袁克勤氏に対する刑事司法手続に、中国の人権状況を見る。
(2021年6月3日)
人権とは、権力による侵害とせめぎ合うことを宿命づけられた存在である。人権は何よりも権力の横暴から擁護されなければならない。人権対権力、そのもっとも苛烈なせめぎ合いの最前線が、刑事司法の舞台である。刑事司法における被疑者・被告人の人権状況は、その国全体の人権状況を物語っている。
野蛮な社会の刑事手続においては、権力が正義をふりかざして「犯罪者」を糾問する。文明社会では、被疑者・被告人に人権擁護のための手続き的諸権利が保障され、訴追権との対等性の確保が目指される。そして、可能な限りの刑事手続の透明性・公開性が尊重される。
私は、カルロス・ゴーンという人物を虫酸の走るほどに嫌な奴と思ってきた。この嫌悪感は、彼が多くの労働者のクビを切ることで日産の救世主ともてはやされた頃からのもの。人を不幸に陥れることの対価として、巨大な報酬を手にすることを恥とも思わぬ悪辣な人物というイメージである。
悪辣なゴーンも被疑者・被告人となれば、強大な権力と対峙する弱い人権主体に過ぎない。「善人」であろうと「悪漢」であろうと、刑事手続における被疑者・被告人には厳正な人権保障がされねばならない。
そのゴーンが、日本の刑事司法手続を、遅れたもの、不十分なもの、国際水準に達していないもの、と攻撃したことが記憶に新しい。「人質司法」である、「密室司法」である、「取り調べに弁護人の立会権すらない」…などと。この指摘が当たっている面のあることは、否定しがたい。日本の刑事司法は、被疑者被告人の人権保障の面から必ずしも十全とは言えない。いくつもの欠陥や改善点が指摘されている。
しかし、下には下がある。中国の刑事司法と比較すると、日本の刑事司法における人権保障は何とも立派に見える。中国にも刑事裁判制度はあり、立派な裁判所の建物もある。が、そこは人権保障のために権力が制約される場ではない。とうてい文明国の刑事司法とは言えない。下記は当ブログに1年前に載せた記事だが、事態が改善される見通しはない。
https://article9.jp/wordpress/?p=15120 (2020年6月21日)
中国最新人権事情 ー おぞましい天皇制時代なみではないか。
国立大学法人北海道教育大学の袁克勤(えん・こくきん)教授が、母親の葬儀に参列のため里帰りした長春で当局に拘束(拉致というべきか)されてから2年にもなる。同氏は、札幌に長く居住しているが中国籍。日本政府が袁克勤氏救出に向けて動く気配は見えない。
2年間拘束されて、袁氏の裁判はまだ開かれていない。公開の法廷での裁判は期待しがたい。弁護人との接見が初めて実現したのが、拘禁開始から2年を経た今年の5月になってのことだという。保釈など、およそ無理な話。
「救う会」が公表している袁教授拘束の経緯は以下のとおりである。(理解し難い用語も多いが、そのままとする)
【2019年】
5月25日 母親の葬儀に出席するため、妻と日本を出国。中国大連に到着
5月28日 長春での母親の葬儀に参列
5月29日 長春駅近くで、突然現れた長春市国家安全局員に妻とともに拘束される。目隠しされて別々の車で連行される。
6月 1日 妻だけが解放され、袁さんは長春市第3看守所へ移送される
6月中旬 妻だけ札幌に帰宅。北海道教育大に対し、袁さんが「高血圧の治療のため帰国できなかった」と説明
7月上旬 妻が再び中国へ。中国当局の指示通り、袁さんのパソコンなどを持参
同上 妻が袁さんの妹に事情を打ち明け、事件が発覚
9月11日 国家安全局が妻を呼び出し、袁さんをスパイ容疑で正式に逮捕したと通知。弁護士の依頼を許可する
11月初め 国家安全局が事件を長春市検察院に送致
11月25日 「証拠不十分」で不起訴となり、国家安全局へ戻される
【2020年】
2月24日 検察院に再度送致されるが、「証拠不十分」で再び不起訴となる
3月 6日 検察院が起訴。長春市中級人民法院へ送る
3月13日 刑事事件第二廷へ移される
3月26日 中国外務省が袁さんをスパイ容疑で拘束したことを認める
【2021年】
1月 事件を長春市中級人民法院が担当することが決まる
4月22日 中国外務省が袁さんを起訴したと明かし、「事実を包み隠さず自供し、証拠も確か」と説明
5月9日 中国の弁護人から、家族に「袁さんと接見できた」と連絡が入った。
袁氏がなぜ拘束されたのか、いまだに謎のままである。中国政府はスパイ罪としているが、起訴内容など、具体的な罪状については明かしていない。
以下は、NHKの報道である。
今年(2021年)4月に新たな事実が分かりました。中国外務省の定例記者会見で、報道官がNHKの質問に対して答えました。
NHK 「北海道教育大学の袁克勤教授が捕まってから1年以上が過ぎている。彼はどこに拘束され、どのような状態にあるのか。家族によると、弁護士も家族も袁さんに面会が出来ていないようだが、どのような状況なのか」
中国外務省報道官 「袁克勤氏は中国国民で、スパイ犯罪に関わった疑いで中国の国家安全部門により法に基づいて取り調べを受けている。本人は犯罪事実を包み隠さず供述し、証拠は確かだ。すでに起訴され、裁判所で審理が行われている。担当機関は彼の訴訟に関する権利を十分に保障している」
袁さんは、起訴されていたのです。その一方で、報道官は詳しい理由や健康状態には言及しませんでした。今後予想される袁さんの裁判については、積極的な情報の開示は行われず、非公開のまま判決が出される可能性もあるとみています。
中国外務省報道官の回答の真偽はともかく、その語り口はなかなかに興味深い。中国も、野蛮とみられることはイヤなのだ。何とか、文明国としての取り繕いをしたいのだ。だから、「法に基づいて取り調べを受け」「本人は犯罪事実を供述」「証拠は確か」「すでに起訴され、裁判所で審理が行われている」「彼の訴訟に関する権利を十分に保障している」などと言ってみせるのだ。人権擁護のための刑事司法の手続き的原則を無視しているとは言えないし、思われたくない。
もっとも、ゴーンは日本の刑事司法の不備を激しく攻撃した。しかし、釈放後の袁氏が中国の刑事司法の野蛮を攻撃できるとはとうてい思えない。批判を許さない恐ろしさ、それこそが野蛮なのだが。