昭和天皇実録社説に見るー菊タブーと各社のジャーナリスト魂
昭和天皇(裕仁)の公式伝記となる「昭和天皇実録」が宮内庁から公表された。
よく知られているとおり、中国では王朝の交替があると後継王朝が前王朝の正史を編纂した。その多くは司馬遷の史記に倣って皇帝や王の事蹟を「本紀」として中心に置く紀伝体での叙述だった。正史とは別に、各皇帝の死後にその皇帝の伝記として「実録」がつくられた。古代の日本もこれを模倣し、「帝紀」や「実録」が編まれた。いまだに、こんなことが踏襲されていることに驚く。
明治天皇(睦仁)の没後には、「明治天皇紀」がつくられ、「大正天皇実録」が続いた。「明治天皇紀」は、1933年に完成しているが、もともと公開の予定はなかった。政府の明治百年記念事業の一環として刊行されることになり、1968年から1977年にかけて刊行されたという。この間実に35年余を経過している。大正天皇実録の刊行はいまだになく、情報公開請求によって世に出たが、不都合な部分が墨塗りされたまま。この社会は、いまだに菊タブーに覆われ、情報主権の確立がないのだ。
さて、「昭和天皇実録」。61巻・12000頁に及ぶものとのこと。オリジナルは僅かに10セット。いずれも、天皇や皇族に届けられ(「奉呈」され)ているという。来春から5年かかっての公刊完成まで一般人はその内容に接し得ない。われわれは、事前に公開を受けたメディアが報道した範囲でしか、実録の内容や姿勢を判断し得ない。
今朝の主要各紙(朝日・毎日・東京・日経・読売・産経)が、「実録」に目を通したうえでの社説を書いている。
最初に各社説のタイトルを挙げておこう。
朝日「昭和天皇実録―歴史と向き合う素材に」
毎日「昭和天皇実録 国民に開く近現代史に」
東京「昭和天皇実録 未来を考える歴史書に」
日経「「実録」公開を機に昭和史研究の進展を」
読売「昭和天皇実録 史実解明へ一層の情報公開を」
産経「昭和天皇実録 「激動の時代」に学びたい」
このタイトルに目を通しただけで、当たり障りのない及び腰が推察できる。
昭和天皇の伝記となれば、どんな姿勢で読まねばならないか。自ずから、その視点は日本国憲法の理念に視座を据えねばならないことになる。「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意」した立場から省みて、なにゆえに戦争が起きたのか、なにゆえ防止できなかったのか、なにゆえもっと早く戦争を終わらせることができなかったのか。
開戦と終戦遅延と、そして戦争と戦争準備に伴う諸々の悲惨や人権侵害に関して、誰が、どのように責任を負うべきか。その深刻な課題に真摯に向きあって、戦争の惨禍を繰り返さぬために、どのような教訓を引き出すべきか。その視点がなければならない。でなければ、30名もの職員を24年間もはり付けての作業と国費投入の意味はない。
当然のことながら、戦争責任は天皇一人にあるわけではない。システムとしての天皇と、天皇個人とを分けて考えるべきとの見解もあり得よう。しかし、すべての情報の結節点に位置していた天皇に、政治的・道義的・法的な戦争責任がないはずはない。「君側の奸」としての軍部を悪玉にして、天皇を免罪しようというストーリーが最も警戒すべき駄論。これに与するものでないかを慎重に見極めねばならない。
以上の視点が、各紙の社説にまったく見えないわけではない。
朝日は、「昭和の時代が教えるのは、選挙で選ばれていない世襲の元首を神格化し、統治に組み込んだ戦前のしくみの誤りだ。その反省から形成された現代の社会を生きる私たちは、絶えずその歴史に向き合い、議論を深めていく必要がある。」と述べている。「さすが朝日」と言ってよい。日本のジャーナリズムにとっての救いの一言だ。
