無数の「吉里吉里国」独立運動よ 起これ
世界が注目したスコットランドの独立は、今回実現しなかった。住民投票の結果は、反対が200万1926票(55・25%)、賛成は161万7989票(44・65%)と意外の大差だったという。
結果はともかく、主権国家の一部の独立の可否が、武力ではなく投票によって、つまりは住民の意思によって決せられることに「文明の成熟」を感じる。イギリス政府の懐の深さに脱帽せざるを得ない。また、16才以上の住民を有権者として、84・6%という高投票率がスコットランド住民の意識の高さと関心をものがたっている。
独立推進派は、独立後の非核化や、北欧型の高福祉社会の実現を掲げて支持を拡大した。「英国の核戦略は、スコットランド・グラスゴー近くの軍港に駐留する原子力潜水艦に依存している。イングランドには停泊可能な港がなく、また造れないので、そこにしか置けない」(琉球新報)のだそうだ。しかし、独立に伴う経済的なリスクの大きさを訴えた反対派に負けたとの解説が一般的だ。理念が現実に、勝ちを譲ったというところか。
独立派は負けはしたが、スコットランドの住民が、「英国にとどまっていたところで収奪されるばかりで何のメリットもない」と判断すれば、英国から離脱して独立できるのだ。「国家は所与のものではなく、人民の意思によって構成されるもの」であることを見せてもらった思いである。
とはいえ、通常はその意思の如何にかかわりなく、国民個人は国家から独立し得ない。一県一市も町内会も、一国から独立できない。恐るべき不自由ではないか。
井上ひさしの小説「吉里吉里人」を思い出す。東北地方の一寒村「吉里吉里村」(人口4200人)が突如独立宣言して、「吉里吉里国」を建国する。日本政府からの数々の悪政に愛想をつかしての壮挙である。「イエン」を独自の通貨とし、地元方言(東北弁)を公用国語とし、破天荒な国旗・国歌を定め、平和立国の宣言をする。これは、究極の地方自治、反権力の究極のロマンである。もちろん中央政府からの過酷な弾圧に遭うことになり、果敢に「独立戦争」を闘うもハッピーエンドとはならない。吉里吉里人には、独立のための住民投票の権利が与えられないのだ。
吉里吉里だけではない。ウイグルも、チベットも、チェチェンにも、ウクライナ東部にも、あるいはバスクにもカタルニアにも住民の意思による独立の権利は認められない。住民投票の機会が与えられれば、確実に独立するだろうに、である。まことに、国家とは厄介なものだ。民族的多数派は、決して少数派の独立を認めようとしない。イヤも応もなく、少数派は国家に縛り付けられ続けることになる。
わが国ではどうだろう。アイヌ民族の独立はともかく、琉球諸島の独立は考えられないだろうか。その現実性はないだろうか。日本にとどまっていることにメリット少なく、基地を押し付けられているデメリットだけだとすれば、琉球人の自律を求めて日本から独立し、明治政府の琉球処分(1874年)あるいは島津服属(1609年)以前の琉球に戻ろうという願いは無理からぬものではないか。スコットランドがイングランドに併合されてから307年だという。琉球の日本への併合の歴史とたいした差はない。
また、さらに思う。国家とは何か。大企業や大資本・財界の利益のための国家に、労働者や低所得者が、なにゆえかくも縛りつけられて離脱できないのだろうか。この国のどこででも、吉里吉里国のごとくに、独立運動が起こって不思議はないのだ。
あらゆる地域で、あらゆる分野で、安倍政権のくびきからの自由を求めて、無数の吉里吉里人の蜂起よ起これ。まず精神の次元で、この日本に囚われることなくそれぞれが自らの吉里吉里国を建国しようではないか。その伸びやかな自律の精神が現実の日本を変えていくことになるだろう。
(2014年9月19日)