澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

戦争を繰り返してはならない。原子力発電も同じだ。

「原発」は「戦争」によく似ている。
国家の基幹産業と結びつき、国益のためだと語られる。国民の支持取り付けのために「不敗神話」とよく似た「安全神話」が垂れ流される。隠蔽体質のもとに大本営発表が連発される。その破綻が明らかとなっても撤退は困難で、責任は拡散して限りなく不明確となる。中央の無能さと現場の独断専行。反省や原因究明は徹底されない。そして、始めるは易く、終わらせるのは難しい。

死者にむち打ちたくないという遠慮はあるが、それにしても「吉田調書」を見ていると、現場の傲慢さや独断専行ぶりは皇軍の現地部隊を思わせる。シビリアンコントロールや、中央からの統制が効かない。中央は、現地部隊の独断専行を最初は咎めながらも、無策無能ゆえに結局は容認する。

満州事変で、中央の不拡大方針に反して独断で朝鮮軍を満州に進め、「越境将軍」と渾名された林銑十郎などを彷彿とさせる。明らかに重大な軍紀違反を犯しながら、失脚するどころか後に首相にまでなっている。国民や兵士に思いは至らず、「愚かな中央」を見下す傲慢さが身上。石原完爾、板垣征四郎、武藤章、牟田口廉也など幾人もの名が浮かぶ。

吉田所長も同様。本社や官邸と連携を密にし、一体として対処しようという意識や冷静さに欠け、自己陶酔が見苦しい。
「問:海水による原子炉への注水開始が(3月12日)午後8時20分と(記録が)あり、東電の公表によれば午後7時4分にはもう海水を注入していた。なぜずれが生じている?

答:正直に言いますけれども、(午後7時4分に)注水した直後ですかね、官邸にいる武黒(一郎・東電フェロー)から私に電話がありまして。電話で聞いた内容だけをはっきり言いますと、官邸では、まだ海水注入は了解していないと。だから海水注入は中止しろという指示でした。ただ私はこの時点で注水を停止するなんて毛頭考えていませんでした。どれくらいの期間中止するのか指示もない中止なんて聞けませんから。中止命令はするけども、絶対に中止してはだめだと(同僚に)指示をして、それで本店には中止したと報告したということです。」

これを美談に仕立て、「愚かな官邸・本社に対する現場の適切な判断」と見る向きがあるが、とんでもない。結果論だけでの評価は危険極まる。現場と官邸・本社との連携の悪さとともに、皇軍の現地部隊同様の独断専行の弊は徹底して反省を要する。

この独断専行の裏には、次のような官邸・中央に対する反感がある。
「時間は覚えていないが、官邸から電話があって、班目(春樹・原子力安全委員長)さんが出て、早く開放しろと、減圧して注水しろと」「名乗らないんですよ、あのオヤジはね。何かばーっと言っているわけですよ。もうパニクっている。なんだこのおっさんは。四の五の言わずに減圧、注水しろと言って、清水(正孝社長)がテレビ会議を聞いていて、班目委員長の言う通りにしろとわめいていた。現場もわからないのに、よく言うな、こいつはと思いながらいた」「私だって早く水を入れたい。だけれども、手順がありますから、現場はできる限りのことをやろうと思うが、なかなかそれが通じない。ちゅうちょなどしていない。現場がちゅうちょしているなどと言っているやつは、たたきのめしてやろうかと思っている」

管首相に対する言葉遣いの乱暴さにも辟易する。
「叱咤(しった)激励に来られたのか何か知りませんが、社長、会長以下、取締役が全員そろっているところが映っていました。そこに来られて、何か知らないですけれども、えらい怒ってらした。要するに、お前らは何をしているんだと。ほとんど何をしゃべったか分からないですけれども、気分が悪かったことだけ覚えています。そのうち、こんな大人数で話すために来たんじゃないとかで、場所変えろと何かわめいていらっしゃるうちに、この事象(4号機の水素爆発)になってしまった」
「使いません。『撤退』なんて。菅が言ったのか、誰が言ったのか知りませんけれども、そんな言葉、使うわけがないですよ。テレビで撤退だとか言って、ばか、誰が撤退なんていう話をしているんだと、逆にこちらが言いたいです」
「知りません。アホみたいな国のアホみたいな政治家、つくづく見限ってやろうと思って。一言。誰が逃げたんだと所長は言っていると言っておいてください。事実として逃げたんだったら言えと」
「あのおっさん(管首相のこと)がそんなのを発言する権利があるんですか。あのおっさんだって事故調の調査対象でしょう。辞めて自分だけの考えをテレビで言うのはアンフェアも限りない。私も被告です、なんて偉そうなことを言っていたけれども、被告がべらべらしゃべるんじゃない、ばか野郎と言いたい。議事録に書いておいて」

戦争と同じく、成功体験だけが記憶に刻み込まれている。中越地震時(2007年)の柏崎刈羽原発の経験が次のように、悪い方向で働いている。
「えらい被害だったんですけれど、無事に止まってくれた。今回のように冷却源が全部なくなるということにならなかった」「やはり日本の設計は正しかったという発想になってしまったところがある」「電源がどこか生きていると思っているんですよ、みんな。電源がなくなるとは誰も思っていない」

最後に、過酷事故に至った原因について、およそ反省がない。
「貞観津波のお話をされる方に、特に言いたい。・・何で考慮しなかったというのは無礼千万と思っています。そんなことを言うなら、全国の原発は地形などには関係なく、15メートルの津波が来るということで設計し直せと同じ」「保安院さんもある意味汚いところがあって、先生の意見をよく聞いてと。要するに、保安院として基準を決めるとかは絶対にしない。あの人たちは責任をとらないですから」

原発事故後の混乱した精神状態によるものと差し引いて聞いても、背筋が凍るような発言ではないか。事故があり、吉田調書が現れなければ、原発の現場がこれほどにも投げやりで乱暴で、責任押し付け合いの状態で運営されているとは誰も夢にも思っていなかっただろう。

こうした東京電力や規制庁の体質が改善されたという保証はない。汚染水も放射性物質の貯蔵も廃炉の道筋も見えないまま、原発の再稼働が進んでいくのは悪夢としか評しようがない。

戦争はこりごりだ。戦争に負けてはいけないではなく、戦争を繰り返してはならない。原発も同様だ。過酷事故を起こしてはいけないではなく、原発再稼動を許してはならない。
(2014年9月13日)

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