澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

「高村私案・新3要件」の文意を問う

本日は地元の学生グループに招かれてごく小さな規模の憲法学習会の講師を務めた。テーマは、特定秘密保護法の問題点と集団的自衛権。少人数の聞き手とのやり取りは結構楽しかった。

報告は3パートになった。「立憲主義」・「解釈改憲」・「秘密保護法制」である。「立憲主義とは何か」、「どうして今集団的自衛権行使容認の解釈変更なのか」、そして「特定秘密保護法のどこがどう問題なのか」という問いかけから始まるレポート。

※近代憲法の何たるかは、1789年フランス革命後の人権宣言16条に定式化されている。「権利の保障が確保されず、権力の分立が定められていないすべての社会は、憲法をもたない」というもの。ここに、人権こそが至高の憲法価値であること、公権力は人権を制約することのないよう謙抑的につくられていなければならないこと、つまり「個人主義」と「自由主義」とが明瞭に宣言されている。以来、憲法は「人権のカタログ」部分と、人権を侵害しないように設計された「統治機構」部分とから構成されるようになった。
ここには、「主権者国民が権力を創設するが、その公権力は最も大切な国民の人権を傷つけることのないように設計され運用されなければならない」「そのために、公権力の設計と運用の在り方についての主権者の意思を予め確定し、この主権者の意思を公権力の担当者に示して、これにしたがって公権力を行使するよう命じる」という大原則が前提にされている。このようにして公権力行使を統制する考え方が立憲主義である。

※主権者国民から権力担当者に対する命令が憲法であるから、その命令の内容を軽々に変更はできない。変更するとなれば、慎重に国民の意思を確認してからでなくてはならない。民主主義社会では時の権力は国会での過半数の勢力によって形成されるから、国会での過半数の議決で憲法改正ができるとすれば、憲法が権力を統制するという役割を果たせなくなる。憲法改正は必然的に立法手続以上の厳格な要件を要求することになる。これが憲法が「硬性」であるということ。

安倍政権が成立するや、自民党改憲草案を念頭に、明文改憲が試みられた。そのための戦略として、まず96条先行改正が目指された。つまり、憲法改正手続を改正して、硬い憲法を軟らかくほぐしておいて、改正しやすい憲法にすることから始めようとした。しかし、これが評判が悪かった。「姑息なやり方」「国民を欺くもの」「裏口入学的手法」「96条改憲の向こうに9条改憲」「立憲主義の何たるかを理解していない」と散々。昨年の憲法記念日を挟んで、世論は完全に96条先行改憲論にノーを突きつけた。第1ラウンド、安倍の負けであった。

明文改憲ができないととなるや、安倍は第2ラウンドは解釈改憲を持ち出した。憲法9条に手を付けずに、内閣限りでその解釈を変えて、実質的な9条改憲をやってのけようということ。具体的には、これまで憲法9条2項によって「集団的自衛権の行使は憲法上できない」とされていた解釈を、強引に変えてしまおうということ。

しかし、これは、96条先行改憲以上に、実質的な9条改憲であり、「立憲主義の何たるかを理解していない」やり口。「姑息なやり方」「国民を欺くもの」「裏口入学的手法」である。それでも、安倍政権は、内閣法制局長官の首をすげ替え、自分で選任した安保法制懇の報告を受け、自作自演で集団的自衛権行使容認の路線を突っ走りつつある。

そのための与党協議において、座長の高村自民党副総裁から、「高村私案」が示されている。これが昨日(6月13日)のこと。これまでは、個別的自衛権行使には次の3要件が必要と政府解釈が確立していた。
(1)我が国への急迫不正の侵害がある
(2)これを排除するために他に適当な手段がない
(3)必要最小限度の実力行使にとどまる
この3要件のすべてを満たした場合にはじめて自衛権の発動が可能となる、というもの。

高村私案は、この要件を次のように変更しようというものだ。
?我が国に対する武力攻撃が発生したこと、または他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるおそれがあること
?これを排除し、国民の権利を守るために他に適当な手段がないこと
?必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと

問題は、(1)と?の差である。自衛権の発動は、従来政府解釈(1)では「我が国への急迫不正の侵害が現在している」場合に限られている。これに対して、高村私案?は、「我が国に対する武力攻撃が発生した」場合に限られない。「他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ」た場合に拡大されている。これが、集団的自衛権の行使を容認するということだ。

問題はそれだけではない。「国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される『おそれ』があること」がくせ者。?の文章を「(我が国に対する武力攻撃が発生したこと)、または(他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるおそれがあること)」と重文として読めば、集団的自衛権についてだけ「幸福追求の権利が根底から覆される『おそれ』があること」が要件として関わってくることになる。これも、『おそれ』という曖昧さが大きな問題をはらむものとなっている。

さらに大きな問題は、「{(我が国に対する武力攻撃が発生したこと)、または(他国に対する武力攻撃が発生し)}これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるおそれがあること」と複文として読めば、個別的自衛権行使の要件としても『おそれ』が関係してくることになる。
つまり、「我が国に対する武力攻撃が発生したことにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される『おそれ』がある」場合には、個別的自衛権行使が可能となるというのだ。従来解釈に比して、「急迫不正の侵害」という要件を抜いていることに加えて、「我が国の存立が脅かされる『おそれ』がある場合」、「国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される『おそれ』がある場合」にも、ひろく武力行使が可能と、どさくさに紛れて要件を緩和したことになる。このような姑息なやり方には、徹底した批判が必要だ。

※そして、特定秘密保護法の問題である。
民主主義政治過程のサイクルは、一応は「国民意思⇒選挙⇒立法府⇒行政府⇒司法」と図式化することができる。この国民意思形成の過程では、国民に十分な情報が提供されていなければならない。とりわけ、国政に関する情報は、国民の財産であって、国民がこれに接して、民意の形成に役立てなければならない。

戦前、軍機保護法や港湾要塞法などは軍の装備や編成を軍事機密として国民の目から秘匿した。戦時色が深まると、軍用資源秘密保護法や国防保安法はさらに、外交、財政、経済、資源等、総力戦を構成するすべての部門の重要機密を厳罰をもって保護するようになった。その基本的な考え方は、「国民はよけいなことを知る必要がない」「必要な情報は政府が管理しておけば十分」というもの。

特定秘密保護法も同じ考え方、「40万件といわれる特定秘密は国民は知らなくてよい」「政府が国民に知らせてもよいという情報だけを知らせておくことで十分」という基本的な考え方でできている。国会議員にも、裁判官に対しても、同様の考え方が貫かれている。これは、民主主義を衰弱される危険な法律。

2013年12月6日に特定秘密保護法は成立し、同月13日に公布された。その1年後、本年12月13日に施行ということになる。ぜひ、それまでに法の廃止を実現したい。そうでなくては、民主主義の政治サイクルが空回りすることになり、議会制民主主義は形骸化し衰退しかねない。
(2014年6月14日)

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