澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

第2回口頭弁論後の報告集会でー「DHCスラップ訴訟」を許さない・第25弾

「被告本人」の澤藤です。
弁護団の皆様、ご支援の皆様。本日も多数の方にご参集いただき、まことにありがとうございます。遠方からわざわざお越しいただいた方には、とりわけ感謝申しあげます。

先日、スラップ訴訟被害者の方からお話しを聞く機会がありました。
解雇争議中の4人の労働組合員に対して、会社が5000万円の損害賠償請求訴訟を起こしたのです。理由は、組合が運営するサイトに会社に対する名誉毀損の記事を掲載したというもの。まさしく、典型的なスラップ訴訟です。この訴訟は、結果としては会社の全面敗訴になるのですが、訴訟提起自体がもつインパクトの凄まじさのお話しが印象に残りました。

ある日突然、裁判所から各組合員の自宅に、ものものしい特別送達での訴状が届きます。封筒を開けてみて、5000万円支払えという裁判が自分に対して起こされていることを知ることになります。普通の金銭感覚では、びっくり仰天。「足が震え、電話の声が上ずった」と聞きました。当然のことと思います。

普段、訴状や答弁書、準備書面を見なれている弁護士の私でさえ、自分自身に2000万円請求の訴状を受領したときには驚愕しました。そして、こんな馬鹿げたことに時間と労力を注ぎこまなければならないことに、不愉快極まる思いを押さえることができませんでした。

しかし、同時に怒りと闘志も湧いてきました。こんなことに負けてはいられない。私は、このような不正と闘わねばならない立場にあるのだと自分に言いきかせました。はからずも、自分が「表現の自由」というかけがえのない憲法理念を擁護する戦列の最前線に立たされたのだ。一歩も退いてはならない。そう、思い定めたのです。

批判を嫌って、フラップ訴訟を濫発するぞと威嚇する相手には、敬して遠ざけるのが賢明な処し方でしょう。たまたま見かけたあるブログは、「DHC法務部から、記事の削除を求める申入を受けた。不本意だが、実際に裁判をやられかねないので、いったんは削除することにする。その上で、澤藤という弁護士がDHCと争っているとのことなので、そちらの裁判の帰趨を見守りたい。澤藤が勝訴すれば、そのときは再掲載することにしたい」と言っています。

これが、常識的な対応と言って良いでしょう。「表現の自由に対するDHCからの介入は不愉快だが、現実に裁判をやられたのではたまらん。そんな事態は避けるのが賢明」。こういう対応を卑怯だとか、だらしないなどと非難することなどとうていできません。しかし、みんなが、賢く常識的な対応をしていたのでは、萎縮効果を狙ったスラップ訴訟濫発者の思う壺になってしまいます。誰かが、最前線で、歯止めの役割を果たさなければなりません。

私は、弁護士とは、そのような役割の担い手となるにふさわしい存在と思ってきました。弁護士とは、社会正義と人権の守り手としての任務を持った職能です。自らの言論の自由を侵害されたときに、自らの自由のみならず、国民一般の自由の擁護のために最前線で闘わねばならない。そう、思うのです。おそらくは、多くのジャーナリストも同じ思いなのでしょう。

親しい方からは、賢く常識的に振る舞うようアドバイスもいただいています。しかし、ここは、愚かでも非常識でも、意地を張って一念を通さねばなりません。自分の利益のためだけでなく、権利一般を擁護するために、全力を尽くさねばならない。

幸いなことに、そのような思いに共感して一肌脱いでやろうというたくさんの弁護士からご支援をいただいています。まことにありがたく、心強い限りです。ここ一番、がんばらねばなりません。

先ほど「那須南九条の会」の高野さんから、「DHCスラップ訴訟を共に闘う決議をした」とのご報告をいただきました。渡辺喜美代議士の地元から「支援するのではない。共に闘うのだ」という力強い運動の芽生えに励まされます。やはり、闘うことを宣言して、多くの人に支援を呼び掛けたことの正しさに確信を持ちました。

この問題をどうとらえるか。弁護団での議論が少しずつ、煮詰まってきていると思います。この訴訟は、政治的言論に対する封殺訴訟です。言論を妨害した主体は、権力ではなく、経済的社会的な強者です。妨害された言論の媒体はブログ。これは、インターネット時代に、国民のだれもが表現の自由の権利主体になれるツールにほかなりません。そして、妨害された言論内容は「政治とカネ」をめぐる論評。さらに具体的には、経済界が3兆円市場として虎視眈々と狙っているサプリメント規制緩和(機能表示規制緩和問題)に関する批判の言論なのです。言論封殺の態様は、名誉毀損名下に行われる高額損害賠償請求訴訟です。まさしく濫訴、まさしく訴権の濫用と言わねばなりません。強者の不当極まる訴権の濫用に対して、これをどう制裁し予防すべきか。憲法21条論の、今日的な具体的テーマです。

この訴訟への応訴は憲法21条という憲法理念を守る闘いであり、政治とカネをめぐる問題でもあり、国民の健康を左右する消費者問題でもあります。まさしく、私一人の問題ではなく、国民みんなの権利に関わること。当事者となると、口をついて出るのはどうしても「お願いします」という言葉になるのですが、ここでは敢えて、「みなさん、ぜひ一緒に闘ってください」と申しあげます。
(2014年9月17日)

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