「浜の一揆」参加者は101名に
岩手県知事達増拓也殿
県水産行政担当者各位
本日(11月4日)、個人操業の固定式刺し網によるサケ漁の許可を求める三陸沿岸の漁民63名が、県知事に対して許可申請書を提出しました。
申請者たちは、このサケ漁の許可獲得運動を「浜の一揆」と名付けています。第1次申請者38名と併せて、「浜の一揆」参加者は101名となりました。
江戸時代の南部藩は、一揆の規模も回数も群を抜いていることで知られています。藩政が苛酷で無能だったこともありますが、農民・漁民の心意気の高さもあるのではないでしょうか。形は違いますが、幕末の弘化・嘉永の大一揆と同様に、今沿岸漁民が立ち上がっているのです。
沿岸海域の水産資源は、本来沿岸漁民の共有財産です。漁民が、目の前の海で魚を捕るのは当然の権利。ところが、岩手県の漁民は目の前の漁場の豊富なサケをとることを禁止されています。誰も捕れないということではない。大規模な定置網事業者はごっそり捕って、大きな儲けを上げている。現行の水産行政は、定置網事業者の利益独占に奉仕して、この独占の利益を擁護するために一般漁民の権利を剥奪して、小規模な刺し網漁を罰則をもって禁止する実態となっています。101名の申請は、漁民の権利を回復し、生業と生計を維持するための「浜の一揆」なのです。
いうまでもないことですが、「許可の申請」とは、行政に対する陳情や要請ではありません。頭を下げ腰を折ってのお願いではないのです。三陸の漁民が沿岸海域の魚を捕るのは当然の権利。漁民はその権利の行使に着手したのです。県の水産行政が許可を認めなければ、農水大臣への審査請求手続きとなり、それでも許可がなければ、県知事を被告とする不許可処分取消の行政訴訟を提起することになります。そのときには、文字どおり、県の水産行政のあり方が裁かれることになります。
本来沿岸海域での漁業は漁民の権利なのです。もっとも、全漁民に、無秩序な権利行使を認めていたのでは、強い者勝ちとなって、経済的強者の独占を許してしまうことになります。また、乱獲によって資源が枯渇することにもなりかねません。そこで、「調整」が必要になります。弱い立場の漁民の権利を守るため、水産資源の保護のための「調整」です。これが、水産行政の本来の役割ではありませんか。
ですから、漁民の許可申請には、行政は許可を与えるのが原則で、不許可の処分は「そのような許可は強者の独占を許してしまうことになる」「明らかに資源の枯渇を来してしまう」などという、合理的な理由がある場合に限られるのです。
しかも、津波・震災からの復興が遅々として進まない今、ほかならぬこの時期にこそ、零細漁民のサケ漁はどうしても必要といわなければなりません。さけ漁の解禁は地域の復興にもつながります。漁民こそが漁業の主体です。有力者の大規模な定置網漁ばかりを保護するのは本末転倒も甚だしい。
キーワードは「漁業の民主化」です。漁業法がその目的の中に「民主化」という3文字を書き込んでいる意義を改めて確認しなければならないと思います。零細漁民の意見や権利を排斥しての「民主化」はあり得ません。いつまでも、浜の有力者のための漁業行政であってはなりません。
そして、IQ制(漁民単位での漁獲高割当制度)の導入は、資源保護と民主化の課題をともに解決する鍵になることでしょう。IQは、今漁民の側から行政に提案している具体的な「調整」手法です。これも含めて、本日の申請をきっかけに、ぜひとも県の水産行政を漁民の願いや声に真摯に耳を傾けるものとしていただきたい。
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101人を代理して、知事宛にかなり大部な申請書を提出した。県水産振興課の総括課長・調整課長以下のお歴々に漁民の集会の場まで足を運んでいただいたうえでの受領し。結果はまた、ご報告することとしたい。
ところで私は、この「浜の一揆」は三陸復興における大事件だと思っている。地域経済上の問題でもあり、民主主義の問題でもある。地元メディアが、もっと関心を寄せてしかるべきではないか。
今回も、地元の活動家が、漁民の集会の席に水産行政の責任者が足を運んで書類を受けとるのは「絵になる」構図と、県政記者クラブに事前に知らせていた。しかし、やって来たメディアは、赤旗の一名だけ。感性鈍いんじゃないの、記者諸君。県政記者クラブとは、県の担当者からのリリース情報を県民に伝える「広報官」ではあるまいに。
盛岡に出向いたときには、必ず帰りの汽車では岩手日報をひろげる。隅から隅まで読むのを常としてきた。が、今日は止めた。小さな経済制裁だ。
岩手日報の代わりに、車窓の岩手山を見つめた。昔とまったく変わらない悠然たる山容を。
(2014年11月4日)