東京都平和祈念館の建設を巡って ー都議選の争点その1
夜帰宅すると、1軒おいた路地に看板をマスキングした選挙カーが止めてある。いよいよ明日から都議選なのだ。私の理解では、今度の都議選は「日本共産党対靖国派」の対決を軸とした政治戦。憲法を擁護する勢力の健闘に期待したいし、私も微力を尽くしたい。
東京新聞が都議選の争点となるテーマを連載している。その「都議選2013」の一昨日のテーマが、東京都平和祈念館の建設問題だった。見出しが、「都平和祈念館『早く建設を』 東京空襲 体験者 進む高齢化」というもの。
リードは「東京空襲の資料を展示し、犠牲者を追悼する『東京都平和祈念館(仮称)』の建設を求める戦争体験者たちが、14日告示の東京都議選に注目している。展示内容をめぐる都議会の対立で計画が凍結されて14年。高齢化した体験者らは『いつまで生きていられるか分からない』『議論を始めて』と訴える。」
平和祈念館の「建設をすすめる会」代表の小森香子さんの大きな写真が掲載されている。小森さんのお話しとして、「都議選に候補を擁立する十の政党・政治団体にアンケートを出したが、回答が来たのは四団体だけ」だったという。「都は98年に建設予算案を都議会に提出。しかし、日本の加害の歴史などの展示内容をめぐり、都議会が紛糾。都財政が悪化していた時期でもあり、99年の『都議会の合意を得た上で実施する』という付帯決議で計画は凍結された。2001年に墨田区の都慰霊堂の敷地内に追悼碑は造られたが、都民が寄贈した資料約3500点や空襲体験者330人分の証言ビデオは都庭園美術館(港区)の倉庫に保管されたままだ。」との経緯があってのこと。
アンケートに答えたのは、共産、生活者ネット、社民、みどりの風の4者。もちろん、いずれも建設促進の立ち場だ。しかし都の方針は変わっていない。平和祈念館建設をすすめるには、都議会の構成を変えるしかない。東京空襲犠牲者遺族会は今年1月、祈念館の整備を都議会各会派と都に要望している。都議選の結果は、このことを通じて平和に関連している。
たまたま、私は、「東京都平和祈念館(仮称)建設をすすめる会」ニュースの最新号(第28号)に、祈念館建設促進を願う立ち場からの寄稿をした。願わくは、これをお読みいただき、都議会選挙には平和勢力へのご支援をお願いしたい。
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『戦争を美化することのない ありのままの戦争体験の承継を』
66回目の憲法記念日に、この稿を起こしている。
日本国憲法は、戦争の惨禍を舐めつくした日本国民の不再戦の誓いとして生まれた。前文の「政府の行為によって、再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、この憲法を確定する」との文言は、永久に戦争の被害者にも加害者にもなるまいとする国民の宣言であり誓約である。
その平和憲法に敵意をもってこれを変えようという動向はかねてから絶えない。そして、その言動は今年とりわけ喧しい。戦争放棄・戦力不保持・「平和のうちに生存する権利」の抹殺を狙いとしながらも、96条の改憲手続き条項の改正に的を絞ってここから穴をこじ開けようというのが近年の憲法攻撃の特徴。改憲陣営の究極の目的が、戦争のできる国作りにあることを見据えて、96条改憲に警戒の念を怠ってはならない。
憲法は国民が作る。作るだけでなく国民が守り育てる。立派にまもり育てつつ、役に立つ道具として使いこなさなければならない。ではあるものの、憲法を守り育てる国民の力は、自然には湧き出てこない。かつては平和を願う国民感情は普遍的なものだった。その国民感情が平和憲法の土台をしっかりと支えていた。さて、今はどうだろうか。
かつてはどこの家庭でもありふれたこととして、私の母も子どもたちに戦争を語った。戦地の父を心配して心細かったこと、敗戦の夏にハシカの私を背負って防空壕に息をひそめたこと、配給の食糧の乏しかったこと、相次いだ身内の戦死の知らせ‥。多くの日本人にとって、戦争は戦地にだけあったものではなく、銃後のごく身近にあった。勤労動員や、赤紙や、出征、慰問、空腹、恐怖、虚脱、そして肉親の死。その戦争の相手国であった近隣諸国の民衆の悲惨はさらに規模の大きいものだった。
二度とこの悲惨を繰り返すまいという国民共通の認識が確かにあって憲法に結実した。あれから70年に近い。直接に戦争を体験した私の父母の世代の多くは、既に世にない。その子の世代の私たちは戦争の悲惨の記憶と感情を次の世代に伝え得ているだろうか。かつて平和憲法を支えた、戦争を忌避し平和を願う国民の思いを、いま若い世代が自分のものとしているだろうか。
少し前まで、国会の議席には平和憲法を擁護する堅固な「三分の一の壁」が築かれていた。この壁を支えたものは国民の戦争体験に基づく平和への願いであった。その頼みの壁が今はない。憲法の危機、平和の危機が現実のものとなりつつある。失われようとしている国民的な戦争体験の継承が必要であり、そのための語りの場、学びの場が必要である。貴重な戦争体験の記憶を意識的に記録化し保存することは、後世への義務ですらある。
私は、ときどき靖国神社に足を運んで遊就館を見学する。ここにも戦争の遺品が並んで訴えるものがある。しかし、どうしても違和感を拭えない。同じものでも、その意味づけによって、あるいは展示の仕方によって異なるメッセージが伝わってくる。
平和を願う立ち場から、いささかも戦争を美化することのない、悲惨な戦争の実態を記録して承継する、そのような平和祈念館の建設実現を願う。庶民の目線での、ありのままの戦争体験を正確に次の世代に伝えるにふさわしい施設を。
(弁護士・公益財団法人第五福竜丸平和協会監事)
(2013年6月13日)