元首相による その軽口の罪の重さ。
(2023年1月26日)
森喜朗とは、元ラグビー選手であり、元首相である。元ラグビー選手にふさわしくいかにも身体は重そうだが、元首相だけにいかにも口は軽い。口の軽さは、特に責められるべきことではない。なにせ、誰にも言論の自由は保障されている。それにしても、「元首相」とは、こんな程度のものなのだ。
昨日、森は東京都内のホテルで開かれた「日印協会」の会合に出席して、こんなことを口走ったという。
「こんなにウクライナに力を入れてしまって良いのか。ロシアが負けることは、まず考えられない」「せっかく積み立てて、ここまで来ている」
ウクライナに肩入れが過ぎれば、これまで構築してきた日ロ関係が崩壊しかねないとの認識を示したものという。
昨年の11月18日にも、よく似た発言があった。このときは、維新の鈴木宗男(参院議員)のパーティーでのあいさつだった。内容は、以下のとおりのゼレンスキー批判である。
「ロシアのプーチン大統領だけが批判され、ゼレンスキー氏は全く何も叱られないのは、どういうことか。ゼレンスキー氏は、多くのウクライナの人たちを苦しめている」「日本のマスコミは一方に偏る。西側の報道に動かされてしまっている。欧州や米国の報道のみを使っている感じがしてならない」「戦争には勝ちか、負けかのどちらかがある。このままやっていけば(ロシアが)核を使うことになるかもしれない。プーチン氏にもメンツがある」「(岸田政権は)米国一辺倒になってしまった」
このときは、鈴木宗男も口を揃えて「ロシアが悪く、ウクライナが善だというのは公平ではない。先に手を出したのが悪いが、原因を作った者にも一抹の責任がある」と言っている。
森の失言で有名なのは、例の「神の国」発言。首相を務めてい2000年5月15日、神道政治連盟国会議員懇談会においてのことである。
「日本の国、まさに天皇を中心としている神の国であるぞということを国民の皆さんにしっかりと承知して戴く、そのために我々が頑張って来た」
現職の首相がこう言ったのだ。この人の頭の中には「国民主権」も「政教分離」も「日本国憲法」もない。神なる天皇がしろしめす大日本帝国憲法があるのみ。
21年2月には、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の会長だった森は、日本オリンピック委員会(JOC)の評議員会で「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」と述べ、会長辞任に追い込まれた。
こういう「失言」前科を持つ森に対して、ネット上最も多く飛びかった呟きの内容は、「これが元首相の発言なのか。恥ずかしい」というもの。「怪しからん」「愚かな」という森非難ではなく、「失言」を聞かせられる側が「恥ずかしい」というのだ。どうしてなのだろうか。
日本国民は、こんな人物を首相にしてしまった。仮にも民主主義を標榜する国の首相である。間接的にもせよ、国民が我が国の政治上のトップリーダーとして選んだのだ。自分は投票したのではないとは言え、こんな人物を首相にしてしまう政治風土に無責であるはずはない。このことが「恥ずかしい」。
他国の民衆に対しても、過去の国民に対しても、そして自分自身に対しても、「身体は重そうだが、口は軽い」こんな程度の人物を首相にしてしまった、このあるまじきことことが、国民の一人として恥ずかしいのだ。
思い起こせば、安倍晋三・菅義偉官・麻生太郎・野田佳彦・小泉純一郎等々が皆、こんな程度の人物を首相にしてしまったことで、日本国民は慚愧に堪えないのだ。
首相経験者諸氏よ、口の軽さは特に責められるべきことではない。誰にも言論の自由は保障されている。ではあるがその軽口の罪はけっして軽くはない。なにせ、我々が選んだ「元首相」とは、こんな程度のものだったのかという強い自責の念を国民に強いることになるのだから。