「憲法日記」800日連続更新をことほぐ
本日は、当「憲法日記」800日連続更新の記念日である。2013年4月1日を第1回として、その後連日掛け値なしの毎日更新を積み重ねて800回。内容のレベルはともかく、継続自体がなかなかのものではないか。自分で自分にささやかな祝意を表して、お手盛りの800回記念号とし、標題を「ことほぐ」とする。
宮武外骨というジャーナリストがいた。『予は危険人物なり・宮武外骨自叙伝』(筑摩書房)でその概容を知ることができる。言論の自由の旗手を任じて、筆を曲げることを潔しとせず、たびたび検挙された。大日本帝国憲法を発布する天皇(睦仁)を、骸骨の姿の挿絵として風刺したことが不敬罪に当たるとして、禁錮3年の実刑を受けている。それだけで尊敬に値する。
この外骨、ダブルスタンダードとは無縁であった。対露非戦論を撤回して権力と世論に迎合した『万朝報』に対する徹底批判でも知られる。自らが反権力を貫いただけでなく、反権力に徹しない対抗勢力やジャーナリズムへの批判にも仮借がなかったのだ。及ばずながらも、私のブログもそのような姿勢でありたいと思う。
日民協ホームページの間借りというやや肩身が狭い立場を脱した際の独立宣言が、「当たり障りのないブログならわざわざ時間を費やして書く意味がない。ある人たちにとっては不愉快な内容であればこそ敢えて書くことに意味がある。物議を醸すようなブログでなければ存在価値はない」というものだった。その気概で始めた連載である。初心忘るべからずと、自分を叱咤したい。
もちろん、ときに「もの言えばくちびる寒し」と思わぬこともないではない。しかし、それを凌駕して「もの言わぬは腹ふくるるわざ」の思いが強い。何度か繰り返したとおり、「一国一城望むじゃないが、せめて持ちたや自前のブログ」である。このブログが私の表現の手段であり、私を、憲法(21条)が保障する表現の自由の主体としてくれている。ビラを作って撒くとしたら気が遠くなるような労力と費用。
本日昼食時、本郷三丁目交差点で定例の「湯島・本郷九条の会」の街宣行動を行った。戦争法の審議に関する賛否について、潮目の変化を実感する反応。明らかに聴衆が耳を傾けてくれている。ビラの受け取りも格段によくなっている。とは言え、小雨の中、声を枯らして呼びかけても捌けたビラの数は微々たるものだ。
それに較べるとブログという優れもの。なんなくビラ撒きをやってのける。幸いに、私のブログに望外の読者を得ていることに感謝したい。そして、評価は読者にお任せするしかない。
800回続けていれば、いろんなことがある。当ブログの批判に対する舌足らずな再批判や反論は当然想定内のこと。当ブログの彩りとなった。しかし、DHC吉田の過剰な反応は予想だにしないことだった。当ブログには「DHC吉田」以外にも若干のクレームはある。が、DHC吉田のようないきなりの提訴は無茶苦茶というほかはない。不愉快極まる提訴に対して煩わしい応訴を強いられてはいるが、応訴それ自体が民主主義の実践過程となっている。これも彩りのうち。
そして、思いがけなくも、批判や非難よりは、激励や連帯のエールを得ていることをありがたいと思う。そのような反応に接して、いささかの充実感を得ている。「彩り」も、元気の素なのだ。
800回語り継いでおれば、いろんなことがある。先日、中国の事情に通じている同窓の友人から次のメールをもらった。
「日本からマカオに向かう途中、上海経由で乗り継いで行ったのですが、機内で上海の新聞を読んでいたところ、何と澤藤統一郎さんのブログを紹介した記事があるではありませんか。
澤藤統一郎の憲法日記
ポツダム宣言もカイロ宣言も、つまびらかにしない総理
https://article9.jp/wordpress/?m=201505&paged=2
このブログを紹介した記事は中国で大変反響を呼んでおります。日本語と中国語との対訳まで出ております。
澤藤さんの奮闘に敬意を表すると同時に、澤藤さんご本人だけでなく、同学のみなさんにもお知らせしておきます。」
この間の800日が、第2次安倍政権暴走の時期とほぼ重なる。安倍内閣の終焉を見ることなく当ブログを擱筆することは到底できない。連続第800号を通過点として当ブログは今後も続くことになる。毎回をできるだけ短く、読み易いものとするように心掛けながら…。原則として…。
(2015年6月9日)