患者の人権、労働者の人権にリアリティを
久しぶりに、医療過誤事件の新件を受任し、今日(9月7日)付けで病院に損害賠償請求の通知書を発送した。請求額は小さい。しかし、当事者にとっては理不尽極まりない大事件である。
私は、癌の宣告を受けて手術をするまでは、身を粉にして働いた。6年前の手術の直前には、医療過誤訴訟だけで12件の受任事件があった。今では、とても考えられない。弁護士は医師と異なり応召義務がない。断る自由を謳歌しているのだが、それでも、紹介者によっては断り切れないこともあり、取りあえず会って話を聞こうということになる。今回の新件もそんな一つ。話しを聞いてしまうと、もう断れない。病院の対応が理不尽極まるといわざるを得ないからだ。
この方は、腹痛を主訴として総合病院の救急センターを受診し、その日検査のための採血で医療事故に遭遇する。鼠径部の動脈血採血の穿刺に失敗して、大腿神経を傷つけ、即日入院。ようやく2か月経って松葉杖で歩けるようになって退院するが、その間に出社できないことから解雇(形は自主退職)されてしまう。無収入で放り出されてしまうのだ。
日本社会の矛盾に翻弄されているようなこの方に、病院も企業も何とも冷たい。人権とか、人格の尊重という言葉のリアリティのなさが骨身に沁みる。
医療過誤事件としてはありふれたもの。大腿動脈からの動脈血採血を二人の研修医が担当した。後輩研修医が2度採血を試みて成功せず、先輩研修医に交代したが、これもできなかった。結局は諦めて上肢からの採血としたという。ところが、その直後から右下肢に疼痛と麻痺が生じた。歩行できなくなって、入院の憂き目となった。それも、2か月間。そして、入院期間1か月が経過したところで、勤務先からの解雇である。ひどい話だ。この患者さん、「採血」「注射」ど、針を連想させるものの名を聞くだけで恐くなり、ふるえが止まらなくなってしまっているという。
この病院のパンフレットは、よくできている。「親切であたたかい病院」との基本理念が掲げられ、患者と医療提供者の信頼関係を醸成するために、受診の患者に対して、
「人間としての尊厳が守られる権利」
「病気や治療について十分な説明を受ける権利」
「セカンドオピニオンを求める権利」
「自分の診療情報を得る権利」
が明記されている。
しかし、実態はこのとおりではない。
退院直前の説明の席で、患者は副院長や事務次長から、こう言われたという。
「こういうことはよくあるミスなんですよ。100回に1回くらいはこんなことになる」「今回の件は起こってはいけないことだが、人間なのだからミスは仕方がない」「医療事故だが医療ミスではない」「病院にはなにひとつ落ち度はない」「研修医2名は、ごく普通の青年ですよ。がんばってやっていますよ」「入院費は病院がもちますから、それ以上の補償はできません」
精いっぱい、「病院の針刺しで入院することになったのだから、誠意を見せて欲しい」と言った患者に対して、高圧的ににらむような態度で、弱い立場の人を押さえつけようとする姿勢だったという。
通知書で私は筆を抑えたが、次のようには書いた。
「病気を癒し健康を回復すべき病院において、通知人は、原疾患についての診察も診断もなされないまま、技倆未熟な研修医二人によって、過失による傷害を加えられたのです。その法的責任(民事・刑事両面において)はまことに重大と考えざるを得ません。このような未熟な研修医に、指導医のフォローないまま危険な診療行為をさせ、患者に重大な医療事故を起こしたことについて、貴院はもっと深くその責任を自覚し、万全の再発防止策を建てなければならないと思います」
「なお、敢えて一言付言いたします。
事故後の通知人に対する貴院の対応は、被害者となっている患者に対して『人間としての尊厳』を認めてのものとは評価し得ません。通知人やその家族の感情をいたずらに刺激して紛争を拡大するような愚を避けていただくよう、賢明なご配慮をお願いいたします」
解雇した企業にも通知書を発信した。
この世は人権課題に満ちている。力ある者の弱い者への理不尽には憤りを禁じ得ない。こうなると、年齢だとか、しんどいとか、病み上がりだとか、自分への言い訳を言っておれない。
(2014年9月7日)