国民感情に配慮する海自トップと、国民感情を逆撫でする元海自トップ
「たちかぜ」裁判の劇的な高裁逆転認容判決が4月23日。上告期限が徒過して判決が確定したのが5月8日。判決確定を受けた13日の河野克俊海上幕僚長記者会見が、なかなかのものだった。「判決を正面から重く受け止め、再発防止に万全を期す」とした上で「個人的な気持ちとしては直接、出向いて遺族におわびしたい」とまで述べた。また、内部告発した3等海佐については「処分する考えがない」と明言もしている。
そして、25日には、先の自らの言葉のとおり、自身が宇都宮市のいじめ被害者遺族宅を訪れて謝罪した。遺族が弁護士を通じて「真摯に謝罪していただいた」とコメントしているところからみて、おざなりのものではなかったことが窺える。
しかも、同幕僚長は遺族への謝罪を終えたあと、報道陣の取材に応じ、「長年おかけしたご苦労とご心痛におわびしたいという気持ちでやってきた。いじめをなくすことが大前提だが、周囲もいじめを見過ごさないような組織にしていきたい」と再発防止に取り組む考えを示したと報道されている。「周囲もいじめを見過ごさないような組織にしていきたい」と海自の体質改善に言及したのは、内部告発をした3等海佐について単に「処分する考えがない」という以上に一切の差別をしないという強いメッセージと解すべきだろう。事件を起こした海自の体質は責められるべきだが、判決確定後に海自の最高幹部がここまでの謝罪のコメントをしていることは評価に値するというべきではないか。
私は、自衛隊の存在が違憲との立ち場である。しかし、現実にある武力組織が、法とシビリアンコントロールに服し、理性的な集団でなければならないことは当然である。その側面からの自衛隊の在り方に大きな関心を寄せている。
旧軍の新兵いじめは半端なものではなかった。私の年代の誰もが、子どもの頃に多くの大人たちから聞かされたことだ。人間性を抹殺しなければ使い物になる兵隊は育たず、精強な軍隊は作れない。そのような考え方が浸透していたのであろう。軍事組織である以上、所詮は自衛隊も同じようなものに違いない。そう思っていた。
だから、最初に「たちかぜ・いじめ自殺」事件を知ったときには、「やはり、自衛隊よおまえもか」という受けとめ方だった。ところが、訴訟の進展の中で、堂々と真実を内部告発する現役自衛官がいることを知って仰天した。「たちかぜ・内部告発」事件は、旧軍とは異質のものを自衛隊に見ざるを得ない。
内部告発者は組織から疎まれることが通り相場である。村八分にさえなる。奮闘の末に結局は組織から追い出されるのがありがちな結末。ところが、本件では3等海佐が針のむしろにいる様子は伝わってこない。実は、海上自衛隊なかなかの開明的組織のごとくである。
旧軍ではこうはいくまい。旧軍で横行していたいじめが表沙汰になり問題視されることはなかった。いじめによる自殺があっても、闇に葬られた。天皇の軍隊にあるまじきものは、ないことにされたのだ。いじめ自殺についての遺族の責任追及提訴などは考えられるところではなく、現役軍人の内部告発も、軍のトップが遺族に謝罪するなどもあり得ないこと。旧軍と比較して自衛隊は確実に変わっているというべきなのだろう。
以上のとおり、海自トップの遺族への謝罪の真摯さと再発防止の努力を評価して、海自について好印象を受けた。昨日までは。しかし、今朝の紙面で、また評価は逆戻りとなった。「元海自トップ」の言動によってである。
毎日新聞東京朝刊5面に、「元海自トップ 国民の了解取らなくても」という記事が掲載されている。集団的自衛権問題についての連載調査記事。
「『どこかの党が民意、民意と言っているが、外交・防衛は皆さんに任せたんです』
集団的自衛権の行使容認をめぐり、自民党が26日開いた安全保障法制整備推進本部の会合。古庄幸一・元海上幕僚長は、国民は外交・防衛政策を政権党に全権委任したといわんばかりの理屈を語り、こう踏み込んだ。『国民にいちいち了解を取ると言わなくても問題ない。世論調査にうんぬんされる必要はない』」
これはひどい。こんな幹部が統率している自衛隊では危険極まる。自衛隊に甘い言葉をかけるわけには行くまい。この人、「小泉政権当時の2003〜05年、海上自衛隊トップを務め」、その当時には「政府・自民党が目指す自衛隊の活動範囲の拡大を後押しする発言を続けた」と紹介されている。
旧軍は、「天皇の軍隊」という建前を最大限に利用して軍への批判を封じた。「玉座を以て胸壁となし、詔勅を以て弾丸に代へ」た姿勢は、全軍のものだった。自衛隊には、それがない。だから、海自トップの遺族への真摯な謝罪ができることになる。ところが、天皇に代わる「政権」に盲従するとなると、旧軍と同様の批判拒否の体質になりかねない。
すべての行政機関は、その権能を主権者国民から信託を受けたものとして、その権限行使に慎重でなくてはならない。政権与党の会合において、「国民にいちいち了解を取ると言わなくても問題ない」という、国民軽視の傲慢な姿勢は到底容認できない。遺族の感情をおもんばかり誠実に謝罪の意を表明する現役の海自トップと、「世論調査にうんぬんされる必要はない」と与党を焚きつける元海自トップ。やはり、軽々に海自を評価すべしなどと言ってはならないようである。
(2014年5月27日)