毎日はやや微妙。「立憲君主制の自制的ルールに立ちつつ、軍部の専横を警戒し、平和を求めて確執もあったという、これまでの昭和天皇像を改めて示したといえるだろう。」という一節がある。これが、実録の立場についての言及なのか、毎日も賛意を表しているのか分かりにくい。意識的にぼかしているということかも知れない。
分量的にはもっとも長い毎日社説の中には、「なぜ私たちが昭和史を絶えず振り返り、そこから学び取ろうとするのだろうか。今の時代が抱える大きな課題の根っこが、昭和にあるからだ。政治、外交、経済のみならず、生活様式や価値観まで多岐にわたる。そして、続けなければならないのは『なぜ、あの破滅的な戦争は回避できなかったのか』という問いかけである。この実録の中でも、開戦前後の事態の推移がとりわけ注目されたポイントの一つだった。しかし解明にはまだ遠い。」「あの戦争で、坂道を転じるように、雪だるま式に危機を膨らませ破綻したプロセスは、決して単線的ではなく、その解明は容易ではない。しかし、それは今極めて重要な教訓になるものである。」と述べている箇所もある。
天皇の責任まで踏み込んでいないことに不満は残るが、問題意識は了解できる。
以上の2紙以外に、頷ける問題意識を見せているものはない。
日経が、「昭和は日本史上まれな激動の時代であり、昭和天皇は第一の証言者である。昭和の研究は皇室をタブー視する意識を超えて進んでいるが、実録には一層の進展を促すヒントが数多くあるだろう。と同時に、実録は完全な言行録ではないことを知り宮内庁の編さんの意図を読み取る必要もある。」と、思わせぶりな記述をしている程度。
読売は、「実録は、国の歴史を後世に伝える上で、極めて重要な資料である。昭和から平成となって、既に四半世紀が過ぎた。軍国主義の時代から終戦、戦後の復興、高度経済成長へ――。実録は、激動の昭和を振り返る縁(よすが)ともなろう。」というのみ。「軍国主義の時代」に言及しながら、大元帥として陸海軍を統帥し軍国主義の頂点に位置していたいた天皇との関連に関心を寄せているところはない。
産経が言いそうなことは読まなくても分かる。
「実録の全体を通して改めて浮き彫りになったのは、平和を希求し国民と苦楽を共にした昭和天皇の姿である。」「注目された終戦の「ご聖断」までの経緯では、ソ連軍が満州侵攻を開始したとの報告を受けた直後に木戸幸一内大臣を呼び、鈴木貫太郎首相と話すよう指示を出したことも書かれている。」「昭和21年から29年にかけ、戦禍で傷ついた国民を励ます全国巡幸は約3万3千キロに及んだ。天皇は一人一人に生活状況を聞くなど実情に気を配った様子も分かる。」と、徹底した天皇善玉論。
意外なのは、東京新聞。
「大きな戦争の時代を生きた昭和天皇であったために、さまざまな場面での発言が重みを持って伝わる。1937年の日中戦争直前、宇垣一成陸軍大将に『厳に憲法を遵守し、侵略的行動との誤解を生じないようにして東洋平和に努力するように』と語った?。」「41年に対米戦争に踏み切ったときは『今回の開戦は全く忍び得ず』と詔書に盛り込むように希望した?。45年8月の御前会議では『戦争を継続すれば国家の将来もなくなる』と終戦の聖断を下した?。戦争に苦悶する昭和天皇の姿が浮かび上がる。」
原発問題で見せている徹底した批判精神はどこに行ったのか。現政権への批判の健筆の冴えはなにゆえここには見えないのか。不可解というしかない。
ジャーナリズムは、体制・政権・強者への批判を真骨頂とする。自主規制によってタブーの形成に加担してはならない。
各メディアのジャーナリスト魂は、菊タブーへの挑戦の姿勢によってはかられる。今回の「実録」の取り上げ方は、その面から各社の姿勢をよく表していると思う。
(2014年9月9日)