澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

「安倍靖国参拝違憲訴訟」提訴への中国での反応

サーチナというインタネットメディアがある。かつては「中国情報局」と言っていた。その名称は、サーチ (search) とチャイナ (china) を重ねた造語だという。中国の情報を主とするものだが日本語のメディア。そのメディアに昨日(4月15日)掲載された日本人記者の署名記事を知人からの転送で知った。内容は、大阪と東京の安倍靖国参拝違憲訴訟に関するもの。提訴の内容ではなく、提訴に対する中国人の反応を主としたもの。

タイトルは、「安倍首相の参拝差し止め訴訟、『首相を訴えることができるなんて嘘だろ?』の声=中国版ツイッター」というもの。記事全文は以下のとおり。

「第2次世界大戦の戦没者遺族や市民などが11日、安倍首相による靖国神社への参拝は違憲であると主張し、参拝の差し止めや、原告1人当たり1万円の慰謝料を求める訴えを大阪地方裁判所に起こした。華商網が報じた。

報道によれば、戦没者遺族や市民らは、安倍首相の靖国神社参拝は「憲法が保障する国民の平和的生存権を侵害している」とし、「戦争を美化する行為である」と主張している。また、報道によれば東京でも別の原告らが同様に訴えを起こす予定だ。

日本の首相による靖国神社参拝に対し、中国では非常に強い反発が起こることが常だが、日本の市民団体が安倍首相を訴えたことを中国人ネットユーザーはどのように感じたのだろうか。

簡易投稿サイト・微博に寄せられたコメントを見ると、『一部の日本人が良心的であることが分かった』など、日本国内から靖国神社参拝の差し止めを求める動きが見られたことを評価するユーザーが見られたが、中国人ユーザーの反応で目立ったのは“一国の首相を訴えることができること”に対する驚きの声だった。

確かに、時の権力者を訴えるなどと言うことは中国ではまずあり得ないことだ。そのため「中国の人民は高官を訴える勇気があるだろうか」、「首相を訴えることができるとはすばらしい!」などのコメントも寄せられ、非常に驚いている様子が見て取れた。

なかには「日本では民衆が首相を訴えることができるのか? 裁判所は受理するのか? これは嘘の報道じゃないのか?」というコメントまであった。

多くの中国人ユーザーが今回の訴訟を通じて、日中の政治体制や制度の違いを認識したことは間違いなさそうだ。中国には「陳情」と呼ばれる直訴システムがあるものの、陳情しても解決されないケースも多いと言われており、首相さえ訴えることができる日本の体制を羨んでいる様子を感じることができた。」

たいへんに興味深い。この記事で報じられている中国人の反応のひとつが、靖国違憲訴訟の提訴行動を通じて、『一部の日本人が良心的であることが分かった』という肯定的評価をしていることである。これは、貴重な収穫だ。

政府間の関係がこじれているときほど両国民の信頼関係形成が重要だ。おそらく中国人の目からは、日本人全体が安倍色に染まった均一の集団と見えているのだろう。しかし、実際はそうではないことを知ってもらうことが大切だ。我々も、中国が一色であるはずのないことを知らねばならない。

中国人・韓国人を原告として日本の各地の裁判所に提訴された数多くの戦後補償訴訟があった。原告となったのは、従軍慰安婦とされた人、炭坑や軍需工場に強制連行された人、大量虐殺された事件の奇跡的な生存者、遺棄毒ガスの被害者等々の「皇軍の残虐行為の生き証人」であった。重慶爆撃訴訟など、まだ係属している訴訟もある。中国や韓国の戦争被害者を支援し、その被害救済の訴訟を支えた多くの日本人の活動を誇りに思う。このような運動こそが、真の日中、日韓の友好の基礎となり、国民間の強固な信頼関係形成の土台となりうる。

日本国憲法は、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、…この憲法を確定する」と宣言している。戦争の惨禍に向かいあうことこそ、憲法を大切に思う国民の責務である。その戦争の惨禍は、被害と加害の両面がある。加害責任に目をつぶらず、被侵略国の民衆の被害に寄り添うことは、なによりも不再戦の決意を新たにすることである。そして、それだけでなく、国境や民族を超えた人間としての連帯感を築く交流であって、やがて国家を克服することにつながる展望を切り開く質をもつものと思う。11日提訴の大阪訴訟と、21日提訴予定の東京訴訟がともに、法廷内だけではなく、国内外の世論に大きな影響を及ぼす成果をあげることを願う。

もうひとつ。中国の多くのネットユーザーが、「一国の首相を訴えることができることに驚いている」というニュースには、こちらが驚かざるをえない。そもそも司法本来の役割は、国家権力の横暴によって侵害された人権を救済することにあるのだから。国家や国家機関の高官を訴えられないでは司法ではない。

韓国では、国民が裁判所に政府高官を訴えたとて驚く人はない。韓国の憲法裁判所は、政府批判の提訴で溢れており、判決もその期待に応えている。

理屈の上からは、立法や行政が国民の人権に冷淡であるときにこそ、司法が人権救済機関としてその役割を果たすべく期待される。しかし、現実には、立法や行政の「民主化」の進んでいない社会では、司法も十分な機能を果たし得ない。軍政時代の韓国の裁判所は、政府に不利な判決を書けなかった。政治と社会の民主化が進んで、憲法裁判所も大法院(日本の最高裁に当たる最上級司法裁判所)も、ともに人権擁護の機能を果敢に果たしつつあり、間接的に立法や行政にも大きな影響力をもつ存在となっている。日本の裁判所の判断の臆病さに歯がみすることが多い私などには、羨望の的である。

中国の現状は、民主主義の成熟度において未熟といわざるを得ない。国家だろうが幹部だろうが党であろうが、あるいは企業であろうが、あらゆる段階の権力の横暴が人権を侵害すれば、司法の判断に服さねばならない。そして、司法の判断は尊重されなければならず、侵害された人権は救済されなければならない。

この点についても、安倍靖国参拝違憲訴訟が、瞠目の成果を上げることができるよう切に期待する。
(2014年4月16日)

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Published in 水曜日, 4月 16th, 2014, at 22:41, and filed under 政教分離・靖国.

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