アジア大会からナショナリズムを希釈して、国際交流と友好の場に
アジア大会がようやく賑やかになってきた。とはいうものの、どこの誰が何色のメダルを取ろうが、あるいは取り損ねようが、それ自体はたいしたことではない。
それよりも、目を惹いたのが、本日(9月27日)毎日新聞夕刊3面の、「eye:スポーツで越える壁 仁川アジア大会、広がる日韓交流」という特集記事。
「韓国・仁川で開催中の第17回アジア大会には45カ国・地域から選手約9500人が参加して10月4日まで連日熱戦が繰り広げられている。今大会は日韓関係がぎくしゃくする中での開催となったが、競技会場などでは両国選手や観客が交流する場面が随所に見られた。印象的なシーンをレンズで追った。」というもの。
自国選手の活躍を称賛してナショナリズムをあおるでなく、選手のゴシップを取り上げるでなく、競技会を通じて「両国選手や観客の交流」が広がっていることを記事にしている。毎日の明確な視点を評価したい。
この特集の中に、「『日韓交流おまつり』で金魚すくいに興じる韓国人女性ら。」という写真と短いキャプションがある。「10回目の今回は過去最高の5万人が来場した。初めて参加したオ・ヘウォン(18)さんは『最近の韓日関係で雰囲気が心配ったが、みんな笑顔でよい気持ちになれた』=ソウルで」という内容。
この日韓関係のギグシャグの中で、アジア大会が、ソウルでの「日韓交流おまつり」を大規模に成功させ、「みんな笑顔でよい気持ちになれた」というのなら、スポーツ祭典の効用、たいしたものではないか。毎日の特集記事の結びの言葉が、「スポーツには国の枠を軽々と超える力がある。それを改めて感じている。」となっている。なるほどと思わせる。
これに較べれば、国別のメダル争いなどは些細な、どうでもよいこと。アジア大会でのメダル獲得数は、かつては日本の独壇場だった。1980年代からは、中国がトップ、韓国がこれに続いて、日本が3位という順位が定着している。中国や韓国のメダル獲得数は新興国故のこだわりの表れと解しておけばよい。今回も同じようになる模様だが、日本の3位は、成熟した国のちょうどよい定位置ではないか。
過剰なナショナリズムの発揚から余裕を失い、メダルや国旗にこだわったのでは碌なことにはならない。そのことの教訓となる事件がいくつか起きている。
世界的なスイマーとして高名な、孫楊(スン・ヤン)の発言が話題となっている。9月23日に男子400メートル自由形で日本の萩野公介を破って金メダルをとり、さらに24日400メートルリレーでも中国チームが日本を破って優勝すると、中国人記者の質問に「(勝って)気持ちいいというだけではなく、今夜は中国人に留飲が下がる思いをさせた。正直に言うと、日本の国歌を聞くと嫌な感じになる」(訳は毎日による)とコメントした。彼は、アスリートとしては大成したが、社会人として身を処すべき方法には疎い人のようだ。換言すれば、体裁を繕うすべを身につけていない正直な人物。それ故に、本音を言っちゃったのだ。
おそらく、「君が代=嫌な感じ」は、彼の本音であるだけでなく、多くの中国人の本音でもあるのだろう。なにしろ、かつて海を渡って侵略してきた恐るべき軍隊の歌と旗そのものなのだから。そんな来歴の歌や旗を、未だに国旗国歌としている方の神経も問われなければならないが。
しかし、中国の世論は相当に成熟している。孫の発言には賛意だけではなく、「場をわきまえよ」という中国国内からの批判の声が上がったそうだ。彼は26日1500メートル自由形で優勝した後に、「申し訳ないと思っている」と謝罪し、釈明した。「おそらく誤解がある。全ての選手は自国の国歌を聞きたいと思っているということ」という内容。
ところで、中国の国歌は「起来!不愿做奴隶的人?!」(立ち上がれ、奴隷となることを望まぬ人々よ)という呼びかけで始まる。日本軍の侵略に屈せず立ち上がって砲火を恐れず戦え、という内容である。日中戦争中、中国共産党支配地域で抗日歌曲として歌われ浸透したもの。だから、「正直に言うと、中国の国歌を聞くと嫌な感じになる」という日本人がいても、いっこうに不思議ではない。「中国への日本軍隊派遣は、侵略ではなくアジア解放のためだ」などと考えている向きには、なおさらである。あるいは、「戦後70年を経て、未だに日中戦争をテーマの国歌でもあるまい」と考える人にも不愉快かもしれない。
相互に不愉快をもたらす、やっかいな国旗や国歌は、国際友好の障害物として大会に持ち込まないに如くはない。ナショナリズムとは克服さるべきもの。あおるための小道具を神聖視する必要はさらさらない。
もう一つの話題が、冨田尚弥選手のカメラ窃盗事件。「レンズを外し、800万ウォン(約83万円)相当のプロ仕様のカメラ本体を盗んだ疑い」が報じられている。同選手は、前回大会の200メートル平泳ぎ金メダリスト。「カメラを見た瞬間、欲しくなった」と供述しているという。トップアスリートであることと、人間として良識をわきまえていることとが何の関連性もないことをよく証明している。伝えられている限りで冨田選手の手口に弁解の余地はない。
しかし、物欲は誰にも共通してあるもの。通常、人はこれを抑制して社会生活を営むが、一定の確率で、抑制が働かない場合が生じる。窃盗罪を犯す人と犯さない人との間に、質的で決定的な差があるわけではない。どこの国のどこの集団にも、乱暴者がおり、暴言を吐くものがあり、窃盗を働く者だっているということだ。
だから、責めを負うべきは冨田選手個人にとどまる。ことさらに冨田選手のカメラ窃盗事件を、「日本人の本性の表れ」などと言ってはならない。そのような言動こそ、「悪しきナショナリズムの表れ」なのだ。
ナショナリズムからの解放こそが、国民の成熟度のバロメーターだ。あらゆる国際イベントからナショナリズムを可能な限り希釈して、国際交流と友好の場にしたいものと思う。
(2014年9月27日)