京オリンピック開催に対して、スポーツ、科学、思想、哲学、社会学などの研究者・活動家ら16人による根源的な異議申し立て。

あなたの胸には、どちらが響くだろうか。そして今夏、敢えて東京オリパラを開催すべきという気持ちになれるだろうか。

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