おごれる安倍は久しからず
平家滅亡の壇ノ浦の合戦。緒戦の平家優勢は潮の流れの変化とともに逆転したとされる。平家物語には潮の変化についての記述はないが、「巻十一 壇ノ浦の事」に次の印象深い一節がある。
「門司・赤間・壇ノ浦は、たぎりて落つる潮なれば、平家の船は、心ならず、潮に向かって押し落さる。源氏の船は、自ら潮に追うてぞ出で来たる」
潮の勢いに乗る源氏と、逆流に押される平家の明暗がくっきりと書き分けられている。戦争法案についての国会の審議も、潮の流れが逆転した。今は、護憲勢力が潮に乗って、安倍改憲勢力を追撃のときだ。緒戦は優勢だった政権・与党を、「たぎりて落つる潮に向かって押し落とす」ことができそうな状勢ではないか。
壇ノ浦では、潮の変化が阿波民部重能の寝返りを誘う。続いて、「四国鎮西の兵ども、皆平家を背いて、源氏に附く。今まで随い附きたりしかども、君に向かって弓を引き、主に対して太刀を抜く」「源平の国争ひ、今日を限りとぞ見えたりける」となる。これが戦だ。勢いの赴くところ、如何とも抗いがたい。
憲法学者の断固たる違憲論が世間の耳目を集めた。6月4日衆議院憲法審査会での3参考人全員の発言。次いで、6月6日立憲デモクラシーの会での樋口陽一・佐藤幸治という東西両権威の重ねての違憲発言。そして、戦争法案の撤回を求める憲法研究者署名に200名を超える賛同。重要なのは、これらの動きが大きく報じられ、話題になっていることだ。
これまでも、日弁連を筆頭として多くの団体が反対声明を出している。おそらくは、これから爆発的に増えるだろう。自信を持って違憲な法案と言える状況なのだ。遠慮なく、組織内の反対派・躊躇派を説得できるだろう。街頭の動きも勢いを増している。メディアも意気軒昂だ。なるほど、これが勢いというものなのだ。
このような動きが、国会に反映しないはずがない。安倍内閣の中枢はともかく、自民党の議員も支持者の不安の声に答えなければならない。政治家たる者、風を見、潮を読まねばならない。安倍と心中する義理あいのない政治家は、こぞって、「皆平家を背いて、源氏に附く」。「今まで安倍に随い附きたりしかども、安倍に向かって弓を引き、与党に対して太刀を抜く」ことになるだろう。
壇ノ浦では、矢見参のエピソードがいくつか語られている。腕に覚えの豪の者が、自分の矢に記名して強弓で敵陣に遠矢を射込むのだ。すると、敵方も負けじとその矢を遠く射返して武勇を競ったという。国会もよく似た話になっている。
昨日(6月9日)、政府は劣勢挽回のために安保関連法案が違憲ではないとの「合憲見解」を野党に発表した。文書は2種類、「新3要件の従前の憲法解釈との論理的整合性について」と、「他国の武力の行使との一体化の回避について」。前者が集団的自衛権行使に関わる問題、後者が外国軍隊への後方支援の問題。両者ともに、内閣官房と内閣法制局の連名。
麗々しく連名の記名矢2本を、政府側から野党陣営に射込んだ図である。さて、強弓によるものとして敵陣を震え上がらせるほどの遠矢であったろうか。野党陣営は、さっそくこの矢を拾って、射返そうということになっている。矢見参のひょろひょろ矢が強弓によって射返され、記名矢で味方が傷つくこともある。このことは大きな恥とされたようである。「合憲見解の2本の矢」、一見したところ大したものではなさそうだ。射返されれば政府が傷を深めることになるだろう。
もっとも、射返す矢の勢いは国民が強くもし弱くもする。潮の流れをつくり出すのも国民だ。傍観者としてでなく、どのような形でも「戦争法案反対」の声を上げようではないか。
(2015年6月10日)