「小渕優子氏は何も知らない」 だからこそ責任が大きい
政治資金規正法も公職選挙法も、政治活動や選挙運動にカネが必要なことは所与の前提としている。そのうえで、法は、経済力の格差が票数の差とならぬよう一定の量的な規制をするとともに、カネの流れの透明性を徹底することを主眼としている。それぞれの政治家のカネの流れの実態を公開し、国民の評価や批判を通じて民主的な政治過程が円滑に進展するよう期待している。
政治資金規正法第1条(目的)が、この点を次のように表現している。
「この法律は、‥政治団体及び公職の候補者により行われる政治活動が国民の不断の監視と批判の下に行われるようにするため、‥政治団体に係る政治資金の収支の公開‥の措置を講ずることにより、政治活動の公明と公正を確保し、もつて民主政治の健全な発達に寄与することを目的とする」
政治資金収支報告も選挙運動資金収支報告も公開される。そのほとんどをインターネットで閲覧することができる。収支の報告を通じてカネの面から見た政治家や候補者の活動が有権者の評価・批判を求めているのだ。カネの動きについて「不断の監視と批判」を行うよう、法は主権者国民に期待している。場合によっては「監視と批判」は有権者の責務でもある。
以上のとおり、収支報告書は民主主義の政治過程の基礎を支えているものとして重要な位置を与えられている。「民主政治の健全な発達寄与の基礎資料」として正確に作成されなければならない。だから、その記載に過誤があれば、故意だけでなく、重過失ある場合にも「虚偽記載罪」が成立することとされている。
今問題となっている多くの閣僚の政治資金規正法上の収支報告の過誤について、これをことさらに、「些末なことに過ぎない」「単純なミスではないか」「重箱の隅をほじるような消耗な作業」「訂正すれば済むこと」などとする論調が絶えない。これは意図的に違法な隠蔽に加担しているか、さもなくば「政治資金収支の透明性確保を基礎とした、有権者による監視と批判」という民主主義の基本構造に無理解というしかない。
各紙が「撃ち方止め」の首相発言があったと報じ、安倍首相が予算委員会で、ことさら朝日だけの名を出して、「きょうの朝日新聞ですかね、『撃ち方やめ』と私が言ったと報道が出た。これは捏造です」と言った。これは取り返しのつかない重大な安倍失言として今後の追求対象となるだろう。
本日のブログで言いたいことは、「撃ち方止め」は主権者の立場からは絶対に容認し得ない政治家間の結託であるということ。標的がある限り、徹底して撃ち合ってもらわねばならない。虚偽や杜撰な収支報告は、相手方陣営からの攻撃の恰好の標的になることは当然で、打ち合いの末に撃つべき対象がなくなって、ようやく有権者は報告書を信用することができることになる。そのとき初めて、法が想定している、収支の透明性徹底を通じての有権者の適切な判断、プラス点の評価もマイナス点の批判も可能となる。
ことは保守陣営だけの問題ではない。「革新」を名乗る陣営でも、明らかな収支報告の過誤を「単純な記載ミス」「訂正すれば済むこと」などと糊塗した実例がある。こういう候補者や選対には、保守のダーティさを攻撃する資格がなくなってしまう。心していただきたい。
10月30日、東京地検特捜部が小渕優子議員に関係する政治資金規正法違反容疑で強制捜査に踏み切った。強制捜査の令状における被疑者は元秘書となっているのだろうが、注目されるのは公民権喪失をともなう小渕優子議員の法的責任である。
元秘書氏は、「小渕氏は何も知らない。収支報告書は私が作成した」と説明しているという。議員は「秘書がやったこと」と言い、秘書は「悪いのは私」と言う。古典的な、トカゲの尻尾への責任回避ないし責任限定策である。バリエーションとして、「妻が」「亡妻が」というのもある。美談でも何でもない。「何も知らない」こと自体が、問われているのだ。政治家は自身の政治活動の収支を国民・有権者に開示する責任がある。政治家自身が自らの活動の実態を知らないで、どうしてこれを国民・有権者に知らせることができようか。「知らない」のは、「恥」のレベルではない。違法であり、犯罪にもなるのだと自覚しなければならない。民主主義社会の政治家としての自覚に欠けること甚だしいというほかはない。
江渡聡徳防衛相も、野党からの攻撃に必死の防戦だ。こちらは、「単純な事務的ミス」作戦。同氏の資金管理団体から江渡氏本人への違法な寄付が発覚した問題を巡り、野党の追及が1カ月近く続く異常事態となっている。「江渡氏は『秘書らに支給する人件費として一時的に預かり、現金で渡した』のだと強調する。だが、支給される当の秘書(会計責任者)が「寄付」と勘違いした−−という筋の通りにくい説明に、野党は『作り話だ』と批判している」(毎日)
収支報告書の正確な記載を軽んじてはならない。それは、民主主義を軽んじることと同義なのだから。
(2014年11月1日)