東京オリパラ開会決行は取り返しのつかない事態を招く。さりとて、中止をしても政権への打撃は深刻である。
(2021年5月2日)
河豚は喰いたし命は惜しし。フグはその美味ゆえに喰いたくてたまらんものだが、万が一にもその毒に中ったら元も子もない。さて、東京オリパラである。政権としては予定のとおりに開会に向けて突っ走りたいのだが、失敗すれば政権の命取りとなる。そのことを考えて中止に舵を切るべきか。そこが問題だ。菅義偉、悩まざるを得ない。
オリパラは、無事に開会できればこれに越したことはない。御用メディアがいくつもの感動物語を作ってくれる。国民の大半がこれに夢中になるのは目に見えている。ナショナリズムは高揚し景気回復のきっかけにもなる。たちまちにして、政権の失政は忘れ去られ、菅は世界が注目する檜舞台でスポットライトを浴びることになる。これこそが、おそらくは唯一の政権浮揚の切り札。オリパラ成功を足がかりに長期政権だって夢でなくなる。だから、オリパラはこの上ない美味で、「河豚は喰いたし」なのだ。喉から手が出るほどに、予定どおりの東京オリパラを開会したい。
しかし、政権も「命は惜しい」のだ。開会して失敗すれば確実に菅義偉政権の終焉となるだろう。失敗とは、全世界注視の中で東京オリパラが新型コロナのクラスター発生の舞台となることだ。どこかの国から持ち込まれたウィルスが、東京オリパラの密な環境で、いくつもの、そして幾種類ものクラスターを生じ、競技を続けることはできなくなる。選手だけでなく、役員やメディアや外交官などにも感染が拡大して医療の提供が困難となる。感染が拡大して日本国内のみならず、さらに世界規模の再感染をもたらす。東京オリパラに起因する大混乱の幕開けである。現状、その蓋然性はきわめて高い。
累計総額2兆円とも3兆とも言われる出費の無駄遣いが非難される。巨額を投じて結局はコロナの感染蔓延に手を貸したのかとの指弾も覚悟しなければならない。政権の責任というよりは、保守政治総体の在り方が根底から問われることにもなろう。国民の生命や健康を犠牲にしてのオリパラ強行は、いったいいかなる政治理念による選択なのか、という糾問に答えねばならない。実のところ、政策選択の基準は政権の延命にしかないのだから、真正面から問われれば、回答に窮するしかない。
では、危険水域に突入する手前で方針変更して、早めに東京オリパラ中止の方向に舵を切るか。実はこれも難しい。一つは、オリパラ成功があまりの美味に見えるので、後ろ髪引かれる思いを捨てきれない。大勢のオリパラ推進勢力の中には、今さらやめられるかという気分も横溢している。確かに、これまで言ってきたこととの整合性を保ちながら方針の転換を図ることは困難なのだ。
それだけではない。今東京オリパラ中止と決断するにしても、その中止の実行に伴う実務手続は厖大になる上に、中止に伴う新たな出費の負担も軽くない。そして、これまでに支出した巨額の準備資金を無駄にしたという非難は免れない。真面目くさって聖火リレーなんてやらかしたことも裏目に出る。留意すべきは、一日一日、中止の決断が遅れれば遅れるほど、中止に伴う傷も深くなる。
東京オリパラは呪われた大会などという非科学的な人々の印象が形成され、その印象が、菅義偉政権の印象に重なる。言わば、政権が「風評被害」をもろに被ることになるのだ。政権浮揚の切り札は失われ、衆院の解散時期の好機をつかめないままに、ずるずると追い込まれ解散とならざるを得ない。
となれば、東京オリパラ強行に進むも地獄退くも地獄の現状である。中止の決断をするも地獄、決断先送りの遅延もまた地獄、菅義偉政権の無間地獄なのだ。