「安保法制」という呼称をやめよう。はっきり「戦争法案」と呼ぶことにしよう。
社民党の福島瑞穂議員が、参院予算委員会での安倍首相に対する質問の中で「14?18本の戦争法案」との発言にクレームをつけられている。クレーマーとなっているのは、政権であり、これに追随する院内自民党である。両クレーマーとも明らかにおかしい。この問題は民主主義の本質に関わるといってよく看過し得ない。全面的な福島議員応援の手段として、これからは、「安全保障関係連法案」「安保関連法案」などと言うのをやめよう。躊躇することなく、「戦争法案」と言おうではないか。
法に対するネーミングは重要だ。呼称者がその法律をどう把握しているかを表すものとして、である。正式な法の名称はたいていは長過ぎる。しかも、実態を表わさず明らかに誤解を期待するごときものも少なくない。
「日本国憲法の改正手続に関する法律」を「国民投票法」と呼べば、「主権者・国民の意思を国政に反映させる法律」というイメージだが、「改憲手続法」と言った方が穏やかならざるこの法律の本質がよく分かる。
1985年に、「国家秘密に係るスパイ行為等の防止に関する法律案」が国会に上程され国民的な反対運動の盛り上がりの中で廃案となった。上程者側は、この法案を「スパイ防止法」と略称し、「スパイ天国日本において国益に反するスパイの跳梁を防止する法律」と宣伝した。メディアは、これを「国家秘密法」と呼び、反対の運動体は「国家機密法」と呼んだ。戦前の軍機保護法や国防保安法を連想させる本質を衝いた上手なネーミングであった。
ところで、現行憲法の第2章の標題は「戦争の放棄」である。ご存じのとおり、第9条が1か条あるだけ。自民党改憲草案の第2章は「安全保障」と名称を変更する。「平和主義」の第9条のあとに、「国防軍」を定める第9条の2をおいている。安全保障とは、「戦争の放棄=武力によらない平和」に対立する用語なのだ。
名は体を表す、どのような「体」と見るかは人によってさまざまであるから、呼び「名」も異なることになる。ある立法の真の目的や、役割をどう把握するかは、国民一人ひとりの評価の問題で、これを他からとやかく言われる筋合いはない。国会議員であれば、あるいは政党であればなおさらのことである。しかも、政府与党のいう安全保障法制とは、武力による威嚇あるいは武力の行使によって、わが国の安全を保持しようというスタンスに間違いはない。これを「戦争法」「戦争立法」「戦争準備法」「戦争挑発法」と呼んでいささかの違和感もない。
もし、安倍や自民がこれを気に入らないとすれば、論戦の中で反論すればよいだけのこと。「そのような評価が怪しからん」「そのような法の呼び方をやめろ」「議事録からの抹消を承諾せよ」というのは、思想良心の自由に対する挑戦に等しい。討論拒否体質をむき出しにしたもので、あまりに大人げないし、乱暴極まる。
このことについての最初の報道は4月18日の朝日だったと思う。「社民党の福島瑞穂氏が参院予算委員会で安倍晋三首相に質問した際、政府が提出をめざす安全保障関連法案を『戦争法案だ』などと述べたことについて、自民党の理事は17日、一方的な表現だとして修正を求めた。…政治的な信条に基づく質問の修正を求めるのは異例で、論議を呼びそうだ。」というもの。
今日(4月24日)の赤旗が、志位委員長の発言として、「恥ずべき傲慢 撤回を」「『戦争法案』自民の修正要求」という記事を載せている。注目すべきは、「かつて日本共産党が、周辺事態法(1999年)を『戦争法』と呼び批判の論陣を張ったときには、自民党から同様の要求はなかった」と言っている。
実際にはどのようなやり取りだったか確認してみたいと思っていたら、福島議員が自分のブログ「福島みずほのどきどき日記」(4月2日)に未校正稿を掲載している。
要旨を引用すれば以下のとおり。
○福島みずほ君 安倍内閣は、五月十五日、十四本から十八本以上の戦争法案を出すと言われています。集団的自衛権の行使や、後方支援という名の下に戦場の隣で武器弾薬を提供する、このことを認めようとしています。
誰が戦争に行かされるのか。奨学金を払えない、仕事がない、資格を取りたい、大学に行きたい、そんな若者が行かされるのではないでしょうか。若者の過酷な労働条件の延長線上に本物の戦場がある、そのことが出てくると思います。格差拡大、貧困と戦争はつながっていると思いますが、総理、いかがですか。
○内閣総理大臣(安倍晋三君) 我々が今進めている安保法制について、戦争法案というのは我々もこれは甘受できないですよ。そういう名前を付けて、レッテルを貼って、議論を矮小化していくということは断じて我々も甘受できないと、こんなように考えているわけでありまして、真面目に福島さんも議論をしていただきたいなと、これは本当にそう思うわけでございます。
我々が進めている安保法制は、まさに日本人の命と、そして平和な暮らしを守るために何をすべきか、こういう責任感の中から、しっかりと法整備をしていきたいと、こういうものでございます。
○福島みずほ君 問いに答えていないですよ。格差拡大、貧困と戦争がつながるかと質問しました。
戦争法案、これは集団的自衛権の行使を認め、後方支援という名の下にまさに武器弾薬を提供するわけですから、戦争ができることになる、そういうふうに思います。これを戦争法案、戦争ができるようになる法案ですから、そのとおりです。
今、日本国憲法下の下にそれをやろうとする安倍内閣は退陣すべきだということを申し上げ、私の質問を終わります。
○委員長(岸宏一君) 先ほどの福島みずほさんの御発言中、不適切と認められるような言辞があったように思われますので、後刻理事会において速記録を調査の上、適当な処置をとることといたします。
安倍自民。あまりに狭量ではないか。あまりに余裕がない。安倍晋三の狭量は以前からおなじみだが、岸宏一委員長の政権追随ぶりもいただけない。立法府の矜持と見識はどこに行ったのか。国会は討論の府ではないか。「戦争法案」と主張する質問者にも、「戦争法案ではない」という答弁者にも、それぞれが把握した法の本質を存分に語らせ、議を尽くさせたらよいのだ。
安倍は、「あなたは戦争法というが、それはあたっていない。なぜなら、これは平和を求めた法律なのだ。けっして戦争のため立法ではない」としたうえで、格差・貧困の拡大と戦争とのつながりの有無について答弁すればよい。もちろん、重ねての議論がここから続くことになる。説得力の有無は、国民が判断することだ。それを、質問者の見解を封じ、議論もしようとしないからおかしくなるのだ。
福島議員のいうとおり、若者の命が奪われる事態が現実に起ころうとしているのだ。なんの遠慮がいるものか。さあ、これからは「戦争法」の用語を使って大いに議論をしよう。そして、この危険な違憲の諸法案を廃案に追い込もうではないか。
(2015年4月24日)